一 前回No.2631の最後に、西尾幹二に「ドイツ思想」または「歴史哲学」に関するどの専門書が「一冊でも」あるのだろうか旨を書いたが、さっそくに「専門的論文が一本でも」あるのか、に訂正しなければならないだろう。月刊正論(産経新聞)、月刊WiLL(ワック)等への寄稿文章は「(専門的)論文」ではない。
書籍・単行本に限っても、西尾幹二は自分自身で「私の主著」は『国民の歴史』(1999、2009、2018)と『江戸のダイナミズム』(2007)のふたつであるを旨を2018年に明記している。つぎの、自己賛美が呆れ返るほどの一文の中でだが。
「『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えて、もうひとつの私の主著『江戸のダイナイズム』と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される運命を担っている」(全集第17巻「後記」、p.751)。
こらら二つに『ニーチェ』(1977)を加えて三著とするとしても、「ドイツ思想」に関する専門書ではないことは明瞭だ。また、いずれも何らかの意味で「歴史」を扱っているとしても、日本の歴史に関する断片的随筆・評論、ニーチェの一部の「文学的」歴史研究であって、「歴史哲学」書ではない。なお、西尾幹二にとっては「歴史」に関する何らかの一般的なあるいは抽象的な思考を表明すれば「歴史哲学」になるのかもしれないが、それならば秋月瑛二もまた「歴史哲学」者と自称し得る。「歴史哲学」と言いつつ西尾のそれはほとんどが「思いつき」、「ひらめき」から成るものだ。
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二 西尾幹二が「ドイツ思想」の専門家とされることは、ドイツの思想に関係した仕事をしてきた日本の研究者は、たぶんそんなことは無視しているだろうが、知ったならば、論難、罵倒あるいは冷笑の対象にするに違いない。
L・コワコフスキは「マルクスはドイツの哲学者だ」と叙述することの意味に大著のある章の冒頭で触れているが、マルクスもまた「ドイツ思想」の系譜上にあると言っても誤りではないだろう。そして、谷沢永一(1929-2011)はレーニン・国家と革命(1917年)を明らかに読んでいる叙述をかつてしていたが、西尾幹二は、「反共」を叫び「マルクス主義」という語も用いながら、マルクス、レーニン等の著作の内容に言及していたことは一度もない。
仲正昌樹ほか・現代思想入門(PHP、2007)の最初の章の仲正「『現代思想』の変遷」はマルクス主義から論述を始めているのだが、その前のカント・ヘーゲルについて、西尾幹二が何か論及していとのを読んだことは一度もない。
仲正昌樹・現代ドイツ思想講義(作品社、2012)は、ハイデガーから叙述を始めて、「フランクフルト学派」、その第二世代のハーバーマス、フランス・ポストモダン等のドイツへの影響で終えているのだが、これらのうち西尾幹二が記したことがあるのはハイデガーだけだ。しかもハイデガー研究ではなく、その「退屈」論を要約的に引用・紹介しただけだ(『国民の歴史』の最後の章、現代人は自由があり過ぎて「退屈」して「自由の悲劇」に立ち向かわざるを得なる、という秋月には理解不能の論脈の中でだ)。西尾の諸文章は、ニーチェとハイデガーの関係にもおそらく全く触れたことがない。
仲正昌樹・上掲書のそのほぼ半分はアドルノ=ホルクマイヤー・啓蒙の弁証法を「読む」で占められているが、西尾幹二はそもそも「フランクフルト学派」に言及したことがないのだから、この著(1947年)に触れているはずもない。日本の<保守>派で、「フランクフルト学派」を戦後「左翼」の重要な源泉と位置づけていた者に、田中英道、八木秀次がいる。
なお、L・コワコフスキの大著でマルクス主義の戦後の諸潮流の一つと位置づけられた「フランクフルト学派」の叙述を読んで、つぎの二点でこの「学派」は西尾幹二と共通性・類似性がある、と感じたことがある。
①反現代文明性(反科学技術性)、②大衆蔑視性。
「フランクフルト学派」は単純な「左翼」ではなく、西尾幹二は単純な「反左翼」ではない。
参照→近代啓蒙・西尾幹二/No.2130・池田信夫のブログ016(2021/01/24)、同→西尾幹二批判041/No.2465(2022/01/07)。
「四人の偉大な思索者」を扱った現代思想の源流/シリーズ・現代思想の冒険者たち(講談社、2003)で「ニーチェ」を執筆していたのは三島憲一で、その内容の一部は西尾幹二とも関連させてこの欄で取り上げたことがある。
