江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(英訳1978年)を見ていて、コミンテルンに関する叙述にさしかかり、江崎道朗の上の本のひどさ、「悲惨さと無惨さ」を思い出した。
重なるがいま一度記しておく。
江崎道朗は上の本でコミンテルンに論及したつもりで、こう豪語した。
p.95-「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
ああ恥ずかしい。
江崎道朗はコミンテルン関係文書を英語訳等の原語では見ておらず、ほとんどを網羅しているとみられる、かつ古くから日本に存在する邦語訳の資料集類をいっさい参照していない。
江崎が使っているのは、ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)に<付録>として付いている資料で、以下の4点だけ。
①1919.01.24-<レーニンによるコミンテルン第1回大会への「招待状」>。
②1920.07.28-<レーニンの「民族・植民地問題についてのテーゼ」>。
③1920.08.04-<コミンテルン「規約」>。
④1920.08.06-<レーニンの「コミンテルンへの加入条件についてのテーゼ」>。
かつ第一に、これらは付録にある全19件のうちの4件にすぎず、第二に、個々に見ても付録自体にあるこれら一次資料(邦訳)は全文ですらなく全て「一部抜粋」にすぎない。
そして、重要なことだが、第一にコミンテルンについてこれらにもとづいてのみ叙述しようとし、かつ第二に、もっぱら邦訳文に依拠していることと本来の「無知」によって、つぎのほぼ致命的なミスを活字にしてしまっている。
わずか5頁の範囲内に、つぎの三つの間違いがある。ああ恥ずかしい。
①「民主集中制」と「プロレタリア独裁」を区別せず、同じものだと理解している(p.78)。
②「社会愛国主義」は「愛国心」を持つことだと理解している(p.75)。
③ソ連未設立時の「各ソヴェト共和国」を「ソヴィエト連邦」と理解している(p.79)。
また、上は決定的、致命的なもので、誤り、勘違いは他にも多々ある。
例えば、④コミンテルン設立時にすでに「共産党」が各国にあり、ボルシェヴィキ党の呼びかけのもとにそれらが集まってコミンテルン(国際共産党?、第三インターナショナル)が結成されたとでも勘違いしているとみられる叙述もある。
⑤レーニン時代も含めて、「粛清」という語をほとんど「殺戮」と同じ意味だと理解している、またはそう理解したがっている叙述もある。
何度でも指摘しておこう。
①「民主集中制」と「プロレタリア独裁」の違いを理解していなくて、なぜ共産主義、マルクス主義またはマルクス=レーニン主義あるいはコミンテルンに関する本を書けるのか?
②「社会愛国主義」=「社会排外主義」というレーニン・ボルシェヴィキらの侮蔑語(とくに第一次大戦、対ロシア戦争に反対しなかったドイツ社会民主党に対する)を知らずして、なぜレーニンら、あるいはコミンテルンに関する本を書けるのか?
③ソ連邦=ソヴィエト社会主義共和国連邦がまだ結成されていない時期の文書中の「各ソヴェト共和国」をソ連のことだと理解する<妄想力>を、いったいどうやって身につけたのか。
なお、のちに(原稿最終提出時に?)複数のごとき「各」が付いていることに気づいたのか、ソ連以外に共産党支配の中国のことも意味する旨も記している。
この部分は、しっかりした?邦訳資料集の邦訳によるとつぎのとおり。
共産主義インターナショナルへの加入条件(1920年8月6日)。
L・コワコフスキは、「21の条件」(Twenty-One Conditions)と略記している(第三分冊、p.107.)。
村田陽一編訳・コミンテルン資料集第1巻(大月書店、1978年)に所収。
これの、第14条(の第一文)。
「共産主義インターナショナルに所属することを希望するすべての党は、反革命勢力に対する各ソヴェト共和国の闘争を全幅的に支持する義務がある。」
江崎道朗によると、1920年の文書にいうここでの「各ソヴェト共和国」とは、1922年結成のソ連邦(および1949年の中華人民共和国)なのだ。しっかりと、「あほ」だろう。
L・コワコフスキの書物(第三巻p.107)では上の「各ソヴェト共和国」の部分は、直接の引用でなくして、all existing Soviet republics になっている。原文の「条件」では少なくとも(all) Soviet republics が使われているのだろう。
これを2017年にソ連邦(および1949年の中華人民共和国)と理解する日本人がおり、かつ一冊の本にまで明記するとは、1920年のボルシェヴィキやコミンテルン関係者は誰も想像できなかったに違いない。
ついでに、上の⑤に触れる。
L・コワコフスキは粛清と大粛清とを意識的には区別していないようでもあるが、great と「大」を付加している場合は、スターリン時代のそれをもっぱら意味させているようだ。
なお、「粛清」と秋月瑛二も邦訳していることがほとんどである原英語は、purge (パージ)。いつか触れたが、日本での「レッド・パージ」は「赤」に対する「殺害・殺戮」を意味したわけではない。
