1) 「民主主義対ファシズム」。
2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
○これらは強いて対立軸をつくって思考する場合の、論争点または基本論点のようなものだ。一斉に雪崩を打って勝つ場合もあれば、別のものの勝利・克服を前提にしてつぎに進めるという性格のものもあるかもしれない。だが一般的イメージとしては、これらは不可分に絡んでいて、どの面・層あるいは相についても一定の闘いの前進が別の面・層あるいは相についての闘いにもよい影響を与える、という関係にある。
物事の、あるいは「時代思想」の理解は、複合的に、種々の相・面・層があることを知った上でおこなわれなければならない。上の三項は、たぶんまだ最小限度の<手がかり>だ。
○「闘い」という言葉は、本来は好みではない。
「闘い」と言えば、全てを「こっち」と「 あっち」の、「こちら側」と「あちら側」の「味方」と「敵」の闘いであるように世の中を描くことが好きな人たちもいる。
日本共産党にとって、党員は「こちら」・「味方」の中核だろうが、<同伴者(fellow-traveller)>も<共感者(sympathizer)>も大切な「こちら側」の人々に違いない。
だが、<敵か味方>かという発想は、その間にどっちつかずの「中間」があるとしても<二元的思考>・<二項対立思考>の典型的なものに他ならない。また、<自分と自分たち>中心の社会や人間の見方であって、きわめて傲慢な見方だとも言える。
この人たちはなぜか<闘い>というのが、好きだ。日本共産党の歴史に関する文書にいや「歴史」文書という大仰なものでなくとも、いったい何度、<~と闘いました>とか<~闘ってきました>という言葉が出てくるか、誰か数えてみるとよい。
戦争も闘いの一種だろう。
レーニンが書いたり演説したりしている中に「闘い」というのは、やはりよく出てくる。
そして、「橋頭堡」とか「管制高地」とかの、本来は軍事用語ではないかという言葉も出てくる。
あくまでも一種の比喩的な用法だろうと思っていたが、凡人ないし素人とレーニンはさすがに異なる種類の人間だ。
レーニンがメンシェヴィキとか左翼エスエルとかとの闘争について「戦争(war)」という言葉を使っていて、おののくがごとく驚いたことがある。
なるほどレーニン・ボルシェヴィキは、政権奪取するや、旧帝制軍隊の一部から成る、あるいはそれらから成長した<白軍>・<白衛軍>等と紛れもなく<国内戦争>、つまり<内戦(civil)>を闘った。また、農民や兵士たちの反乱との闘いも「戦争」で、<内戦>の一種だっただう。
レーニンの意識としては、白軍や反乱農民たちとの戦いは、どれほど信じていたかは分からないが、他国の帝国主義者によって支援されたロシアにも残存するブルジョアジーとの「戦争」だ。あるいは、「ブルジョアジー対プロレタリアート」の戦争だと解してこそ、正義感をもちつつ勇敢に戦うことができる。「戦う」と言葉では簡単に書けるが、要するに<殺し合い>だ。
メンシェヴィキとかエスエルとの闘いも、これらの背後に資本主義やブルジョアジーを見るかぎりは、「闘い」は「戦い」であり、「戦争」に他ならなかった。「見せしめ」裁判とその後の公開処刑も、彼らとの「戦い」=war(戦争)だったのだ。
1917年「10月」までもやるかやられるかの「戦争」だったかもしれないが、レーニンは終生、「戦争」をしながら生きた。彼は軍最高司令官でもあった。「戦争」において、反抗する人々はいくら殺戮しても、あるいは自然に餓死させても、何ら「良心の呵責」は生じなかったに違いない。「戦争」なのだ。「勝利」しなければ自分と自分たちの身が危ないのだ。
○上に書いた中に、「天皇」とか「愛国」が出てこないのはおかしい。この人物は<左翼>だろうと、大まじめに論じる人が、日本の<保守>と言われる者たちの中に、自分たちこそ<(真の)保守>だと思っている者たちの中に、必ずいる。
産経新聞社の桑原聡は月刊正論編集部を退くにあたって 同誌2013年11月号で「保守のみなさん、……おおらかに共闘しましょうよ」と自らの編集姿勢はどうだったかを棚に上げたうえで、つぎのように書いた。-「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
ここで彼は、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だと強く意識していることを示している。
