レフとスヴェトラーナ、No.22。
Orlando Figes, Just Send Me Word - A True Story of Love and Survival in the Gulag (New York, London, 2012).
試訳のつづき。p.117-p.123。
——
第6章②。
(10) スヴェータはレフに切に逢いたかった。
6月7-8日の週末に、手紙を書いた。それは土曜日に出発するGleb の母親が彼に渡すこととなっていた。//
「レヴィ、Gleb の母親がO. B.(オルガ叔母)を訪れて、水曜に(ペチョラへ)出発すると言いました。
そして今、あなたにどう書いたらよいか、分かりません。
あなたととても逢いたい、ということ?
そんなこと、分かっているでしょう。
時間の外で生きていて、まるで今は休憩時間のごとく、私の人生がこれから始まるのを待っているような感じがします。
何をしていても、ただ暇つぶしをしているように思えます。
よくないと思います。
ゆっくりとまたは無頓着に時間を費やすのは、強い人間にはふさわしくありません。
致命的な誤りでもあります。あなたは失った時間を取り戻すことはできないのだから。
私は、たんに待つのではなく、生きなければなりません。
そうしなければ、待つのが終わったときに、自分がしっかりしてあなたと一緒に私たちの人生を築いていくことができないでしょう。//
いつも、愛が十分ではないと怖れてきました。
人は愛することができないといけないし、一緒になって、たぶんずっと残酷なままだろうこの世界で、生きていかなければなりません。
でも、時は過ぎていくのに、私は強くも、賢くもなってきていないと思えます。
私は少なくとも、自分自身の愚かさや、愛しているけれど遠く離れている人々への誠実さについて、十分には考えてきていない。このことはかつて、私自身や他の人々を苛む原因になりました(あなたもまた、このせいで苦しまなければならなかった)。
こうしたバカなことで、私は大量のH2O〔酸素〕を失ってきました。
待たなければならないとき、あるいは怒っているとき、私は強くはなかったように思います。
こんな理由で、自分の脚でしっかり立っているとは感じていないのです。
私には、依りかかれる—悲しいときでも愉しいときでも—あなたが必要です。
私たちは今の事態を、一緒に切り抜かなければならない。かつてそうだったように、腕を組んで歩みながら。—昔はあなたに寄りかからなかったと思うけれど。
私はあなたの腕で、重くはなかったわ。そう思っているけど、正しい?
こんなことを書き、あなたは苦痛を感じるだけで何も得られないお願いをして、私は優しくない。
でも、疲れています。今日だけではなく、いつもと同じ。
私には『支え』が必要です。こうした手紙を通してであっても(手紙は私たちの会話です)。
でも、レヴィ、うろたえないで。
最後には、私たちは多くの人よりも、幸せになる。—愛をちっとも知らない人たちよりも、愛の見つけ方を知らない人たちよりも。
このことが道理にかなっていると、望んでいます。//
疲れているとき、私は辛口に、Irina(Krause)が言ったように『心の中を隠さなく(unshaved inside)』なります。そうして私は、私と親しい人々から支援を受ける仕方が分からなくなるのです。
その人たちに何を望んでいるのか、分かりません。
理解してほしい、何かしてほしいと期待しているのではなく、私は自分が何を頼べばよいか分からないのです。
私は沈黙したままです。でも活動しながら静かになります。これは、自分の殻の中に閉じこもる、という意味です。
Shurka(Aleksandra Chernomordik)ですら、私は最近では一週間に二回しか訪問していません。また、今度の日曜に会いに行かなくてIrina を傷つけました(とても疲れていたと言ったので、彼女は許してくれました)。
一昨日は、私とあなたについて彼女が尋ねて、事態はもっと悪くなりました。衝撃です。
