秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2874/R.パイプス1990年著—第15章⑫。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 「第15章・“戦時共産主義“」の試訳のつづき。
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 第15章・第五節/工業生産の低下
 (01) 戦時共産主義のもでのソヴィエト工業の狭い意味での目標は、もちろん、生産性の向上だった。
 しかし、統計上の証拠が示しているのは、この政策の効果は反対だった、ということだ。
 ボルシェヴィキによる経営のもとで、工業生産性はたんに低下したのではなかった。すなわち、かりに同じ過程が進行していたならば、1920年代半ばまでにソヴィエト・ロシアにはどんな工業もなくなってしまうことを示唆する、そのような割合で落ち込んだ。
 このような現象を示す、いくつかの統計資料がある。
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 「I. 全国の大工業生産(脚注1)
  1913 100
  1917 77
  1919 26
  1920 18」
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 「II. 1920年の特定工業製品の生産量(1913=100)(注94)
  石炭 27.0
  鉄鋼  2.4
  綿糸  5.1
  石油 42.7」
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 「III. ロシアの労働者の生産性(固定のルーブルで)(注95)
  1913 100
  1917 85
  1918 44
  1919 22
  1920 26」
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 「IV. 被雇用工業労働者数(脚注2)
  1918 100
  1919 82
  1920 77
  1921 49」
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 (脚注1) Kritsman, Geroicheskii period, p. 162. Narodnoe Khoziaistvo SSSR v 1958 god u(Moscow, 1959), p. 52-53 の数字によると、1921年の全工業生産は1913年比で69パーセント減少し、重工業生産は79パーセント減少した。
 (脚注2) A. Alu f, cited in S. V Olin, DeiateVnosf menshevikov v profsoiuzakh pri sovetskoi vlasti, Inter-University Project on the History of the Menshevik Movement, Paper No.13(New York, 1962),p. 87. もちろん、ここで基礎年にしている1918年までに、被雇用労働者の数は、1913-14年と比べて、相当に減少していた。
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 (02) 要するに、戦時共産主義のもとで、ロシアの「プロレタリアート」数は二分の一に、工業生産高は四分の三に落ち、工業生産性は70パーセントが失われた。
 この破滅を見て、レーニンは1921年にこう叫んだ。
 「プロレタリアートとは何だ?
 大規模工業に就労する階級だ。
 そして、どこに大規模工業があるのか?
 どんな種類のプロレタリアートなのか?
 おまえの(原文ママ)工業はどこにあるのか?
 なぜ、怠惰なのか?」(注96)
 これらの修辞的質問に対する回答は、レーニンが承認していたユートピア的構想が、ロシアの工業を破壊し、ロシアの労働者階級を殺した、ということだった。
 しかし、この工業力低下の時期のあいだに、経済に責任を負う官僚機構の維持のための出費は、飛躍的に増大した。1921年までに、それは予算の75.1パーセントを占めた。
 ロシアの工業を管理した最高経済会議の人員について言えば、それはこの期間に100倍に増えた(脚注)
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 (脚注) Buryshkin, EV, No. 2(1923), p. 141. 最高経済会議の被雇用者の数字は、1918年3月に318人、1921年に3万人だ。
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 第六節につづく。

2873/斎藤元彦兵庫県知事・2025年4月23日(水)記者会見・一部②。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年4月23日(水)記者会見・一部②
  出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年4月23日(水曜日))」
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 フリー記者A:公益通報者保護法の有権解釈権って誰が持っているんですかね。
 知事:法律を所管している省庁がひとつ持っていると思いますし、最終的な違法性等の判断については、司法の場だったというふうに思います。
 フリー記者A:それは司法の法解釈であって、それは、個別具体の事案に基づいた解釈であって、それは法解釈と呼びません。
 法解釈というのは、有権解釈か学理解釈のどちらかしかないわけですが、有権解釈権は誰が持っているか、もう一度、法律的に言うと誰が持っていますか。
 知事:先ほど申し上げたとおりですね。
 フリー記者A:消費者庁が持っているんですよね。
 知事:消費者庁であり、そして個別の話も含めて、最終的には司法だということです。
 フリー記者A:有権解釈権を保有する消費者庁が、4月17日の衆議院消費者特別委員会で、3号通報も法定指針の中に入っているって答弁しているんです。
 ということは、有権解釈権を持っている消費者庁が、その見解を大臣答弁として述べている以上、あなたが先ほど毎日新聞の記者や神戸新聞の記者に言った、「私の考えです」といったところで、それは法解釈として認められないんじゃないですか。
 知事:ご指摘は、真摯に受け止めたいと思います。
 フリー記者A:これは指摘じゃなくて、雨が降ったら地面が濡れるんじゃないですかって聞いているんです。
 知事、あなたは行政のトップですよ。
 有権解釈権を有している機関が法の解釈はこうだと、言っている内容と、違うことを言って、行政の長が務まるんですか。
 知事:我々が、私が、これまで述べさせていただいたことは、3月26日の会見で述べさせていただいたとおりです。
 フリー記者A:それは法解釈として間違っていますよねと申し上げているんです。
 知事:それはご指摘としては、受け止めます。
 フリー記者A:ご指摘じゃないんですよ。
 これは国会答弁であり、法の解釈なんです、中央省庁の。
 いつから兵庫県は斎藤人民共和国になったんですか。
 知事:兵庫県における対応、問題については、個別具体の話として兵庫県として今の対応をしており、そして、対応については適切だったと考えています。
 フリー記者A:ちょっと待ってください。
 それは重大問題発言ですよ。
 消費者庁の法解釈が、兵庫県では通用しないんですか。
 知事:消費者庁が法を所管しているってことは承知しています。
 兵庫県の問題については、兵庫県の方で、我々としては、これまで述べさせていただいたとおり、対応としては適切だったということです。
 その説明については、3月26日の会見を含めて、これまで述べさせいただいたとおりです。
 フリー記者A:知事、それはクーデターですよ。
 知事:はい、ご指摘は真摯に受け止めますけれど、我々としては、これまで述べさせていただいたとおりです。

 フリー記者A:道路交通法が、大阪府と兵庫県では違うみたいなこと言っているんですよ。
 知事:それはよく分からないですけども。
 フリー記者A:そう言っているんですよ。
 無茶苦茶すぎるでしょ、それは。
 法の解釈は、内閣が閣議決定に基づいて、有権解釈権を行使して、提示していてて、なおかつ、法定指針には内部通報も外部通報も含まれるとされているんです。
 そう解釈していない都道府県は、兵庫県だけなんです。
 その矛盾点を、今般の公益通報者保護法改正の審議の中で、消費者庁は問われて、与野党の各議員から、当然当たり前のように、有権解釈権は消費者庁が有していて、法定指針の中に、3号通報も含まれる、と言われているんですよ。
 かつ、元県民局長の文章は、3号通報だったという解釈が、大臣答弁及び審議官答弁で閣議決定済みの答弁として積み上がっているんです。
 あなた、中央政府に反旗を翻すんですか。
 知事:ご指摘は真摯に受け止めますけれども、兵庫県としての今回の文書問題に対する対応に、これまで述べさせていただいたとおり、適切だったというふうに考えています。
 フリー記者A:兵庫県の解釈は存在する余地がないって言っているんです。
 いつから斎藤元彦人民共和国になったんです、兵庫県は。
 知事:ご指摘は真摯に受け止めます。

 フリー記者A:なぜ日本中で通用する法律を。
 知事:兵庫県としては、これまでの対応は適切だというふうに、これまで述べさせていただいたとおりです。
 フリー記者A:法律違反ですよね。
 知事:今回の公益通報に関する対応、これについての考え方や見解については、3月26日の会見などで述べさせていただいたとおりです。
 フリー記者A:藤本政府参考人が、14日の衆議院の消費者特別委員会で、個別の事案には答えられないけれども、3号通報が法定指針の対象であることは明らかですって明言されておられるんですよ。
 それと、3号通報は、要は体制整備義務等々の法定指針の対象じゃないという兵庫県は、なぜそんな立場を取れるんですか。
 周りに職員さんいてはんねんで。
 法律守らへんって長が言うてええんですか。
 知事:3月26日の会見などで述べさせていただいたとおりです。
 フリー記者A:3月26日の会見の内容は、法律を守らない宣言だと解釈していいんですね。
 知事:様々なご指摘、ご解釈というものはあると思います。
 フリー記者A:そうとしか解釈できないじゃないですか。
 これクーデターですよ。
 あなたがやっていることはクーデターですよ。
 元県民局長がクーデターをしたんじゃない。
 あなたが東京に対してクーデターを企てているんだ。
 知事:県の対応としては適切だったという考え方でおります。

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 フリー記者B:情報漏えいに関する報告書の中にですね、斎藤知事の6月29日の既読LINEは入っているんでしょうか。
 週刊文春が報じてですね、斎藤知事が元県民局長の情報漏えいを把握していたと。
 岸口県議が不倫をばらすぞと言って口封じをしようとしたけれども、その工作が失敗に終わったという、報告の既読LINEなんですが、これ報告書の中に入っていたんでしょうか。
 知事:報告書の内容については、今担当課の方が精査しているというふうな状況です。
 フリー記者B:LINEは提出したんですか、第三者委員会から要請があって。
 これ入ってないとおかしいと思うんですけど。
 知事:第三者委員会については、適切に調査対象も含めて。
 フリー記者B:斎藤知事が、今、持っているLINEを提出したのかどうか聞いているんです。
 第三者委員会に内容を見せたのかどうか。
 知事:第三者委員会が、適切に調査対象をどうするか含めて判断して、対応したというふうに考えています。
 フリー記者B:片山元副知事への聞き取り内容は報告書の中に入っていたんでしょうか。
 知事:どういったことを対象とされているかということについては、第三者委員会が報告書出されましたので、そこを精査した上で。
 フリー記者B:概要も報告ないのはおかしいと思うんですが、次の質問に移ります。
 立花孝志氏についてですね、姫路市の高見市議はですね、県知事選の選対会議で、「立花氏は別に勝手にやってもらってもいいんじゃないか」と斎藤知事が発言したというふうにインタビューで語ってくれたんですが、これ間違いないですよね。
 違いますか。
 知事:どういうやりとりされたかっていうのは、承知してないので、私はコメントをしようがないですね。
 フリー記者B:記憶ないですか。
 今まで立花氏について知らんぷりしていましたけど、選対会議で話題になって、斎藤知事が、勝手にやってもらう分にはいいじゃないか、という趣旨の発言をした、と高見市議が言っているんですが、これ全く記憶ないんですか。
 知事:どういったやりとりを、ご指摘された方がされたかっていうのは、ちょっと承知してないですので、コメントのしようがありません。
 フリー記者B:斎藤知事が発言したかどうか、全く記憶ないんですか、立花氏の2馬力選挙について。
 知事:選挙戦については、17日間、しっかり頑張って選挙活動をさせていただいたということです。
 フリー記者B:高見市議が選対会議で話題になって、斎藤知事が勝手にやってもらったらいいんじゃないかと言った、というふうに証言しているんですが、これは事実じゃないんですか。
 知事:ですから、何度も繰り返しますけど、やりとりを承知してないので、コメントのしようがないですね。
 フリー記者B:あと、最後にメルチュが主体的にSNS選挙に関わっていたということについても、高見市議が話してくれたんですが、これも違いますか。
 Xのアイコンとか、スローガンをこうしたらいいというのを、折田さんが中心的に提案して、選対メンバーはそれに沿って動いたと。
 まさに主体的、中心的に動いたのがメルチュで、買収疑惑の可能性が高いと思うんですが、その辺、奥見弁護士が言っている内容と全く違うんですが、再度調べて会見をやり直す考えはないんですか。
 知事:その点については、代理人の弁護士に対応をお願いしております。
 フリー記者B:代理人の弁護士が言った内容と、高見市議が言った内容が全く違っているんで、再度調べないんですかと聞いているんですが。
 調べる考えはないということですか。
 知事:対応については、代理人の弁護士に一任しております。
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 フリー記者C:先ほどのやりとり中で、第三者委員会について、公平、客観的なものであるというふうなふうに受け止めている、というお答えでした。
 ということは、その正当性は認めているということだと思うんですけど、しかし、その結果は、公益通報について違法性があるという指摘については、受け入れないという、そこに論理矛盾があるように思うんですけれども。
 公平公正に審議されたけれども、だけれども結果受けいれないというのは成り立たないと思うんですが。
 それは、斎藤さんの中で、どんなふうに成り立っているんですかね。
 知事:それは、質問された方のご意見としては承りますけども、私が述べてきたことはこれまでの会見で言ってきたとおり、報告書については真摯に受け止めていくということです。
 フリー記者C:先ほどの記者の法解釈の話もそうですけども、その指摘を受けながら、ご自分では全く違う解釈を主張され、もっと言えば、県職員の方々からも翻意を説得されているにもかかわらず、最終的に知事の独断で問題なかったという結論を出されているわけです。
 先ほどの比喩で言うと、本当に独裁国家、独裁と言われても仕方がないと思うんですけども、その状態で良いというふうに思ってらっしゃるわけですか。
 知事:ご指摘はしっかりと受け止めたいと思いますけども、県政については着実に日々の業務も含めて進んでおります。
 フリー記者C:パワハラというのは、これの第三者委員会の報告で指摘されたパワハラを、私が聞いている限り、斎藤知事は認めているというふうには聞こえないのですが、それはともかくとしても、パワハラというのは、当該の社員とか職員だけではなくて、周りを萎縮させたりとか、あるいはJRの事故のように、多くの人を巻き込む、命を奪う可能性すらあるというふうな、そういう重大な結果を招くというようなご認識はありますでしょうか。
 知事:やはりハラスメントのない職場づくりというものは、先ほど来、今日も質問が出ましたけど、そういった職場環境づくりをしっかりと作っていくということが大事だというふうに思っています。
 フリー記者C:今日の話、SNSの誹謗中傷のやつを聞いていても、斎藤知事の発言が、非常に他人事に、ご自身に関わりのないことで、こういう仰っているように聞こえますので、その辺は「真摯に」とおっしゃるのであれば、ご自身の問題として受け止めていただきたいと、県民として思います。
 以上です。
 知事:記者さんのお考え、お気持ちとして、受け止めたいと思います。」
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2872/斎藤元彦兵庫県知事・2025年4月23日(水)記者会見・一部①。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年4月23日(水)記者会見・一部①
  出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年4月23日(水曜日))」
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 毎日新聞:4月17日の衆議院の消費者委員会で、兵庫県の文書問題の公益通報者保護の件が取り上げられました。
 質疑の中でですね、第三者委員会が元県民局長の文書が公益通報に当たると、斎藤知事は当たらないというふうに意見が分かれているということで、消費者担当大臣に対してですね、「大臣どう思いますか」というようなことを聞きました。
 伊藤大臣からはですね、「県議会と第三者委員会でですね、長時間にわたり審議されていたものだと、その解釈と結論に関しては一定納得をしなければならない」という答弁をされてですね、これは事実上の知事と兵庫県に対して、解釈の変更を促すような答弁だったと思います。
 この法律を所管する大臣がこういうふうにおっしゃっているんですけれども、知事として、兵庫県として、これまでの見解を変更するお考えはありますでしょうか。
 知事:消費者庁の担当大臣が、国会において、発言をされたということだと思います。
 大臣なりのご指摘というものは、重く受け止めるということが大事だと思います。
 一方で、報告書の提言というものも大変重いというもので、私としてはこれまで述べさせていただいたとおり、しっかり受け止めさせていただきたいというふうには考えておりますけれども、対応については、これまで述べさせていただいたというとおりです。

 毎日新聞:となると、所管する消費者庁とですね、兵庫県の間で法律についての解釈が違ってきていると、見解が違うということになるとは思うんですけれども、その場合に、今後、法解釈を正すような技術的助言が来る可能性もあるんですが、もし、見解を撤回しないということであれば、兵庫県としてですね、行政組織として、ちゃんと兵庫県の見解はこうだというものをまとめる必要があるんじゃないかと思うんですけれども、単に知事が記者会見でそうじゃないというふうにおっしゃるだけじゃなくてですね、例えば、専門家がこう言っている判例はこうある、現状はこうだと、だから、兵庫県は消費者庁の見解を受け入れることができないというようにそれをちゃんと主張する必要があると思うんですけれども、そういったことはお考えありますでしょうか。
 知事:消費者庁、消費者大臣のご指摘などは、しっかり重く受け止める必要があると思いますけども、私としての、県知事としての、県としての見解というものは、先般より述べさせていただいているとおりということですね。
 毎日新聞:私がお聞きしているのは、知事及び兵庫県の見解がですね、変わらないということであれば、それをどういう理由でそうなのかということを、きっちりとした物を作ってですね、主張するべきじゃないかと思うんですけれども。
 国と都道府県の見解が違うということは結構あって、これまでも、いろんなケースでそれに対してはちゃんとそれぞれが主張してずっと論争していると思うんですけれども、そういうことをせずに、知事が記者会見で一方的に、兵庫県の見解としては違うというようなことだけで済ませるというのは、それは行政組織としてはどうかと思うんですけれども、そのあたりはどう思われていますか。
 知事:記者のご指摘は真摯に受け止めたいと思いますけども、私としては、県としては、3月26日の会見で述べさせていただいたということが、兵庫県としての見解ですね。
 毎日新聞:もう1点、今の関連なんですけれども、この法律の解釈を巡って、県と消費者庁と何らかの協議をするようなお考えというのはありますでしょうか。
 消費者庁の見解と兵庫県の見解が明らかに違うと。
 それについて、何がどう違うのかとかですね、見解をすり合わせるとか。
 そうでないと、実際に今、公益通報をしようと思っている方が、県庁内もいらっしゃるかもしれませんけれども、この宙ぶらりんな状況でですね、やろうと思ってもできないと思うんですけれども、そういう協議というのは、やるお考えはありませんか。
 知事:特に考えてはいません。
 県としての考えは、3月26日、そしてそれまでも、そしてそれ以降の記者会見などでも述べさせていただいたとおりです。」
 ②
 NHK:先週に引き続き、3月5日の「わいせつ」発言について伺います。
 まず、ひとつずつ確認をさせていただきたく思います。
 元県民局長を懲戒処分した1つの理由は、勤務時間中に業務と関係ない私的な文書を多数作成した、これが非違行為の1つに当たるということで懲戒処分をした、この理解でまず間違ってないですか。
 知事:はい。
 NHK:間違ってないですか。
 知事:はい。
 NHK:つまり、内容については関係ないということでよろしいですか。
 知事:業務上、勤務時間中に業務と関係ない文書を作成したということで処分をしています。
 NHK:つまり、中身ではなくて、勤務時間中に業務と関係ない行為をしていた、そこが懲戒処分の1個の理由になっているという理解でよろしいですか。
 知事:勤務と関係ない、業務と関係ないということは、どういう文書をどういう行為だったということだと思いますね。
 そこは、中身がやはり関係してくると思いますね。
 NHK:ただ、今、手元に懲戒処分の理由について書かれている紙を見ているんですけども、中身についての言及は一言もない。
 知事:ですから、勤務時間中に勤務と関係ないことをすると懲戒処分の対象になるということです。
 そして、今回、なぜそれが当たったかというと、やはり、勤務時間中に適切でない文書を作っていたということは、やはり中身がどういうものかということが、処分の1つの理由になってきますよね。
 NHK:それは、初めて今言われましたね、中身についても理由が必要ということは。
 知事:勤務時間中に業務と関係ないことを、例えば、文書の作成をしたということが理由で、業務と関係ないということはどういったことをしていたのかということがはっきりしないと、その業務と関係ないことをしていたということにならないので、それはやはり作成された文書が、業務と関係ないどういった文書だったかということで、ご指摘させていただいた文書だったということですね、中身は関係ありますよね。
 NHK:でも、それは、中身は関係ありますと今おっしゃいました。
 それ最初、5月だったかと思いますが、懲戒処分をされたとき、同様の今の答弁なかったと思うんですけども、業務あくまでも業務と関係ないことをしていたという行為のことについての。
 知事:ですから、業務と関係ない行為すなわちどういった文書かというと、私がこれまで述べさせていただいた文書だったということですね。
 それが業務と関係ないので、懲戒処分の対象になったということです。  
 NHK:その中で、先週も同じ質問をさせてもらったんですけども、総務常任委員会の方で処分に関係なく必要がない説明だった、はっきりさせるためにあえて申しますけれども、「わいせつ」という言葉を使ったことに対してですね、それについて総務部長が「必要がない説明」と答弁しています。
 先週も、百条委員会の報告書が出たということも踏まえて、「新たな局面だったから説明をした」ということをこれまでも一貫して知事おっしゃっていますけども、報告書の中には別に「わいせつ」という言葉はないわけで、新たな局面というところは何を指しているんですか。
 知事:百条委員会で報告書が了承された後の、新たな局面ですね。
 そこで、当時産経新聞の記者から、懲戒処分の取扱いどうするんですかという話だったので、そこで、新たな局面での説明を求められましたんで、説明をさせていただいたということですね。
 NHK:私が伺っているのは、新たな局面と「わいせつ」とがどうリンクするんですかということです。
 知事:ですから、百条委員会の報告書が議会において了承されたという新たな局面において、懲戒処分の取扱いをどうするんですかというふうに聞かれましたんで、それは、新たな局面ですよね。
 NHK:了承されたから、「わいせつ」という表現をしていいんですか。
 知事:だから、新たな局面になっているから、その中で懲戒処分の取扱いをどうするんですかということで説明をさせていただいたとおりで、この点については、説明は、これまでさせていただいていることと変わらないので、これ以上ご質問いただいたとしても、私の回答は同じ答えになると思いますので、そこはご理解いただきたいと思います。
 適切だったというふうなことで、これまで述べさせていただいているとおりですね。
 NHK:「適切だった」と、今お言葉がありますけども、行き過ぎた表現だったとそこは考えられないですか。
 知事:新たな局面での説明だったということで、私としては必要な説明をさせていただいたということです。
 NHK:重ねてになりますが、謝罪とか撤回、行き過ぎた表現だった、それは弊社の取材の中でも行き過ぎた表現だったんじゃないかと。
 それこそ、総務部長が自ら総務常任委員会という公の場で、説明する必要がなかったとはっきり言っているわけです。
 それでも、知事は必要だったというふうに思われているんですか。
 知事:そうですね。
 私の判断としては、これまで述べさせていただいたとおりです。
 NHK:いずれにせよ、先週の会見でもどういった言葉で説明するかは私の判断だということ。
 ただ、それこそ、事務方のある種トップである総務部長がそういった必要はなかったとおっしゃっている。
 弊社の取材の中でも他の職員さんもあの答弁は必要なかったというようなことを取材の中では把握しています。
 そうした中で、やはり、行き過ぎた表現だったとかですね、そういったご自身が発信した言葉に対してですね、振り返って、行き過ぎた表現だった、そこを間違ったものを正していきたいとそこを述べるのも、知事の役目なんじゃないですかね。
 知事としては間違っていないけども、ただ、事務方トップの総務部長の方がおっしゃっている、「県としても行き過ぎた、必要なかった」と公式見解として述べられているわけですから、そこについての一言、何か行き過ぎた表現だったとか、そういうことも必要なんじゃないでしょうか。
 知事:それは、記者のご意見としては承ります。
 私としてはこれまで述べさせていただいたとおりですね。
 神戸新聞:まず、弊社で先週末に行った県内有権者向けの調査なんですが、斎藤知事を支持するかどうかを尋ねたところ、支持する人が34%、支持しない人が55%で、不支持の方が20ポイント上回りました。
 この数字について、まず受け止めをお聞かせください。
 知事:1つのアンケート調査ということで、真摯に受け止めたいと思います。
私としては、しっかり県政運営を、これからも改革も含めて、続けていくということで、県民の皆さんのご負託などに応えていきたいというふうに考えています。
 神戸新聞:同じ調査の数字なんですけども、告発文書問題に関して、第三者委員会が県の対応が公益通報者保護法違反であると指摘したことを受けて、斎藤知事がどう対応すべきかという設問も設けたんですけども、それに対して、辞職すべきというのが42%、現状の対応で十分だとおっしゃる方が23%だったので、大きく上回ったということで、これについてはどのように受け止められますか。
 知事:それについても、しっかり受け止めていきたいというふうに考えています。
 私としては、先ほど申し上げたとおり、県政をしっかり前に進めていくと。
 そして、様々な施策を着実に実行していくということが、自分としての責務だというふうに考えています。
 神戸新聞:今のところ数字だけじゃなくて、いろんな報告書の指摘を受け止めるべきというような意見も含めても、辞職を考えられたりとか、パワハラの認定を受けて、ご自身に何らか減給などの処分を科すとか、そのあたりのお考えは今のところはないということですか。
 知事:私の考え方、そして果たすべき責務というものは、これまで述べさせていただいたとおりですね。
 神戸新聞:第三者調査委員会について、SNS上などで、委員が利害関係者であるとかですね、違法性まで指摘するのはガイドライン違反だ、などといった言説が飛び交っていまして、それに関して、弊社で取材したところ、専門家も含めてですけども、そういった言説は誤りであると、公平で中立に調査した結果であるということだったんですけど、改めて知事から見てですね、第三者委員会の調査結果というのは、公平で中立性が保たれていたというふうに思われていますでしょうか。
 知事:その通りだとは思いますね、はい。
 神戸新聞:その上で、その調査結果に対して、公益通報者保護法違反については受け入れない、という考えは今も変わらないということですか。
 知事:私の考えは、これまで、3月26日の会見を含めまして、述べさせていただいたとおりです
 神戸新聞:公益通報者保護法違反に当たらないという、知事の反論の根拠の1つになっていました、特別弁護士にも相談した上で通報者の特定を行ったと、問題ないというアドバイスを受けたので、通報者探索をしたと。
 その点については、第三者調査委員会の方で、知事の見解も含めて、最終的に通報者探索は違法であると、告発文書は公益通報に該当すると、そういう結論が出されているんですけども、何かその新たな反論の根拠というのは、その調査委員会の知事の見解を踏まえた第三者委員会の調査結果に対して、新たな反論の根拠というのは何か示される予定はあるのでしょうか。
 知事:ですから、3月26日の会見で述べさせていただいたこと、そしてこれまで、私が百条委員会も含めてですね、いろんな場面で議会も含めて述べさせていただいたというとおりですね。
 県の対応としては、適切だったという考えです。
 神戸新聞:先ほどの質疑でもあったんですけど、消費者庁の見解として、大臣だったりとか審議官の答弁でですね、知事がこれまでおっしゃっていた体制整備義務には、基本的には内部通報に限られるという考え方もあるとか、そのあたりも含めて否定されていたやりとりがあったと思うんですけども、それを踏まえても、県としての見解はこれまでと変わらないという、念のため確認なんですけど、変わらないということですか。
 知事:そうですね。

 3月26日の会見含めて、これまで述べさせていただいたとおり、県としての対応は適切だったというふうに考えています。
 神戸新聞:既に消費者庁の方から、何か技術的助言とかという話もあったんですけど、何か指導が入っていたりとか、そういう事実はないですか。
 知事:技術的な助言というものは、一般的にガイドラインなどの技術的助言はあるというふうには聞いていますけども、今回、何かその大臣の発言を受けて、技術的助言が来たということはないというふうに聞いています。

 朝日新聞:第三者委員会の報告書の内容についてお聞きします。
 パワハラに関する項目の中で、ひょうごっ子ココロンカードの発行事業をめぐる問題の項目がありまして、この中で事実認定として、カードは本来小学1年生に配るものであるところ、2024年度は県内すべての小中学生のカードが斎藤知事の名前が入った新デザインに差し替えられたと。
 そのために費用が例年よりも約140万円多くかかったということが指摘されています。
 それで、この全面差し替えの出発点として、知事の指示があったということも総括で認定されています。
 教育委員会にも取材しましたが、結果として全面差し替えをしていて、事実関係としては、報告書のとおりであるということでした。
 ただ、知事は百条委員会の証言などですね、「随時、差し替えをしていくように指示した」とかですね、「全部かどうか対象範囲は指導していない」ということで証言されておられますけれども、ちょっと食い違っているなと感じておりまして、改めてその差し替えについては、どのような指示をされたのか、経緯とともに教えていただければと思います。
 知事:報告書に含まれた内容についての個別のことについては、コメントの詳細をここの場で言うということは差し控えたいと思います。
 ご指摘いただいたものについては、予算措置の範囲内で適切に教育委員会が執行したということです。
 朝日新聞:全学年分、斎藤知事の名前が入ったカードに差し替えるように指示したか、していないかはお答えいただけないということでしょうか。
 知事:ココロンカードのあり方については、適切に名称が知事で、今の知事が斎藤元彦だということを踏まえて、対応を検討した方がいいんじゃないかという話があったということで、それを踏まえて、教育委員会の方が対応したということです。
 朝日新聞:全学年分なのかその随時、毎年、徐々に差し替えていくかどうかというのは、どちらだったんですか。
 知事:いずれにしても、今回、それを踏まえて、その対応について教育委員会が予算執行について、適切に対応しているということですね。
 それがどのように差し替えたか含めて、これは予算の範囲内で、適切に対応しているということで、問題ないというふうに思います。
 朝日新聞:報告書がですね、例年より140万円多くかかったことについて、県民にとっては不利益で、必要性のない支出だったというふうに評価されておりますけれども、知事としてこの支出については適切なのかどうかは、どう評価していらっしゃいますか、改めてなりますが。
 知事:それはその時の判断として適切だったというふうに考えています。
 朝日新聞:第三者委員会のヒアリングにも裁量の範囲であって、余分な費用だとは考えていないということだったんですけども、既に使っているカードを新しいものに変えるということで、無駄が出ているのかなと考えたりもするんですが、余分な経費ではなかったという根拠としては、背景にどういう考え方があるということなんでしょうか。
 知事:それは、予算を適切にその時々で執行するということが、それは今回、ご指摘の点についても、問題ないというふうに考えています。
 いろんなご指摘そして記者がおっしゃったような論点などがあるということは真摯に受け止めますけども、ココロンカードの対応については問題ありません。
 産経新聞:先ほどから出ているんですけれど、念のため確認させてください。
 消費者問題の特別委員会で、審議官が法定審については3号通報に関する体制整備義務について、否定している部分があるというふうにおっしゃっていて、知事の3月26日の会見の発言と真逆の考え方なんですけど、撤回、修正はしないということですか。 
 知事:3月26日に述べさせていただいたとおりですね。
 産経新聞:適切だとおっしゃるのであれば、先ほど毎日新聞もおっしゃっていましたけど、具体的に判例だったり、誰が言っているのかとか、学説とか、そういうのを具体的に示して、反論していただいたほうがいいと思うんですけれど、それによって新たな議論の余地も生まれると思うんですけれど、そこについて示していただけないのでしょうか。
 知事:そういった考え方ややり方については、真摯に受け止めますけれども、県としては、3月26日の会見、それからこれまで議会や委員会などで述べさせていただいた考え方ですね。
 産経新聞:適切だとおっしゃいますけれども、これだけ各方面から違法性が指摘されていますけれど、その違法性が指摘されている状態の行政機関というか、そのあり方としてどうなんだという声もありますけど、議員含めてそういう声を聞きますけれど、こういうふうに行政機関が各方面から違法性を指摘されている状態、そのものについて、適切だと思いますか。
 知事:ご指摘というものは真摯に受け止めますけれども、県としての対応は適切だったと考えていますし、今、きちっと行政については、新年度入って、着実に政策も含めて進められているというふうに思っています。
 産経新聞:違法性が指摘されるという余地を残した状態でも、問題ないと考えていますか。
 知事:そういった指摘というものは真摯に受け止めます
 それは第三者委員会の報告書というものも真摯に受け止めるということですね。
 ただ、3月26日の会見を含めて、県としての考えというものはこれまで述べさせていただいたとおりですので、そこは真摯に受け止めるということでも、やはり考え方についての違いがあったということですので、それはいろんなご指摘というものは受け止めつつも、県としては、県政運営をきちっとこれからもしっかりやっていくということが大事だと思います。
 産経新聞:受け止めると結構おっしゃっていますけれど、受け止めた結果どうなっているのか教えてください。
 知事:受け止めた結果、3月26日などの会見で述べさせていただいたというとおりですね。
 産経新聞:風通しの良い職場づくりに向けて努力するというふうに、知事は何回もおっしゃっていますけれども、具体的に風通しの良い職場というのはどういう状況か具体的に教えてください。
 知事:まさにその風通しの良い職場だということだと思いますね。
 職員がそれぞれ意見を闊達に知事と政策に関する議論をし合うという意味で、風通しの良い職場を作っていくことが、私は大事だというふうに考えていますね。
 産経新聞:これだけ違法性が指摘されている行政機関ということになりますけど、現状の評価として知事の言う、風通しの良い職場というふうになっていると考えていますか。
 知事:それはいろんなご指摘、いろんなまだまだ不十分だというご指摘もあるかもしれないですけど、私としては新年度が始まって、新たな体制のもとで幹部含めて、日々の業務から含めて、風通しの良い職場づくりに向けて、全力で対応させていただいています。
 産経新聞:現状、風通しの良い職場になっていますか。
 知事:それは私としてはそうなるように、これからも努力していくということが大事だと思いますね。」
 
 「関西テレビ:実際、奥谷議員だったり丸尾議員に対して、誹謗中傷を行っている人に対して、何かお伝えされたいことというのはありますでしょうか。
 知事:先ほど申し上げているとおり、すべての利用されている方に、やはりどなたに対してのSNSの誹謗中傷というものもやるべきではないということが大事ですので、それをお伝えしたいと思いますね。

 読売テレビ:先ほどの17日の消費者問題特別委員会の件なんですけれども、審議官からこれまでも国と兵庫県の間で公益通報の法解釈についての助言をしていると答弁があったんですけれども、その助言の内容については知事に報告入っていますでしょうか。
 知事:百条委員会などに対してとかで消費者庁の方から議会が法解釈の確認などを行って、そういったやりとりがあったということなどは聞いてはいますけれども、大臣の発言を受けた後、技術的助言は来てはないというふうに聞いていますね。

