全集刊行の時点での〈加筆修正〉の例は、一見明白ではないものの、つぎに見られるだろう。唯一ではないと見られる。
 西尾幹二全集第17巻/歴史教科書問題(国書刊行会。2018)には、目次上で「二大講演・新しい歴史教育の夜明け」と題された項がある。この巻の第三部・IIの第三の項として位置づけられている。
 一見「二大」の講演録が収載されていると思いきや、目次上ですでに上の題の下に「(一本化)」と記載されている。
 「二つの」講演内容を収載しているのではない。
 実際の掲載箇所の末尾には、つぎのように書かれている。
 「講演『新しい歴史教育の夜明け』(2000年8月21日、狭山市市民会館)と広島原爆慰霊祭記念講演『教科書問題の本質』(2000年7月30日、広島法念寺)を再編集した。」—第17巻p.507。
 これは何を意味するのか。
 表題からすると二つの講演の趣旨・内容は全く同じだとは思えないが、好意」的に解釈すれば相当によく似たものだったのだろう。そして、二つを別々に全集に掲載する必要はない、と判断したのだろう。
 しかし、その場合、上の「二つ」のうち一つだけをそのまま収載し、類似または同趣旨の講演を他に〜でも行なった、と残りのもう一つに関して注記して触れておけば十分だろう。
 しかるに、なぜ「一本化」したのか。
 それは、全集刊行の時点で、つまり講演時から8年後に、二本を併せて「加筆修正」したかったからだ、と考えられる。
 西尾幹二はこれを「再編集」と称することによって、「編集」レベルでの変更にすぎないと理解させたいようだ。これは、相当に愚劣、あるいは些細であれ「卑劣」だ。
 確実に、全集刊行の時点での「加筆修正」が行なわれている。しかも、どのように加筆修正されたかは、読者にはいっさい分からない。
 西尾幹二全集の読者・利用者は、こういうこともあるので、注意しなければならない。
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