L・コワコフスキが書いた書物は、何語であれ、今後も読み継がれていくだろうから、<追想>だけの対象にしてはいけない。
以下では、L・コワコフスキに関する、個人的・私的な思い出を書く。むろん「個人的・私的な」交際関係があったわけではない。
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一 この欄に英語文献の「試訳」を初めて掲載したのは2017年の2-3月だった。たまたまRichard Pipes, Russian Revolution (1990)をKindle で読んでいて、仕事で英語を使ってから40年以上経っていたが、「辞書」機能を使って何とか理解できる、邦訳もできそうだと感じた。
その前にもともとは<ロシア革命>について知っておきたいという関心が生まれていて、R. Pipes 以外のロシア革命本もいくつか渉猟するようになっていた(洋書または邦訳書)。
そうしたロシア革命に関する書物の注記の中で、たぶん「マルクス主義」に関して、Leszek Kolakowski, Hauptströmungen des Marxismus(Main Currents of Marxism)が挙げられていた。
明瞭ではないが、R.パイプスではなく、M.メイリアの書物(Martin Malia, Soviet Tragedy -A History of Socialism in Russia 1917-1991(1994年)=邦訳書/白須英子訳・ソヴィエトの悲劇(草思社、1997))だったような気がする。
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二 基礎的な重要文献のごとき扱いだったのでたぶんすみやかに英語書を入手したが、ただちに「試訳」に進んだのではない。はたして、個人的にであれ、日本語に訳出してみる価値があるのかどうかが分からなかったからだ。下手に入り込むと、何といっても(三巻で)1500頁ほどもあるのだ。
そこで、同じKolakowski の別の論稿を読んで、ある程度の「心証」を得ることにした。
その際に選択したのは少し長い‘My Correct Views on Everything’という題の論考で、「『左翼』の君へ」と勝手に表題を変えて、この欄に全文を掲載した(2017年5月)、読みつつこの欄に掲載していったのだったが、じつに面白かった。正確に言えば、コワコフスキの論述の仕方、その思考方法と表現方法が複雑かつ新鮮で、意表を衝くような箇所も多く、まるで「自分の頭が試されている」ように感じた。こんな衝撃を日本人の日本語文から受けたことはなかったような気がする。
→「『左翼』の君へ①」(2017/05/02)。
この論稿は、のちに得た知識ではイギリスの「新左翼」のEdward P. Thompson がLeszek Kolakowski を「昔の仲間ではないか。いったい今のきみはどうなのだ」とか批判したのに対する反論文で(決して「釈明」文ではない)、T.ジャットによると「一人の知識人を丸ごと解体する」ごときものだった。
この公開書簡による批判・反批判の中に、Thompson が Kolakowski の組織した「社会主義」に関するシンポジウムに招聘されなかったことに前者が不満を言うという箇所があった。これもあとで気づいたのだが、そのシンポジウムの成果をまとめた書物(1974年)の一部の「試訳」を、そういう関連があったとは知らないままで、のちにこの欄に掲載した。→「No.1974」(2019/06/10)。
この反論・反批判論稿の内容には立ち入らないが、「左翼」または「新左翼」と自認している者は、じっくりと読むとよいだろう。
こうしてコワコフスキは「信頼」できると判断したが、もう一つ、「神は幸せか?」(2006年)という短い論稿の「試訳」もこの欄に掲載した(2017年5月)。これも「議論の進め方」が大いに魅力的だった。なお、冒頭には「シッダールタ」への言及があり、原語で読んだわけではないがと慎重に留保しつつ、仏教にも関心を持っていたことを示している。→「神は幸せか?①」(2017/0525)。
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Leszek Kolakowski, Main Currents …の最初の「試訳」掲載は2017年6月で、第二巻のレーニンに関する部分から始めた。→「1577/レーニン主義①」(2017/06/07)。
doctrin は「教理」と訳すことに早々に決めて、維持した。できる限りカタカナ英語を使わないという気分だったのだろう、ideology を「観念体系」と訳したりした。これは継続できなかった。
基礎的な知識・教養がないためにしばしば難解だったが、辞書にも頼りつつ、何とか理解していった。
今の時点で思い出すのは、第一に、「主義」、「思想」の歴史叙述ではあるが、L・コワコフスキは<ロシア革命>の具体的推移、諸局面についてもよく知っている、ということだ。単純に、「思想」の内在的な関係・比較や発展等を追っているのではない。「考え」、「思想」、「イデオロギー」と政治的・社会的現実の複雑な関係を相当に留意して叙述していた人だと思う。あるいは、あえて単純化はしない、未解明部分はあるがままに放っておく、という姿勢だった、と言えようか。
第二に、些細なことだが、L・コワコフスキが参照しているレーニン全集の巻分けは日本でのそれ(大月書店版)と同じだった。かつてのソ連の「マルクス=レーニン主義研究所」が編纂したレーニン全集をその構成を同じにしてポーランドと日本でそれぞれの言語で翻訳して出版したものと思われる(なお、R.パイプスの書物が用いていたレーニン全集は、ポーランドや日本のそれと異なっていたようだ)。むろん、言語の違いによって、同じ論稿であっても必要頁数は同じではないので、L・コワコフスキが示す頁数ですぐに日本のレーニン全集の当該箇所を特定できたわけではない。
