茂木健一郎が〈親ガチャ〉問題に関係して、(YouTube上で)つぎのように言ったと伝えられている(9/16)。
 以下の発言は、主題からやや離れてはいるだろうが、とくに後段は、秋月の関心を惹いた。
 “親ガチャ”問題は「社会の側がちゃんと一人ひとりの子どもに対してちゃんと支援の手を差し伸べていないということがある」。親の経済力など資質にばらつきがあっても、社会的な制度によって子どもたちが受ける格差を埋めることができるが、“親ガチャ”が叫ばれるようになった背景には「受験をめぐる格差問題がある」。
 「そもそもペーパーテスト偏重の受験っていうのは問題ですし、それによって受験産業っていうのがはびこっている」。中学受験の低学年化や、受験に掛かる費用などの問題があり、「塾に行って受験しないと、その後の人生のエスカレーターに乗れないみたいな社会って絶対におかしい」。
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  現在または戦後の「受験」体制や「大学教育」について茂木がしばしば言っていることにつながっているので驚きはしない。
 しかし、高校までの学費負担無料化とか、大学生全員に奨学金をとかがよく主張・提言されながら、高校教育(それ以下も〉や肝心の大学教育の〈内容〉について、あるいは大学入学のために課す試験の内容・対象について、ほとんど誰も議論しようとしない中では、茂木の指摘は貴重だろう。
 大学の入学・卒業がほとんどたんに「肩書」・「レッテル」の価値の問題に転化し、社会的には〈何を学んだか〉がほとんど重視されないのは、異様であり、異常ではないか?? とくに、文学部などの「文科系」学部について言えるだろう。
 大学生への一律的な奨学金拡大で喜ぶのは、本当に貧しい家庭育ちの学生たちのほか、安定的な収益につながる大学経営者たちではないか。アルバイト時間は減り、勉強・学習・研究時間は増えるか?
 教育「産業」、大学「企業」となっている界隈の中にいる人々に多くを期待することはできない。〈業界〉関係者との間に大きな軋轢を生むことなくやり過ごせばよいと考えている文部官僚たちにも。
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