今回は「休憩」して、若干のメモを残すにとどめる。
 1 不破哲三・レーニンと「資本論」7ー最後の三年間(新日本出版社、2001)p.90-196(とくにp.120-2)、レーニン全集第33巻(大月書店、1959/1978の26刷)のとくにp.79-109。この二つを比較・確認しつつ読んだ。
 不破、そして志位和夫、そして日本共産党の<大ウソ>・<大ペテン>は明らかだ。
 何回かあとに詳しく述べる予定だ。
 気になること。兵本達吉・日本共産党の戦後秘史(産経新聞出版、2005)も関係文献で、「28項」の「ロシア革命は何であったか?」はネップにも分かりやすく言及している。
 しかし、p.443で兵本は、レーニンは「1922年秋頃」になるとトーンに「明らかな変化」を見せ、「我々は、社会主義に対する我々の見地全体が根本的に変化したことを、認めなければならない」と書いた、としている。この発言または文章は「市場経済を通じて…」論に有利であるかにも見えるが、進んで引用・紹介しそうなものなのに、不破哲三の上掲書には引用・紹介されていない(と思われる)。レーニンのいつの、(全集掲載ならば)レーニン全集各巻のどこに載っているのだろうか。1922年秋の11月にはコミンテルン大会でのレーニン生前最後の演説があったりするが、稲子恒夫・ロシアの100年(既出)の年表類でも上の旨の発言・文章は確認できない。
 2 ソ連について触れようとしつつ、いつから「共産党」になったのか、ソ連はいつ結成されたのかと迷うことがある。つぎのようにメモしておく。
 ①「ロシア社会民主労働党」から「ロシア共産党(ボルシェヴィキ)」への名称変更-1918.03.
 ②「共産主義インターナショカル(コミンテルン)」<第三インター>結成大会-1919.03(→最後の第7回大会は1935.07-08)
 ③「ソヴィエト社会主義共和国連邦」結成-1922.12. 
 *1924.01、レーニン死去
 ④「ロシア共産党(ボ)」から「全連邦共産党(ボルシェヴィキ)」への改組-1925.12.
 3 日本共産党、不破哲三らの書いていること、主張していることは時期により大きくまたは微妙に異なっているので、いつの時期の文章か、とりわけいずれの綱領(改定)に関する報告等であるのか、に意識・留意しておかなければならない。以下もメモ。
 現在の日本共産党(宮本→不破→志位)は1961年綱領から出発していると理解しているので、それを含めてその後、以下の8つの綱領があったことになる。
   ①日本共産党1961年綱領 1961.07第08回党大会
   ②1973年、同・一部改定 1973.11第12回党大会
   ③1976年、同・一部改定 1976.07第13回臨時党大会
   ④1985年、同・一部改定 1985.11第17回党大会
   ⑤1994年、同・一部改定 1994.07第20回党大会
   ⑥ 2004年、同・全面改定 2004.01第23回党大会
   *④と⑤の間に<ソ連崩壊>があった。
以上。