「日本国憲法無効」論というのがあるのを知って、先日、小山常実・「日本国憲法」無効論(草思社、2002)と渡部昇一=南出喜久治・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)の二つを入手し、おいおい読もうと思っていたのだが、昨日4/22に発売された別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経新聞社)の中に小山常実「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」があったので、「無効論」の要約的なものだろうと思い、読んでみた。
大部分については、少なくとも「理解」できる。だが、大部分に「賛同」できるかというとそういうわけではなく、基本的な一部には疑問も生じる。小山氏の最新の憲法無効論とは何か(展転社、2006)を読めば解消するのかもしれないが、とりあえず、簡単に記しておこう。
第一に、無効論者は(憲法としては)「無効」確認を主張しているが、「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生する」(p.109)、いずれの無効論も「戦後六十一年間の国家の行為を過去に遡ってなかったことにするのではない。…それゆえ、国家社会が混乱するわけではない」(p.112)とされる。
このような印象を持ってはいなかったので勉強させていただいたが、しかし、上のような意味だとすれば、「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。
無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
選挙区定数が人口(有権者数)に比例しておらず選挙無効との訴訟(公職選挙法にもとづく)が提起され、最高裁は複数回請求を棄却しているが、憲法(選挙権の平等)に違反して無効であるが、既成事実を重く見て、請求は棄却する、と判示しているのでは、ない。憲法に違反しているが、無効ではない、という理由で請求を棄却している。無効と言ってしまえば、過去の(全て又は一部の選挙区の)選挙はやり直さなければならず、全ての選挙区の選挙が無効とされれば、選出議員がいなくなり、公職選挙法を合憲なものに改正する作業をすべき国会議員(両院のいずれかの全員)がいなくなってしまうからだ。
余計なことを書いたが、民法学でもその他の分野でもよい、「無効」または「無効確認」を将来に向かってのみ効力を無くす、という意味では用いてきてはいないはずだ(なお、「取消し」も原則的には、遡及して効力を消滅せしめる、という意味だ)。
さらに第一点に関連して続ければ、なぜ「過去に遡ってなかったことにするのではない」のかの理由・根拠がよくわからない。憲法としては無効だが、60年までは「占領管理基本法」として、その後は<国家運営臨時措置法>として有効だという趣旨だろうか。
そうだとすると日本国「憲法無効」論というやや仰々しい表現にもかかわらず、憲法以外の法規範としての効力は認めることとなり、この説の意味・機能、そして存在意義が問題になる。
第二に、「日本国憲法無効」論者は、憲法としては無効で、占領下では「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」又は「占領管理法」、「暫定基本法」又は「講和条約群の一つ」と「日本国憲法」を性格づけるらしい(p.109)。
占領後についての<国家運営臨時措置法>に関してもいえるが、上の「講和条約群の一つ」が「日本国憲法」を条約の一種と見ているようであるものの、その他のものについては、それがいかなる法形式のものであるのか、曖昧だ。
条約は別として、立法形式としては、法律以上では(つまり政令や条例等を別にすれば)、法律と憲法しか存在しないはずだ。
