一 11月19日付け。<旧皇族で天皇陛下よりお若い方は既婚女性だけという事実>。
「旧皇族」という場合、実際に皇族であったことがある人(最近の真子さまもこれにあたる)と、そのような人の子孫で自分自身は一度も皇族であったことはない人(例えば竹田恒泰)を厳密には区別して考え、前者のみを指す、というのは、一つの常識的な概念用法かと思われる。高森によると、国会での宮内庁次長答弁もその旨らしい。
ほとんどもっぱら高森明勅のブログから検討状況を知ってきたのだが、手っ取り早くついさっき見た後出の勝岡寛次論考から引用すると、皇位継承問題を考える菅内閣の有識者会議が今年7月の中間報告が出した二つの方向性のうちの一つは、以下だった。
「皇族の養子縁組を可能とすることで、皇統に属する男系の男子が皇族となることを可能とすること」。
ここでいう養子縁組の具体的イメージは無知なためかさっぱり湧かないが、ともあれ、「皇統に属する男系の男子」という表現が用いられ、「旧皇族」の男子ではない、ということに気づく。
高森は上の厳密なまたは常識的な語法を採用すべきと主張する。これによるとおそらく、例えば竹田恒泰は前者であっても後者ではないのだろう。
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二 高森が上のブログで、「先頃、保守系の論者の文章の中で、『元皇族』と『旧皇族』を“別の”概念の言葉として使っているのを見かけた(『日本の息吹』11月号)。もはや何をか言わんやだ」と書いている。
『日本の息吹』とは日本会議の月刊機関誌。秋月瑛二は、何を隠そう、F・フュレの一著等の読者であるとともに、この雑誌の読者なのだ(だからいざとなれば、『日本の息吹』の文章も正確に引用できる)。
さて、上に該当する部分は少なくて、勝岡幹次「旧皇族の皇籍復帰を考える—有識者会議の議論から」のうち、つぎではないかと思われる。p.13 。
「旧皇族には多くの元皇族(内親王)が嫁がれていることから、皇族にとっては身内も同然なのだ」。
勝岡は、「旧皇族」の国民にとっての疎遠さに反駁する論脈で、こう述べている。疎遠感は、皇族離脱からすでに長く経つことのほか、男系男子に限定すると祖たる天皇は室町時代にまで遡ることも理由の一つだろう(この点では、八幡和郎の明治天皇の内親王の末裔(女系!)という理解の上で含めるべきとの議論は現実的だが、実現可能性はほとんどないのでないか)。
しかし勝岡は、「旧皇族」と「元皇族」の意味の違いをきちんと説明していない。
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三 したがって、高森がわざわざ言及した意味は私には不分明だ。
しかし、上の厳密かつ常識的な概念用法からすると、上の論考で勝岡寛次は、次のように、目を剥く!言葉遣いをしている。
(検討会の提言にいう)「皇統に属する男系の男子とは旧皇族(旧宮家)のことを指す」。p.11。
ここでは、今回の冒頭で触れた、現に皇族であったことがある者と皇族だったことはないがその子孫(の男子)とは区別されておらず、全員が「旧皇族」だ。
自民党総裁選挙中に高市早苗は「旧皇族復帰案」を支持したらしく、高森はそこでの「旧皇族」の用法を批判する。
思うに、自民党の<いわゆる保守派>は、言葉遣いについても、有力な支持母体である日本会議や神道政治連盟の強い影響を受けている。
考え方や歴史認識についてもそうで、男系男子で続いてきた我が国の伝統も考慮し、とか言っていた菅前総理大臣もそうだろう。
政治家は歴史家でも学者でもない。だから多くを期待しても無駄だが、特定政治団体・運動団体の見解・概念用法だけを知って発言するのは危険だ。
明治の皇室典範発布前には、男系男子に継承者を限るか、という論点について、政府内でも、現在よりも自由で活発な議論があったのではないか。
今の方が制約が多そうなのは、不思議なことだ。
現在の「皇族」数、とくに男子の数の減少が今後についての検討が必要なそもそもの問題なのだが、これ以上は省略する。
