音の高さは音波の1秒間の振動数(周波数、frequency)によって表現され、周波数が大きくなると高くなる。周波数の単位はヘルツだ(Hz、学者のHeinrich Hertz の名に由来する)。
 そして、一定の何らかの音(基音と称しておく)の周波数を2倍、4倍、8倍にすると基音の高さのそれぞれ1オクターブ上、2オクターブ上、3オクターブ上の高さの音になり、基音の周波数を2分の1、4分の1、8分の1にすると基音の高さのそれぞれ1オクターブ下、2オクターブ下、3オクターブ下の高さの音になることが知られている。
 88鍵のピアノを想定すると、鍵盤部分の中央やや右にあるA(C=ドとすると、ラ)の鍵盤の音の周波数は440.000Hzだとされる(世界的な取り決めがあるようだ。但し、ソロでピアノ、ヴァイオリン等を演奏する場合にこれを厳密に守る必要はなく、ある程度は「好み」によるだろう)。
 88鍵だと8個のAを弾くことができ、440HzのAは5番めの高さでA4とも記載される(A0が最初)。その1、2、3オクターブ上のA5、A6、A7の周波数はそれぞれ、880Hz、1760Hz、3520Hz、1、2、3オクターブ下のA3、A2、A1の周波数はそれぞれ、220Hz、110Hz、55Hzだ。
 楽器がピアノでなくとも一般に、一定の何らかのの音(基音)とその1オクターブ上の音または下の音の間の1オクターブの間に、基音の周波数と2または1/2の乗数関係のない周波数をもつ別の音を配置して、一連の異なる音から成る何らかの音階を設定することができる。
 現在に圧倒的に多く採用されているのは、一定の基準を使って12の音を設定し、周波数の小さい順に配置するものだ。
 理屈上はどの音からでもよいが、かりにAから始めるとA,A#(B♭),B,C,C#(D♭),D,D#(E♭),E,F,F#(G♭),G,G#(A♭)の12音だ。なお、A#とB♭、D#とE♭等は現在では異名同音だが歴史的には別の音(異名異音)とされたことがある。また、ドイツでは今でも上の場合でのB♭をB、BをHと称することがある。
 問題は、なぜ12音(両端の音を含めると13音)なのかだ。
 また、付随して、上の#や♭の付かない音と付く音(A#やE♭等)の表記方法にも表れているが、ピアノでの12音はなぜ、白鍵で弾く7音と黒鍵で弾く5音に区別されているのか、も疑問だ。この付随問題も鍵盤楽器を用いたピタゴラス音律の確立過程に原因があると推測しているが、以下ではこの問題には全く触れない。
 ----
  現在の1オクターブ12音階は、ギリシア古代のピタゴラス(ピタゴラス音律)に由来すると説明されることが多い。そして、遅くともバッハ(Bach)の時代には確立されていたようだ。
 バッハに「平均律クラヴィーア曲集/第1巻・第2巻」があるが、12音全てを主音とする長調と短調の曲(12×2=24)が2セットある(計48曲)。
 長調と短調の区別がすでに18世紀前半に成立していたようであることも興味深いが、そもそも12の音の区別が前提とされていることが重要だ。
 ----
  バッハの時代に1オクターブ12音階がすでに確立され、ピタゴラス音律が基盤となっていたとしても、それらでもって現在の12音階と12音の設定の方法ないし基準を説明し切ることはできない。
 なぜなら、現在の「音楽」を圧倒的に支配している12音設定方法は<十二平均律>と言われるものであるところ、バッハの時代に<十二平均律>が現在のように圧倒的に採用されていたかは疑わしいからだ。
 上の<平均律クラヴィーア曲集>にしても、ドイツ語ではWohltemperierte Klavier (英語ではWell-tempered 〜)で、正確には<十分に(適正に)調律された〜>を意味し(Klavier はピアノ等の鍵盤楽器のこと)、「平均律〜」とするのがかりに誤訳でないとしても、現在にいう「(十二)平均律」を採用していることを意味してはいないと考えられる。
 また、現在の<十二平均律>の圧倒的採用までに、<ピタゴラス音律>、これの欠点を除去しようとした<純正律>その他の音律・音階が使われていたことが知られている。モーツァルト(Mozart)は広い意味での<純正律>の一つでもって自らのピアノ曲を弾いていた、と言われてもいる。
 ----
  「美しい」かどうか、「より美しい」のはどれかは主観的な判断基準で、その代わりに「調和している」という基準を用いるとすると、少なくとも一定範囲ではまたは一定の諸音の関係では、現在の<平均律>よりも<ピタゴラス音律>や<純正律>等の方が「調和性が高い」、と私は思っている。なお、この調和性も主観的基準だが、一定の音との周波数比の簡潔さはある程度は客観的に判断できそうだ。また、1または2オクターブだけちょうど異なる音を「同じ」と感じる「聴感覚」も、主観的だとは言える。