 読売テレビ:一応、その答弁の質問内容とその答弁の文脈が3号通報についてだったんですけれども、その公益通報の解釈についての助言はこれまでにも来てないということでいいでしょうか。
 知事:私は、そこは存じ上げていないので、また確認していただければと思います。
 読売テレビ:その答弁で大臣が、今後、3号通報の法解釈について、県にどのような指導・助言ができるか今後も検討しますというふうな発言がありました。
 公益通報に当たるかどうかの最終的な県の判断は、最終的には知事が担うことになると思うんですけれども、今後、何か国から指導・助言があった場合、知事の判断もしくはその県の判断というのは、変わる余地というのは今もあるんでしょうか。
 知事:仮定の質問になりますので、詳細はお答えできないですけれども、県としての考えは、これまで述べさせていただいたとおりです。」
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 ②につづく。

2871/兵庫県人事課·「二つめ」の第三者委員会の任務全ては「週刊文春の情報元」捜し。

 兵庫県議会のいわゆる<百条委員会>とは別に、知事に指揮監督権があるいわば行政部には、三つの「第三者委員会」が設置されていた。
 「一つめ」の委員会は、長いが正確には「令和6年3月に職員が作成・配布した『「齋藤元彦兵庫県知事の違法行為等について(令和6年3月12日現在)』と題する文書」に関する調査を行ってきた「文書問題に関する第三者調査委員会」は、今年2025年3月19日に、県当局に対して「調査報告書」を提出した。
 <残り二つの>、つまり「二つめ」と「三つめ」の第三者委員会はいずれも、今年度末日の2025年3月31日に「報告書」を提出した
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 これら二つの委員会について、その設置根拠の問題がある。条例上の根拠はなく、「要綱」がそれに代わっているか、個別の委員(弁護士)との<委託契約>が法的根拠であるか、のいずれかなのだろう。この問題については、ここでは言及しない。
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  これらの、「二つめ」と「三つめ」の第三者「委員会」の簡単な経緯と調査対象について、マスメディアはつぎのように報道している(引用等はいずれもネット上の3/31付けの情報から)。三つにだけ触れる。
 ①/朝日新聞デジタル。執筆者名/添田樹紀(神戸総局・県政担当)。
 「情報漏洩疑惑めぐる第三者調査終了/兵庫県、内容は処分時に公表」
 「兵庫県は31日、斎藤元彦知事らが内部告発された問題をめぐる情報漏洩疑惑を調べていた二つの第三者委員会の調査が終了し、報告書が提出されたと発表した。…<中略>…
 二つの第三者委は、それぞれ①前総務部長が告発者の元西播磨県民局長の公用パソコン内の私的情報を県議らに漏洩した疑惑、②政治団体『「NHKから国民を守る党』党首の立花孝志氏らがSNSで拡散した県保有情報の漏洩疑惑、を調べてきた。いずれも地方公務員法違反が指摘されている。
 ①の疑惑をめぐっては昨年7月、週刊文春が前総務部長が告発文書とは関係のない私的情報をファイルにとじ、県職員や県議に見せて回っていた、と報道。県は10月に第三者委を設置し、真偽を調べていた。…<以下、省略>…」
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 ②/日経オンライン
 「告発者の情報漏洩疑惑、兵庫・第三者委が調査報告書提出」
 「兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを内部告発した元県幹部の私的情報が漏洩した疑惑を巡り、2つの第三者委員会は31日、県に調査報告書を提出した。…<中略>…
 情報漏洩疑惑は2つあり、それぞれ第三者委が設置された。1つは告発文書を作成した元幹部の私的情報を、元総務部長が県議などに漏らしたとされる疑惑。もう1つは、元幹部が公用パソコンに保存していたとされる情報がSNS上で拡散された経緯に関する疑惑だ。いずれも地方公務員法(守秘義務)違反の恐れがある。…<中略>…
 同日、2つの第三者委の調査実施要綱を初めて公表した。兵庫県弁護士会から推薦された弁護士3人がそれぞれ委員を務めた。」
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 ③/サンテレビNEWS
 「知事らの疑惑告発/元県民局長の私的情報漏えい問題で第三者委が調査結果提出」
 「兵庫県は、斎藤知事の告発文書を巡り、告発者の私的な情報などが漏えいした問題について、設置していた2つの第三者委員会の調査が終了したと発表しました。…<中略>…
 兵庫県は3月31日、残る2つの委員会が報告書を県に提出したと発表しました。
 2つの委員会は、告発者の元県民局長の公用パソコンにあった私的な情報が県の前の総務部長から県議に流失した疑惑と、元局長の私的な情報を含む県保有の情報が、政治団体党首の立花孝志氏に漏えいした疑惑を調査していました。」
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 以上によると、「二つめ」の「第三者委員会」に問題を限るが(最後のものに疑問・問題がないわけではないが)、この二つめの「第三者委員会」が調査したのは、それぞれ、①「前総務部長が告発者の元西播磨県民局長の公用パソコン内の私的情報を県議らに漏洩した疑惑」、②「元幹部が公用パソコンに保存していたとされる情報がSNS上で拡散された経緯に関する疑惑」、③「告発者の元県民局長の公用パソコンにあった私的な情報が県の前の総務部長から県議に流失した疑惑」だ。
 表現は同一でないが、同一のものを指している、と考えられる。すなわち、<元西播磨県民局長(告発者)の公用パソコン内の「私的情報」の漏洩>だ。しかも、この「漏洩」者は、①・②「前総務部長」、 ③「前の総務部長」と、すでに特定されている。
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  しかし、不思議なことにこれらの「報道」の前提になっているはずの「記者発表」の内容は異なる。
 「二つめ」を担当した(総務部)人事課の「発表」は、つぎのとおり(兵庫県のウェブサイトから引用)。発表者は、課長・上田真也、主幹・桑原真知子。課内の担当班は、「人事課人事班」。
 「秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会の調査終了について
 週刊文春令和6年7月25日号に掲載された本県職員が秘密を漏えいしたと疑われる事案の調査を行ってきた『秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会』の調査が終了し、本日、県に対して調査報告書が提出されました。 …<以下、省略>…」 
 同日に併せて、「秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会調査委託契約書」の内容も公表された。
 その第1条は「委託」の対象を、つぎのように定めていた(この対象のことをこの契約書は「事案」と称している)。
 「週刊文春令和6年7月 25 日号に掲載された兵庫県職員が秘密を漏えいしたと疑われる事案に関する事実確認調査」。
 同じことは、同様に3月31日に公表された「秘密漏えい疑いに関する第三者調査実施要綱」にも記載されている。冒頭の第1条は、つぎのとおり。
 「(目的)第1条 週刊文春令和6年7月25日号に掲載された本県職員が秘密を漏えいしたと疑われる事案(この実施要綱において「秘密漏えい疑い」といい、以下「本件事案」という。)について、公平かつ中立な観点から専門的な知見を持つ第三者による客観的な調査等を、調査委員会を設けて実施する。」
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  以上のとおり(秋月瑛二が勘違いしているのではない)、「報道」内容と「記者発表」内容は異なっている。
 強いて言えば、前者での<元西播磨県民局長(告発者)の公用パソコン内の「私的情報」>と、後者での「週刊文春令和6年7月25日号に掲載された」情報は同じだ、という説明があり得るのかもしれない。
 たしかに、重なっている部分はあり得る。しかし、同一の対象を指しているとは考えられない。
 前者によると、情報「漏洩」者は<前総務部長>と特定されている。井ノ本某だ。
 しかし、週刊文春2024/7/25号の記事の「漏洩」元、あるいはこの記事の「取材先」である、または週刊文春への情報「提供者」は、井ノ本某をかりに含むとしても、兵庫県の関係職員一般に広く及ぶと見られ、したがってまた、(「漏洩」した)対象「情報」自体がかなり異なるように考えられる。
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 そうすると、「二つめ」の委員会(弁護士3名。人事課所管)が担当したのは、週刊文春という雑誌メディアに<どの職員がどのような情報をどのように提供したのか>だった、と思われる。
 <元西播磨県民局長(告発者)の公用パソコン内の「私的情報」の前総務部長による漏洩>の経緯・内容とは、大きく異なる。
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 予約投稿後に、週刊文春2024年7月25日号の関係記事(p.21-p.23)を実際に見て、上記のことを確認した。以下の叙述も含めて、もっと断定的に書いてよいが、そのままにする。
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  まとめると、第一に、マスメディアによる兵庫県(人事課)発表内容のネット上の「報道」は<誤報>である可能性が高い。少なくとも、「記者発表」の内容に忠実であるとは言えない。
 第二に、週刊文春という雑誌メディアへの「情報提供」または「取材への応答」を行なった兵庫県職員を明らかにする調査を、この「二つめ」の委員会(弁護士3名)は行なった。この点は、3月末および今日までの一般的な?、およびマスメディアの理解と異なる、と考えられる。
 上の第二点について、さらに触れる。
 週刊文春側が「情報源」を明らかにするとは思えない。
 「三つめ」の第三者委員会の調査対象となる項目の過半数(13項目のうち9項目)に「週刊文春」のいくつかの号の記事が挙げられていた(「要綱」別表による)ことが、すでに話題になり、問題視されている。
 同じことは、「二つめ」の委員会が調査対象とした(漏洩)「情報」全体についても言えるだろう。つまり、「週刊文春」の特定号の記事となった情報を提供した兵庫県職員の探索がなされた、と考えられる。
 なお、兵庫県に関する情報の(内部職員からの)「外部提供」と「秘密漏洩」とは、むろん、同じではない。
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 ついでに。「二つめ」の委員会による調査を担当した人事課(職員)に対しても(「三つめの」それを担当した法務文書課(職員)に対しても)、兵庫県知事・斎藤元彦の指揮監督権が及ぶ
 上記の契約内容や「要綱」について、斎藤元彦が全く知らなかった、何ら報告されず何の指示もしなかったとは、到底考えられない。
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2870/R.パイプス1990年著—第15章⑪。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第四節/最高経済会議の設立③。
 (13) 外国には、この巨大な「社会主義建設」の企ては、大きな印象を与えた。
 西側でのソヴィエトの政治宣伝は、全てを見通す政府の慈悲ある目のもとでのロシア産業の「合理化」について、熱情的に語った。しかし、強調されたのは実績ではなく、内容だった。
 ロシアの産業がいかに規整されているかを示す図表は、戦後世界の混乱に対処している多くの西側の人々の称讃を掻き立てた。
 しかし、ロシアの内部では、新聞や雑誌、そして党大会での報告から、全く異なる像が浮かび上がった。
 経済計画という主張は、茶番劇だったと判った。すなわち、1921年に、トロツキーは、中央計画は存在しないこと、「中央化」はせいぜい5-10パーセントしか実現されていないこと、を確認した(注83)。
 1920年遅くの<プラウダ>上の一論考は、明け透けに、こう認めた。<khoziaistvennogo plana net>(「経済計画は存在していない」)(注84)。
 最高経済会議の<glavki>は、それが責任をもつべき産業の諸条件について、きわめて漠然とした考えしかもっていなかった。
 「一つの<glavka>または<tsentr>ですら、国の産業と生産を正しく規整することを可能にする適切で包括的なデータをきちんと処理していない。
 数十の組織が、似たような情報を収集するという平行で同じ作業を行なっている。その結果として、全体としては、似ていないデータを掻き集めている。…
 会計は不正確に行なわれ、ときどきは記帳された物品の80-90パーセントが、関係する組織の管理を免れている。
 会計処理がなされていない物品は、乱暴で無制限の投機の対象になり、最終的に消費者に届くまで、何十回も手から手へと渡される」(注85)。
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 (14) 最高経済会議の地域支部については、これらとモスクワの本部との間には恒常的な摩擦がある、と言われていた(注86)。
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 (15) 要するに、当時の説明文書によると、最高経済会議は、管理されずに干渉し合う、主要な役割は数千人の知識人への生活の糧の提供である、そのような奇怪な官僚制的混乱物だった。
 1920年の初頭に、会議の地域支部と地方ソヴェトの経済担当部署は、ほとんど2万5000人に雇用を提供していた(注87)。その圧倒的大部分は、知識人だった。
 官僚制的膨張のそのままの例は、ベンゼン・トラスト(Glavanil)だった。これの職員名簿には、150人の労働者を雇用する工場施設を監視するための、50人の官僚たちが載っていた(脚注)
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 (脚注) Litvinov, in Prau da, No. 262(1920年11月21日), p.1. Scheibert 教授(Lenin, p. 210)は間違って、「ヴァニラ・トラスト」を意味する頭文字だと解読している。
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 最高経済会議の官僚の一人は、彼が所属した部署の類型について、彩り豊かな叙述を残した。
 共産主義政府の他の機関については知られていない叙述なので、引用しておくに値する。
 「下級の職は、主として多数の若い女性、男性、以前の帳簿係、店員、書記、あるいは大学、高校や『外部の』学生に占められていた。
 この若者たちの集団は、比較的に高い給料でかつ要求される労働量の少ない業務に魅かれていた。
 彼らは一日じゅう、大きな建物の多数の廊下でぶらぶらしながら過ごした。
 彼らはいちゃつき、共同施設でキャンディやナッツを買うために走り出し、1人だけが何とか手にするだけの劇場券や肉の煮付けを仲間うちで配り、こうした商業的行為に付きもの一種として、ボルシェヴィキを呪った。」…
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「つぎの最も数の多い[被雇用者の]類型は、帝制時代の省庁の一時的な官僚で成っていた。
 ソヴィエトの業務に加わるに際しての彼らの動機は、物質的必要か、それ以上に、手慣れた仕事をしたいという願望か、のいずれかだった。そのような仕事に、彼らは人生の10年間以上を捧げてきたのだ。
 『発出』または『受取』の素材、『備忘録』、『報告書』、書記上の些細な知恵に、彼らはどのような情熱を持って取り組んだのかを、把握しなければならない。パンや靴がないままで生活することよりも、事務作業の雰囲気がない所で生きていくことの方が困難だと彼らは知ったということを、理解しなければならない。
 このような人々は、実直に業務を遂行しようとした。
 彼らは、最も早く来て、最も遅く去る人々だった。彼らは、鎖で縛られているように、その職に執着した。
 しかし、おそらく正確には、信じ難い愚かさ以外に彼らの仕事の実直さは存在しなかった、という理由でだろう。
 上級機関の無秩序と衝動性が、彼らが取り組んだ『受取』素材や『備忘録』等の全てに、愛情溢れた気配りを混ぜ込んだ、という理由でだろう。…」
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 「最後に、中間層の官僚たちのうちの非共産党多数派やより上級の官僚たちの一部は、さまざまなタイプの知識層で成っていた。
 そこには、いわばロマンティックな性質があり、そのために敵の要塞の中で行なう業務には、大きな冒険の風味があった。
 原理をもたず、自分たち自身の幸福以外には世界の全てに無関心な人々が、そこにはいた。
 暗黒と混乱の覆いのもとで、価値があるもの全てを略奪することができるように、ボルシェヴィキの混沌に身を寄せる、そのような普通のいかがわしい人々が、そこにはいた。
 別のタイプの人々もいた。貴重だと考える仕事を回収することを望む専門家たち。また、私自身のように、『体制を柔和にする(soften)』ことを目的として、加わった者たち。」(注88)
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 (16) レーニンの、「単一計画」にもとづき作動する「単一の巨大な機構に国家の経済機構全体を変える」という考えについては、多くのことを語り得る。
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 (17) ボルシェヴィキは、労働者支配の広がりのあとの経営者による混乱を、いくぶんかうまく克服するのに成功した。
 1917年十月直前および直後の、体制のサンディカリズム的政策は、労働者をメンシェヴィキから切り離す道具だった。これは、ボルシェヴィキが工場委員会で多数派になるのを助けた。
 ブレスト条約の調印のあとでは、「ブルジョア専門家」を雇用しての個人による工業経営という伝統的手法へ回帰することが、決定された。
 トロツキーは1918年3月に、レーニンは5月に、これについて語った(注89)。
 実際に、以前の所有者や経営者の多くは彼らの仕事を決して捨てなかったが、1918年6月28日の国有化布令の条件で、それは禁止された。
 最高経済会議は、これらの人々で充ちた。
 シベリアからのある訪問者は、つぎのことに気づいた。
 「多くのモスクワの<tsen try>や<glavki>の長には、以前の雇用者、経営者および権限ある官僚が就いている。…」。
 「個人的に従前の商業や工業の世界を知っていた、準備のない訪問者は、従前の皮革工場の所有者がGlavkozh[皮革シンジケート]にいること、大製造業者が中央織物組織にいること、等々を見て、驚いただろう」(注90)
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 (18) レーニンとトロツキーは、「社会主義」の信条で「ブルジョア専門家」の技巧を利用する必要性を主張しつづけた。しかし、これは、左翼共産主義者、労働組合官僚、工場委員会からの抵抗に遭遇した、
 かつての「資本主義」エリートたちが彼らの専門性のゆえにソヴィエトの産業界で享有している権力や特権を不愉快に感じて、彼らは、旧エリートたちに嫌がらせを行ない、彼らを威嚇した(注91)。
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 (19) 内戦が終了するまで、政府には、個人による管理という原則を実施するのに多大の困難があった。
 1919年に、工業施設の10.8パーセントだけに、個人の管理者がいた。
 しかし、1920-21年に、政府は力強く運動を再開し、1921年末には、ロシアの工場の90.7パーセントは、個人管理者のもとで稼働していた(注92)。
 しかしながら、「合議制の」管理を擁護する主張は消え去ることがなかった。その主張者たちは、個人の管理は労働者を体制から遠ざける、「資本主義者」が、国家に奉仕しているという偽装のもとで、収用された工場施設の支配権を保持するのを許している、と議論した(注93)。
 やがて、こうした議論は、いわゆる労働者反対派によって全国レベルにまで高められることになる。
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 第四節、終わり。

2869/R.パイプス1990年著—第15章⑩。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第四節/最高経済会議の設立②。
 (07) 最高経済会議は、巨大な私的部門がその統制の外に残ったままだったということだけでも、「国民経済と国家財政を組織する」という課題を、部分的にすら実現しなかった。
 供給人民委員部に譲歩しなければならなったので、食糧その他の消費用品を配分するという任務を全うすることもしなかった。
 実際のところ、最高経済会議は、ソヴィエト・ロシアの国有産業を管理する—いや正確には、管理することを試みる—主要な機関になった。換言すると、異なる名前をもつ産業人民委員部だった。
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 (08) ボルシェヴィキは、十月のあとすぐに、企業の国有化を開始した。
 ほとんどの場合、所有者または経営者が「破壊活動(sabotage)」に従事したという理由で、工場施設を剥奪した。
 剥奪したそれらを、ボルシェヴィキは工場委員会に委ねた。
 ときには—従前の臨時政府の地方政府閣僚だったA. I. Konovalov の織物工場について生じたことだが—、政治的復讐を動機として収用が行なわれた。
 国有化された企業の所有者は、補償を受けなかった。
 国有化のこうした任意で無計画の段階が最高に達したのは、1917年12月のPutiov 工場の収用だった。
 ほとんどの収用は、政府の指示によってではなく、地方機関自身の主導でもって行なわれた。—最初は地方ソヴェトによって、のちには最高経済会議の地域支部によって。
 1918年8月に行なわれた調査によれば、国有化された567企業のうち、そして没収された214企業のうち、五分の一だけが直接にモスクワによる指令にもとづいていた(注72)。
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 (09) ロシア産業の体系的な国有化は、1918年1月28日の布令でもって始まった(注73)。
 これを起動させたのは、Lari n だった。
 ベルリンでの通商交渉に出席したLarin は、ドイツの実業家たちはロシアの大企業の支配権を握るつもりだ、と結論づけた。
 ボルシェヴィキは、ブレスト=リトフスク条約で、ソヴィエトの経済諸法の規制から中央諸国の会社を除外することに同意し、それらがロシア領土内で資産をもち、事業活動を行なうことを認めた。
 国有化された資産の所有者には、適正に補償がなされるものとされていた。
 ロシア人がその企業をドイツ人に売却する場合、当該ドイツ人は支配権を握るか補償を受けるかの選択をするのを可能にする、そういう条項があった。
 Lari n はレーニンに、国有化措置を一挙に行なうことだけがドイツがロシアの産業の支配者になるのを阻止することができる、と説得した(注74)。
 レーニンがそうするのを躊躇したとすれば、ドイツの反応を懸念したからだった。多数のボルシェヴィキはそうした措置がドイツとの外交関係に亀裂を生み、反ボルシェヴィキ「十字軍」を形成する刺激になることを怖れていたのだ。
 この恐怖には、結局は根拠がなかった。「不誠実だ」と不満を述べながらも、「[ドイツは]全ての[ロシアの]産業の国有化を黙認し、ロシアに対して宣戦を布告することはなかった」(注75)。
 国有化される資産についてドイツの利害関係者には完全な補償が保証され、連合諸国のそれには否認された、というのがその理由だった。
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 (10) 1918年6月28日の布令は、100万ルーブルの資本をもつか、それ以上を会社か組合が所有している全ての企業と鉄道の国有化を、補償なくして、命じた。
 国有化された事業の施設その他の資産は、国家に移された。
 経営者たちは、厳しい制裁で威嚇されつつ、その地位にとどまるよう命じられた。
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 (11) それ以降、国有化の過程が進行した。
 1920年の秋までに、最高経済会議は、総計200万人の労働者のいる、3万7226企業を、名目上は管轄した。
 国有化された企業の13.9パーセントは1人しか雇用せず、ほとんど半分には機械装備がなかった。
 しかし、実際には、最高経済会議はこれら企業の一部しか管理せず(ある権威によると4547企業)、残りが国有というのは、名前だけにすぎなかった(注76)。
 1920年11月、政府は、ほとんどの中小企業を国有化する追加の布令を発した(注77)。
 1921年の初めに、書類上は、政府は、一人の作業場から巨大な工場まで、ほとんど全ての製造施設を所有し、経営した。
 現実には、一部しか支配せず、管理したのはさらに少なかった(脚注)
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 (脚注) 防衛産業の組織化については、明確でない。1918年8月、最高経済会議は、Krasin の指揮のもとに軍需用品の生産に関する委員会を設立した。この委員会は、拘束力のある軍部からの命令を受け取り、企業へと渡した。やがて、軍需用品の供給の責任は防衛会議(Sovet Obolony)がもつことになった
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 (12) 最高経済会議—かつて「トラストのトラスト」と呼ばれた—は、幹部会によって指揮される、巨大な官僚機構を発展させた。
 それは、垂直に(機能面で)また水平に(領域面で)組織される諸機関へと分割されていた。
 垂直の諸組織は、<glavki>または<tsentry>と呼ばれた。これらは1920年遅くで42を数え、それぞれが産業生産の一分肢に責任をもち、委員会によって指揮された。
 それらは、塗料、塩、紙について各々Glavlak、Glavsol、Glavbum のように、頭文字化された名称をもった(注79)。
 この会議の構造や活動を企画するのに大きな役割を果たしたLari n は、のちに、その発想を外国から得ていたことを承認した。
 「私はドイツの<戦争社会>に注目し、ロシア語に翻訳し、労働者精神を混ぜ、<glavki>の名前で通用させた」(注80)。
 <glavki>に加えて、最高経済会議には、1920年にほとんど1400の、地方支部の網があった(注81)。
 会議の組織図は、幹部会が太陽を、<glavki>、<tsentry>や地方諸機関は惑星とそれらの月を示す、天界図に似ていた(注82)。
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 ③へとつづく。

2868/私の音楽ライブラリー055/クラシック⑱〜㉒。

 ライブラリー055/クラシック⑱〜㉒。
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 ⑱Mendelssohn, Symphony No.3 in A-minor, op.56.
 →Paavo Järvi, TonhalleO Zürich. 〔TonhalleO Zürich〕

 ⑲Mendelssohn, Violin Concerto in E-minor, op.64.
 →Anne-Sophie Mutter, Kurt Masur, Leipzig GewandhausO. 〔GreatPerformers1〕
 →Maria Duenas, Gustavo Gimeno, Luxembourg PhilO. 〔Maria Duenas Violin〕

 ⑳Saint-Saens, Cello Concerto No.1 in A-minor, op.33.
 →Mischa Maisky, Gabor Takaks-Nagi, Verbier Festival ChamberO. 〔DW Classical Music〕

 ㉑Saint-Saens, Introduction & Rond Capriccioso, op.28.
 →Kristine Balanas, Jean Claud Casadesus, Latvian National SimphO.

 ㉒Schubert, Schwannengasang, D957, IV, Serenade in D-minor.
 →Stjepan Hauser. 〔HAUSER〕
 →Khatia Buniatishvili. 〔Catia Luis〕
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2867/R.パイプス1990年著—第15章⑨。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第四節/最高経済会議の設立①
 (01) すでに記したように、ペテログラードでの権力奪取のあと、レーニンは、ロシアの産業上の資産を収用するつもりでなかった。
 彼には産業経済を運営することの複雑さを単純化し過ぎる強い傾向があったけれども、職業的革命家の党が自分たちだけで産業経済を稼働させるのは不可能だ、ということを理解できる現実主義者だった。
 政治的圧力によって「国家資本主義」という考えを放棄せざるを得なくなったが、彼は、国民経済には中央計画による紀律が必要だ、と考え続けた。
 1918年3月、レーニンは、政府の直面する任務を、つぎのように語った。
 「会計の組織化、大企業の統制、国家経済全体の、億万の人民が単一の計画によって指導されるのを可能にするよう機能する巨大な機構への移行」(注61)
 トロツキーは、同意した。
 「経済の社会主義的組織化は、市場の廃絶でもって始まる。これが意味するのは、調整者—すなわち供給と需要の法則の『自由な』展開—の廃絶だ。
 不可避の結末—すなわち社会の需要への生産の従属—は、原理的には生産の全分野を覆う<統合した経済計画>によって達成しなければならない。」(注62)
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 (02) Larin は、レーニンの依頼に応じて、ロシアの経済を指揮する中央の行政および計画の機関を設立する案を作成した。
 若干の修正のあと、1917年12月2日に、国家経済最高会議(Vysshyi Soviet Narodnogo Khoziaistva, VSNKh)を設置する布令が発布された(注63)。
 1921年に国家計画委員会(Gosplan)と改称されるこの機関は、共産党が政治分野を支配するのと同じ独占的地位を国の経済について(少なくとも理論的には)与えようとするものだった。
 「理論的には」と言うのは、私的な農業部門と大きくかつ増大している物品のブラック市場の存在を考えれば、VSNKh は決してソヴィエト・ロシアの経済を統制することすらできなかったからだ。
 ソヴナルコムの指揮を直接に受けるこの機関の公式の任務は、「国民経済と国家財政を組織する」ことだった。
 基本計画を策定し実施するものとされたが、そのために、生産、配分、金融の全ての分野を国有化し、シンジケート化する権能が与えられた。
 トロツキーによれば、もともとは、供給、農業、輸送、財政、貿易の各人民委員部を、最高経済会議の一部門にすることが意図されていた(注64)。
 この会議はさらに、地方ソヴェトの経済部門について責任をもち、それが存在しない場合は会議の支部を設置するものとされた。
 最高経済会議は、概念上は、社会主義経済の条件であるHilferding の観念での「総合カルテル」に適合しようとするものだった。
 それは実際には、はるかに穏健なものに変わった。
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 (03) レーニンは、会議の指揮をAleksei Rykov に委ねた。この人物について、ある知人は、「温かい心をもつ知識人」、むしろ「古い時代の地方出身の親切な医師」と叙述した。
 別の者は、彼は地方<zemstvo>にいる農学者か統計学者を思い出させる、と書いた(注66)。
 たしかに彼は、ロシアの経済を上から下まで知っている人物でも専門家でもなかった(注67)。
 彼はBonn の農民家庭に生まれ、大まかな教育を受けたあと、レーニンのための職業革命家の仕事をした。
 身なりは貧しく、手入れは行き届かず、小声でゆっくりと話した。このような癖のおかげで、力強いとの評判を得た。
 しかし、のちに判ったように、彼は決定が要求されるときに全く無力だった。
 そのような行政的才能の欠如によって、始めるのが困難で全く不可能な仕事が、彼に任された。
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 (04) 最高経済会議の背後にいる真の実力者—「ロシア経済のSaint-Just」—は、Iurii Larin だった。
 専門家にすらほとんど知られていないが、この半身が麻痺していてつねに痛みを感じていた人物は、独特の歴史的業績の評価を要求できる資格があった。たしかに、30年という信じ難く短い期間に大国の国家経済を破綻させた、と他の誰も主張できなかった。
 Larin は、レーニンに大きな影響を与えた。レーニンは、その独裁の最初の2年半のあいだ、他のどの経済助言者に対してよりも、彼の語ることに注意深く耳を傾けた。
 Larin は、困難な諸問題についての迅速で急進的な解決方策を、つねに用意していた。そのことで、経済の「魔術師」との評価を得た。
 Metropole ホテルの高級室にある彼の事務所は、きわめて狂信的な経済構想をもつロシア人たちにとって、巡礼の聖地だった。
 そうした構想はいずれも鼻にもかけずに却下されることはなく、多くは真摯に検討され、いくつかは採用された。
 レーニンが彼の助言に幻滅を感じるようになり、最高経済会議の幹部会から追放したのは、ようやく1920年の初めだった。
 そのときまでLarin は、その考え方と人柄によって最高経済会議を支配した(脚注)
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 (脚注) Lenin, Khronika, XIII, p. 243, p. 267. この時期の経済計画家のほとんどはスターリンと衝突し、射殺された。だが、小児麻痺の犠牲者のLari n は、幸運にも1932年まで生き、自然死を遂げた。
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 (05) Larin は1882年にクリミアで、ユダヤの知識人家庭にMichael Aleksandrovich として生まれた。そして、自ら「反目的雰囲気」と称したものの中で少年期を過ごした(注68)。
 18歳の年に、ある急進的組織に加入した。そのときから、典型的なロシアの革命家の人生を歩み、地下活動、違法な労働組合の組織、監獄か流刑地での服役のあいだを繰り返した。
 政治的には、メンシェヴィキの側にいた。
 高等教育を受けなかった。経済に関する知識は、新聞、多量の雑誌、小冊子を読むことで獲得した。
 戦争中に報道記者になり、Stockholm からリベラルな新聞の<Russkie Vedomosti>のために、ドイツの国内発展に関する報告を提出した。
 革命後に書籍としてまとめられた、彼のよく読まれた論考類は、ドイツの「戦争社会主義」に魅惑されていたことを示していた(注69)。
 1917年の春にペテログラード・ソヴェトで働き、同年9月に、ボルシェヴィキへと移った。
 ボルシェヴィキ独裁の最初の数ヶ月、彼は、多数の重要な布令の草案を作成し、ときには布令を発した。
 ソヴィエト・ロシアが最高経済会議を設立し、経済計画の策定を始め、外国債務をデフォルトにし、産業を国有化し、実際的諸目的がありつつ、通貨を廃止したのは、大部分はLarin に依っていた。
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 (06) 最高経済会議は、知識人たち、主としてメンシェヴィキや独立派の専門家を魅きつけた。政治的帰属を問わない仕事を提供し、体制反対者にも自分たちは人民に役立っているという感覚をもつのを許したからだ。
 最高経済会議はすぐに、官僚制的ヒドラへと膨大化した。モスクワの、かつては二級のホテルが位置したMiasnitskaia 通りの大きなビルに本部があった。その専門家たちは、全国へと広がった。
 設立から10ヶ月後(1918年9月)、6000人の職員を雇用していた。彼らには、一日あたり20万ルーブルが俸給として支払われた(注71)。
 この職員数と給与総額は、過大ではなかっただろう。かりに、最高経済会議が、企図されたこと—すなわち国家の経済の指揮—を行なっていたならば。
 しかし、現実には主として、誰も注意を払わない布令を発することや、誰も必要としない官僚制的機関を形成することに専念した。
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 ②へとつづく。