昨日、誰をも避けたくて行かなかった演奏会のあと、まだ好くなってはいません。
私は思慮が足らず、意地が悪いと、あなたは思うでしょう。私がそれを理解して後悔していてすら、どうすれば良くすることができるか、私には分かりません。
いつか健康を悪くすれば(疲労のためだけであっても)、あなたに語りかけず、耐えきれなくなってあなたから離れてしまうのではないかと、上に書いたような理由で怖れています。
リョヴカ(Lyovka)!、もしそうなっても、私はあなたに怒っていないと、分かって下さい。
心を折ったり、自分を苛んだりしないで下さい。適当な休みを私がとるまで、待って下さい。
約束できますか?//
この手紙で書いたことはとくに賢明だとは思えないけれど、私にとくに優れた意見を求めていないでしょう(少しだけは正解)。
レヴィ、これ以上馬鹿なことを書いてしまう前に、寝床に行かなければなりません。
書く前に少し泣いて、この手紙をいま終えようとしているのはいい事です。顔に微笑を浮かべて、私の大切な、愛おしいレヴィに誓います。」//
この手紙は、スヴェータが自分の抑鬱状態(depression)という主題に本当に触れた最初のものだった。彼女はそうだとは認識していなかったけれども。
彼女は十分に正確にその兆候を、また「耐えきれなくなって離れてしまう」心理を叙述することができたが、それらに名称を与えはしなかった。
「世界で最も幸福な国」のソヴィエト連邦では、抑鬱状態についての公的認知や議論はなかった。//
(11) 翌朝、スヴェータは手紙を書き続けた。//
「レヴィ、私があなたに逢いに行くことについて。
どこに行くべきか、どこに申請すべきか、分からないので、とても困っています。
Gleb に、母親が戻ったら私と連絡を取るように頼んでもらえますか?(D.B(オルガ叔母)よりも先に私に連絡するということです。彼女は叔母にいずれ訪問せざるをえないのだから。)
Gleb の母親は、7月の早くか半ばのいつかに戻ると言っていました。そのとき私は、必要ならば、街を出て彼女に会いに行けます。その日に休暇を取る権利はないのだけれど。
7月に休暇を欲しいとは思っていません(とくに前半については)。精神的にも経済的にも、旅行の準備をする必要があるからです。また、もう一度、こちらで許可が得られるよう試してみたい。
Gleb の母親は不要だと言ったけれど、許可があれば私は本当に安心でしょう。また、どちらにしても、悪くはなりません。
どの程度時間がかかるか、私には分かりません。
私が投げ出したら、Mihail Aleksandrovich(スヴェータの上司のTsydzik)が自分で休暇を取りたくなるかもしれません。
その場合は、私が行く前に彼が帰るまで待たなければならないてしょう。
すみやかに逢いに行けるとは、思わないで下さい。
休みを取るという意味では、遅い方がよいかもしれません(この点で私は他の人たちと似ていません)。早くにある休日はすぐに忘れてしまい、残りは全くないがごとくになってしまうのですから。
Mihail Aleksandrovich も、同じ理由で、遅く休暇を取るのが好きです。…
O. B. が今ここに来ました。それで、止めます。…//
我々はGleb の母親に、美味しいものを一緒に持っていくように頼みました。あなたに4月以降に届けようとしたものです。O.B.からの甘菓子、Irina からのチョコレート、そして自然に、私からの砂糖。Irina は砂糖に我慢できず、私は甘菓子に無関心だったから、自然です。
何が起きるか分からないので(怒らないで。でないと、肝臓が悪くなる)、若干の現金も送っています。
金銭は持っているといつでも有用です。自分のためのものを買わないならば、仲間たちのために使って下さい。
一緒に持って行ってほしいとGleb の母親に頼んだものは、あなた用の眼鏡です。
それは、Shurka が得ることのできた(正確にa3.5の取得です)二番めのものです。
