西尾幹二における諸欠陥については、同じようなことを何度もくり返して指摘してきたし、これからもそうする必要がありそうだ。
 考え・思い、思いつき・ひらめき、これらを言葉によって表現する行為を行う者が「思想家」と称されるのならば、私も含めて、言葉を用いる全ての人間が「思想家」になる。
 以下において、「自由」とはいったい何のことか。No.2149/2020/02/15のそのままの再掲
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 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 西尾幹二に、<あなたは自由か>と問う資格があるのだろうか。
 西尾には、<あなたの「自由」とはどういう意味か>、と問う必要がある。気の毒だ。
 ①p.81-「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかったのです。/彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。
 ②p.205-「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。
 ③同上-「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。
 ④同上すぐ後-「私たちもまた天皇を背にして、<中略>…ローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」
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