谷沢永一・人間通になるための読書術(PHP新書、1996/電子化2013)は、数十の書物の「要点」を記して、一気に相当に読ませる。
 各書物に関する表題も簡潔で面白いが、その中に、つぎがある。P. Johnson, Intellectuals (共同通信社の邦訳書)についてのもの。
 「思想も文藝も自己顕示である」。
 谷沢は自分の文章としてこう書く。「思想」や「文藝」の制作者たちは、「人びとに自らを知らしめる為に…苦労を敢えてする」。キレイ事では「自らが生きた証しを打ち立てたい」、つまりは「認知して貰いたい」、「賞賛が欲しい」、「長く後世に伝えられたい」、「広く仰ぎ見られたい」。
 「思想家」の二種の一つは「世の人を居丈高に見くだして、人びとを駆り立てようとする煽動型」で、「思い上がった指導者意識が認められる」。等々。
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 西尾幹二は一時期に「文芸」評論者だったが、のちには「思想家」と自称するようになった。
 だから、西尾幹二を特徴づける四文字熟語を思い浮かべていて、谷沢の文章に示唆を得て「自己顕示」も挙げたくなった。しかし、これは西尾にはあまりにも当然の欲求で、インパクトに乏しい。
 それに、思い上がっていようがいまいが、西尾には厳密な意味での「指導者意識」はない。後半生は、注文を待つ<文章執筆請負>業者だった。産経新聞にときどき定期的に執筆した「正論」欄は、「自己顕示」もできる貴重なものだった。
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 すでにこの欄で記述した西尾幹二の特質は、つぎのいくつかの四文字熟語で言い表せるだろう。
 誇大妄想傲岸不遜厚顔無恥
 説明を必要としないだろう。
 これらで表現できない特質が、これまで十分には指摘してこなかったが、あった。四文字熟語をやはり用いると、つぎだ。
 時代錯誤古色蒼然
 OpenAI とか、ChatGPT4o とかが今日では話題になっている。こうした「知的道具」によって、昔ふうの<文章執筆>業はほとんど成立し難くなるのではないか。
 ともあれ、西尾幹二は、藤田東湖らを継承して明治初年に「日本」主義を掲げ続け、岩倉らの欧米視察団や欧米に追いつこうとする<文明開化>に反対しておれば相応しかったような、時代状況感覚がきわめて奇妙な人物だろう。
 その<文明開化>のもとで「先進国」と見なされた(オランダ、スペイン・ポルトガルではない)英・米・独・仏の四ヶ国の一つの「ドイツ」を若き西尾幹二は選択した。そのことに深い後悔はないのだろうか。ないに違いない。「ニーチェ研究者」と誤解させることで(<つくる会>関係者に対しても含む)、この人は世渡りをしてきたのだから。
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