2866/R.パイプス1990年著—第15章⑧。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み③。
 (17) その頃までに、全ての実際的目的について、ソヴィエトの通貨は無価値になった。
 5万ルーブル銀行券は、戦前のアルミ硬貨ほどの購買力しかなかった(注46)。
 価値がまだある唯一の紙幣は、帝制時代のルーブルだった。しかし、この紙幣は隠匿され、ほとんど流通しなくなった(註47)。
 だが、人々は価値を測る何らかの単位なくしては生活することができなかったので、通貨代替物を求めた。その中で最も一般的だったのは、パンと塩だった(注48)。
 つぎの表が示すように、インフレは天文学的規模に達した。
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 「流通しているロシア貨幣の現実の価値(注49)(10億ルーブルにつき)
   1917年11月 1日 1,919
   1918年 1月 1日 1,332
   1919年 1月 1日  379
   1920年 1月 1日   93
   1921年 1月 1日   70
   1921年 7月 1日   29」
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 「ロシア、1913年〜1923年の物価(注50)(各年10月1日)
   1913年      1.0
   1917年      7.55
   1918年      102
   1919年      923
   1920年    9,620
   1921年    81,900
   1922年  7,340,000
   1923年 648,230,000」
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 ある経済史学者の言葉では、「1917年1月1日から1923年1月1日までに、〔ロシアでの〕貨幣の量は20万倍増加し、物価は1000万倍に高騰した」(註51)。
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 (18) 左翼共産主義者たちは、狂喜乱舞した。
 インフレが頂点に達する前の1921年3月に開催された第10回党大会で、Preobrazhenskii は、フランス革命で発行された通貨は最低で500分の1に価値を下落させたのに対して、ソヴィエトのルーブルはその価値をすでに2万分の1に落とした、と誇った。
 「このことが意味するのは、我々はフランス革命の40倍を獲得した、ということだ」(注52)。
 彼は、より真剣な覚書で、こう観察した。
 無制限の量の紙幣を印刷する政府の政策によって惹起された莫大なインフレは、農民層から食糧その他の生産物を掴み出すのを助けた。
 ボルシェヴィキ革命を3年間支えるのに重大な役割を果たしたのは、一種の間接税だった(注53)。
 第11回党大会で、G. Ia. Sokolnikov は、驚きを込めて、党大会でこの主題について初めて長い報告をする、と注意を向けた。
 彼は、それまでの政策は通貨と財政は廃止されたものと見なすことだった、と述べた。
 この目的のための手段は、意図的なインフレだった(註54)。
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 (19) 経済史の研究者たちは長く、通貨は、「資本主義」の形態にとどまらない全ての経済活動に不可欠の要素だ、と警告してきた。
 Max Weber はこう書いた。
 「貨幣なき社会の問題に勇気をもって取り組むならば、何らかの会計制度が何とかして『発見される』だろうとの前提的想定は、何ら役に立たない。
 これは、全ての『社会化』の根本問題だ。
 この最も決定的な点に合理的に策定される計画の手段をもたないかぎりは、合理的な『計画経済』について語ることはできない。」(脚注)
 ロシアでは、Peter Struve が、革命の前にも後にも、経済活動は最小の費用で最大の利得を得ようとすることを意味するので、名前や物理的形態がどうであれ、計算単位または「通貨」を必要とする、と主張した。
 貨幣を廃止することはできない。貨幣がその自然な機能を果たすことを政府が妨げようとするときはつねに、その結果は市場の分裂だ(規制市場と自由市場)(注55)。
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 (脚注) M. Weber, Wirtschaft und Gesellschaft, I (Tübingen, 1947), Pt. 1, Chap. 2, p. 12. この批判は、Otto Neurath に向けられていた。Neurath は、通貨とは無関係に帳簿を記入する制度を案出した、と考えていた。
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 (20) ボルシェヴィキはようやく、こうした観察が真実であることに気づいた。
 貨幣なき経済の擁護者が予見できず、最終的に彼らの運命を決めた困難さがあった。それは、国有化された企業と他の国家組織との間の会計を処理する方法を提示することに失敗したことだった。
 1918年8月30日の布令(注56)は、ソヴィエトの諸機関に対して、当面必要な出費分を除いて、それらの金銭資産を全て人民銀行に預けることを指示した。
 それら諸機関はまた、生産物を国家経済最高会議(後述)の適切な機関(glavki)に預託し、代わりに、備品や原料を受け取るものとされた。
 これらの業務は、貨幣に頼ることなく、帳簿への記入の方法で実施されるものとされた。
 しかし、この手続は機能しなかったようだ。というのは、翌年に追加の布令が発布されていて、その布令は、国有企業間の、および国有企業と国家諸機関の間の業務執行に関する貨幣なき帳簿記入について、それらを実行する仕方を複雑なほどに詳細に、定めているからだ(注57)。
 Osinskii は、ソヴィエト諸機関と諸企業の間の財務関係を規律する布令に政府官僚たちは最初から反対し、その制定から逃げてきた、と主張した。
 彼は、そうした制度がそもそも機能しないものであることを、認めようとしなかっただろう(注58)。
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 (21) Ossinskii とその急進派の仲間たちは、慌てなかった。
 1920年2月、Larin とその同僚たちは、次回の党大会のために、正式に通貨を廃止する決議の草案を作成した。
 レーニンは、原則的に同意しつつ、さらなる議論を求めた。
 1年後(1921年2月)、布令を発表する準備ができた。かりに実施されていれば、その布令は歴史上初めて、租税を廃止することになっただろう(注60)。
 しかし、施行されることはなかった。政府はその翌月、新経済政策(NEP)の導入に合わせて、さらに貨幣を消し去ろうとしつつも、財政上の責任へと戻る措置を講じた。
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 第三節、終わり。

2865/R.パイプス1990年著—第15章⑦。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み②
 (11) レーニンは、財政問題についてはかなり保守的だった。その立場を主張し続けていれば、ソヴィエト・ロシアは最初から、徴税と予算策定制度について伝統的な手法を採用していただろう。
 彼は、予算上の混乱を心配した。
 1918年5月に、何であれ今ある実業界の重要性をいつものように強調して、次のように警告した。
 「財政政策をうまく実施しなければ、全ての我々の急進的な改革は失敗だと非難される。
 社会主義のモデルによる社会の再組織について我々が想定する莫大な努力が成功するか否かは、まさにこの〔財政上の〕任務にかかっている。」(注36)
 しかし、レーニンはこの問題に時間を割く余裕がなかったので、異なる考え方をもつ仲間たちにこれを委ねた。
 同僚たちは、貨幣と財政をすっかり廃止しようとした。国家支配の生産と配分にもとづく経済を創出するためだった。
 1918年の後半、ソヴィエトの出版物には、このような経済観を促進する多数の論文が掲載された。それらは、ブハーリン、Larin、Osinskii、Preobrazhenskii、A. V. Chaianov のようなボルシェヴィキの論客たちの支持を受けた(脚注)
 彼らの考え方は、紙幣を無制限に発行することで、通貨を無価値にすることだった。
 貨幣に代わるのは、1832年にRobert Owen の<労働交換銀行>で発行されたものに類似した、「労働単位」だとされた。これは相当する商品とサーヴィスの量について資格がある者が使用した労働量を示す代替券(token)だった。
 Owen の実験は、1848年の革命時にフランスで導入されたLouis Blanc の<ateliers sociaux>がそうだったように、無惨に失敗した(Owen の銀行は2週間後に閉鎖された)。
 ロシアの急進的知識人たちは、怯むことなく、この途を歩んだ。
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 (脚注) 企てられた貨幣なき経済の理論的基礎を概観したものは、次に見出され得る。Iurovskii, Denezhnaia poli tika, p. 88-125. この主題に関するボルシェヴィキの考え方に圧倒的な影響力をもったのは、ドイツの社会学者、Otto Neurath だった。
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 (12) ボルシェヴィキ党(共産党)は、1919年3月に採択した新綱領で、通貨の廃止を目標とすると宣言した。
 新綱領では、貨幣の廃止はまだ実現可能ではないが、党はこれを達成することを決意している、と述べられた。
 「計画に従って経済が組織される程度において、銀行は廃止され、共産主義社会の中央記帳局に変わるだろう」(注37)。
 これに応じて、ソヴィエトの財務人民委員部は、自分たちの任務は余計なものになる、と宣言した。
 「社会主義の共同社会では、財政は存在しない。ゆえに私は、この主題について語るのを詫びなければならない」(脚注)
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 (脚注) S. S. Katzenellenbaum, Russian Currency and Banking, 1914-1924(London, 1925), p. 98n. この証拠からすると、ロシアの通貨の全面的な価値下落へと至るボルシェヴィキの財政政策は、計画や政策の結果ではなく、絶望的な需要に対する反応の結果だった、とするCarr の主張(Revolution, II, p.246-7, p.261)に同意するのは不可能だ。
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 (13) その結果は、最後には「色の付いた紙」に変わるまで、ロシアの貨幣の価値下落を加速することだった。
 ソヴィエト・ロシアで1918-22年に起きたインフレは、ヴァイマール・ドイツがすぐのちに経験することになる、もっとよく知られてているインフレにほとんど匹敵するものだった。
 このインフレは、意図的に、印刷機が吐き出すことのできるだけの紙幣が国じゅうを埋めつくすことによって、発生した。
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 (14) ボルシェヴィキがペテルブルクで権力を奪取したとき、ロシアで流通している紙幣は、総額196億ルーブルだった(注38)。
 大量のそれは、「Nicholaevsky」として一般に知られた、帝政期のルーブル紙幣だった。
 臨時政府が発行した、「ケレンスキー」または「Dumki」と呼ばれたルーブル紙幣もあった。
 後者は、片面だけに印刷された簡素な札で、通し番号、署名、発行者名はなく、ルーブルの価額と偽造に対する制裁を示す警告だけが記載されていた。
 1917年と1918年初頭、「ケレンスキー」は帝制ルーブルよりも少し割り引かれて流通していた。
 ボルシェヴィキは、国立銀行と国庫を奪取した後でも、「ケレンスキー」をその外形を変更することなく発行しつづけた。
 一年半のあいだ(1919年2月まで)、ボルシェヴィキ政府は、それ自身の通貨を発行しなかった。これは主権が持つ通貨発行の伝統的権利を行使しないという驚くべきことだった。そして、一般国民が、とくに農民が、それを受け入れるのを拒むだろうという恐怖によってのみ、説明することができる。
 1917年十月以降は徴税制度は完全に破綻し、租税以外の収入では政府の需要を充たさなかったので、ボルシェヴィキは印刷機に頼った。
 1918年の前半、人民銀行は毎月20-30億ルーブルを、信用保証は何もなく、発行した(脚注1)
 1918年10月、ソヴナルコムは、従前に臨時政府が公認していた165億ルーブルから335億ルーブルにまで、信用保証なき銀行券の流通量を引き上げた。これは長く続いた。
 1919年1月、ソヴィエト・ロシアには、613億ルーブルが流通していた。そのうち三分の二は、ボルシェヴィキが発行した「ケレンスキー」だった。
 その翌月、政府は、「会計券(accounting token)」と呼ばれる、最初のソヴィエト紙幣を発行した(脚注2)
 この新しい通貨は、「Nicholaevki」や「ケレンスキー」と並んで流通した。但し、これらに比べて大きく割り引かれた。
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 (脚注1) この無責任な財政政策について金融市場がほとんど注目しなかったことは、そしてじつに、それがボルシェヴィズムに順応する用意が相当にあったことは、驚くべきほどだ。当時の新聞(NV, No.102/126, 1918年6月27日, 3頁)によると、1918年6月に、1ドルにつき12.80ルーブルで、ロシアでアメリカ通貨を購入することができた。これは、1917年11月と同じ交換比率だった。
 (脚注2) 革命期のロシア通貨を再現したものは、N. D. Mets, Nash rub V(Moscow, 1960)で見られる。Katzenellenbaum によれば、最も早いソヴィエトの通貨は、1918年半ばにPenza で現れた(Russian Currency, p. 81)。
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 (15) 1919年初め、インフレはますますひどくなっていたが、先にある醜悪な次元にはまだ達していなかった。
 1917年と比較して、物価の指標は15倍に昇った。1913年を100とすれば、1917年10月には755、1918年10月には10,200、1919年10月には92,300 と増大した(注40)。
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 (16) そして、ダムは決壊した。
 1919年5月15日、人民銀行には、その見解によれば国民経済が必要とするだけの貨幣を、発行する権限が与えられた(注41)。
 そのとき以降、「色の付いた紙」の印刷は、ソヴィエト・ロシアで最大の産業に、そしておそらくは唯一の成長産業になった。
 1919年の末、貨幣製作所は1万3616人を雇用していた(注42)。
 貨幣の発行を唯一制約するものは、用紙とインクの不足だった。政府はときには、印刷用品を外国から購入するための金塊を割当てなければならなかった(注43)。
 そうであってすら、印刷は需要に追いつくことができなかった。
 Osinskii によれば、1919年の後半、「国庫の活動」—換言すると「貨幣の印刷」—は、予算上の歳出の45から60パーセントまでの間を消費した。このことは、予算を均衡させる手段として!迅速に貨幣を排除しなければならないという彼の主張の論拠として役立った(注44)。
 1919年のあいだに、流通している紙幣の量はほとんど4倍になった(613億ルーブルから2250億ルーブルへ)。
 1920年には、そのほとんど5倍になった(1兆2000億ルーブルへ)。
 1921年の前半には、さらにその2倍になった(2兆3000億ルーブルへ)(注45)。
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 ③につづく。

2864/R.パイプス1990年著—第15章⑥。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第三節/通貨廃止の試み①。
 (01) このような性質は、通貨のない経済の導入を意図した初期のボルシェヴィキの財政実験に、最もよく表れていた。
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 (02) マルクスは、貨幣の性格と機能に関して、大量の、込み入った馬鹿げたことを書いた。彼はその際、Feuerbach の「投影」と「物神」(fetisches)という概念を採用した。
 マルクスは通貨を「人類の疎外された能力」、「人間の自然の本性」の全てを「混乱させる」もの、「労働の結晶」、人間から離れて支配するようになる「怪物」と、さまざまに定義した。
 こうした考えは、貨幣を持たず、それを稼ぐ方法を知らないが、貨幣がもたらす影響と充足を切望する知識人たちにはきわめて魅力的だった。
 知識人たちが経済史にもっと通暁していたならば、「貨幣」と称するかは別として、労働の分配や商品およびサービスの交換を実際に行なっている全ての社会に、一定の測定単位が存在したことに気づいただろう。
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 (03) このような考えの魔法のもとで、ボルシェヴィキは、貨幣の役割を高く評価しすぎ、一方で低く評価しすぎた。
 「資本主義」経済の観点では高く評価しすぎた。それを彼らは、財政装置によって全体的に支配されているものと考えた。
 「社会主義」経済の観点では低く評価しすぎた。それを彼らは、貨幣なしで済ませることができるものと信じた。
 ブハーリンやPreobrazhenskii が述べたように、「共産主義社会は、金銭について何も知らないだろう」(注29)。
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 (04) ロシアの諸銀行を掌握すれば一瞬にして国の産業と取引の支配権を握ることが可能になる、というのは、Hilferding の理論に由来した(脚注1)
 これによって、ロシアはすみやかに社会主義になる—銀行の国有化は「社会主義の十分の九」を達成するだろう—とのレーニンの楽観主義が説明される。
 Olenskii も同様に、銀行は最も重要な唯一の手段だと宣告した(脚注2)
 このような方法によるロシアの資本主義経済の迅速で簡単な克服という見込みは完全に幻想だった、と判明した。しかし、ボルシェヴィキ党は頑なに、Hilferding の理論に執着した。
 1919年に採択した新しい綱領は、ロシアの国立および商業銀行の国有化によって、ソヴィエト政府は「銀行を金融資本主義の支配センターから労働者の活力の武器、経済革命の梃子に変える」(注30)、と主張した。
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 (脚注1) Hilferding によると、1910年にベルリンの大銀行のうち6銀行が、ドイツの産業のほとんどを支配していた。
 (脚注2) ドイツの銀行のように、ロシアの銀行は、工業、商業上の起業に直接に関与し、これら企業が発行する有価証券や社債で相当の金融資産を有していた。こうしたことは、彼の見解に、信頼できそうだとの印象を与えた。
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 (05) ボルシェヴィキの理論家たちは、「色付き紙」に価値を下げ、配給券による商品の配分の総合的制度に置き換えることで、貨幣を完全に一掃してしまうことを望んだ。
 1918-20年のソヴィエトの公刊物では、多数の論文が、貨幣の消失は不可避だと論じた。
 以下は、恰好の例だ。
 「社会化された経済の強化と配分に関する包括的計画の導入と並んで、金銭券(つまり通貨)の必要は消滅するに違いない。
 社会化された経済での流通が徐々に消失して、通貨は、私的生産者に対する政府の直接の影響力の外にある資産に変わる。
 通貨の量が継続的に増加してその発行の必要が継続するにもかかわらず、通貨は、国民経済の全体的動向の中では、つねに消滅していく役割しか果たさなくなる。
 このいわば、客観的な通貨の価値下落は、さらに勢いづいて、社会化された経済が強化され、発展して、小さな私的生産者たちの拡大する分野がその軌道内に抑え込まれるまでになる。そして、ついには、私的生産性に対する国家の生産性の決定的な勝利のあとで、通貨の着実な、流通からの撤退が、移行期を経て通貨なき配分へと至る可能性が現出するだろう(注31)」。
 マルクス主義者が好んだ専門術語で、著者は、通貨はまだ失くならない、「小さな私的生産者」(農民と読む)が国家統制の外になおも残っており、彼らにまだ支払わなければならないから、と言っていた。
 通貨は、「私的生産」に対する「国家生産」の決定的な勝利によってのみ余分なものになる。—言い換えると、農業の完全な集団化のあとでのみ。
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 (06) ボルシェヴィキが通貨を排除するのに失敗した理由として挙げていた標準的なものは、ほとんど全ての食糧生産を含む経済の多くは、国有化のための種々の布令を発したあとですら、私人の手に残ったままだ、というものだった。
 Osinskii によると、「二重経済」の存在—国有と私有—は、「不確定な時期」のための貨幣制度の維持を余儀なくさせていた(注32)。
 --------
 (07) しかしながら、実際には、農民は彼らの生産物を滑稽なほどに低価格で売却していたので、このような考察には、公式の説明と言えるほどの真摯さが欠けていた。
 レーニンは、1920年の夏に、財務部によって印刷される大量の紙幣は、食糧を購入するためではなく、労働者や公務員の給料を支払うために使われていることを認めた。
 彼の推定では、ソヴィエト・ロシアには1000万人の賃金労働者がおり、毎月に平均4万ルーブルを受け取っていた。総計では4000億ルーブルになる。
 この数字と比べると、食糧の代償として農民たちに支払われる金銭は微細なものだった。
 Larin は、固定価格(1918-20年)で得られる食料全部のために、政府は200億ルーブルも使っていない、と見積もった(注33)。
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 (08) ボルシェヴィキがペテログラードで権力を掌握したあとすぐに銀行を国有化できなかったのは、ボルシェヴィキを正当な政府だと承認するのを、銀行界がほとんど満場一致で拒んだからだった。
 既述のように、この反対の立場は、やがて崩れた。
 1917-18年の冬の終わりに、全ての銀行が国有化された。
 国立銀行(the State Bank)は人民銀行(the People’s Bank)と改称され、他の信用機関の責任も負わされた。
 1920年までに、人民銀行と決済機関として機能したその支店を除き、全ての銀行が閉鎖された。
 金庫は開放が命じられ、そこから発見された金は、大量の現金や有価証券とともに、没収された。
 こうした措置は、ボルシェヴィキの期待をほとんど満足させなかった。結果としての収穫は、信用から排除するためにロシアの事業界を政府が統制できるほどに大きくはなかったからだ。
 これは、新しい体制にとって、苦い失望だった(注34)。
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 (09) ボルシェヴィキ政府は、財政上は、長いあいだ混乱の状態にあった。
 1917年の十月後に租税制度はほとんど破綻し、歳入はごく僅かになった。
 政府は、できるかぎりのことをして切り抜けた。
 流通貨幣として政府が頼ったのは、ケレンスキーの「自由ローン」に由来するクーポン券だった。
 通常の予算に僅かにでも似たものは、何もなかった。
 1918年5月の財務人民委員部の推測(原文ママ)では、政府はそれまでの半年間に200-250億ルーブルを費やし、50億ルーブルを入手した(脚注)
 政府は、地方の行政機構からの要求を充たすことができなかった。
 それで、地方の「ブルジョアジー」に金銭を強要することを、<guberniia>〔帝制下の地方行政区〕や地区ソヴェトに対して、許したのみならず、命令した。
 レーニンはこれは、全ての地方のソヴェトが自らを「自立した共和国」と見なすのを励ますことになる悪い先例だと考えた。
 そして、1918年5月に、財政上の中央集権化を要求した(注35)。
 しかし、中央に金銭がないならば、財政を中央に集中させることはできなかっただろう。
 政府は結局は、地方ソヴェトに対して、助成金を懇願するのをやめて、自分たちで何とか処理するよう伝えた。
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 (脚注) E. H. Carr, The Bolshevik Revolution, 1917-1923, II(New York, 1952), p.145. 彼は、「これらの数字のいずれかを推測にすぎないと見なすことは困難だ」と述べる。たしかに、1918年7月にソヴナルコムが承認した国家予算は、遡及して以前の6ヶ月間、歳出を176億ルーブルに、歳入を28.5億ルーブルに固定していた。NV, No. 117/141(1918年7月14日), p.1. 当時の別の推計では、1918年前半の歳出は205億ルーブル、歳入は33億ルーブルだった。Lenin, Sochineniia, XXIII, p. 537-8.
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 (10) 臨時の出費の資金を増やし、同時に「階級敵」の経済力を削ぐために、ボルシェヴィキはときどき、「寄付金」というかたちでの差別的な徴税を行なった。
 そうして、1918年10月に、特別の一時限りの、100億ルーブルの「寄付金」が、国の有産階層者に課された。
 この臨時の徴税は、モンゴルが中世のロシアに導入した中国の例に従ったもので、都市部と地方の割合を定め、その範囲内で、支払いの配分をそれらに委ねた。
 モスクワとペテログラードは、それぞれ30億ルーブルと20億ルーブルが要求された。
 その他の地方ソヴェトには、支払いに責任を負う個人のリストを用意することが求められた(脚注)
 類似の「寄付金」が、地方ソヴェト自身の主導によって、課された。ときには、当面の出費のための金銭を徴集するために、ときには、制裁として。
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 (脚注) Piatyi Sozyv VTsIK: Stenographcheskii Otchet(Moscow, 1919), p.289-p.292. しかし、望んだ金額の一部だけが実際に徴集されたように思われる。
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 ②へとつづく。

2863/私の音楽ライブラリー054/クラシック⑭〜⑰。

 私の音楽ライブラリー054/クラシック⑭〜⑰。
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 ⑭Khachaturyan, Masquerade Suite.
 →Igor Manasherov, Moscow PhilO. 〔Igor Manasherov〕

 ⑮Liszt, La Campanella (Grandes etudes de Paganini)
 →Nobuyuki Tujii. 〔Classical Vault 1〕

 ⑯Mozart, Symphony No.40 in G-minor, K.550.
 →Allan Gilbert, Tokyo Metropolitan SymphO. 〔東京都交響楽団〕

 ⑰Mozart, Violin Concerto No.3 in G, K.216.
 →Janine Jansen, Paavo Järvi, NHK SymphO. 〔Torns B.〕
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2862/私の音楽ライブラリー053/クラシック⑩〜⑬。

 「クラシック」音楽30曲の、YouTube へのリンク。⑩〜⑬。
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 ⑩Dvorak, Violin Concerto in A-minor, op.53.
 →Isabelle Faust, Andrew Manze, NDR RadioPhil. 〔ARD Klassik〕

 ⑪Dvorak, Cello Concerto No.2 in B-minor, op.104.
 →Mstislav Rostropovich, Seiji Ozawa, NHK SymphO. 〔Korean.neri92〕

 ⑫Dvorak, Slavonic Dances in E-minor, op.72-2.
 →Simon Rattle, Berliner Phil. 〔Schandermann〕
 →Sayaka Shoji, Itamar Golan. 〔MagicalTalesOfWolves〕

 ⑬Grieg, Piano Concerto in A-minor, op.16.
 →Alice Sara Ott, Thomas Dausgaad, Danish National PhilO. 〔Hossein Omidi〕
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2861/斎藤元彦兵庫県知事による懲戒処分(2024.05.07)の「理由」。

  斎藤元彦・兵庫県知事が元西播磨県民局長に対して2024年5月7日に行なった懲戒処分(停職三月)の「理由」は四点あるとされる。その日に被処分者も「了知」して、当日に「発効」した、といちおう理解しておく。
 なお、審査請求(行政不服申立て)や取消訴訟の対象となる「処分」を国の行政手続法(法律)や兵庫県行政手続条例〔1995年7月条例22号〕は「申請にもとづく処分」と「不利益処分」に分けている。許認可等の申請に対する拒否処分は前者に、営業停止命令や公務員への懲戒処分は後者に含まれる。
 申請に定する拒否処分にも不利益処分にもそれを通知する文書に理由は付記されなければならない(兵庫県行政手続条例8条・14条)。
 斎藤元彦・兵庫県知事が2024年5月7日に行なった西播磨県民局長に対する懲戒処分(停職三月)にも「理由」が処分通知書自体に(別添であれ)記載されていたはずだ。
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  2025年3月16日に公表された<第三者委員会>(第一)の報告書は、上記懲戒処分はつぎの「四つの処分理由」により行われたと整理している。
 ①〜④は原文まま。ここでは番号ごとに区切った。
「①「誹謗中傷文書(本件文書)の作成・配布行為、
 ②「人事データ専用端末の不正利用(人事課管理職時に、特定の職員の顔写真データに関し、業務上の端末を不正に利用するとともに、個人情報を不正に取得し持ち出した)、
 ③「職務専念義務違反行為(平成23年から14年間にわたって、勤務時間中に計200時間程度、多い日で1日3時間、公用パソコンを使用して業務と関係ない私的文書を多数作成した)、
 ④ハラスメントメント行為(令和4年5月、次長級職員に対してハラスメント行為を行い、著しい精神的苦痛を与えた)」。
 なお、同報告書の付記によると、②〜④は「3月25日に引き上げた公用パソコン内のデータから判明したものだった」。
 以上、上記報告書のp.123-4。
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  YouTube 上で提供されている情報の中には、兵庫県(人事関連部署)が作成された、<懲戒処分一覧>とでも称すべき文書のうち、上記懲戒処分の部分をそのまま画像として示しているものがある。
 それら(複数)によると、「処分理由」はつぎのとおり。丸数字はなく、四つの段落に分けられている。ここでは便宜的に、順序とおりに①〜④の丸数字を付す。
 ①「令和6年3月、知事や一部の幹部職員を誹謗中傷する文書を作成・配布し、多方面に流出させることで、県政への信用を著しく損なわせた」。
 ②「平成23年〜28年にかけて、人事課管理職時に、業務の目的外で人事データ専用端末を使用して特定の職員(1名分)の顔写真データを2回表示・撮影し、又は顔写真データを1回コピーして、そのデータを公用PCに保存し、人事異動の際には、そのデータを自宅に持ち帰った上で異動先の公用PCに保存することによって、業務上の端末を不正に操作するとともに、個人情報を不正に取得し持ち出した」。
 ③「平成23年から14年間にわたって、勤務時間中に計200時間程度、多い日で1日3時間、公用PCを使用して業務と関係のない私的文書を多数作成し、職務専念義務等に違反した」。
 ④「令和4年5月、次長級職員に対して人格を否定する文書を匿名で送付するハラスメント行為を行い、当該職員に著しい精神的苦痛を与えた」。
 以上。
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  「<懲戒処分一覧>とでも称すべき文書のうち上記懲戒処分の部分」と上に書いたが、その理由はつぎのとおり・第一に、「事案一」と当該文書の左上に書かれている。第二に、正式の「付記理由」は処分通知書に(別添であれ)記載されるのであって、紹介されているのは、処分通知書そのものではない(処分通知書全文を「公開」するのは被処分等の「権利」を過度に害する可能性がある、という問題もある)。
 したがって、上の四点の「理由」は正規の文章そのままではない可能性がある。もう少しは詳細だった可能性はある。
 但し、基本的な理由を疎漏したり省略したりしているとは考えられないので、上の懲戒処分の適否・効力を—「理由」との関係でも—考察するには、上のような「付記理由」を前提としても、おそらく差し支えないだろう。
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2860/ドレミ7音・1オクターブ12音の作り方。

 2023年6月〜8月に「『ドレミ』はなぜ『7音』なのか」を連載?していたが、中途で終わっている。
 M・ヴェーバーの『音楽社会学』や「日本音階」研究がすでに明治時代にあって「岩波文庫」に残っていることに気づいて、それらに関心が移ったことにもよる。
 また、丁寧または厳密に音設定の可能性を全て考慮する、ということを試みたからでもあった。
 再開して、一挙に、実際に私なりの「ドレミ…7音」の設定方法を示す。
 さらには、上の1オクターブ7音を基礎にして、1オクターブ12音も私なりに設定する。これらは、ピアノでの7つの「白鍵」と残り5つの「黒鍵」の成立ちもきっと説明するだろう。
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  何度も書いたように、ヒトにとって、ちょうど1オクターブ違う音(音波数比が2または1/2の乗数)の発見に次いで重要だったのは、1に次ぐ2と3の数字を利用して1オクターブのあいだに新しい音を設定することを発見したことだろう。仔細は省略して、つぎの並びの3音が得られる。最後の1オクターブ上の2は〔、2〕と記す。
 A—①1、②4/3、③3/2〔、2〕。*3音(2を含めて4音)。
 以下に共通する<秋月瑛二の音の設定方法>の要点はつぎのとおり。
 01、得られている(隣り合う)各音の間の周波数比を確認する。この差を「間差」と呼ぶことにする。
 02、「間差」が最大の部分の中に新しい音を設定することにする。
 03、最大の「間差」のある下の(低い)音の周波数比に可能なかぎり既出の数値を掛けて、新しい音の周波数比び関する数値とする。
 以上を繰り返す。最大の「間差」部分の発見、下の(低い)音を基準とすること、可能なかぎり既出の数値の選択、の3点が要点だ。
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  実際に、Aから5音設定へと発展させる。「間差」は最後の2との間も含めて3箇所にできる。
 Aでの「間差」。
 01→4/3=4/3÷1
 02→9/8=(3/2)÷(4/3)
 03→4/3=2÷(3/2)
 最大の「間差」は4/3だ。4/3=1.333333、9/8=1.125。
 「間差」4/3のある下の(低い)音に既出の「9/8」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの並びが得られる。新しいのは、②と⑤だ。
 B—①1、②9/8(=1x(9/8))、③4/3、④3/2、⑤27/16(=(3/2)x(9/8))〔、2〕。*5音(2を含めて6音)。
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  Bでの「間差」。最後の2との間も含めて5箇所ある。
 01→9/8=(9/8)÷1
 02→32/27=(4/3)÷(9/8)
 03→9/8=(3/2)÷(4/3)
 04→9/8=(27/16)÷(3/2)
 05→32/27=(2)÷(27/16)
 最大の「間差」は32/27だ。32/27=1.185185…、9/8=1.125
 「間差」32/27のある2箇所の下の(低い)音に既出の「9/8」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの並びが得られる。新しいのは、③と⑦だ。
 C—①1、②9/8、③81/64=(9/8)x(9/8)、④4/3、⑤3/2、⑥27/16、⑦243/128=(27/16)x(9/8)〔、2〕。*7音(2を含めて8音)。
 以上で、1オクターブ内に、7音(2を含めて8音)が設定できた。
 それぞれに、ドレミの語を当てると、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ(・ド)になる。もちろん、現在に耳にするドレミと同じではない(だがよくは似ている)。
 これが最初に得られる7音(8音)だとすると。これらにのみピアノ・オルガン類でで「白鍵」を与えるのも理由がある、ということになるだろう。
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  7音(2を含めて8音)からさらに12音(2を含めて13音)へと発展させる。
 Cでの「間差」。最後の2との間も含めて7箇所ある。
 01→9/8=(9/8)÷1
 02→9/8=(81/64)÷(9/8)
 03→256/243=(4/3)÷(81/64)
 04→9/8=(3/2)÷(4/3)
 05→9/8=(27/16)÷(3/2)
 06→9/8=(243/128)÷(27/16)
 07→256/243=2÷(243/128)
 最大の「間差」は9/8だ。9/8=1.125、256/243=1.053497…。
 「間差」9/8のある5箇所の下の(低い)音に既出の「256/243」を掛けて、新しい音の周波数比とする。すると、つぎの計12音(13音)の並びが得られる。新しいのは、②、④、⑦、⑨、⑪だ。
 D—①1
 ②256/243
 ③9/8
 ④32/27=(9/8)x(256/243)
 ⑤81/64
 ⑥4/3
 ⑦1024/729=(4/3)x(256/243)
 ⑧3/2
 ⑨128/81=(3/2)x(256/243)
 ⑩27/16
 ⑪16/9=(27/16)x(256/243)
 ⑫243/128
 ⑬2。
 横に並べると、1、256/243、9/8、32/27、81/64、4/3、1024/729、3/2、128/81、27/16、16/9、243/128、2。
 新しい5音は256/243、32/27、1027/729、128/81、16/9で、最も数字が多くても(1027/729)で、32/27、16/9というきわめて簡潔な数字(分数)も出てくる。
 以上で、1オクターブ内に12音(最後の2を含めて13音)が設定できた。自然に作業していくと、11でも13でもなく、12音が得られた。
 これらを、半音記号の一つを用いて、ドレミ…に加えて、つぎのように並べることもできる。
 ド・レ♭・レ・ミ♭・ミ・ファ・ソ♭・ソ・ラ♭・ラ・シ♭・シ(・ド)。
 上のCでの7音が「白鍵」だとすると、上の半音記号(♭)付きの音はピアノ・オルガン類では「黒鍵」とすることが考えられる
 「黒鍵」数は5つだ。
 しかも、ミ・ファ、シ・ドの間には「黒鍵」が入らないので、5つの「黒鍵」は左の2つ、右の3つに分かれることになる。これは、現在のピアノ・オルガン類と同じだ。
 ——
  以上の全ては、A—①1、②4/3、③3/2〔、2〕の3音(2を含めて4音)から出発している。その際に、②と③の「間差」が「9/8」であることに気づいたことが大きい。
 Cでの7音(2を含めて8音)は、意識的に7音になるよう「企てた」のではない。隣り合う各音の「間差」の最大部分を、既出の数値を使って二分して新しい音を増やしていくと、計2回の作業でCへと至った。
 Dでの12音(2を含めて13音)についても全く同じで、12音になるよう意識的に「企てた」のではない。
 Cでの各音の「間差」は同じ数値のものが5カ所あったことから、結果として5音増えて、7+5で12音になったにすぎない。意識的な「操作」は全くない。
 それでも、ある程度は(完全にではないが)均等に分配された7音、12音を1オクターブ内に、素人の秋月瑛二でも設定することができた。
 ———
  以下は「秘密」の暴露ではなく、「偶然」なのかどうか不思議に思っていることだ(但し、F-Gが9/8というのは意識していなかったが、C-Dがピタゴラス音律では9/8だという知識はあった)。
 第一。Cの7音は、最もよく提示されるピタゴラス音律での7音と分数値が完全に一致している。
 第二。Dの12音は、ピタゴラス音律で得られる各音のうち、最初の5音をα方式(上昇型・時計回り型・プラス方式)、残りの7音をβ方式(下降型・反時計回り型・マイナス方式)で設定した場合の分数値と合致している。
 いずれにせよ、つぎのことは言えるだろう。
 ピタゴラス音律とは一定の音の周波数値を2乗・4乗していって1〜2の範囲内になるよう2・4〜で除する(割る)または一定の音の周波数値を1/2乗・1/4乗していって1〜2の範囲内になるよう2・4〜で乗じる(掛ける)ことによって1オクターブ内に12音(2に近い音を含めて13音)を発見しようとするものだ。
 だが、このような複雑な(かつピタゴラス・コンマを残す)作業を行わなくても、今回に秋月瑛二が行った方法によっても、同じような結果を得られのではないだろうか。
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2859/法(法学)という「ものの考え方」002—斎藤元彦①。

