Richard Pipes, The Russian Revolution 1899-1919 (1990).
「第17章・皇帝家族の殺害」の試訳のつづき。
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第四節/ニコライとAlexandra のEkaterinburg への移送②。
(06) Iakovlev の命令は、前皇帝夫妻に、とくにAlexandra に、激しい動揺をもたらした。
Iakovlev によると、Alexandra は叫び出した。「残酷すぎる。そんなことをするとは信じない。…!」(注24)
彼はニコライをどこに連れていくかを言おうとしなかった。そして、のちに、白軍の新聞に、知らなかった、と主張した。
もちろんこれは、本当ではない。そしておそらく、彼が白軍へと移ったあとの時期には彼には好ましい、彼は本当は白軍が支配する地域にニコライを移すつもりだったと、との風聞に信憑性を与えることを意図していた(脚注)。
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(脚注) Iakovlev は、1918年10月に白軍へと走り、新聞紙のUral’skaia zhi’zn のインタビューを受けた。これは君主主義雑誌のRL, No.1(1921), p.150-3 に再録されている。
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(07) Iakovlev が去ったあと、ニコライ、Alexandra、Kobylinskii は状況について議論した。
ニコライは、ブレスト条約に署名するためにモスクワに連れて行かれるという点で、Kobylinskii に同意した。
かりにそうであれば、使命は無駄だった。「そんなことをするくらいなら、首を刎ねてもらう」(注25)。
ニコライがボルシェヴィキはブレスト条約を正規のものにするために自分の署名を必要としていると信じることができた、ということは、彼の退位後にロシアで起きたことについて、自分が重要でなくなっていることについて、ほとんど何も知っていなかったことを示している。
それがIakovlev の任務の目的だとやはり信じたAlexandra は、夫の不動の地位についてははるかに確信がなかった。彼女は夫が退位したことを決して許しておらず、あの運命の日に自分がPskov にいたなら、きっと彼の行動を止めようとしただろうと思っていた。
彼女は、ニコライには、主に家族に対する威嚇でもって、モスクワで不名誉な条約に署名するよう耐え難い圧力が加えられるだろう、自分が彼の側に立たなければニコライは崩壊してしまうだろう、と懸念した。
Kobylinskii は、Alexandra が親しい知人のIlia Tatishchev にこう言うのをたまたま聞いた。「ニコライが独りなら、彼は愚かなことをするだろう、と思って怖い」(注26)。
彼女は取り乱しており、病気の我が子への愛情とロシアへの務めだと感じているもののあいだで切り裂かれていた。
そして最後には、長年にわたり養い国を裏切っていると責められてきた女性は、ロシアを選んだ。
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(08) 子どもたちのスイス人家庭教師のPeter Gilliard は、Alexandra に午後4時に会ったのだが、つぎのように叙述した。
「皇妃は、…Iakovlev は皇帝を移送するためにモスクワから派遣された、彼は今晩に出発する予定だ、と確認した。
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『人民委員は、皇帝には危害は加えられない、誰かが同行したいのなら反対はしない、と言う。
皇帝を独りで行かせることはできない。
前もそうだったように、彼らは彼を家族から引き離したいのだ。…』
『彼らは、彼の家族のことを心配させて、強引に行かそうとしている。…
彼らには皇帝が必要だ。彼だけがロシアを代表している、と感じている。
我々は一緒に、彼らに抵抗する良い立場にいるべきだ。私は審判のときに、彼の傍にいるべきだ。…』
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『しかし、子どもは病気だ。…
面倒なことになっていると想像してほしい。…
ああ、神よ。何という恐ろしい拷問か。…
人生で初めて、自分がすべきことが分からない。決定しなればならないときはいつでも、啓示を感じてきた。今は、考えられない。…
しかし、神は皇帝の出発をお許しにならないだろう。そうできないし、そうあってはならないはずだ。きっと今晩に、雪解けが始まるだろう。…』
