リチャード・パイプス・ボルシェヴィキ体制下のロシア。
=Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime (1995)。
第5章第5節・三つの全体主義体制に共通する特質。試訳のつづき。p.276~p.278。
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Ⅲ・党と社会③。
ムッソリーニは、ヒトラーが従った様式を基礎にした。
彼は、「自然の」、ゆえに不可侵の権利だと承認することはしないで、私有財産はファシスト国家で存在する余地があると感じていた。つまり、彼にとっては財産所有権は条件つきの権利であって、国家の利益に従属する。国家はそれに介入し、生産手段に関するかぎりは国有化によって廃止する権限をもつ。(104)
ファシスト政府はしきりに、経営が下手なため、労働関係が悪いためあるいはその他の理由の何であれ、政府の期待に添って活動しない私企業に介入した。
政府当局はしばしば、労働組合を対等な協力者と見なさなければならなったことに怒りをもつ企業経営者たちと激論した。
また、利益を「調整」し、経営者を交替させることで、生産や配分の過程にも介入した。
このような実務に言及して、当時のある人は、ファシズムのもとでは私企業は労働者と同様に統制されるのだから、それを「成功した資本主義」と見なすのは適切でない、と観察した。(105)//
ナツィスもまた、私企業を廃止する根拠はないと考えた。私企業は協力的で、ヒトラーが主要な経済目標として設定していた再軍備を助けようとしていたから。
私的事業を許すのは一時的対応措置で、信念の問題ではなかった。
ファシスト党のように、ナツィス党は私有財産の原理を承認したが、人的資源のごとく生産手段は「共同体」の利益に奉仕しなければならないという理由で、その神聖性を否定した。
あるナツィの理論家の言葉によれば、「財産権は…もはや私的事柄ではなく、一種の国家による特権であって、『適切な』用法で使われるべき条件次第で制限される」。(106)
もちろん、「私的事柄」ではない「財産権」は、もはや私的財産ではない。
国民精神を体現化する総統は、「『共同体の任務』と合致する場合には、意のままに財産権の制限または収奪を行う」権利を有する。(107)
ドイツ国家社会主義労働党が唯一の合法政党だと宣言した1933年7月14日に、ある法律が党と国家の「利益」に反する全ての財産を没収する権限を与えた。(108)
共産主義者の実務から直接に借用して同じ目的、つまり急速な再軍備、を意図するナツィの四カ年計画は、国家が経済活動に介入する権能を大きく高めた。//
『マルクス主義やネオ・マルクス主義の神話をもつ世代の者は、やはりおそらくは、1933年と1939年の間のドイツ経済のような非資本主義的な、または反資本主義的な方向にすら向かう、表向きは資本主義経済なるものを、平和時には決して知らなかった。…
第三帝国での企業の地位はよくても、屈服することが成功の条件である、不平等な相手同士の社会上の契約の産物だった。』(109)
土地を処分する農民の権利は、農民を家族の中に守るという考えから、厳格に規制された。
事業に対する干渉は恒常的にあり、株主配当金として支払うことのできる収益の高さを制限するまでになった。
ラウシュニンクは、西側の妥協者に対して1939年に、「ナツィスによるユダヤ人財産の収奪は第一歩にすぎず、ドイツの資本家と以前の支配階層の経済的地位を全体的にかつ不可逆的に破壊することの始まりだ」と警告した。(111)//
ナチズムを「ブルジョア」的性格のものだとするのは、いずれも歴史上の証拠がないと反証される二つの論拠に依拠している。
ヒトラーが権力への途上にあるときに、彼は産業界や銀行界から経済的な支援を受けた、と広く信じられてきた。
しかしながら、文書記録上の証拠が示すのは、大企業はヒトラーにわずかの金額しか与えておらず、社会主義的スローガンに疑念をもったために、ヒトラーに対抗する保守諸政党へのそれよりもはるかに少なかった、ということだ。//
『まったくの事実の歪曲のゆえにのみ、大企業者は(ワイマール)共和国の崩壊について深刻な、あるいは重大ですらある役割を果たしうることになった。…
共和国解体についての大企業の役割が誇張されてきたとすれば、そのことはヒトラーの権力掌握についてのその役割について、もっと本当のことですらある。…
国家社会主義労働党の初期の成長は、大規模な企業界からのいかなる大きな援助にもよることなく、生起した。』(112)
第二に、ナツィ体制の期間のいつのときでも大企業は政策をナツィに押しつけるのは別としてナツィの政策に抵抗できた、ということを示すことはできない。
あるドイツのマルクス主義歴史家は、ヒトラーのもとでの資本家階層の地位を、つぎのように叙述する。
『ファシズムの自己認識からすると、ファシストの統治制度の特徴は政治の優越性にある。
政治の優越がきちんと守られるかぎり、どの集団がその体制から利益を得ているかは関心のない事柄だった。
ファシストの世界観によれば、経済秩序は二次的な重要性しかもたず、したがって彼らは現存する資本主義秩序も受け入れた。』(*)
別の学者はこう書く。
『国家社会主義運動は最初から、政治決定に対して現実的な影響を与えない地位に満足しているかぎりでのみ実業家や特権階層を許容する、そういう新しくて革命的なエリートたちによる統治を目指した。』(113)
そして彼らは、余裕のある国家秩序やそれが与える収益に満足した。//
これとの関係では、レーニンはドイツ帝国政府からはもちろんロシアの富裕層から金銭を貰ことに何の呵責も感じなかった、ということを忘れるべきではない。(114)
権力へと向かっているとき彼は、資本家たち諸団体が新体制と協調関係をもって活動できるように交渉を開始して、喜んでロシアの大企業と協力した。
その計画は、共産主義を進行させようと強く主張する左翼共産主義者たちの反対によって無意味になった。(115)
しかし、意図はそこにあった。そして、かりにレーニンが新経済政策を始めた1921年にロシアの大規模な資本主義工業や商業のうちの何かが生き延びていたとするならば、彼はほとんど確実に、それと交渉を始めていただろう。//
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(104) A. James Gregor, Ideology of Fascism (New York, 1969), p.304-6.
