マックス·ウェーバー・音楽社会学=安藤英治·池宮英才·門倉一朗解題(創文社、1967)は、創文社刊のM・ウェーバー<経済と社会>シリーズの、第9章のあとの「付論」で、独立した一巻を占める。
 <音楽社会学>というのはいわば簡称で、正式には「音楽の合理的社会学的基礎」と題するらしい(独語)。また、未完の著作だったとされる。
 上掲著は計約400頁で成るが、二つの解説論考(「マックス·ウェーバーと音楽」・「音楽理論の基礎について」)、訳者後記、第二刷あとがき、音楽用語集、人名索引・事項索引等が「解題」者によって付されているので、それらを除くと、本文は約240頁になる。
 しかもまた、本文中の「各章末」の「訳註」は訳者たちによるので、それらを除くと、きちんと計算したのではないが、M・ウェーバー自身の文章は、約240頁のうちの100頁以下だと思われる。
 この<音楽社会学>(「音楽の合理的社会学的基礎」)が執筆された時期は明確でない。安藤英治1911-12年に「草稿として書き上げられ」ていた、とする(p.244)。ウェーバーの死の翌年の1921年7月付の「緒言」が別の学者(Theodor Kreuer)によって書かれており、これも上掲書に訳出されている。
 20世紀前半のドイツの「社会科学者」、少なく見積もっても「社会学者」による「音楽理論」に関する文章は、それだけで興味をそそる。また、一読だけしても、きわめて興味深い。
 以下、冒頭の一部だけ、上掲書からそのまま引用する。訳者によって挿入されたと見られる語句の引用・紹介はしない。
 原訳書と異なり、一文ごとに改行する。「過分数」という語もあるように、分数表記の仕方は前後ないし上下が逆だと思われるが、そのまま引用する。下線は引用者。 
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 〔=第一章冒頭—秋月〕
 和声的に合理化された音楽は、すべてオクターヴ(振動数比1:2)を出発点ととしながら、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に分割する。
 つまり、n/(n+1)という式で表される二つの分数—いわゆる過分数—によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべての音程の基礎でもある。
 ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの関係で「圏」状に上行または下行すると、この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない
 例えば、(2/3)12乗にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7乗にあたる第七番目の8度よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである。
 このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生じる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情が、あらゆる音楽合理化の根本を成す事実である。
 この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われわれはまず最初にそれを思い起こしてみよう。
 ****〔一行あけ—秋月〕
 西欧の和音和声的音楽が音素材を合理化する方法は、オクターヴを5度と4度に、次に4度はいちおうどけておいて、5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割することである。
 以上の音程は、いずれも、2、3、5という数を基にした分数によって構成されている
 和音和声法は、まず「主音」と呼ばれる或る音から出発し、次に、主音自身の上と、その上方5度音および下方5度音の上に、それぞれ二種類の3度で算術的に分割された5度を、すなわち標準的な「三和音」を構成する。
 そして次に、三和音を構成する諸音(ないしそれらの8度音)を一オクターヴ内に配列すれば、当該の主音を出発点とする「自然的」全音階の全素材を、残らず手に入れることになる。
 しかも、長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ「長」音列か「短」音列のいずれが得られる。
 オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在し、いずれの場合にも、二番目の全音が小全音で、それ以外はすべて大全音である。
 ----〔改行—秋月〕
 音階の各音を出発点としてその上下に3度と5度を形成し、それによってオクターヴの内部に次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの「半音階的」音程が生ずる
 それらは、上下の全音階音からそれぞれ小半音だけ隔たり、二つの半音階音相互のあいだは、それぞれ「エンハーモニー的」剰余音程(「ディエシス」)によって分け隔てられている。
 全音には二種類あるので、二つの半音階音のあいだには、大きさの異なる二種類の剰余音程が生ずる。
 しかも、全音階的半音と小半音の差は、さらに別の音程になるのであるから、ディエシスは、いずれも2、3、5という数から構成されているとはいえ、三通りのきわめて複雑な数値になる。
 2、3、5という数から成る過分数によって和声的に分割する可能性が、一方では、7の助けを借りてはじめて過分数に分割できる4度において、また他方では大全音と二種類の半音において、その限界に達するわけである。
 ----〔改行、この段落終わり—秋月〕