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Tatiana Nikolaevna がここで割って入った。
『でも、お母さん、我々が何と言ってもお父さんは行かなければならないなら、何かを決める必要がある。…』
私はTatiana を弁護し、Alexis は良くなっている、我々は彼の世話をきちんとすべきだ、と言った。
皇妃は不決断に明らかに苦しんでいて、部屋の中を行きつ戻りつした。そして、自分にではなく、我々に対して語りかけていた。
最後に私に近づいて来て、こう言った。
『よし。これが最善だ。私は皇帝と一緒に行く。Alexis は貴方に委ねよう。』
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すぐのちに、皇帝が入ってきた。皇妃は彼に向かって歩き、こう言った。
『決めた。私は貴方と一緒に行く。Marie もそうする。』
皇帝は答えた。『望むなら、大変けっこうだ』。…
家族全員が、午後いっぱいを、Alexis のベッドの周りで過ごした。
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この日の午後10時半に、我々は茶を飲みに上がった。
皇妃は、二人の娘とともにソファに座っていた。
彼らの顔は、泣いたことでふくらんでいた。
我々はみんな、悲しみを隠し、外面上の静穏さを維持すべく最善の努力をした。
誰か一人が離れれば全員が壊れる原因になる、とみんなが感じていた。
皇帝夫妻は、静かで、落ち着いていた。
神が深遠な知恵でもって国の福祉のために要求するならば、いかなる犠牲をも、生命ですらも覚悟している、ということが明らかだ。
彼らは、優しさや気遣いを示さなかった。
この素晴らしい静穏さ、この素晴らしい忠誠さは、伝わりやすい。
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午後11時半、侍従たちが大広間に集まった。
皇帝夫妻とMarie は、別れを告げた。
皇帝は全男性と、皇妃は全女性と、抱擁した。
ほとんど全員に、涙があった。
皇帝、皇妃が去った。我々は私の部屋へと降りた。
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午前3時半、乗り物が中庭に入ってきた。
恐ろしい、<長い四輪馬車>(ratantass)だった。一台にだけ、覆いがあった。
裏庭に小さな麦わらがあるのに気づいた。それを四輪車の床に撒いた。
皇妃が使う車の中に、マットレスを入れた。
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午前4時、上がって皇帝と皇妃に会いに行き、Alexis の部屋を出たばかりだと気づいた。
皇帝夫妻とMarie は、我々に別れを告げた。
皇妃と大公爵夫人〔Elizabeta Fedorovna—試訳者〕は、涙で濡れていた。
皇帝は平静そうで、我々への勇気づけの言葉を述べた。そして、我々を抱擁した。
さよならと言った皇妃は、上がってAlexis の側にいるよう私に頼んだ。
私が少年の部屋へ行くと、彼はベッドで泣いていた。
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数分後、車輪が動くのが聞こえた。
大公爵夫人は彼らの部屋へ戻る途中でその弟の部屋を通った。私は彼らがむせび泣くのを聞いた。」(注27)
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(09) Iakovlev は、ひどく急いでいた。
雪解けが始まったその瞬間に、道路は通れなくなる。
彼はまた、待ち伏せの危険も知っていた。
彼の受けた命令は、前皇帝の生命を守り、安全にモスクワまで移送することだった。
しかし、その使命について多くのことを準備して、Ekaterinburg のボルシェヴィキは異なる計画をもっている、と確信した。
まさにこの時期に行なわれたUral 地方のボルシェヴィキの大会は、前皇帝の逃亡と君主制復活を阻止するために、ニコライのすみやかな処刑に賛成する票決をしていた(注28)。
Iakovlev には、Tobolsk のボルシェヴィキ人民委員の一人の Zaslavskii は彼が到着した日にEkaterinburg に来ていた、という情報があった。
Zaslavskii は、ニコライを捕え、必要があれば殺害するという意図をもって、Ievlenko に待ち伏せ部隊を設置した、との風聞があった。そこはTiumen の鉄道交差点につながる道路がTobol 川を渡る箇所だった(注29)。
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第四節③へとつづく。
