生命・細胞・遺伝—07。
「染色体」というものは、(秋月瑛二には)把握し難い。
「染色体」は「遺伝子」や「DNA」を「内部に含む」、より「大きい」構造体だ、といちおう書いた(02)。
そして、「染色体」は、細胞の中の「核」の中にある。
これらは、完全に間違っている、というわけではない。
こう理解して差し支えないだろう叙述は、すでに02と06で引用または紹介した、S·ムカジー=田中文訳・遺伝子/上(2018)のつぎの中にもある。
「①遺伝子は染色体上に存在している。
②染色体とは細胞の核の中にある長い線状の構造体で、そこには鎖状につながった何万もの遺伝子が含まれている。」
また、同じ著者・訳者による、細胞/上(早川書房、2024)の序文にも、つぎの文章がある。
「①…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)という、二重らせん構造を持つ分子内に物理的に存在している。
②DNAはさらに、糸の束のような構造をした染色体の中にパッケージされている。」
後者によると、「遺伝子」は「DNA」という分子内に「物理的に存在」し、そのDNAは「染色体の中」に「パッケージされて」いる。
どう読んでも、「遺伝子」<「DNA」<「染色体」という関係にある、と理解したくなる。
また、前者の第二文は、「染色体」の中に「遺伝子が含まれている」と読むのが通常だろう。
--------
だが、やや不思議なのは、上の前者の第一文が明らかに「遺伝子は染色体上に存在する」として、「の中に」ではなく「上に」としていることだ。これは原著で確認してもそうで、「in」ではなく「on」が使われている。
遺伝子<染色体という関係にあるなら、なぜ「in」になっていないだろう、という気もする(in でもon でも、包含関係は変わらないかもしれないが)。
さらに不思議であり、問題を孕んでいると感じるのは、上の前者の第二文と、上の後者の第二文の、日本語訳だ。原著の英文を見ていると、訳者の「医師」資格を問題視するのではないが、異なる日本語の文章に訳すことのできる可能性がある、と考えられる。なお、前者と後者の①と②は、原文ではいずれも、関係詞でつながった一続きの一文章だ。
すなわち、つぎのように翻訳できる可能性があるだろう。
前者の①・②。→「遺伝子は染色体上に存在している。—この染色体は細胞の中に含まれる(buried)長い線状の構造体で、細胞は、鎖状につながった何万もの遺伝子を含んで(contain)いる」。
関係詞の主語を染色体ではなく細胞と理解できる可能性があり、その場合は、「遺伝子」<「染色体」ではない。たんに「遺伝子」<「細胞」を前提とした叙述であるにすぎない。
後者の①・②。→「…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)と称される二重鎖のらせん状分子の中に(in)物理的に位置している。それ〔DNA〕はさらに、人間の諸細胞では、染色体と称される、群れた〔綛(かせ)のような〕(skein-like)構造体へと(into)パッケージ〔包装〕されている。」
この部分では(関係詞の主語ではなく)「packaged into」の意味の理解が問題になる。「〜へと包装」される、「〜に包み込まれる」とは、必ずしも大小ないし包含・被包含の関係を意味しないと理解できる可能性はあるだろう。また、「染色体」が「包装」するではなく、厳密には、「染色体」と呼ばれる「〜構造体」が「包装」する、と叙述されていることも気になる。〔原文追記—DNA which is further packaged in human cells into skein-like structures called chromosomes.〕
要するに、「遺伝子」または「DNA」<「染色体」と単純に理解してはいけない、という気がする。
そして、この理解の方がむしろ、別途に種々の文献を一瞥した後での秋月の理解に合致する。
--------
一つの巨大な「細胞」に宇宙船のようなもので「細胞膜」を通過して入り、内部を探検して、「内部」の諸物体(ミトコンドリア、リボソーム等々)を紹介しているかのごとき叙述が、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)にはある(すでに、02での叙述の基礎にした)。
上で記したことに関係して興味深いのは、上の紹介では一番最後に「(細胞)核」が取り上げられながら、「染色体」は「核」の中で独立した位置づけを与えらていない、ということだ。そのかぎりでは、著者は「遺伝子」や「DNA」等と同様の扱いを、「染色体」についてしている。
-------