この点、シェイラ・フィツパトリク(Sheila Fitspatrick)・ロシア革命(2017年)は言葉遣いにより厳しく、一般的な「粛清」はpurge、スターリン時代のそれはPurge と、小文字と大文字で使い分けている。
なぜなら、レーニン時代の共産党・ボルシェヴィキ内の「粛清」(purge)は殺害・殺戮の意味を実質的にも持たず、革命後に急速に数が増大した共産党員のうち適性・資格を欠く者の<定期的検査による除名>をほぼ意味したからだ。
時代の変化を敏感に読み取った出世主義?の者たちの大量入党者の中には、「社会主義革命」とか「プロレタリアート独裁」等の意味を全く知らなかった者もいたに違いなく、又出身階層も(農村から都市への移住者はまだマシだが)原・元の「プロレタリアート」であるのか疑わしい者もいたに違いなく、レーニンらは資格・適性の<再検討・再審査>が必要だと判断したと見える。
よって、この初期の「粛清」は殺害・殺戮の意味を帯びてはいない。
なお、L・コワコフスキ著のドイツ語訳書の「粛清」は、Säuberung。
これは「浄化」にも近く、「粛清」という訳語でも誤りではない。
もともとのロシア語は、cleansing の意味だとどこかに誰かが書いていた(S・Fitspatrick だったかもしれない)。
これは要するに「清潔にすること」、「清浄化」、「浄化」で、独語のSäuberung とたぶんほとんど同じ。
但し、英語の purge には、「追放」とか「迫害」の意味もある可能性がある。
これくらいにするが、いずれにせよ、江崎道朗には、「粛清」という言葉・概念の意味についてしっかりと吟味する姿勢自体が存在しないと推定される。
この点は、しかし、まだマシだ。
上の①~③はひどい。決定的に、悲惨で無惨。
これでよく、「コミンテルン」を表題の重要な要素にする書物を刊行できたものだ。
なお立ち入っていないが、日本の明治以降の江崎道朗の叙述もひどいものがある。
最終的には、聖徳太子の一七条の憲法-五箇条のご誓文-大日本帝国憲法を、何の論拠も示さず、いかなる詳しいまたは厳密な概念定義を示すことなく、「保守自由主義」なるもので結合させる(7世紀~19世紀!)という単純さと乱暴さ。
江崎道朗。月刊正論(産経)の毎号執筆者であり続けている。
月刊正論編集部も、天下の?産経新聞社も、<恥ずかしい>とは感じないのだろうか。
この程度の人が、何と新書一冊を出版できる、という現在の日本の<惨憺たる>知的世界、<あまりのユルさ>にも唖然とした、江崎道朗・上掲書だった。
レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(英訳1978年)を見ていて、コミンテルンに関する叙述にさしかかり、江崎道朗の上の本のひどさ、「悲惨さと無惨さ」を思い出した。
重なるがいま一度記しておく。
江崎道朗は上の本でコミンテルンに論及したつもりで、こう豪語した。
p.95-「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
ああ恥ずかしい。
江崎道朗はコミンテルン関係文書を英語訳等の原語では見ておらず、ほとんどを網羅しているとみられる、かつ古くから日本に存在する邦語訳の資料集類をいっさい参照していない。
江崎が使っているのは、ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)に<付録>として付いている資料で、以下の4点だけ。
①1919.01.24-<レーニンによるコミンテルン第1回大会への「招待状」>。
②1920.07.28-<レーニンの「民族・植民地問題についてのテーゼ」>。
③1920.08.04-<コミンテルン「規約」>。
④1920.08.06-<レーニンの「コミンテルンへの加入条件についてのテーゼ」>。
かつ第一に、これらは付録にある全19件のうちの4件にすぎず、第二に、個々に見ても付録自体にあるこれら一次資料(邦訳)は全文ですらなく全て「一部抜粋」にすぎない。
そして、重要なことだが、第一にコミンテルンについてこれらにもとづいてのみ叙述しようとし、かつ第二に、もっぱら邦訳文に依拠していることと本来の「無知」によって、つぎのほぼ致命的なミスを活字にしてしまっている。
わずか5頁の範囲内に、つぎの三つの間違いがある。ああ恥ずかしい。
①「民主集中制」と「プロレタリア独裁」を区別せず、同じものだと理解している(p.78)。
②「社会愛国主義」は「愛国心」を持つことだと理解している(p.75)。
③ソ連未設立時の「各ソヴェト共和国」を「ソヴィエト連邦」と理解している(p.79)。
また、上は決定的、致命的なもので、誤り、勘違いは他にも多々ある。
例えば、④コミンテルン設立時にすでに「共産党」が各国にあり、ボルシェヴィキ党の呼びかけのもとにそれらが集まってコミンテルン(国際共産党?、第三インターナショナル)が結成されたとでも勘違いしているとみられる叙述もある。
⑤レーニン時代も含めて、「粛清」という語をほとんど「殺戮」と同じ意味だと理解している、またはそう理解したがっている叙述もある。
何度でも指摘しておこう。
①「民主集中制」と「プロレタリア独裁」の違いを理解していなくて、なぜ共産主義、マルクス主義またはマルクス=レーニン主義あるいはコミンテルンに関する本を書けるのか?
