月刊正論編集部作成の四分けマップと新聞社等の位置づけは、自己中心的なものだ。
 かりにこれによる二つの大きな基準によってすら、産経そして月刊正論は、前回でも触れたように、「歴史認識」問題では決して<自尊>派ではなく、大きく<自虐>派へと移行している。それは、2015年8月安倍談話以降、ぴたりと<歴史戦>と呼号( ?)しなくなったことでも分かるし、月刊正論の背表紙の文字のこの時点前後を比べれば一目瞭然だ。月刊正論編集部・菅原慎太郎らは、ごまかさない方がよい。
 また、自民党はこのマップではやはりどちらかというと「自尊派」に傾斜して位置づけられているが、実態は、少なくとも上の談話以降、読売新聞と同様の<リベラル保守>、月刊正論編集部による<自虐(保守)>派であることを明らかにしている。稲田朋美も下村博文も、おそらく誰も、自民党内では戦後70年談話に異議を挿まなかった。
 ほかにも難点はある。例えば、朝日新聞・毎日新聞が<対米不信>派に分類されているが、アメリカのメディアや同民主党政権の意向・考え方を利用して、いわば対米追随的に、日本の<自尊>派、または私のいう<保守・ナショナル>派を批判してきたことは周知のことだ。日本共産党と朝日新聞らをごっちゃにする月刊正論編集部の見方は、そもそも<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準にすること自体が適切ではないことを示している。
 また、月刊正論編集部によれば、第4象限の<対米不信・自尊>派にはほとんど何も分類されなくなる。政党では辛うじて「日本のこころ」がこれに近いことが示されているにとどまる。
 だが、「保守」論壇人を見ると、「自由と民主主義はもうやめる」と書いた佐伯啓思や西部邁らの<表現者>グループは、月刊正論編集部のいう<対米不信・自尊>派だろう。
 そして、広義での「保守」が1・2・4の三象限を占めてしまい。いわゆる「左翼」は第3象限にしか位置づけられなくなる。
 現実は、保守対「左翼」が3対1ということはない。
 秋月瑛二の分類では、西部邁・佐伯啓思・西田昌司らの<表現者>グループは、<保守・ナショナル>派(第一象限)に位置づけられる。
 <自尊・自虐>という情緒的なものを大きな基準として採用していることのほか、<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準として採用していることに、月刊正論編集部マップの致命的な欠陥がある。
 よほど月刊正論編集部と産経新聞は<対米協調>派であることを強調したいのだろう。
 月刊正論編集部の4つの分け方によれば、上が「対米協調」で下が「対米不信」。右が「自尊」で左は「自虐」。これで反時計回りに、象限に位置づければ、つぎのとおり。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派
 秋月瑛二の分類(前回のA~D)はたんに右から左へと並べたものではなく、上のような4象限化をすることも可能だし、そのように意図している。反時計回りに、第1~4象限。以下のとおり。もちろん、反共か容共かは大きな基準とされなければならない。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)
 上半分はいわゆる保守、下半分はいわゆる「左翼」。
 左半分は<(欧米淵源の)自由・民主主義>派、右半分は、リベラル・デモクラシーをそのままは支持せず日本の特殊性を強調する、またはそれを(日本共産党のように)乗り越えようとする立場だ。
 D/共産主義に日本共産党だけが入るのではない。反日本共産党の日本の「共産主義」者たちがいることを知っている。但し、日本共産党に少なくとも限れば、この党は「アメリカ帝国主義」を大きな「敵」と見なす<民族=ナショナル>派的性格をもっていること、「民主主義」社会を超えた「社会主義・共産主義」社会を展望していること(単純なリベラル派ではないこと)を忘れてはいけない。