レフとスヴェトラーナ。
第1章④。
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(34) 1940年1月、レフの祖母が死んだ。
スヴェータは、レフがヴァガンコフスコエ墓地に彼女を埋葬しているとき、彼のそばにいた。
(35) その翌月、レフは、(ロシア語でFIANとして知られる)レベデフ物理学研究所の技術助手になった。
彼はまだ大学の最終学年にいたが、FIANで仕事を始めたばかりの物理学部時代の友人のナウム・グリゴロフから推薦されたのだった。これは、研究の途に入るよい機会だった。
FIANという名は、ロシアの物理学者で物体に反射されるか吸収される光が与える圧力を最初に測定したピョートル・レベデフに因んでいた。そのFIANは、原子物理学研究の世界的中心の一つで、その研究計画の先端には宇宙線研究があり、レフはそれに参加するようになった。
レフは昼間は勉強していたため、実験所では夕方勤務で仕事をした。
スヴェータは、遅くまで図書館にとどまり、物理学部からミウスキ広場のFIANまで3キロを歩くことになる。
彼女は中庭のベンチに座って、レフを待った。レフはいつもだいたい8時に姿を見せて、彼女の家まで一緒に歩いた。
あるとき、レフは疲れていて実験所で眠り込んでしまい、9時過ぎまで目覚めなかった。
スヴェータはベンチで、じっと彼を待った。
寝入ってしまったと彼が言ったとき、スヴェータは笑った。
(36) その夏、レフは、コーカサスのエルブルス山に科学調査旅行に出かけた。
FIANは高山の中に研究基地をもっていて、レフのグループはそこで、宇宙線が地球の大気圏に入ってくる間際のその効果を研究することができた。
レフはその基地に3カ月いた。
スヴェータに書き送った。
「山を登って、昨日に早くも我々の小屋に入った。雄大だ。恐ろしく強い願望が出てきて、忘れられない思い出になる。」
その間のスヴェータは大学の夏季休暇で、クレムリン近くにコンクリート造りで建設されていたレーニン図書館で働いていた。そして、レフに手紙を書いた。
「図書館の前には可愛らしい広場がある。知ってますか?
そこには灌木や花が、いっぱい植えられている。
わたしの誕生日には、誰が花束を贈ってくれるつもりかしら?」
レフの予定では、9月1日にコーカサスから帰ってくることになっていた。その日はスヴェータが23歳になる10日前で、彼は誕生日にはいつも花を贈っていた。
その日までは、スヴェータは手紙を読んで済ますしかなかっただろう。
「1940年8月3日
レヴェンカ!
今日家に帰って最初にしたかった事は、自分宛ての手紙が来ていないかと尋ねることだった。
でも、きみに関して、みんなが僕を慰め始めた。それで僕は、待っているのはイリーナのハガキだというふりをした。
しかしそのときにターニャが-とても強調して-、イリーナからのハガキはないけど、きみからのものがあるに違いないと知ってる、と言った。
それでターニャにくっついて部屋から部屋を回り(きみが好きなように部屋を回れるように、扉はみんなまだ開けられていた)、ターニャに、きみからの手紙をおくれよと頼んだ。
きみのママは最後には僕を憐んで、きみの手紙を僕に渡してくれた。」
スヴェータは、自分についての新しいニュースを彼に書いた。
彼女は、図書館での常勤の仕事を提示されていた。
「私よりいい人物を、彼らは見つけないでしょう。
部屋のレイアウト、部屋の押入、戸棚、みんな私は知っている。<中略>
内外の定期刊行物を知っていて、ローマン・アルファベットの知識でもって、中国語以外のどの言語で書かれていても、雑誌の月、年、名前と価格を、私は探し出すことができる。<中略>
私には肩の上に頭があって、最優秀の脳でいっぱいではなくとも、綿毛が詰まっているわけではない。<中略>
ヴェラ・イワノーヴァは、一年後にはグループ主任になれる、と言いました。
一生ずっと図書館に居続けるのを望むのなら、これは経歴としてはよいスタートでしょう。
でも、私は一生全部を図書館で過ごしたくはない。<中略> 月曜日に、断わるつもりです。
レフ、私の健康のこと、心配しないで。
