L.コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流17章, ボルシェヴィキ運動。
 第三節/経験批判論④。
 (10) Mach の哲学には、Avenarius の哲学に対するのと同じ首尾一貫性の欠如という批判は、当たらない。「主調整」の原理に相当するものを含んでいないからだ。
 Mach は、実験物理学者で、物理学に関する歴史家だった。彼は、知識の相対性に関してAvenarius よりも強い感覚をもっていた。そして、信頼性の高い不変の科学的世界像を獲得するために経験を「浄化する」一方向的な過程の存在を、信じなかった。
 彼は、人間という種の生物学的道具だと、科学を見なした。それは、経済の原理と合致し、および連続して生起する各段階で暫定的かつ相対的に発展するものだった。
 Avenarius と同様に、批判前の知覚であれ科学上の仮説であれ、認識(cognition)について実際的(pragmatic)な見方を採用した。
 知識に関するこのような捉え方(conception)には、形而上学が存在する余地はない。
 世界は、多様な特性の集合体で成り立っており、変わり得る程度の永続性をもち、多少とも予見できる程度に変化する。
 先入観なしで知覚されるこのような特性または「諸要素」は、存在論(ontological)上の意味をもたない。
 それら自体は、精神的でも物質的でもない。人間の身体の関係で考えれば、感覚(sensations)だ。一方で、相互依存性によって、事物(things)として立ち現われる。
 しかしながら、それらは、二次的な解釈物だ。経験それ自体は、色、音、圧力、時間、空間に対していかなる存在論上の地位を与えることも我々に要求しない。
 知識の現実的(actual)な内容は、科学の法則を含めて、経験の中にはない何物も、含んでいない。
 科学の目的は、経験の諸結果を、人間という種の生物学的必要に応じて選抜し、分類し、簡潔に記録すること、および、操作と予見を促進することだ。
 先験的意味での「真実」は、余計な追加物であって、いかなる価値あるものも取り込みはしない。
 全ての知識は、その起源と内容において、経験上のものだ。純粋に同義反復的で、世界に関するいかなる情報も与えない、数学の一部分を除いて。
 Mach は、この点で、ヒューム(Humean) の伝統に忠実だ。すなわち、全ての知識は、経験の叙述と分析的判断で成り立っている。
 言語学上のそれを除いて、いかなる「必然性」もない。いかなる統合的な〈先験的〉(a priori)判断も存在しない。
 ――――
 (11) Mach の思想は、基本的には、ヒューム的実証主義の新しい範型だ。経験に根ざさず、その存在を言語の惰性に負うている、そのような観念、問題、区別の邪魔になる重みから、人間の知性(mind)を解放することを意図している。
 彼は、物質的性格のものを精神的状態として論じる「主観主義者」(subjektivist)ではない。そうではなく、精神的表象(mental image)と事物それ自体の関係の問題を排除しようとしている。そこでの諸観念は、経験の一部ではなく、哲学的先入観の産物だとして。
 人間が知覚する世界は、生物学的必要の圧力のもとで、一定の様式で選択され、組織されている。
 その初期的な特質は、経験のうちに見出される。また、適切に把握すれば、科学は、それに何も付け加えない。
 しかし、科学は、抽象的な観念と法則を用いて、経験を整序(arrange)することができる。そうして、全宇宙が、一定の秩序の観点のもとで出現する。
 しかしながら、この秩序は、人間の選択の作業の結果であり、この意味で、我々自身が造ったものだ。
 --------
 (12) Avenarius、Mach、その他多数の二人と同様に思考した哲学者や物理学者に共通する意図を見抜こうとかりにするならば、その意図は、ヨーロッパの近代主義的文化と密接に関係した、科学主義と実証主義の形態にある、と気づく。
 唯物論的であれ宗教的であれ、形而上学的な先入観に彼らは反対し、経験批判論者たちは、世界に関する直接的で自然発生的な、非哲学的見方にたち戻ろうとした。それは、哲学や宗教の抽象的な構成物や言語による詭弁から自由になって、認識する存在としての人間の「自然の」地位を復活させることだった。
 経験批判論者たちは、また、知識が我々に提示する宇宙の秩序は受動的に理解される「本当」(real)の秩序ではなく、人間の適応する能力の産物だ、と考えた。
 「自然」への回帰、および人間は外部の秩序に対する責任がある、という考えは、当時の知識人たちに特徴的なものだった。
 経験批判論の反形而上学的科学主義、および知識に関する生物学的で実際的(pragmatic)な見方は、革命的精神と合致した、宇宙に関する新しくかつ徹底的な解釈を探求するマルクス主義者たちを魅きつけた。
 ――――
 第三節、終わり。