François Furet, Lies, Passions & Illusions —The Democtratic Imagination in the 20 th Century.
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
<試訳者注>つぎの「序文」は「+」を付けて一行空けている部分が二箇所あるので、便宜的に三つの節に区切る。
********
序文—フランソワ・フュレとポール・リクール(Paul Ricoeur)/Christophe Prochasson ①。
第1節
(1)フランソワ・フュレはかつてフランス共産党の活動家で、1949年に入党し、1956年のハンガリー蜂起に対する弾圧のあとで徐々に遠ざかった。彼はつねに、自分自身の過去に染み込んだ政治に関する考察を活発に行なってきた。
彼は、共産主義の魔術に関して思考することを決して止めなかった。そして、彼によれば、共産主義は我々の物事に対する理解を曖昧にするものだった。—フランス革命についてそうであるように歴史についても、ソヴィエト同盟についてそうであるように厳密に政治についても。あるいはこれらは、歴史的具現物としての共産主義と、より一般的に関係していた。
彼は休みなく、フランス革命に関する共産主義的歴史理解と闘った。そして、この最初の闘いを継続しつつ、革命の200年記念日が過ぎてベルリンの壁が崩壊したあとでは『共産主義という幻想』の歴史を含めて、分析の範囲を拡大した。//
(2)彼は1990年代のまさに最初に仕事を開始し、共産主義に関する資料を集め、よく使われた書類をもう一度開き、新しい研究を古い考察や先入観念と結びつけた。
彼の歴史研究上の転換点は、評論雑誌の〈Le Debat〉に公刊した長い論文で明確になった。
そして、1990年10月、この歴史家は〈L'enigme de la desagregation communiste〉と題する論文を〈Note de la Fondation Saint-Simon〉に発表した。
これは、数年後に〈幻想の終わり〉となったものの萌芽だった。//
(3)1990年11月21日と22日に二つの記事のかたちで〈Le Figaro〉に掲載され、また11-12月号での〈Le Debat〉により、この『Note』は、フランソワ・フュレを共産主義の終焉に関する偉大な分析者の一人としての地位を確立することになる。
Robert Laffont 出版社のCharles Ronsac はたまたま南西フランスのSaint Pierre-Toirac でのフランソワとデボラ・フュレの隣人だったのだが、論文をより実質的な書物にするよう彼を激励した。
こうして、〈フランス革命の省察〉の著者は、彼が長年にわたって研究した革命的メッセージに含まれている約束実行の悲劇と共鳴するように思える別の世紀へと関心を移した。
フランス革命に関する歴史家として賞賛したにもかかわらず「おぞましい書物」だと映画監督のJean-Luc Godardが見なした書物が、まさに生まれようとしていた。//
(4)このこと(おぞましさ)は、書物の冒頭に置かれて「革命的熱情」と題された最も辛辣な章の一つの新しい〈Note de la Fondation Saint-Simon〉での事前出版によって確認された。
1995年1月、〈Le Passe d'une illusion(幻想の終わり)〉が出版された。
初回の注文は出版上の成功だった。すなわち、1ヶ月半の間に7万部が売れた。
6ヶ月後、〈Le Nouvel Observateur〉でのベストセラーリストの上位にあった。
1996年6月、10万部が売れた。そしてすみやかに、18言語へと翻訳されることになった。//
(5)批判的な反応は、想定され得た。
この書物は一般メデイア、テレビやラジオの文芸番組、文書媒体の主要な公刊物の注目するところとなった。むろん、政治家たちや著名なヨーロッパの知識人の注意も惹いた。この人々に対して、評論雑誌の〈Le Debat〉は、雑誌の特別号で議論の場を提供することになる。
反応の多くは、この書物の基本的主張(theses)を支持した。さらに重要なことに、力作(tour de force)だとして、この著作を賞賛した。
実際に、Jean-François Kahnが何度もテレビで表明したように、確かな成功だと感じざるをえなかったことで、ある程度の人々は苛立った。
最も信頼できるこの書物の対抗者たちですら、堂々たるこの著作に対する知的敬意を否定することができなかった。
Denis Berger とHenri Malerは、いずれもトロツキー主義派なのだが、こう書いた。
「〈Le Passe d'une Illusion :Essai sur l’idee communiste au XX siecle〉の良質さは、まさに衝撃的だ。
激しく流れる語り口が印象的で、事象の再現は力強く、教示的だ。分析は、刺激的かつ鋭い。
筆致は濃密であるとともに痛烈だ。」
唯一の激しい否定的反応があったのは、極左(Far Left)の知識人たちだった。
他の者たちも、とくに20世紀の最初の10年にならば、1980年代や1990年代に対する深刻な反発の間に、彼らの意見を付け加えたことだろう。
Furetは、終わりを迎えようとしている世紀に左翼(the Left)を僭称する偉大な伝統に始末を付けたとして、責任追求され、有罪の判断を下される者に含まれることとなるだろう。//
——
序文②へとつづく。