三島憲一・戦後ドイツ(岩波新書、1991)は「思想」よりも広く副題にあるように(政治史と併行させて)戦後ドイツの「知的歴史」を論述対象としたものだ。
この書では、ハイデガー、「フランクフルト学派」、ハーバーマス、マルクーゼらに関して多くの叙述がなされているようだ。そして最後に1986年からの<歴史家論争>にも論及がある。
この書を概観しただけでも、西尾幹二がとても「ドイツ思想」の専門家と言えないことは明瞭だ。上のいずれについても、西尾幹二は論述の対象にしたことがないからだ(せいぜいハイデガーの「退屈」論のみの、かつ要約的紹介だ)。
フランクフルト学派に何ら触れることができていないのでは「ドイツ思想」を知っているとすら言えないだろう。また、「歴史哲学」を含めても、主としてドイツ国内の<歴史家論争>をまるで知らないごとくであるのは、致命的だ。
では「戦後」ではなく「戦前」ならば詳しく知った「専門家」なのかというと、そうでも全くないのは既述のとおり。
いくつか上に挙げた「ドイツ思想」関係の書物はあくまで入手しやすい例示で、他に専門的研究書や論文はあり、かつ西尾幹二はその研究書等を読んですらいないだろう。
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三 西尾幹二が自ら記した自分の活動史からしても、この人が「ドイツ思想」全体にはまるで関心のなかったこと、「専門」を「ドイツ思想と歴史哲学」にしようとは考えていなかったことが明らかだ。
西尾幹二・日本の根本問題(新潮社、2003)所収の2000年の論考でこう書いている。
私は1970年の三島事件のあと、「三島について論じることをやめ、政治論からも離れました。そして、 ニーチェとショーペンハウアーの研究に打ち込むことになります」。このとき、35歳。
そして1977年(42歳)に前述の『ニーチェ』出版、1979年に博士号を得る。その頃、「文学者」として(日本文芸家協会の当時のソ連との交流の一つとして)ソ連への「遊覧視察旅行」(足・アゴつき大名旅行)、文芸雑誌で「文芸評論」・「書評」をしたりしたあと、1990年を迎える(1990年は45歳の年)。
とても「ドイツ思想」の研究者ではない。そして、1996年12月-1997年1月に<新しい歴史教科書をつくる会>の初代会長就任(満61歳)。
その後を見ても「ドイツ思想」の専門的研究を行う隙間はなく、むろん(当時の「皇太子さまにご忠言」する書籍を2006年に刊行しても)その分野の専門的研究論文や研究書はない。
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四 それにもかかわらず、「専門はドイツ思想、歴史哲学」と紹介され、それに抵抗する特段の意思を表明していないのは、「ふつうの神経」をもつ常識的人間には考えられないことだろう。また、そのように紹介する出版社、雑誌、雑誌編集者も「異常」なのだ。
雑誌への執筆者のいわば「品質」表示が読者・消費者に対する雑誌編集部の「執筆者紹介」だ。その紹介を見て雑誌を購入したり、個別論考を閲読する読者もいるはずだ。
そうだとすれば、刑事告発等をする気はないが、原産国・原産府県、成分表示、JISやJASとの適合等について厳格な「正しい」表示義務のある生活用品や食品の場合と同様に、少なくとも倫理的に、「正しい」表記・成分表示、「不当表示の排除」が求められるべきだ。
全てではないにせよ、雑誌の一部には、西尾幹二の例に見られるような「不当表示」、間違った「執筆者紹介」がある。
もっとも、「執筆者紹介」の具体的内容は、執筆者自身が申告して、雑誌編集部が原則としてそのまま掲載するのかもしれない。
というようなことを思い巡らせると、書籍のオビの惹句は書籍編集担当者がきっと苦労して考えるのだろうと推測していたが、じつは西尾幹二本人が原案を書いたのではないか、と感じてきた。
西尾幹二・国家の行方(産経新聞出版、2019)のオビの一部。
(表)「日本はどう生きるのか。/民族の哲学・決定版。
不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成。」
(裏)「自由、平等、平和、民主主義の正義の仮面を剥ぐ。
今も力を失わない警句。」
西尾幹二ならば、編集者を助けて?、「不確定の時代を切り拓く洞察と予言」、「今も力を失わない警句」と自ら書いても不思議ではないような気がする。
なお、西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)のオビの一部。
