François Furet, Lies, Passions & Illusions —The Democtratic Imagination in the 20 th Century.
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
序文—フランソワ・フュレとポール・リクール(Paul Ricoeur)/Christophe Prochasson ⑤。
——
序文・第3節①。
(1)(2)<省略>
(3)1970年代以降リクールの近くで仕事をし(シカゴ大学でやはり教えていた)、またFrançois Azoubi が討論を仕切るよう頼んだJeffrey Barash (Barash は議論のあいだときには長々と喋った)のように、リクールは見えざる会話者になった。
本書が示すように、リクールは全体に不在だったのではない。
歴史家(フュレ)は哲学者(リクール)の論及、分析、回答、そしてときには異論に、反応している。
近くで聴いている読者は、リクールの声をときどきは聞き分け、少なくとも考えを理解し、そうしてインタビューの様子、あるいはもっと正確にその調子を想像することができる。//
(4)<省略>
(5)指針は、可能なかぎり簡単だった。すなわち、1997年のフュレの草稿で使われている元々の言葉を尊重すること。
フュレは著述の文体にとても注意を払っていたので、対話の過程を示す文章の順序は、二つだけの例外を除いて尊重された。
二つのわずかな移動はフュレの論旨の一貫性を補強するためのもので、 私がカセットの番号と面を示した注記となって、この書物のフランス語版(この翻訳書ではない)の特徴になった。
私はまた、フュレがリクールに宛てた1997年3月6日の長い手紙の主題に則した見出しを挿入するのが有益だと考えた。
最後に、公刊される文章の会話での起源を想起させる、ときにある口語的表現の大部分は、そのまま残した。自分の著作で話し言葉を嫌うフュレを尊重して、一部は除去したけれども。//
(6)<1文、略>
フュレはときどき、うまく表現されていないと感じた文章を削除した。
一つの例は、彼がどのように話し言葉を書き言葉に変えるかを示すに十分だ。
最初のインタビューの第一ページで、フュレは、共産主義思想のソヴィエト同盟による具現化を、こう述べていた。
「ソヴィエト同盟の歴史は共産主義思想とは何の関係もない、と容易に言うことができるがゆえだ—実際に人々は私にそう言った—。
そして、その結果として、共産主義思想は、なおも無傷のままだ。
私は全面的に同意する。
政治では、これは完全に防御的な観点だ。
しかし、歴史家はこれを防衛することはできない。なぜなら、私は、50年前に共産主義思想とはソヴィエト同盟だったことを示すことができるからだ。
30年前、共産主義思想とはソヴィエト同盟だった。
そして今日では、我々はソヴィエト同盟の経験を忘却することによって、またはソヴィエト同盟は共産主義と何の関係もないと言うことによって、歴史を粉飾することができる。しかし、これは歴史的には、防衛できるものではない。
政治的には、正当化し得る。」//
(7)フュレはこの文章を放擲し、つぎの段落の文章でもって補填した。
「共産主義思想は、一つの抽象的思想として、ソヴィエト同盟の消失とは関係がない。
共産主義思想は、資本主義社会と分ち難い欲求不満から、金銭が支配する世界への憎悪から、生まれたというかぎりで、その思想の「現実化」に依存していない。
それが必要とするのはただ、ポスト資本主義世界の抽象的な希望だ。
それにもかかわらず、そのときから、それの喪失を帳消しするのは不可能な歴史を持った。帳消し行為は左翼のあちこちで試みられているけれども。
しかし、ソヴィエト同盟は社会主義や共産主義と何の関係もなかったと言うことで、たしかにこの歴史を取り消すことができた。あるいは、1924年までは全ては素晴らしかったが、その年に全てが悪くなったと言って、トロツキストの見方へと元戻りすることで。
しかし、いったい誰が、こうした否認を信じることができただろうか?