 詳論は避けて、①C、②E、③F、④G、⑤1オクターブ上のC(に近い音=C’)の周波数比が基音C=1との関係でどうなるかを、結論だけ以下に示す。下4桁まで。ピ音律=ピタゴラス音律。
 ピ音律—1,81/64=1.2656,4/3=1.3333,3/2=1.5,2.0273*
 純正律—1,5/4=1.25,4/3=1.3333,3/2=1.5,2
 平均律—1,1.2599,1.3348,1.4983,2
 (* この余剰分を「ピタゴラス・コンマ」と言い、これを除去してちょうど2になるよう各音の設定の一部を修正したものをピタゴラス音律と言うこともある。この余剰の数値にも議論はある。)
 ピタゴラス音律、純正律では、各12音の全てを分数表示することができる。
 平均律では、できない。隣り合う12の各音(および最後の音と次の1オクターブの最初の音)の周波数比を完全に「同一」にするのが平均律の最大の目的だからだ(その周波数比は2の12乗根で、約1.0595になる)。
 この点は重要だが別論として、C-F,C-Gの周波数比は上記のとおり、ピタゴラス音律と純正律ではそれぞれ4/3,3/2で、これら2音は「よく調和する」と言える。周波数比がより簡潔な数字で表現されていれば、調和性が高いと言うことができる。
 純正律ではさらに、C-Eが5/4で、この2音はよく調和する。この純正律では、C-E-Gの3音は4-5-6という簡潔な周波数比となる(このC-E-Gとは「ドミソの和音」だ)。
 現在に(ジャズでもJ-popでも坂本龍一でも)圧倒的に採用されている<十二平均律>での離れた2音の関係は、少なくともC-F,C-Gについては、調和性が他者に比べて低い(あり得る表現によれば「美しくない」、「濁っている」)。C-F は1.3348、C-G は1.4983という複雑な数値であり、かつこれらには「約」がつく(小数表示は尽きることがない)のだ。
 十二平均律の長所・利点、有用性を私が認めないわけではない。記していないが、純正律には(ピタゴラス音律よりも)大きな欠点があると思われる。
 ここで注目したいのは、その<十二平均律>であっても、ピタゴラス音律・純正律等のこれまでに開発され工夫された音律または音階設定と全く同じく、1オクターブは12音(+1で13音)で構成されることが維持されている、ということだ。
 <平均律>には利点、実用的有用性(とくに転調の可能性)があるのだが、それだけならば、12ではなく、<10平均律>でも、<15平均律>でもよいのではないか。実際に「53平均律」で作られた曲や、現在に通常の半音関係をさらに半分にしたいわば四半音階を使った曲があると何かで読んだことがある(聴いたことはない)。
 <12平均律>が現在の音楽をほぼ支配しているのは、ピタゴラス音律以降の(西洋)音楽の歴史・伝統を継承しているからだ、とは容易に言える(それが明治期に日本に輸入され、日本の音楽界も支配した)。だが、加えて、ピタゴラスもまた重視したのかもしれない「12」という数字に魔力・魅力があったからだろう、と私は素人ながら想定している。
 本当にピタゴラスだったとすれば、そのピタゴラスはなぜ、1とほぼ2の範囲内に収まる数値を見つけるために、1に3/2をつぎつぎと乗じていく回数を「12」回で終え、2.0273…で満足したのだろうか。
 ①3/2→②9/4÷2→③27/8÷2→…→⑫=3の12乗/2の18乗=約2.0273
 「12」という数字に特別の意味を感じ取ったことも、重要な理由の一つだったのではないか。
 音楽は、いろいろな意味で、なおも面白い。
 …
  池田信夫ブログマガジン2023年4月3日号に、池田麻美という人が「私の音楽ライブラリー」欄で、「戦場のメリー・クリスマス」を取り上げて、意味不明のことを書いている。
 「坂本龍一氏が死去しました。最近では、…人も多いかもしれませんが、最盛期はこの映画音楽のころでしょう。その後は音楽が頭でっかちになってつまらない。」
 最後の一文は私には意味不明だ。この人が毎週取り上げているような音楽こそが、特定の音楽分野を嗜好する「頭でっかち」さを感じさせる。この人は、音楽全般を、「平均律」や「純正律」等々を、優れた日本の「演歌」類を知っているのだろうか。坂本龍一もまた用いただろう楽譜はなぜ「五線譜」で、「六線譜」等ではないのか、と疑問に思ったことはあるのだろうか。
 ——