一 狂人にも、器質的に異常な精神障害者=病者の他に、正常な=正気の人格障害者とがあると思われる。いずれでもないとして真面目に受け取るが、西尾幹二の述べる日本をめぐる国際的政治情勢の把握には、根本的間違いがある、と考える。
この<根本的間違い>にはすでに何度か、触れてはいる。批判024、同031(No.2348、No.2417)など。より本格的に論及しよう。
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二 西尾幹二・国民の歴史(1999年)は最後の章で、現代人は自由でありすぎる、という理解を示す。そして、「自由であるというだけでは、人間は自由になれない」等と述べ、空虚と退屈さに向かう、とする。
それこそ空虚な物語的作文またはレトリックだとして一瞥しておけばよいのだが、「私たちは否定すべきいかなる対象さえもはや持たない」(全集第18巻、p.633)と断じられると、さすがに首を傾げたくなる。
そして、その直前に、<根本的間違い>を示す一文がある。
私たちは「共産主義体制と張り合っていた時代を、なつかしく思い出すときが来るかもしれない」。
何と、西尾においては「共産主義体制と張り合っていた時代」は、もうとっくに終わっているのだ。この書物は当初は「新しい歴史教科書をつくる会」の編著でもあったが、のちの2017年に西尾幹二当人は、この会は「反共」のみならず初めて「反米」を明確に打ち出したと豪語?した。
「反共」とはいったい何のことだったのか。
ともあれ、アメリカに対して厳しく中国に対しては甘い、あるいはアメリカと中国が同盟してアメリカまたは中国が日本を襲ってきそうだ、という国際情勢の認識を示している。最初から、<根本的に間違って>いるのだ。
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三 ①2006年12月、当時の安倍首相の変貌の背景を西尾はこう予想し、アメリカと中国にこう言及していた。
「第三が…アメリカの存在です。…これがもっとも厄介な問題になってくると考えています。
中国はそれほど大きな問題ではない。
つまり、中国に対抗するためにはアメリカに依存するほかないけれど、あまりに依存を続けていくと今度はアメリカに呑み込まれてしまうという新しい危機。
これからはこっちの方が大きい。」
月刊諸君!2006年12月号、75頁。
ちなみに西尾は、2007年8月に、既発表文章を集めた、同・日本人はアメリカを許していない(ワック)を刊行している。中国や北朝鮮ではなく、アメリカが「敵」として設定されている。さらに、個人全集第16巻(2016年)に収載。
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②2008年12月、『皇太子さまへの御忠言』を刊行した直後だが、西尾はこんなことを書いていた。
「日本という平和ボケした国家」でも「一つだけナショナリズムの本気で目覚める契機があると思います。
それは、…アメリカが、尖閣諸島や竹島、北方領土などをめぐって、中国、韓国そしてロシアの味方をする悪代官になって日本を押さえ込もうとしたときです。」
しかし、アメリカの国力喪失、軍事的後退によって、その「暇もないうちに日本を置き去りにしてハワイ以東に勢力を急速に縮小するという事態が訪れるかもしれません。
つまり、このまま放っておいても、日本はアメリカから解放されるのです。」
撃論ムック2008年11月号。西尾・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.149-150。
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③2009年8月、麻生首相の時代に、こう回顧していた。
安倍氏が村山・河野両談話を認めたのは「敗戦国」だと言い続けないと国が持たないと「勝手に怯えたからでしょう」。
「そういう轍のような構造に、おそらく中国とアメリカの話し合いで押し込められたのだろうと思う」。
中国訪問、八月以前の靖国参拝、「あれは話し合いが全部ついていたのだと思う」。
「日本と中国のナショナリズムを鎮めたい日米中経済界の話し合いだと思います」。
月刊正論2009年8月号、232頁。
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④上の直前の2009年6月には、こう予想していた。
「中国の経済的協力を得るためには、日本の安全でも何でも見境なく売り渡すのが今のアメリカです」。
「今は地域の覇権を脅かしている中国、かつての反米国家が米国の最大の同盟国になっているほどに権力構造に変化が生じていることを見落としてはなりません」。
「中南米から手を引き始めたアメリカは、韓国、台湾、そして最後に日本からも手を引くでしょう。
しかし、その前に静かにゆっくりと敵になるのです。」
また、つぎのように回顧し、かつ現状を認識していた。
1991年のソ連崩壊により「世界中に…民族主義の炎が燃え広がったわけですから、日本の保守政権もこれからアメリカは当てにならないと考え、軍事的、政治的、外交的に自立への道を歩みだすチャンスであったのに、実際にはまるで逆の方向、隷属の方向に進んでしまいました」。
「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国に対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあります。
加えて、ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきているのです。」
以上、月刊正論2009年6月号、p.98、p.104-5。
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⑤2013年、すでに個人全集の刊行を始めていたが、つぎのように西尾は書いた。
「時代は大きく変わった。『親米反共』が愛国に通じ、日本の国益を守ることと同じだった情勢はとうの昔に変質した。
私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。
どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
「親米反共」論者は「政治権力の中枢がアメリカにある前提に甘えすぎているのであり、やがて権力が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。
わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
西尾・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013年)。同・保守の真贋(徳間書店、2017年9月)所収、p.164、p,166。
⑥2018年10月、その前に渡部昇一と対談していた西尾は、つぎの点で渡部と一致し、二人で強く訴えた、という。
「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても、対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうという課題は依然として残っている」。
月刊正論2018年10月号(花田紀凱との対談)、p.271。渡部との対談書は所持していない。
なお、ここでいう「共産主義が潰れた」の中には、少なくとも渡部昇一においては、中国も含められている。
渡部は2016年の韓国との慰安婦「最終決着文書」を安倍内閣の見事な外交文書だとし、併せて、かつての「対立軸」は<共産主義か反共産主義か>だったが、1991年のソ連解体により対立軸が「鮮明ではなくなり」、中国も「改革開放」によって「共産主義の理想」体現者でなくなり、「共産主義の夢は瓦解した」と明記していたからだ。月刊WiLL2016年4月号(ワック)、p.32以下。No.1413で、既述。
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四 1 以上は一部であり、探索すればもっと他にもあるだろう。また、個人全集収録の有無等も、一部を除き確認していない。
それでも、以上のかぎりで、西尾幹二の<根本的間違い>は、私には明瞭だ。
2006年—アメリカが厄介で、「中国はそれほど大きな問題ではない」。
「アメリカに依存する」ほかないが、「今度はアメリカに呑み込まれてしまうという新しい危機」があり、「これからはこっちの方が大きい」。
2013年—「私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。
どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
アメリカと中国を等距離に置く。これは、韓国大統領・文在寅の米中間の「バランサー」役の旨の発言すら思い出させる。
上の前提になっているのは、<共産主義はすでに崩壊した(冷戦は共産主義の敗北で終焉した)>という理解だ。
ここに<根本的間違い>とその原因がある。
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ここで区切って、四の2から、次回につづける。
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この<根本的間違い>にはすでに何度か、触れてはいる。批判024、同031(No.2348、No.2417)など。より本格的に論及しよう。
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二 西尾幹二・国民の歴史(1999年)は最後の章で、現代人は自由でありすぎる、という理解を示す。そして、「自由であるというだけでは、人間は自由になれない」等と述べ、空虚と退屈さに向かう、とする。
それこそ空虚な物語的作文またはレトリックだとして一瞥しておけばよいのだが、「私たちは否定すべきいかなる対象さえもはや持たない」(全集第18巻、p.633)と断じられると、さすがに首を傾げたくなる。
そして、その直前に、<根本的間違い>を示す一文がある。
私たちは「共産主義体制と張り合っていた時代を、なつかしく思い出すときが来るかもしれない」。
何と、西尾においては「共産主義体制と張り合っていた時代」は、もうとっくに終わっているのだ。この書物は当初は「新しい歴史教科書をつくる会」の編著でもあったが、のちの2017年に西尾幹二当人は、この会は「反共」のみならず初めて「反米」を明確に打ち出したと豪語?した。
「反共」とはいったい何のことだったのか。
ともあれ、アメリカに対して厳しく中国に対しては甘い、あるいはアメリカと中国が同盟してアメリカまたは中国が日本を襲ってきそうだ、という国際情勢の認識を示している。最初から、<根本的に間違って>いるのだ。
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三 ①2006年12月、当時の安倍首相の変貌の背景を西尾はこう予想し、アメリカと中国にこう言及していた。
「第三が…アメリカの存在です。…これがもっとも厄介な問題になってくると考えています。
中国はそれほど大きな問題ではない。
つまり、中国に対抗するためにはアメリカに依存するほかないけれど、あまりに依存を続けていくと今度はアメリカに呑み込まれてしまうという新しい危機。
これからはこっちの方が大きい。」
月刊諸君!2006年12月号、75頁。
ちなみに西尾は、2007年8月に、既発表文章を集めた、同・日本人はアメリカを許していない(ワック)を刊行している。中国や北朝鮮ではなく、アメリカが「敵」として設定されている。さらに、個人全集第16巻(2016年)に収載。
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②2008年12月、『皇太子さまへの御忠言』を刊行した直後だが、西尾はこんなことを書いていた。
「日本という平和ボケした国家」でも「一つだけナショナリズムの本気で目覚める契機があると思います。
それは、…アメリカが、尖閣諸島や竹島、北方領土などをめぐって、中国、韓国そしてロシアの味方をする悪代官になって日本を押さえ込もうとしたときです。」