パパは自分の眼鏡を取り戻しました。
さあ、これで今日は全部です。
気をつけて、私の大切な人。とても、とても優しく、キスをします。」//
(12) Gleb の母親は、Litvinenko たちよりも、うまくやった。
彼女は、もう一度、数日つづけて毎日数時間ずつ息子に逢うことができた。今度は監視員に聴かれたままだったが、正門の所にある大きくてせわしい小屋よりも小さい、工業地帯と第二入植地区の営舎の間にある監視小屋で逢った。
レフはスヴェータに、Natalia Arkadevna の成功をあまり重視しすぎないように警告した。
Gleb の適用条項は、レフのものよりも少し緩かった。また、Gleb の母親は運が好かった(あるいは賄賂の支払いが非常に巧かった)。
スヴェータが幸運でも、レフと「数分間」逢うことができるだけで、MVDからの「無記入の拒否状」のもとで出逢う可能性もあっただろう。
しかし、Gleb の母親から聞いたことで、スヴェータは元気づけられた。
7月16日にレフにあてて、こう書いた。//
「Natalia Arkadevna が月曜に会いに来ました。
彼女は物質的経済的側面〔賄賂〕について詳細に語ってくれました。そして、その問題についての私の神経を完全に鎮めてくれました。
彼女は、旅したいとの私の希望を支えてくれました。
魅力的な人です。これは確かなことで、彼女に私はとても感謝しています。」//
(13) スヴェータがNatalia Arkadevna から学んだことによって、どんな対価を払ってでもペチョラへ行こうという決意が強固になっただけではなかった。収容所管理機関が許可を拒んだとすれば、自分で別の何らかの手段を見つけることができるという考えも、さらに強くなった。
賄賂によってでなくとも、工業刑務所地帯へと自分が密かに入り込む方法を見つけようとした。
(14) 7月16日までの日々を、スヴェータは、夏が終わる前にペチョラへの旅に必要な取り決めをするために用いた。
休暇を取れるときに上司のTsydzik が同意するのを待つ必要があった。また、とりわけ、ペチョラにいる間は、彼女を守ってくれる彼に頼らざるを得なかったからだ。
Tsydzik は7月の最後の週に、入院してしまった。
彼は、8月1日には休暇を取ってコーカサスのKislovosk へ行き、早くても9月12日まではモスクワに帰ってこないことになっていた。しかし、この旅行は、遅れた。
スヴェータは、7月28日にこう書いた。//
「レヴェンカ、私の大切な人、私たちはもう一度忍耐力と我慢強さを呼び起こさなければなりません。
猫のように泣いて(meow)います。
でも、美徳には褒美があると知っているかぎり、12月まで何としてでも待つつもりです(その場合にはちっとも美徳ではない?)。
もう一度。私は猫のように泣いています。」//
(15) 8月、モスクワ市民の多くはずっと休暇で街から離れていたけれども、スヴェータは研究所へと仕事にをしに出かけた。そして、Tsydzik の管理の仕事を代わって行った。
8月12日の手紙で、レフにこう書いた。//
「ここでは28度で、工場の煙と砂塵で全てが覆われています。
人々はモスクワ800年記念式典〔9月7日〕のために、市を急いで飾っています。それで、通りの半分は立ち入りを阻止されています。」//
市が祭典を準備している間、スヴェータは、ペチョラへの旅のための自分の準備をした。これを9月末に実行するだろうと、今では予想していた。
彼女は、Lev Izrailvich のための写真用資材を最もよく得る方法を見出すために多くの時間を使った。このIzrailvich は、Kozhvaで自分を宿泊させ、木材工場に入り込むのを助けてくれる人物だった。
「今は不足はありません。誰でも店で容易に購入できるでしょう。…
私は全ての物を用意するでしょう。かりに旅がうまくいかなくても、小荷物で彼の住所に送ることは可能です。—了解?
