一 何となく現在の日本の基本思潮・政治思想の4分類を思い浮かべていたときだったことにもよるが、月刊正論3月号(産経)によるたった一頁のマップを素材に、いろいろなことが書けるものだ。
 本当はもはや広義での<保守>(反共産主義)内部での分類や対立・論争に、あまり興味はない。昨年2016年4月のこの欄で書いたように、日本の<保守>というものに、うんざり・げんなりしているからだ(だからといって勿論、<反共産主義(・「自由」)>の考え方を捨てているわけではない)。
 とはいえ、あらためて記しておきたいことがあるので、前回からさらに続ける。
 既に、月刊正論編集部のマップについて「笑わせる」、と書いたことにかかわる。
 二 反共産主義こそ保守だ、という見地に立って保守(反共産主義)か否かを分ければ、<保守>はかなり広く理解されることになる。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>、ということになる。
 かなり緩やかな理解なのかもしれないが、総じてこの程度に理解しておかないと、<保守・ナショナル>だけでは、例えば憲法改正もおぼつかない。また、<保守・ナショナル>だけが、産経新聞・月刊正論の好きな自民党・安倍内閣を支えているわけではない(同内閣をより支えているのは、産経新聞のではなく、より読売新聞の読者たちだろう)。
 だが、かりに<日本の国益と日本人の名誉>を守るか守らないか、これに利するか反するか、という基準によって<保守>か<左翼>かを分けた場合、産経新聞主流派と月刊正論編集部は、間違いなく<左翼>だ
 すでに、月刊正論編集部が<自虐>に対する<自尊>派だと産経新聞を位置づけていることについて「笑わせる」と書いた。
 産経新聞主流派(阿比留某も)や月刊正論編集部の基調は、戦後70年安倍談話を基本的に支持・擁護しているからだ。
 例えば阿比留瑠比は最近(ネットで見たが)、2016年安倍談話・日韓最終合意文書に対する「感情的な反発」が理解できない、とか書いている。そのような主張こそが、私には理解できない。
 子細に立ち入るのは面倒だから、この欄ではそのまま全文(と英訳文)を掲載しておくにとどめたが、上記安倍談話の例えば以下は、村山談話・菅直人談話と同じ趣旨で、1931年~1945年の日本国家の行動を<悪いことをした>と反省し、謝罪するものではないか ? そして、従来の内閣の見解を今後も揺るぎないものとして継承する、と明言しているのではないのか ?。
 渡部昇一や櫻井よしこもそうだが、産経新聞社には、ふつうに日本語文の意味を理解できる者はいないのか。
 ①第一次大戦後の人々は「国際連盟を創設し、不戦条約を生み出し」、「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれ」た。/「当初は、日本も足並みを揃え」たが、……「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試み」た。「こうして、日本は、世界の大勢を見失ってい」った。
 ②「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となってい」った。「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行」った。
 ③「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはな」らない。
 ④「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」。/「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓」った。
 ⑤「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」た。…。/「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」だ。
 いちいち立ち入らないが、④は、「事変、侵略、戦争」(・武力の威嚇や行使)、「植民地支配」は「もう二度と」しない、ということであり、つまりは、かつて、不当な「事変、侵略、戦争」や「植民地支配」をした、ということの自認ではないか。
 ⑤は、「先の大戦」の日本国家の行為について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」することは、安倍晋三内閣の立場でもある、ということの明言ではないのか。