しかし、アメリカの国力喪失、軍事的後退によって、その「暇もないうちに日本を置き去りにしてハワイ以東に勢力を急速に縮小するという事態が訪れるかもしれません。
つまり、このまま放っておいても、日本はアメリカから解放されるのです。」
撃論ムック2008年11月号。西尾・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.149-150。
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③2009年8月、麻生首相の時代に、こう回顧していた。
安倍氏が村山・河野両談話を認めたのは「敗戦国」だと言い続けないと国が持たないと「勝手に怯えたからでしょう」。
「そういう轍のような構造に、おそらく中国とアメリカの話し合いで押し込められたのだろうと思う」。
中国訪問、八月以前の靖国参拝、「あれは話し合いが全部ついていたのだと思う」。
「日本と中国のナショナリズムを鎮めたい日米中経済界の話し合いだと思います」。
月刊正論2009年8月号、232頁。
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④上の直前の2009年6月には、こう予想していた。
「中国の経済的協力を得るためには、日本の安全でも何でも見境なく売り渡すのが今のアメリカです」。
「今は地域の覇権を脅かしている中国、かつての反米国家が米国の最大の同盟国になっているほどに権力構造に変化が生じていることを見落としてはなりません」。
「中南米から手を引き始めたアメリカは、韓国、台湾、そして最後に日本からも手を引くでしょう。
しかし、その前に静かにゆっくりと敵になるのです。」
また、つぎのように回顧し、かつ現状を認識していた。
1991年のソ連崩壊により「世界中に…民族主義の炎が燃え広がったわけですから、日本の保守政権もこれからアメリカは当てにならないと考え、軍事的、政治的、外交的に自立への道を歩みだすチャンスであったのに、実際にはまるで逆の方向、隷属の方向に進んでしまいました」。
「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国に対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあります。
加えて、ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきているのです。」
以上、月刊正論2009年6月号、p.98、p.104-5。
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⑤2013年、すでに個人全集の刊行を始めていたが、つぎのように西尾は書いた。
「時代は大きく変わった。『親米反共』が愛国に通じ、日本の国益を守ることと同じだった情勢はとうの昔に変質した。
私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。
どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
「親米反共」論者は「政治権力の中枢がアメリカにある前提に甘えすぎているのであり、やがて権力が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。
わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
西尾・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013年)。同・保守の真贋(徳間書店、2017年9月)所収、p.164、p,166。
⑥2018年10月、その前に渡部昇一と対談していた西尾は、つぎの点で渡部と一致し、二人で強く訴えた、という。
「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても、対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうという課題は依然として残っている」。
月刊正論2018年10月号(花田紀凱との対談)、p.271。渡部との対談書は所持していない。
なお、ここでいう「共産主義が潰れた」の中には、少なくとも渡部昇一においては、中国も含められている。
渡部は2016年の韓国との慰安婦「最終決着文書」を安倍内閣の見事な外交文書だとし、併せて、かつての「対立軸」は<共産主義か反共産主義か>だったが、1991年のソ連解体により対立軸が「鮮明ではなくなり」、中国も「改革開放」によって「共産主義の理想」体現者でなくなり、「共産主義の夢は瓦解した」と明記していたからだ。月刊WiLL2016年4月号(ワック)、p.32以下。No.1413で、既述。
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四 1 以上は一部であり、探索すればもっと他にもあるだろう。また、個人全集収録の有無等も、一部を除き確認していない。
それでも、以上のかぎりで、西尾幹二の<根本的間違い>は、私には明瞭だ。
2006年—アメリカが厄介で、「中国はそれほど大きな問題ではない」。
「アメリカに依存する」ほかないが、「今度はアメリカに呑み込まれてしまうという新しい危機」があり、「これからはこっちの方が大きい」。
2013年—「私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。
どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
アメリカと中国を等距離に置く。これは、韓国大統領・文在寅の米中間の「バランサー」役の旨の発言すら思い出させる。
上の前提になっているのは、<共産主義はすでに崩壊した(冷戦は共産主義の敗北で終焉した)>という理解だ。
ここに<根本的間違い>とその原因がある。
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ここで区切って、四の2から、次回につづける。
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