4月17日午後7時50分に背後から銃撃された長崎市長選候補者・現長崎市長は翌18日午前2時半頃、逝去された。まことに痛ましい。ささやかながら哀悼の意を表する。
 こういうときにも朝日新聞は安倍首相批判と結びつけたいようだ。
 4/19社説はいう-「安倍首相の事件発生直後のコメントには首をかしげざるを得ない。「真相が究明されることを望む」というひとごとのような言葉からは、怒りが感じられなかったからだ。」 
 朝日の社説子は本当にバカだ。こんな事件に「怒り」を感じない人や政治家は殆どいないだろう。安倍首相が例外的な人物だとは思われない。つねに安倍首相の問題点を見つけてやろう、粗探しをしてやろうという気分がないと、こんなことを社説にまで書けない(なお、安倍首相は翌18日には「怒り」を含む談話を述べている)。
 この朝日の社説に影響を受けたのだろう、民主党の中に事件直後の安倍首相発言を朝日と同様に問題視する議員がいる、といずれかの新聞で読んだ。
 イヤガラセ、粗探しの精神は民主党にも乗り移っているようだ。
 さて、殆どのメディアや18日の安倍首相発言も「民主主義」への挑戦だとして批判している。だが、いかなる意味で「民主主義への挑戦」なのか。厳密に、きちんと答えられる人、メディアがどれだけあるだろう。
 結論として私もそう思うが、しかし、基本的には、この事件は、何らかの動機による、日本で所持が原則的に禁止されている銃砲を使った、<人殺し>なのだ。他人の生命を剥奪するという犯罪なのだ。「生きる」という自然の、最低限の権利を剥奪する行為だったのだ。民主主義うんぬんと関係が無くったって、当然に厳しく糾弾されるべきなのだ。そして犯人はすみやかに逮捕されるべきだったし、「真相が究明」されるべきなのだ。
 あたり前のようなことだが、あえて書いておく。
 なお、4/18日朝の「スーパーモーニング」で若一光司が「加藤氏宅放火事件の時の小泉元首相は一週間黙っていた」というのに似通っていると安倍首相を批判したらしい。ここにも、朝日新聞社説子と同様の発想をする、(たぶん)やや「左巻き」の人がいる。