辻田真佐憲によるインタビューに西尾幹二が答える発言録が、2019年1月26日から<文春オンライン>上に掲載された。
 その中で、辻田はこう質問した。
 「今、期待している論者はどんな人ですか」。
 西尾幹二は、こう答えている。2024年12月15日時点で、ネット上でそのまま読める。
 「政治学者の岩田温、青山学院の国際マネジメント研究科にいる福井義高、カナダ在住の渡辺惣樹、それから江崎道朗、潮匡人、藤井厳喜、加藤康男。女性では宮脇淳子、福島香織、河添恵子、川口マーン恵美。最後の川口さんは…」。
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 この辻田真佐憲との対談記録は、全集第22巻A(2024年10月刊)に、「著者が初対面の近現代研究者・辻田真佐憲氏と対談する」と題して収載されている。
 ところが、何と、上の部分はこう<書き換え>られている(p.491-2)。
 「今、期待している論者はどんな人ですか」。
 「青山学院の国際マネジメント研究科にいる福井義高、カナダ在住の渡辺惣樹、筑波大学の古田博司、それから江崎道朗、潮匡人、藤井厳喜、加藤康男。女性では加藤康子、宮脇淳子、福島香織、河添恵子、川口マーン恵美。最後の川口さんは…」。
 「期待している論者」から除外されたのは、「政治学者の岩田温」。 
 「期待している論者」に追加されたのは、「筑波大学の古田博司」と、女性の「加藤康子」。
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 2019年の対談時点と2024年の全集収載時点で、「期待している」かどうかの評価・判断が異なることはあり得ることだろう。
 しかし、そのような差異・変化があったとすれば、明記して行なわれるべきだ。
 にもかかわらず、2024年の全集刊行時点で一部にせよ差異・変化があること、つまり<書き換え>=<加筆修正>が行われていることは、全集22巻Aの目次欄にも、辻田との対談録中にも、西尾による「後記」にも、いっさい言及されていない。
 辻田との対談録の表題は「著者が初対面の…辻田真佐憲氏と対談する—(「文春オンライン」2019年1月26日)」となっているので、記録された西尾幹二の発言はこの時点でのものがそのまま記載されている、と読者は理解するだろう。
 にもかかわらず上のような<書き換え>=<加筆修正>を加えたものを収載するのは読者を騙していることになる。とんでもないマヤカシ、欺瞞だ。
 2024年には2019年時点の評価・判断と異なるに至っていたとしても、2019年1月時点の発言だと明記されているのだから、西尾幹二はそれをそのまま認めて全集にも登載すればよいだろう。
 西尾幹二は、その当然と思われることができない人物なのだ。
 どこにも注記することなく、むろん理由を記すこともなく、平気で、後になって一部にせよ<書き換え>=<加筆修正>をすることができる。西尾幹二とは、そういう人物だ。
 あるいは、時間または時期に関する感覚に、常人にはない異常さがある、のかもしれない。
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 このような、全集編集時点での<書き換え>=<加筆修正>があることは、この欄ですでにいくつか触れたことがある。
 また、全集22巻Aでは例えば、第一部の「第四章は『正論』2014年2-4月号に連載したものを加筆修正した」と明記されている(p.261)。この注記は誰が記したのか(本人か出版元編集部か「三人委員会」か)は不明だが、このように、全集収載時点での「加筆修正」を堂々と認めている場合もある。
 ともあれ、上に記したような「加筆修正」=「書き換え」が(こっそり)平然と行なわれているのだから、西尾幹二「全集」なるものは、全巻の全章・全節を通じて、その元となっている文章と同一のものなのか否かが、きちんと点検されるべきだ。そして、「校訂・加筆修正表一覧」が作成されるべきだ。
 「保守」(主義)うんぬん以前の、西尾幹二の、論者かつ人間としての<誠実さ>の問題だ。
 SNSとかYouTube 等の多数の閲覧者がいる世界だと、こうした<誠実さ>の欠如(=ウソつき)は、瞬時に暴露される。
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