私の気分が私の身体状態によっているか、身体状態が気分によっているかのどちらかだと、貴方に言いました。
ともかく、貴方は私が手書きしたものから、私は冷静で困難を抱えていないと分かるでしょう。私には痛みも、病気のような何も、ないのです。
ママは、私には肺炎がある、と言います。
その理由-私が痩せたこと。
でも、知っているでしょう。何よりも困難だと考えていたダイエットのおかげです。そして他には、どんな兆候もありません。」//
(37) 1941年6月、レフは、FIANの同僚たちとエルブルス山への第二次調査旅行に行くことになっていた。
6月22日の日曜日の朝、彼のチームは研究所にいて、旅行の準備を終えようとしていた。
レフはよい気分だった。
大学での最終試験に合格したばかりで、学部委員会からこう告げられていた。卒業生のうち4人だけを選んで、宇宙線研究の計画のためにFIANに進むよう仕事を割り当てた、と。
レフは、そのうちの一人だつた。
彼は、6月6日の集合場所から、スヴェータの家族に手紙を書いた。
「いまここは、かなり混乱しています。
それで、我々の見通しについて、正確なことは何もお知らせできません。
多少とも分かっているのはただ一つ、徴兵委員会が軍事業務に我々を召喚するままでは、ここで生活して研究をするだろう、ということです。」//
(38) レフは、戦争の勃発に動揺していた。
数日の間、これが何を意味するのか考え及ぶことができなかった。
モスクワでの研究と生活、スヴェータとの関係。-全てが今や空中に消え失せた。
「我々は、戦時にいる」。彼は不安げに内心で語りつづけた。//
(39) レフは前線へと自発的に志願していたけれども、責任ある地位に就くのを怖れていた。
スターリンのテロルによってソヴィエト軍は絶望的に将校の数に不足しており、レフのような新参者は、戦闘をする兵士たちを指揮すべく召喚された。
わずか2年の軍事教練の後で、レフは、青年少尉の階位に達していた。これが意味したのは、30人の兵士から成る小隊の責任者に配置される可能性がある、ということだった。だが、彼には、戦術上の自信がなかった。
レフは最終的には、6人の学生と2人の大学卒業生から成る小さな補給〔兵站〕部隊の指揮者に任命された。
自分のように経験がなくも彼が失策を冒しても労働者階級出身の兵士たちよりは自分を許してくれるだろうと考えて、彼は、学生たちの小隊であることを幸運だと感じた。//
(40) レフの部隊は、モスクワの兵站基地から前線の通信大隊へと補給物品を移すこととされていた。
彼の指揮のもとに、2人のトラック運転手、2人の作業員、料理人、会計官および在庫管理者がいた。
前線に向かう途中で、彼らは、ソヴィエトのプレス報道によるプロパガンダが伝えない混沌とした状況を見た。
モスクワでは、ソヴィエト軍はドイツ軍を撃退していると報道されていた。しかし、レフは、ソヴィエト軍が混乱しつつ撤退していることを知った。森の中は兵士や民間人でいっぱいで、多数の道路が、モスクワ方面の東へと逃亡する避難者で塞がれていた。
莫大な数の人々が、殺されていた。
7月13日までにレフは、ドイツ軍によって包囲された都市、スモレンスク近くの森に到達した。
「スヴェティーク、我々は森の中にいて、日常的な仕事をしている。<中略>
私はここで、全員に食糧を与えるものと考えられている。全員とは、たんに喚くだけで食べたいものを求めてこない、ほとんどが高級の将校たちも含めて、だ。<中略>
ある程度はよい点もある。-食料庫までの旅の間は、比較的に自由だ。
スヴェータ、きみが僕に手紙を書き送ることのできる場所は、絶対にない。-みんな、ある日からその翌日まで、自分たちがどこにいるのかを知らない。
きみから報せを聞く唯一の方法は、旅の間に立ち寄ってきみの家で逢うことだ。
それがいつになるのかは、分からない。」
(41) モスクワと前線の間の何回かの旅で、レフは、兵士たちとその縁戚者のために手紙を運ぶことになる。
彼はまた、陸軍倉庫を訪れている間に、スヴェータと家族に逢っただろう。
スヴェータには逢えなかったが両親に逢えたのは、7月中の旅の1回だった。二人はレフに「食べ物と水を与え」てくれた。そのとき彼は、スヴェータ用に、手紙を残した。
