立花隆の現憲法九条に関する考えは前回に紹介したところだが、同じコラムの中で、憲法全体については、「押しつけ」られたことを肯定しつつ、こんなことを書いている。
「押し付けの事実と、押し付けられた憲法の中身の評価は自ずから全く別である。押し付けられた憲法は、グローバルスタンダードから見ても立派な憲法であり、グローバルスタンダードからみて全くの“落第憲法”である松本草案などとは全く比較にならない。」
松本(蒸治)草案について立ち入ることはしない。立花が「グローバルスタンダードから見ても立派な憲法」と内容を評価していることが(九条も含めて)憲法改正反対の理由とされていることが窺える。
だが、実証的資料の紹介は省くが、自衛「戦力」・自衛「交戦権」を否定する(と解釈される場合の)九条二項は、当時のグローバルスタンダードでは決してなかった筈だ。そして、立花は、グローバルスタンダードよりも「進んだ」又は「理想に近づいた」条項と理解しているものと推察される。
ここで対立が生じる。そもそもそのように肯定的に評価してよいか、という基本問題だ。例えば、二日前に入手した小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)は、「無効」とする12の理由(成立過程、内容、成立後の政治・教育に三分される)のうちの10番め(内容面の二つめ)の理由として、九条二項は国家の「自然権」を剥奪しており「自然法または条理に違反していること」を挙げている(p.128)。
私は後者の<自然法論>を単純に支持はしないが(それに、上の理由は九条二項の「無効」理由でありえても現憲法全体の「無効」理由になるか、という問題もある)、いずれにせよ、この九条二項の評価が、それも現時点の現実をリアルに見たうえでの評価が(「現実」を規範より優先させよとの趣旨ではない)、憲法(とくに九条二項)の改正に関する賛成と反対を分けることになるのだろう。
さらに追記すれば、立花隆のコラムのタイトルは「改憲狙う国民投票法案の愚/憲法9条のリアルな価値問え」だ。
前半に見られるように、彼は国民投票法案にも「改憲狙う」ものとして反対しているわけで、与党案の内容を問題にして反対した民主党とは異なる立場に立っている。そして、現在まで60年間不存在のままの憲法改正国民投票(手続)に関する法律の制定それ自体に反対している共産党・社民党と同じ見解の持ち主だ。
立花隆という人物を評価するとき、上の点も看過すべきではなかろう。
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