Richard Pipes, VIXI -Memoirs of Non-Belonger(2003年)
 試訳のつづき。第一部の最後。
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 第一部/第七章・母国をホロコーストが襲う②。
 (06) このうんざりする主題について、コメントを二つ追加しよう。
 第一に、全体主義体制のもとで生きなかった人々は、それがいかに強く人々を捉えるか、最も正常な人々をすら、強くて明瞭な憎悪を掻き立てて怪物的な犯罪に手を染めさせるかを、想像することができない。
 Orwell は〈1984年〉で、この現象を正確に叙述した。
 この情感に囚われているあいだは、ふつうの人間の反応は抑圧されている。この体制が瓦解するや否や、その気分は冷める。
 この実証例によって、決して政治をイデオロギーに従属させてはならない、と私は確信した。あるイデオロギーが道徳的に健全な場合であっても、それを実現するには通常は暴力に訴える必要がある。社会全体がそのイデオロギーを共有することはないからだ。//
 (07) 第二に、ドイツ人について若干のこと。
 ドイツ民族は伝統的には、血に飢えているとは見なされていなかった。ドイツは、科学者、詩人、そして音楽家の国だった。
 だがしかし、大量虐殺の際立った達人たちであることが判った。
 1982年5月に、ワシントンで初めて会っていたフランクフルト市長のWalter Wallman を、彼の招きで、訪問した。
 我々は彼の家で私的な食事を摂り、ときには英語で、ときにはドイツ語で、さまざまな話題について会話をした。
 彼は、ある一点について、私に尋ねた。「ナツィズムはドイツ以外のどこかで発生し得たと思うか?」
 一瞬考えたあとで、私は、そう思わない、と答えた。
 彼は、「ああ神よ!」と言って、掌の中に顔を埋めた。
 私はすぐに、この上品な人物に苦痛を与えたのを悔やんだ。しかし、別の答えはあり得ない、と感じていた。//
 (08) ドイツ人に関して私がいつも感じている性格は、こうだ。生命のない物体や動物を扱うのは本当に秀逸だけれども、人間を扱う能力に欠けている。人間をたんなる物体としてしか扱わない傾向がある。(脚注1)
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 (脚注1) 読者の中には、ここでのドイツ人であれ、のちのロシア人についてであれ、こうした民族についての一般化に反対する人がいるだろう。そうであっても、私は遺伝子的特性ではなく文化的特徴について言っているのだ、ということに留意すべきだ。
 示唆しているのは教育であって、「人種」(race)とは何ら関係がない。
 かくて私の観察では、同じ文化の中で育ったドイツ・ユダヤ人は、彼らの言うポーランド・ユダヤ人よりもアーリア同胞人に似ていた。
 ついで、あるnation の構成員は一定の態様で行動する傾向があると言っても、これはむろん、全員がそうだ、ということを意味しない。〈大概は〉(grosso modo)の叙述的記述であり、総じて(by and large)間違いでななく本当だ、という記述だ。
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 ドイツ軍兵士が1939年に占領したポーランドから家に送り、のちに出版された手紙の中で、強調していたのはポーランド人とユダヤ人の「不潔さ」(dirtiness)だった、というのは重要だ。
 彼らの文化には関心を抱かず、衛生状態にだけ関心をもったのだ。(脚注2)
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 (脚注2) ポーランドの小説家、Andrzei Szezypiorski は、この気質をこう説明する。「ユダヤ人はしらみだ。しらみは絶滅しなければならない。このような考えはドイツ兵の想像力に訴えた。ドイツ人は清潔で、衛生と秩序を好んだからだ」。〈Noe, Dzien i Noe〉(1995)、p.242.
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 彼らは不潔な調度品にそうしたように、不潔な人間や家族世帯にうろたえたのだ。 
 彼らはまた、ユーモアのセンスをほとんど持っていない(Mark Twain はドイツのユーモアについて、「笑えるものでない」と言った)。(脚注3)
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 (脚注3) だが、助けが進行している。2001年の末に、イギリスの新聞は、オーストリアのアルプス保養地のMieming はユーモアを教えるドイツ人用の特別課程を始めた、と伝えた。それには「笑いの訓練」も含まれている。〈The Week〉,2001.12.22, p.7. 〈Sunday Telegraph〉から引用した。
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 したがって、ドイツ人には、ユーモアを可能にする人間の嗜好に対する寛容さのようなものが足りない。
 彼らは機械工学者だ—おそらく世界一の—。だが、人間は、際限のない理解と忍耐を必要とする生きている有機体だ。機械とは違って、厄介で気まぐれだ。
 ゆえに、教条のために殺害せよと命じられれば、廃棄した物品に対する以上の憐憫を何ら感じることなく、殺害する。//
 (09) あるドイツのSS〔Schutzstaffel,ナツィス親衛隊〕将校について読んだことを思い出す。Treblinka で勤務していた彼は、ユダヤ人を乗せた列車が彼らをガスで殺すべく到着したとき、彼らをたんなる「荷物」だと見なした、と語っていた。
 呪文で縛られたこのような者たちは、建設労働者たちが空気ドリルで舗道を壊すのと同様に感情を持たないままで、無垢で守る術なき人々を機関銃で殺害することができる。
 人間のこのような非人間化は、高度の〈Pflicht〉、「義務」意識と結びついて、他のどこかでは発生しなかっただろうようなホロコーストを、ドイツで可能にした。
 ロシア人は、ドイツ人よりもさらに多くの人々を、殺害した。また、自分たちの仲間を殺した。しかし、ロシア人は、機械工学的な精確さなくして、そうした。髪の毛や金の填物を「収穫」したドイツ人の理性的な計算を持たないで、殺した。
 ロシア人は、自分たちの殺害行為を自慢することもしなかった。
 私はソヴィエトの残虐行為の(彼らが撮った)写真を見たことがない。
 ドイツ人は、禁止されていたけれども、自分たちで無数の写真を撮った。//
 (10) かつてMünchen で、一時期にCornell でのロシア語教師だったCharles Malamuth を訪れた。
 彼はドイツ軍に接収されていたと思しきアパートを借りていた。
 コーヒー・テーブルの上に、以前の所有者が忘れて置いていったアルバムがあった。ふつうの人々ならば幼児や家族の小旅行の写真を貼っているようなアルバムだ。
 このアルバムには、東部戦線でヒトラーのために働いた家族の主人かその子息が家に送った写真が中にあった。ほとんど貼り付けられた、とても異なる種類の写真だった。
 私が見た最初は、ドイツ軍兵士が年配のユダヤ人女性を彼女の髪の毛を掴んで処刑の場所まで引き摺っているところを、写したものだった。
 つぎの頁には、三枚の写真があった。一つめは、赤ん坊を腕に抱えて木の下に立っている女性たちのグループだった。二つめでは、同じグループの女性たちが裸に剥かれていた。三つめは、大量に血を流して横たわっている、彼女たちの死体だった。//
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 第七章、終わり。第一部も、終わり。続行するか未定だが、第二部の表題は、<Harvard>。