西尾幹二全集(2011〜)の最も「グロテスク」なところは、各巻の「後記」にある。
 とりわけ、それぞれの巻にすでに収載している自らの文章の一部を、決して少なくない範囲で「後記」の中で再び引用し、掲載していることだ。
 この「くどさ」、「執拗さ」には、唖然としてしまう。
 顕著な例は、第8巻(2013年9月刊)の「後記」だ。
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  西尾は上の「後記」の最初の方で、こう書いている。
 「本巻は10年余に及ぶ体験的文章であり、一つの精神のドラマでもあるので、時間の流れに沿ってそのまま読んでいただければ有難く、余計な解説をあまり必要としないだろう。ひとつながりの長編物語になっている」。p.787。
 この点でもくどく、同じ趣旨の文章がもう一回出てくる。
 「前にも述べた通り、本巻は一冊まるごと長編物語であり、いわば10年間にわたる一つの精神のドラマでもあるので、ここからの展開は素直に順を追って読んでいただければそれで十分であり、本意である」。p.794。
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 しかし、「時間の流れに沿って」、「素直に」読んでもらえればよく、「余計な解説をあまり必要としないだろう」というのは、あくまで表面的な言辞(あえて言えば「ウソ」)で、執拗な「読み方ガイド」や「自らによる要点の指摘」をくどくどと行なっている。
 (1) 西尾は当時の臨時教育審議会の動向への批判等を「後記」で再びあれこれと書いたあと、その趣旨はこの巻(第8巻)には全体を収載していない別の書物に書いたとし、その著の「序にかえて」だけを収載したこの巻(第8巻)のその部分(293-299頁、ふつうの大きさの活字・二段組で計7頁)の、そのまたその一部(1985年)を、「後記」で、わざわざ二箇所に分けてそのまま引用している。第8巻「後記」、p.791-3。
 最初は、小活字で、13行。「本書293-294ページ」と最後にある。
 つぎは、小活字で、19行。「本書296-297ページ」と最後にある。
 「本書」293-299頁を、あるいは293-294頁と296-297頁を読めば済むことを、西尾は「後記」でもう一回記載しているわけだ。その再掲部分は、それが最初に書かれた1984年ではなく、最も重要な部分だと西尾が全集刊行の時点で判断した部分なのだろう。つまり、2013年の時点での「判断」が入っている。
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 (2) 西尾の「後記」は、編集上の注記なのではなく、主としては2013年時点での「回顧」論考になっている。
 そして、(1) と同様に、すでにこの巻に収載している1992年の著の一部を「後記」の中で長々と引用している。第8巻「後記」、p.796-7。
 小活字で、6段落、35行。「本書649-650ページ」と最後にある。
 なぜ、こんなことをするのか。西尾は、こう記載している。
 「論理的に…最も深く考えてもらいたいという箇所」を「あえて抜き出し、お示しする」。
 「大量のページ数の多さに紛れてどこが私の主張の重点ポイントかを読者が見失うのを恐れてのことである」。
 西尾幹二は、とても親切であり、あるいはとても心配症なのだ。
 しかし、同時に「グロテスク」でもある。
 別の巻に収載している文章の紹介・引用ならば、まだ理解できなくはない。だが、西尾は、この巻に収載の文章についても、読者の理解、解釈に委ねようとはしない。別言すれば、読者を信用していないのだ。「私の主張の重点ポイントかを読者が見失う」のを懸念している、と明記している。
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 (3) 以上にとどまらない。西尾はこの巻の「V」の一部(1992年)を、長々と「後記」中で再引用している。第8巻「後記」、p.798-800。
 小活字で、5段落、40行。「本書666-668ぺージ」と最後にある。
 これは、第8巻「後記」時点での西尾のコメントを挟んで、さらにつづく。第8巻「後記」、p.800-1。
 小活字で、1段落、5行。「本巻668ページ」と最後にある。
 小活字で、1段落、4行。「本巻669ページ」と最後にある。
 小活字で、1段落、3行。「本巻669ページ」と最後にある。
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  緒言または後記で全集各巻の編集者が記述すべきことは、その巻に収載している個々の論考類が最初にどこに発表され、のちにどのように単行本にまとめられたのち、その巻ではどのように配置されているか等を、一覧表的に正確に明らかにしておくことだろう、と思われる。
 しかし、編集者・西尾幹二は、この点で不十分で、不親切であることは、すでに書いた。→批判070—第8巻①。
 一方で、この人は冗舌にも、小活字の計約120行も費やして、同じ巻に収録した文章を「後記」で再び引用している。いささか<異様>ではなかろうか。最初に読んだときだろう、私が所持するこの巻の「後記」の余白には、「くどい」と書いたサインペンでの文字が二箇所にある。
 「時間の流れに沿って」、「素直に順を追って読んでいただければそれで十分であり、本意である」と言いつつ、読者が「大量のページ数の多さに紛れてどこが私の主張の重点ポイントかを読者が見失うのを恐れて」いるのが理由だ、というわけだ。だから、<くどくどと>何度も書きたくなっている。
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  こういう<グロテスクさ>は、たんに「饒舌すぎる」とか、「くどすぎる」とかの印象以上の重大な問題を胚胎している。
 すなわち、1980年代や1990年代にすでに発表した文章の一部だけを2013年にことさら再度引用することは、かつての文章の意味・趣旨を数十年後の2013年になって実質的には<改変>した、<修正>した、ということになっているのではないだろうか。
 なぜならば、1984-85年や1992年の最初の発表時にあえて選べば重要な箇所だと西尾自身は考えていた部分と、2013年に振り返って西尾がそう判断する部分は、同じではない可能性があるからだ。
 西尾は、2013年刊行のこの巻で、「私の主張の重点ポイント」とか、読者に「最も深く考えてもらいたいという箇所」とかと記している。
 その「箇所」や「ポイント」がかつての初出時での思いと全く同一でないとすれば、そうした「箇所」・「ポイント」だけを新たに指摘して引用することは、実質的には2013年時点で「加筆修正」の一種をすることに他ならないのではないか。
 西尾幹二は、なぜいけないのか、文章の書き手は同じ自分だ、と言い張るのかもしれない。
 しかし、1980年代半ばや1990年代初頭と2013年とは、時代が大きく異なる。そのあいだには、ソ連邦の解体、「新しい歴史教科書をつくる会」の発足と分裂、西尾『皇太子さまへの御忠言』の刊行等々があった。西尾幹二自身が、かつての『教育文明論』(全集第8巻のテーマ)の時期と同じ考えを持っているはずはない、と推察するのが、むしろ常識的ではないだろうか。「教育」をめぐる状況も、20年以上のあいだに変わらなかったはずはない。
 このように、西尾幹二は、全集の「後記」の執筆を通じて、かつての自分の論考類の意味・意義の修正・変更を図っている可能性がある。西尾幹二の自分編集による同・全集とはそのようなものだと(今回は各巻への主題の「作為的な」配分には触れていないが)、読者・利用者は注意しておかなければならない。
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