西尾幹二「雑誌ジャーナリスムよ、衰退の根源を直視せよ」諸君!(文藝春秋)2008年12月号
 西尾はこの論考で、何やら<上から目線>で、「現在の論壇誌がかかえる問題点」を四点指摘しているようだ。p.28-p.35。
 ①政治論が「思想・政策論と政局論を混同している」。
 ②一部経済論客のようにではなく、「経済、政治、歴史を総合的に論じる」必要がある。
 ③「国際政治と国内政治を、まったく無関係のものとして論じる傾向がある」。
 ④以上は「枕」。
 本質的には「イデオロギー」、「なんらかのぬきがたい先入観」を含んでいる。経済論客には「経済価値観イデオロギー」がある。最近さかんな「保守イデオロギー」も「時流に乗る」ようなもので、「日教組流と構造が同じなのではないですか」。
 この論脈でと見られる叙述は概括しづらい。アメリカか中国かと迷っている日本人が多く「自分自身」がない、日本が中心となる「心の準備」をすべきだ、旨の叙述の後、次の文章がある。
 「イデオロギーは、自分の好むひとつの小さな現実を見て、他のすべての現実に目を閉ざそうとする怠惰な心の傾きです。
 反米も反中も、新米も親中も、みんなイデオロギーにすぎません
 そういう状態を脱して、現実—リアリティを回復するのが日本再生 への道であり、論壇誌はその過程にこそ貢献すべきなのです」。
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  本当に指摘しておきたいことは別にあるが(次回とする)、以上で区切って、批判的にコメントしよう。
 第一。西尾はどういう資格があって、「雑誌ジャーナリズム」または「論壇誌」を上のように批判し、または注文をつけることができたのか。西尾自身は上のような欠点や弊害なくして執筆してきたとはいっさい書いていない。また、一方で、自分はできていないが、期待・希望するとの謙虚な?言葉もない。
 この人は2020年に<哲学・歴史・文学>の総合的把握が理想だった旨書いたが(歴史の真贋・新潮社〉、それも覚束ない人物が<経済・政治・歴史>の総合的論述が必要だと、2008年によくぞ書けたものだ。
 第二。立ち入らないが、国際情勢・国際政治について、根本的間違いをしているだろう叙述もある。
 第三。上によると、反米・親米や反中・親中は「イデオロギー」にすぎず、現実・リアリティを回復しなければならない。
 ?? 2017年には同じ人物が、福田恆存らには「反共」だけあって「反米」がなかったが、自分と「つくる会」は最初に「反米」を打ち出した、と書いたのだったが、すでに同会は発足し、運動継続中の時点の2008年の末には、このように書いていたのだ。
 「イデオロギー」の意味の理解を変えている等々、西尾幹二は釈明するのかもしれない。
 だが、要するに、この人は、執筆・発言の時期ごとに、異なる、矛盾すると指摘されても不思議でないことを、平然と執筆・発言できる人だ、と断言して、ほぼ間違いはない。
 簡単に言えば、一定の時点の西尾幹二の主張内容をそのまま信じたり、信頼したりしてはいけない、ということだ。
 第四。「現実・リアリティ」を西尾自身が全く理解できていないことは、上のあとに最後に続く、「日本に迫る最大の危機」という中見出しまである、皇室に関する文章で、明確だ。
 2008年に西尾は皇太子妃批判論を継続し、秋に『皇太子さまへの御忠言』を出版していた。その高揚の気分が残っていたのだろうか、この諸君!12月号では、「あれほど明白になっている東宮家の危機」等々と書いている。
 次の機会に回す。
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