 「ものの考え方」という表現に厳密に拘泥しなければ、社会のことはたいてい「法」に関係しているので、この表題でほとんど何でも書けるな、ということを後になって気づいた。
 元々予定していた内容ではないが、気になる「法」的問題に触れる。常識的、または基礎的な問題ではない。
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  斎藤元彦(現兵庫県知事)の法的または法学的知識には、問題が多いように見える。表向きは詳しいように見えて、じつはほとんど「無知」なのではないか。この人が「経済学部」出身であることに、今回はとくには注目しない。
 なお、斎藤が総務省出身だからと言って、総務省所管の公職選挙法(法律)のことをよく知っている、ということは、公職選挙法担当部署の経験がない限り、あり得ないだろう。公職選挙法、政治資金規正法あたりを専門とする弁護士も、ほとんど存在しない。
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  さて、2025年3月5日の定例記者会見の中に、斎藤がこう述べている部分がある。
 「懲戒処分に対しては…、もし…不服があれば、これは人事委員会というところに不服申立てができます。そこで審査されて、もしそこで本人の申立てが通らなかったとしても、次は裁判ということでいきますので、ご本人が本当に不服や何か問題があるのであれば、…申立てや裁判をすることができたはずです。ご本人はされなかったということで、それで懲戒処分というものは確定した、というのが今の見解でございます。
 同旨のことを、後でこうも言っている。
 「懲戒処分というものは、手続内容を経てやっているものですから、…処分された方がもし不服があれば不服申立てや裁判をされているということが一つのあり方ですから、そこをされなかったというところで、処分については確定をしているというのが今の見解ですね」。
 以上の趣旨・意味が理解されると、斎藤は想定していたのだろうか。記者会見に出席した記者たちは理解したのだろうか。
 上の部分をとくに取り上げて論評するメディア・マスコミはなかったように思われる。
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  読解すると、つぎのようになる。
 2024年5月に兵庫県知事が行なった、元西播磨県民局長に対する懲戒処分は、行政不服審査法、行政事件訴訟法(いずれも法律)にいう「処分」(広義=「行政庁による処分その他公権力の行使に当たる行為」)に該当する。
 いったんなされた「処分」については<取消訴訟の排他性(排他的管轄)>というものがあり、訴訟の中では、「行政訴訟」の中の「抗告訴訟」の中の「取消訴訟」でもってしか、原則として、争うことができない。原則として、「取消訴訟」によって、当該「処分」の法的効力の「取消し」(=処分時に遡及しての法的効力の否認)を求めなければならない。
 行政不服審査法による「行政不服申立て」もすることができるが、通常は、取消訴訟と行政不服申立てのどちらでもよい。
 但し、公務員に対する懲戒処分については<行政不服申立て前置主義>が個別の法制度上採用されていて、取消訴訟を提起する前に必ず「不服申立て」(本件の場合は人事委員会に対する「審査選挙」)をしなければならず、その結果(=裁決)に不服があるときに、「取消訴訟」という訴訟の提起ができる。
 「行政不服申立て」については「審査請求」も含めて「不服申立て期間」(「審査請求期間」)が定められていて、原則として、処分があったことを知った日の翌日から起算して三月」以内に行なわなければならない。なお、了知日いかんを問わず、「処分があった日の翌日から起算して一年を経過したときは、することができない」(以上、行政不服審査法18条)。
 元西播磨県民局長に対する懲戒処分は2024年5月7日に行われたとされ、その日に同氏が了知したとすると(これは通常は「処分通知書」の受領だ)、不服があれば同年8月7日までは兵庫県人事委員会に対して「審査請求」をすることができた
 その不服申立てについての「裁決」に(一部にせよ)不服があれば、原則として、当該裁決があったことを「知った日」から(の翌日起算で)六箇月」以内であれば、「取消訴訟」を提起することができる(行政事件訴訟法14条)。この場合、原懲戒処分についての取消訴訟というかたちをとる。
 元西播磨県民局長は、2024年7月7日に、自死しているのが発見された、とされる。
 存命であれば、上記のとおり8月7日までは「審査請求」をすることができた。だが、死亡によりこれを行なうことはできなくなった(遺族による損害賠償請求は別だが、本人しか「審査請求」はできない)。
 そうすると、「取消訴訟」の提起は「審査請求」についての「裁決」の存在が必要であるので、「取消訴訟」の提起も不可能になった。
 行なわれた「処分」についての、「取消し」を求める「審査請求」と「取消訴訟」を合わせて「取消争訟」と称することがあり、前者の「前置主義」が採用されている場合にとくに、行なわれた処分についての<取消争訟の排他性(排他的管轄)>が語られることがある。
 本件の場合、被処分者がこの<取消争訟の排他的管轄>を遵守しなかったので、要するに人事委員会に対する「審査請求」を行なわなかったので、被処分者に対する処分(懲戒処分)の法的効力を「取消す」法的手段はもう存在しなくなった、と表現することができる。
 このことを一般に、一定の「処分」は「確定した」、より正確には「形式的に確定した」という。形式的確定力が生じた」とも言う。この<形式的確定>は審査請求期間や「取消訴訟」の「出訴期間」の<徒過>によって生じる。
 斎藤元彦が「ご本人」が「不服申立てや裁判」をしなかったので本件の懲戒処分は「確定した(確定している)」と言っているのは、以上のような法制を前提にしている。
 そして、今さら懲戒処分の適法性や有効性を議論しても無駄だ、相手が「法的手続」をとらなかったから、すでに法的には有効なものとして「確定」しているのだ、と言いたいのだろう。
 なお、客観的には「違法な」処分であっても<取消争訟の排他性(排他的管轄)>があるゆえに、一定期間の<徒過>によって、有効なものとして「通用」してしまう、という現象が生じ得ることを現行法制度が容認していることは、否定できない。(以上は法的「効力」に関する叙述であり、損害賠償や刑事法上の問題は別論。)
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  しかし、司法試験の必須科目である「行政法」を勉強した者や国家公務員試験で「行政法」という科目を選択して勉強した者であれば、さらに、つぎのことも知っていなければならない。
 のうのうと「確定した(している)」というのが今の「見解」ですね、と言っている斎藤元彦の「法的知識」は中途半端だ。おそらくは、上記の<取消争訟の排他性>のことを総務省入省後に知っていて、そのことだけを「振りかざして」いるのだろう
 斎藤元彦の言明にはない重要な点は、以下のとおりだ。
 「違法な」処分と「瑕疵のある」処分を同じ意味で用いるとすると(「瑕疵」概念の用法には必ずしも絶対的な一致はない)、そこでの「瑕疵」には、つぎの二種がある(「軽微な瑕疵」という論点を省く)。
 「取消しうべき瑕疵」と「無効の瑕疵」だ。この区別は、民法(学)上もある。むしろ民法(学)上の概念と議論が行政上の「処分」についても応用されている、と言える。より簡単に「取消しの瑕疵」と「無効の瑕疵」の区別とも言う。
 しかして、上記の取消争訟の排他性(排他的管轄)>が適用されるのは、「取消しうべき瑕疵」をもつ「処分」に限られ、「無効の瑕疵をもつ」、つまり「無効な」処分は、この<排他性>の制約を受けない。
 要するに、「無効」である処分は、行政不服申立て制度や「取消訴訟」制度を利用しなくとも、当然に、あるいは当初から、「無効」であって、法的「効力を有しない」のだ。

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  2025年3月16日に発表された兵庫県の「第三者委員会」(第一)の報告書は、こう明記している。まずは、「第10章・公益通報などの観点から見た場合の県の対応の問題点について/第3・本件文書の作成・配布行為に対する兵庫県の対応の適否/6・本件懲戒処分の適法性/(4)・処分理由①について/イ・通報対象事実とそうでない事実の混在について」にある。
 「本件文書を作成して配布した行為を懲戒処分の対象とすることは、公益通報該当性が認められない部分、真実相当性が認められない部分を含め、懲戒権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、濫用するものであるから、違法であり、その部分について行われた懲戒処分は効力を有しないと判断する」。
 また、上は公益通報者保護法の観点からと見られるのに対し、続く「ウ・斎藤知事のパワハラ行為に着目した検討」は最終的には「違法」とまとめているが、前提としてこう書いている。
 斎藤知事にパワハラがあったとの指摘・通報が懲戒処分の理由となるか否かという観点から検討して「懲戒処分を行うべきではないという判断に至れば、保護法の観点とは別に、パワハラを指摘した部分については、その効力が否定されることになる」。
 これらにおける「効力を有しない」、「効力が否定される」とは、<無効だ>と言っているに等しいだろう。
 とすると、「第三者委員会(第一)」の報告書によると、上のかぎりで、「ご本人」が取消争訟を提起しなかったので「確定した(している)」と、のうのうと(偉そうに?)言って済ますことはできない。
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  斎藤元彦は十分に正確には「知って」いないのであり、そのことを自覚しないまま、記者会見という公の場で恥ずかしい「見解」を披歴していることになる。
 法的問題に関連する斎藤元彦の発言には、他にも問題の多い、または間違っているものがある。回を改める。
 また、上記<第三者委員会>報告書では、理由の一部(①)について違法とされ「無効」とされたがその他の理由(本件での②〜④)については「違法」が断定されておらず、「効力を有しない」との明記もない。このような場合、一体としての一つの懲戒処分の法的「効力」はどうなるのか、少なくとも「停職三月」は維持されないだろうというのは確実だが、ではどうなるかはやや困難な問題だ。
 上記<第三者委員会>報告は「判決」ではなく、本件懲戒処分の丁寧な司法審査をしているわけでもない。これらにものちに、論及するかもしれない・
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2858/私の音楽ライブラリー052/クラシック⑤〜⑨。

 30の「クラシック」音楽曲の、YouTube へのリンク。⑤〜⑨。
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 ⑤Brahms, Symphony No.1 in C-minor, op.68.
 →Karl Böhm, Wiener PhilO. 〔akise san〕

 ⑥Brahms, Symphony No.4 in E-minor, op.98.
 →Herbert von Karajan, Berliner Phil. 〔karajan 7〕

 ⑦Brahms, Hungarian Dances No.1 in G-minor.
 →Simon Rattle, Berliner Phil. 〔Deutsche Grammophon〕

 ⑧Chopin, Piano Concerto No.1 in E-minor, op.11.
 →Martha Argerich, Franco Mannino, ORTF PhilO. 〔Mc Interz〕

 ⑨Chopin, Nocturn No.20 in C♯-minor, op.posth.
 →Wladyslaw Szpilman. 〔profslump20078〕
 →Nobuyuki Tujii. 〔Classical Vault 1〕
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2857/池田信夫のブログ038。

  池田信夫のブログマガジン2025年4月7日号の、「『AI氷河期』がやってくる」の中に、つぎの文章がある。
 「たとえば、『バッハの作曲したものと同じような曲を書いてください』とGPTに頼めば、いかにもバッハらしい曲をすぐにつくる。
 それはLLMのコア機能が穴埋め問題だからである。GPTはバッハの楽譜をすべて記憶しているから、その一部を削除して『バッハ的な曲にしろ』といえば、確率の高い音符を検索して埋める。こういう作業を繰り返すと、『バッハの曲』という言葉だけで、それらしき音符を並べることができるのだ。」
 これは、バッハの曲の楽譜を全て「記憶」していることを前提として、その「一部」削除して「確率の高い」音符の検索・補充を繰り返すと、「バッハ的な曲」になる、ということを意味させていると見られる。
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  単純素朴な疑問は、「真の」バッハ曲から出発していれば、その「一部」の削除と補充を反復しても、「バッハらしい」曲になる可能性が高いことは至極当然だろう、ということだ。最初の楽曲がそもそもバッハであり、(たぶんバッハらしい)「確率の高い」音符の検索・補充をするのだから、「バッハらしく」なるのは当然だという気がする。
 こんなことよりも、関心を惹くのは、つぎのようなことだ。
 第一に、GPTは、どのようにしてバッハ曲の「楽譜」を「記憶」するのか。
 「楽譜」認識作業は、「大規模言語モデル(LLM)」とか「認知言語学」とかの範疇外であるように、素人には思える。
 「楽譜」は、意味を持っていても、言葉や文章ではないからだ。
 AIはおそらく、「画像」として、バッハの楽譜の全てを「読み取る」。
 その画像が(言葉や文章を写真撮影した=画像化した文章の場合のように)意味ある言葉や文章へと「変換」されることはない。
 おそらくは、<楽譜>の様式・書き方に関する別の情報と組み合わせることで、特定の「音符」が意味する音の<高さ>・<長さ>等々が「認識」され、別の「音符」との接合・連絡関係もいくつかのレベルで「トータルに」把握される。
 ここで問題になるのは、バッハの時代、「楽譜」なるものの書き方・表現方法が一定のものに確立されていたのかどうかだ。詳細は知らないが、今日にたぶんバッハ曲の全てまたはほとんどが演奏されCD化されているようであることからすると、音源は残っていなくとも「楽譜」は残っているのだろう。また、今日に定まっている「楽譜」作成の仕方と異なるものがあったとしても、今日のそれへと「変換」できるのだろう。
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 第二に、「バッハらしい曲」の「楽譜」が完成したとしても、それだけでは不十分だ。音楽は、その「楽譜」に従って、演奏あるいは「歌唱」されなければならない。
 この場合に、バッハまたは「バッハらしい」曲の「楽譜」・「音符」の意味は、今日のそれらと同一なのか、という問題が出てくる。
 一定の「音符」の長さや小節の区切りの仕方、半音表記の仕方、「拍子」表記等々は今日と同じだと、かりにしておこう。
 しかし、最終的に残るのは、「バッハらしい曲」の「楽譜」上の音符が示す「音」の高さや大きさだ。
 重要な問題として、その音符、そして曲全体はいったい何の<楽器>によって「演奏」されるのか、合唱または独唱されるとして、どのような<声>で「歌われる」のか、があるが、ここでは立ち入らない。
 現在では、楽譜上のAのライン上の音符の音の高さは、音波数で440khまたはその2乗倍数もしくは1/2乗倍数と国際的に定められている(実際には442khによることも多いとされる)。
 17世紀のバッハの時代、「楽譜」表記上の「音符」が示す一定の「音」の<高さ>について、一致があったのだろうか。
 この問題は、「曲」の構成要素である「音」の正確な高さ(・長さ)ではなく、「音」が全体として形成する「曲」すなわち「旋律」が重要なのだから、「曲」内の全ての「音」の<相互関係>・<相関関係>が認識できればよい、として解消することはできる。一定の「調」は何か、で判別する、と言い換えてもよい。
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 だが、第三に、池田信夫は想定していないだろう問題がまだある。
 一定の「音符」が示す「音」と別の「音」との<相互関係>に関する理解は今日と同じなのか、という問題だ。
 バッハの時代、いわゆるピタゴラス音律を発展させた<十二平均律>はすでに「理論的には」知られていた、という。しかし、ヨーロッパ中心にせよ<十二平均律>が一般的になったのは19世紀前半であって、バッハの時代はまだ一定していなかった。
 これは、<音律>の問題だ。つまり、今日の楽譜上で例えばCとその上のEのあいだの音の高さの差、あるいは「音程」は、バッハの時代も同じだったのか、という重要な問題がある。
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  趣味的に叙述を続ける。
 ピタゴラス音律では、C-F-Gは、1, 4/3, 3/2 という「調和性」の高い(=周波数の関係を示す数値が簡潔な)「音階」を示す。
 十二平均律では、C-F-Gは、1, (2の5/12乗)、(2の7/12乗)という(C=1としての)「音階」になる。
 上の二つを少数点表示(下5桁まで)で比較的すると、以下のとおり。
 ピタゴラス音律。1, 1.33333, 1.5。
 十二平均律。1, 1.33484, 1.49831。
 ついで、音律のうち<純正律>では、C-E-G(C=ドだとドミソ)はこうなる。きわめて簡潔だ。
 1, 5/4, 3/2。あるいは、4, 5, 6。
 十二平均律だと、こうなる。
 1, (2の4/12乗), (2の7/12乗)。
 上の二つを少数点表示(下5桁まで)で比較すると、以下のとおり。
 純正律。1, 1.25, 1.5。(1.25と1.5の比は、1.2)
 十二平均律。1, 1.25992, 1.49831。
 二例だけだが、これら二つの「音階」または「音程」の違いは、ふつうに 注意深くしていると、素人の私でも聴き分けることができる。
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  要するに、基礎となっている<音律>が分からないと、「バッハらしい曲」の演奏等ができない。
 バッハには「平均律クラヴィーア曲集」という曲集があり、これは、12の異なる「基音」にもとづく、各々長調と短調の二種がある総計24曲で成っている。
 これでもってバッハは「十二平均律」を確立したとかの「俗説」がある。「平均律」と和訳されている部分はドイツ語でwohltemperirt で、「適正に(ほどよく)調整された」程度の意味であって、「十二平均律」を基礎にしているのではない、と思われる。
 「楽譜」が残っていても、当時に演奏された「音源」は全く残っていない。
 だから、AIが「楽譜」を認識し作成すると言っても、「音律」が分からないと「演奏」等ができない。
 言葉・文章に適したAIと、絵画等の画像や音楽等の音に関するAIとは別に思考する必要があるのではないか。前者ではいわゆる「画素」数の、後者では例えばサンプリング周波数のそれぞれ設定の問題がまずある。これらの問題は、言葉や文章にはない。
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2856/斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見②。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見(一部)②。
 出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年3月5日(水曜日))」
 前回のつづき。
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 Arc Times:元県民局長は、公益通報者なんでしょうか。
 知事:4月4日で内部通報されたという意味では、4月4日に公益通報されたと。
 正確に言いますと、私は報道内容等でそう聞いているということです。
 Arc Times:少なくとも3月は別にして、知事の見解としては、4月については公益通報しているということですね。
 そういう意味で公益通報者なわけですけれども。
 知事:4月4日の時点では。
 Arc Times:その人物に対して、今、この後に及んで、わいせつな文書ということを言う理由はなぜでしょうか。
 これ、不利益を与えないというのは、公益通報者保護法の大きな趣旨ですけれども、なぜ公益通報者だと分かっているのに、その人物を、今、傷つけるようなことを言うんでしょうか。

 知事:3月の文書の配布について、これは公益通報ではなくて、誹謗中傷性の高い文書を作成されたということで、その作成をした。
 それを、公用パソコンを使って、業務時間外にやったと。
 Arc Times:それは、3月の話でしょ。私は4月の話をしてるんじゃなくて、4月以降は、もう公益通報者になったはずですから。
 知事:その調査をしていきながらですね、公用PCの中に4つの非違行為、その中に倫理上問題のある文書が見つかったということですから、それの説明を差し上げたということです。
 Arc Times:今日ですね、初めてわいせつな文書という言い方をしましたが、この間も質問出ていますけれども、知事は、今、見たことはないとおっしゃっていました。
 わいせつな文書とこの場で言うことは、非常に、まさに誹謗中傷性が高いと思いますが、その根拠は何でしょうか。
 知事がそこまで、この会見の場でおっしゃる根拠は何でしょうか。
 知事:パソコンの端末を調査された時に、そういったわいせつな内容が含まれる文書があるという報告を受けたからです。
 Arc Times:それは、百条委員会では、奥谷委員長は小説か日記か分からない文書と、真偽が分からないということを皆さん言っていますけれども、知事は、それはもうわいせつな文書と断定しているんですね。
 知事:そういう文書だったという風に報告を受けていますので。

 倫理上極めて問題のある文書で、それを、やっぱり公用パソコンで、県民の皆さんの税金で買っているパソコンですから、そこでやっぱり作られているということは、そこは問題がありますよね。
 Arc Times:知事は、この場でそういう言葉を使うことについて、それがさらなる中傷になるということは考えないんでしょうか。
 ご自身として、そこまで踏み込む必要があると考える理由は、なぜなんでしょうか。
 知事:倫理上問題がある文書というのは、これまで申し上げてましたんで、その範囲内で、どういった文書かというとわいせつな文書ということを申し上げただけです。
 Arc Times:でも、そのわいせつな内容は、知事は知っているんでしょうか、知らないんでしょうか。
 知事:中身は見ていませんけども、極めて不適切な内容だということを、この場では言えませんけど、あったということは聞いています
 Arc Times:それは人事課の判断ということなんですね。
 「わいせつ」というのは、主観的な判断ですけれども、そういう判断を県当局として、人事課も知事もしているということでいいんですね。
 知事:わいせつな文書だとは思いますね。

 それを公用パソコンでやられていますので、そこは1つの処分理由の中に、やっぱり業務上関係ない文書を作っていた。
 それは何かというと、倫理上極めて問題のある文書だということで。
 やっぱり、県民皆さんの税金を投入して、職務中にそんな文書を作っていたらですね、これは他の団体でも、パソコンを閲覧していましたと、それを勤務時間中に、例えば、競馬サイトとかアダルトサイトを見ていた場合に、それを理由に懲戒処分をされているというケースもあるとは思うんですけど、それと同様に、やっぱり勤務時間中に、業務と関係ないことをやっていたという場合には、やはり処分対象になるというだけの話ですね。
 Arc Times:これだけ公益通報者保護法の問題になっている中で、その妥当性が問われてきた中で、この9カ月、知事はあえて本人が、今、公益通報者であるということが分かっていながら、本人の不利益になることを、今、まだこの場で言い続けるわけですね。
 知事:4月4日以降は、公益通報された方ですけど、3月の外部に文書をされた時点については、我々は誹謗中傷性の高い文書を作成された、そこで調査をした結果、ご指摘いただいた文書を含む、4つの非違行為が見つかったということですね。
 Arc Times:今回の報告書について、知事は、今日の囲み取材で、公益通報者保護法に違反する可能性が高いというところについては、適法だという可能性もあるということだという風に言い、処分についてはもう確定したことだという風に言い、この文書については誹謗中傷性が高いと。
 この報告書では、文書には一定の事実が含まれていると、知事は事実無根、嘘八百と言ったけれども、ここには事実があったという風に言われているわけですが、これについても、誹謗中傷性が高いということで見解が変わってないわけですよね。

 知事:例えば、五百旗頭さんの話で言いますと、副理事長の任を解かせていただいたということは、事実としてはありますけども、命を縮めたということは事実ではないという風に思いますので、そこは誹謗中傷性が高いと思いますね。
 Arc Times:結局、メインのポイントで、真っ向から反対する見解を知事は全部述べているんですけど。
 これは地方自治法100条に基づく、極めて重い、偽証ができない、この県においては51年ぶりの報告書なわけですが、それを知事は、1つの見解という風にしか捉えていなくて、その内容については、全て主要なポイントにおいて全く聞く耳を持たないという状態なんですけれども、それがゼロ回答、自分の考えを変えないというのが、先ほどの必要な研修うんぬんのところはいいので、含めてゼロ回答というのは知事の答えなんでしょうか。
 そう受け取らざるをえないんですけれども。
 知事:ゼロ回答ではないとは思いますけども、やはり我々が主張すべきポイントはしっかり主張していくということは大事だと思いますし、改めるべきところはしっかり改めていくということで、百条委員会の報告書は本当にしっかり受け止めさせていただきたいと思います。
 Arc Times:私も昨日、会見に出ましたが、その意味では、議会はこれに対して、皆さん真摯に受け止めて欲しいと言っていましたが、知事は、しっかり受け止めるとは言いつつ、中身については全く逆のことを言い続けているわけですが、これは県議会とすると、後は、再び178条、不信任のとこに行くしかないということでしょうか。
 知事:ちょっとそこは分からないですけど、私としては、やっぱり百条委員会の報告書というのは、大変重いですから、そこは、しっかりと受け止めていくと。
 改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だと思いますし、今日は2月補正予算も可決していただきました。
 本当にありがたいと思いますし、当初予算についてもこれからぜひ成立していけるように、議会側と未来志向の政策議論をしっかり深めていくということが大事だと思っています。
 Arc Times:アンガーマネジメント研修は、知事は受けるつもりがあるのでしょうか、ここで指摘されていますけど、これは知事のことを指していると思いますが。
 知事:ハラスメント研修というものは、しっかり受けようと思っていますので、そういった中でしっかり対応していきたいという風に思います。
 毎日放送:文書への対応を検討する上で、業務時間中に業務上必要のない、業務とは関係のない文書を作る人が作成した文書だから真実相当性がないという風に考えたということはありますでしょうか。
 知事:それはないですね。
 毎日放送:しっかりと切り離していたという認識で合っていますか。
 知事:やはり文書の内容について、私自身もそうです。
 これまで述べているとおりですね、通報対象事実について、やはり、客観的な裏付けや証拠がないということと噂話を集めて作成しただけだということをおっしゃっていたんで、それと誹謗中傷性の高い文書だということで、保護すべき外部通報としての要件は欠いているという風に考えていましたね。
 毎日放送:今回、報告書がまとまったことで、文書の中の一定の事実が認められたということですけれども、改めて嘘八百という発言については、どういう風に振り返られますか。
 知事:叱責をした、強く注意をしたことがあるとか、そういった事実については、確かに私も付箋を1枚投げてしまったりとか、机を叩いたという事実はあるということですね。
 一方で違法性の認定については、それぞれの項目で、どこまでされたかというとそこは違法性の認定というものは、あの文書を見る限りは、可能性としては触れつつも違法の認定はされてなかったということが、調査結果でもあるとは思います。
 いずれにしても、議会側からのご指摘ですね、これはやはり真摯に受け止めて、しっかり対応していきたいという風に思います。
 毎日放送:一定の事実が認められている状況ではありますが、行き過ぎた表現だったとは思っていないということでしょうか。
 知事:一定の事実は認められた面もありますけど、先ほどの、例えば、五百旗頭先生とかで言いますと、人事異動が先生の命を縮めたということは明白だというそこの一番大事なポイントのところが、やはり、そういった事実はない、認定されていないということがありますので、そこはやはり、文書の内容というのは、私どもとしては、誹謗中傷性の高い事実でないことが多々含まれている文書だという思いは、今も変わっていませんね。
 毎日放送:発言自体を撤回もされないということでしょうか。
 知事:そうですね。

 発言自体は強い発言だったという風には反省はしています。」
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2855/斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見①。

 斎藤元彦兵庫県知事・2025年3月5日(水)記者会見(一部)①
 出所/兵庫県庁「知事記者会見(2025年3月5日(水曜日))」
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 産経新聞:報告書〔いわゆる百条委員会報告書—掲載者〕の中では、告発文書について一定の事実が含まれていたことが認められたというような明記もされていますが、知事としてはこれまでの県の対応については適切だったとお考えでしょうか。
 知事:議会側から百条委員会の報告書で、一定の見解が示されたということは、しっかり受け止めるという必要がございます。
 改めていくところはしっかり改めていくということが大事だと思います。
 文書問題に関して、県の対応というものは、これまで申し上げているとおり県としては適切だったという風に考えています。
 産経新聞:告発者を懲戒処分とした一連の県の対応について、報告書では公益通報者保護法違反の可能性が高いというような明記もされています。
 その際、囲みの取材の時にその可能性について、逆に言うと適法性の可能性もあるというようなご発言をされていたんですけれども、もう一度説明をしていただければと思います。
 知事:今回、議会側から報告書で一定の見解が示されたということは重く受け止めるということが必要だと思います。
 県としては、今回の文書問題に関する初動の対応から、懲戒処分の対応まで、これは弁護士とも相談しながらやってきたということ、そして、文書について誹謗中傷性の高い文書だということで、作られた方を調査したということです。
 それを踏まえた調査結果とそれを含めた4つの非違行為というものが、判明しましたので、懲戒処分をさせていただいたということです。
 内容、手続きともに問題なかったと考えています。
 公益通報の関係については、有識者の中でも様々な見解があるということで、違法性があるという指摘をされている方も百条委員会でもおられましたけれど、一方で、文書等ではやむを得なかったとか、そういった違法性がなかったという旨もおっしゃっている方もおられますので、意見が分かれるという問題ではあると思いますけれども、県としては違法性の問題はなく、適切だったという風に考えています。
 産経新聞:認定について断定をしていないから適法の可能性もあるんだというご説明ということですか。
 知事:可能性というもので、違法性についての可能性ということをおっしゃっていますので、可能性というからには他の可能性もあるということだと思います。
 産経新聞:報告書の中で、今回の県民局長に対しての救済回復の処置をとるというような規定に基づいた対応も必要だということも明記されています。
 改めて元県民局長の名誉回復について、例えば処分撤回をするなり、謝罪をするなり、そういったことを考えないでしょうか。

 知事:元県民局長が亡くなられたということは、大変残念で、改めてお悔やみを申し上げたいと思います。
 元県民局長も県政に長年にわたりご尽力いただいたということへの感謝もやはり大事だと私自身も思っています。
 一方で、今回の文書については、文書そのものが誹謗中傷性の高い文書だということと、多方面に実名を挙げて、企業名であったり個人名、病名まで実名などを挙げてやられて、事実でないことが含まれるような文書でございますので、誹謗中傷性の高い文書だということです。
 それに基づいてどなたが作られたかということを調べざるをえなかったというのが今回の対応です。
 そして、公用パソコンの中に、当該文書のデータが見つかったということ。
 それ以外にも、他の職員の写真画像、これは、本来は、人事課でおそらく保存されているもんだと思いますけど、それを抜き取って保存していたということ。
 別の部長への誹謗中傷とされるハラスメントの文書を作成されたということです。
 それから四つ目が、倫理上極めて不適切なわいせつな文書を作成されていたということで、4つの非違行為が判明しましたので、ここは懲戒処分ということになりました。
 懲戒処分の内容、手続きともに適切だった、適正だったと考えています。
 懲戒処分に対しては、先ほどの囲み取材でも申し上げましたけれど、もし不満、そして不服があれば、これは人事委員会というところに不服申し立てができます
 そこで審査がされて、もし、そこで本人の申し立てが通らなかったとしても、次は裁判ということでいきますので、ご本人が本当に不服や何か問題があるのであれば、人事委員会などに申し立てや裁判をするということができたはずです。
 ご本人はされなかったということで、それで懲戒処分というものは確定したというのが今の見解でございます。 

 産経新聞:先ほどの処分の理由の中で元県民局長が公用パソコンの中に保管した私的文書の内容について触れていました。
 倫理上極めて不適切な文書というような表現をされていたと思います。
 当初の処分の発表ではその内容について業務と関係のない私的な文書を多数作成というような説明の仕方をされていたと思います。
 今、現在、その内容に触れた説明をするという、その意図というか意味というのは、どういったところにあるんでしょうか。
 知事:倫理上問題のある文書というものは、これまでから申し上げていましたので、それが業務上じゃない文書ということで、どういった文書かということで説明したということです。
 産経新聞:この私的文書の内容について、県保有情報であるにもかかわらずSNS上にも流出してしまうという問題にも発展していると思いますが、そういったその内容に触れる発言を知事自身が行うというところの重大性についてどういうお考えでしょうか。
 知事:文書のその件については、今、第三者委員会の方で調査がされているというとこだと思います。
 その結果を、今、待っているというとこです。
 公用PCですから、県民の皆さんのパソコンの中にあった文書が業務時間中に業務と関係ないということをされていたということですから、そこの内容について、倫理上不適切なわいせつな文書だったということを申し上げているということです。
 産経新聞:私的文書について、先ほど言った「わいせつな」という表現をされていたと思いますけれども、これが流出されたことによって、一方でその告発文書の信用性というものも、失わせるような発信をするSNS上では見られるんですけれども、そういった事態がある中で、なぜ知事も「わいせつな」というような表現をするのかというところを教えてください。
  知事:公用PCの中身というものが、1つの我々が懲戒処分をさせていただいたということで、4つの非違行為ということになります。
 その1つの中が今申し上げた、業務上関係のないというものの中で倫理上問題のある、文書だったということです。
 それを申し上げたということです。
 産経新聞:有識者の方にも取材をしていると、そういった私的文書が流出してしまうこと自体も告発者の不利益扱いだというような見解を示されている有識者の方もいるんですけれども、そういった中でも中身について触れる説明をしないといけないですか。
 知事:懲戒処分の1つの理由になっています。
 これは業務上と関係ない、倫理上極めて問題のある文書だということで、これは申し上げるということは問題ないと思っています。

 日経新聞:今回、報告書を受けて、斎藤知事はこれまでの対応、県の対応は適切だったと従来の説明をされていると思いますが、仮に適切だと思っていても、当時を振り返って、より良い判断というのはいろんな場面であったかと思います。
 その中で、今回、報告書が出ていろんな課題も指摘されていると思いますが、当時を振り返ってこうするべきだったと思ったり、今後それを振り返る機会をしっかり作るなど、その辺りはどのようなご認識でしょうか。
 知事:内容で言いますと、議会側からもご指摘があったとおり、風通しの良い職場づくりに向けて、研修などをしっかりやっていくということは本当に大事だと考えています。
 物品受領についても、県民の皆さんから疑念を抱かれないようなルールづくりは大事だと考えていますので、そういった改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だと考えています。
 その点も含めまして、一連の対応については、私としては問題ないと考えています。
 日経新聞:県として調査するのではなく、最初から第三者機関に委託するなど、その辺りについても特に思うことはないということでしょうか。
  知事:あの時、取り得る対応としては、最善の対応だったと考えています。
 確かにいろんなご指摘はあると思いますが、やはり、誹謗中傷性の高い文書が作成されて、多くの個人や企業の名称が出て、そして核心的なところが事実でない、信用を失墜しかねない違法行為などをやっているという内容でしたので、そこは早く対応しなければならないということで、誰が作ったかを調べたという対応ですから、ここは初動からも含めて対応に問題はなかったという風に考えています。

 日経新聞:今日の本会議後の知事囲み取材の中で、報告書の結果については、最終的には県民がどう判断するかが大事という発言もあったと思います。
 そこの意図をお伺いします。
 これまで、例えば、パワハラであったりとか、公益通報に関しては司法の判断という発言もあった中で、その辺の考えは従来と変わらないのか、何かお考えがあるのでしょうか。
 知事:そこについては従来と変わりません。
 ハラスメントについても、民事で言いますと、当事者がハラスメントだとされて、司法の場で判断されるということも一般的ですし、公益通報についても、通報された方が、公益通報についての争いをするということで、違法性の判断というものは司法の場でされる。
 これは百条委員会で弁護士もおっしゃっていたことだと思いますので、最終的には、今回、百条委員会で報告書が出まして、議会側の議決を受けたということですから、これについては県民の皆さんが最終的にどのようにこれを見て判断されるかというところはあると思います。
 日経新聞:最終的には司法の判断だけれども、県民の見方というのも重視したいと、そういう意図でしょうか。
 知事:文書の内容についての判断は、最終的には司法の場ということを、今おっしゃった2点については、そういうことだと思いますが、私が申し上げたかったのは、議会が今回報告書を議決したという議会の対応など、こういったものは、最終的には県民の皆さんが、どのように見て、どのようにこれから判断していくのかということです。