二人のために私がいます。—フィルムは彼のために、書籍はあなたのために。」//
(16) スヴェータはこのときまでに、自分が非合法に旅をすることになると分かった。
モスクワのMDV から許可を得ることはあきらめていた。そして、それがなくとも、ペチョラの地図に記されていない秘密の収容所の居住地区へと行く仕事があったわけでもなかった。
彼女は、ペチョラに着けば、Lev Izrailvich と一緒に木材工場に入り、工業地帯内部の自由労働者の一人の家屋に隠れようと計画していた。
レフは、居住地区への入口にいる監視員をやり過ごせば、発電施設での職務時間内に、そこで彼女と逢うことができるだろう。
これは、大胆でかつ危険な計画で、スヴェータを甚大な恐れに巻き込む可能性があつた。
MDV の同意なくして収容所に立ち入ることは、国家に対する重大な犯罪だった。
彼女の研究には軍事上の重要性があったので、もしも確信的「スパイ」と接触しようとして逮捕されれば、彼女自身が労働収容所へと送られただろう。
彼女を助けた者もまた全員が、面倒なことにかなっただろう。//
(17) 旅行の真の目的を隠すために、スヴェータは、ウラルの近くのKirov へと、彼女の研究所と関係のあるタイヤ工場を視察するために行くという計画を立てた。
スヴェータがモスクワに帰るのが遅れると知らせる電報を計画どおりにKirov から打てば、 Tsydzik は彼女の痕跡を抹消するのに必要な書類作業をすることになっていた。
Kirov からKotlas 経由でKozhva へ列車で行くには、一晩と一日しかかからないだろう。そのKozhva で、スヴェータはLev Izrailevich に迎えられることになっていた。
8月20日、スヴェータはレフにあててこう書いた。//
「Kirov からは地方鉄道があり、十分に利用できるので、一石二鳥です。
Mik. Al.(Tsydzik)が12日に戻れば、15日までに私は、およそ10日間の工場視察旅行を公式のものにするでしょう。
そこから、まだ仕事の旅行をしているがごとく、私は進むつもりです。切符なしで、ただビタミンC〔賄賂の金銭〕だけを持って。
切符の費用を節約します。でも、重要なのは、Kirov 往復に使う日数は私の休暇の中に含まれていない、ということです。それで、私にはさらに好都合になるでしょう。
Kirov で、およそ2、3日仕事をします(工場を一瞥し、報告書を書き、何らかの助言をするでしょう)。
旅行について少し神経質になっていると、打ち明けなければならない。
モスクワを出発すればすぐに、あなたと同名の人に電報を打ちます。そして、もう一度、Kirov から打ちます。—これらは、1ヶ月以内に起きる予定のことです。
レヴィ、増えた旅行バッグを処分するつもりはありません。
書物のいくつか(最新の英語の教科書や核関係の書物のような入手し難いもの)をP.は、見つけてくれると私に約束しました。
Nat(Natalia)とArk(Arkadevna)は明らかに、何かを、衣服、旅行用のパン等々を、送ろうとしています。
既に言ったと思うけど、私はあなたと同名の人に小荷物を送りたいのですが、今の時点で写真用具をまだ何も購入していません。…
O. B.(オルガ叔母)はなぜ、服を送ったように書物も送らないのかを、理解していません。でも、レヴィ、私はあなたに怯えています。
不機嫌なことでしょう。
父親の髭にかけて誓います。このあと十月革命30年記念日(1947年11月7日)よりも前には、威張って本屋に入らない、と。…
この手紙は、(9月)5日まではあなたに届かないでしょう。
だから、何か至急に知らせる必要があるときは、電報を打つようLev Izrailvich に頼んで下さい。私の返事は時機どおりには届かないだろうことも留意しておいて。
Kirov の郵便局留めで手紙を送ってくれることもできます。
安全のために、私がKirov にいる間は、郵便局と電話局に入って調べるでしょう。」//
10日後、スヴェータは、旅行計画をもう一度確認すべく書き送った。
「私の全ての計画に変わりはありません。つまり、15日にKirov に行き、21日にはあなたと一緒にいます。
緊急事態が生じれば、カーボン紙を使ってM(モスクワ)とKirov の郵便局留めの両方に手紙をくれるか、同名の人に電報を打つよう頼んで下さい。」//
——
第6章②、終わり。
Orlando Figes, Just Send Me Word - A True Story of Love and Survival in the Gulag (New York, London, 2012).
