一 西尾幹二の雑誌論考での肩書は「評論家」が最も多いだろう。現在に所属する大学の教授や「〜名誉教授」を肩書とする人も少なくないが、西尾幹二は「電気通信大学教授」または「電気通信大学名誉教授」とはあまり名乗りたくなかったようだ。
「評論家」というのもじつは曖昧で、西尾幹二はいったい何に関する評論家だったのだろうか。
政治、国際政治、文学といったものが想定されるが、「歴史」に関する文章も少なくない(一時期に月刊正論に連載されていて未完だと思われる「戦争史観の転換」は「評論家」の肩書で書かれている)。
その他に、皇室、原発を問題にすることがあり、かつては一夜漬けで?証券取引法を「調べた」ような文章を書いたこともあった(堀江貴文の逮捕の頃)。
正しくは「時事評論家」だろうか。いやそれでは狭すぎ、本人は「何でも屋」の「総合評論家」だと自称したいかもしれない。
だが、このような曖昧さ、良く言えば「広さ」は、同時に、例えば各事象、各問題に関する<専門家>や、「学界」でも第一人者と評価される「アカデミカー(学問研究者)とは比肩できない、「浅さ」・「浅薄さ」の別表現でもある。
西尾幹二は、同・歴史の真贋(新潮社、2020)の「あとがき」で、「『哲・史・文』という全体」で外の世界を見るのが「若い日以来の私の理想」だった旨記している(p.359)。これは、反面では、ある時期以降のこの人の作業は「哲・史・文」のいずれとも理解し難い、これら三分野を折衷・混合した「ごった煮」に、いずれの分野でも先端をいくことのない、専門家を超えることのできない「浅薄な」ものにならざるを得なかったことを、自認しているように考えられる。
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二 西尾幹二の雑誌論考の中途または末尾に、執筆者紹介として「東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。…」と記されていることがある(例、月刊正論2014年5月号、p,147)。
これは誤解を招く、読者を誤導する紹介の仕方だ。これではまるで、西尾幹二は「ニーチェ、ショーペンハウアー」の哲学または思想を研究したことがあるかのごときだ。この二人は通常、哲学者(・思想家)だと理解されているだろうからだ。
上の紹介は全く誤っている。すでにこの欄で言及したように(→西尾幹二批判042、2022/01/08、No.2466)、第一に、西尾『ニーチェ』(中央公論社、1977。二巻本)を対象とする文学博士号授与の審査委員の専門分野はドイツ文学3名、フランス文学1名、哲学1名の計5名で(西尾幹二全集第4巻「後記」p.770)であり、もともとニーチェの哲学・思想を研究したものとは考えられていなかった。
第二に、上の著は「未完の作品」(上掲p.763)と自ら明記しているもので、ニーチェの『悲劇の誕生』(1872)の成立までを扱った(一種の「文献学」・「書誌学」的)研究書であって、ニーチェを包括的に研究したものではない。
第三に、西尾幹二は同・上掲書への斎藤忍隋による「オビ」上の推薦の言葉を自ら引用しているが(全集4巻、p.778。西尾幹二の全集に頻繁に見られる「自己讃美」の仕方だ)、これをさらに抜粋すると、以下のようだ。
「評伝文学の魅力/…ニーチェがギリシア古典の研究者としてスタートを切った事実は…完全に無視されてきた。…西尾氏の文章は、初めてこの事実を解明を試みた綿密な研究であるとともに、『評伝文学』の魅力に溢れており、…傑作である。」
ここに示されているように、西尾・上掲書はニーチェの初期の「文献学」・「書誌学」的研究書であり、ニーチェの「伝記」の一部であり、「評伝文学」と位置づけられ得るものだ。到底、ニーチェの哲学(・思想)を、一部であれ、研究したものではない。
なお、西尾幹二は上の書以外にもニーチェに論及する文章を書いており(同全集第5巻を参照)、ニーチェ著の一部の「翻訳」をしているが、ニーチェの、とくにその哲学・思想全体の「本格的」な研究者では少なくともない。ショーペンハウアーに至っては、翻訳の文章があるほかは、ニーチェとの関連で言及するだけで、まともに「研究」していたとは思えない。
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三 西尾幹二の雑誌論考の中途または末尾に、こう書いてあるものまで出現している。
「東京大学文学部独文学科卒。専門はドイツ思想と歴史哲学。近著に…」(月刊正論2020年6月号、p.25)。
何と、西尾幹二の「専門はドイツ思想と歴史哲学」だと明記されている。
大笑いだ。「歴史哲学」に「ドイツ」が係るのか不明だが、いずれにしても。