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 以下、省略。
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  若干のコメント。 
  M・ウェーバーと音楽・芸術一般の問題には立ち入らない。 
 M・ウェーバーの「学問」において音楽・芸術が占める位置の問題にも立ち入らない。
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  「音楽理論」との関係に限定すれば、つぎのことが興味深く、かつ驚かされる。すなわち、この人は、ピタゴラス音律および純正律または「2,3,5」という数字を基礎とする音律の詳細を相当に知っている。
 そして、上掲論文(未完)の冒頭で指摘しているのは、ピタゴラス音律および「2,3,5」という数字を基礎とする音律が決して「合理的でない」ことだ。
  ピタゴラス音律に関連して、3/2または2/3をいくら自乗・自除し続けても「永遠に」ちょうど2にならないことは、この欄で触れたことがある。
 M・ウェーバーの言葉では、「この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」、「12乗にあたる第十二番目」の音は1オクターブ上の音よりも「ピュタゴラス・コンマの差だけ大きい」。
 さらに、以下の語句は、今日の日本でのピタゴラス音律の説明について秋月瑛二が不満を感じてきたところを衝いていると思える
 「何らかの関係で『圏』状に上行または下行すると…」。
 この「上行・下行」は、ここでは立ち入らないが、「五度圏(表)」における「時計(右)まわり」と「反時計(左)まわり」に対応し、「♯系」の12音と「♭系」の12音の区別に対応していると考えられる。
 さらに、螺旋上に巻いたコイルを真上(・真下)から見た場合の「上旋回」上の12音と「下旋回」上の12音に対応しているだろう。
 そして、M・ウェーバーが言うように「二つの音程は必ず大きさの違うものになる」であり、以下は秋月の言葉だが、「#系」の6番めの音(便宜的にF♯)と「♭」系の6番めの音(便宜的にG♭)は同じ音ではない(異名異音)。このことに、今日のピタゴラス音律に関する説明文はほとんど触れたがらない。
  <純正律>、<中全音律>等に、この欄で多少とも詳しく触れたことはない。
 だが、上記引用部分での後半は、これらへの批判になっている。
 純正律は「2と3」の世界であるピタゴラス音律に対して「5」という数字を新たに持ち込むものだ。そして、今日にいう<C-E-G>等の和音については、ピタゴラス音律よりも(<十二平均律>よりも)、協和性・調和性の高い音階または「和音」を形成することができる。
 しかし、M・ウェーバーが指摘するように、純正律では、全音には大全音と小全音の二種ができ、それらを二分割してその片方を(純正律での)「半音」で埋めるとしても、大全音での残余、小全音での残余、元来の(純正律での)「半音」という少なくとも三種の半音が生まれる。このような音階は(かりに「幹音」に限るとしても)、<十二平均律>はもちろん、ピタゴラス音律よりも簡潔ではなく、複雑きわまりない。
 なお、「オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在」する、という叙述は、つぎのことも意味していることになるだろう。すなわち、鍵盤楽器において、CとEの間には二個の全音が(そしてピアノではそれらの中間の二個の黒鍵)があり、Fと上ののCの間には三個の全音(そしてピアノではそれらの中間の三個の黒鍵)がある、反面ではE-F、B-Cの間は「半音」関係にある(ピアノでは中間に黒鍵がない)、ということだ。
 彼は別にいわく、「次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの『半音階的』音程が生ずる」。二個というのは、純正律でもピタゴラス音律でも同じ。
 また、長調と短調の区別の生成根拠・背景に関心があるが、この人によると、「長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ『長』音列か『短』音列のいずれが得られる」。これは一つの説明かもしれない。
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  引用部分にはなかったが、M・ウェーバーはいわゆる<十二平均律>についても知っており、その「究極的勝利」についても語っている(p.199-p.200)。但し、その弊害にも触れている。
 彼によると、「不等分」平均律と区別される「等分」平均律の一つであり、こう説明される。「これは、オクターヴを、それぞれ1/2の12乗根になるような十二の等しい等間隔に分割することであり、したがって十二個の5度をオクターヴ七つと等置すること」である。「12」という音の個数自体は、ピタゴラス音律や純正律の場合と異ならない。
 なお、完全「5度」、完全「4度」、「長3度」、「短3度」等の表現をM・ウェーバーもまた当然のごとく用いていることもすこぶる興味深い。詳細とその評価に言及しないが、こうした言葉は、1オクターヴは8音の「幹音」で構成される(両端を含む)として、それぞれに1〜8の番号を振って二音間の隔たりを表現する用語法だ。「5度」の一半音上の音は「増5度」になる。馬鹿ばかしくも、一半音は、「減2度」と言う。
 今日の日本の「音楽大学」等での「専門」的音楽理論教育で用いられている術語は、20世紀初頭のドイツでとっくに成立していたようだ(明治期・戦前の日本の「専門」音楽界はそれを直輸入した)。
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