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
<試訳者注>つぎの「序文」は「+」を付けて一行空けている部分が二箇所あるので、便宜的に三つの節に区切る。
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序文—フランソワ・フュレとポール・リクール(Paul Ricoeur)/Christophe Prochasson ①。
第1節
(1)フランソワ・フュレはかつてフランス共産党の活動家で、1949年に入党し、1956年のハンガリー蜂起に対する弾圧のあとで徐々に遠ざかった。彼はつねに、自分自身の過去に染み込んだ政治に関する考察を活発に行なってきた。
彼は、共産主義の魔術に関して思考することを決して止めなかった。そして、彼によれば、共産主義は我々の物事に対する理解を曖昧にするものだった。—フランス革命についてそうであるように歴史についても、ソヴィエト同盟についてそうであるように厳密に政治についても。あるいはこれらは、歴史的具現物としての共産主義と、より一般的に関係していた。
彼は休みなく、フランス革命に関する共産主義的歴史理解と闘った。そして、この最初の闘いを継続しつつ、革命の200年記念日が過ぎてベルリンの壁が崩壊したあとでは『共産主義という幻想』の歴史を含めて、分析の範囲を拡大した。//
(2)彼は1990年代のまさに最初に仕事を開始し、共産主義に関する資料を集め、よく使われた書類をもう一度開き、新しい研究を古い考察や先入観念と結びつけた。
彼の歴史研究上の転換点は、評論雑誌の〈Le Debat〉に公刊した長い論文で明確になった。
そして、1990年10月、この歴史家は〈L'enigme de la desagregation communiste〉と題する論文を〈Note de la Fondation Saint-Simon〉に発表した。
これは、数年後に〈幻想の終わり〉となったものの萌芽だった。//
(3)1990年11月21日と22日に二つの記事のかたちで〈Le Figaro〉に掲載され、また11-12月号での〈Le Debat〉により、この『Note』は、フランソワ・フュレを共産主義の終焉に関する偉大な分析者の一人としての地位を確立することになる。
Robert Laffont 出版社のCharles Ronsac はたまたま南西フランスのSaint Pierre-Toirac でのフランソワとデボラ・フュレの隣人だったのだが、論文をより実質的な書物にするよう彼を激励した。
こうして、〈フランス革命の省察〉の著者は、彼が長年にわたって研究した革命的メッセージに含まれている約束実行の悲劇と共鳴するように思える別の世紀へと関心を移した。
フランス革命に関する歴史家として賞賛したにもかかわらず「おぞましい書物」だと映画監督のJean-Luc Godardが見なした書物が、まさに生まれようとしていた。//
(4)このこと(おぞましさ)は、書物の冒頭に置かれて「革命的熱情」と題された最も辛辣な章の一つの新しい〈Note de la Fondation Saint-Simon〉での事前出版によって確認された。
1995年1月、〈Le Passe d'une illusion(幻想の終わり)〉が出版された。
初回の注文は出版上の成功だった。すなわち、1ヶ月半の間に7万部が売れた。
6ヶ月後、〈Le Nouvel Observateur〉でのベストセラーリストの上位にあった。
1996年6月、10万部が売れた。そしてすみやかに、18言語へと翻訳されることになった。//
(5)批判的な反応は、想定され得た。
この書物は一般メデイア、テレビやラジオの文芸番組、文書媒体の主要な公刊物の注目するところとなった。むろん、政治家たちや著名なヨーロッパの知識人の注意も惹いた。この人々に対して、評論雑誌の〈Le Debat〉は、雑誌の特別号で議論の場を提供することになる。
反応の多くは、この書物の基本的主張(theses)を支持した。さらに重要なことに、力作(tour de force)だとして、この著作を賞賛した。
実際に、Jean-François Kahnが何度もテレビで表明したように、確かな成功だと感じざるをえなかったことで、ある程度の人々は苛立った。
最も信頼できるこの書物の対抗者たちですら、堂々たるこの著作に対する知的敬意を否定することができなかった。
Denis Berger とHenri Malerは、いずれもトロツキー主義派なのだが、こう書いた。
「〈Le Passe d'une Illusion :Essai sur l’idee communiste au XX siecle〉の良質さは、まさに衝撃的だ。
激しく流れる語り口が印象的で、事象の再現は力強く、教示的だ。分析は、刺激的かつ鋭い。
筆致は濃密であるとともに痛烈だ。」
唯一の激しい否定的反応があったのは、極左(Far Left)の知識人たちだった。
他の者たちも、とくに20世紀の最初の10年にならば、1980年代や1990年代に対する深刻な反発の間に、彼らの意見を付け加えたことだろう。
Furetは、終わりを迎えようとしている世紀に左翼(the Left)を僭称する偉大な伝統に始末を付けたとして、責任追求され、有罪の判断を下される者に含まれることとなるだろう。//
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序文②へとつづく。