(105) Beckrath, Wesen und Werden, p.143-4.
(106) Theodor Maunz, in: Schoenbaum, Hitler's Social Revolution, p.146-7.
Feder, Der deutsche Staat, p.22 も見よ。
(107) Schoenbaum, 引用同上, p.147.
(108) Bracher, Die deutsche Diktatur, p.247.
(109) Schoenbaum, Hitler's Social Revolution, p.114, p.116.
(110) Neumann, Permanent Revolution, p.160-p.170.
(111) Rauschning, Revolution of Nihilism, p.56.
(112) Henry A. Turner, Jr., German Big Business and the Rise of Hitler (New York, 1985), p.340-1.
(*) Axel Kuhn, Das faschistishe Herrschaftssystem (Hamburg, 1973), p.83.
この著者は、「ファシスト」をナツィの意味で用いている。
ワイマール共和国では産業界は「…統治形態に対する驚くべき無関心さを示した」、ということが指摘されてきた。Henry A. Turner , in: AHR(=American Historical Review), Vol. 75, No. 1 (1969), p.57.
(113) Neumann, Permanent Revolution, p.170.
(114) リチャード・パイプス・ロシア革命, p.193, p.369-372, p.410-2。
(115) 同上、p.676-9。
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第5節「三つの全体主義体制に共通する特質」終わり。第6節「…相違」へとつづく。
=Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime (1995)。
第5章第5節・三つの全体主義体制に共通する特質。試訳のつづき。p.276~p.278。
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Ⅲ・党と社会③。
ムッソリーニは、ヒトラーが従った様式を基礎にした。
彼は、「自然の」、ゆえに不可侵の権利だと承認することはしないで、私有財産はファシスト国家で存在する余地があると感じていた。つまり、彼にとっては財産所有権は条件つきの権利であって、国家の利益に従属する。国家はそれに介入し、生産手段に関するかぎりは国有化によって廃止する権限をもつ。(104)
ファシスト政府はしきりに、経営が下手なため、労働関係が悪いためあるいはその他の理由の何であれ、政府の期待に添って活動しない私企業に介入した。
政府当局はしばしば、労働組合を対等な協力者と見なさなければならなったことに怒りをもつ企業経営者たちと激論した。
また、利益を「調整」し、経営者を交替させることで、生産や配分の過程にも介入した。
このような実務に言及して、当時のある人は、ファシズムのもとでは私企業は労働者と同様に統制されるのだから、それを「成功した資本主義」と見なすのは適切でない、と観察した。(105)//
ナツィスもまた、私企業を廃止する根拠はないと考えた。私企業は協力的で、ヒトラーが主要な経済目標として設定していた再軍備を助けようとしていたから。
私的事業を許すのは一時的対応措置で、信念の問題ではなかった。
ファシスト党のように、ナツィス党は私有財産の原理を承認したが、人的資源のごとく生産手段は「共同体」の利益に奉仕しなければならないという理由で、その神聖性を否定した。
あるナツィの理論家の言葉によれば、「財産権は…もはや私的事柄ではなく、一種の国家による特権であって、『適切な』用法で使われるべき条件次第で制限される」。(106)
もちろん、「私的事柄」ではない「財産権」は、もはや私的財産ではない。
国民精神を体現化する総統は、「『共同体の任務』と合致する場合には、意のままに財産権の制限または収奪を行う」権利を有する。(107)
ドイツ国家社会主義労働党が唯一の合法政党だと宣言した1933年7月14日に、ある法律が党と国家の「利益」に反する全ての財産を没収する権限を与えた。(108)
共産主義者の実務から直接に借用して同じ目的、つまり急速な再軍備、を意図するナツィの四カ年計画は、国家が経済活動に介入する権能を大きく高めた。//
『マルクス主義やネオ・マルクス主義の神話をもつ世代の者は、やはりおそらくは、1933年と1939年の間のドイツ経済のような非資本主義的な、または反資本主義的な方向にすら向かう、表向きは資本主義経済なるものを、平和時には決して知らなかった。…
第三帝国での企業の地位はよくても、屈服することが成功の条件である、不平等な相手同士の社会上の契約の産物だった。』(109)
土地を処分する農民の権利は、農民を家族の中に守るという考えから、厳格に規制された。
事業に対する干渉は恒常的にあり、株主配当金として支払うことのできる収益の高さを制限するまでになった。