 日経新聞:その点で言えば、今、弁護士6人で構成している第三者委員会があると思いますが、元裁判官という意味では司法の見方という点では非常に精度の高いものかと思います。
 その結果を今後知事は受けると思いますが、真正面からしっかり受け止めていくのか、それでもやっぱり司法の場ということになるのでしょうか。
 知事:第三者委員会の結論については、まだこれから、調査中で結論が出ていないので、そのコメントはまた出てからだと思います。
 読売新聞:報告書の総括で指摘されている、「県のリーダーとして厳正に身を処していかれることを期待する」という部分についてですが、昨日の百条委員会の会見で、委員の1人から、「知事は議会とのコミュニケーションを重視する、しっかりと話し合っていくと再選後もおっしゃっている中で、議会と知事との間にこの報告書が位置付けられているものだと思っている。この報告書をどう受け止められるか、議会を重視してコミュニケーションをとっていくところの表れだ」と発言されていますが、再選後も訴えていた県議会とのコミュニケーションの取り方について、今後、斎藤知事はどのようにお考えでしょうか。
 知事:県議会も今回の代表質問や一般質問を通じて、政策について未来志向での提案や議論をいただいたということが大変多かったと私は捉えています。
 これが、県知事側と議会側のあるべき姿だという風に本当に思いますので、こういった政策議論を通じて、これは本会議だけではなく、機会ごとにやっている各会派との意見交換であったり、そういったことを通じて、政策の議論、そういったものをしっかりコミュニケーションしながら深めていくということが、本当に大事だと思っていますので、これはしっかりとこれからもやっていきたいと考えています。
 読売新聞:斎藤知事としては、再選前と再選後で、コミュニケーションの取り方は大分綿密になってきているとお考えでしょうか。
 知事:まだ11月に再選してから3ヶ月ほどで、これからしっかりやっていくということ、これは12月議会や今回の2月議会でも、本当に闊達な政策論争というものはされていると思いますので、引き続き、議会側と議論を闊達にしながらコミュニケーションを図っていきたいと考えています。
 読売新聞:本日の本会議で、増山県議による報告書に対する反対討論をされている際に、斎藤知事がうなずかれている場面があったと思いますが、知事はどのような思いで、その辺を聞かれていたのか、共感される部分もあったのかと思ったんですが、どのような感じだったんでしょうか。
 知事:私、うなずきましたっけ。あまり認識はしていないのですが、すみません。
 人の話を聞いている時にうなずきながら、というのは、よくやることですので特に他意はございませんが、ご主張をしっかりされたという姿を見ていたということです。

 読売新聞:報告書の中身で指摘されている部分について、独立性を担保するために、県以外の第三者委員会に調査を委ねるべきだった、第三者委員会を設置することとしたが、本来は元県民局長の処分前に設置し、処分するのであれば、その調査結果に基づいて処分を行うべきだったと考えられるとの指摘がありますが、これについてどのようにお考えでしょうか。
 知事:1つの議会側からの見解だとは受け止めてはいますが、いろんなやり方があるということだと思います。
 私としては、当時の兵庫県として取り得る対応は、先ほど申し上げた、初動からの対応は適切だったと思っています。
 読売新聞:元総務部長による元県民局長のプライバシー情報の漏えい疑惑について、県として刑事告発も含めた厳正な対応を早急に求めると指摘がありますが、知事としてこの指摘を受けてどのように動かれていく予定でしょうか。
 知事:ここは、今、第三者調査委員会で調査を進めているところですので、その調査結果を待って、適切に対応したいと考えています。
 読売新聞:先ほど、日経新聞の報告書を受けてという話で、知事ご自身として改めて今回の指摘を受けて、風通しの良い県政とか、贈答品のルールなどもあったと思いますが、これまで気付いていなかった部分で、反省しなければいけなかったとご自身の中で思われるような、ご自身の課題について何かありましたか。
 知事:職員とのコミュニケーションということで、感謝の気持ちを伝えさせていただいたりとか、そういったところです。そこは本当に大事なポイントだと思いますので、そこをよりこれから大切にしていきたいという風に考えています。
 読売新聞:元県民局長の公用PCの中身の私的情報について、先ほど明言される部分があったと思いますが、知事は中身をご覧になられたんでしょうか。 
 知事:私は見たことはないです。

 読売新聞:見たことはなくて、先ほどの話というのは、人事課からずっと前から聞いていた話ということですか。
 知事:見つかった当初に倫理上極めて問題のある文書だということを聞いていました。
 読売新聞:その後、確認した部分から新たに確認したということではないということではないですか。
 知事:ないです。
 そういった文書がありますということは聞いていました。
 読売新聞:その当時発言されていなかった「わいせつな」という部分で、今回、出たという理由は何かあるのでしょうか。
 知事:倫理上、極めて問題があるということで、それはわいせつな文書だということです。 
 読売新聞:これまではそういったお話は出てなかったように思うのですが。
 知事:そうでしたっけ。
 倫理上問題のある文書ということで、そういった趣旨も含めていると思いますので、そこは、今日申し上げたというところです。

 毎日新聞:百条委員会から報告書が出ました。
 先ほどの囲み取材でも、今の会見でもそうですが、それについては、議会側からの1つの見解だとおっしゃっています。
 今、同じ文書問題についての第三者委員会の調査が進んでいまして、月内にも結果が出ると思います。
 その結果が、県議会の百条委員会の結論と重なる部分については、たとえ、今までの県の見解と違っていても、そこの部分というのは改められるのでしょうか。
 それとも、あくまでもそれは違うんだということになるのか、その辺どのようにお考えなんでしょうか。
 知事:第三者委員会の結論はまだ出ていませんので、それが出てみないことには、そこについては、どういう考えかというのは難しいかと思います。
 報告書が出てからの対応だと思います。
 毎日新聞:知事ご自身の姿勢としてそこはどうなんでしょうか。
 2つの報告書から、これまでの県のやったことは、これは間違っている、違うというような指摘があった場合に、それを受け入れられるのか、それとも、そうではないのか、知事の姿勢としてどうでしょうか。
 知事:今日もそうですが、1つの見解としてしっかり受け止めていくことは大事だと思います。
 毎日新聞:第三者委員会の結論もまた1つの見解ということですか。
 知事:そこは内容を見てみないと分からないですが、第三者委員会としての報告書が出たら、それをしっかり見解として受け止めていくということは大事だと思います。

 毎日新聞:議会との対話の件で。先ほど浜田議長が取材に応じられ、その時に、百条委員会の報告書に関して、知事の方からオファーがあれば喜んで対話はしたいと。
 現状としては、11月に就任されて以来、なかなかじっくり話す機会もなかったということで、浜田議長の方はそのような見解ですが、知事として、直接会談をするとか、面会してこの件について話をするということについてはどのようにお考えですか。
 知事:それは政策の話をしたいということですか。
 毎日新聞:県議会として百条委員会が51年ぶり報告書を出したという、この件についてです。
 知事:必要があればぜひ会いたいと思いますけども、議会側からは、今日、議決が本会議でされて、私どもの方にも、議長名で文書が来ましたから、そこが、議会側からの報告書の提出があったということですので、そこで文書問題についての対応というものは議会側として、一定の節目を迎えたということだとは思います。
 毎日新聞:コミュニケーションを重視されるということであれば、報告書という書類ではなく、それを基に直接お話しされることがコミュニケーションを深めることになると思いますが、その辺はどうお考えですか。
 知事:そこは必要があれば、やるということは大事だと思っています。
 読売テレビ:先ほど、片山元副知事がコメントを出しまして、元県民局長の公用PCのデータについて、自主的な公開を知事に求めていくという風に話しました。
 ただ、この私的情報については、生前、元県民局長が取扱いの配慮を百条委員会に求めていた内容でもありますが、この公用PCのデータの知事の自主的な公開についてはどのようにお考えでしょうか。
 知事:元副知事からのコメントは、ちょっと承知はしていませんが、公用PCについては、基本的には、県民の皆さんの税金で購入させていただいて、使用させているもの、公のものですから。
 そこにもちろん、人事課とかに、家族とかの個人情報とかが保存されて、そういったところのプライバシーとか、そういう写真とかというのは、大事に保存・保管しなければいけないというのはあります。
 一方でやはり、公用PCですからね。
 ここは県民の皆さんが、どういった使われ方をされているのかというのは、税金ですから、関心も高いですし、チェックをしたいという思いはあるとは思います
ので。
 ただ、今回については、現時点ではそういった公用PCの中身を公表するということは、県としては決めてはいません。
  読売テレビ:確認ですが、決めてはないけれども、精査した上で検討したいということなんでしょうか。
 知事:そこは、現時点では、公表するということは決めてはないんですけども、いろんなご指摘はもちろんあると思いますので、そこはどういう風にするかというのは、公用PCですからね、やっぱり税金で買わせていただいたパソコンなので、そこがやはり業務と関係ない使い方をされていたということは、やはり県民の皆さんにとっても、どういう使い方をしていたんだと、自分たちの税金で買って、公務員が業務に使うということが、やはり本来のあるべき姿でしょうと。
 そこは、税金を払われている納税者の方々から見てやっぱりいろんな関心はあると思いますので、そこはどういった対応ができるかというのは、最初から全てがだめとかという議論ではなくて、それは、手続きとか内容の精査をしながら、どういう対応をするかということを、決めていくことになるとは思います。

 読売テレビ:これまでのやりとりの中で知事は今回の報告書の件、1つの見解として受け止めるという風に発言されていますけれども、一応、今回その見解を出したのが、二元代表制の一翼を担う議会が出したということです。
 議会も、知事よりも前の選挙ではありますが、県民の負託を得ているという状況で、1つの見解というのは、少し報告書を矮小化しているにも聞こえるんですけれども、それでも1つの見解という受け止めなんでしょうか。
 知事:大変重い見解だという風に思っています。
 やはり、二元代表制の一翼を担う議会から今回、百条委員会の報告書として、1つの見解が示されたということは、やはり我々としてはしっかり受け止めなければいけないという風に考えています。
 NHK:百条委員会の報告書では、パワハラの疑いなどについても一定、事実の内容も含まれていたと。
 これに対して、知事はこういった報告書というのは1つの見解だというところで、ある種、百条委員会側ひいては議会側と知事の間で、すごく相入れない部分があるのかなと思っていまして、それはどうやって間を埋めていかれようとしているんでしょうか。
 知事:相入れていないという風に私は全く思っていなくて、もちろん議会側からの提言にもあったですね、アンガーマネジメント研修を取り入れて欲しいとか、あとは、物品受領についてのルールづくりを、会食も含めて、しっかりやって欲しいということで、そういった提言というものは、やはり我々としてもその見解をしっかり受け止めて、それを改めるべきところに、反映させていただくということは本当に大事だという風に思っていますので、そこはしっかりやっていきたいという風に思っています。」

 「NHK:文書問題の報告書とは、切り分けて予算は予算としてしっかり議論をしていくべきということですか。
 知事:今日、県議会で百条委員会の報告書をいただいたということは、大変重く受け止めるということは大事だと思います。
 改めるところをしっかり改めていくということが、私自身も大事だという風に思っていますので、その上で、謙虚な気持ちを持って、政策を進めていくという意味で、百条委員会の提言というものもしっかり踏まえていくということが大事だと思いますし、その上で、来年度予算の成立、これはやはり県民の皆さんの大きなご負託の中で、県の事業、予算というものをしっかり前に進めて欲しいということが、111万票ですね、それ以外の方も含めて、やはり県政をしっかり前に進めていって欲しいのが、県民の皆さんの総意、大きな思いですから、それを体現していくということ、それを実現していくということが、斎藤県政にとって大事なことだと思います。
  NHK:最終判断は司法の場というところ、今日に限らずこれまでも述べられました。
 昨日、百条委員会の報告書をまとめて、今日、賛成多数で了承されたと。
 知事自ら、最終判断は司法の場というところがちょっとふわっとしていて、知事はこの評価を受けて、何か司法の判断を仰ぐようなアクションとかは取られるおつもりなんですか
 一方で文書を書かれた元県民局長の方は亡くなられているので、そういう行動はできないと。
 やるとしたら知事ご自身が何か司法の場において判断を仰ぐなどそういったアクションは現時点で何か考えられているんでしょうか。
 知事:私からはないと思います。

 NHK:先ほどお話あった公用パソコンの公開というのは、元県民局長の公用パソコンの公開ということでよろしかったですか。
 知事:先ほどのご質問の趣旨が、そうであればそうだということです。
 NHK:先ほどの質問も確か元県民局長のパソコンの公開についての質問だったと思うんですが、知事としても、そこは公開も検討ということでしょうか
 知事:そこはいろんな、情報公開請求とか、いろんなものがどういう風にあるのかちょっと私は承知していませんけども、そういったものがあったりする中で、どういう風に対応していくのかというのは、今後、情報公開請求などがあればとかですね、あとは、いろんな県民の皆さんの関心など踏まえて、どういう風にしていくかというのは、今後、議論を全くしないというよりも、そういった議論はあり得るという可能性を言ったということですね。
 NHK:県民の皆さんからの関心も高まり、仮に情報公開請求があった際には元県民局長の公用パソコンの公開というのも一定可能性としてはあるということですか
 知事:請求とかがあれば、もちろん検討はしていかなければいけないと思いますし、最初から全てを公開しないのかというものでもなくて、それは一応そういった可能性としては、議論をしていくということはあり得るというだけの話ですね。

 朝日新聞:先ほど、知事がおっしゃいました元県民局長が公用パソコンで作成した私的文書の内容について触れられた件なんですけども、産経新聞もおっしゃっておられましたが、懲戒理由は、業務中に業務と関係ない文書を作成したということで、要は職務専念義務違反が理由だったはずで、「わいせつな」というその内容について触れるのは、元県民局長を不必要に貶めるようなことにならないでしょうか
 知事:倫理上、極めて問題のあるは文書だということはこれまでも申し上げていましたし、その倫理上問題があるということは、その中で、わいせつな文書だということを申し上げたということです。

 朝日新聞:報告書では、告発文書には一定の事実が含まれていたとしている一方で知事は、昨年の3月の会見で嘘八百ですとか、それ以降も真実相当性がないとおっしゃっておられました。
 この真実相当性がないという部分については、何か撤回とかそういったお考えはいかがでしょうか。
 知事:我々としては、噂話を集めて作成したということとかですね、あと文書の内容についても、具体的な供述や裏付けがなく、誹謗中傷性の高い文書だということですので、従来の見解から変わってはいません。

 朝日新聞:パワハラについてです。
 報告書では、先ほど知事は、違法性の認定はないと先ほどの囲み取材でおっしゃいました。
 業務上必要な範囲の厳しい指導をしたということでしたけれども、百条委員会の調査では、指導として必要のない行為だったとか理不尽な叱責だったという証言も出ていまして、県立考古博物館の叱責について、報告書では極めて不適切な叱責と評価もしています。
 提言のところでは、業務上必要な範囲ではない不適切な指導が、複数あったということはまず知事自身が認めることが重要で、言動を真に改める姿勢を持たなければならないとしておりますけども、この提言に対してはどう対応されていかれますか。
 知事:私としては、これは前から申し上げているとおり、業務上必要な範囲内で、これは厳しくもありましたけども、注意させていただいたり、指導はさせていただきました。
 そこについてもし不快な思いをされたという方がおられるんだったら、申し訳ないという風に思っていますけども、あくまで業務上の必要なところで、注意をさせていただいたりしたというところだと思います。
 一方で県議会の百条委員会の報告書からは、そういった意味も含めたコミュニケーションをしっかりやっていくということの大事さも、主旨として提言されていると思いますので、県職員の皆さんへの感謝の気持ちとか、そういったものはしっかりこれからも伝えていくと、言葉として伝えていくということをぜひやっていきたいという風に考えています。
 朝日新聞:今も、職員が不快に思われたら申し訳ないというようなことだったんですけども、不適切だったとは今からでも思われないということでしょうか
 知事:私としては、厳しく指導や注意もさせていただきましたが、業務上の必要な範囲内で本当に県政を良くしたい、良い仕事をして欲しいという思いでさせていただいたという風に考えてはいます。
 ただ、厳しくやるということで、不快に思われたりした方がおられれば、そこは申し訳ないという風に思っています。

 朝日新聞:元県民局長の名誉回復の件で、百条委員会の奥谷委員長が、昨日、「百条委員会は裁判所ではないので、公益通報者保護法違反であると断定はしていないけれども、その可能性があるんであれば、県として検証して、問題があるなら法に従って適切に対応して欲しい」という思いだとおっしゃっておられました。
 改めてその対応が適切だったかどうかの検証というのをするお考えというのはいかがでしょうか。
 知事:そこは百条委員会で一定検証されて、これから第三者委員会でも検証されるということだと思いますし、私としてはこれまで会見の場でも、対応が適切だったということは、何度も申し上げてきたというところだと思います。
 いずれにしても、今回、百条委員会から、そこについて一定の見解も示されましたが、私としては、今回の懲戒処分についての対応に問題はなかったという風に考えていますし、やはり、懲戒処分というのは、手続き内容を経てやっているものですから、ここは処分された方が、もし不服があれば、不服申し立てや裁判をされているというところが、1つのあり方ですから、そこをされなかったというところで、処分については確定をしているというのが今の見解ですね。
 朝日新聞:昨年、県議会が、全会一致で議決を決めた不信任決議案ですが、これは知事の資質を問題視された結果だったと思います。
 今回、百条委員会は地方自治法に基づいて設置されたもので、9ヶ月に及ぶ調査を経て出してきた調査報告書ですけれども、こういったところについては1つの見解と先ほどから繰り返しおっしゃいますし、先ほどの囲み取材の中では、違法の可能性が高いと指摘されたことについては、適法の可能性もあるとおっしゃいますけれども、今、ご自身の知事としての資質についてはどのようにお考えですか。
 知事:コミュニケーション不足とか風通しの良い職場づくりをしっかりしていくということは、ご指摘いただいたことなどは、真摯に受け止めて、改めるべきところはしっかり改めていくということが大事だという風に思っています。
 前回の選挙で、知事の資質というものが大きな争点になって、知事選がされました。
 そんな中で、政策を訴える中で、結果的に多くの県民の皆さんの負託をいただいたということですから、そこはそのご負託というものが、斎藤県政が進めて欲しいという知事のこれからのある意味、県政に対する推進をしっかりやって欲しいということを期待していただいていますので、そこもしっかり受け止めて、県政をこれから前に進めていくために、自分の資質や手腕をしっかり、発揮していきたいという風に考えています。

 フリー記者A:今日の記者会見では、ことさら、選挙に勝った、選挙に勝ったということをおっしゃっています。
 昨日発表された報告書を見ると、20メートル歩かされたこと等いわゆるパワハラ疑惑について、その概ねが事実として類推されるという風に結論づけられています。
 しかし、知事、選挙の最中に、怒鳴ってない、付箋投げてない、パワハラしてないとおっしゃってました。
 選挙の結果は尊いです。
 しかし、知事、演説の中で、この百条委員会で証言された内容と違うことをおっしゃっていました。
 有権者に対する街頭演説、力を入れられた街頭演説に虚偽の内容があったと言わざるを得ないと思うんですが、その点についてご見解何かありますでしょうか。
 知事:私は、付箋を1枚だけを投げてしまったということとか、厳しく注意をさせていただいたということは、選挙戦の中でも言ったことはあると思いますし、自分が虚偽なことを言ったという認識はないです。
 フリー記者A:三宮の街頭演説のときに、そんなことしてませんって明確におっしゃってます。
 知事:そんなことというのはちょっとよくわからないです
 フリー記者A:パワハラについてです。
 知事:パワハラかどうかというのは、最終的な司法の場が認定することですし、私としては、業務上必要な範囲で、社会通念上の範囲内で、指導や指摘をさせていただいたということで、そういった発言をしたんだとは思いますね。

 フリー記者A:百条委員会の報告書をしっかり受け止めるという風におっしゃっています。
 しかし、この百条委員会の報告書は、懲戒処分そのものの内容の妥当性ではなく、懲戒処分をしたことが、公益通報をしがたい組織風土をつくり、風通しの悪い組織を作ってしまうことがあり、県当局に対する真摯な反省を求めています。
 読み上げると、「この度の兵庫県の対応は、組織の長や幹部の不正を告発すると、告発された当事者自らがその内容を否定し、さらに通報者を探して公表された上、懲戒等の不利益処分等により、保護者が潰される事例として受け止められかねない状況にある。」この発言は極めて重いと思います。
 知事は組織のリーダーです。
 組織改革をする必要があると思いますが、この報告書の指摘する知事への要請内容とあなたが先ほどから俗に言う死体蹴りを重ねている。
 亡くなった元県民局長の名をあえて今日あなたは毀損しようとしている。
 今うなずいてますね。
 それと、この報告書をしっかり受け止めるというご発言が、報告書をしっかり受け止めるんであれば、今日ことさらに元県民局長の公用PCの内容を、ここで初めて卑猥な画像などという言葉を使って、さらす必要などないじゃないですか。
 あなたは人が死んだことは何だと思ってるんですか。
 知事:質問ですか。
 フリー記者A:あなたの人間性を問うてるんです。

 あなたの日本語能力に合わせましょうか。
 死者を冒涜するな。
 職員を馬鹿にするな。
 知事:ご指摘は、百条委員会の報告書というものは、しっかり真摯に受け止めていくということが、大事だという風に思っています。
 フリー記者A:真摯に受け止めるんであれば、今日の記者会見での元県民局長へのプライバシー情報に対する言及を取り消していただけないですかね。
 知事:倫理上極めて問題のある文書というものは、これまでも申し上げてましたし、その内容について申し上げたということです。
 フリー記者A:この度の兵庫県の対応は、組織の長や幹部の不正を告発すると、告発された当事者自らがその内容を否定し、さらに通報者を探して公表された上、懲戒等の不利益処分等により、通報者が潰される事例として受け止められかねない状況にあると百条委員会は、指摘してるんです。
 その状況を改善するおつもりはないということですか。

 知事:それは、公益通報というものが大変大事な制度ですから、これはしっかりやっていかなければいけないというのは、本当に私自身も強く思っています。
 やっぱり公益通報、これを通報対応者は保護していくということ、そして、しっかりそれを踏まえて是正措置をしていくということは本当に大事だという風に思っています。
 フリー記者A:大事だと思うんであれば、今日の記者会見の内容おかしくないですか。
 知事:私は、今日、質問していただいたことに、1つ1つに回答させていただいています。
 フリー記者A:処分は適切とおっしゃっていますが、百条委員会の報告書が指摘しているのは処分の内容の適切性ではなくて、処分に至る前の調査がまず行われたことが不適切だと言っています。
 その内容をどう受け止められるのかと、それと、昨日閣議決定された公益通報者保護法は、あなたの行為を明確に非合法化する内容です
 その閣議決定についての受け止めを教えてください。

 知事:この文書に関しては、私が文書に書かれた当事者として、事実と異なる記載があるということ、それから、個人名や企業名も多数含まれてますんで、これは放置しておくと、多方面に大きな影響や不利益を及ぼす内容であるという風に認識しました。
 だからこそ、しっかり調査対応するように指示したということです。
 そういった内容に誹謗中傷性があるものということで、作成者がどなたかということを調査をして、信ずるに足る相当の理由があるかどうかということを確認していくことが、法律上そこが禁止されているとは考えていないというのが、本会議でも説明させていただいたというとおりでございます。
 それから、法改正があったということですけども、それは国において公益通報のあり方というものをしっかり議論されて審議されて、先日、閣議決定がされたということですので、それはそういった法改正に基づいて、兵庫県においても、公益通報保護制度の改善をしていくと、制度上の対応をしていくと。
 既に、外部窓口の設置というものもさせていただいています。
 フリー記者A:僕はそんなこと聞いてないです。
 あなたは元官僚として自分の行為が立法事実となったことをどう受け止めていますかって聞いているんです。
 知事:国において、しっかり議論されて、法律の改正を閣議決定されたということですので、そこはしっかり受け止めたいと思いますね。
 フリー記者A:はい。しっかり受け止めてください。

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 つづく。

2854/R.パイプス1990年著—第15章⑤。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第二節/”左翼共産主義”構想の実行。
 (01) ブハーリンは左翼共産主義派の指導者だった。ブレスト条約をめぐって敗北した後では、レーニンの国家資本主義に対する反対の立場を採った。
 左翼共産主義の主要な理論家はValerian Obolenskii で、その筆名から、N. Osinskii の方がよく知られていた(脚注)
 1987年に急進的信条をもつ獣医の子として生まれ、20歳の年にボルシェヴィキに加入した。
 ドイツで1年間、政治経済学を研究した。このことで、彼の胸のうちでは、経済問題、とくにロシアの農業に関して執筆する資格を得たつもりになった。
 十月のクーの後ですぐに、ボルシェヴィキによって、国立銀行の理事長に任命された。この役職を彼は1918年3月まで務め、ブレスト条約の締結に抗議して辞任した。
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 (脚注) N. Osinskii につき、Granat, XLI, Pt. 2, p. 89-98.
 1938年に(ブハーリンとともに)疑似裁判を受け、レーニン暗殺を図ったとしてその後直ぐに射殺された。Robert Conquest, The Great Terror (New York, 1968), p.398-400.
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 (02) Osinskii は、1918年の夏に<社会主義の建設>を執筆し、秋に出版した。この書物こそが、戦時共産主義の青写真を提供した(注25)。
 彼が明確にしたように、ボルシェヴィキ体制の経済に関する課題には、つぎの三つがある。すなわち、資本主義経済の「戦略的地点」の統制権の掌握、その内部にある非生産的要素の排除、国家全体の総合経済計画の策定。
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 (03)  彼はHilferding に従って、「資本主義の脳」である諸銀行の掌握を優先すべき課題の第一と考えた。
 銀行は、社会主義経済の交換代理機関へと転換されなければならない。
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 (04) 第二は、大小を問わず、工業および農業生産の手段である私有財産の国有化だった。
 これは、財産の権原の法的な移行だけではなく、労働者がその地位を受け継ぐべき、従前の所有者や経営者という人間の排除をも意味した。
 この措置は資本主義の心臓部を攻撃するものであり、同時に、適切な資源の配分を通じて生産を合理化するのを可能にする。
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 (05) 第三の段階である商業の国有化は、最も困難だった。
 政府は、全ての商業シンジケートと大規模の会社を掌握するだろう。
 卸売り取引を独占することによって、商品の価格を設定するだろう。やがては、全ての商品が、できれば無料で、国家機関によって分配される。
 自由な市場の廃絶は、不可欠の措置だ。
 「市場は、資本主義から継続的に滲み出る、細菌感染症の病巣だ。
 社会的交換の機構を支配することで、投機、新しい資本の蓄積、新しい所有者の出現が排除されるだろう。…
 全ての農業生産物を適切に独占すれば、一ポンドの穀物でも、一バッグの馬鈴薯でもこっそりと<販売する>ことが禁止される。そして、別々の村落農業を継続するのを完全に無意味にするだろう。」(注26)
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 (06) 第四は、小売り取引の廃絶だ。
 義務的な消費者共同組織は、まず第一に必要な物品についての独占を行なう。
 この仕組みは投機と「怠業」をなくし、資本主義者から利益の淵源を奪うことになる。
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 (07) 最後に、強制労働の導入が必要だ。
 これの指導原理は、単純だ。すなわち、「労働官署によって割り当てられた労働を拒む権利を、いかなる者も有しない」。
 強制労働は、当面は、 手に余剰がある田園地域では必要ない。だが、都市部では、不可欠だ。
 この制度のもとでは、「労働義務は人々を労働を強いる手段になる。そしてこれは、易しく言えば、飢餓による死の恐怖を意味した、かつての「経済的」刺激にとって代わる。
 --------
 (08) 政治的および経済的理由で、経済は、一部は資本主義を基盤とし、一部は社会主義のそれ、ということはあり得ない、というのは、Osinski の構想の根本的な前提だった。明確な選択がなされなければならない。
 そうであっても、彼はレーニンに従って、自分のこの経済綱領を、「社会主義」や「戦時共産主義」ではなく、「国家資本主義」と呼んだ。
 --------
 (09) 左翼共産主義者の経済綱領は、党員、労働者、やがて新しい利益集団を形成する労働者支配の受益者から、強い支持を得た。彼らは、いったん掴んだ土地を手離した農民とは違って、1917年に奪取した工場をもう放棄したくはなかった。
 左翼エスエルも、この考え方に共感した。
 レーニンは懐疑的に見ていたが、屈服せざるを得なかった。ブレストで失った人気を回復させるための代償だった。
 1918年6月、のちに詳述する条件で、レーニンは、ロシアの工業の国有化を布令した。
 この措置は、レーニンが理解した意味での「国家資本主義」の可能性を終わらせるものだった。
 これは、見知らぬ世界への跳躍だった。
 --------
 (10) 戦時共産主義の設計者、理論家、実行者たち—Osinskii、ブハーリン、Larin、Rykov、等々—は、経済学という分野についてきわめて表面的な知識しかもっておらず、企業経営の経験もなかった。
 彼らの経済に関する知識は、多くは社会主義者の文献から来ていた。
 誰も企業を運営したことがなく、製造業や取引でルーブルを稼いだことがなかった。
 この実験に関与しなかったKrasin を除いて、ボルシェヴィキの指導者たちは職業的革命家で、ロシアまたは外国の大学での短い期間(ほとんどは政治活動に使われたのだが)以外は、成人以降の全生涯を、監獄の内外または外国逃亡者として過ごした。
 彼らを導いたのは、Marx、Engelsおよびドイツの弟子たちの書物から、およびヨーロッパ革命に関する急進的な歴史書から拾い集めた、抽象的な公式だった。
 Sukhanov がレーニンについて語ったことは、彼ら全員に当てはまる。
 「空想の跳躍への障害を知らない可哀想な騎兵、残酷な実験者、国家行政の全部門についての専門家、その専門の全てに関する素人的好事家」(注27)。
 このような類の素人たちが、世界で第五番めに大きい経済を転覆させ、小規模ですらかつて試みられたことのない変革を行なうことを企てることになる。いくぶんかは、1917年10月にロシアの権力を奪取した者たちの判断ではあるが。
 このような人々の動きを観察すると、フランスのジャコバンに関するTaine の叙述を想起することができる。
 「その原理は、政治幾何学の公理だ。つねに、自らを証明するものを伴っている。というのは、共通幾何学の公理に似て、少数の単純な観念を結合したもので成っており、それをただちに証明するものを自ら自身のうちに含むからだ。…
 現実にある人間は、それには関係しない。
 それは人間を観察しない。人間を観察する必要がない。
 それは閉じた眼で、操作して作った人間の実体に、自分自身の像を押しつける。
 この複雑で、多種多様な、揺れ動く実体に関する従前の把握の仕方についての観念は、その頭の中には入ってこない。—この実体は、現在の農民であり、技術職人であり、都市民であり、聖職者や貴族であるが、鋤鍬の背後に、家屋に、店舗に、牧師館に、大邸宅に、凝り固まった信念をもって、執拗な性向をもって、力強い意思をもって、存在している。
 こうしたものは一切その心の中に入らず、とどまることもしない。
 その思考通路は、抽象的な原理によって遮断される。抽象的原理がそこでは繁茂しており、そこを完全に充たしている。
 かりに現実的経験が眼や耳を通じてその心の中に歓迎されざる真実を力ずくで植え込むとすれば、それは生存していくことができない。
 どんなに騒々しくしてもまたどれほど強く主張したとしても、抽象的原理によって、追い払われてしまう。…」
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 第二節、終わり。

2853/私の音楽ライブラリー051/クラシック①〜④。

 いくつかの「クラシック」音楽曲について、YouTube にリンクをはる。
 前回に掲載した22曲で「十分」と書いたが、改めて聴き直して、次の8曲を追加し、計30曲とした。
 YouTube の音質は「AAC」らしいので、いわゆる「ハイレゾ」ではない。「ハイレゾ」音質で聞くには、CDかそれに対応した配信かつ「ハイレゾ」対応の聴取・再生装置(スピーカー・イアフォン等)が必要だ。
 Albinoni, Adagio in G-minor.
 Dvorak, Violin Concerto in A-minor, op.53.
 Grieg, Piano Concerto in A-minor, op.56.
 Khachaturyan, Masquerade Suite.
 Liszt, La Campanella.
 Skoryk, Ukrainian Melody.
 Tchaikovsky, Symphony No.4 in F-minor, op.54.
 Tchaikovsky, Violin Concerto in D, op.35.
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 クラシック①〜④。
 ①Albinoni, Adagio in G-minor.
 →Stjepan Hauser. 〔HAUSER〕
 →Lara Fabian. 〔Lala Fabian〕

 ②Bach, Violin Concerto No.1 in A-minor, MWV1041.
 →Hillary Hahn, O. M. Wellber, Deutsche KammerPhil. Bremen.〔Bachology〕