9月初めの2回めの訪問のときは、スヴェータは大学に戻っていた。
レフが彼女の家族と連絡を取っておくのは、彼女と過ごすのとほとんど同様に重要なことだった。自分がどこかに属している、と感じさせたからだ。
最後の訪問の一つのとき、スヴェータの父親は、彼に一枚の紙を渡した。それにレフは、4人の親しい友人とソヴィエト同盟の多くの都市にいる親戚の者たちの住所を記した。これらの住所にいるのは、レフが前線にいて不在の間にスヴェータとその家族がモスクワから避難する場合に、彼が助けを求めるはずの人々だった。
レフは、多くを語らなかった。しかし、スヴェータの父親が、レフを息子だと考えていることは明瞭だった。
(42) 最後にモスクワを訪れたことがあった。
レフには、これがスヴェータと逢う最後の機会だと分かっていた。前線の大隊に送る補給物品の貯蔵はもう何もない、と聞かされていたからだ。
運転手にあとで会おうと言って、レフは貯蔵庫からスヴェータの家へと走った。
彼女は家にいそうではなかった-一日のど真ん中だった。しかしともあれ、誰かに別れを告げるために行く必要があった。
たぶん、スヴェータの母親か妹なら、家にいるだろう。
レフは、ドアをノックした。扉を開けたのは、スヴェータの母親のアナスタシアだった。
レフは玄関廊下に入り込んで、モスクワにあと数時間だけいる、その後で離れて前線へと出発する、と説明した。
彼は、感謝と別れの言葉を告げたかった。
レフは、母親にキスをすべきかどうか分からなかった。
アナスタシアは、大して温かみや感情を示さなかった。
彼はお辞儀をして、玄関ドアへと向かった。
しかし、母親が彼を止めた。「待って。貴方にキスをさせて」と彼女は言った。
彼女は、レフをしっかりと抱き締めた。
彼は、母親の手に接吻をし、そして去った。
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第1章、終わり。もともと、各章に表題はない。
第1章④。
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(34) 1940年1月、レフの祖母が死んだ。
スヴェータは、レフがヴァガンコフスコエ墓地に彼女を埋葬しているとき、彼のそばにいた。
(35) その翌月、レフは、(ロシア語でFIANとして知られる)レベデフ物理学研究所の技術助手になった。
彼はまだ大学の最終学年にいたが、FIANで仕事を始めたばかりの物理学部時代の友人のナウム・グリゴロフから推薦されたのだった。これは、研究の途に入るよい機会だった。
FIANという名は、ロシアの物理学者で物体に反射されるか吸収される光が与える圧力を最初に測定したピョートル・レベデフに因んでいた。そのFIANは、原子物理学研究の世界的中心の一つで、その研究計画の先端には宇宙線研究があり、レフはそれに参加するようになった。
レフは昼間は勉強していたため、実験所では夕方勤務で仕事をした。
スヴェータは、遅くまで図書館にとどまり、物理学部からミウスキ広場のFIANまで3キロを歩くことになる。
彼女は中庭のベンチに座って、レフを待った。レフはいつもだいたい8時に姿を見せて、彼女の家まで一緒に歩いた。
あるとき、レフは疲れていて実験所で眠り込んでしまい、9時過ぎまで目覚めなかった。
スヴェータはベンチで、じっと彼を待った。
寝入ってしまったと彼が言ったとき、スヴェータは笑った。
(36) その夏、レフは、コーカサスのエルブルス山に科学調査旅行に出かけた。
FIANは高山の中に研究基地をもっていて、レフのグループはそこで、宇宙線が地球の大気圏に入ってくる間際のその効果を研究することができた。
レフはその基地に3カ月いた。
スヴェータに書き送った。
「山を登って、昨日に早くも我々の小屋に入った。雄大だ。恐ろしく強い願望が出てきて、忘れられない思い出になる。」
その間のスヴェータは大学の夏季休暇で、クレムリン近くにコンクリート造りで建設されていたレーニン図書館で働いていた。そして、レフに手紙を書いた。
「図書館の前には可愛らしい広場がある。知ってますか?