ということは、「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」・「占領管理法」、「暫定基本法」、<国家運営臨時措置法>は法律のはずなのだ。そして、ということは、たんなる法律であれば、事後法、特別法の優先が働いて、その所謂「占領管理基本法」に違反する法律も何ら違法ではない、ということを意味する。法律として、効力は対等なのだ。さらに、ということは、現在は現実にときに問題となる法律の「日本国憲法」適合性は、全く問題にならないことを意味する。「占領管理基本法」等との整合性は(教育基本法もそうなのだが)法的にではなく、政治的に要請されるにとどまる。だが、それにしては、「占領管理基本法」等としての「日本国憲法」は、内閣総理大臣の選出方法、司法権の構成、「地方公共団体の長」の選出方法(住民公選)、裁判官の罷免方法等々、曖昧ではない「固い」・明確な規定をたくさん持っている(「人権」条項は教育基本法の定めと同様の「理念」的規定と言えるとしても)。
「教育基本法」、「建築基準法」等と「~法」という題名になっていても「法律」だ。ドイツには、可決に特別多数を要する法律と、過半数で足りる「普通法律」とがあるらしいが、日本では(たぶん戦前も)そのような区別を知らない。
「日本国憲法無効」論者が「日本国憲法」を憲法以外の他の性格のものと位置づけるとき、上のことは十分に意識されているだろうか。再述すれば、憲法と法律の間に「法」又は「基本法」という中間的な「法」規範の存在形式はないのだ。
さらに第二点に関連して続れば、「日本国憲法」無効論者は瑕疵の治癒、追認、時効(私が追記すれば他に「(憲法)慣習法」化論もありうるだろう。「無効行為の転換」は意味不明だ)等による日本国憲法の有効視、正当化を批判しているが、このような後者の議論と、「占領管理基本法」等として有効視する議論は、実質的にどこが違うのだろうか。「無効」論者が「過去に遡ってなかったことにするのではない」というとき、瑕疵の治癒、追認、時効、慣習法化等々の<既成事実の重み>を尊重する議論を少なくともある程度は実質的には採用しているのではあるまいか。
ちなみに、細かいことだが、<「治癒」できないような絶対的な「瑕疵」>との概念(p.112)は理解できる。だが、そのような概念を用いた議論のためには、「治癒」できる「瑕疵」と「治癒」できない絶対的な「瑕疵」の区別の基準を明瞭に示しておいていただく必要がある。
第三に、(憲法としての)「無効」確認を主張しているようだが、「無効」確認をする、又はすべき主体は誰又はどの国家機関なのか。
p.115は<「憲法学」は…「日本国憲法」が無効なことを確認すべきである>という。
ここでの「憲法学」とは何か。憲法学者の集まりの憲法学界又は憲法学会をおそらくは意味していそうだ。
だが、たかが「学界」又は「学会」が「無効」確認をして(あるいは「無効」を宣言して)、日本国憲法の「無効」性が確認されるわけがない。無効と考える憲法学者が多数派を占めれば「無効」確認が可能だ、と考えられているとすれば、奇妙で採用され難い前提に立っている。
では、最高裁判所なのか。最高裁は「日本国憲法」によって新設された国家機関で、自らの基礎である「日本国憲法」の無効性・有効性を(あるいは「占領管理基本法」等と性格づければ自らを否定することにはならないとしても、いずれにせよ自らの存在根拠の無効性・有効性)を審査するだろうか。また、そもそもどういう請求をして「無効確認」してもらえるかの適切な方法を思い浮かべられない(いわゆる「事件性」の要求又は「付随的違憲審査制」にかかわる)。
現憲法41条にいう「国権の最高機関」としての国会なのか、と考えても、同様のことが言える。(では、天皇陛下なのか?)
要するに、無効である、無効を確認すべきである、とか言っても、一つの(憲法)学説にすぎないのであり、現実的に又は制度的に「無効」が確認されることは、ほぼ絶対的にありえないのではなかろうか。とすると、考え方又は主張としては魅力がある「日本国憲法」無効論も、実際的に見るとそれが現実化されることはほぼありえない、という意味で、やや失礼な表現かもしれないが、机上の空論なのではあるまいか。
第四に(今までのような<疑問>ではない)、「日本国憲法」無効論は、このたび読んだ小山の一文が明示しているわけではないが、現憲法の有効性を前提とする改憲論・護憲論をいずれも誤った前提に立つものとして斥け、「日本国憲法」無効論にこそ立脚すべき、という議論のようだ。