 ③Beethoven, Symphony No.5 in C-minor, op.67.
 →Seiji Ozawa, NHK SymphO. 〔小林一夫〕

 ④Beethoven, Piano Concerto No.5 in Es, op.73.
 →Rosalia Gomez Lasheras, Joseph Bastian, Duisburger Phil.〔Rosalia Gomez Lasheras〕
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2852/R.パイプス1990年著—第15章④。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第一節/起源と目標④
 (20) この時期、レーニンは、資本主義の経営と技術を新しい国家で利用する、国家資本主義を擁護して、確信をもちつつ、但し十分には支持されなかったのだが、論述した。
 資本主義が提供する最良のものを採用してのみ、ロシアは社会主義を建設することができる、と。
 「国家資本主義の最も具体的な例を挙げよう。
 誰もがこの例を知っている。ドイツだ。
 ここに我々は『決定句』を見る。<ユンカー・ブルジョア的帝国主義に従属した>、近代的な大規模の資本主義運営と計画的組織化のうちに。
 強調部分を削除し、軍国主義、ユンカー、ブルジョア、帝国主義国家の箇所に<国家>を挿入する。この国家は、異なる社会類型の国家であり、異なる階級内容をもつ国家だ。—<ソヴィエト国家>、すなわち、プロレタリア国家だ。そうすれば、社会主義に必要な条件の<総計>を我々は得るだろう。
 近代科学の最新の研究成果にもとづく大規模の資本主義の技術がなければ、社会主義を構想することはできない。
 生産と産物の配分の統一的標準を数百万の人民に正確に観察させる、そのような計画的な国家の組織化がなければ、社会主義を構想することはできない(注22)。」
 --------
 「ソヴィエト権力のもとでの国家資本主義とは何か?
 現時点において国家資本主義を達成することは、資本主義諸階級によって実行されている計算と統制を実践に移すことを意味する。
 国家資本主義の例を、我々はドイツに見る。
 ドイツは我々よりも優れていることを、我々は知っている。
 しかし、ほんの僅かでもつぎのことを考えれば、何が意味されるだろうか。かりにその国家資本主義の基礎がロシア、すなわちソヴィエト・ロシアで確立されるならば、正当な感覚を失わず、書物の知識の断片で頭を充たしていない者は誰でも、国家資本主義は我々を救済するものだ、と言わなければならないだろう。
 <私は、国家資本主義は我々を救済するものだ、と言った。
 ロシアがそれを達成すれば、完全な社会主義への移行は容易になるだろう。我々の理解では、国家資本主義とは、中央集権化され、計算され統御され、社会主義化された何ものかであって、それはまさに、今の我々に欠けているものだ。>…」(注23)
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 (21) レーニンが好んだ経済の問題はかくして、ボルシェヴィキが実際には採用することになるものよりも、はるかに穏健なものだった。
 レーニンがそのまま進んでいたら、「資本主義」セクターは基本的には無傷のままで残され、国家の監視のもとに置かれただろう。
 外国資本(主にドイツとアメリカ)の流入を想定した協力関係が結果として生じ、そのことは、政治的な副作用なくして先進「資本主義」の利益の全てをボルシェヴィキ経済にもたらすことを意味しただろう。
 こうした提案には、3年後の<新経済政策>と共通する多くの特徴があった。
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 (22) しかし、これは、現実にはならなかった。
 レーニンとトロツキーは、多くのグループから狂信的な反対を受けた。グループの中の<左翼共産主義派>の反対は、最も激烈だった。
 左翼共産主義者たちは、ブハーリンによって指揮され、党内エリートの重要部分と妥協していたが、ブレスト=リトフスク条約に関しては屈辱的な敗北を喫していた。
 しかし彼らはボルシェヴィキ党内の分派として活動をし続け、彼らの機関紙<共産主義者>の紙面で、自分たちの主張を議論し続けた。
 このグループの中には、Alexandra Kollintai、V. V. Kuibyshev、L. Kritsman、Valerian Obolenskii(N. Osinskii)、E. A. Preobrazhenskii、G. Piatakov、Karl Radek)がいた。そして自分たちは「革命の良心」だと考えていた。
 このグループが十月以来信じていたのは、レーニンとトロツキーは「資本主義」や「帝国主義」との機会主義的な順応へと滑り込んでいる、ということだった。
 レーニンは<左翼共産主義者>を、夢想家かつ狂信者で、「社会主義の幼年期の病気」の犠牲者たちだと見なした。
 しかし、この党派は、労働者や知識人から力強い支援を受けた。とくに、レーニンとトロツキーの提案によって「資本主義」の方法が導入される危険があると感じる、モスクワの党組織内の彼らによって。
 提案されたのは、責任をもつ個人による経営に戻すために工場委員会の解体、「労働者支配の放棄」を求めるものだった。この変化は不可避的に、党官僚たちの力と特権を減少させる。
 レーニンは、ボルシェヴィキがブレストのために論争しており、全てのソヴェトで多数派でなくなっていたときには、これら知識人と労働者内のその支持者たちを無視することができなかった。
 また、ある金属労働者がMeshcherskii との交渉に関してこう言うのを聞いたとき、常識が彼に勧める方向を強く主張することができなかった。「レーニン同志、この分野でも息つぎ時間を考慮しているなら、あなたは偉大なご都合主義者だ」(脚注)
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 (脚注) Vechernaia zvezda, April 19, 1918, in: Peter Scheibert, Lenin an der Macht(Weinheim, 1984), p. 219. この参照は、もちろん、ボルシェヴィキがブレスト=リトフスク条約で確保したと主張した、一般には知られない「息つぎ時間」に関してだ。
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 (23) 実際に現実化した戦時共産主義の諸要素は、1918年4月にLarin が発表した小論の中で考察されていた。
 Larin は、1917年11月に彼の論文で発表した諸原理を綿密にしたものにすぎないと装っていたけれども、新しくて異なる経済綱領を提示していた。
 ロシアの全ての銀行は国有化されなければならない。
 工業についても、全ての分野でそうしなければならない。国家と私的トラストの間に協力の余地はない。
 「ブルジョア」専門家は、技術的要員としてのみ経済のために働くことができる。
 私的取引は廃止され、国家の監督のもとでの協同的作業に変えられなければならない。
 経済は、単一の国家計画に従うべきだろう。
 ソヴィエトの諸制度は、通貨とは関係させないで、会計処理を維持する。
 やがて、国家の統制は、旧地主の未使用土地を皮切りに、農業へと拡張されるだろう。
 私的資本に対する唯一の譲歩は、外国の利権だ。これは、技術的人員を提供し、備品の輸入のための借款を認めることで、ソヴィエト・ロシアの経済発展に参画することが許される(注24)。
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 (24) このような綱領的計画でもって、左翼共産主義派は1918年4月に、レーニンを抑えて圧倒した。そして、即席の社会主義というユートピアへと、向こう見ずにも突進していくことになった。
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 第一節、終わり。

2851/R.パイプス1990年著—第15章③。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第一節/起源と目標③。
 (14) 1917年10月25日に—つまり、第二回全国ソヴェト大会からも政府を形成する権威を与えられる前に—、レーニンは元メンシェヴィキで最近にボルシェヴィキに変わったIuri Larin に近づいた。
 社会主義者界隈では、Larin はドイツの戦時経済に関する専門家だと考えられていた。
 レーニンは彼に言った。「あなたはドイツ経済の組織化の問題に没頭している。シンジケート、トラスト、銀行、これらを我々のために研究してほしい。」(注15)
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 (15) のちにすみやかに、Larin は<Izvestiia>に、ボルシェヴィキの経済綱領に関する印象的な概要を発表した。
 この論文が中心に据えていたのは、原料生産、消費産業、輸送、銀行、各々が総合的国家計画に従属したものだが、これら全ての義務的なシンジケート化だった。
 諸企業内の私的部分は、シンジケート部分と交換されるだろう。この取引は公開の市場で行なわれる。
 地方では、自治規則をもつ機関(おそらくソヴェト)は、小売取引や住宅区画をシンジケート化するか、自治体のものにするだろう。
 農民層もまた、食糧や農機具の配分のために「シンジケート化」するだろう(注16)。
 この綱領のもとで、政府は、私的企業を統制することになる。廃止するのではない。
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 (16) レーニンの要請に応えて、Larin とその仲間たちは、ロシアの最も有力な産業家の一人のAlexis Meshcherski との討論を開始した。
 たたき上げのMeshcherski は、旧体制のもとでは典型的な「進歩的」起業家で、官僚制を軽蔑し、ロシアが自由で民主主義的な国になることを望んでいた。そして、ロシアがもつ潜在的な莫大な生産力を実現できる能力があった(注17)。
 Meshcherski は個人的には裕福でなかったけれども、巨大なSormova-Kolomna 金属工業の取締役として、相当に大きい経営上の責任を有していた。この企業の資本金はロシア人と外国人、主としてドイツ人がもち、6万人の労働者を雇用していた。
 Larin の誘いで、Meshcherski は、私企業とボルシェヴィキ政府の合弁企業のための青写真を描いた。
 彼は、半分は民間の投資者が、半分は国家が提供する10億ルーブルの資本金をもち、民間部門が60パーセントを占める委員会によって経営される、ソヴィエト冶金トラストの設立を想定した。
 30万の労働者を雇用するこのトラストは、炭鉱や鉄鉱とともに工業企業群のネットワークを管理し、とりわけ、傷んでいるロシアの鉄道制度に車両を供与するものとされていた(注18)。
 春に共産党当局は、Stakheev グループの役員たちとの類似の合弁企業について討議した。Stakheev グループは、Ural にある150の工業、金融、商業企業を支配していた。
 それの経営陣は、ソヴィエト政府とロシア人、アメリカ人の関係者による基金から資金が提供される、Ural の鉱物を開発するトラストを提案した(注19)。
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 (17) この提案が実現すれば、ソヴィエト経済を混合型へと押し進めただろう。だが、ボルシェヴィキ内の「純粋主義者」によって、未熟なままになった。
 彼ら「純粋主義者」の圧力を受けて、政府の交渉担当官は、提案されている冶金トラストでの政府割合が最大になるよう要求した。民間部門には何も残されないほどまでにだった。
 Meshcherski とその仲間たちはボルシェヴィキ体制との交渉に熱意があったので、トラストの100パーセントの割合すら政府に譲ることに同意した。政府がそれを売却すると決定した場合に彼らに第一順位が約束されていることが条件だった。
 この最も穏健な提案ですら、却下された。
 1918年4月14日に、国家経済最高会議は、討議を終息させる、と票決した。ある共産主義者の説明によると、「投票数の過半数近く」という不思議な表現の叙述が付いていた(脚注)
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 (脚注) Meshcherskii, NS, No. 33(1918年5月26日), p.7; M. Vindekbot, NKh, No.6(1919年),p.24-32.
 NV, 101/125(1918年6月26日),p. 3によると、Meshcherskii は6月に逮捕された。彼はのちに脱国して外国に移住した。
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 (18) 結果を何も残さなかったけれども、こうした交渉をしたという事実だけであっても、体制に対峙するロシアの実業界の奇妙な冷静さを説明するのを助けるだろう。ボルシェヴィキ体制は、経済的破綻でもって、ときには肉体的な破壊でもってすら、ロシアの実業界を公然と威嚇していたのだったが。
 ロシアの銀行家や工業家たちは、ボルシェヴィキの諸声明を、革命的レトリックだと見なしていた。
 彼らの見方では、ボルシェヴィキは崩壊している経済を回復させるための助けを求めて彼らに向かいあうか、それともボルシェヴィキ自体が崩壊するか、のいずれかだった。
 さて、1918年の春、大戦勃発以来公式に閉鎖されていたペトログラード証券取引所が突然に復活し、証券や銀行株の店頭販売を再開する、ということが起きた(注20)。
 大企業界隈でのボルシェヴィキに対する楽観主義は、ボルシェヴィキとの交渉や、政府はロシアをドイツ資本に開く通商協定の交渉をドイツと行なっているという知識によって、強められた。そしてこのことは、白軍の将校たちが財政的援助を求めてきても聞く耳を持たない原因になった。
 1918年の春に白軍運動がドイツの実業家たちにどう見えていたかと言うと、ボルシェヴィキ政府と協力する可能性と比べて、見込みのない賭け、というものだった。
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 (19) ブレスト=リトフスク条約が批准されるとすぐに、ボルシェヴィキ指導者たちの注意は経済に向かった。今や権力は彼らにあり、彼らはもはや、国の富を農民や労働者に渡してそのあいだで分配させることによって、国富を無駄に費やそうとは考えなかった。
 合理的で、効率的な「資本主義」の態様で、生産と分配を組織するときがきた。労働紀律、会計責任の再導入、そして最も近代的な技術と経営方法の採用を通じてだ。
 トロツキーは、1918年5月28日の演説で、方向性の変化について合図を送った。それには、不思議な「ファシスト」的表題が付いていた。—「労働、紀律、秩序が、ソヴィエト社会主義共和国を救うだろう」(注21)。
 彼は労働者たちに対して、「自制心」を働かせること、ソヴィエト諸産業の経営は専門家たちに委ねなければならないことを受け入れること、を訴えた。その専門家は、従前の「搾取者」たちの中から選ばれるのであっても。
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 ④につづく。

2850/私の音楽ライブラリー050/クラシック。

 いわゆる「クラシック」音楽曲を全て渉猟して聴くのは不可能だ。
 私には、以下の22曲を繰り返し聴くので十分だろう。
 Mahler、Shostakovich、Schoenberg は選んでいない。
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 Bach, Violin Concerto No.1 in A-minor, MWV1041.
 Beethoven, Symphony No.5 in C-minor, op.67.
 Beethoven, Piano Concerto No.5 in Es, op.73.
 Brahms, Symphony No.1 in C-minor, op.68.
 Brahms, Symphony No.4 in E-minor, op.98.
 Brahms, Hungarian Dances No.1 in G-minor
 Chopin, Piano Concerto No.1 in E-minor, op.11.
 Chopin, Nocturn No.20 in C♯-minor, op.posth.
 Dvorak, Cello Concerto No.2 in B-minor, op.104.
 Dvorak, Slavonic Dances in E-minor, op.72-2.
 Mozart, Symphony No.40 in G-minor, K.550.
 Mozart, Violin Concerto No.3 in G, K.216.
 Mendelssohn, Symphony No.3 in A-minor, op.56.
 Mendelssohn, Violin Concerto in E-minor, op.64.
 Saint-Saens, Cello Concerto No.1 in A-minor, op.33.
 Saint-Saens, Introduction & Rond Capriccioso, op.28.い
 Schubert, Schwannengasang, D957, IV, Serenade in D-minor.
 Schumann, Symphony No.1 in B♭, op.38.
 Schumann, Cello Concerto in A-minor, op.129.
 Schumann, Piano Concerto in A-minor, op.54.
 Tchaikovsky, Piano Concerto No.1 in B♭-minor, op.23.
 Tchaikovsky, Strings Serenade in C, op.48.
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2849/R.パイプス1990年著—第15章②。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳のつづき。
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 第15章・第一節/起源と目標②。
 (07) 戦時共産主義には、いくつかの源泉となる着想があった。
 商品と労働の生産・配分の国家統制(国家所有でなかったが)は、第一次大戦中のの帝政ドイツで導入されていた。
 「戦時社会主義」(Kriegessozialismus)として知られるこの緊急措置は、レーニンとその経済助言者のIurii Larin に深い印象を与えた。
 商品の自由市場を国家経営の分配センターで置き換えるというのは、Louis Blanc の思想と彼の影響のもとで1948年にフランスに導入された<ateliers>に倣っていた。
 しかしながら、精神では、戦時共産主義が最も似ていたのは、中世ロシアの父権的体制(tiagloe gosudarstvo)だった。父権的体制のもとでは、君主制は、住民や資源も含めて、国全体を君主の私的領域のごとく扱った(注08)。
 西欧の文化に本当に全く接したことがなかったロシアの大衆にとって、経済の統制は、抽象的な財産権や「資本主義」と称される複合現象全体よりも、はるかに自然だった。
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 (08) かりに1918年と1921年の間のソヴィエトの経済布令を額面どおりに理解すれば、この時期の終わりには国家の経済は完全に国家が管理するものになると、おそらく間違いなく結論づけるだろう。
 実際には、ソヴィエトの布令群は、しばしば意図を示したものにすぎなかった。法と現実との不一致はより大きくはならなかった。
 恒常的に膨大化する国家セクターと並んで、その廃止の企てに抵抗する私的セクターが盛んに活動していた証拠は、豊富に存在する。
 通貨は、言うところの「貨幣なき」経済においてすら流通しつづけた。
 そして、パンは、体制は穀物独占を主張しているにもかかわらず、公開の市場で販売された。
 中央経済計画は、実施されなかった。
 言い換えると、戦時共産主義が放棄されなければならなかった1921年に、それはきわめて不完全ながらようやく実現していた。
 戦時共産主義が失敗した理由は、ごく一部は、法令を政府が実施できなかった、能力のなさにある。
 これ以上に、可能であったときですら、厳格に強制的に施行すれば経済的大厄災をもたらしただろう、と気づいていたことによる。
 共産主義者の文献は、パンの総量の三分の二の多さを都市住民に提供していた非合法の食物取引がなければ、都市は飢餓に陥っていただろう、ということを認めていた。
 新しい名前とスローガンにあった戦時共産主義は、ようやく10年後に現実になった。スターリンが、レーニンが中止させていたときに経済的編成を再開したからだ。
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 (09) 戦時共産主義の目標は、社会主義だった。あるいは、共産主義ですらあった。
 唱導者たちはいつも、社会主義国家は私有財産と自由市場を廃止し、中央集権化した、国家が経営する、計画経済システムがそれらに代わる、と信じていた。
 ボルシェヴィキがこの構想を実現しようとして直面した主要な困難さは、マルクス主義は資本主義の発展の長期の経緯の結果として私有財産と市場を廃棄することを想定していた、ということに由来していた。資本主義の発展こそが、法令によって国有化することができるまでに生産と配分を集中させることができたのだ。
 しかし、ロシアでは、革命の時点で、資本主義はまだその幼年期にあった。
 ロシアの圧倒的な「プチ・ブルジョア」経済は数千万の自己雇用の自治組織の農民と職人に支配されていたのだが、それは、農民に配分し、労働者に工業企業の統制権を付与するために大規模の資産を破壊するというボルシェヴィキの政策によってさらに強化された。
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 (10) レーニンが十分に証明しているのは、異常に明敏な政治家だったということだ。しかし、こと経済問題については、きわめて未熟だった。
 彼の経済に関する知識は、全体として、ドイツの社会主義者のRudolf Hilferding の諸著作のような文献に依拠していた。
 影響力ある<金融資本論>(1910)でHilferding は、資本主義はその最も発展した段階、「金融資本主義」の段階に入った、それは全ての経済力を銀行の手に集中させる、と主張した。
 その段階に到達した資本主義の論理的帰結はこうだ。
 「この趨勢は一銀行または銀行群が貨幣資本全体を支配する状況を生むだろう。
 このような『中央銀行』はそれによって社会的生産の全体に対する支配を確立する。」(注09)
 「金融資本主義」という観念と結びついていたのは、シンジケートやトラストの役割に関する誇張した見方だった。
 レーニンとその仲間たちは、ロシアではシンジケートやトラストが事実上は産業と取引を支配すると信じ、市場の力には小さいかつ消失していく役割しか認めなかった。
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 (11) このような前提からは、銀行やシンジケートを国有化することは国の経済の国有化と同じことである、という帰結が生じ、そのことは次いで、社会主義の基礎を築くことを意味する。
 レーニンは、ロシアでの銀行制度とカルテルの手への経済諸力の集中によって、金融と商業の布令による国有化を可能にする次元を獲得した、と論じた(注10)。
 彼は、十月のクーの直前に、単一の国有銀行を創設すればそのこと自体だけで「<社会主義>制度の十分の九」が達成されるだろう(注11)、という驚くべき言明を述べた。
 トロツキーは、レーニンのこのような楽観主義を確認している。
 「1918年早くに書いた『平和に関するテーゼ』で、レーニンは、『ロシアでの社会主義の勝利には、一定の期間が、<数ヶ月程度(no less than)> が必要だ』と述べる。
 現在〔1924年〕では、この言葉は完全に理解し難いように思える。
 これはペンのすべりだったのか、彼は数年または数十年を意味させたかったのではなかったか?
 だが、否だ。これは、ペンのすべりではなかった。…
 私はとても明瞭に憶えている。最初の時期の、Smolnyi での人民委員会議の会合で、レーニンはいつも変わらずに、我々は半年で社会主義を達成し、最強の国家になるはずだ、と繰り返した。」(注12)
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 (12) 権力を掌握していた最初の6ヶ月のあいだに、レーニンは、彼が「国家社会主義」と呼んだシステムをロシアに導入することを考えた。
 これはドイツの「戦時社会主義」を範としたものだったが、直接に戦争遂行に関連性があるセクターや「資本主義者やユンカーたちの利益となる作業のみならず、「プロレタリアート」のための利益となる作業も包括する、という違いがあった。
 1917年9月、十月のクーの直前に、かくしてレーニンはこう考えていた。
 「常備軍、警察、官僚制の圧倒的に『抑圧的な』諸装置に加えて、現在の国家には、とくに緊密に銀行やシンジケートと結びついて、言ってみれば、大量の会計や記帳の作業を実行している諸装置が存在している。
 これらの装置を粉砕できないし、粉砕してはならない。
 これらは、資本家たちに対する服従から解放されなければならない。影響力をもつ資本家たちから切り離されなければならない。
 プロレタリア・ソヴィエトに対して服従させなければならない。
 そうなれば、諸装置はより総合的に、より多くを包括するものに、より国民的なものになる。
 そしてこのことは、大規模の資本主義によってすでに成し遂げられている達成物に依拠して、行なうことが<できる>。…
 銀行、シンジケート、商業社会等々の大量の被雇用者は、(資本主義と金融資本主義のおかげで)技術的にも、<ソヴィエト>による統制と監視のもとで政治的にも、十分に「国有化」を行なうことができる。」(注13)
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 (13) 1917年11月、レーニンは、経済綱領の概略を、こうメモした。
 「経済政策の諸問題。
  1. 銀行の国有化。
  2. 義務的なシンジケート化。
  3. 外国取引の国家独占。
  4. 略奪と闘う革命的手段。
  5. 金融や銀行の略奪の公表。
  6. 金融産業。
  7. 失業。
  8. 動員—軍の?、工業の?
  9. 供給。」(注14)
 この案は、国内取引の国家独占や工業または輸送の国有化、そして貨幣なき経済については、何ら言及していない。これらは、戦時共産主義の特徴になるはずなのだけれども。
 この時期のレーニンは、金融制度の国有化と工業、商業企業のシンジケート化で、社会主義経済をその途上に乗せるには十分だ、と信じていた。
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 ③につづく。 

2848/R.パイプス1990年著—第15章①。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
  <第15章・“戦時共産主義“>の試訳。
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 第15章・第一節/起源と目標①。
 (01) ”戦時共産主義“という言葉は、共産主義者および非共産主義者の文献で、長年にわたって、正確な意味を与えられてきた。
 <ソヴィエト歴史百科事典>の文章によると、こうだ。
 「戦時共産主義:ソヴェト社会主義共和国連邦の1918-20年の内戦と外国の干渉の時代の経済政策に与えられる名称。
 戦時共産主義の政策は、内戦と経済破綻によって生じた特別の困難さに支配された。」(注01)
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 (02) 戦時共産主義は情勢によって「支配された」という考えは、しかしながら、言葉の由来が示すように、歴史上の記録を破壊するものだ。
 「戦時共産主義」という言葉が最も早く公式に使われたのは、1921年の春だ。—すなわち、そのように称された政策が、よりリベラルな新経済政策によって放棄されているときだ。
 共産党政府が突然の方向転換を正当化するために、統制できなかった情勢下での直近の過去の大災害を非難しようと試みたのは、そのときだった。
 かくして、レーニンは、1921年4月にこう書いた。
 「『戦時共産主義』は、戦争と破綻によって強いられたものだった。
 それは、プロレタリアートの経済的責務に対応した政策ではなかったし、そうあり得ることもなかった。
 それは、一時的な措置だった。」(注02)
 しかし、これは後知恵だった。
 戦時共産主義の措置のいくつかは、実際に、緊急事態に対応するために採用された。だが、戦時共産主義は全体として、「一時的な措置」ではなく、本格的な共産主義を生み出すための、野心的な、そしてのちに判明したように、時期尚早の、企てだった(注03)。
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 (03) 体制の最初の数年のボルシェヴィキの経済政策は、即興でも反発でもなかったことは、トロツキーによっても確認されている。
 トロツキーは、戦時共産主義は「包囲された要塞での消費の体系的な編成」を必要とすることを認めたうえで、つぎのように叙述を進める。
 「その元来の観念では、戦時共産主義はより広い目的を持つものだった。
 ソヴェト政権は、こうした編成の手法を直接に、生産並びに配分における計画経済のシステムへと発展させることを望み、その方向で尽力した。
 言い換えると、ソヴェト政権は戦時共産主義から徐々に、だがシステムを破壊することなく、純粋な共産主義へと到達することを望んだ。」(注04)
 こうした見解は、別の共産主義者の権威によって裏付けられている。
 「戦時共産主義は、戦争という状況やその他の自発的に動く諸力の所産であるにとどまらない。
 それはまた、全く新しい原理のもとで国の経済生活を建設するための明確なイデオロギーの所産であり、社会政治的な構想を実現するものだ。」(脚注)
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 (脚注) L. N. Iurovskii, Denezhnaia politika sovetskoi vlasti 1917-1927 (Moscow, 1928), p.51. 見解が一致する当時の専門家は、左翼共産主義者のL. Kritsman だ(Geroicheskii period Velikoi Russkoi Revoliutsii, 2nd ed., Moscow-Leningrad, 1926)。彼は「いわゆる戦時共産主義」を、「プロレタリア自然経済での最初の偉大な企て、社会主義への移行の第一歩を進む企て」と称する(p.77)。
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 (04) 私有財産という制度に対する体系的な攻撃、ということ以上に、内戦期にボルシェヴィキが追求した政策がもつ長期間に及ぶ共産主義者の目標を説得的に確言するものはない。
 この目的をもってボルシェヴィキ体制が生存のために闘っていたときに採択された、そしてその生き残りには何ら寄与しなかった諸法令は、つぎのイデオロギー的な信念によって惹起されていた。すなわち、彼らの政治的自立の源であるがゆえに、市民たちから処分可能な資産の所有権を剥奪する必要がある、という信念。
 財産収用の過程は、不動産から始まった。
 1917年10月26日のいわゆる土地布令は、農民以外の所有者から土地所有権を剥奪した。
 これに続いたのは、都市の不動産に関する布令だった。都市不動産はまず商取引から排除され(1917年12月14日)、のちに国家へと没収された(1918年8月24日)(注05)。
 1918年1月に、全ての国家債務が否認された。
 1918年4月20日の布令は、商業および工業企業の購入、売却、貸借を禁止した。
 その日の別の布令は、私有の証券や債券が登録されることを要求した(注06)。
 私有財産の廃止への大きな一歩は、1918年5月1日の、相続を非合法化する法令によってとられた。
 これらはいずれも、「緊急措置」の範疇には含まれない。
 いずれも、私人や私的団体から生産財その他の資産に対する権利を剥奪することを意図していた。
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 (05) 1920-21年の冬にようやく得られた完成形において、戦時共産主義は、つぎの企図をもつ多数の凄まじい措置を含むものだった。すなわち、ロシアの経済全体—労働力、生産力、分配機構—を、国家の、より正確には、共産党の、排他的管理のもとに置く、という企図。
 これはまた、共産主義体制に対する反対派の経済的基盤を切り削ぐ、その体制が完全に「合理的な」態様で国民経済を再組織するのを可能にする、という二つを意図していた。
 こうした措置は、つぎのとおり。
 1. 生産手段の国有化。農業、輸送、極小の企業という重要な例外がある(一時的にだが)。
 2. 小売、卸売の国有化による私的取引の廃絶と政府が統制する分配システムへの置換え。
 3. 国家が規整する交換システムのための、交換や会計の単位としての通貨の廃止。
 4. 単一の計画を国民経済全体に課すこと。
 5. 健康な成人男性についての強制労働の導入。場合によっては、女性、子ども、高齢者についても。
 --------
 (06) 内戦を理由としてではなく、あるいは内戦にもかかわらず、追求されたこれらの先行例なき措置は、最も効率的な生産性と配分の公正性に寄与する首尾一貫しかつ合理的な経済システムをソヴィエト・ロシアにもたらすために企図された。
 ———
 ②へとつづく。

2847/R.パイプス1990年著—第14章㉝。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第20節/外国の「干渉」の問題。
 (01) ロシア革命は、ロシアという一国に限られた出来事ではなかった。
 二月革命の勃発から、そしてとくにボルシェヴィキがペテログラードを掌握した後では、ロシア革命は国際化するようになった。そしてこれには、二つの理由があった。
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 (02) ロシアは、戦争の大きな舞台だった。
 ロシアが一方的に戦争から撤退したことは、二つの交戦ブロックのいずれにも、致命的な利害に大きな影響を与えた。
 中央諸国にとっては、勝利への期待が高まった。
 連合諸国にとっては、敗北する不安の根源になった。
 そのゆえに、戦争が継続しているかぎり、どちらの側も、ロシアに起きていることに無関心ではおれなかった。地理的な位置だけでは、ロシアは世界的な激動から免れることができなかったのだ。
 ボルシェヴィキは、相互に交戦する二大ブロックから離れることによって、この対立へのロシアの関与に影響を与えた。
 1918年の春、ボルシェヴィキは、反ドイツの多民族軍を領土内に形成することを連合諸国と議論した。そして、Murmansk の占領に同意し、赤軍設立への助力を求めた。
 1918年の秋、北部の港湾を連合諸国から解放し、ロシアの義勇軍を粉砕するために、ドイツの軍事干渉を要請した。
 ドイツは何度も何度も、ボルシェヴィキ体制が崩壊しないように、政治的支援や金銭によって介入しなければならなかった。
 Helfferich は、1918年7月-8月のソヴィエト体制の危機について、その回想録で、「意識的でなくまた意図的でもなかったとかりにしても、この危機的期間のボルシェヴィキ体制の最大の支援者はドイツ政府だった」ということを認めた(注224)。
 この事実に鑑みれば、1917-1918年の外国のロシアへの干渉はボルシェヴィキを権力から下ろすために行なわれた、などと真面目に主張することはできない。
 諸外国は、まず第一には、西部戦線での均衡状態を自分たちに有利に変更するために、干渉した。連合諸国の場合にはロシアでの戦線を活性化することによって、中央諸国の場合はロシアでの戦線を静穏なままにしておくことによって。
 ボルシェヴィキはこうした諸外国の干渉に積極的に関与し、あるときはこちらの勢力から、あるときは別の勢力から、干渉を招来した。そのときどきのボルシェヴィキの利益にとって何が必要かに依存していたわけだ。
 ボルシェヴィキが歓迎し懇願したドイツの「干渉」は、ボルシェヴィキが臨時政府の運命を辿るのを阻止した蓋然性が高い。
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 (03) 第二に、ボルシェヴィキは最初から、社会主義革命と国際的階級戦争の時代には国境は無意味になった、と宣言した。
 ボルシェヴィキは、外国の国民に対して、立ち上がって自国政府を打倒しようとの訴えを発した。この目的のために彼らは、各国家に資金を配分した。
 そして、外国の国民がそうできる状態にあれば—当面は主としてドイツだったが—、ボルシェヴィキは積極的に革命を促進した。
 全ての外国政府の正統性に挑戦することによって、ボルシェヴィキは、全ての外国政府がボルシェヴィキ政府に挑戦するよう招来した。
 かりに現実にはいずれの国もその権利を行使しなかったとすれば、どの国にもそうする利益がなかったからだ。
 ドイツはボルシェヴィキが自分たちのために役立つと考え、ボルシェヴィキが苦境に陥ったときはいつでも、彼らをを支えた。
 一方で連合諸国は、自国の生存のために励んでいた。
 ある歴史家が問題を提起した。—「人類史上最も破壊的だった戦争のまっ最中に重大な軍事力を失ったソヴィエト政権が、いかにして、革命の最初の年を生き延びることができたのか?」(注225)
 自ら答える。すなわち、この最も破壊的な戦争が、ロシアの出来事をすっかり覆い隠した。
 ドイツはボルシェヴィキ体制を支援した。
 連合諸国には、他に関心があった。
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 (04) したがって、1917-1918年のロシアへの外国の関与を敵対的な「干渉」という言葉を使って理解するのは、誤っている。
 ボルシェヴィキ政府は、この干渉を招くとともに、自分自身のために積極的に介在しもした。
 元の状態への回帰を切望していた諸大国は承認しようとはしなかったけれども、ロシア革命は決してロシアの純然たる国内的事件ではなく、戦争の結末に影響を与えるというだけでも重要なものだった。
 ロシアの新しい支配者は、世界じゅうに影響を及ぼすだろうと明確に述べた。
 1918年11月の停戦によって、ボルシェヴィキには、ドイツ、オーストリア、ハンガリーおよびそれが可能な国で、革命を組織するというかつてなかった機会が与えられた。
 この闘いは当面は失敗したけれども、彼らが確実にしたのは、世界には休止期間はなく、1914年以前の生活に戻ることはできない、ということだった。
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 (05) ロシア国内への1918年の外国の干渉については、もう一つ書いておく必要があることがある。
 連合諸国がロシア<において>何をしたかに関する議論—それは大して多くはないが—では、ロシアの<ために>何をしたか—通常はきわめて多かった—、ということが忘れられている。
 ロシアが戦争に参加するという約束を破り、ドイツと自分たちだけで戦闘するよう離れた後で、連合諸国は、莫大な人的および物質的損失を被った。
 ロシアが戦争から脱落した結果として、ドイツ軍は不活発な東部戦線から撤兵し、西部戦線での実働兵力をほとんど四分の一(150分団から192分団へ)増加させることができた(注226)。
 この勢力増強によって、ドイツ軍は激烈な攻撃を行なうことができた。
 1918年の春と夏の西部戦線での大きな戦闘—St.Qentin、Lys、Aisne、Matz、Marne、Chateau-Thierry—で、イギリス、フランス、アメリカの各軍は総計数十万の兵士を失った。
 こうした犠牲は、ついにはドイツの降伏をもたらした。
 ドイツの敗北にボルシェヴィキは何ら寄与しなかったが、ドイツの敗北は、ソヴィエト政権にブレスト=リトフスク条約を廃棄して、ブレストで放棄を強いられた領土のほとんどを回復するのを可能にしただけではない。ドイツの敗北によって、ソヴィエト・ロシアは、ドイツはそうなることを意図していたのだが、一つの植民地、一種のユーラシア・アフリカ、になる運命から救われもした(脚注)
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 (脚注) この点を、Brian Pearce, How Haig Saved Lenin (London, 1987) は熱心に、かつ説得的に論述している。
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 第20節、終わり。第14章全体も終わり。<第15章・“戦時共産主義”>へとつづく。

