試訳のつづき。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (Norton, 三巻合冊 2008)では、第16章第1節は、p.661-4。第二分冊(第二巻)の以下は、p.382-。
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 第1節・レーニン主義をめぐる論争②。
 レーニンは『修正主義者』だったかという問題は、レーニンの著作物とマルクスの著作物とを比較することによって、あるいはこの問題または別の問題についてマルクスならば何をしただろうかまたは何と語っただろうかという回答不能の問題を設定することによってのみ決定することができる。
 明白に、マルクスの理論は多くの箇所で不完全で曖昧だ。そして、マルクスの理論は、その教理をはっきりと侵犯することなくして、多くの矛盾する方法で『適用』されうるだろう。
 にもかかわらず、マルクス主義とレーニン主義の間の継承性に関する問題は、完全に意味がないわけではない。
 しかしながら、この問題は、『忠実性』に関してではなくて、理論の分野でマルクス主義の遺産を『適用』するまたは補足するレーニンの企てにある一般的な傾向を吟味することによって、むしろよりよく考察することができる。//
 述べたとおり、レーニンにとっては、全ての理論上の問題は、唯一の目的、革命のためのたんなる道具だった。そして、全ての人間の行い、観念、制度の意味および価値は、もっぱらこれらがもつ階級闘争との関係にあった。
 このような志向性を支持するものを、多くの理論上の文章の中で、ある階級社会における生活の全側面のうち一時性や関係性を強調したマルクスやエンゲルスの著作物に見出すのは困難ではない。
 にもかかわらず、この二人の特有の分析は、このような『還元主義』定式が示唆すると思える以上に、一般論としてより異なっており、より単純化できないものだ。
 マルクスとエンゲルスはともに、『これは革命にとって良いものか悪いものか?』という発問によって意味されている以上の、利益についての相当に広い視野を持っていた。
 他方、この発問は、レーニンにとっては、問題がそもそも重要かどうか、そうであればそれはどのように決定されるべきかに関する、全てを充足する規準だった。
 マルクスとエンゲルスには、文明の継続性に関する感覚があった。そして、彼らは、科学、芸術、道徳、および社会的諸制度の全ては階級の利益のための道具『以外の何物でもない』、とは考えなかった。
 にもかかわらず、彼らが史的唯物論を明確にする一般的定式は、レーニンが用いるのに十分だった。
 レーニンにとって、哲学的問題はそれ自体では意味をもたず、政治的闘争のためのたんなる武器だった。芸術、文学、法と制度、民主主義諸価値および宗教上の観念も、同様だった。
 この点で、レーニンは、マルクス主義から逸脱していると非難することができないだけではなく、史的唯物論の教理をマルクス以上に完全に適用した、ということができる。
 例えば、かりに法は階級闘争のための武器『以外の何物でもない』とすれば、当然に、法の支配と専横的独裁制の間に本質的な差違はない、ということになる。
 かりに政治的自由はブルジョアジーがその階級的利益のために使う道具『以外の何物でもない』とすれば、共産主義者は権力に到達したときにその価値を維持するよう強いられていると感じる必要はない、と論じるのは完全に適正だ。
 科学、哲学および芸術は階級闘争のための器官にすぎないので、哲学論文を書くことと砲火器を使うことの間には『質的な』差違はない、と理解してよいことになる。-この二つのことは、異なる場合に応じた異なる武器であるにすぎず、味方によって使われるのかそれても敵によってか、に照らして考察されるべきものだ。
 このようなレーニンの教理の見方は、ボルシェヴィキによる権力奪取以降に劇的に明確になった。しかし、こういう見方は、レーニンの初期の著作物において表明されている。
 レーニンは、見解がやや異なる別のマルクス主義者たちとの議論で、共通する教理を適用する変わらない簡潔さと一貫性で優っていた。
 レーニンの論敵たちがレーニンはマルクスが実際に言った何かと矛盾していると-例えば、『独裁』は法による拘束をうけない専制を意味しないと-指摘することができたとき、彼らは、レーニンの非正統性というよりもむしろ、マルクス自身のうちにある首尾一貫性の欠如を証明していた。//
 しかし、それでもなお、レーニンがロシアの革命運動に導入した一つまたは二つのきわめて重要な点に関する新しい発想は、マルクス主義の伝統に対する忠実性がなり疑問であることを示唆する。
 第一に、レーニンは初期の段階で、『ブルジョア革命』のための根本戦略として、プロレタリアートと農民との間の同盟を擁護した。一方で、レーニンに対する反対者たちは、ブルジョアジーとの同盟の方がこの場合の教理とより一致しているはずだ、と主張した。
 第二に、レーニンは、民族問題を、たんなる厄介な邪魔者のではなくて、その教理を社会民主主義者が発展させるべく用いることができかつそうすべき活動源の、強力な蓄蔵庫であると見た最初の人物だった。
 第三に、レーニンは、自分自身の組織上の規範と、労働者による自然発生的な突発に向けて党が採用すべき態度に関する彼自身の範型とを、定式化した。
 これら全ての点について、レーニンは改良主義者やメンシェヴィキからのみならず、ローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxemburg)のような正統派の中心人物によっても批判された。
 また、これら全ての点について、レーニンの教理は極度に実践的なものであることが判明した。そして、上記の三点の全てについて、レーニンの政策が、ボルシェヴィキ革命を成功させるために必要なものだった、とレーニンの教理に関して、安全には言うことができる。
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 第2節・党と労働者運動-意識性と随意性、へとつづく。