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以下では、L・コワコフスキに関する、個人的・私的な思い出を書く。むろん「個人的・私的な」交際関係があったわけではない。
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一 この欄に英語文献の「試訳」を初めて掲載したのは2017年の2-3月だった。たまたまRichard Pipes, Russian Revolution (1990)をKindle で読んでいて、仕事で英語を使ってから40年以上経っていたが、「辞書」機能を使って何とか理解できる、邦訳もできそうだと感じた。
その前にもともとは<ロシア革命>について知っておきたいという関心が生まれていて、R. Pipes 以外のロシア革命本もいくつか渉猟するようになっていた(洋書または邦訳書)。
そうしたロシア革命に関する書物の注記の中で、たぶん「マルクス主義」に関して、Leszek Kolakowski, Hauptströmungen des Marxismus(Main Currents of Marxism)が挙げられていた。
明瞭ではないが、R.パイプスではなく、M.メイリアの書物(Martin Malia, Soviet Tragedy -A History of Socialism in Russia 1917-1991(1994年)=邦訳書/白須英子訳・ソヴィエトの悲劇(草思社、1997))だったような気がする。
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二 基礎的な重要文献のごとき扱いだったのでたぶんすみやかに英語書を入手したが、ただちに「試訳」に進んだのではない。はたして、個人的にであれ、日本語に訳出してみる価値があるのかどうかが分からなかったからだ。下手に入り込むと、何といっても(三巻で)1500頁ほどもあるのだ。
そこで、同じKolakowski の別の論稿を読んで、ある程度の「心証」を得ることにした。
その際に選択したのは少し長い‘My Correct Views on Everything’という題の論考で、「『左翼』の君へ」と勝手に表題を変えて、この欄に全文を掲載した(2017年5月)、読みつつこの欄に掲載していったのだったが、じつに面白かった。正確に言えば、コワコフスキの論述の仕方、その思考方法と表現方法が複雑かつ新鮮で、意表を衝くような箇所も多く、まるで「自分の頭が試されている」ように感じた。こんな衝撃を日本人の日本語文から受けたことはなかったような気がする。
→「『左翼』の君へ①」(2017/05/02)。
この論稿は、のちに得た知識ではイギリスの「新左翼」のEdward P. Thompson がLeszek Kolakowski を「昔の仲間ではないか。いったい今のきみはどうなのだ」とか批判したのに対する反論文で(決して「釈明」文ではない)、T.ジャットによると「一人の知識人を丸ごと解体する」ごときものだった。
この公開書簡による批判・反批判の中に、Thompson が Kolakowski の組織した「社会主義」に関するシンポジウムに招聘されなかったことに前者が不満を言うという箇所があった。これもあとで気づいたのだが、そのシンポジウムの成果をまとめた書物(1974年)の一部の「試訳」を、そういう関連があったとは知らないままで、のちにこの欄に掲載した。→「No.1974」(2019/06/10)。
この反論・反批判論稿の内容には立ち入らないが、「左翼」または「新左翼」と自認している者は、じっくりと読むとよいだろう。
こうしてコワコフスキは「信頼」できると判断したが、もう一つ、「神は幸せか?」(2006年)という短い論稿の「試訳」もこの欄に掲載した(2017年5月)。これも「議論の進め方」が大いに魅力的だった。なお、冒頭には「シッダールタ」への言及があり、原語で読んだわけではないがと慎重に留保しつつ、仏教にも関心を持っていたことを示している。→「神は幸せか?①」(2017/0525)。
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Leszek Kolakowski, Main Currents …の最初の「試訳」掲載は2017年6月で、第二巻のレーニンに関する部分から始めた。→「1577/レーニン主義①」(2017/06/07)。
doctrin は「教理」と訳すことに早々に決めて、維持した。できる限りカタカナ英語を使わないという気分だったのだろう、ideology を「観念体系」と訳したりした。これは継続できなかった。
基礎的な知識・教養がないためにしばしば難解だったが、辞書にも頼りつつ、何とか理解していった。
今の時点で思い出すのは、第一に、「主義」、「思想」の歴史叙述ではあるが、L・コワコフスキは<ロシア革命>の具体的推移、諸局面についてもよく知っている、ということだ。単純に、「思想」の内在的な関係・比較や発展等を追っているのではない。「考え」、「思想」、「イデオロギー」と政治的・社会的現実の複雑な関係を相当に留意して叙述していた人だと思う。あるいは、あえて単純化はしない、未解明部分はあるがままに放っておく、という姿勢だった、と言えようか。
第二に、些細なことだが、L・コワコフスキが参照しているレーニン全集の巻分けは日本でのそれ(大月書店版)と同じだった。かつてのソ連の「マルクス=レーニン主義研究所」が編纂したレーニン全集をその構成を同じにしてポーランドと日本でそれぞれの言語で翻訳して出版したものと思われる(なお、R.パイプスの書物が用いていたレーニン全集は、ポーランドや日本のそれと異なっていたようだ)。むろん、言語の違いによって、同じ論稿であっても必要頁数は同じではないので、L・コワコフスキが示す頁数ですぐに日本のレーニン全集の当該箇所を特定できたわけではない。
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