所功・京都の三大祭(角川ソフィア文庫、2012/角川選書1996)。
京都の三大祭の論述の前提として書かれているが、上の著の冒頭部分は京都の神社の種々の体系化・分類に役立つ。幕末での天皇の行幸先とか祈祷・神祭を命じる神社についていろいろな神社の名が出てきたりするので、主立った神社を特定して整理したいと思っていたのだが、この書の始めの部分が役立つことに気づいた(すでに傍線まで引いてあった。そして忘れていた)。
神社本庁とかによる書でどう書かれているのかを調べるのは億劫だ。
以下、序章(p.13~p.42)から、まとめる。
一 延喜式(927年)・神名式にその名が登載されている神社を「式内社」という。全国で3232座・2861所。これ以外を「式外社」という。
式内社には、神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と国司から売ける「国幣社」がある。 官幣社は、京・山城では161座・約100神社、現在の京都市域では88座になる。
「式外社」のうち、<六国史>に記載のある神社を「国史見在社」といい、山城地域に10数社ほどある。
二 平安遷都以前のおおきくは2種の「古い」神々・神社。
A/「当地にいた人々による」。
・左京区岩倉の石座神社・山住神社(のち式外社)の巨岩。
・松尾大社・稲荷大社の社殿背後の山、神山(上賀茂神社)・御蔭山(下鴨神社)。
・北野「天神」(のちに北野天満宮か)。
B/渡来氏族による。
・月読神社(今は松尾大社の摂社)。
・平野神社ー百済出身「今来」の奉斎神。
・木島坐天照御魂神社(蚕の社)。
・秦河勝による「蜂岡寺」。
・秦都理や秦伊侶巨人による松尾大社・稲荷大社の神殿建立。
・宮中内の「園韓神社」-内裏造営の際に移転せず。
・高麗人後裔による八坂法観寺、新羅から「牛頭天王」の招来。
三 平安初期の新しい神社。
①平野神社(桓武天皇外戚(高野新笠の父)神で奈良から遷祀)。
②梅宮神社(仁明天皇外戚神)。
四 延喜式前後。
A/官幣大社のうち「名神祭」と「祈雨神祭」が重なって、重視。
①上賀茂神社・下鴨神社、②松尾神社、③貴布禰(貴船)神社。
B/その他、式内社以外。
①大原野神社、②吉田神社、③石清水八幡宮、④八坂祇園社、10世紀に⑤北野天満宮。
五 平安中期-畿内と近辺の「二十二社制」/朝廷から特別の奉幣。
うち、京・山城はつぎの11。A「式内古社」・B「式内新社」に分ける。
A/①賀茂(上・下)、②松尾大社、③平野神社、④伏見稲荷大社、⑤梅宮大社、⑥貴布禰(貴船)神社。山城でないが、近江の⑦日吉社も近い。
B/①石清水、②大原野、③吉田、④祇園、⑤北野。
上のうち、「天皇行幸」等慣例化は、つぎの八社。
①賀茂、②松尾、③平野、④稲荷、⑤石清水、⑥大原野、⑦祇園、⑧北野。
六 室町時代-八社(・六社)への実質的限定。
①伊勢、②春日(奈良)/。③石清水、④賀茂、⑤平野、⑥松尾、⑦稲荷、⑧北野。
歴代足利将軍は、①石清水、②北野に各何十回も参詣。前者は源氏由緒の八幡神(応神天皇)。
応仁の乱以後、①吉田神社が、②賀茂、③松尾、④稲荷と並ぶ地位を築く。
七 明治維新・A/神仏分離。
1. 石清水「八幡大菩薩」→「八幡大神」。
2. 愛宕山「大権現」→愛宕神社(へと純化)。
3. 北野天満宮-境内の観音堂・毘沙門堂・多宝塔等を仏像・教典とともに全て撤去。
4. 伏見稲荷-境内の文殊堂・大師堂や領内の浄安寺等を撤去。
B/1872年。
・全国社寺「上知令」-境内以外の領地・境内付属地の収公。
〔*秋月-現在の円山公園は長楽寺の境内地だつた、とされる。〕
・世襲社家の一斉解職。陰暦廃止・陽暦(西洋暦)の採用。
八 新社格制度(1872年)。
A/官幣大社-①上賀茂と下鴨、②石清水八幡宮、③松尾神社、④平野神社、⑤稲荷神社、⑥八坂神社(、のち⑦吉田神社)。
B/官幣中社-①梅宮神社、②貴船神社、③大原野神社、④吉田神社、⑤北野神社。
C/別格官幣社(官幣小社と同格)-①豊国神社(1874、豊臣秀吉)、②護王神社(1873、和気清麻呂)、③建勲神社(1875、織田信長)、④梨木神社(1885、三条実万)。
九 のちの天皇神霊社。
①白峯神宮(1873年・官幣中社列格、崇徳天皇。のち1940年・官幣大社)。
②平安神宮(1895年・官幣大社列格、桓武天皇。のち1940年、孝明天皇を合祀)。
十 戦後。
すべて、一宗教法人。京都市内の宗教法人神社は300社余り。
以上。
***
これらの神社のうち、岩や山は別として、愛宕山登山に近いらしい愛宕神社を除き、全て訪問・参詣したことがある。今宮神社が出てこないのは残念だし、不思議。「蚕の社」の三柱鳥居も見た。ー3鳥居が三角形になって向かい合う。建勲神社は船岡山にあるが、眺望は期待できない。
一般の京都旅行者に、最も知られていない、馴染みがないのは、勝手な推測だが、梅宮大社(四条大宮と松尾大社の間)、ついで御所のすぐ近くだが、護王神社、ではないだろうか。
