Johh Gray, Grays's Anatomy: Selected Writings (2015, New Edition)。
 試訳を1年ぶりに再開する。この書は計7部で46の章に分かれているが、それぞれが独立しているので、任意に選択している。
 この書には、第一版も新版も、邦訳書はない見られる。
 一文ごとに改行。一段落ごとに、原書にはない数字番号を付ける。
 ①ではL・コワコフスキ、②〜⑤ではEagleton とHobsbawm に関する章を取り上げて試訳した。
 →①コワコフスキ
 →②ホブズボーム
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 第7部/第41章・歴史の中の悪魔①。
 (01) ソヴィエト同盟で1918年1月に発布された<労働被搾取人民の権利の宣言>では、「過去の者たち」と見なされた人々は権利を剥奪された。
 Vladimir Tismaneanu はこの宣言について<歴史の中の悪魔>(注)で論じて、こう書く。
 ボルシェヴィキ用語で陳腐となった「byvshie liudi (過去の者たち)という語は、この語で表現される者は全くもって人間ではない、と示唆するという一致があるとは、ほとんで考えられていなかった。」
 権利を奪われた集団というのは、不労所得で暮らしを立てたよそ者の階級である帝制警察の職員、軍人たちや、すでに挙げた人々に経済的に依存する全宗教の聖職者たちを含むものだった。
 (多くの者にとって生活維持の主要な源だった)配給システムから除外され、資産没収を免れそうになく、公的官署への就職を禁止されて、この範疇に入る人々は—過去の者たちは世襲の条件のもとにあると理解されたがゆえに、その家族とともに—、社会から排除された。 
 Tismaneanu は、書く。「範疇分けのシステムは、後年につづいたテロルの先がけとなる分類法だった」。
 ある人間の集団には通常は人間であることに随伴する道徳的評価を否定して、この行為〔範疇分け〕は、過去の人間の残滓からなる社会を一掃する、ソヴィエトの企図の基盤を形成した。
 (02) 共産主義とファシズムは重要な点で同一だ、というのは、Tismaneanu の考えの基盤の一つでもある。
 彼には、つぎのことが明瞭だ。
 「共産主義はファシズムでは<ない>、そしてファシズムは共産主義では<ない>。
 全体主義の実験のいずれも、それら自身の独自の性格をもつ。」
 そうではあるが、これら二つは、大量殺戮を社会を操作するための正当な手段と見ることで、似ている。
 「共産主義は、ファシズムのように、一定の人間集団を正当に殺害することができるという確信にもとづいて、疑いなく、代わりとなる非リベラルな、その新しいものを構築した。
 共産主義者の構想は、ソヴィエト社会主義共和国連邦、チャイナ(中国)、キューバ、ルーマニアあるいはアルバニアのような諸国で、一定の社会集団は非礼で異質であり、正当に殺害することができるという確信に、まさに基づいていた。」
 (03) これは、20世紀の全体主義に関する議論での中心的論点となる考察だ。
 イタリアのファシズム理論家のGiovanni Gentile —全体主義を意味する制限されない統治システムを承認した—によって最初に展開されて以降すでに、この概念をめぐって多数の論争が生じた。
 共産主義とファシズムを多くの者が見れば、その構造、目標、支配する思想はあまりに似ていないために単一の範疇に含めることができず、ある者たちは、冷戦時の戦いを正当化するものにすぎないと見た。この概念は広く異論が唱えられて、顕著に流行遅れのものに変わった。—アカデミックな文脈では、破壊的に最終的な却下だった。
 全体主義の諸体制で生きてきた人々にとって、このことは、当惑させる成り行きだった。
 Tismaneanu は、生き生きと自分自身の経験を書く。
 彼は、ファシズムに抵抗する闘いの役割をもった共産党活動家となったユダヤ人の両親の子どもだった(父親はスペイン内戦で腕を失くし、母親は看護師として働いた)。
 彼は、十代のルーマニア共産党員のときに全体主義について最初に考え始め、密かに流布されていたArthur Koestler の<真昼の暗黒>を読んだ。
 のちに、ブカレスト大学の社会学の学生として、彼は、Raymond Aron、Hannah Arendt、Isaiah Berlin、Leszek Kolakowski のような著者や、その他の反全体主義の思想家の書物を何とか入手することができた。
 また、自分で「西ヨーロッパの文化的伝統」と呼ぶものに引き込まれ、彼は、<フランクフルト学派>について博士号論文を書いた。
 1981年にルーマニアを離れ、合衆国に定住して、ニコライ・チャウシェスクが頂点に登りつめた以降の原則的基盤にもとづいてルーマニアを再検討した。
 2006年、彼は共産主義独裁制の活動を検証するために設置された〔ルーマニア〕大統領の委員会の長になった。この指名は異論も呼び起こした。とりわけ、彼の両親と彼自身の共産党員だった過去を理由としてだ。
 (04) Tismaneanu はスターリニズム、ナショナリズム、そして全体主義に関して多数の研究書を刊行したが、それらは、チャウシェスク体制と彼の心を奪った戦時中のファシズムの間の類似性(parallels)に関するものだったように見える。
 「ルーマニアはマルクス主義の教義に託した社会主義国家であり、とくに1960年以降は明白に左翼だったけれども、支配党は、戦時中の<極右>の主題、発想、そして強迫観念(obsession)を抱き始めた」。
 チャウシェスクが権力を握った1965年以降、「イデオロギーは、レーニン主義の残余と公然とは語られないが間違いなくファシズムの、混合物(blend)となるに至った」。 
 Tismaneanu が悟ったように、「これは明らかな逆説だった」。
 ヨーロッパのファシズムは、狂気と悪辣な思想の寄せ集めだった。—とくに、聖職者権威主義、反リベラルのニーチェ的無神論、「血で思考する」新原始主義カルト、技術に対する近代主義的崇拝
 しかし、自民族中心のナショナリズム、人種差別主義、反ユダヤ主義は、それらのあらゆる変種とともにファシズムの特質だった。そしてそれは、<歴史の中の悪魔>の基盤を形成するこれらの極右の主題を、共産主義が抱きかかえたものだった。
 彼の両親がファシズムに抵抗するために共産主義勢力に加わったのだとすれば、Tismaneanu は、共産主義はファシズムの明確な特徴のいくつかを共有しているという事実に取り組んだ。//
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 (注) Vladimir Tismaneanu, 歴史の中の悪魔—共産主義・ファシズムと20世紀のいくつかの教訓(California University Press, 2012).
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 ①、終わり。