「第17章・皇帝家族の殺害」の試訳のつづき。
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第四節/ニコライとAlexandra のEkaterinburg への移送②。
(06) Iakovlev の命令は、前皇帝夫妻に、とくにAlexandra に、激しい動揺をもたらした。
Iakovlev によると、Alexandra は叫び出した。「残酷すぎる。そんなことをするとは信じない。…!」(注24)
彼はニコライをどこに連れていくかを言おうとしなかった。そして、のちに、白軍の新聞に、知らなかった、と主張した。
もちろんこれは、本当ではない。そしておそらく、彼が白軍へと移ったあとの時期には彼には好ましい、彼は本当は白軍が支配する地域にニコライを移すつもりだったと、との風聞に信憑性を与えることを意図していた(脚注)。
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(脚注) Iakovlev は、1918年10月に白軍へと走り、新聞紙のUral’skaia zhi’zn のインタビューを受けた。これは君主主義雑誌のRL, No.1(1921), p.150-3 に再録されている。
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(07) Iakovlev が去ったあと、ニコライ、Alexandra、Kobylinskii は状況について議論した。
ニコライは、ブレスト条約に署名するためにモスクワに連れて行かれるという点で、Kobylinskii に同意した。
かりにそうであれば、使命は無駄だった。「そんなことをするくらいなら、首を刎ねてもらう」(注25)。
ニコライがボルシェヴィキはブレスト条約を正規のものにするために自分の署名を必要としていると信じることができた、ということは、彼の退位後にロシアで起きたことについて、自分が重要でなくなっていることについて、ほとんど何も知っていなかったことを示している。
それがIakovlev の任務の目的だとやはり信じたAlexandra は、夫の不動の地位についてははるかに確信がなかった。彼女は夫が退位したことを決して許しておらず、あの運命の日に自分がPskov にいたなら、きっと彼の行動を止めようとしただろうと思っていた。
彼女は、ニコライには、主に家族に対する威嚇でもって、モスクワで不名誉な条約に署名するよう耐え難い圧力が加えられるだろう、自分が彼の側に立たなければニコライは崩壊してしまうだろう、と懸念した。
Kobylinskii は、Alexandra が親しい知人のIlia Tatishchev にこう言うのをたまたま聞いた。「ニコライが独りなら、彼は愚かなことをするだろう、と思って怖い」(注26)。
彼女は取り乱しており、病気の我が子への愛情とロシアへの務めだと感じているもののあいだで切り裂かれていた。
そして最後には、長年にわたり養い国を裏切っていると責められてきた女性は、ロシアを選んだ。
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(08) 子どもたちのスイス人家庭教師のPeter Gilliard は、Alexandra に午後4時に会ったのだが、つぎのように叙述した。
「皇妃は、…Iakovlev は皇帝を移送するためにモスクワから派遣された、彼は今晩に出発する予定だ、と確認した。
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『人民委員は、皇帝には危害は加えられない、誰かが同行したいのなら反対はしない、と言う。
皇帝を独りで行かせることはできない。
前もそうだったように、彼らは彼を家族から引き離したいのだ。…』
『彼らは、彼の家族のことを心配させて、強引に行かそうとしている。…
彼らには皇帝が必要だ。彼だけがロシアを代表している、と感じている。
我々は一緒に、彼らに抵抗する良い立場にいるべきだ。私は審判のときに、彼の傍にいるべきだ。…』
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『しかし、子どもは病気だ。…
面倒なことになっていると想像してほしい。…
ああ、神よ。何という恐ろしい拷問か。…
人生で初めて、自分がすべきことが分からない。決定しなればならないときはいつでも、啓示を感じてきた。今は、考えられない。…
しかし、神は皇帝の出発をお許しにならないだろう。そうできないし、そうあってはならないはずだ。きっと今晩に、雪解けが始まるだろう。…』
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Tatiana Nikolaevna がここで割って入った。
