日本国憲法無効論があるのを知り、この議論がどの程度の影響力をもっているかに関心を持ってネットで探していたら、「南出文庫」という文書ファイル名、「忘れられたもう一つの「憲法調査会」」というタイトルの文書に行き当たった。
 渡部昇一との共著がある南出喜久治の文章かと思われ、また1997年5月以降で国会両院に憲法調査会が設立される前に執筆されているようだが、いずれも確定的ではない(なお、「現行憲法破棄!、山河死守!、自主防衛体制確立!」と表紙にある「民族戦線社」のHP内に収載の文書のようだ)。
 この文書によると、こうだ。
 昭和31年の憲法調査会法にもとづき内閣に設置された「憲法調査会」は国会議員30名、学識経験者20名の計50名の委員で構成され、調査審議し、昭和39年7月3日に本文約二百頁、付属書約四千三百頁、総字数約百万字にのぼる「憲法調査報告書」を完成させて報告した。「ところが、…この報告書には、致命的な欠陥と誤魔化しがあった。それは、当時、現行憲法の制定経過の評価において、根強い「現行憲法無効論」があったにもかかわらず、無効論の学者を一切排除し、有効論の学者のみをもって憲法調査会が構成され、しかも、有効論と無効論の両論を公正に併記し、それぞれ反論の機会を与えるという公平さを全く欠いた内容となっていたからである」。/「この報告書では、当時の無効論をどのように扱ったかと言えば、僅か半頁、しかも実質には約百字で紹介されたに過ぎない。…百万字の報告書のうちのたった百字。一万分の一である。そして、報告書曰わく「調査会においては憲法無効論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としている。誰一人無効論を唱える者を委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入った話である」。
 上の報告書など読んだこともないが、これで当時の、すなわち1960年代前半の「雰囲気」はほぼ分かる。
 ちなみにこの文書の執筆者(南出?)は、次のようにも書く。
 「殆どの憲法学者というのは「現行憲法解釈学者」であって、これで飯を食っている御仁である。そのため、現行憲法が無効ではないかという議論がなされてくると、今まで、現行憲法の絶対無謬性を唱えてきた「現行憲法真理教」の教義が揺らぎ、今まで嘘を教えたと学生や大衆から非難され、オマンマが食べられなくなるからである。無効論に説得力がないと思うのであれば、堂々と議論して論破すればよいではないか。しかし、それは死んでもできない。なぜなら、無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」。
 現行憲法を有効視しないと「オマンマが食べられなくなる」というのはその通りかもしれない。だが、「無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」という部分には疑問符をつけておきたい。
 私は憲法学者(研究者)でも何でもないが、知的好奇心は旺盛なつもりなので、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)も買って少し読んでみた。
 南出と渡部の共著は所持しつつ未読なので、南出の無効論と小山の無効論が全く同じなのか、どう違うかはまだ知らないが、少なくとも小山の上の本には、私でも「突っ込める」ところがいく点もある。上の言葉を借りれば、「明確な法的根拠と充分な説得力」があるとは必ずしも思えない。
 詳細はここでは省くとして、つぎには、すでに2005年に(内閣に設置ではない、1960年代のとは異なる、新しい)国会両院の憲法調査会がこれまた長い報告書をすでに出しているようなので、そこで「日本国憲法無効論」がどう扱われているかを(むろんすべて本来の仕事の範囲外のことなので、時間を見つけて)調べてみよう。
 なお、多数意見が誤っており、少数意見が「正しい」こともありうる。だが、そこでの「正しさ」とはいったい何なのだろう。こうした憲法・法学的分野では、総合的に観てより合理的・論理的で、より説得的なものがより「正しい」意見なのだろう。従って、全ての人間(日本国民全員)を納得させるような「(絶対的に)正しい」見解というのはそもそも存在しないのだと思われる。というような、余計なことが頭に浮かんだ。