・前編集長時代とは異なり、交替後の月刊正論(産経新聞社)は「メディア裏通信簿」も含めて、なかなか面白い。何よりも、くだらない、又は反発を覚えるような論考や記事がほとんどなくなった。
 とは言っても、なぜか、日本共産党、社民党、生活の党(小澤一郎は見事に?変身した)という「左翼」政党、とりわけ日本共産党の現状の紹介や批判的検討が全くと言ってよいほどないことは相変わらずで、中国(中国共産党)を熱心にかつ批判的に分析しても、なぜ日本の月刊雑誌は日本の「共産党」を、あるいは日本のコミュニズムを正面から扱わないのだろうというもどかしさは依然として残る。
 ・月刊正論1月号もおそらく90%以上読み終えた。最近と同様に、かつてほどに逐一言及する余裕はない。
 門田隆将の文章も小浜逸郎(この人は一時期は信用していなかったのだが)の文章も、印象に残ったが、平川祐弘が紹介している、竹山道雄の、朝日新聞1965.04.05号の文章の一部が目を惹いた。
 「私には戦後の進歩主義がほんものの平和と民主主義であるとは思われない。それはむしろ、人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、別なものが進歩主義を利用して浸透する手段としたのだった」。(p.347)
 ビルマの竪琴という小説の作家としてしかほとんど知らない竹山道雄だが(もっとも、同・昭和の精神史は所持していていずれ読みたいと思っているし、著作集も半分以上所持している)、60歳をすぎた時期に朝日新聞紙上でこんな文章等でもって論争しているとは、相当な人物だったに違いない。
 「人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、…進歩主義を利用して浸透する手段」としている「別なもの」は現在も厳然として存在するし、「別なもの」に「平和と民主主義をねがう気持ちにつけこ」まれていることを知らずに、戦争と<全体主義・ファシズム>の復活?を許さず「平和と民主主義」の理想を追求していると自らを評価しているものも厳然として多数存在している。
 すでに「別なもの」になっているのかどうかは知らないが、個人的に知る某憲法研究者は、<日本の自衛隊(軍事組織)は信用できない。正式に軍として認知すれば何をしでかすか分からない>という旨を<公言>していた。
 日本軍国主義=日本のかつての軍部は<悪>でありかつ<拙劣>であったので、そのDNAを継承している自衛隊、そして日本人そのものが<正規の軍として位置づけられるものを保持するとアブない>というわけだ。
 かかる戦後・占領期の<時代精神>を、日本の憲法学者の多くはなおも有し続けているのだろう。
 開いた口がふさがらないし、そのような感覚を平然と語るれっきとした<おとな>らしき人物などとは、もはやとっくに、「口をきく気にもなれなくなっている」のだが。