(表)「崖っぷちの日本に必要なものは何かを今こそ問う。
真の保守思想家の集大成的論考」。
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最後の五へとつづく。
書籍・単行本に限っても、西尾幹二は自分自身で「私の主著」は『国民の歴史』(1999、2009、2018)と『江戸のダイナミズム』(2007)のふたつであるを旨を2018年に明記している。つぎの、自己賛美が呆れ返るほどの一文の中でだが。
「『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えて、もうひとつの私の主著『江戸のダイナイズム』と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される運命を担っている」(全集第17巻「後記」、p.751)。
こらら二つに『ニーチェ』(1977)を加えて三著とするとしても、「ドイツ思想」に関する専門書ではないことは明瞭だ。また、いずれも何らかの意味で「歴史」を扱っているとしても、日本の歴史に関する断片的随筆・評論、ニーチェの一部の「文学的」歴史研究であって、「歴史哲学」書ではない。なお、西尾幹二にとっては「歴史」に関する何らかの一般的なあるいは抽象的な思考を表明すれば「歴史哲学」になるのかもしれないが、それならば秋月瑛二もまた「歴史哲学」者と自称し得る。「歴史哲学」と言いつつ西尾のそれはほとんどが「思いつき」、「ひらめき」から成るものだ。
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二 西尾幹二が「ドイツ思想」の専門家とされることは、ドイツの思想に関係した仕事をしてきた日本の研究者は、たぶんそんなことは無視しているだろうが、知ったならば、論難、罵倒あるいは冷笑の対象にするに違いない。
L・コワコフスキは「マルクスはドイツの哲学者だ」と叙述することの意味に大著のある章の冒頭で触れているが、マルクスもまた「ドイツ思想」の系譜上にあると言っても誤りではないだろう。そして、谷沢永一(1929-2011)はレーニン・国家と革命(1917年)を明らかに読んでいる叙述をかつてしていたが、西尾幹二は、「反共」を叫び「マルクス主義」という語も用いながら、マルクス、レーニン等の著作の内容に言及していたことは一度もない。
仲正昌樹ほか・現代思想入門(PHP、2007)の最初の章の仲正「『現代思想』の変遷」はマルクス主義から論述を始めているのだが、その前のカント・ヘーゲルについて、西尾幹二が何か論及していとのを読んだことは一度もない。
仲正昌樹・現代ドイツ思想講義(作品社、2012)は、ハイデガーから叙述を始めて、「フランクフルト学派」、その第二世代のハーバーマス、フランス・ポストモダン等のドイツへの影響で終えているのだが、これらのうち西尾幹二が記したことがあるのはハイデガーだけだ。しかもハイデガー研究ではなく、その「退屈」論を要約的に引用・紹介しただけだ(『国民の歴史』の最後の章、現代人は自由があり過ぎて「退屈」して「自由の悲劇」に立ち向かわざるを得なる、という秋月には理解不能の論脈の中でだ)。西尾の諸文章は、ニーチェとハイデガーの関係にもおそらく全く触れたことがない。
仲正昌樹・上掲書のそのほぼ半分はアドルノ=ホルクマイヤー・啓蒙の弁証法を「読む」で占められているが、西尾幹二はそもそも「フランクフルト学派」に言及したことがないのだから、この著(1947年)に触れているはずもない。日本の<保守>派で、「フランクフルト学派」を戦後「左翼」の重要な源泉と位置づけていた者に、田中英道、八木秀次がいる。
なお、L・コワコフスキの大著でマルクス主義の戦後の諸潮流の一つと位置づけられた「フランクフルト学派」の叙述を読んで、つぎの二点でこの「学派」は西尾幹二と共通性・類似性がある、と感じたことがある。
①反現代文明性(反科学技術性)、②大衆蔑視性。
「フランクフルト学派」は単純な「左翼」ではなく、西尾幹二は単純な「反左翼」ではない。
参照→近代啓蒙・西尾幹二/No.2130・池田信夫のブログ016(2021/01/24)、同→西尾幹二批判041/No.2465(2022/01/07)。
「四人の偉大な思索者」を扱った現代思想の源流/シリーズ・現代思想の冒険者たち(講談社、2003)で「ニーチェ」を執筆していたのは三島憲一で、その内容の一部は西尾幹二とも関連させてこの欄で取り上げたことがある。