 「痛切な反省と心からのお詫び」とは、常識的に理解して<謝罪>を含むものではないのか。<悪いことをしました。強く反省して、詫びます>と安倍首相率いる安倍内閣は、日本社会党員の村山富市らと同様に明言したのだ。
 この言葉を、例えばいわゆるA級戦犯者や「英霊」は(かりに「霊魂」が存在するとすれば)、どういう気持ちで聞くと、阿比留某ら産経新聞社の幹部たちは想像するのか、ぜひ答えていただきたい。また、このようなかたちで国家・日本と国民・日本人の「歴史」観を公式に(内閣として)表明してよいのか、ぜひ答えていただきたい。これは、現在および将来の、日本国家・国民についての<歴史教育>や「国民精神」形成の内容にもかかわる、根本的な問題だ。
 レトリック的なものに救いを求めてはいけない。
 上記安倍談話は本体Aと飾りBから成るが、朝日新聞らはBの部分を批判して、Aの部分も真意か否か疑わしい、という書き方をした。
 産経新聞や月刊正論は、朝日新聞とは反対に、Bの部分を擁護し、かつAの部分を堂々と批判すべきだったのだ。 
上の二つの違いは、容易にわかるだろう。批判したからといって、朝日新聞と同じ主張をするわけではない。また、産経新聞がそうしたからといって、安倍内閣が倒れたとも思わない。
 安倍内閣をとにかく支持・擁護しなければならないという<政治的判断>を先行させたのが、産経新聞であり、月刊正論編集部だ。渡部昇一、櫻井よしこらも同じ。朝日新聞について「政治活動家団体・集団」と論難したことがあったが、かなりの程度、産経新聞もまた<政治活動家団体>だろう(当然に、読者数と売り上げを気にする「商業新聞」・「商業雑誌」でもある)。
 何が<自尊>派だ。「笑わせる」。そのような美しいものではない。
 短期的にも長期的にも、同安倍談話は、<日本の国益と日本人の名誉>を損ねた、と思われる。ついでにいえば、上の③のとくに女性への言及は、同年末の<日本軍の関与による慰安婦問題>について謝罪する、という趣旨の日韓合意の先取り的意味を持ったに違いない(そのように受け止められても仕方がない)ものだつた。
 これを批判できない産経新聞・月刊正論編集部がなぜ、上の限定的な意味での<保守>なのか。上に述べたかぎりでの論点では、明らかに、朝日新聞と同じく<左翼>だ。
 三 というわけで、月刊正論編集部によるマップの右上の記載は、全くの<欺瞞>だ。つまり<大ウソ>だ。
 マップの上に「保守の指標」として「反共」のほかに3つを書いているが、産経新聞・月刊正論編集部は、第三にいう「戦没者への慰霊」にならない安倍内閣談話を支持した。したがって、自らのいう「保守」ではない。
 また、第一の「伝統・歴史的連続性」とは何か。
 例えば、明治維新を支持・擁護する前提に立っているような<保守>論者が多く、櫻井よしこのごとくとくに「五箇条の御誓文」なるものの支持・擁護を明言する者もいるが、明治維新とは、「伝統・歴史的連続性」を保ったものと言えるのだろうか ? 江戸幕藩体制から見て<非連続>だからこそ「新しい」もので、教科書的には「五箇条の御誓文」はその新理念を宣明したものではなかったのだろうか ?  要するに、「歴史的連続性」とは何を意味させているつもりなのか。なお、日本の歴史は、明治維新から始まるのでは全くない。
 第二の「国家と共同体と家族」の意味も、詳細な説明がないと、厳密には不明瞭だ。
 例えば、渡部昇一や櫻井よしこにも尋ねたいものだが、「保守」だという産経新聞主流派や月刊正論編集部は、明治憲法期の、旧民法上の「家族」制度を復活させたいのだろうか。
 いやそのままではなく、基本的精神においてだというならば、「基本的精神」も不分明な言葉だが、簡単に「家族」と、編集部名で軽々しく記載しない方がよいと思われる。
 現憲法の婚姻関係条項をどのように改めるのか、さらに正確には、現民法の婚姻・家族条項(いわゆる「親族法」部分)をどのように改めるつもりなのかの草案またはイメージくらいは用意して、「家族」について語るべきだろう。このことは、たんに現憲法に「家族」という言葉がないこと等を批判しているだけだとも思われる、<保守>派にも、つまり渡部昇一や櫻井よしこらにもいえる。<精神論>・<観念論>だけでは役に立たない、ということを知るべきだ。
 四 無駄なことを書いてしまった、という気もする。だが、何かを表現しておかないと、生きている徴(しるし)にならない。