運動論として言えば、そう排他的?にならないで、内容や制定過程の問題も十分に(人によれば多少は)理解していると思われる<改憲派>と「共闘」して欲しいものだ、と思っている。
ただ、次のような文は上のような「夢」を打ち砕く可能性がある。
<将来「日本国憲法」がどのような内容に改正されようとも、改定「日本国憲法」は、引き続き、国家運営のための臨時措置法〔法律だ-秋月〕にすぎない>(p.111)。
このように理解してしまうと、日本は永遠に「真正の」憲法を持てなくなってしまう可能性がある。
もっとも、<「憲法学」は、「日本国憲法」無効論の立場に立ち、明治憲法の復元改正という形で改憲を主張しなければならない>(p.115)とも書かれているので、「明治憲法の復元改正」を経るならば、わが日本国も「真正の」憲法を持てるのだろう。その現実的可能性があるか、と問われれば、ほぼ絶望的に感じるが…。
疑問を中心に書いてきたが、私もまた-別の機会に書くが-現在の憲法学界らしきものに対しては大きな不満を持っている。そして、次の文章(p.111)には100%賛同する、と申し上げておく。
<戦後の「憲法学」は「日本固有の原理」を完全に無視し、「人類普遍の原理」だけを追求してきた。「憲法学者」は、日本固有の歴史も宗教も考慮せず、明治憲法史の研究さえも疎かにしてきた。彼らが参考にするのは、西欧と米国の歴史であり、西欧米国の憲法史であった。取り上げられたとしても、日本の歴史、憲法史は、西欧米国史に現れた理念によって断罪される役回りであった。そして、日本及び日本人を差別する思想を育んできたのである。>
憲法学者のうちおそらくは90%以上になると推定するが、このような戦後「憲法学」を身につけた憲法学者(憲法学の教師)によって法学部の学生たちは「憲法」という科目を学び、他の学部の学生たちも一般教養科目としての「憲法」又は「日本国憲法」を学び、高校までの教師になりたい者は必修科目(たしか「教職科目」という)としての「日本国憲法」を学んできたのだ。
上級を含む法学部出身等の国家・地方公務員、他学部出身者を含むマスコミ・メディア就職者、小・中・高校の教師たち等々に、かかる憲法学の影響が全くなかったなどということは、到底考えられない。そして施行後もう60年も経つ。上に使ったのとは別の意味で、やや絶望的な気分になりそうでもある…。
(不躾ながら、これまでにTBして貰った際の「無効論」のブログ元の文章は、文字の大きさ不揃い、私にはカラフル過ぎ等もあって-一番は「重たい」テーマだからだったろうが-読んでいない。)
人気記事(30日間)
アーカイブ
記事検索
リンク集
最新記事
タグクラウド
- 2007参院選
- L・コワコフスキ
- NHK
- O・ファイジズ
- PHP
- R・パイプス
- カーメネフ
- ケレンスキー
- コミンテルン
- ジノヴィエフ
- スターリン
- ソヴェト
- ソ連
- ソ連解体
- トロツキー
- ドイツ
- ニーチェ
- ネップ
- ヒトラー
- ファシズム
- フランス革命
- ブハーリン
- ボルシェヴィキ
- ポーランド
- マルクス
- マルクス主義
- メンシェヴィキ
- ルソー
- レシェク・コワコフスキ
- レーニン
- ロシア革命
- ワック
- 不破哲三
- 中国
- 中国共産党
- 中川八洋
- 中西輝政
- 丸山真男
- 九条二項
- 佐伯啓思
- 保守
- 全体主義
- 八木秀次
- 共産主義
- 北朝鮮
- 大江健三郎
- 天皇
- 安倍内閣
- 安倍晋三
- 安倍首相
- 小学館
- 小林よしのり
- 小沢一郎
- 屋山太郎
- 岩波
- 左翼
- 慰安婦
- 憲法九条
- 憲法学界
- 憲法改正
- 文藝春秋
- 新潮社
- 日本会議
- 日本共産党
- 日本国憲法
- 月刊WiLL
- 月刊正論
- 朝日新聞
- 桑原聡
- 樋口陽一
- 橋下徹
- 櫻井よしこ
- 民主主義
- 民主党
- 江崎道朗
- 池田信夫
- 渡部昇一
- 産経
- 百地章
- 皇室
- 石原慎太郎
- 社会主義
- 神道
- 立花隆
- 竹内洋
- 自民党
- 自衛隊
- 花田紀凱
- 若宮啓文
- 菅直人
- 西尾幹二
- 西部邁
- 読売
- 諸君!
- 講談社
- 辻村みよ子
- 週刊新潮
- 遠藤浩一
- 阪本昌成
- 鳩山由紀夫
カテゴリー