2846/兵庫県議会「百条委員会」報告書・<総括>全文。

 兵庫県議会・文書問題調査特別委員会(「百条委員会」)が2025年3月4日にとりまとめた調査報告書の「目次」は、つぎのとおり。
 「Ⅰ 文書問題調査特別委員会について
  Ⅱ 任意調査について
  Ⅲ 文書の7項目にかかる調査の内容と結果について
  Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について
  Ⅴ 総括
  Ⅵ 提出を求めた資料一覧」
 上のうち、「Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について」の全文はこの欄にすでに掲載した。
 以下、「Ⅴ 総括」の全文をそのまま掲載する。下線は掲載者。
 出所—兵庫県議会ホームページ
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 Ⅴ 総括
 調査結果のとおり、調査項目のうち、「令和3年の知事選挙における県職員の事前選挙活動等について」、「次回知事選挙に向けた投票依頼について」は文書の真偽について事実確認ができなかったが、以下の項目については一定の事実が確認された。
「五百旗頭真理事長ご逝去に至る経緯について」は、片山氏から副理事長解任を伝えられた五百旗頭理事長が憤りを覚えていたことが認められる。よって、公社や外郭団体の再編や人員削減において、憶測や不信感が生まれないよう、対象団体の状況を公平公正に判断し、当事者をはじめ関係者に十分な理解を得る努力を怠ることのないように求める。
 「知事が贈答品を受け取っていることについて」は、PR等でなく齋藤知事個人として消費していたと捉えられても仕方がない行為もあったと言わざるを得ない。昨年 12 月 11 日発表の「県民の信頼確保に向けた改善策の実施」において、一定の措置が講じられているが、受け取らない一定の基準を客観的に示すことや接待対応についてのルールの明確化も図るべきである。
 「知事の政治資金パーティー実施にかかるパーティー券の購入依頼について」は、片山氏の依頼により経済界に影響力のある県信用保証協会理事長が疑念を抱かれる行動をとっていたことは否めず、一般職だけでなく役員も含めた政治活動や選挙活動に関わる倫理規程等を定めることが必要である。
 「阪神・オリックス優勝パレードにかかる信用金庫等からのキックバックについて」は、資金調達が難航し、パレード後も継続して資金調達をする特異な状況に追い込まれていたことが認められるため、県が利害関係のある企業団体に寄附金や協賛金を依頼するにあたっては、行政運営に不信感を抱かれることのないよう細心の注意を払うことを求める。また、刑事告発されている背任容疑について、県関係者が起訴され有罪となる事態となった場合は、齋藤知事自らの管理・監督責任を重く受け止め対処することを求める。
 「知事のパワーハラスメントについて」は、「パワハラを受けた」との証言は無かったものの、パワハラ防止指針が定めるパワハラの定義である「①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすもの」に該当する可能性があり、パワハラ行為と言っても過言ではない言動があった。前述の「県民の信頼確保に向けた改善策の実施」において、一定の措置が講じられているが、知事、副知事などの特別職を含む管理職等へのアンガーマネジメント研修の実施など、さらに踏み込んだ対策に取り組むことを求める。
 公益通報者保護については、元県民局長の文書は公益通報者保護法上の外部公益通報に当たる可能性が高く、県の初動は、文書内容の調査をせずに通報者の特定を行うなど、不適切な対応に終始しており、現在も体制整備義務違反の疑いが指摘されている。初動対応のほかにも、調査方法や3月 27 日の記者会見、公益通報者保護法に対する関わり方についても問題なしとはいえない。
 この度の兵庫県の対応は、組織の長や幹部の不正を告発すると、告発された当事者自らがその内容を否定し、更に通報者を探して公表されたうえ、懲戒等の不利益処分等により通報者が潰される事例として受け止められかねない状況にある。
 今後は、知事を含めた幹部職員が公益通報者保護法に対する理解を深めるとともに、組織内の不正行為や違法行為に関する告発に対しては、常に公益通報の可能性を念頭に対応することが不可欠である。さらに、外部公益通報に対応できる体制づくりを進めるとともに、告発内容の調査に当事者は関与しないこと、通報者探索及び範囲外共有等は行わないことの明確化が必要である。
 井ノ本氏による元県民局長のプライバシー情報の漏洩については、告発者潰しを企図していたと言われかねない状況がうかがえる。弁護士による調査の結果を速やかに公表するとともに、県として刑事告発も含め、適切かつ早急な対応を求める。
 知事は、3月 27 日の記者会見で元県民局長の文書を「事実無根」、「うそ八百」と評したが、約9ヵ月に及ぶ本委員会の調査により、文書には一定の事実が含まれていたことが認められた。
 今回の文書問題を振り返ると、文書に記載の当事者である知事や幹部職員による初動対応や内部公益通報後の第三者機関の検討、元県民局長の処分過程など全体を通して、客観性、公平性を欠いており、法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すべき行政機関の行うべき対応としては大きな問題があったと断ぜざるを得ない。
 最後に、齋藤知事におかれては、本報告書の期するところを重く受け止め、兵庫県のリーダーとして厳正に身を処していかれることを期待する。また、文書問題に端を発する様々な疑惑によって引き起こされた兵庫県の混乱と分断は、いま、憂うべき状態にあることを真摯に受け止めなければならない。これを脱却し、一刻も早く解消するために、県民に対して過不足のない説明責任を果たすとともに、先導的かつ雄県の名にふさわしい進取の気質に富んだ兵庫県政を取り戻すことを切に願うものである。
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 以上。

2845/R.パイプス1990年著—第14章㉜。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第19節/ロシアがドイツ敗戦と決定。
 (01) ボルシェヴィキは1918年の9月末まで、友人であるドイツの勝利を信じていた。
 その9月末、その考えを変更せざるを得ないことが起きた。
 9月30日に宰相Hertling が辞任し、数日後にHinze が解任された。これらにより、ベルリンにいるロシアに最も忠実な支持者たちが排除された。
 新宰相のMaximilian 公はアメリカ大統領Wilson に対して、アメリカ政府が停戦に向けて調整するよう要請した。
 これは、崩壊が切迫していることの紛れなき兆候だった。
 暗殺の企て(後述参照)による負傷から回復するために当時はモスクワ近郊の別荘〔dacha〕にいたレーニンは、ただちに行動に移った。
 彼はトロツキーとSverdlov に、中央委員会を開催するよう指示した。外交政策上の緊急問題を議論するためだった。
 10月3日、レーニンは〔ソヴェト〕中央執行委員会に、ドイツの情勢の分析文を送った。そこで、ドイツで革命が切迫していると熱烈に語った(注216)。
 彼の勧告にもとづき、10月4日に中央執行委員会は、決議を採択した。それは、全世界に対して、ドイツの革命政府を助けるためにソヴィエト・ロシアは全力を捧げる、と宣言する、というものだった(注217)。
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 (02) ドイツの新宰相には、転覆を求めるこのような鉄面皮の訴えは我慢できなかった。
 今や外務省ですら、ボルシェヴィキにうんざりしていた。
 10月の省庁間会合で、外務省は初めて、ボルシェヴィキと決裂することに同意した。
 その月の末までに外務省の官僚たちが作成した覚書は、政策変更をつぎのように正当化した。
 「ボルシェヴィズムを発明したことやそれをロシアに対して自由にさせたことについて評判が悪い我々は、今は最後の土壇場で、将来のロシアに対する共感を完全に失わないためにも、少なくとも、ボルシェヴィキを保護するのをやめるべきだ」(注218)。
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 (03) ドイツには、ロシアと断絶するのを正当化する十分な根拠があった。1918年の春と夏にすら領土内で破壊工作活動行っていたIoffe が、今や公然と革命の火を煽り立てているのだから。
 のちにIoffe が誇って書いたように、この時期に彼の大使館が行なっていた煽動的な政治的虚偽宣伝活動は、「武装蜂起のための決定的な革命的準備活動の性格をいっそう帯びてきている」。
 「スパルタクス団という陰謀集団は別論として、ドイツ、とくにベルリンには、[1917年]1月のストライキ以降、—むろん非合法に—労働者代議員ソヴェトが存在している。…
 大使館はこれらソヴェトとの連絡関係を継続的に維持した。…
 [ベルリンの]ソヴェトは、ベルリンの全プロレタリアートが十分に武装していてこそ蜂起は時宜にかなったものになる、と想定していた。
 我々は、これと闘わなければならない。
 そのようなときを待っていれば蜂起は永遠に生起せず、プロレタリアートの前衛だけが武装するので十分だ、と主張しなければならない。…
 それにもかかわらず、ドイツのプロレタリアートの武装しようとの努力は全体として合法的で、分別があり、大使館はそれらをあらゆる面で援助した。」(注219)
 この援助は、金銭と武器の供与のかたちで行なわれた。
 ロシア大使館がドイツから離れたとき、不注意で一つの記録文書を忘れて残していた。その文書は、大使館が9月21日と10月31日の間に10万5000ドイツマルクを払って210の短銃と2万7000の銃弾を購入したことを、示していた(注220)。
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 (04) ドイツでの革命政府の勝利を援助することを目ざすとのソヴィエトの最高立法機関〔ソヴェト中央執行委員会〕の宣言やこの意図を実現しようとするIoffe の努力は、ロシアとの外交関係を断絶するには十分であるはずだった。
 しかし、ドイツの外交当局は、もっと議論の余地のない根拠を求め、そのためにある事件を引き起こした。
 ソヴィエトのクーリエは数ヶ月間、ドイツで散布する扇動文書を大使館に持ってきていた。このことをドイツ外務当局は知っていて、ロシアからの外交箱がベルリン市内の鉄道駅で下ろされるあいだに偶然にのごとく落ちて壊れるように、手筈を整えた。
 11月4日の夕方、これが行なわれた。
 壊れた箱枠から、ドイツの労働者と兵士が決起してドイツ政府を打倒するよう激励する多数の煽動文書が出てきた(注221)。
 Ioffe は告げられた。ただちにドイツを去らなければならない、と。
 彼は適度の憤慨を示したけれども、モスクワに向かって出立する前に、〔ドイツ〕独立社会主義党のOskar Cohn 博士、実質的にソヴィエトの使命をもつ在住者に、50万ドイツマルクと15万ルーブルを残すことを忘れなかった。これらの金銭は、「ドイツ革命の必要のために」従前から配分されていた総計1000万ルーブルを補充するものだった(脚注)
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 (脚注)  Ioffe, VZh, No. 5 (1919), p.45. トロツキーとの親密な関係を理由として、Ioffe はのちに屈辱を受けた。彼は1927年に自殺した。Lev Trotskii, Portrety revoliutsionerov (Benson, Vt, 1988). p.377-p.401.
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 (05) 11月13日、西部戦線の停戦から二日後、ロシア政府は一方的に、ブレスト=リトフスク条約と補完条約を廃棄した(注222)。
 連合諸国もまた、Versailles 合意の一部として、ドイツにブレスト条約を廃棄させた(注223)。
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 第20節(最終節)へとつづく。
 

2844/法(法学)という「ものの考え方」001。

  およそ五ヶ月前、昨年10月下旬から11月上旬に「NHK というものの考え方」(①〜③)という表題の稿を掲載したことがあった。
 この奇妙なまたは意味不明部分のある表題は、のちに<法(法学)という「ものの考え方」>という表題でいくつかの文章を書こうと予定していたからだ。「もの」は「NHK というもの」ではなく、「ものの考え方」という語の一部だ。
 再び思い起って、<法(法学)という「ものの考え方」>を書いてみよう。但し、当初に想定していたものとは内容または掲載順序が異なる。
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 こんな表題で何か書いてみようと思った動機はいくつかある。
 第一に、「法学」というものが基礎にしている論理または「ものの考え方」には、「法学」に限られないその他の「学問」分野にも共通する(その意味では<普遍的な>)、さらには人間が生活していくうえで漠然と前提にしている、あるいは少なくとも「生活」していくうえで役立つ、「ものの考え方」があるのではないか、という何となくの思いがあるからだ。
 第二に、かなり具体的には西尾幹二や江崎道朗等々々の多数の「文学部」出身者の書く文章には、あるいは「文学評論」から出発したような論者またはたんなる「もの書き」の文章には、<法(法学)という「ものの考え方」>が決定的に欠けている、そしてそれは「致命的だ」と感じるところがあるからだ。
 この点と分離して整理しておかないが、上の点はまた、わが国における、またはマスメディアを含む日本の「社会」における、「法」(法学)や「政治」(政治学)に関する<リテラシー>というものの欠如または著しい不十分さと通底していると感じられる。
 「法」や「政治」全般に関する専門家では全くないが、随筆ふうに、気軽にいくつか書いていってみよう。
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  さっそくだが、兵庫県・斎藤元彦問題に関係する、兵庫県記者クラブの面々を中心とする<マスメデイア>の「法リテラシー」の欠如は著しいのではなかろうか。
 3月19日に兵庫県知事(斎藤元彦)設置の「第三者委員会」の一つの最終報告書が提出され、委員による(委員長を中心とする)記者発表と会見が行われた。途中からライブ放映を見ていたら、記者たちの諸質問から推察される彼らたちの<能力不足>に感じ入るところがあった。
 そもそも当該「第三者委員会」に課されていた任務に関する無知または基礎知識の不十分さも垣間見えた。もっと究極的には、国や自治体の「記者クラブ」制度の功罪という論点もあるだろう(さらに大手新聞における記者の採用・養成やその配置の問題も)。
 上の後者は別論として、つぎの趣旨の質問が、某大手新聞社のたぶん兵庫県庁記者クラブ配属記者から発せられていた。
 なお、告発文書作成・配布者に対する懲戒処分(停職三月)の適否に関わる。この処分には事由(理由)が4つ挙げられていたらしいが、第一を除く第二〜第四の理由による部分は「有効」という委員会の判断に関する質問だった。第一の理由による部分は「違法」でかつ「効力がない」=「無効」という判断は、容易に理解できたらしい。
 ①「違法」であるかまたは問題があるが「有効」ということの意味を知りたい。
 ②<手続>は「違法」だが<結果>は「有効」という意味か。そうだとすれば何故か。
 これに対する委員の一人の回答には不十分な部分もあると直感したが、つぎの回答部分は全く適切だ。
 単純に、「適法」=「有効」、「違法」=「無効」、ではない。
 つまり適法・違法と有効・無効は同列の問題ではない。
 元裁判官だった者を含むという弁護士たちが叙述した報告書に含まれる「法的」または「法学的」な論点に関する判断の意味を、この記者は(ふつうの日本語文として何度読んでも)理解できないに違いない。
 刑事法上の(原則的な)「違法収集証拠排除」の法理に回答は言及していたが、回答されていたように、県知事による公務員の「懲戒処分」にそのまま適用されるものではない、というのは、一般論としては「正しい」。
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 「効力」の有無の問題以前に、もともと「違法」とは何か、という問題がある。
 法学部出身者の半分くらいは、以下のことを、何となくであれ、知っているだろう。
 きわめて大雑把に言って、憲法・行政法という「公法」系と民法・民事訴訟法という「民事法」系、刑法・刑事法という「刑事法」系とで、「違法」の意味、位置づけは全く異なる。いや、民法と民事訴訟法、刑法と刑事訴訟法とでも大きく異なる(例えば、「行為規範」性の有無によって)。
 だから、適法・違法と有効・無効という問題のあらわれ方自体が、<法分野>によって大きく異なるわけだ。
 「民事の問題」と「刑事の問題」の違いくらいは、新聞記者であれば(少なくとも何となくであれ)知っているだろう。
 だが、この程度の素養だけで、官公庁(この概念にも少なくともかつては「法学」的意味があった)に関係する新聞記者あるいは「フリー」の記者、「ジャーナリスト」であり得るのだとすると、日本の「社会」は相当に恐ろしい。
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2843/R.パイプス1990年著—第14章㉛。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第18節/ドイツとの補足条約②。
 (07) 三つの秘密条項の一つは、補完条約5条を綿密にしたものだった。5条では、ロシア軍がMurmansk から連合諸国軍を排除することを約束していた。
 秘密条項では、かりにロシアがこれを行なうことができなければ、フィンランド・ドイツの合同軍によって達成されることが明記されていた(脚注)
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 (脚注) この条項を最初に公にしたのは、Europaesche Gespraeche, IV, No. 3 (1926), p.149-p.153. Wheeler-Bennett, Fogotten Peace, p.436 に再掲されている。
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 (08) この作戦計画を実施するため、ペテログラード軍事地区司令官のVladimir Antonov-Ovseenko は、8月末にベルリンの戦争人民委員部代表団の団長のもとへ行った(注206)。
 彼は、予定されるMurmansk 攻撃がドイツ兵団によって実行されるだろうことに同意した。
 従前に提案されていたように、ロシア軍の任務は、イギリス軍がArchangel からペテログラードへに向かって進軍した場合に、これを遮断することだった。
 両軍はペテログラードで衝突する。
 Ludendorff は、ドイツ軍はMurmansk に対する作戦行動の基地としてペテログラードを占拠しなければならない、と強く主張した。だが、ロシア政府はこれを受け入れようとしなかった。
 ロシアの領土を横切るドイツ兵団の動きが生むだろう悪い印象を最小限にすべく、ロシア政府は種々の欺瞞的措置を講じた。そのうちの一つは、ドイツ兵団をロシア人将校の「名目的な」指揮のもとに置くことだった(注207)。
 ロシア軍が同意する実際の司令官は、ドイツの将軍が務める。この点に付いてソヴィエトの側が示唆したのは、1915年にGalicia でロシア軍を粉砕した、皇帝の副将軍のAugust von Mackensen 陸軍元帥だった(注208)。
 この作戦は、ドイツが降伏したとき、進行中だった(注209)。
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 (09) 第二の秘密条項は、外国ではなくロシア人に対するドイツ軍の行動に関係するために、より機密的ですらあった。これは、ロシア国内の義勇軍に対する作戦行動を始めるようにとのボルシェヴィキの要請をドイツが受容れたことを確認するものだった。
 ドイツ軍は、つぎのように述べて、このような行動を約束した。
 「ドイツはロシアに対して、Alekseev 将軍とチェコスロヴァキア人の蜂起をただちに鎮圧するための、全ての使用可能な手段を行使するよう期待する。他方で、ドイツもAlekseev 将軍に対する利用可能な全ての戦力の行使をし続けることを承認する。」(脚注)
 ドイツ軍も、この約束を真摯に受け取っていた。
 8月13日、Ioffe はロシア政府へと、補完条約が批准された後でドイツ軍は義勇軍を粉砕するための強力な手段を取るだろう、と伝えた(注210)。
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 (脚注) Europaesche Gespraeche, IV, No. 3 (1926), p.150. Ioffe の受容は、同, p.152. H. W. Gatzke in VZ, III, No. 1 (1955年1月), p.96-7 参照。
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 (10) ドイツは、ソヴィエトの要請に応えて、イギリスとDemikin軍に介入することを約束した。
 第三の秘密条項は、ドイツの強い主張によるもので、不本意のロシアの側に押し付けられたものだった。
 この条項はソヴィエト政府に、8月4日以来駐留しているイギリス軍をBaku から排除することを義務づけた。
 他の二条項と同様に、かりにソヴィエトが任務に耐えられないことが判れば、ドイツ軍が責任を引き受ける、と定めていた(脚注)
 この条項も、実行されなかった。ドイツ軍が行動準備をする前の9月16日に、トルコ軍がBaku を占拠したからだ。
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 (脚注) Baumgart, Ostpolitik, p.203. この第三条項は、第二次大戦の後になってようやく一般的に知られるに至った。最初に公にしたのはBaumgart だった。Historisches Jahrbuch, LXXXIX (1969), p.146-8.
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  (11) 三つの秘密条項は、かりにドイツが崩壊していなければ、ドイツがロシアに対する経済的のみならず軍事的な支配権をも有することを確実にするものだった。
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 (12) 補完条約に関する帝国議会への報告書の中で(むろん秘密条項への言及はない)、Hinze は、補完条約はロシア・ドイツの「共存」(Nebeneinanderleben)の基礎を築いた、と主張した(注211)。
 Chicherin も同様の言葉を、9月2日の中央執行委員会あて文書で用いた。この委員会は、補完条約を満場一致で批准した。
 Chicherin は、こう書いた。「ロシアとドイツのシステムの間、両政府の基本的志向の間には大きな差異があるにもかかわらず、つねに我々の労働者と農民の政府の闘いの目標である二つの国家の平和的共存は、目下において、ドイツの支配階層にとっても望ましい」(注212)。
 この文章は、公式の文書の中で「平和的共存」という言葉が使われた最も早い記録の一つだ。スターリンの死後に、ソヴィエト政府がもう一度用いることになるのだが。
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 (13) ロシアとドイツの両政府は、着実に緊密になっていた。ドイツが崩壊する一週間前、両政府は事実上の政治的、経済的、軍事的な同盟関係にあった。
 Hinze は熱狂的に、ボルシェヴィキへの支援を約束した。
 数千人の人質を虐殺する赤色テロルをロシアが開始した9月初め、彼は、ドイツのプレスがロシアにいる通信員から送られてくる残虐行為についての全文を発表するのを妨げた。両政府のいっそうの協力関係を傷つける、嫌悪の世論が巻き起こることを怖れてだった(注213)。
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 (14) ドイツは9月に、ロシア政府の要請に応えて、ロシアに燃料と武器を提供し始めた。
 石炭を求める切迫した訴えに反応して、ドイツ外務省は10月後半に、ドイツの25隻の船舶が7万トンの石炭とコークスを載せてペテログラードに向かうよう調整した。
 両国の関係断絶のために船舶輸送が中断する前に、およそ半分だけが何とか目的地に届けられた。
 ペテログラードで降ろされる燃料は、赤軍のための兵器を製造する工場群へと向かった(注214)。
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 (15) Ioffe は9月に、20万本のライフル、5億個の弾丸、2万丁の機関銃をドイツに要請した。
 外務省から圧力を受けて、Ludendorff は、機関銃を候補から外した上で、気乗りしない同意を与えた。
 この取引は、Hinze と宰相(首相)のHertling が離れたために、実現しなかった。新しい帝国宰相のMaximilian von Baden公は、親ボルシェヴィキ政策について、はるかに熱心でなかったからだ(注215)。
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 (16) 中央諸国は大敗北をしたにもかかわらず、ロシア政府は、時期を順守して、補完条約による財務上の義務を履行した。
 9月10日、ロシアは、一回めの償還として、2億5000万ドイツマルクの価値のある金をドイツに送った。9月30日には、二回めの償還として、一部は金で、一部はルーブルで、3億1250万ドイツマルクを支払った。
 10月31日の予定だった三回めの償還分を、ロシアは支払わなかった。ドイツが降伏する間際だったからだ。
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 第19節へとつづく。

2842/R.パイプス1990年著—第14章㉚。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。1918年の数ヶ月間に関する叙述が続く。
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 第14章・第18節/ドイツとの補足条約①。
 (01) ブレスト条約は、ロシア・ドイツの経済関係を調整する補完的協定を必要とした。
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 (02) ドイツは、1914年以前は大きな貿易相手だったロシアとの通商関係を再開しようと熱心だった。かつてロシアは、その輸入のほとんど半分をドイツに依っていた。
 ドイツは原料はもちろんだが、まずは食糧を求めた。そして、ロシアの外国通商をほとんど独占したかった。
 1918年6月、ロシア政府は、輸出できると主張する物品の一覧表をドイツに提示した。その中には、穀物があった。但し、実際には穀物の余剰はなかった。
 Krasin は、ソヴィエト・ロシアがドイツの製品業のために用意することのできる巨大な市場についての、目も眩むような絵画を描いた。また、それを証明すべく、電気製品の輸入について、かつての雇用者であるSiemens と交渉した。
 現実には、ロシア側の提案にはいかなる根拠もなかった。諸提案は、政治目的を達成するための餌だった。
 ドイツはやがて、ロシアが約束した物品の供与ができないことに我慢できなくなった。
 Bleichroeder 銀行のためにモスクワに来ていたAlfred List 博士は、6月にChicherin に対して、ロシアからの物品納入の遅れは「大ロシアがその政治的欲求に対する共感を最も期待できそうな」仲間たちを含むドイツ人社会を失望させている、と言った(注201)。
 レーニンは、その「仲間たち」—銀行家と実業家たち—を他のドイツ人、主として自分を排除したい軍部を、弱体化させるために利用できることを、十分に知っていた。
 そのゆえにレーニンは、補完条約の交渉の経緯を詳細に報告させた。彼はその補完協定には最大の政治的重要性があると考えていた。
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 (03) 交渉のための会談は、7月初めにベルリンで始まった。
 ソヴィエトの代表団を率いたのは、Ioffe だった。彼は、Krasin とモスクワから派遣された種々の分野の専門家に支えられた。
 ドイツは、外交官、政治家、実業家から成る大きな代表団を編成した。
 ドイツ側の重要人物はJohaness Kriege という名の外務省の官僚だったように見える。歴史家のWinfried Baumigart はこの人物を、ボルシェヴィキ・ロシアに対するドイツの政策の「灰色の高官」と呼んでいる(注202)。
 Ioffe は指示を受けてドイツの諸要求によく順応していたが、ドイツの要求が合理的でなくなれば、ロシアの従順さにも限界があることを理解させることになっていた。
 Ioffe がベルリンからレーニンに確認したように、「我々の全政策の中心は、かりにドイツが過度に我々を追いつめると、両国は戦闘をしなければならなくなりドイツの得るものは何もなくなる、とドイツに示すことである必要がある」(注203)。
 関係する問題点の複雑さを考慮して、同意はすみやかに達成された。
 ドイツは、厳しい要求を出した。
 Ioffe は何とか譲歩を引き出しかったが、しかし、そう努力しても、補足条約として知られる協定が、8月27日に調印された。これは、ほとんどドイツの側に利益をもたらした。
 議論されたのは、領土問題と財務問題だった(脚注)
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 (脚注) 条約の条文は、三つの秘密条項の一つを除いて、J. Wheeler-Benett, Brest-Litovsk: The Fogotten Peace (New York. 1956), p.427-p.446 で再現されている。
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 (04) 領土問題についてドイツは、ロシアとその境界領域の間の関係に干渉しないと約束した。
 この条項はとくに、「南部同盟」の名のもとでコーカサスおよび接続するコサック地域を保護領にしようとするドイツ軍部の姿勢を否認するものだった(注204)。
 ロシアはウクライナとジョージアの独立を承認し、更にEstonia およびLivonia に降伏することに同意した。ブレスト条約ではこの二つのいずれも認められていなかった。
 代わりに、ロシアは、Baltic 海の港湾への通行権を獲得した。ブレスト条約で失っていたものだ。
 ドイツは当初はBaku、すなわちロシアの石油産業の中心地、を要求したが、やがてBaku での毎年の生産の四分の一を受け取る約束と交換に、ロシアの手に委ねることに同意した。
 Baku は、8月初めにPersia から派遣されたイギリス軍が占拠していた。
 ドイツがボルシェヴィキにBaku を委ねるための条件は、ボルシェヴィキがイギリス軍をそこから駆逐することだった(注205)。
 ロシアはまた、Murmansk から連合諸国軍を排除することを約束した。一方、ドイツは、クリミアから撤退することに同意し、ロシアの西部国境についてのその他若干の小さな領土の調整を行なった。
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 (05) 財務に関しては、ロシアはドイツとドイツ人に帝制政府とソヴィエト政府が行なった措置の結果として生じた損失を完全に補償することに同意した。ロシア人の戦争捕虜たちの保護のために被ったとドイツが主張した費用についても同じ。
 ドイツはこれらの総額を700億〜800億ドイツマルクと査定した。
 ロシアからの反論が考慮されて、この額は600億に減じられた。100億ドイツマルクはフィンランドとウクライナによって支払われるものとされた。
 ロシアは500ドイツマルクの借款の半分を18ヶ月以上かけて返済することを約束した。これは、同意されたルーブルの量である24.5トンの金、販売価値のある100億ルーブルの金をドイツへと移すことによって行われる、とされた。
 残りの半分は、ドイツで発行される45年間債券で支払うものとされた。
 これらの支払いは、公的にせよ私的にせよ、ドイツのロシアに対する全ての要求を満足させるものだった。
 ロシア政府は、つぎの旨のブレスト条約の諸条項の履行を再確認した。すなわち、ドイツの所有者へと全ての国有化または公有化された財産を、没収した現金や有価証券を含めて、返却する。また、彼らがこれらの資産をドイツへと送還するのを認める。
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 (06) ボルシェヴィキは権力を奪取したとき、秘密外交をきわめて強い言葉遣いで非難した。また、「帝国主義諸大国」の多数の秘密条約を公にした。それにもかかわらず、自分たち自身の利益に関係がある場合には、そうした実際上の取扱いを何ら嫌悪しなかった。
 補完条約には、三つの秘密条項が付いていた。それらは、Ioffe がロシアのために、Hinze がドイツのために署名したものだった。
 これらの条項は一年のちには知られるに至ったが、今日までソヴィエト同盟では公刊されていない。
 三条項は、8月1日のドイツによる軍事干渉をロシア政府が要請したのをドイツが受諾したことを公認し、正当化するものだった。
 ————
 ②へとつづく。

