Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002).
 =B. G. ローゼンタール・新しい神話、新しい世界—ニーチェからスターリニズムへ(2002)。総計約460頁。
 第二部・ボルシェヴィキ革命と内戦期におけるニーチェ、1917-1921。
 第二部全体の「前記」の後の、最初の章である第5章の「序」へと進む。
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 第5章・現在の黙示録:マルクス、エンゲルスおよびニーチェのボルシェヴィキ的融合。
 (序)
 「資本主義的私有財産の弔鐘が響く。搾取者は搾取される。」
 —〈Tucker 編・マルクス・エンゲルス読本=MER>、p.438.
 「小さい政治の時代は終わった。次の世紀には、地球の支配を目ざす闘いが生じるだろう。—大規模な政治への衝動。」
 —ニーチェ〈善悪の彼岸〉、p.131.
 「しかしながら、本当の哲学者は司令者であり、立法者だ。彼らは言う、かくして、こうあるべきだ。…。彼らは創造的な手で、未来を掴みとろうとし、かつてあり今あるものは全て、彼らの手段になる。道具であり、金槌だ。彼らが『知ること』は創造することであり、『創造すること』とは立法することだ。真実に向かう彼らの意思は—権力への意思。」
 —ニーチェ〈善悪の彼岸〉、p.136.
 <一行あけ>
 (01) 戦争と革命の苦難の中で、新しいイデオロギー上の金属が鋳造された。その中には、マルクス、エンゲルスおよびニーチェの最も暴力的で最も権威主義的な要素が凝固しており、マルクス主義の人間的要素やニーチェのリバタリアン的(libertarian)要素は捨て去られていた。
 この金属鋳造に貢献したのは、革命的知識人たちによる意思の神格化、戦争(第一次大戦と内戦)が持った残虐化する効果、最適者の生き残りというダーウィン主義の考えだった。
 どちらの側にとっても、内戦は生き残りを賭けた闘いだった。//
 (02) ボルシェヴィズムとはマルクス主義を夢想主義的かつ黙示録的に解釈したもので、必然性の王国から自由の王国への飛躍だけを意図していた。
 この解釈が含んだのは、民主主義的社会主義の「柔らかい」価値とは反対の英雄的で「硬い」価値を選好する、ということだった。
 もちろん、ボルシェヴィキたちはニーチェを経てマルクス主義に到達したわけではなかった。しかし、ニーチェはマルクス主義についての彼らの「硬い」解釈を促進し、彼らの権力への意思を強化した。
 権力なくしては、社会主義という約束した土地へと大衆を導くことはできない。
 ニーチェはまた、マルクス主義、救済のドラマと歴史を捉えるその見方の神話的な浸入を促進し、人間を改造するという永続的で過激な夢想に対して新しい駆動力を与えた。//
 (03) この章で論述されるボルシェヴィキ—レーニン(Vladimir Ilich Ulianov、1870〜1924)、N・ブハーリン(Nikolai Bukharin、1888〜1938)、L・トロツキー(Lev Davidovich Bronsthein。1879〜1940)—にとって重要なのは、マルクス、エンゲルスおよびニーチェの著作に見出される思想だった。すなわち、ブルジョアの道徳性に対する侮蔑、闘争の強調、血と暴力のレトリック、プロメテウス主義、「未来志向」、そのコロラリーである「道具的」残虐性。後者はヘーゲル=マルクス主義の歴史主義の用語で正当化された。
 エンゲルスはかつて、歴史は全ての女神たちのうちの最も無慈悲なものだと述べた。
 「歴史は堆積した死体の上へと勝利の歯車を進める。戦争のときだけではなく、『平和的な』経済発展の時代でも。」
 これらのボルシェヴィキたちは、大戦は「歴史の法則」の歩みを加速し、後進国ロシアに社会主義を生み出すよい機会だと考えた。
 大戦はプロレタリアートを鍛え、活発な闘いへと追い込むだろう。
 トロツキーは戦争を「学校」に譬えた。それを通じた「恐ろしい」現実によって、新しいタイプの人間が作り上げられるのだ。
 レーニンとブハーリンも、同様の気分を表現した。//
 (04) レーニンは、権力への意思と自らの方法での神話創造を具現化した人物だった。
 ブハーリンはニーチェ思想に慣れ親しんでおり、Bogdanov を崇敬していた。
 トロツキーが初めて公にした論文の表題は、「超人(Superman)に関する若干のこと」だった。
 彼らは全員が、権威主義的で、暴力的で冷酷な文章節を拡大し、漸進主義的な文章部分を抹消するレンズを通じて、マルクスやエンゲルスを読んだ。
 彼らが好んだ言葉—「奴隷」、「隷属」、「主人」、「権力」および「意思」—は、マルクス主義やニーチェ、および革命的知識人たちの気分(ethos)と共振していた。
 レーニンは「我々の奴隷的部分」への憎悪を明確に語り(Tucker 編・レーニン選集、p.197-8)、Chernyshevsky がかつてロシアを「奴隷たちの国」と呼んだことを思い起こさせた。
 ブハーリンは、「奴隷の心理と慣習がいまだに深く染み込んでいる」と不満を語った。
 労働者たちは新しい主人になるように再生産されなければならない。
 トロツキーは、こう宣言した。「きみたちはもう奴隷ではない。もっと高く立ち上がり、人生の主人となれ。上からの命令を待つな。」
 一定程度のボルシェヴィキたちが採用した美名—スターリン(Josef Djugashvili)、モロトフ(Viacheslav Skriabin)、カーメネフ(Lev Rosenfeld)—は、それぞれロシア語の鋼鉄、金槌、硬石に由来していた。
 彼らは、プロレタリアートが用いる素材または道具を含意せていた。そしてまた、ニーチェの命令である「頑強(hard)であれ」にも反応していた。
 革命の後、ボルシェヴィキたちは「司令者かつ立法者」になり、大衆は彼らの「道具」となった。
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 第二部・第5章の「序」が終わり。