何となく不可解のままでいたところ、なるほど、と理解できた気になったのは、つぎの文章による。
「細胞分裂が始まると、DNAが巻きついているヒストンはそれまでよりもさらに密に折りたたまれて、『染色体』という棒状の構造にまとまっていきます。
染色体は、細胞分裂のときにしか見られないDNAの姿です。」
雑誌Newton 2011年11月号/生命の設計図·DN A(ニュートンプレス、電子化2015年)。
これによると、DNA=染色体だ、とも言える。
そのことよりも重要なのは、「染色体」は「細胞分裂」のときに(正確には、その過程で)出現する構造体だ、ということだ。
「細胞分裂」は次から次へと頻繁に発生しているだろうから、「染色体」も<ほとんど常時>「核」(<「細胞」)内に存在していると感じられて不思議ではないだろう。
しかし、論理的には、または時間軸を厳密に見れば、「染色体」は<一時的に>存在するものにすぎない。
--------
かつまた、今回はほとんど立ち入らないが、「染色体」は、その形状、(「核」内での)「位置」や、(「遺伝子」・「DNA」との)「関係」を、「細胞分裂」の過程で頻繁に(だがリズミカルに)変化させる。
<空間軸>のみならず<時間軸>を取り込んで、あらためて「細胞分裂」の過程に触れる必要がある。その過程での「染色体」の様相は、「常染色体」と「性染色体」とで同じではない。
おそらくは「生殖細胞」や「性染色体」について明確には顧慮されていないが、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)の中には、つぎの叙述がある。
ここでは、「染色体」の形状等の変化のほか、「(細胞)核」もまた一時的には消滅する旨も語られている。
「細胞が分裂する際、すべての染色体は複製されて二倍になり、その後、二つに分かれる。
ヒト細胞では、核膜が消え、分裂してできたばかりの娘細胞の中にフルセットの染色体が一組ずつ入ると、核膜がふたたび現れて染色体のセットを取り囲む。
こうして、染色体がおさめられた新しい核を持つ娘細胞ができあがる。」
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「染色体」というものは、(秋月瑛二には)把握し難い。
「染色体」は「遺伝子」や「DNA」を「内部に含む」、より「大きい」構造体だ、といちおう書いた(02)。
そして、「染色体」は、細胞の中の「核」の中にある。
これらは、完全に間違っている、というわけではない。
こう理解して差し支えないだろう叙述は、すでに02と06で引用または紹介した、S·ムカジー=田中文訳・遺伝子/上(2018)のつぎの中にもある。
「①遺伝子は染色体上に存在している。
②染色体とは細胞の核の中にある長い線状の構造体で、そこには鎖状につながった何万もの遺伝子が含まれている。」
また、同じ著者・訳者による、細胞/上(早川書房、2024)の序文にも、つぎの文章がある。
「①…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)という、二重らせん構造を持つ分子内に物理的に存在している。
②DNAはさらに、糸の束のような構造をした染色体の中にパッケージされている。」
後者によると、「遺伝子」は「DNA」という分子内に「物理的に存在」し、そのDNAは「染色体の中」に「パッケージされて」いる。
どう読んでも、「遺伝子」<「DNA」<「染色体」という関係にある、と理解したくなる。
また、前者の第二文は、「染色体」の中に「遺伝子が含まれている」と読むのが通常だろう。
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だが、やや不思議なのは、上の前者の第一文が明らかに「遺伝子は染色体上に存在する」として、「の中に」ではなく「上に」としていることだ。これは原著で確認してもそうで、「in」ではなく「on」が使われている。
遺伝子<染色体という関係にあるなら、なぜ「in」になっていないだろう、という気もする(in でもon でも、包含関係は変わらないかもしれないが)。
さらに不思議であり、問題を孕んでいると感じるのは、上の前者の第二文と、上の後者の第二文の、日本語訳だ。原著の英文を見ていると、訳者の「医師」資格を問題視するのではないが、異なる日本語の文章に訳すことのできる可能性がある、と考えられる。なお、前者と後者の①と②は、原文ではいずれも、関係詞でつながった一続きの一文章だ。
すなわち、つぎのように翻訳できる可能性があるだろう。
前者の①・②。→「遺伝子は染色体上に存在している。—この染色体は細胞の中に含まれる(buried)長い線状の構造体で、細胞は、鎖状につながった何万もの遺伝子を含んで(contain)いる」。