試訳のつづき。p.117-p.123。
——
第6章②。
(10) スヴェータはレフに切に逢いたかった。
6月7-8日の週末に、手紙を書いた。それは土曜日に出発するGleb の母親が彼に渡すこととなっていた。//
「レヴィ、Gleb の母親がO. B.(オルガ叔母)を訪れて、水曜に(ペチョラへ)出発すると言いました。
そして今、あなたにどう書いたらよいか、分かりません。
あなたととても逢いたい、ということ?
そんなこと、分かっているでしょう。
時間の外で生きていて、まるで今は休憩時間のごとく、私の人生がこれから始まるのを待っているような感じがします。
何をしていても、ただ暇つぶしをしているように思えます。
よくないと思います。
ゆっくりとまたは無頓着に時間を費やすのは、強い人間にはふさわしくありません。
致命的な誤りでもあります。あなたは失った時間を取り戻すことはできないのだから。
私は、たんに待つのではなく、生きなければなりません。
そうしなければ、待つのが終わったときに、自分がしっかりしてあなたと一緒に私たちの人生を築いていくことができないでしょう。//
いつも、愛が十分ではないと怖れてきました。
人は愛することができないといけないし、一緒になって、たぶんずっと残酷なままだろうこの世界で、生きていかなければなりません。
でも、時は過ぎていくのに、私は強くも、賢くもなってきていないと思えます。
私は少なくとも、自分自身の愚かさや、愛しているけれど遠く離れている人々への誠実さについて、十分には考えてきていない。このことはかつて、私自身や他の人々を苛む原因になりました(あなたもまた、このせいで苦しまなければならなかった)。
こうしたバカなことで、私は大量のH2O〔酸素〕を失ってきました。
待たなければならないとき、あるいは怒っているとき、私は強くはなかったように思います。
こんな理由で、自分の脚でしっかり立っているとは感じていないのです。
私には、依りかかれる—悲しいときでも愉しいときでも—あなたが必要です。
私たちは今の事態を、一緒に切り抜かなければならない。かつてそうだったように、腕を組んで歩みながら。—昔はあなたに寄りかからなかったと思うけれど。
私はあなたの腕で、重くはなかったわ。そう思っているけど、正しい?
こんなことを書き、あなたは苦痛を感じるだけで何も得られないお願いをして、私は優しくない。
でも、疲れています。今日だけではなく、いつもと同じ。
私には『支え』が必要です。こうした手紙を通してであっても(手紙は私たちの会話です)。
でも、レヴィ、うろたえないで。
最後には、私たちは多くの人よりも、幸せになる。—愛をちっとも知らない人たちよりも、愛の見つけ方を知らない人たちよりも。
このことが道理にかなっていると、望んでいます。//
疲れているとき、私は辛口に、Irina(Krause)が言ったように『心の中を隠さなく(unshaved inside)』なります。そうして私は、私と親しい人々から支援を受ける仕方が分からなくなるのです。
その人たちに何を望んでいるのか、分かりません。
理解してほしい、何かしてほしいと期待しているのではなく、私は自分が何を頼べばよいか分からないのです。
私は沈黙したままです。でも活動しながら静かになります。これは、自分の殻の中に閉じこもる、という意味です。
Shurka(Aleksandra Chernomordik)ですら、私は最近では一週間に二回しか訪問していません。また、今度の日曜に会いに行かなくてIrina を傷つけました(とても疲れていたと言ったので、彼女は許してくれました)。
一昨日は、私とあなたについて彼女が尋ねて、事態はもっと悪くなりました。衝撃です。
昨日、誰をも避けたくて行かなかった演奏会のあと、まだ好くなってはいません。