下は、木島坐天照御魂神社(蚕の社)の三柱鳥居。ネット上より。
京都の三大祭の論述の前提として書かれているが、上の著の冒頭部分は京都の神社の種々の体系化・分類に役立つ。幕末での天皇の行幸先とか祈祷・神祭を命じる神社についていろいろな神社の名が出てきたりするので、主立った神社を特定して整理したいと思っていたのだが、この書の始めの部分が役立つことに気づいた(すでに傍線まで引いてあった。そして忘れていた)。
神社本庁とかによる書でどう書かれているのかを調べるのは億劫だ。
以下、序章(p.13~p.42)から、まとめる。
一 延喜式(927年)・神名式にその名が登載されている神社を「式内社」という。全国で3232座・2861所。これ以外を「式外社」という。
式内社には、神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と国司から売ける「国幣社」がある。 官幣社は、京・山城では161座・約100神社、現在の京都市域では88座になる。
「式外社」のうち、<六国史>に記載のある神社を「国史見在社」といい、山城地域に10数社ほどある。
二 平安遷都以前のおおきくは2種の「古い」神々・神社。
A/「当地にいた人々による」。
・左京区岩倉の石座神社・山住神社(のち式外社)の巨岩。
・松尾大社・稲荷大社の社殿背後の山、神山(上賀茂神社)・御蔭山(下鴨神社)。
・北野「天神」(のちに北野天満宮か)。
B/渡来氏族による。
・月読神社(今は松尾大社の摂社)。
・平野神社ー百済出身「今来」の奉斎神。
・木島坐天照御魂神社(蚕の社)。
・秦河勝による「蜂岡寺」。
・秦都理や秦伊侶巨人による松尾大社・稲荷大社の神殿建立。
・宮中内の「園韓神社」-内裏造営の際に移転せず。
・高麗人後裔による八坂法観寺、新羅から「牛頭天王」の招来。
三 平安初期の新しい神社。
①平野神社(桓武天皇外戚(高野新笠の父)神で奈良から遷祀)。
②梅宮神社(仁明天皇外戚神)。
四 延喜式前後。
A/官幣大社のうち「名神祭」と「祈雨神祭」が重なって、重視。
①上賀茂神社・下鴨神社、②松尾神社、③貴布禰(貴船)神社。
B/その他、式内社以外。
①大原野神社、②吉田神社、③石清水八幡宮、④八坂祇園社、10世紀に⑤北野天満宮。
五 平安中期-畿内と近辺の「二十二社制」/朝廷から特別の奉幣。
うち、京・山城はつぎの11。A「式内古社」・B「式内新社」に分ける。
A/①賀茂(上・下)、②松尾大社、③平野神社、④伏見稲荷大社、⑤梅宮大社、⑥貴布禰(貴船)神社。山城でないが、近江の⑦日吉社も近い。
B/①石清水、②大原野、③吉田、④祇園、⑤北野。
上のうち、「天皇行幸」等慣例化は、つぎの八社。
①賀茂、②松尾、③平野、④稲荷、⑤石清水、⑥大原野、⑦祇園、⑧北野。
六 室町時代-八社(・六社)への実質的限定。
①伊勢、②春日(奈良)/。③石清水、④賀茂、⑤平野、⑥松尾、⑦稲荷、⑧北野。
歴代足利将軍は、①石清水、②北野に各何十回も参詣。前者は源氏由緒の八幡神(応神天皇)。
応仁の乱以後、①吉田神社が、②賀茂、③松尾、④稲荷と並ぶ地位を築く。
七 明治維新・A/神仏分離。
1. 石清水「八幡大菩薩」→「八幡大神」。
2. 愛宕山「大権現」→愛宕神社(へと純化)。
3. 北野天満宮-境内の観音堂・毘沙門堂・多宝塔等を仏像・教典とともに全て撤去。
4. 伏見稲荷-境内の文殊堂・大師堂や領内の浄安寺等を撤去。
B/1872年。
・全国社寺「上知令」-境内以外の領地・境内付属地の収公。
〔*秋月-現在の円山公園は長楽寺の境内地だつた、とされる。〕
・世襲社家の一斉解職。陰暦廃止・陽暦(西洋暦)の採用。
八 新社格制度(1872年)。
A/官幣大社-①上賀茂と下鴨、②石清水八幡宮、③松尾神社、④平野神社、⑤稲荷神社、⑥八坂神社(、のち⑦吉田神社)。
B/官幣中社-①梅宮神社、②貴船神社、③大原野神社、④吉田神社、⑤北野神社。
C/別格官幣社(官幣小社と同格)-①豊国神社(1874、豊臣秀吉)、②護王神社(1873、和気清麻呂)、③建勲神社(1875、織田信長)、④梨木神社(1885、三条実万)。
九 のちの天皇神霊社。
①白峯神宮(1873年・官幣中社列格、崇徳天皇。のち1940年・官幣大社)。
②平安神宮(1895年・官幣大社列格、桓武天皇。のち1940年、孝明天皇を合祀)。
十 戦後。
すべて、一宗教法人。京都市内の宗教法人神社は300社余り。
以上。
***
これらの神社のうち、岩や山は別として、愛宕山登山に近いらしい愛宕神社を除き、全て訪問・参詣したことがある。今宮神社が出てこないのは残念だし、不思議。「蚕の社」の三柱鳥居も見た。ー3鳥居が三角形になって向かい合う。建勲神社は船岡山にあるが、眺望は期待できない。
一般の京都旅行者に、最も知られていない、馴染みがないのは、勝手な推測だが、梅宮大社(四条大宮と松尾大社の間)、ついで御所のすぐ近くだが、護王神社、ではないだろうか。
下は、木島坐天照御魂神社(蚕の社)の三柱鳥居。ネット上より。