○ 先月14日、№1500でこう書いた。
「日本共産党の影響は、じつはかなりの程度、<保守>的世界を含むマス・メディア、出版業界にも浸透している、と感じている。
冷静で理性的な批判的感覚の矛先を、日本共産党・共産主義には向けないように、別の方向へと(別の方向とは正反対の方向を意味しない)流し込もうとする、巨大なかつ手の込んだ仕掛けが存在する、又は形成されつつある、と秋月瑛二は感じている。」
○ 日本国内では、じつに、「日本会議」なる団体も、日本共産党・共産主義に対する正面からの闘いを避けている。
その設立宣言、1997年5月30日、は言う。
「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい」。
同日の設立趣意書には、「マルクス主義」も「共産主義」も、言葉すらない。
・「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」。
これは事実の叙述なのか。「冷戦構造の崩壊」という表現の適否も疑問で、日本・東アジアでは<冷戦>はまだ続いている、とこの欄で何度も書いた。この点はさておいて、さしあたり「マルクス主義…」だけを取り上げよう。
「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」。
これはせいぜい、こう<思いたい>、というレベルの言辞ではないのか。
かりに世界で又は少なくとも日本で、「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」のだとすれば、なぜマルクスを肯定的に評価し、かつマルクスの教条にしたがってそれをロシアに現実化したロシア革命とレーニンとを基本的に賛美する政党(日本共産党)が堂々とまだあるのか ?
また、マルクスを肯定的に評価し、ロシア革命とレーニンとを基本的に擁護するかの見解を示すがごとき書物等々がなお多数公刊されているのか ?
「日本会議」の椛島有三らは、日本の<現実>を知っているのか ?
田中充子が、専門外でありながら、岩波新書で、レーニンはまだ「自由主義」的だった旨を平気で書いたのを知っているのか。
日本共産党をかりに別としても、容共産主義の書物、主張はいくらでも日本にあることを知っているのか。
非・反日本共産党系でも、マルクス・ロシア革命・レーニン擁護の共産主義団体があるのを知っているのか?
組織・団体でなくとも、<容共>学者・研究者あるいは「ジャーナリスト」類は多数いるのを知っているのか?
よくぞ、「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」などと宣言できたものだ。
客観的事実に即さないでこのように主張することは、せっかく日本共産党や「左翼」=容共の方向には向かっていない、健全な日本人に対して、「マルクス主義」・共産主義対する闘いはもうしなくてよい、と主張していることとほとんど変わりはない。
日本の<保守>派の多くが、この「日本会議」の宣言書のように理解している可能性がある。
自分たちは<保守>だが、反共産主義・反日本共産党の運動はもうしなくてよい、なぜならば、「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」からだ。
馬鹿なことを言ってはいけない。
①<保守>派論者がほとんど共産主義・マルクス主義の正確な内容やその歴史に関心を示さないこと、②日本および世界で共産主義「理論」が「現実政治」に与えている影響についての関心もきわめて乏しいこと、かつまた③懸命に<天皇を戴く国のありよう>だけは護持したいとするのが<保守>だ(産経新聞社、元月刊正論「編集代表」・桑原聡)などと説くだけの<保守>派が少なからずいること、こうしたことの原因の一つは、上記のようなことを平気で謳っている、「日本会議」なるものの存在にもある、と断言できる。
「日本会議」の主張は、さらに継続的に、今後も研究・分析していく。1997年5月設立、この点も重要。
当然に、入手可能ならば、椛島有三の書物の原物も、読む(すでに一部読んだ)。
椛島有三(かばしま-)。
「日本会議」事務総長、櫻井よしこ共同代表の「日本の美しい憲法をつくる会」事務局長、そして櫻井よしこ理事長の「国家基本問題研究所」事務局長。
なお、<各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入>している、という時代認識も、陳腐なものだ。
全体として誤りだとは言わないが、中国・北朝鮮・キューバ等、そしてまた長く「共産主義」の支配を受けたロシアの存在を視野に入れれば、「各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代」だという認識自体がすでにある程度は狂っている。
ロシア革命/レーニン・スターリン/コミンテルン、あるいは根本教条である「マルクス主義」の知識の一欠片くらいはなくして、中国・北朝鮮さらには東欧諸国、そしてロシア・ウクライナの対立など、今の世界政治をリアルに見ることは不可能だろう。
マルクスあるいはロシア革命を知らずして(さらには欧米 Liberal Democracy も知らずして)、「日本」の独自性だけを主張しておけばよいのか ? その場合の「日本」とは、具体的にいったい何のことなのだ。日本=「天皇」=「神道」なのか??