関係詞の主語を染色体ではなく細胞と理解できる可能性があり、その場合は、「遺伝子」<「染色体」ではない。たんに「遺伝子」<「細胞」を前提とした叙述であるにすぎない。
後者の①・②。→「…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)と称される二重鎖のらせん状分子の中に(in)物理的に位置している。それ〔DNA〕はさらに、人間の諸細胞では、染色体と称される、群れた〔綛(かせ)のような〕(skein-like)構造体へと(into)パッケージ〔包装〕されている。」
この部分では(関係詞の主語ではなく)「packaged into」の意味の理解が問題になる。「〜へと包装」される、「〜に包み込まれる」とは、必ずしも大小ないし包含・被包含の関係を意味しないと理解できる可能性はあるだろう。また、「染色体」が「包装」するではなく、厳密には、「染色体」と呼ばれる「〜構造体」が「包装」する、と叙述されていることも気になる。〔原文追記—DNA which is further packaged in human cells into skein-like structures called chromosomes.〕
要するに、「遺伝子」または「DNA」<「染色体」と単純に理解してはいけない、という気がする。
そして、この理解の方がむしろ、別途に種々の文献を一瞥した後での秋月の理解に合致する。
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一つの巨大な「細胞」に宇宙船のようなもので「細胞膜」を通過して入り、内部を探検して、「内部」の諸物体(ミトコンドリア、リボソーム等々)を紹介しているかのごとき叙述が、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)にはある(すでに、02での叙述の基礎にした)。
上で記したことに関係して興味深いのは、上の紹介では一番最後に「(細胞)核」が取り上げられながら、「染色体」は「核」の中で独立した位置づけを与えらていない、ということだ。そのかぎりでは、著者は「遺伝子」や「DNA」等と同様の扱いを、「染色体」についてしている。
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何となく不可解のままでいたところ、なるほど、と理解できた気になったのは、つぎの文章による。
「細胞分裂が始まると、DNAが巻きついているヒストンはそれまでよりもさらに密に折りたたまれて、『染色体』という棒状の構造にまとまっていきます。
染色体は、細胞分裂のときにしか見られないDNAの姿です。」
雑誌Newton 2011年11月号/生命の設計図·DN A(ニュートンプレス、電子化2015年)。
これによると、DNA=染色体だ、とも言える。
そのことよりも重要なのは、「染色体」は「細胞分裂」のときに(正確には、その過程で)出現する構造体だ、ということだ。
「細胞分裂」は次から次へと頻繁に発生しているだろうから、「染色体」も<ほとんど常時>「核」(<「細胞」)内に存在していると感じられて不思議ではないだろう。
しかし、論理的には、または時間軸を厳密に見れば、「染色体」は<一時的に>存在するものにすぎない。
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かつまた、今回はほとんど立ち入らないが、「染色体」は、その形状、(「核」内での)「位置」や、(「遺伝子」・「DNA」との)「関係」を、「細胞分裂」の過程で頻繁に(だがリズミカルに)変化させる。
<空間軸>のみならず<時間軸>を取り込んで、あらためて「細胞分裂」の過程に触れる必要がある。その過程での「染色体」の様相は、「常染色体」と「性染色体」とで同じではない。
おそらくは「生殖細胞」や「性染色体」について明確には顧慮されていないが、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)の中には、つぎの叙述がある。
ここでは、「染色体」の形状等の変化のほか、「(細胞)核」もまた一時的には消滅する旨も語られている。
「細胞が分裂する際、すべての染色体は複製されて二倍になり、その後、二つに分かれる。
ヒト細胞では、核膜が消え、分裂してできたばかりの娘細胞の中にフルセットの染色体が一組ずつ入ると、核膜がふたたび現れて染色体のセットを取り囲む。
こうして、染色体がおさめられた新しい核を持つ娘細胞ができあがる。」
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