西尾幹二に「ドイツ思想」または「歴史哲学」に関するどのような専門書があるのだろうか。一冊でもあるのか?。
「評論家」というのもじつは曖昧で、西尾幹二はいったい何に関する評論家だったのだろうか。
政治、国際政治、文学といったものが想定されるが、「歴史」に関する文章も少なくない(一時期に月刊正論に連載されていて未完だと思われる「戦争史観の転換」は「評論家」の肩書で書かれている)。
その他に、皇室、原発を問題にすることがあり、かつては一夜漬けで?証券取引法を「調べた」ような文章を書いたこともあった(堀江貴文の逮捕の頃)。
正しくは「時事評論家」だろうか。いやそれでは狭すぎ、本人は「何でも屋」の「総合評論家」だと自称したいかもしれない。
だが、このような曖昧さ、良く言えば「広さ」は、同時に、例えば各事象、各問題に関する<専門家>や、「学界」でも第一人者と評価される「アカデミカー(学問研究者)とは比肩できない、「浅さ」・「浅薄さ」の別表現でもある。
西尾幹二は、同・歴史の真贋(新潮社、2020)の「あとがき」で、「『哲・史・文』という全体」で外の世界を見るのが「若い日以来の私の理想」だった旨記している(p.359)。これは、反面では、ある時期以降のこの人の作業は「哲・史・文」のいずれとも理解し難い、これら三分野を折衷・混合した「ごった煮」に、いずれの分野でも先端をいくことのない、専門家を超えることのできない「浅薄な」ものにならざるを得なかったことを、自認しているように考えられる。
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二 西尾幹二の雑誌論考の中途または末尾に、執筆者紹介として「東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。…」と記されていることがある(例、月刊正論2014年5月号、p,147)。
これは誤解を招く、読者を誤導する紹介の仕方だ。これではまるで、西尾幹二は「ニーチェ、ショーペンハウアー」の哲学または思想を研究したことがあるかのごときだ。この二人は通常、哲学者(・思想家)だと理解されているだろうからだ。
上の紹介は全く誤っている。すでにこの欄で言及したように(→西尾幹二批判042、2022/01/08、No.2466)、第一に、西尾『ニーチェ』(中央公論社、1977。二巻本)を対象とする文学博士号授与の審査委員の専門分野はドイツ文学3名、フランス文学1名、哲学1名の計5名で(西尾幹二全集第4巻「後記」p.770)であり、もともとニーチェの哲学・思想を研究したものとは考えられていなかった。
第二に、上の著は「未完の作品」(上掲p.763)と自ら明記しているもので、ニーチェの『悲劇の誕生』(1872)の成立までを扱った(一種の「文献学」・「書誌学」的)研究書であって、ニーチェを包括的に研究したものではない。
第三に、西尾幹二は同・上掲書への斎藤忍隋による「オビ」上の推薦の言葉を自ら引用しているが(全集4巻、p.778。西尾幹二の全集に頻繁に見られる「自己讃美」の仕方だ)、これをさらに抜粋すると、以下のようだ。
「評伝文学の魅力/…ニーチェがギリシア古典の研究者としてスタートを切った事実は…完全に無視されてきた。…西尾氏の文章は、初めてこの事実を解明を試みた綿密な研究であるとともに、『評伝文学』の魅力に溢れており、…傑作である。」
ここに示されているように、西尾・上掲書はニーチェの初期の「文献学」・「書誌学」的研究書であり、ニーチェの「伝記」の一部であり、「評伝文学」と位置づけられ得るものだ。到底、ニーチェの哲学(・思想)を、一部であれ、研究したものではない。
なお、西尾幹二は上の書以外にもニーチェに論及する文章を書いており(同全集第5巻を参照)、ニーチェ著の一部の「翻訳」をしているが、ニーチェの、とくにその哲学・思想全体の「本格的」な研究者では少なくともない。ショーペンハウアーに至っては、翻訳の文章があるほかは、ニーチェとの関連で言及するだけで、まともに「研究」していたとは思えない。
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三 西尾幹二の雑誌論考の中途または末尾に、こう書いてあるものまで出現している。
「東京大学文学部独文学科卒。専門はドイツ思想と歴史哲学。近著に…」(月刊正論2020年6月号、p.25)。
何と、西尾幹二の「専門はドイツ思想と歴史哲学」だと明記されている。
大笑いだ。「歴史哲学」に「ドイツ」が係るのか不明だが、いずれにしても。
西尾幹二に「ドイツ思想」または「歴史哲学」に関するどのような専門書があるのだろうか。一冊でもあるのか?。