私は思慮が足らず、意地が悪いと、あなたは思うでしょう。私がそれを理解して後悔していてすら、どうすれば良くすることができるか、私には分かりません。
いつか健康を悪くすれば(疲労のためだけであっても)、あなたに語りかけず、耐えきれなくなってあなたから離れてしまうのではないかと、上に書いたような理由で怖れています。
リョヴカ(Lyovka)!、もしそうなっても、私はあなたに怒っていないと、分かって下さい。
心を折ったり、自分を苛んだりしないで下さい。適当な休みを私がとるまで、待って下さい。
約束できますか?//
この手紙で書いたことはとくに賢明だとは思えないけれど、私にとくに優れた意見を求めていないでしょう(少しだけは正解)。
レヴィ、これ以上馬鹿なことを書いてしまう前に、寝床に行かなければなりません。
書く前に少し泣いて、この手紙をいま終えようとしているのはいい事です。顔に微笑を浮かべて、私の大切な、愛おしいレヴィに誓います。」//
この手紙は、スヴェータが自分の抑鬱状態(depression)という主題に本当に触れた最初のものだった。彼女はそうだとは認識していなかったけれども。
彼女は十分に正確にその兆候を、また「耐えきれなくなって離れてしまう」心理を叙述することができたが、それらに名称を与えはしなかった。
「世界で最も幸福な国」のソヴィエト連邦では、抑鬱状態についての公的認知や議論はなかった。//
(11) 翌朝、スヴェータは手紙を書き続けた。//
「レヴィ、私があなたに逢いに行くことについて。
どこに行くべきか、どこに申請すべきか、分からないので、とても困っています。
Gleb に、母親が戻ったら私と連絡を取るように頼んでもらえますか?(D.B(オルガ叔母)よりも先に私に連絡するということです。彼女は叔母にいずれ訪問せざるをえないのだから。)
Gleb の母親は、7月の早くか半ばのいつかに戻ると言っていました。そのとき私は、必要ならば、街を出て彼女に会いに行けます。その日に休暇を取る権利はないのだけれど。
7月に休暇を欲しいとは思っていません(とくに前半については)。精神的にも経済的にも、旅行の準備をする必要があるからです。また、もう一度、こちらで許可が得られるよう試してみたい。
Gleb の母親は不要だと言ったけれど、許可があれば私は本当に安心でしょう。また、どちらにしても、悪くはなりません。
どの程度時間がかかるか、私には分かりません。
私が投げ出したら、Mihail Aleksandrovich(スヴェータの上司のTsydzik)が自分で休暇を取りたくなるかもしれません。
その場合は、私が行く前に彼が帰るまで待たなければならないてしょう。
すみやかに逢いに行けるとは、思わないで下さい。
休みを取るという意味では、遅い方がよいかもしれません(この点で私は他の人たちと似ていません)。早くにある休日はすぐに忘れてしまい、残りは全くないがごとくになってしまうのですから。
Mihail Aleksandrovich も、同じ理由で、遅く休暇を取るのが好きです。…
O. B. が今ここに来ました。それで、止めます。…//
我々はGleb の母親に、美味しいものを一緒に持っていくように頼みました。あなたに4月以降に届けようとしたものです。O.B.からの甘菓子、Irina からのチョコレート、そして自然に、私からの砂糖。Irina は砂糖に我慢できず、私は甘菓子に無関心だったから、自然です。
何が起きるか分からないので(怒らないで。でないと、肝臓が悪くなる)、若干の現金も送っています。
金銭は持っているといつでも有用です。自分のためのものを買わないならば、仲間たちのために使って下さい。
一緒に持って行ってほしいとGleb の母親に頼んだものは、あなた用の眼鏡です。
それは、Shurka が得ることのできた(正確にa3.5の取得です)二番めのものです。
パパは自分の眼鏡を取り戻しました。
さあ、これで今日は全部です。