三島憲一・戦後ドイツ(岩波新書、1991)は「思想」よりも広く副題にあるように(政治史と併行させて)戦後ドイツの「知的歴史」を論述対象としたものだ。
この書では、ハイデガー、「フランクフルト学派」、ハーバーマス、マルクーゼらに関して多くの叙述がなされているようだ。そして最後に1986年からの<歴史家論争>にも論及がある。
この書を概観しただけでも、西尾幹二がとても「ドイツ思想」の専門家と言えないことは明瞭だ。上のいずれについても、西尾幹二は論述の対象にしたことがないからだ(せいぜいハイデガーの「退屈」論のみの、かつ要約的紹介だ)。
フランクフルト学派に何ら触れることができていないのでは「ドイツ思想」を知っているとすら言えないだろう。また、「歴史哲学」を含めても、主としてドイツ国内の<歴史家論争>をまるで知らないごとくであるのは、致命的だ。
では「戦後」ではなく「戦前」ならば詳しく知った「専門家」なのかというと、そうでも全くないのは既述のとおり。
いくつか上に挙げた「ドイツ思想」関係の書物はあくまで入手しやすい例示で、他に専門的研究書や論文はあり、かつ西尾幹二はその研究書等を読んですらいないだろう。
----
三 西尾幹二が自ら記した自分の活動史からしても、この人が「ドイツ思想」全体にはまるで関心のなかったこと、「専門」を「ドイツ思想と歴史哲学」にしようとは考えていなかったことが明らかだ。
西尾幹二・日本の根本問題(新潮社、2003)所収の2000年の論考でこう書いている。
私は1970年の三島事件のあと、「三島について論じることをやめ、政治論からも離れました。そして、 ニーチェとショーペンハウアーの研究に打ち込むことになります」。このとき、35歳。
そして1977年(42歳)に前述の『ニーチェ』出版、1979年に博士号を得る。その頃、「文学者」として(日本文芸家協会の当時のソ連との交流の一つとして)ソ連への「遊覧視察旅行」(足・アゴつき大名旅行)、文芸雑誌で「文芸評論」・「書評」をしたりしたあと、1990年を迎える(1990年は45歳の年)。
とても「ドイツ思想」の研究者ではない。そして、1996年12月-1997年1月に<新しい歴史教科書をつくる会>の初代会長就任(満61歳)。
その後を見ても「ドイツ思想」の専門的研究を行う隙間はなく、むろん(当時の「皇太子さまにご忠言」する書籍を2006年に刊行しても)その分野の専門的研究論文や研究書はない。
----
四 それにもかかわらず、「専門はドイツ思想、歴史哲学」と紹介され、それに抵抗する特段の意思を表明していないのは、「ふつうの神経」をもつ常識的人間には考えられないことだろう。また、そのように紹介する出版社、雑誌、雑誌編集者も「異常」なのだ。
雑誌への執筆者のいわば「品質」表示が読者・消費者に対する雑誌編集部の「執筆者紹介」だ。その紹介を見て雑誌を購入したり、個別論考を閲読する読者もいるはずだ。
そうだとすれば、刑事告発等をする気はないが、原産国・原産府県、成分表示、JISやJASとの適合等について厳格な「正しい」表示義務のある生活用品や食品の場合と同様に、少なくとも倫理的に、「正しい」表記・成分表示、「不当表示の排除」が求められるべきだ。
全てではないにせよ、雑誌の一部には、西尾幹二の例に見られるような「不当表示」、間違った「執筆者紹介」がある。
もっとも、「執筆者紹介」の具体的内容は、執筆者自身が申告して、雑誌編集部が原則としてそのまま掲載するのかもしれない。
というようなことを思い巡らせると、書籍のオビの惹句は書籍編集担当者がきっと苦労して考えるのだろうと推測していたが、じつは西尾幹二本人が原案を書いたのではないか、と感じてきた。
西尾幹二・国家の行方(産経新聞出版、2019)のオビの一部。
(表)「日本はどう生きるのか。/民族の哲学・決定版。
不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成。」
(裏)「自由、平等、平和、民主主義の正義の仮面を剥ぐ。
今も力を失わない警句。」
西尾幹二ならば、編集者を助けて?、「不確定の時代を切り拓く洞察と予言」、「今も力を失わない警句」と自ら書いても不思議ではないような気がする。
なお、西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)のオビの一部。
(表)「崖っぷちの日本に必要なものは何かを今こそ問う。
真の保守思想家の集大成的論考」。
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最後の五へとつづく。