相対的にはマシかもしれない西尾幹二や中西輝政も、所詮は自らの「名誉」を気にしながら生きてきていて、秋月瑛二のような無名の庶民には理解できない感覚を持っているのではないかと思ってきている。
 日本の「保守」もまた、このような人たちによって支えられているのではないように思える。
 櫻井よしこや「日本会議」派はむしろ弊害になっている。良識的な人々が「保守」思想に近づくことを阻んでいる。こんなのが「保守」なら、絶対に支持しない、と。
 「保守」系雑誌などにはいっさい登場しない論者たちや、「保守」などとは自称しない無名の多数の人たちの中にこそ、本当の「保守」的な人々はいるのではないか。
 ほんの一年余り前の文章、お二人はきちんと記憶されているだろうか。
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 安倍内閣戦後70年談話(2015)を批判しないで「沈黙している保守系のジャーナリストや評論家の多く」に「何か不純な政治的動機」があるとしたら、「まさしく『政治に譲った歴史認識』の最たるもの」だ。/
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。以上p.96-p.97。
 「保守派のオピニオン・リーダーたちが八月の『七十年談話』を、しっかり批判しておけば、安倍首相は十二月のあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」。p.101。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 以上、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)。
 「九〇年代に日本の名誉を守るために一生懸命調査し議論し論証を重ねてきた人たちは、悲しみが身に染みているに違いない。/
 あのときの論争は何だったのか、という言論のむなしさをひたすら痛恨の思いで振り返らざるを得ないであろう」。p.75。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。/
 言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。p.77。
 以上、西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」月刊正論2016年3月号(産経)。