気をつけて、私の大切な人。とても、とても優しく、キスをします。」//
(12) Gleb の母親は、Litvinenko たちよりも、うまくやった。
彼女は、もう一度、数日つづけて毎日数時間ずつ息子に逢うことができた。今度は監視員に聴かれたままだったが、正門の所にある大きくてせわしい小屋よりも小さい、工業地帯と第二入植地区の営舎の間にある監視小屋で逢った。
レフはスヴェータに、Natalia Arkadevna の成功をあまり重視しすぎないように警告した。
Gleb の適用条項は、レフのものよりも少し緩かった。また、Gleb の母親は運が好かった(あるいは賄賂の支払いが非常に巧かった)。
スヴェータが幸運でも、レフと「数分間」逢うことができるだけで、MVDからの「無記入の拒否状」のもとで出逢う可能性もあっただろう。
しかし、Gleb の母親から聞いたことで、スヴェータは元気づけられた。
7月16日にレフにあてて、こう書いた。//
「Natalia Arkadevna が月曜に会いに来ました。
彼女は物質的経済的側面〔賄賂〕について詳細に語ってくれました。そして、その問題についての私の神経を完全に鎮めてくれました。
彼女は、旅したいとの私の希望を支えてくれました。
魅力的な人です。これは確かなことで、彼女に私はとても感謝しています。」//
(13) スヴェータがNatalia Arkadevna から学んだことによって、どんな対価を払ってでもペチョラへ行こうという決意が強固になっただけではなかった。収容所管理機関が許可を拒んだとすれば、自分で別の何らかの手段を見つけることができるという考えも、さらに強くなった。
賄賂によってでなくとも、工業刑務所地帯へと自分が密かに入り込む方法を見つけようとした。
(14) 7月16日までの日々を、スヴェータは、夏が終わる前にペチョラへの旅に必要な取り決めをするために用いた。
休暇を取れるときに上司のTsydzik が同意するのを待つ必要があった。また、とりわけ、ペチョラにいる間は、彼女を守ってくれる彼に頼らざるを得なかったからだ。
Tsydzik は7月の最後の週に、入院してしまった。
彼は、8月1日には休暇を取ってコーカサスのKislovosk へ行き、早くても9月12日まではモスクワに帰ってこないことになっていた。しかし、この旅行は、遅れた。
スヴェータは、7月28日にこう書いた。//
「レヴェンカ、私の大切な人、私たちはもう一度忍耐力と我慢強さを呼び起こさなければなりません。
猫のように泣いて(meow)います。
でも、美徳には褒美があると知っているかぎり、12月まで何としてでも待つつもりです(その場合にはちっとも美徳ではない?)。
もう一度。私は猫のように泣いています。」//
(15) 8月、モスクワ市民の多くはずっと休暇で街から離れていたけれども、スヴェータは研究所へと仕事にをしに出かけた。そして、Tsydzik の管理の仕事を代わって行った。
8月12日の手紙で、レフにこう書いた。//
「ここでは28度で、工場の煙と砂塵で全てが覆われています。
人々はモスクワ800年記念式典〔9月7日〕のために、市を急いで飾っています。それで、通りの半分は立ち入りを阻止されています。」//
市が祭典を準備している間、スヴェータは、ペチョラへの旅のための自分の準備をした。これを9月末に実行するだろうと、今では予想していた。
彼女は、Lev Izrailvich のための写真用資材を最もよく得る方法を見出すために多くの時間を使った。このIzrailvich は、Kozhvaで自分を宿泊させ、木材工場に入り込むのを助けてくれる人物だった。
「今は不足はありません。誰でも店で容易に購入できるでしょう。…
私は全ての物を用意するでしょう。かりに旅がうまくいかなくても、小荷物で彼の住所に送ることは可能です。—了解?