冗談は、ほどほどにしていただきたい。
親「日本会議」の人々は、冷静にならなければならない。
「日本会議」が日本共産党や「左翼」から批判されているからといって、「日本会議」が日本共産党や「左翼」と真反対にいて、これらと正面から闘っていることになるのでは、論理的にも全くならない。
日本人の健康な、せっかくの反「共産主義」気分、せっかくの反「左翼」気分を、<特定の>活動団体に利用されてはいけない。
○ 冒頭に掲記の文章は、翻訳書も含む日本の出版業界も、念頭に置いている。
もともと、これについて書く予定だったが、つぎの機会とする。
「日本共産党の影響は、じつはかなりの程度、<保守>的世界を含むマス・メディア、出版業界にも浸透している、と感じている。
冷静で理性的な批判的感覚の矛先を、日本共産党・共産主義には向けないように、別の方向へと(別の方向とは正反対の方向を意味しない)流し込もうとする、巨大なかつ手の込んだ仕掛けが存在する、又は形成されつつある、と秋月瑛二は感じている。」
○ 日本国内では、じつに、「日本会議」なる団体も、日本共産党・共産主義に対する正面からの闘いを避けている。
その設立宣言、1997年5月30日、は言う。
「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい」。
同日の設立趣意書には、「マルクス主義」も「共産主義」も、言葉すらない。
・「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」。
これは事実の叙述なのか。「冷戦構造の崩壊」という表現の適否も疑問で、日本・東アジアでは<冷戦>はまだ続いている、とこの欄で何度も書いた。この点はさておいて、さしあたり「マルクス主義…」だけを取り上げよう。
「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」。
これはせいぜい、こう<思いたい>、というレベルの言辞ではないのか。
かりに世界で又は少なくとも日本で、「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」のだとすれば、なぜマルクスを肯定的に評価し、かつマルクスの教条にしたがってそれをロシアに現実化したロシア革命とレーニンとを基本的に賛美する政党(日本共産党)が堂々とまだあるのか ?
また、マルクスを肯定的に評価し、ロシア革命とレーニンとを基本的に擁護するかの見解を示すがごとき書物等々がなお多数公刊されているのか ?
「日本会議」の椛島有三らは、日本の<現実>を知っているのか ?
田中充子が、専門外でありながら、岩波新書で、レーニンはまだ「自由主義」的だった旨を平気で書いたのを知っているのか。
日本共産党をかりに別としても、容共産主義の書物、主張はいくらでも日本にあることを知っているのか。
非・反日本共産党系でも、マルクス・ロシア革命・レーニン擁護の共産主義団体があるのを知っているのか?
組織・団体でなくとも、<容共>学者・研究者あるいは「ジャーナリスト」類は多数いるのを知っているのか?
よくぞ、「マルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」などと宣言できたものだ。
客観的事実に即さないでこのように主張することは、せっかく日本共産党や「左翼」=容共の方向には向かっていない、健全な日本人に対して、「マルクス主義」・共産主義対する闘いはもうしなくてよい、と主張していることとほとんど変わりはない。
日本の<保守>派の多くが、この「日本会議」の宣言書のように理解している可能性がある。
自分たちは<保守>だが、反共産主義・反日本共産党の運動はもうしなくてよい、なぜならば、「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」からだ。
馬鹿なことを言ってはいけない。
①<保守>派論者がほとんど共産主義・マルクス主義の正確な内容やその歴史に関心を示さないこと、②日本および世界で共産主義「理論」が「現実政治」に与えている影響についての関心もきわめて乏しいこと、かつまた③懸命に<天皇を戴く国のありよう>だけは護持したいとするのが<保守>だ(産経新聞社、元月刊正論「編集代表」・桑原聡)などと説くだけの<保守>派が少なからずいること、こうしたことの原因の一つは、上記のようなことを平気で謳っている、「日本会議」なるものの存在にもある、と断言できる。
「日本会議」の主張は、さらに継続的に、今後も研究・分析していく。1997年5月設立、この点も重要。
当然に、入手可能ならば、椛島有三の書物の原物も、読む(すでに一部読んだ)。
椛島有三(かばしま-)。
「日本会議」事務総長、櫻井よしこ共同代表の「日本の美しい憲法をつくる会」事務局長、そして櫻井よしこ理事長の「国家基本問題研究所」事務局長。
なお、<各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入>している、という時代認識も、陳腐なものだ。
全体として誤りだとは言わないが、中国・北朝鮮・キューバ等、そしてまた長く「共産主義」の支配を受けたロシアの存在を視野に入れれば、「各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代」だという認識自体がすでにある程度は狂っている。
ロシア革命/レーニン・スターリン/コミンテルン、あるいは根本教条である「マルクス主義」の知識の一欠片くらいはなくして、中国・北朝鮮さらには東欧諸国、そしてロシア・ウクライナの対立など、今の世界政治をリアルに見ることは不可能だろう。
マルクスあるいはロシア革命を知らずして(さらには欧米 Liberal Democracy も知らずして)、「日本」の独自性だけを主張しておけばよいのか ? その場合の「日本」とは、具体的にいったい何のことなのだ。日本=「天皇」=「神道」なのか??
冗談は、ほどほどにしていただきたい。
親「日本会議」の人々は、冷静にならなければならない。
「日本会議」が日本共産党や「左翼」から批判されているからといって、「日本会議」が日本共産党や「左翼」と真反対にいて、これらと正面から闘っていることになるのでは、論理的にも全くならない。
日本人の健康な、せっかくの反「共産主義」気分、せっかくの反「左翼」気分を、<特定の>活動団体に利用されてはいけない。
○ 冒頭に掲記の文章は、翻訳書も含む日本の出版業界も、念頭に置いている。
もともと、これについて書く予定だったが、つぎの機会とする。