たまたま桑原聡にまた登場してもらったが、<天皇を中心にいただく国のあり方>、これを暫定的に<天皇主義>と言うとすれば、これの賛同者はけっこう少なくないように感じる。<天皇主義>はあくまで象徴的、代表的な表現で、要するに<日本の伝統と歴史を守る>のが「保守」だとの考え方であり、<日本の伝統と歴史>を受け継ぐ、それを象徴するものこそ、悠久の長い歴史のある天皇・皇室制度だ、というわけだ。
場合によっては「日本主義」と言ってよく、そうすると私=秋月瑛二が長期的には想定する日本主義との違いを問題にしなければならない。
いや、そのあたりに既に実際には少しは入っているのだが、上に示した、1) 「民主主義対ファシズム」、2) 反「共産主義(communism)」、3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」と「天皇主義」は、どう関係するのか、しないのか。
あるいはまた、近年の櫻井よしこの主張・議論は、いったいどの相・面・層に関係しいるのか。
いろいろな論者がいろいろなことを言い、主張している。
上のようなポイントの所在の指摘は、それらは一体どのあたりに位置づけられる論点についての主張や議論なのかを定位するのに、少しは役立つに違いない。
月刊正論2017年3月号59頁に、菅原慎太郎を代表とする「月刊正論編集部」は<保守の指標>として「①伝統・歴史的連続性、②国家と共同体と家族、③国防と戦没者への慰霊、④反共」の4項を挙げている(丸数字はもともとはない)。
もともとその「保守と自称保守マップ」がいい加減なものだから、この「保守の指標」もまるでアテにならないのだが、例えば、「④反共と①伝統・歴史的連続性(の保持)」の論理的関係は ?、「④反共と②国家と共同体と家族(の保持)」の論理的関係は ?と問われて、代表者・菅原慎太郎は適確に回答できる用意があるのだろうか。
むしろ最近の櫻井よしこの主張に特徴的な、「神道・天皇(・皇室)」主義らしきものを取り上げてみたいのだが、上記のとおり、これら、「神道・天皇(・皇室)」は秋月瑛二の基礎的タームには入ってこない。
それはそれで理由があることなので、別にじっくり説明する必要がある。
2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
○これらは強いて対立軸をつくって思考する場合の、論争点または基本論点のようなものだ。一斉に雪崩を打って勝つ場合もあれば、別のものの勝利・克服を前提にしてつぎに進めるという性格のものもあるかもしれない。だが一般的イメージとしては、これらは不可分に絡んでいて、どの面・層あるいは相についても一定の闘いの前進が別の面・層あるいは相についての闘いにもよい影響を与える、という関係にある。
物事の、あるいは「時代思想」の理解は、複合的に、種々の相・面・層があることを知った上でおこなわれなければならない。上の三項は、たぶんまだ最小限度の<手がかり>だ。
○「闘い」という言葉は、本来は好みではない。
「闘い」と言えば、全てを「こっち」と「 あっち」の、「こちら側」と「あちら側」の「味方」と「敵」の闘いであるように世の中を描くことが好きな人たちもいる。
日本共産党にとって、党員は「こちら」・「味方」の中核だろうが、<同伴者(fellow-traveller)>も<共感者(sympathizer)>も大切な「こちら側」の人々に違いない。
だが、<敵か味方>かという発想は、その間にどっちつかずの「中間」があるとしても<二元的思考>・<二項対立思考>の典型的なものに他ならない。また、<自分と自分たち>中心の社会や人間の見方であって、きわめて傲慢な見方だとも言える。
この人たちはなぜか<闘い>というのが、好きだ。日本共産党の歴史に関する文書にいや「歴史」文書という大仰なものでなくとも、いったい何度、<~と闘いました>とか<~闘ってきました>という言葉が出てくるか、誰か数えてみるとよい。
戦争も闘いの一種だろう。
レーニンが書いたり演説したりしている中に「闘い」というのは、やはりよく出てくる。
そして、「橋頭堡」とか「管制高地」とかの、本来は軍事用語ではないかという言葉も出てくる。
あくまでも一種の比喩的な用法だろうと思っていたが、凡人ないし素人とレーニンはさすがに異なる種類の人間だ。
レーニンがメンシェヴィキとか左翼エスエルとかとの闘争について「戦争(war)」という言葉を使っていて、おののくがごとく驚いたことがある。