二人のために私がいます。—フィルムは彼のために、書籍はあなたのために。」//
(16) スヴェータはこのときまでに、自分が非合法に旅をすることになると分かった。
モスクワのMDV から許可を得ることはあきらめていた。そして、それがなくとも、ペチョラの地図に記されていない秘密の収容所の居住地区へと行く仕事があったわけでもなかった。
彼女は、ペチョラに着けば、Lev Izrailvich と一緒に木材工場に入り、工業地帯内部の自由労働者の一人の家屋に隠れようと計画していた。
レフは、居住地区への入口にいる監視員をやり過ごせば、発電施設での職務時間内に、そこで彼女と逢うことができるだろう。
これは、大胆でかつ危険な計画で、スヴェータを甚大な恐れに巻き込む可能性があつた。
MDV の同意なくして収容所に立ち入ることは、国家に対する重大な犯罪だった。
彼女の研究には軍事上の重要性があったので、もしも確信的「スパイ」と接触しようとして逮捕されれば、彼女自身が労働収容所へと送られただろう。
彼女を助けた者もまた全員が、面倒なことにかなっただろう。//
(17) 旅行の真の目的を隠すために、スヴェータは、ウラルの近くのKirov へと、彼女の研究所と関係のあるタイヤ工場を視察するために行くという計画を立てた。
スヴェータがモスクワに帰るのが遅れると知らせる電報を計画どおりにKirov から打てば、 Tsydzik は彼女の痕跡を抹消するのに必要な書類作業をすることになっていた。
Kirov からKotlas 経由でKozhva へ列車で行くには、一晩と一日しかかからないだろう。そのKozhva で、スヴェータはLev Izrailevich に迎えられることになっていた。
8月20日、スヴェータはレフにあててこう書いた。//
「Kirov からは地方鉄道があり、十分に利用できるので、一石二鳥です。
Mik. Al.(Tsydzik)が12日に戻れば、15日までに私は、およそ10日間の工場視察旅行を公式のものにするでしょう。
そこから、まだ仕事の旅行をしているがごとく、私は進むつもりです。切符なしで、ただビタミンC〔賄賂の金銭〕だけを持って。
切符の費用を節約します。でも、重要なのは、Kirov 往復に使う日数は私の休暇の中に含まれていない、ということです。それで、私にはさらに好都合になるでしょう。
Kirov で、およそ2、3日仕事をします(工場を一瞥し、報告書を書き、何らかの助言をするでしょう)。
旅行について少し神経質になっていると、打ち明けなければならない。
モスクワを出発すればすぐに、あなたと同名の人に電報を打ちます。そして、もう一度、Kirov から打ちます。—これらは、1ヶ月以内に起きる予定のことです。
レヴィ、増えた旅行バッグを処分するつもりはありません。
書物のいくつか(最新の英語の教科書や核関係の書物のような入手し難いもの)をP.は、見つけてくれると私に約束しました。
Nat(Natalia)とArk(Arkadevna)は明らかに、何かを、衣服、旅行用のパン等々を、送ろうとしています。
既に言ったと思うけど、私はあなたと同名の人に小荷物を送りたいのですが、今の時点で写真用具をまだ何も購入していません。…
O. B.(オルガ叔母)はなぜ、服を送ったように書物も送らないのかを、理解していません。でも、レヴィ、私はあなたに怯えています。
不機嫌なことでしょう。
父親の髭にかけて誓います。このあと十月革命30年記念日(1947年11月7日)よりも前には、威張って本屋に入らない、と。…
この手紙は、(9月)5日まではあなたに届かないでしょう。
だから、何か至急に知らせる必要があるときは、電報を打つようLev Izrailvich に頼んで下さい。私の返事は時機どおりには届かないだろうことも留意しておいて。
Kirov の郵便局留めで手紙を送ってくれることもできます。
安全のために、私がKirov にいる間は、郵便局と電話局に入って調べるでしょう。」//
10日後、スヴェータは、旅行計画をもう一度確認すべく書き送った。
「私の全ての計画に変わりはありません。つまり、15日にKirov に行き、21日にはあなたと一緒にいます。
緊急事態が生じれば、カーボン紙を使ってM(モスクワ)とKirov の郵便局留めの両方に手紙をくれるか、同名の人に電報を打つよう頼んで下さい。」//
——
第6章②、終わり。