二度めだ。呉智英の提案はいわば奇を衒った、あるいはウケ狙いの氏独特の主張の仕方と思い、それまでの途中の文章をまじめに読んでいなかったのだが、よく読むと、「私は第九条基本的支持だ。戦力放棄を完全非武装ととるか専守防衛と解するかなど、さまざまな議論があるが、今そこには立ち入らない。ともあれ、戦後六十余年の日本の経済的繁栄と戦死者ゼロという「現実的平和」は間違いなく第九条に支えられてきた。そのような功利的観点から、私は第九条を支持したい。」という文があり、どうやら本気で九条を擁護し、前文のみの改正(削除)の主張も本気のようなのだ。
 呉の他の主張も知っていたし、産経紙上であったこともあって油断していた。そして、呉智英には、心底、失望した
 私の言葉で反駁してもよいが、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)を引用して代えることにする。呉智英は実際にこの本を読んで、学ぶことなくなお反論するなら(別に逃げるのではないが)中西に対してして貰いたい。
 同書p.41以下はいう。憲法九条からは軍を自衛隊と戦車を特車言い換える等の無数の嘘が生じ、「嘘の上に嘘を上塗りする」傾向が続くが、その大嘘の「最たるものが、『憲法九条があったから日本は平和を維持できた』という戦後神話」だ。これは「明らかな倒錯した言説」で、なぜなら、第一に、憲法九条の如き条項をもつ国は(コスタリカはそうらしいが一部の小国を除いて-秋月)存在しなかったのに二次大戦後は世界大戦が回避された。日本の憲法九条とは無関係に「世界の大部分の国は日本同様、平和を維持してきた」。日本と異なる憲法をもつ(そして正規の国軍を持つ)国も、「大半の国が60年の平和を享受しえた」。九条を平和と関係づける言説は、実は特殊な宣伝目的の(つまり中国・ソ連が米国よりも不利にならないための「社会主義支持の目的」の)「いわば詐欺的言辞」だった。
 第二に、ではなぜ世界平和が維持されたかというと、「米ソ両大国が核兵器を持ってにらみ合う冷戦体制があったから」に他ならない。
 第三に、日本に限定した話としても、「日米安保こそが戦後日本の平和を支えた」のだ。日米安保がなかったら、九条があろうとなかろうと、「戦後日本はもっと早い時期にソ連の侵略を受けたか、あるいは、いわゆる間接侵略を受け、国内に社会主義革命、暴力革命が起こっていた」だろう。60年安保が「安保騒動」の程度ですんだのは「警察力の背後に自衛隊があり、その背後には米軍がいるということが、当時の日本の革命勢力、あるいはその背後にいた中国・ソ連にはわかっていたから」だ。
 もう一点、呉智英は「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」を支えたのも九条だという。この点についても、中西輝政は、九条のおかげで平和だったとまでは言わなくとも「戦後の民主化が高度経済成長を促した」という大嘘があるとして、言及している。p.45以下は言う。
 戦後改革による「民主化」や「平等化」は高度成長とは何の関係もない。占領軍の民主化を経験していない戦前の日本も高度経済成長をしていたし、平等化が経済成長を促進すると言うならばソ連等の崩壊はありえなかった筈だ。そこで(九条もあって)「軍事支出を極端に少なくしたこと」も経済成長に役立ったとの議論が必ず出てくるが、これも「間違った見方」だ。「社会の「民主化」や「軍事費削減」が経済成長の必須要因だとしたら、韓国や台湾、ASEAN諸国の経済成長や、まして現在の中国の経済成長」を説明できない。
 この程度にしておくが、最後の部分に私の言葉を追加すれば、韓国もドイツも九条のような条項を憲法に持たないが、「経済的繁栄」をしているのではないか。日本のような「繁栄」ではないと反論するだろうか。しかし、同じ九条のもとで、日本の経済成長の程度も、大きく伸びたり逆に下がったことも現にあるのであり、日本ですら「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」と大仰に表現できるような状況ではなかったと思われる。少なくとも、九条のような条項が憲法にあるか否かによって、日本とその他の国々、米国、ドイツ、韓国等々の経済伸展の程度を有意に区別できるはずはない。だが、九条があるために何か経済の状態に違いがあったとでも言いたいのが呉智英のようだ。
 反復するが呉智英には失望した。もうこの人の文章は読まないことにしたい。