なるほどレーニン・ボルシェヴィキは、政権奪取するや、旧帝制軍隊の一部から成る、あるいはそれらから成長した<白軍>・<白衛軍>等と紛れもなく<国内戦争>、つまり<内戦(civil)>を闘った。また、農民や兵士たちの反乱との闘いも「戦争」で、<内戦>の一種だっただう。
レーニンの意識としては、白軍や反乱農民たちとの戦いは、どれほど信じていたかは分からないが、他国の帝国主義者によって支援されたロシアにも残存するブルジョアジーとの「戦争」だ。あるいは、「ブルジョアジー対プロレタリアート」の戦争だと解してこそ、正義感をもちつつ勇敢に戦うことができる。「戦う」と言葉では簡単に書けるが、要するに<殺し合い>だ。
メンシェヴィキとかエスエルとの闘いも、これらの背後に資本主義やブルジョアジーを見るかぎりは、「闘い」は「戦い」であり、「戦争」に他ならなかった。「見せしめ」裁判とその後の公開処刑も、彼らとの「戦い」=war(戦争)だったのだ。
1917年「10月」までもやるかやられるかの「戦争」だったかもしれないが、レーニンは終生、「戦争」をしながら生きた。彼は軍最高司令官でもあった。「戦争」において、反抗する人々はいくら殺戮しても、あるいは自然に餓死させても、何ら「良心の呵責」は生じなかったに違いない。「戦争」なのだ。「勝利」しなければ自分と自分たちの身が危ないのだ。
○上に書いた中に、「天皇」とか「愛国」が出てこないのはおかしい。この人物は<左翼>だろうと、大まじめに論じる人が、日本の<保守>と言われる者たちの中に、自分たちこそ<(真の)保守>だと思っている者たちの中に、必ずいる。
産経新聞社の桑原聡は月刊正論編集部を退くにあたって 同誌2013年11月号で「保守のみなさん、……おおらかに共闘しましょうよ」と自らの編集姿勢はどうだったかを棚に上げたうえで、つぎのように書いた。-「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
ここで彼は、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だと強く意識していることを示している。
たまたま桑原聡にまた登場してもらったが、<天皇を中心にいただく国のあり方>、これを暫定的に<天皇主義>と言うとすれば、これの賛同者はけっこう少なくないように感じる。<天皇主義>はあくまで象徴的、代表的な表現で、要するに<日本の伝統と歴史を守る>のが「保守」だとの考え方であり、<日本の伝統と歴史>を受け継ぐ、それを象徴するものこそ、悠久の長い歴史のある天皇・皇室制度だ、というわけだ。
場合によっては「日本主義」と言ってよく、そうすると私=秋月瑛二が長期的には想定する日本主義との違いを問題にしなければならない。
いや、そのあたりに既に実際には少しは入っているのだが、上に示した、1) 「民主主義対ファシズム」、2) 反「共産主義(communism)」、3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」と「天皇主義」は、どう関係するのか、しないのか。
あるいはまた、近年の櫻井よしこの主張・議論は、いったいどの相・面・層に関係しいるのか。
いろいろな論者がいろいろなことを言い、主張している。
上のようなポイントの所在の指摘は、それらは一体どのあたりに位置づけられる論点についての主張や議論なのかを定位するのに、少しは役立つに違いない。
月刊正論2017年3月号59頁に、菅原慎太郎を代表とする「月刊正論編集部」は<保守の指標>として「①伝統・歴史的連続性、②国家と共同体と家族、③国防と戦没者への慰霊、④反共」の4項を挙げている(丸数字はもともとはない)。
もともとその「保守と自称保守マップ」がいい加減なものだから、この「保守の指標」もまるでアテにならないのだが、例えば、「④反共と①伝統・歴史的連続性(の保持)」の論理的関係は ?、「④反共と②国家と共同体と家族(の保持)」の論理的関係は ?と問われて、代表者・菅原慎太郎は適確に回答できる用意があるのだろうか。
むしろ最近の櫻井よしこの主張に特徴的な、「神道・天皇(・皇室)」主義らしきものを取り上げてみたいのだが、上記のとおり、これら、「神道・天皇(・皇室)」は秋月瑛二の基礎的タームには入ってこない。
それはそれで理由があることなので、別にじっくり説明する必要がある。