歴史の真実は、全員が記憶喪失者でない筈の多くの人々が目撃した真実は、ソヴィエト同盟はその歴史の全てを通じて、共産主義の希望を何とか具現化することができた、ということだ。その体制が存在しているあいだずっと、我々と時代をともに生きた多数の人々の心にあった希望を。
私が理解しようとしているのは、この具現化の神秘であり、あんなにも特別で悲劇的な歴史の普遍的な不思議さだ。」//
——
序文・第3節①、終わり。
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
序文—フランソワ・フュレとポール・リクール(Paul Ricoeur)/Christophe Prochasson ⑤。
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序文・第3節①。
(1)(2)<省略>
(3)1970年代以降リクールの近くで仕事をし(シカゴ大学でやはり教えていた)、またFrançois Azoubi が討論を仕切るよう頼んだJeffrey Barash (Barash は議論のあいだときには長々と喋った)のように、リクールは見えざる会話者になった。
本書が示すように、リクールは全体に不在だったのではない。
歴史家(フュレ)は哲学者(リクール)の論及、分析、回答、そしてときには異論に、反応している。
近くで聴いている読者は、リクールの声をときどきは聞き分け、少なくとも考えを理解し、そうしてインタビューの様子、あるいはもっと正確にその調子を想像することができる。//
(4)<省略>
(5)指針は、可能なかぎり簡単だった。すなわち、1997年のフュレの草稿で使われている元々の言葉を尊重すること。
フュレは著述の文体にとても注意を払っていたので、対話の過程を示す文章の順序は、二つだけの例外を除いて尊重された。
二つのわずかな移動はフュレの論旨の一貫性を補強するためのもので、 私がカセットの番号と面を示した注記となって、この書物のフランス語版(この翻訳書ではない)の特徴になった。
私はまた、フュレがリクールに宛てた1997年3月6日の長い手紙の主題に則した見出しを挿入するのが有益だと考えた。
最後に、公刊される文章の会話での起源を想起させる、ときにある口語的表現の大部分は、そのまま残した。自分の著作で話し言葉を嫌うフュレを尊重して、一部は除去したけれども。//
(6)<1文、略>
フュレはときどき、うまく表現されていないと感じた文章を削除した。
一つの例は、彼がどのように話し言葉を書き言葉に変えるかを示すに十分だ。
最初のインタビューの第一ページで、フュレは、共産主義思想のソヴィエト同盟による具現化を、こう述べていた。
「ソヴィエト同盟の歴史は共産主義思想とは何の関係もない、と容易に言うことができるがゆえだ—実際に人々は私にそう言った—。
そして、その結果として、共産主義思想は、なおも無傷のままだ。
私は全面的に同意する。
政治では、これは完全に防御的な観点だ。
しかし、歴史家はこれを防衛することはできない。なぜなら、私は、50年前に共産主義思想とはソヴィエト同盟だったことを示すことができるからだ。
30年前、共産主義思想とはソヴィエト同盟だった。
そして今日では、我々はソヴィエト同盟の経験を忘却することによって、またはソヴィエト同盟は共産主義と何の関係もないと言うことによって、歴史を粉飾することができる。しかし、これは歴史的には、防衛できるものではない。
政治的には、正当化し得る。」//
(7)フュレはこの文章を放擲し、つぎの段落の文章でもって補填した。
「共産主義思想は、一つの抽象的思想として、ソヴィエト同盟の消失とは関係がない。
共産主義思想は、資本主義社会と分ち難い欲求不満から、金銭が支配する世界への憎悪から、生まれたというかぎりで、その思想の「現実化」に依存していない。
それが必要とするのはただ、ポスト資本主義世界の抽象的な希望だ。
それにもかかわらず、そのときから、それの喪失を帳消しするのは不可能な歴史を持った。帳消し行為は左翼のあちこちで試みられているけれども。
しかし、ソヴィエト同盟は社会主義や共産主義と何の関係もなかったと言うことで、たしかにこの歴史を取り消すことができた。あるいは、1924年までは全ては素晴らしかったが、その年に全てが悪くなったと言って、トロツキストの見方へと元戻りすることで。
しかし、いったい誰が、こうした否認を信じることができただろうか?
歴史の真実は、全員が記憶喪失者でない筈の多くの人々が目撃した真実は、ソヴィエト同盟はその歴史の全てを通じて、共産主義の希望を何とか具現化することができた、ということだ。その体制が存在しているあいだずっと、我々と時代をともに生きた多数の人々の心にあった希望を。
私が理解しようとしているのは、この具現化の神秘であり、あんなにも特別で悲劇的な歴史の普遍的な不思議さだ。」//
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序文・第3節①、終わり。