そこには灌木や花が、いっぱい植えられている。
わたしの誕生日には、誰が花束を贈ってくれるつもりかしら?」
レフの予定では、9月1日にコーカサスから帰ってくることになっていた。その日はスヴェータが23歳になる10日前で、彼は誕生日にはいつも花を贈っていた。
その日までは、スヴェータは手紙を読んで済ますしかなかっただろう。
「1940年8月3日
レヴェンカ!
今日家に帰って最初にしたかった事は、自分宛ての手紙が来ていないかと尋ねることだった。
でも、きみに関して、みんなが僕を慰め始めた。それで僕は、待っているのはイリーナのハガキだというふりをした。
しかしそのときにターニャが-とても強調して-、イリーナからのハガキはないけど、きみからのものがあるに違いないと知ってる、と言った。
それでターニャにくっついて部屋から部屋を回り(きみが好きなように部屋を回れるように、扉はみんなまだ開けられていた)、ターニャに、きみからの手紙をおくれよと頼んだ。
きみのママは最後には僕を憐んで、きみの手紙を僕に渡してくれた。」
スヴェータは、自分についての新しいニュースを彼に書いた。
彼女は、図書館での常勤の仕事を提示されていた。
「私よりいい人物を、彼らは見つけないでしょう。
部屋のレイアウト、部屋の押入、戸棚、みんな私は知っている。<中略>
内外の定期刊行物を知っていて、ローマン・アルファベットの知識でもって、中国語以外のどの言語で書かれていても、雑誌の月、年、名前と価格を、私は探し出すことができる。<中略>
私には肩の上に頭があって、最優秀の脳でいっぱいではなくとも、綿毛が詰まっているわけではない。<中略>
ヴェラ・イワノーヴァは、一年後にはグループ主任になれる、と言いました。
一生ずっと図書館に居続けるのを望むのなら、これは経歴としてはよいスタートでしょう。
でも、私は一生全部を図書館で過ごしたくはない。<中略> 月曜日に、断わるつもりです。
レフ、私の健康のこと、心配しないで。
私の気分が私の身体状態によっているか、身体状態が気分によっているかのどちらかだと、貴方に言いました。
ともかく、貴方は私が手書きしたものから、私は冷静で困難を抱えていないと分かるでしょう。私には痛みも、病気のような何も、ないのです。
ママは、私には肺炎がある、と言います。
その理由-私が痩せたこと。
でも、知っているでしょう。何よりも困難だと考えていたダイエットのおかげです。そして他には、どんな兆候もありません。」//
(37) 1941年6月、レフは、FIANの同僚たちとエルブルス山への第二次調査旅行に行くことになっていた。
6月22日の日曜日の朝、彼のチームは研究所にいて、旅行の準備を終えようとしていた。
レフはよい気分だった。
大学での最終試験に合格したばかりで、学部委員会からこう告げられていた。卒業生のうち4人だけを選んで、宇宙線研究の計画のためにFIANに進むよう仕事を割り当てた、と。
レフは、そのうちの一人だつた。
彼は、6月6日の集合場所から、スヴェータの家族に手紙を書いた。
「いまここは、かなり混乱しています。
それで、我々の見通しについて、正確なことは何もお知らせできません。
多少とも分かっているのはただ一つ、徴兵委員会が軍事業務に我々を召喚するままでは、ここで生活して研究をするだろう、ということです。」//
(38) レフは、戦争の勃発に動揺していた。
数日の間、これが何を意味するのか考え及ぶことができなかった。
モスクワでの研究と生活、スヴェータとの関係。-全てが今や空中に消え失せた。
「我々は、戦時にいる」。彼は不安げに内心で語りつづけた。//
(39) レフは前線へと自発的に志願していたけれども、責任ある地位に就くのを怖れていた。
スターリンのテロルによってソヴィエト軍は絶望的に将校の数に不足しており、レフのような新参者は、戦闘をする兵士たちを指揮すべく召喚された。
わずか2年の軍事教練の後で、レフは、青年少尉の階位に達していた。これが意味したのは、30人の兵士から成る小隊の責任者に配置される可能性がある、ということだった。だが、彼には、戦術上の自信がなかった。