ラウシュニンクは、西側の妥協者に対して1939年に、「ナツィスによるユダヤ人財産の収奪は第一歩にすぎず、ドイツの資本家と以前の支配階層の経済的地位を全体的にかつ不可逆的に破壊することの始まりだ」と警告した。(111)//
ナチズムを「ブルジョア」的性格のものだとするのは、いずれも歴史上の証拠がないと反証される二つの論拠に依拠している。
ヒトラーが権力への途上にあるときに、彼は産業界や銀行界から経済的な支援を受けた、と広く信じられてきた。
しかしながら、文書記録上の証拠が示すのは、大企業はヒトラーにわずかの金額しか与えておらず、社会主義的スローガンに疑念をもったために、ヒトラーに対抗する保守諸政党へのそれよりもはるかに少なかった、ということだ。//
『まったくの事実の歪曲のゆえにのみ、大企業者は(ワイマール)共和国の崩壊について深刻な、あるいは重大ですらある役割を果たしうることになった。…
共和国解体についての大企業の役割が誇張されてきたとすれば、そのことはヒトラーの権力掌握についてのその役割について、もっと本当のことですらある。…
国家社会主義労働党の初期の成長は、大規模な企業界からのいかなる大きな援助にもよることなく、生起した。』(112)
第二に、ナツィ体制の期間のいつのときでも大企業は政策をナツィに押しつけるのは別としてナツィの政策に抵抗できた、ということを示すことはできない。
あるドイツのマルクス主義歴史家は、ヒトラーのもとでの資本家階層の地位を、つぎのように叙述する。
『ファシズムの自己認識からすると、ファシストの統治制度の特徴は政治の優越性にある。
政治の優越がきちんと守られるかぎり、どの集団がその体制から利益を得ているかは関心のない事柄だった。
ファシストの世界観によれば、経済秩序は二次的な重要性しかもたず、したがって彼らは現存する資本主義秩序も受け入れた。』(*)
別の学者はこう書く。
『国家社会主義運動は最初から、政治決定に対して現実的な影響を与えない地位に満足しているかぎりでのみ実業家や特権階層を許容する、そういう新しくて革命的なエリートたちによる統治を目指した。』(113)
そして彼らは、余裕のある国家秩序やそれが与える収益に満足した。//
これとの関係では、レーニンはドイツ帝国政府からはもちろんロシアの富裕層から金銭を貰ことに何の呵責も感じなかった、ということを忘れるべきではない。(114)
権力へと向かっているとき彼は、資本家たち諸団体が新体制と協調関係をもって活動できるように交渉を開始して、喜んでロシアの大企業と協力した。
その計画は、共産主義を進行させようと強く主張する左翼共産主義者たちの反対によって無意味になった。(115)
しかし、意図はそこにあった。そして、かりにレーニンが新経済政策を始めた1921年にロシアの大規模な資本主義工業や商業のうちの何かが生き延びていたとするならば、彼はほとんど確実に、それと交渉を始めていただろう。//
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(104) A. James Gregor, Ideology of Fascism (New York, 1969), p.304-6.
(105) Beckrath, Wesen und Werden, p.143-4.
(106) Theodor Maunz, in: Schoenbaum, Hitler's Social Revolution, p.146-7.
Feder, Der deutsche Staat, p.22 も見よ。
(107) Schoenbaum, 引用同上, p.147.
(108) Bracher, Die deutsche Diktatur, p.247.
(109) Schoenbaum, Hitler's Social Revolution, p.114, p.116.
(110) Neumann, Permanent Revolution, p.160-p.170.
(111) Rauschning, Revolution of Nihilism, p.56.
(112) Henry A. Turner, Jr., German Big Business and the Rise of Hitler (New York, 1985), p.340-1.
(*) Axel Kuhn, Das faschistishe Herrschaftssystem (Hamburg, 1973), p.83.
この著者は、「ファシスト」をナツィの意味で用いている。
ワイマール共和国では産業界は「…統治形態に対する驚くべき無関心さを示した」、ということが指摘されてきた。Henry A. Turner , in: AHR(=American Historical Review), Vol. 75, No. 1 (1969), p.57.
(113) Neumann, Permanent Revolution, p.170.
(114) リチャード・パイプス・ロシア革命, p.193, p.369-372, p.410-2。
(115) 同上、p.676-9。
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第5節「三つの全体主義体制に共通する特質」終わり。第6節「…相違」へとつづく。