かなり遅いが、昨年・2015年8月2日付読売新聞で、大石眞(京都大学)は、憲法(九条を含む)解釈の変更はありうること、「憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない」こと等を以下のように語っていた。
森英樹・浦田一郎等々の日本共産党員憲法学者に直接の影響はかりに受けなくとも、かつての指導教授や同窓学者たち、現在所属機関の先輩・同僚、あるいはその大学・学部自体の意見や雰囲気等に影響されて自分自身の学問・研究の「自由」を失っているような得体の知れない憲法学者が多い中で、まともな憲法学者もいるものだ。
以下に述べられていることにほぼ異論はない。後世の学界と日本のためにも、記録し記憶しておく必要があるだろう。
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――安全保障関連法案の国会論戦では、「合憲か違憲か」がいまだに議論の中心だ。
中身の議論が深まっていないのは残念だ。野党は法案の印象ばかりを批判している。「戦争法案」というネーミングはデマゴギー(民衆扇動)で、国民の代表である国会議員が使うべき言葉ではない。野党代表が、世論調査を基に「国民の多くが憲法違反だと感じている」と訴えるのも違和感がある。国会議員が自ら判断を放棄しているようなものだからだ。
政府が既存の法律10本の改正案を平和安全法制整備法案として束ねたのも、議論を分かりにくくしている。一括法案を否定するわけではないが、切り分ければ、野党が反対しない部分もあっただろう。政府は丁寧に切り分けて説明しないといけない。安倍首相のヤジは品性にかかわる。控えてほしい。
――憲法9条と安保法制の関係をどう考えるか。
憲法が作られた時、集団的自衛権を行使する事態なんて、誰も予想していなかったはずだ。人定法は、過去の事象に対する判断や評価から、条文ができている。想定していなかった事態に対し、憲法をつくった人がどう考えていたかを想像するなんておかしい。改正手続きが定められているのは、「憲法がすべてお見通し」ではないからだ。
もちろん、憲法が侵略的な武力行使の放棄を定めているのは疑いようがない。憲法解釈も安定している方が望ましい。しかし、国際情勢は絶えず動いている。安全保障政策は、国際情勢を考慮して、解釈変更の余地を残し、憲法の規範と整合性を取っていくべきだろう。
例えば、ヘイトスピーチを取り締まるためにも、憲法解釈の変更が必要だ。今の解釈では、憲法21条の「集会、結社、表現の自由」が尊重され、取り締まることができない。だから、日本は、ヘイトスピーチを規制する法整備を求めた国連の人種差別撤廃条約の第4条を留保している。9条の解釈変更に反対する人たちは、ヘイトスピーチを取り締まるための解釈変更にも反対するのだろうか。憲法解釈は、政策的な要素に左右され得ることを認めた方がいい。
野党は憲法解釈変更を「立憲主義を覆す」と批判しているが、そもそも憲法の役割は、正しい形で政治家に権力を与えることだ。「権力を抑制しなければならない」という主張は、政治家には存在価値がない、と自ら言っているようなものだ。国民が選挙で投票するのも、権力を作り、議院内閣制を確立するためなのだから、立憲主義の議論は不毛だ。
〔見出し〕 野党の「立憲主義」議論 不毛
――衆院憲法審査会での違憲論争をきっかけに、憲法学者が注目を浴びるようになった。
我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。内閣や国会の法制局はそうした役割を担っている。最高裁も、法文を大事にしながら、起きた出来事にいかに妥当な解決策を見いだすかに腐心している。憲法学者にも、そういう姿勢が求められるのではないか。
(聞き手 橋本潤也)
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以上
森英樹・浦田一郎等々の日本共産党員憲法学者に直接の影響はかりに受けなくとも、かつての指導教授や同窓学者たち、現在所属機関の先輩・同僚、あるいはその大学・学部自体の意見や雰囲気等に影響されて自分自身の学問・研究の「自由」を失っているような得体の知れない憲法学者が多い中で、まともな憲法学者もいるものだ。
以下に述べられていることにほぼ異論はない。後世の学界と日本のためにも、記録し記憶しておく必要があるだろう。
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――安全保障関連法案の国会論戦では、「合憲か違憲か」がいまだに議論の中心だ。
中身の議論が深まっていないのは残念だ。野党は法案の印象ばかりを批判している。「戦争法案」というネーミングはデマゴギー(民衆扇動)で、国民の代表である国会議員が使うべき言葉ではない。野党代表が、世論調査を基に「国民の多くが憲法違反だと感じている」と訴えるのも違和感がある。国会議員が自ら判断を放棄しているようなものだからだ。
政府が既存の法律10本の改正案を平和安全法制整備法案として束ねたのも、議論を分かりにくくしている。一括法案を否定するわけではないが、切り分ければ、野党が反対しない部分もあっただろう。政府は丁寧に切り分けて説明しないといけない。安倍首相のヤジは品性にかかわる。控えてほしい。
――憲法9条と安保法制の関係をどう考えるか。
憲法が作られた時、集団的自衛権を行使する事態なんて、誰も予想していなかったはずだ。人定法は、過去の事象に対する判断や評価から、条文ができている。想定していなかった事態に対し、憲法をつくった人がどう考えていたかを想像するなんておかしい。改正手続きが定められているのは、「憲法がすべてお見通し」ではないからだ。
もちろん、憲法が侵略的な武力行使の放棄を定めているのは疑いようがない。憲法解釈も安定している方が望ましい。しかし、国際情勢は絶えず動いている。安全保障政策は、国際情勢を考慮して、解釈変更の余地を残し、憲法の規範と整合性を取っていくべきだろう。
例えば、ヘイトスピーチを取り締まるためにも、憲法解釈の変更が必要だ。今の解釈では、憲法21条の「集会、結社、表現の自由」が尊重され、取り締まることができない。だから、日本は、ヘイトスピーチを規制する法整備を求めた国連の人種差別撤廃条約の第4条を留保している。9条の解釈変更に反対する人たちは、ヘイトスピーチを取り締まるための解釈変更にも反対するのだろうか。憲法解釈は、政策的な要素に左右され得ることを認めた方がいい。
野党は憲法解釈変更を「立憲主義を覆す」と批判しているが、そもそも憲法の役割は、正しい形で政治家に権力を与えることだ。「権力を抑制しなければならない」という主張は、政治家には存在価値がない、と自ら言っているようなものだ。国民が選挙で投票するのも、権力を作り、議院内閣制を確立するためなのだから、立憲主義の議論は不毛だ。
〔見出し〕 野党の「立憲主義」議論 不毛
――衆院憲法審査会での違憲論争をきっかけに、憲法学者が注目を浴びるようになった。
我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。内閣や国会の法制局はそうした役割を担っている。最高裁も、法文を大事にしながら、起きた出来事にいかに妥当な解決策を見いだすかに腐心している。憲法学者にも、そういう姿勢が求められるのではないか。
(聞き手 橋本潤也)
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以上