レフは最終的には、6人の学生と2人の大学卒業生から成る小さな補給〔兵站〕部隊の指揮者に任命された。
自分のように経験がなくも彼が失策を冒しても労働者階級出身の兵士たちよりは自分を許してくれるだろうと考えて、彼は、学生たちの小隊であることを幸運だと感じた。//
(40) レフの部隊は、モスクワの兵站基地から前線の通信大隊へと補給物品を移すこととされていた。
彼の指揮のもとに、2人のトラック運転手、2人の作業員、料理人、会計官および在庫管理者がいた。
前線に向かう途中で、彼らは、ソヴィエトのプレス報道によるプロパガンダが伝えない混沌とした状況を見た。
モスクワでは、ソヴィエト軍はドイツ軍を撃退していると報道されていた。しかし、レフは、ソヴィエト軍が混乱しつつ撤退していることを知った。森の中は兵士や民間人でいっぱいで、多数の道路が、モスクワ方面の東へと逃亡する避難者で塞がれていた。
莫大な数の人々が、殺されていた。
7月13日までにレフは、ドイツ軍によって包囲された都市、スモレンスク近くの森に到達した。
「スヴェティーク、我々は森の中にいて、日常的な仕事をしている。<中略>
私はここで、全員に食糧を与えるものと考えられている。全員とは、たんに喚くだけで食べたいものを求めてこない、ほとんどが高級の将校たちも含めて、だ。<中略>
ある程度はよい点もある。-食料庫までの旅の間は、比較的に自由だ。
スヴェータ、きみが僕に手紙を書き送ることのできる場所は、絶対にない。-みんな、ある日からその翌日まで、自分たちがどこにいるのかを知らない。
きみから報せを聞く唯一の方法は、旅の間に立ち寄ってきみの家で逢うことだ。
それがいつになるのかは、分からない。」
(41) モスクワと前線の間の何回かの旅で、レフは、兵士たちとその縁戚者のために手紙を運ぶことになる。
彼はまた、陸軍倉庫を訪れている間に、スヴェータと家族に逢っただろう。
スヴェータには逢えなかったが両親に逢えたのは、7月中の旅の1回だった。二人はレフに「食べ物と水を与え」てくれた。そのとき彼は、スヴェータ用に、手紙を残した。
9月初めの2回めの訪問のときは、スヴェータは大学に戻っていた。
レフが彼女の家族と連絡を取っておくのは、彼女と過ごすのとほとんど同様に重要なことだった。自分がどこかに属している、と感じさせたからだ。
最後の訪問の一つのとき、スヴェータの父親は、彼に一枚の紙を渡した。それにレフは、4人の親しい友人とソヴィエト同盟の多くの都市にいる親戚の者たちの住所を記した。これらの住所にいるのは、レフが前線にいて不在の間にスヴェータとその家族がモスクワから避難する場合に、彼が助けを求めるはずの人々だった。
レフは、多くを語らなかった。しかし、スヴェータの父親が、レフを息子だと考えていることは明瞭だった。
(42) 最後にモスクワを訪れたことがあった。
レフには、これがスヴェータと逢う最後の機会だと分かっていた。前線の大隊に送る補給物品の貯蔵はもう何もない、と聞かされていたからだ。
運転手にあとで会おうと言って、レフは貯蔵庫からスヴェータの家へと走った。
彼女は家にいそうではなかった-一日のど真ん中だった。しかしともあれ、誰かに別れを告げるために行く必要があった。
たぶん、スヴェータの母親か妹なら、家にいるだろう。
レフは、ドアをノックした。扉を開けたのは、スヴェータの母親のアナスタシアだった。
レフは玄関廊下に入り込んで、モスクワにあと数時間だけいる、その後で離れて前線へと出発する、と説明した。
彼は、感謝と別れの言葉を告げたかった。
レフは、母親にキスをすべきかどうか分からなかった。
アナスタシアは、大して温かみや感情を示さなかった。
彼はお辞儀をして、玄関ドアへと向かった。
しかし、母親が彼を止めた。「待って。貴方にキスをさせて」と彼女は言った。
彼女は、レフをしっかりと抱き締めた。
彼は、母親の手に接吻をし、そして去った。
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第1章、終わり。もともと、各章に表題はない。