折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
p.41~。折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)。
一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。青太字化は秋月。
***
・「神話という語は、数年来非常に、用語例をゆるやかに使われて来ている。
戦争中はもとより、戦争前からで、すでに広漠とした、延長することの出来るだけ、広い意味に使われていた。
それは、ナチス・ドイツの用語をそのまま直訳したものであろうが、-<中略>-この神話という語も、そうした象徴風な受けとり方がせられている。」
・「私ども、民俗学を研究する者の側から考えると、神話という語はすこぶる範囲を限って使うべき語となる。
普通に使われているより、さらに狭い意義なのだから、それとはよほど違うのである。
神話は神学の基礎である。
雑然と統一のない神の物語が、系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として、神学ができる。
神学のために、神話はあるのである。
従って神学のない所に、神話はない訳である。
言わば神学的神話が、学問上にいう神話なのである。」
・「神代の神話とか神話時代とか、普通称されているが、学問上から言う神話は、まだ我が国にはないと言うてよい。
日本には、ただ神々の物語があるまでである。
何故かと言えば、日本には神学がないからである。
日本には、過去の素朴な宗教精神を組織立てて系統づけた神学がなく、さらに、神学を要求する日本的な宗教もない。
それですなわち、神話もない訳である。
統一のない、単なる神々の物語は、学問的には、神話とは言わないこととするのがよいのである。
従って日本の過去の物語の中からは、神話の材料を見出すことは出来ても、神話そのものは存在しない訳である。」
----
折口信夫について、以下の著に接した。
植村和秀・折口信夫-日本の保守主義者(中公新書、2017)。
斎藤英喜・折口信夫-神性を拡張する復活の喜び (ミネルヴァ書房、2019)。
p.41~。折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)。
一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。青太字化は秋月。
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・「神話という語は、数年来非常に、用語例をゆるやかに使われて来ている。
戦争中はもとより、戦争前からで、すでに広漠とした、延長することの出来るだけ、広い意味に使われていた。
それは、ナチス・ドイツの用語をそのまま直訳したものであろうが、-<中略>-この神話という語も、そうした象徴風な受けとり方がせられている。」
・「私ども、民俗学を研究する者の側から考えると、神話という語はすこぶる範囲を限って使うべき語となる。
普通に使われているより、さらに狭い意義なのだから、それとはよほど違うのである。
神話は神学の基礎である。
雑然と統一のない神の物語が、系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として、神学ができる。
神学のために、神話はあるのである。
従って神学のない所に、神話はない訳である。
言わば神学的神話が、学問上にいう神話なのである。」
・「神代の神話とか神話時代とか、普通称されているが、学問上から言う神話は、まだ我が国にはないと言うてよい。
日本には、ただ神々の物語があるまでである。
何故かと言えば、日本には神学がないからである。
日本には、過去の素朴な宗教精神を組織立てて系統づけた神学がなく、さらに、神学を要求する日本的な宗教もない。
それですなわち、神話もない訳である。
統一のない、単なる神々の物語は、学問的には、神話とは言わないこととするのがよいのである。
従って日本の過去の物語の中からは、神話の材料を見出すことは出来ても、神話そのものは存在しない訳である。」
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折口信夫について、以下の著に接した。
植村和秀・折口信夫-日本の保守主義者(中公新書、2017)。
斎藤英喜・折口信夫-神性を拡張する復活の喜び (ミネルヴァ書房、2019)。