大学・学界には、顕然たる日本共産党員やその明確なシンパが他業界に比べて多そうだ。概して優秀な人が多いのにこの党の穏便・微笑路線に惑わされて「おそろしさ」を知らず、せっかくの能力とエネルギーが適切な方向に使われていないのはまことに勿体ない。
 この党の衆議院選挙得票数等を顧みると、60年代末からの「大学紛争」時代を巧妙に立ち回ったことが大きいと思うが、76年・79年の600万、580万(得票率各10.7%、議席数19と41)あたりがピークでその後減っていくが、政治改革=衆議院480議席のうち180もが比例代表選挙のおかげで96年には730万、13.1%と盛り返しつつも、その後再び低減傾向で、03年は480万、8%程度、05年は490万、7.3%で議席数は9。
 かつて「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」は現実味が少しはあるように見えたが、今や政権獲得の現実的可能性は全くないと言いうる。だが、先進資本主義国で共産党があり500万票近くを獲っていること自体がじつに不思議なことで、日本人独特の優しさ、急激な変化を望まない気分(これは日本共産党に+に働いている)、曖昧さ(社会主義・共産主義を理解し支持してもいないのに批判票としてのみ、又は「人間」のしがらみで共産党に投票する)等々を示している。アメリカ、イギリス、ドイツ、カナダに共産党(少なくとも日本ほどの)は存在しないし、イタリアは名称変更した(フランスはどうだったかな?)。日本はこの点で欧米に比して極めて「異常な」国だ、という認識をどの程度の人が持っているだろう。
 川上徹の名も、「新日和見主義」批判なるものも聞いたことがあったが、この批判の対象に川上徹(60年安保後の再建代々木系全学連委員長、70年頃民青幹部)もなっていたことを知ったのは同・査問(筑摩書房、1997)が宣伝された時だった。
 今年になって中古の文庫本で読了したが、査問・党員権停止後も90年11月に離党届持参の際に「除籍」されるまで18年以上「党員」であり続けたことに、<イデオロギー>への囚われの怖さを感じた。18年とはこの人の32歳から50歳までの「壮年期」にあたる。党関係の要職に就けるはずはなく、生活自体が苦しかったよう。もう1点印象に残ったことは明日に。