『でも、お母さん、我々が何と言ってもお父さんは行かなければならないなら、何かを決める必要がある。…』
私はTatiana を弁護し、Alexis は良くなっている、我々は彼の世話をきちんとすべきだ、と言った。
皇妃は不決断に明らかに苦しんでいて、部屋の中を行きつ戻りつした。そして、自分にではなく、我々に対して語りかけていた。
最後に私に近づいて来て、こう言った。
『よし。これが最善だ。私は皇帝と一緒に行く。Alexis は貴方に委ねよう。』
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すぐのちに、皇帝が入ってきた。皇妃は彼に向かって歩き、こう言った。
『決めた。私は貴方と一緒に行く。Marie もそうする。』
皇帝は答えた。『望むなら、大変けっこうだ』。…
家族全員が、午後いっぱいを、Alexis のベッドの周りで過ごした。
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この日の午後10時半に、我々は茶を飲みに上がった。
皇妃は、二人の娘とともにソファに座っていた。
彼らの顔は、泣いたことでふくらんでいた。
我々はみんな、悲しみを隠し、外面上の静穏さを維持すべく最善の努力をした。
誰か一人が離れれば全員が壊れる原因になる、とみんなが感じていた。
皇帝夫妻は、静かで、落ち着いていた。
神が深遠な知恵でもって国の福祉のために要求するならば、いかなる犠牲をも、生命ですらも覚悟している、ということが明らかだ。
彼らは、優しさや気遣いを示さなかった。
この素晴らしい静穏さ、この素晴らしい忠誠さは、伝わりやすい。
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午後11時半、侍従たちが大広間に集まった。
皇帝夫妻とMarie は、別れを告げた。
皇帝は全男性と、皇妃は全女性と、抱擁した。
ほとんど全員に、涙があった。
皇帝、皇妃が去った。我々は私の部屋へと降りた。
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午前3時半、乗り物が中庭に入ってきた。
恐ろしい、<長い四輪馬車>(ratantass)だった。一台にだけ、覆いがあった。
裏庭に小さな麦わらがあるのに気づいた。それを四輪車の床に撒いた。
皇妃が使う車の中に、マットレスを入れた。
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午前4時、上がって皇帝と皇妃に会いに行き、Alexis の部屋を出たばかりだと気づいた。
皇帝夫妻とMarie は、我々に別れを告げた。
皇妃と大公爵夫人〔Elizabeta Fedorovna—試訳者〕は、涙で濡れていた。
皇帝は平静そうで、我々への勇気づけの言葉を述べた。そして、我々を抱擁した。
さよならと言った皇妃は、上がってAlexis の側にいるよう私に頼んだ。
私が少年の部屋へ行くと、彼はベッドで泣いていた。
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数分後、車輪が動くのが聞こえた。
大公爵夫人は彼らの部屋へ戻る途中でその弟の部屋を通った。私は彼らがむせび泣くのを聞いた。」(注27)
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(09) Iakovlev は、ひどく急いでいた。
雪解けが始まったその瞬間に、道路は通れなくなる。
彼はまた、待ち伏せの危険も知っていた。
彼の受けた命令は、前皇帝の生命を守り、安全にモスクワまで移送することだった。
しかし、その使命について多くのことを準備して、Ekaterinburg のボルシェヴィキは異なる計画をもっている、と確信した。
まさにこの時期に行なわれたUral 地方のボルシェヴィキの大会は、前皇帝の逃亡と君主制復活を阻止するために、ニコライのすみやかな処刑に賛成する票決をしていた(注28)。
Iakovlev には、Tobolsk のボルシェヴィキ人民委員の一人の Zaslavskii は彼が到着した日にEkaterinburg に来ていた、という情報があった。
Zaslavskii は、ニコライを捕え、必要があれば殺害するという意図をもって、Ievlenko に待ち伏せ部隊を設置した、との風聞があった。そこはTiumen の鉄道交差点につながる道路がTobol 川を渡る箇所だった(注29)。
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第四節③へとつづく。



























