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「旧皇族」という場合、実際に皇族であったことがある人(最近の真子さまもこれにあたる)と、そのような人の子孫で自分自身は一度も皇族であったことはない人(例えば竹田恒泰)を厳密には区別して考え、前者のみを指す、というのは、一つの常識的な概念用法かと思われる。高森によると、国会での宮内庁次長答弁もその旨らしい。
ほとんどもっぱら高森明勅のブログから検討状況を知ってきたのだが、手っ取り早くついさっき見た後出の勝岡寛次論考から引用すると、皇位継承問題を考える菅内閣の有識者会議が今年7月の中間報告が出した二つの方向性のうちの一つは、以下だった。
「皇族の養子縁組を可能とすることで、皇統に属する男系の男子が皇族となることを可能とすること」。
ここでいう養子縁組の具体的イメージは無知なためかさっぱり湧かないが、ともあれ、「皇統に属する男系の男子」という表現が用いられ、「旧皇族」の男子ではない、ということに気づく。
高森は上の厳密なまたは常識的な語法を採用すべきと主張する。これによるとおそらく、例えば竹田恒泰は前者であっても後者ではないのだろう。
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二 高森が上のブログで、「先頃、保守系の論者の文章の中で、『元皇族』と『旧皇族』を“別の”概念の言葉として使っているのを見かけた(『日本の息吹』11月号)。もはや何をか言わんやだ」と書いている。
『日本の息吹』とは日本会議の月刊機関誌。秋月瑛二は、何を隠そう、F・フュレの一著等の読者であるとともに、この雑誌の読者なのだ(だからいざとなれば、『日本の息吹』の文章も正確に引用できる)。
さて、上に該当する部分は少なくて、勝岡幹次「旧皇族の皇籍復帰を考える—有識者会議の議論から」のうち、つぎではないかと思われる。p.13 。
「旧皇族には多くの元皇族(内親王)が嫁がれていることから、皇族にとっては身内も同然なのだ」。
勝岡は、「旧皇族」の国民にとっての疎遠さに反駁する論脈で、こう述べている。疎遠感は、皇族離脱からすでに長く経つことのほか、男系男子に限定すると祖たる天皇は室町時代にまで遡ることも理由の一つだろう(この点では、八幡和郎の明治天皇の内親王の末裔(女系!)という理解の上で含めるべきとの議論は現実的だが、実現可能性はほとんどないのでないか)。
しかし勝岡は、「旧皇族」と「元皇族」の意味の違いをきちんと説明していない。
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三 したがって、高森がわざわざ言及した意味は私には不分明だ。
しかし、上の厳密かつ常識的な概念用法からすると、上の論考で勝岡寛次は、次のように、目を剥く!言葉遣いをしている。
(検討会の提言にいう)「皇統に属する男系の男子とは旧皇族(旧宮家)のことを指す」。p.11。
ここでは、今回の冒頭で触れた、現に皇族であったことがある者と皇族だったことはないがその子孫(の男子)とは区別されておらず、全員が「旧皇族」だ。
自民党総裁選挙中に高市早苗は「旧皇族復帰案」を支持したらしく、高森はそこでの「旧皇族」の用法を批判する。
思うに、自民党の<いわゆる保守派>は、言葉遣いについても、有力な支持母体である日本会議や神道政治連盟の強い影響を受けている。
考え方や歴史認識についてもそうで、男系男子で続いてきた我が国の伝統も考慮し、とか言っていた菅前総理大臣もそうだろう。
政治家は歴史家でも学者でもない。だから多くを期待しても無駄だが、特定政治団体・運動団体の見解・概念用法だけを知って発言するのは危険だ。
明治の皇室典範発布前には、男系男子に継承者を限るか、という論点について、政府内でも、現在よりも自由で活発な議論があったのではないか。
今の方が制約が多そうなのは、不思議なことだ。
現在の「皇族」数、とくに男子の数の減少が今後についての検討が必要なそもそもの問題なのだが、これ以上は省略する。
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