②「社会愛国主義」=「社会排外主義」というレーニン・ボルシェヴィキらの侮蔑語(とくに第一次大戦、対ロシア戦争に反対しなかったドイツ社会民主党に対する)を知らずして、なぜレーニンら、あるいはコミンテルンに関する本を書けるのか?
③ソ連邦=ソヴィエト社会主義共和国連邦がまだ結成されていない時期の文書中の「各ソヴェト共和国」をソ連のことだと理解する<妄想力>を、いったいどうやって身につけたのか。
なお、のちに(原稿最終提出時に?)複数のごとき「各」が付いていることに気づいたのか、ソ連以外に共産党支配の中国のことも意味する旨も記している。
この部分は、しっかりした?邦訳資料集の邦訳によるとつぎのとおり。
共産主義インターナショナルへの加入条件(1920年8月6日)。
L・コワコフスキは、「21の条件」(Twenty-One Conditions)と略記している(第三分冊、p.107.)。
村田陽一編訳・コミンテルン資料集第1巻(大月書店、1978年)に所収。
これの、第14条(の第一文)。
「共産主義インターナショナルに所属することを希望するすべての党は、反革命勢力に対する各ソヴェト共和国の闘争を全幅的に支持する義務がある。」
江崎道朗によると、1920年の文書にいうここでの「各ソヴェト共和国」とは、1922年結成のソ連邦(および1949年の中華人民共和国)なのだ。しっかりと、「あほ」だろう。
L・コワコフスキの書物(第三巻p.107)では上の「各ソヴェト共和国」の部分は、直接の引用でなくして、all existing Soviet republics になっている。原文の「条件」では少なくとも(all) Soviet republics が使われているのだろう。
これを2017年にソ連邦(および1949年の中華人民共和国)と理解する日本人がおり、かつ一冊の本にまで明記するとは、1920年のボルシェヴィキやコミンテルン関係者は誰も想像できなかったに違いない。
ついでに、上の⑤に触れる。
L・コワコフスキは粛清と大粛清とを意識的には区別していないようでもあるが、great と「大」を付加している場合は、スターリン時代のそれをもっぱら意味させているようだ。
なお、「粛清」と秋月瑛二も邦訳していることがほとんどである原英語は、purge (パージ)。いつか触れたが、日本での「レッド・パージ」は「赤」に対する「殺害・殺戮」を意味したわけではない。
この点、シェイラ・フィツパトリク(Sheila Fitspatrick)・ロシア革命(2017年)は言葉遣いにより厳しく、一般的な「粛清」はpurge、スターリン時代のそれはPurge と、小文字と大文字で使い分けている。
なぜなら、レーニン時代の共産党・ボルシェヴィキ内の「粛清」(purge)は殺害・殺戮の意味を実質的にも持たず、革命後に急速に数が増大した共産党員のうち適性・資格を欠く者の<定期的検査による除名>をほぼ意味したからだ。
時代の変化を敏感に読み取った出世主義?の者たちの大量入党者の中には、「社会主義革命」とか「プロレタリアート独裁」等の意味を全く知らなかった者もいたに違いなく、又出身階層も(農村から都市への移住者はまだマシだが)原・元の「プロレタリアート」であるのか疑わしい者もいたに違いなく、レーニンらは資格・適性の<再検討・再審査>が必要だと判断したと見える。
よって、この初期の「粛清」は殺害・殺戮の意味を帯びてはいない。
なお、L・コワコフスキ著のドイツ語訳書の「粛清」は、Säuberung。
これは「浄化」にも近く、「粛清」という訳語でも誤りではない。
もともとのロシア語は、cleansing の意味だとどこかに誰かが書いていた(S・Fitspatrick だったかもしれない)。
これは要するに「清潔にすること」、「清浄化」、「浄化」で、独語のSäuberung とたぶんほとんど同じ。
但し、英語の purge には、「追放」とか「迫害」の意味もある可能性がある。
これくらいにするが、いずれにせよ、江崎道朗には、「粛清」という言葉・概念の意味についてしっかりと吟味する姿勢自体が存在しないと推定される。
この点は、しかし、まだマシだ。
上の①~③はひどい。決定的に、悲惨で無惨。
これでよく、「コミンテルン」を表題の重要な要素にする書物を刊行できたものだ。
なお立ち入っていないが、日本の明治以降の江崎道朗の叙述もひどいものがある。
最終的には、聖徳太子の一七条の憲法-五箇条のご誓文-大日本帝国憲法を、何の論拠も示さず、いかなる詳しいまたは厳密な概念定義を示すことなく、「保守自由主義」なるもので結合させる(7世紀~19世紀!)という単純さと乱暴さ。
江崎道朗。月刊正論(産経)の毎号執筆者であり続けている。
月刊正論編集部も、天下の?産経新聞社も、<恥ずかしい>とは感じないのだろうか。
この程度の人が、何と新書一冊を出版できる、という現在の日本の<惨憺たる>知的世界、<あまりのユルさ>にも唖然とした、江崎道朗・上掲書だった。