2841/兵庫県議会調査報告書・<公益通報保護>全文②。

 兵庫県議会・文書問題調査特別委員会(百条委員会)が2025年3月4日にとりまとめた調査報告書のうち、「Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について」のみの全文掲載の二回め。体裁・様式は全く同じではないが、内容はそのまま。
 出所—兵庫県議会ホームページ
 ————
 「Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について
  1 委員会としての判断
  ア 認められる事実
  ————
 以上、前回
 以下の見出しはつぎのとおり。
 1 委員会としての判断
  イ 事実に対する評価
  1 公益通報者保護法違反について
   (1) 外部公益通報
   (2) 体制整備義務違反
  2 行政として取るべき対応
   (1) 初動対応
   (2) 調査方法の問題点
   (3) 齋藤知事の対応
   (4) 公益通報者保護法に対する齋藤知事や幹部の関わり方について
   (5) 文書問題の対応について
   (6) 情報漏洩
   (7) まとめ
 2 提言」
  —————
 以下、全文掲載
 「イ 事実に対する評価
 1 公益通報者保護法違反について
  (1) 外部公益通報
 元県民局長は、議員、マスコミ、警察の特定の者に文書を配布している。 齋藤知事は真実相当性が認められないと再三説明をしているが、真実相当性は公益通報に当たるか否かとは関係がなく、保護要件にとどまる。
 元県民局長の公用メール及び公用パソコンに保存された資料に基づき、クーデターや転覆といった言葉が並んでいたことや、元県民局長作成の人事案や知事を貶める資料があったことなどをもって、文書配布は不正な目的の行為に当たり、公益通報ではないと判断したという証言がある。しかし、当該文書入手(3 月 20 日)、協議時点(3 月 21 日)ではまだ公用メール及び公用パソコンの調査は行われておらず、当該文書の内容から不正な目的が明らかでない限り、公益通報ではないとの判断は調査後に行われるべきものであり通報時ではない。仮に公用メール及び公用パソコンの調査も含めて3月 22 日に作成者の特定を開始したことの正当性を主張するのであれば、公益通報者保護法に基づく指針に定められた「通報者探索防止措置」は事実上意味がなくなり、法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すべき行政機関がとってよい行為とは考えられない。さらに「通報者探索防止措置」を認識せず行われた調査の中で、公用 PC の中の情報から非違行為を認定し懲戒処分にしたことは、違法収集証拠排除法則の法理に反するものであり、告発者潰しを行う材料にしたことは非常に不適切であると考える。
 なお、人事当局は特別弁護士に相談の上、不正の目的があったと判断したことはないと証言しており、県として不正の目的があったと公に認めていない。また、複数の参考人は、「専ら」公益を図る目的の通報と認められる必要はなく、交渉を有利に進めようとする目的や事業者に対する反感などの目的が併存しているというだけでは、「不正の目的」であるとは言えず、不正目的の認定は慎重に行う必要があるとしている。
 「通報対象事実」については、少なくとも阪神・オリックス優勝パレードにかかる信用金庫からのキックバックについて背任罪の可能性があり、通報対象事実が含まれている。なお、刑法の背任行為として刑事告発され県警に受理されている。
 以上のことからすると、今回の調査では、元県民局長が齋藤県政に不満を持っていた事情はうかがえるものの、元県民局長は今回の文書作成については後輩職員のためを思い行ったと主張しており、人事課調査による判断と同様に、不正な目的であったと断言できる事情はないと考える。
よって、元県民局長の文書は公益通報者保護法上の外部公益通報に当たる可能性が高い。
 (2) 体制整備義務違反
 公益通報者保護制度を所管する消費者庁は、公益通報者保護法に基づく指針第4の2(1)不利益な取扱いの防止に関する措置及び(2)範囲外共有等の防止に関する措置は内部通報した場合に限定せずに、処分等の権限を有する行政機関やその他外部への通報が公益通報となる場合も公益通報者を保護する体制の整備が求められるとしている。他方、今回の文書の場合には、通報の探索が例外的に許容されるのではないかという参考人の意見もあった。
 しかし、上記のとおり、法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すべき行政機関としては、公益通報者保護法に基づく指針を原則通り遵守すべきと考えられる。
 文書内容の事実確認よりも通報者の特定を優先した調査や3月 27 日の記者会見での文書作成者を公にしたこと、元県民局長のプライバシー情報の漏洩などは、公益通報者保護法に基づく指針第4の2(2)「範囲外共有等の防止に関する措置」を怠った対応であり、現在も違法状態が継続している可能性がある。
 2 行政として取るべき対応
 (1) 初動対応
 3月 21 日の協議時点で齋藤知事及び参加者は当該文書を誹謗中傷の文書であると認識しており、公益通報の議論はなかったという証言があることから、初動対応において公益通報に関する認識はなかったと考えられる。そのため、3月 22 日には作成者の特定のために元県民局長らの公用メールの調査等に着手し、3月 25 日に作成者を元県民局長と特定、3月 27 日には知事が記者会見で本人が認めていなかったにもかかわらず、事実無根だと認めているような発言のほかにも「公務員失格」と通報者を侮辱するような発言をしている。
  しかし、当該文書の内容は、本委員会でも一定の事実認定ができており、全くの事実無根とは言えないため、齋藤知事らは公益通報に該当しうるかもしれないという前提に立ち、作成者の特定を行う前に、まずは当該文書の内容を調査すべきであった。
 また、3月 27 日の記者会見で県民局長の職を解き、通報者を公表したことは、告発者潰しと捉えられかねない不適切な対応であった。同日に元県民局長から告発文にある内容を精査してから対応して欲しいと片山氏に要請があったが、この時点から内部公益通報としての手続が必要であった。
 さらに言えば、齋藤知事らは当事者である自分たちだけで当該文書が公益通報に該当するか否かを判断するべきではなかった。法令を遵守することは当然のことながら、それが、法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すべき行政機関がとる立場であると言える。
 また、参考人によると、公益通報事案については、受付、調査、是正措置等の対応全てを通じ、不利益取扱、範囲外共有、通報者探索が禁止され、これに違反すると体制整備義務違反状態となるため、調査結果が判明する前にこれらの扱いをすることは原則として許されないし、調査結果が判明し、たとえ通報者の指摘する事実関係が認められなかったとしても、これらの扱いをすることが許されない場合があり得るとしている。加えて、告発の対象となった権力者が通報者探しを指示する場合、あるいはそれを承認する場合、その者の責任も厳しく問われるとの参考人意見もある。
 さらに、本年2月 18 日の衆議院総務委員会で政府参考人は、「法定指針の1号通報の対応体制において、事実に関係する者の公益通報対応業務に関与させない措置を求めているが、一般論として外部から不正行為について指摘された事業者は、自らが行う調査、是正に当たり、事実に関係する者を関与させないことなど、適切な対応が取ることが望ましい」と答弁している。 初動対応時の調査は、当事者である齋藤知事の指示の下、同じく当事者である片山氏が中心となって行っているが、調査は当事者が関与せずに行うべきであったと考えられる。通常であれば、このような案件の調査は人事課や各部総務課が調査を実施することになるが、利害関係者中心で調査を行うのは不適切である。これは内部公益通報時だけでなく、外部への公益通報の際にも同様である。今回のような知事及び県幹部が当事者である場合は、告発文に記載のあった当事者が調査に関わることのないよう利益相反を排除し、独立性を担保するためにも県以外の第三者に調査を委ねるべきであった。そのことが調査の過程及び結果の客観性・公平性・信頼性を高めることになる。県当局は後日、第三者委員会を設置することとしたが、本来は元県民局長の処分前に設置し、もし処分をするのであればその調査結果に基づいて処分を行うべきだったと考えられる。
 加えて、参考人によると、真実相当性の要件は、通報者の通報時点における状況から判断することや通報者の供述内容は、調査主体への信頼感により影響を受けるため誰が調査するのかが重要としている。元県民局長は、県当局の調査に対し、文書の内容を誰から聞いたかについて、単なるうわさ話と話しているが、元県民局長の立場からすれば、文書に記載されている当事者が調査に関わっている限り、情報提供者を守るために真実を話せなかったと考えられる。
 以上のように、県の一連の文書問題に対する初動対応は、県民の不信感を招く不当なものであったと考える。
 (2) 調査方法の問題点
 当該文書の作成者の特定はすべきではなかったという判断である。その上で、作成者特定に当たっての今回の調査方法には、今後の県政の信頼回復のために考慮しておく必要がある幾つかの問題点があったと考える。
 公用メールの調査について、公用パソコンは県から貸与されたものであり、業務以外の使用は禁じられているものの、そのメール内容の調査はその必要性や方法について慎重に検討を行った上で行うべきである。地裁レベルだが判例でも社内メールの調査が無条件に認められているわけではない。当委員会の調査では、メール調査に当たってのルール及び実施の記録がないことが判明している。これではメール調査を恣意的に実施でき、適正な調査であったかの事後の検証もできないと言わざるを得ない。
 今回の調査の中で行われた私用スマートフォンの内容確認は任意だったが、作成に関与したと疑われた人物の私物スマートフォンのLINEのやり取りを確認したことが証言と資料から確認されている。これは職員の人権への配慮を欠いた調査であり、しかも、その人物は結果的に当該文書作成に関わっていなかった。このような調査を人事当局が行う可能性があるということは、職員の萎縮、ひいては県政運営への信頼低下を招くものと言わざるを得ない。
 (3) 齋藤知事の対応
 3月 27 日の記者会見では、齋藤知事は調査の対象者を特定したり、処分を予告すること、さらには「うそ八百」「元県民局長は認めている」と発言した。片山氏や人事当局は、「これから調査する」という認識で齋藤知事とも話をしたつもりであったため、その発言に驚いた。この時点においては当該文書の存在は広く知られておらず、実害も生じておらず、人事当局が予定していたとおりの人事異動の発表にとどめておくべきであった。今回の文書問題が大きく取り上げられることになったのは、この記者会見によることが大きいことを踏まえると、このような部下の進言や意見に真摯に耳を傾ける姿勢が必要であったと考えられる。
 なお、そのことは第三者による調査の進言、公益通報の結果を待ってから処分を行うことの進言に対する態度についても言える。
 (4) 公益通報者保護法に対する齋藤知事や幹部の関わり方について
 公益通報者保護法が目指すのは、徹底して不正行為を告発する人々を守り、社会の正義と透明性を維持することが目的であり、兵庫県としては立法趣旨を踏まえ、まずは公益通報に該当する可能性がないかを慎重に検討すべきであったが、初動対応時の齋藤知事や幹部は公益通報の認識がなかったと証言しており、公の立場として大きく思慮に欠ける点があったと言える。
 また、齋藤知事は証人尋問や記者会見で何度も法的に問題ないことを主張しているが、行政機関は法律に違反しなければいいのではなく、法律の趣旨を尊重したうえで遵守する姿勢を示すことが重要である。
 (5) 文書問題の対応について
 この度の兵庫県の対応が全国から注目される中、組織の長や幹部の不正を告発すると、権力者が当事者にも関わらず自ら告発内容を否定し、更に通報者を探して公表し、懲戒等の不利益処分等で通報者が潰される事例として受け止められかねない状況にある。そのことが公益通報の抑制につながらないか危惧される。公益通報者保護法に違反しているかどうか見解が分かれるとはいえ、「組織の長その他幹部からの独立性の確保」や「利益相反の排除」といった原則にのっとった対応が必要であったと考える。
 また、元県民局長の処分には、退職保留決裁が終わる前に、退職保留が本人に通知されたことも問題がある。
 (6) 情報漏洩
 県の個人情報保護管理の総括保護管理者である井ノ本氏は証言を拒否しているが、同氏が元県民局長のプライバシー情報を複数の議員に見せていることが聞き取り調査によって明らかになっている。当該文書の価値を貶めようとする発言を行っていた証言も得られており、「告発者潰し」があったと言われかねない状況がうかがえる。この行為は地方公務員法の守秘義務違反、さらには県における個人情報管理の問題である。告発者である元県民局長をおとしめることによって、当該文書の信頼性を毀損しようとしたこともうかがわれ、地方公務員法違反を否定できる要素は皆無に等しいと考える。この漏洩問題はその背景や関係者等を明らかにしなければならない問題と考える。
 (7) まとめ
 以上のように、一連の県の文書問題への対応には看過できない問題があったと言わざるを得ない。
 また、井ノ本氏による元県民局長のプライバシー情報の漏洩問題は、公益通報者保護法に反する問題にとどまらず、県組織としてのガバナンス、マネジメントが適正に行われているのかという疑問を抱く。この問題への対応に関しては、元県民局長への処分と比較し、あまりにも大きく異なっている。
 2 提言
 法令を遵守するだけでなく、法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すべき行政機関が、公益通報の認識を欠き、また、後になって公益通報に該当しないから問題ないと主張して通報したことを非違行為として認定し懲戒処分にまで至ったことは大変遺憾であり、県当局は責任の重さを痛感すべきである。
 今後は、県行政・県組織の不正行為や違法行為に関する告発に対しては、常に公益通報の可能性を念頭に対応することが求められ、知事を含めた幹部が公益通報者保護法に対する理解を深める機会を定期的に設けることが不可欠である。体制整備に関しては、指針第4に掲げる内部公益通報対応体制の整備は当然のことながら、外部公益通報に対応できる体制づくりを進める必要がある。
 あわせて、告発の調査に当事者は関与しないこと、通報者探索及び範囲外共有等は行わないことの明確化が必要である。今後、受付段階、調査段階、是正措置等において、告発者の不利益処分が行われていないか、第三者による常設の検証機関の設置が必要である。知事、副知事をはじめ組織の長は、就任に当たり、公益通報者保護法及び個人情報保護法に関する研修を受講するなどして、法の趣旨や責務を改めて認識することが重要である。
 なお、有益な公益通報が守られるよう、公益通報に当たっては個人のプライバシーへの配慮や公益通報の濫用を防ぐことなど、職員にも公益通報者保護法の理解を深めることが重要である。
 また、不正調査等で必要な場合も想定されるため、メール調査そのものを否定はしないが、その判断基準の整備及び調査実施記録の作成・保存を確実に行うべきである。そのことによって、今回のような疑念を持たれるメール調査を防ぐとともに、事後的な検証が可能となる。職員の私用スマートフォン等の調査についても、今後一切行わないよう県当局として宣言する必要がある。
 さらに、綱紀委員会の運営は当事者が関わることのないよう、一定のルールを設けるべきである。 井ノ本氏による元県民局長のプライバシー情報の漏洩については、現在、第三者(弁護士)による調査が進められているが、調査結果は速やかに公表するとともに、県として刑事告発も含めた厳正な対応を早急に求める。
 なお、一連の県の対応は、公益通報者保護法に違反している可能性が高いと考えられることから、県自らの対応として公益通報者保護法の法定指針で定める「不利益な取扱い、範囲外共有や通報者の探索が行われた場合には、適切な救済・回復の措置をとる。」や「不利益な取扱い、範囲外共有や通報者の探索が行われた場合に、当該行為を行った労働者及び役員等に対して、行為態様、被害の程度、その他情状等の諸般の事情を考慮して、懲戒処分、その他適切な措置をとる。」という規定に基づいた措置を行う必要があると考える。
 最後に、齋藤知事は周囲の進言や意見に真摯に耳を傾ける姿勢を持つ必要があり、県職員が上層部へ必要な進言を行うことを躊躇しない組織風土を醸成するとともに、兵庫県のリーダーとして共感やいたわりの姿勢を持ち、透明性のある兵庫県政の確立に努めるべきである。」
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2840/R.パイプス1990年著—第14章㉙。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第17節/ボルシェヴィキがドイツに干渉を求める。
 (01) しかし、全ては将来のことだった。
 8月1日にクレムリンがArchangel に連合国が上陸したとの報せを受けたとき、状況は見込みがないように見えた。
 東部では、チェコスロヴァキア軍団が次から次に都市を占拠し、中央 Volga 地域を完全に支配していた。
 南部では、Denikin の義勇軍が、Krasnov将軍が指揮するDon コサックに率いられて、Tsaritsyn へと前進していた。そこが掌握されれば、チェコスロヴァキア軍団との連絡線ができることになり、妨害のない反ボルシェヴィキ戦線が中部Volga からDon 地域まで生まれるだろう。
 そして今、相当規模のアングロ・アメリカ軍が北部に集結しており、明らかにロシアの内部へと攻撃を開始しそうだった。
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 (02) ボルシェヴィキには、苦境を脱する一つだけの方法があった。それは、ドイツによる軍事干渉。
 これを要請することを決定したのは8月1日で、Helfferich がChicherin に、継続してロシアを支援することを告げた後だった。
 この決定を下した会合は、共産主義者の文献によると、ソヴナルコムの一会議だった、と叙述されている。
 しかし、その日に内閣の会議があったとする記録は存在しないので、レーニンがおそらくChicherin と協議して、個人的に決定した、というのが事実上は確実だ。
 ロシアは、連合諸国軍と親連合国軍に対抗するドイツとの共同軍事作戦を提案した。当時は基本的にはラトビア人兵団で構成されていた赤軍は、モスクワの北西部に位置を占めることになる。予期される連合諸国軍の急襲からモスクワを守るためだ。一方で、ドイツ軍は、アングロ・アメリカの遠征隊に対抗してフィンランドから、また義勇軍に対抗してウクライナから前進することになる。
 我々はこの決定を、主としてHelfferich の回想録によって知っている。Helfferich は、8月1日の遅くにもう一回、Chicherin の予期せぬ訪問を受けていた。
 外務人民委員のChicherin はHelfferich に対して、内閣の会議の後で直接に、内閣を代表して、ドイツによる軍事干渉を要請するためにやって来た、と言った(脚注)
 ----
 (脚注) この出来事に関する短い回想で、Chicherin はこう述べる—ソヴィエトの文献の中で唯一の言及のようだ。Helfferich の説明を確認しつつ、案件はレーニンによって個人的に解決された、と。「Lenin i vneshniaia politika」, Mirovaia politika v 1924 godu (Moscow, 1925), p.5. 彼の論考も見よ。Izvestiia, No.24/2059 (1924 年1月30日), p.2-3.
 ——
 Helfferich によると、Chicherin は、こう言った。
 「世論の状態に鑑みると、ドイツとの公然たる軍事同盟は可能ではない。
 可能であるのは、現実的な平行的作戦行動だ。
 ロシア政府は、モスクワを守るためにその戦力をVologda に集中しようとした。
 ペテログラードを占拠しないことが、平行的な行動の条件だった。同様に我々はPetropavlovsk も避けるのが望ましかった。
 実際上、この方策が意味するのは、モスクワを守ることができるように、ロシア政府は、我々に対して、ペテログラードを防衛するよう要請しなければならなかった。」
 ボルシェヴィキの提案が意味したのは、バルト海地域と(から)フィンランドにいるドイツ軍はソヴィエト・ロシアの領域に入り、ペテログラードの周囲を防衛する戦線を構築する、そして、連合諸国を排除すべくMurmansk とArchangel へと前進する、ということだった。
 しかし、これで全てではなかった。
Chicherin は「南東部についてひどく心配していた。
 私の質問に答えて、彼はついに、我々に求められた干渉の性格を述べた。
 『Alekseev に対する積極的な猛攻撃。Krasnov のドイツによる支援は問題外。』
 この点だ。北部の場合のように、そして同じ理由で、可能であるのは公然たる同盟ではなく、事実上の協力にとどまる。だが、これこそが必要だった。
 このように判断して、ボルシェヴィキ体制は大ロシアの領土でのドイツによる武装干渉を要請した。」(注197)
 -------- 
 (03) Helfferich は、この要請をベルリンへと送った。彼はこの要請を、「我々の干渉への(ボルシェヴィキによる)静かな受容と現実的な平行的作戦行動」と要約した。
 彼はこれと一緒に、ロシアの情勢の悲観的な見通しを書き送った。
 彼はこう書いた。ボルシェヴィキの権威の主要な源は、ドイツの支援を受けている、という信頼の広がりだ。
 しかし、このような感覚は、政策を遂行するための適切な基盤にならなかった。
 彼が推奨したのは、親協商国ではない反ボルシェヴィキのグループとの会話を追求することだった。とりわけ、右派センター、ラトビア人、およびシベリア政府との(注199)。
 彼の意見は、かりにドイツがボルシェヴィキへの支援を抑制するならば、反ボルシェヴィキの者たちは立ち上がり、転覆させるだろう、というものだった。
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 (04) ドイツのモスクワ大使館の助言は、再び却下された。今度は、Hinze によって。
 Hinze はボルシェヴィキは友人ではないことを認めたけれども、彼らはロシアを軍事的に無力にすることによって、ドイツへ利益を「豊富に」もたらしている、と考えた(注200)。
 彼は、Helfferich の推奨文書に不満だったので、8月6日に彼をベルリンへと召喚した。
 大使のHelfferich は二度とその職に就かなかった。在任期間は二週間に満たなかった。
 Hinze はこうして厄介なドイツ大使館を弱体化し、ドイツ・ロシア関係に二度と介入しないよう、モスクワから帰ることを命じた。
 Helfferich が出立後数日を経て、大使館は荷造りを終え、最初はPskov へ、次いでRevel へと向かった。いずれも、ドイツの占領下にあった。
 在ロシアのドイツ代表部がなくなって、ロシア・ドイツ関係の中心はベルリンへと移った。ベルリンにはIoffe がおり、ドイツ政府の広報官、および8月末に両国が締結した通商かつ軍事協定の主要な交渉人として務めていた(脚注)
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 (脚注)この時点で舞台から消えていたKurt Riezler は、戦争後にFrankfurt で教授職に戻った。ヒトラーが権力を奪取したとき、アメリカ合衆国に移住し、1955年に死ぬまで、New York 市の社会研究の新しい学校で教育職に就いた。
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 (05) ボルシェヴィキを打倒しようと虚しい努力をしたドイツ人について、一つの後日談がある。
 9月初め、在モスクワのドイツ領事の将軍、Herbert Hauschild は、Vatsetis の訪問を受けた。
 ロシア軍の最高指令長官に任命されたばかりのラトビア人将校はHauschild に対して、自分はボルシェヴィキではなくラトビア民族主義者だ、彼の兵士たちの恩赦と本国送還が約束されるならば、自分たちはドイツが自由にするままに任せる、と言った。
 Hauschild はベルリンに知らせた。ベルリンは彼に、問題にしないよう命じた(脚注)
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 (脚注) Baumgart, Ostpolitik, p.315-6. Vatsetis は、1919年夏までソヴィエトCIC として務めた。そのあと、「反革命的陰謀」に関与したとの罪で逮捕された。釈放されたのち、ソ連軍事アカデミーで教えた。1938年、教室の休み時間のあいだに再び逮捕され、のちに処刑された。Pamiat’, No.2 (1979), p.9-10.
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 第17節、終わり。

2839/兵庫県議会「百条委員会」調査報告書・<公益通報者保護>全文①。

 兵庫県議会・文書問題調査特別委員会(百条委員会)は2025年3月4日に最終の調査報告書を取りまとめ、翌日の県議会全体会議でも承認された(報告内容は行政当局に対する議会自体の 「報告」になった)。
 この報告書の目次の概要(秋月による。全文ではない)は、つぎのとおり。
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「Ⅰ 文書問題調査特別委員会について
  1 概要
  2 開催状況について
 Ⅱ 任意調査について
  1 職員アンケートによる調査
  2 聞き取りによる調査
  3 書面による調査
 Ⅲ 文書の7項目にかかる調査の内容と結果について
  1 五百旗頭真理事長ご逝去に至る経緯について
  2 令和3年の知事選挙における県職員の事前選挙活動等について
  3 次回知事選挙に向けた投票依頼について
  4 知事が贈答品を受け取っていることについて
  5 知事の政治資金パーティー実施にかかるパーティー券の購入依頼について
  6 阪神・オリックス優勝パレードにかかる信用金庫等からのキックバックについて
  7 知事のパワーハラスメントについて
 Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について
 Ⅴ 総括
 VI 提出を求めた資料一覧」
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 以上のうち、「Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について」のみの全文を掲載する。罫線の省略など、体裁・様式は全く同じではないが、内容はそのまま。下線のみ掲載者。
 出所—兵庫県議会ホームページ
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 「Ⅳ 公益通報者保護にかかる調査の内容と結果について
  1 委員会としての判断
  ア 認められる事実
  事実経過
 R6.3.12(火)  元県民局長が文書をマスコミ、県会議員、警察に配布。
  3.20(水) 齋藤知事が当該文書を民間人から入手。
  3.21(木) 当該文書に関する協議のため、齋藤知事が片山氏、小橋氏、井ノ本氏、原田氏を招集し、片山氏らに文書の作成者や目的を含め、調査するように指示。この際、公益通報者保護の議論はなかった。
  3.22(金) 人事当局から元県民局長の公用メール1年分を調べるように指示を受けた担当課長はデータを人事当局に提出。公用メールの調査にあたって本人の同意は得ていない。(4月下旬に元県民局長の公用パソコンのファイルの操作ログ3年分も提出した。)
  3.23(土) 齋藤知事は、片山氏から元県民局長の事情聴取を行うという提案を受け、それを了承。調査については片山氏に一任された。
  3.25(月) 片山氏及び人事当局が元県民局長及び職員2名の聞き取り調査を実施した。片山氏は元県民局長の調査の際、公用パソコンに私物USBがあったが、取り外すように指示し、公用パソコン1台だけを県庁に持ち帰った。なお、職員1名の私用スマートフォンのLINEの調査も行った。
 元県民局長から人事当局に電話があり、「自分単独で作成し、噂話をまとめたもので、周囲の者を巻き込まないように」との要請があった。
  3.26(火) 元県民局長の退職保留が決まった。
  3.27(水) 小橋氏は、齋藤知事に対し、教育委員会ではこのような問題の時には第三者に調査させることが多いと進言。
 人事当局の用意した知事記者会見での想定問答は、内容の詳細については調査が必要なので言えないという説明だったが、齋藤知事は元県民局長が作成した文書について「嘘八百」「元県民局長本人は認めている」と発言。
  4.1(月) 人事当局は、県の特別弁護士に、第三者機関調査やSNSでの当該文書の拡散、公益通報としての取扱いの要否などを相談。
 特別弁護士からは、公益通報の手続がされた段階でいったん判断する必要がある、第三者機関調査については、費用や時間を要することから内部調査で十分との見解を得る。
  4.4(木) 元県民局長が公益通報受付窓口に通報。
 人事当局によれば、4 月 4 日に元県民局長が公益通報受付窓口に通報した時点で、公益通報の調査結果を待たないと処分はできないと考え、すぐに小橋氏と井ノ本氏に進言し、齋藤知事も了承したとのこと。なお、齋藤知事はこうした進言を受けた記憶がないと否定している。
  4.15(月) 齋藤知事は、「風向きを変えたい」との理由から、処分をできるだけ早くしたほうがいいと指示。
 人事当局によると、井ノ本氏から公益通報の調査結果を待たずに処分できないか検討を指示されたが、公益通報の結果を待つべきと進言した。
 なお、齋藤知事は人事当局に対して流れを変えるために公益通報の調査結果を待たずに処分できないかと指示した記憶はないと否定している。
  4.17(水) 人事当局によると知事の指示による井ノ本氏と人事当局との元県民局長の処分スケジュールのやりとりは下記のとおり。
  ・4月 24 日に処分する案の作成を井ノ本氏が指示
  ・4月 24 日に処分する案を井ノ本氏に提出し、齋藤知事が了解
  ・人事当局が 4 月 24 日処分案は現実的に無理と判断し、5月 17 日処分案を井ノ本氏に相談。井ノ本氏からは5月 10 日を案1、5月 17 日を案2とする指示があり、齋藤知事は5月 10 日で了解した。
  4.24(水) 人事当局によると、井ノ本氏から連休明けの5月7日処分案の指示があり、弁護士と相談して処分日を5月7日に決定した。
 井ノ本氏は、人事当局との処分日のやり取りは自分の判断ではなく、知事と話をした上で日程を決めたと証言している。
 なお、齋藤知事は5月7日処分の決定事項を報告されたと証言している。
  5.2(木) 元県民局長に対する綱紀委員会が開催された。
  5.7(火) 元県民局長の処分を公表。」
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 以上、「1 委員会としての判断」のうち「ア 認められる事実」が終わり。以下、「イ 事実に対する評価」へとつづく。

2838/R.パイプス1990年著—第14章㉘。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第16節/連合諸国によるロシアでのいっそうの諸活動②。
 (07) Archangel の占拠のあと、イギリスの将軍C. C. M. Maynard が指揮する第二次の連合諸国軍が、Murmansk に上陸した。そこにはすでに6月以来、イギリスの小さな分遣隊がいた。
 Maynard の軍団はやがて1万5000人の兵士をもつに成長した。うち1万1000人が連合諸国の兵士で、残りはロシア人その他だった。
 Noulens によると、Archangel-Murmansk 遠征軍(当時に2万3500人)は、東部前線を再活性化するのに十分だった。東部前線では、西側代表団の見解では、3万の兵士が必要だった(注191)。
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 (08) 連合諸国には不運なことに、最終的に十分な兵団をロシア北部に配置するまでに—ようやく9月のことだった—、チェコ軍団は目に見える攻撃部隊としては存在しなくなった。
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 (09) 既述のとおり、チェコスロヴァキア人は元々は、Vladivostok に至る通路を邪魔されずに確保するために、武力に依拠した。
 しかし、連合国司令部が、再活性化された東部前線での、予定された連合諸国軍の前衛だと見なすに至ったからだ(注192)。6月に、彼らの使命は変化した。
 かくして、チェコスロヴァキア軍団への6月7日の挨拶文書の中で、将軍のCecek は、彼らの任務をつぎのように明確に述べた。
 「以下のことを我々の兄弟全員に知らしめたい。チェコスロヴァキア軍大会の決定にもとづき、国民会議の同意を得て、かつ全ての連合諸国との協議によって、我々の軍は協商国軍隊の前衛だと称される。また、軍隊参謀部から発せられた諸指令は、それらの唯一の目的として、全ロシア民族および我々の同盟とともに戦うロシアでの反ドイツの前線を生み出す。」(注193)
 この構想に合致するように、チェコスロヴァキアの司令部は、その能力にも動機づけにも合わない任務をチェコスロヴァキア兵団に与えた。
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 (10) チェコスロヴァキア軍団がドイツに対抗する戦線を構築するには、西から東への水平線に展開する部隊をVolga 地方とUral 地方に沿って北から南へと垂直に再配置しなければならなかった(注194)。
 それに対応して、まだ西部シベリアにいたおよそ1万人から2万人のチェコスロヴァキア軍団は、Samara の北と南で攻撃作戦に着手した。
 7月5日、Ufa を掌握した。7月21日、Simbirsk。8月6日、Kazan。
 Kazan 攻撃は、彼らのロシアでの作戦行動の最高点に位置した。
 チェコ軍団は、都市防衛に任じる、ひどく消耗した400人の第五ラトビア人連隊に退却を余儀なくさせたあと、2018年2月にボルシェヴィキが撤退していた場所でロシア帝国の財産である650万ルーブルの金の退蔵物を掌握した。それがあれば、ボルシェヴィキは、課税または強制適用穀物徴発に頼ることがなくとも、大規模の軍事作戦を行なうことができた。
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 (11) チェコスロヴァキア軍団は、活力と技量をもって戦った。
 しかし、前衛とだけしか認められていなかった。—いったい何の前衛だったのだろう?
 連合諸国は進んで助けようとはしなかった。チェコスロヴァキア軍団は寛容に指令や助言に従ったけれども。
 反ボルシェヴィキのロシア人たちも、彼らには役立たなかった。
 チェコスロヴァキア軍団は、連合諸国に急かされて、Volga 地域とシベリアのロシア人政治グループを統合しようとした。だが、これは見込みなき企てだった。
 7月15日、Komuch 代表部とOmsk 政府はCheliabinsk で会合したが、合意に達しなかった。
 意見の相違は、8月23-25日に開かれた第二回のロシア政治会議も潰した。
 ロシア人の言い争いは、チェコ軍団を憤慨させた。
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 (12) Komuch は、チェコスロヴァキア人および他の連合諸国部隊とともに戦う軍を立ち上げようとした。だが、限られた成功しか収めなかった。
 7月8日、Komuch は、将軍のCecekの総括指揮のもとにある義勇人民軍(Narodnaia Armiia)の設立を発表した。
 しかし、ボルシェヴィキも設立したとき、ロシア軍を義勇的な基盤のもとで創出することができなかった。
 農民たちは激烈に反ボルシェヴィキだったが、革命は国家に対する農民の義務を全て免除したという理由で、入隊して協力するのを拒んだ。これは、Komuch にとって、農民との関係でとくに苛立たしいことだった。
 自発的意思による3000人が入隊したあと、Komuch は徴兵へと進み、8月末には5万〜6万人を新規兵とした。そのうち3万人だけが武器をもっており、1万人だけが戦闘の訓練を受けていた(注195)。
 軍事史家のN. N. Golovin 将軍の推定では、9月初めに西部シベリアの親連合国兵団は2万人のチェコスロヴァキア人、1万5000人のUral とOrenburg のコサック、5000人の工場労働者で成っていた。そして人民軍には、1万5000人の兵士がいた(注196)。
 この多民族軍隊には中央司令部はなく、政治的指導部もなかった。
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 (13) そのあいだに、トロツキーは、東部で部隊を設立していた。
 ソヴィエト・ロシアを危うくはしないとの6月のドイツ皇帝の誓約があったために、彼は、ラトビア人連隊を西部からUral 地域へと移動させることができた。そこで彼らは、チェコ軍団と接触する最初の部隊となった。
 そしてトロツキーは、赤軍へ、数千人の旧帝制軍将校と徴兵による数十万人の兵士を入隊させた。
 トロツキーは、脱走に対する死刑の制度を再び導入し、任意に適用した。
 赤軍のチェコスロヴァキア軍団に対する勝利は、ラトビア人兵団によって最初にもたらされた。ラトビア人兵団は9月7日にKazan を再び奪取し、5日後にSimbirsk をそうした。
 これらの勝利の報せは、クレムリンを歓喜させた。これが、ボルシェヴィキにとって、心理的には、潮の変わりめだった。
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 第16節、終わり。

2837/兵庫県知事2024/03/27記者会見への前県民局長反論文(2024/04/01)全文。

 兵庫県知事・斎藤元彦の2024/03/27記者会見に対する前西播磨県民局長の反論文(2024/04/01)全文。
 出所=さとうしょういちブログ(選挙ドットコム)、2024/12/11に再掲載された。
 ●は元の掲載のまま。様式が少し変わっている可能性があるが、文章自体はそのまま引用している。最大の見出し項目のみ当欄において太字化した。
 →原掲載。
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 「報道機関各位元兵庫県西播磨県民局長です。この度はお騒がせしており申し訳ありません。先日の知事記者会見の場で欠席裁判のような形で、私の行為をほとんど何の根拠もなく事実無根と公言し、また私の言動を事実とは異なる内容で公にされましたので、以下の通り、事実関係と、自分の思うところをお伝えします。
  今回の行為に及んだ背景このことについては色々と申し上げたいことがありますが、書けば書くほど「名誉毀損だ。訴える」とまた言われる可能性がありますので省略します。一言で言うと、今の県政運営に対する不信感、将来に対する不安感、頑張って働いている職員の皆さんの将来を思っての行動です。なお、私がそう思うに至った個別の事象については、告発にある内容の調査が実施される中で明らかにされることと思います。 
 2 経緯 
 ①現体制になって、一部の職員による専横、違法行為がなされているという話を多く仄聞しました。西播磨の地にいても、そうしたことは耳に入ってくるものです。このままでいいのかなぁ、困っています、なんとかならないのかという嘆きの声として。
 既に速攻で消去(理由不明)されましたが、県のホームページの県民局長メッセージ(FB、X上には一部残っています)に後輩たちへのエールを掲載しました。ほんとに沢山の後輩達から頑張りますという心温まる返事をいただきました。その度に「ああ、彼らはこれからも兵庫県を背負っていくのだな」と。
 今の僕に彼らに対して何が出来るのかを考えた結果、役職定年前のタイミングでありながら、今回の行動に出たのです。これを機に兵庫県という組織がより良いものになる事を願って。
  ②決して自分の処遇への不平不満から出たものではありません。メッセージにも書きましたが自分自身の県庁生活にはとても満足しています。特に最後の3年間を西播磨で過ごせた事はこの上もない喜びです。ほんとに素晴らしい地域で住民の皆さんには感謝しかないです。なのに、ご迷惑をおかけし、また心配もしてくださっていることになんとお詫びを申し上げたらいいか。 既に退職後の行き先も県とは無関係のところに決まっていましたが、先方には迷惑をおかけしてしまいました。
 ③また、今回の内部告発の文章作成を一部勤務時間(3時間程度)に行ったことについては職務専念義務違反の認識はありました。この点については言い訳いたしません。県民の皆さん、申し訳ありませんでした。(でも、県民局長は土日休日出勤がかなり多いのに代休が取れない中で、平日の合間時間を3時間ほど活用させてもらったと言ったら大目に見ていただけませんか? それに年休も有り余っているんです)
 ④情報収集から告発文作成、配付まで、全ての作業を私一人で行いました。もっとスマートにやる方法もあったとは思いますが、誰にも相談せずにやりましたので野暮ったいやり方になってしまいました。(今時、職場のPCを使ってこんなことをするなんてアホかと何人もの人から言われました)
 ⑤本来なら保護権益が働く公益通報制度を活用すればよかったのですが、自浄作用が期待できない今の兵庫県では当局内部にある機関は信用出来ません。
 ⑥今回の内部告発の内容については、情報の精度には差があり、中には一部事実でないものもあるかも知れません。ただ、事実でないものについては配付先から世間に出回ることはないだろうという判断から、可能な限り記載することにしました。
 守秘義務違反とは職務上知り得た秘密を漏らすことであり、秘密とはすなわち真実です。内部告発の中の真実については、それは即ち私の違法行為となる可能性が高いです。それは十分に理解しての行動です。
 真実でない内容については名誉毀損の疑いがあるものの、公然と不特定多数への周知を行った訳ではありませんし、文章末には配付先の皆さんへ取扱注意をお願いしています。また、真実の公表についても公益性の観点から名誉毀損の問題はないだろうと判断しました。
 マスコミ関係者の配付先を極端に絞ったことは、配付されなかった方々にはとっては心外と思われたことと思います。名誉毀損となる可能性(公然の基準)を少しでも抑えようとしたためであり、ご理解をお願いします。関係者の皆さん申し訳ありませんでした。
  3 手続き・記者会見での問題点
 ①今回の事案について、私と人事当局間でなされた意味のあるやり取りは、私の職場PCが押収された直後の3月25日午前11時30分頃に、●●職員局長へ電話で「告発文は自分一人で作成した。他に関係者はいない」と伝えたことのみ。26日電話により情報の入手経路についての漠然としたやり取り(この資料上は論点外)があったのみです。
 いつ作業したか、どこにどんな方法で送ったか、告発文の内容の真偽についてどう思っているのかなどは全く聴取されていません。一番肝心の動機ですら聴取されていません。
 ②3月27日9時30分からの人事異動の辞令交付の際、私から片山副知事、●●総務部長に「内部告発文にある内容をきちんと精査してから対応してくれ」と要請しました。
 一方、その際、この事案に係わる記者発表があることも私に告知しませんでした。にも関わらず、この段階で、
 《問題点》③私への事情聴取も内部告発の内容の調査も十分なされていない時点で、知事の記者会見という公の場で告発文書を「誹謗中傷」、「事実無根」と一方的に決めつけ、かつ信用失墜行為である、名誉毀損の告訴・(守秘義務違反の)被害届を検討するなどの発言をしたこと・そもそも名誉棄損の要件である「公然と事実等を適示」していません。・信用失墜したのは、私なのか、告発文に出てくる者達なのかは全ての事実が判明した後でないと判断できないはずです。・このような生煮えの状態で公にしなければよかったのではと思いますが。
  ④事実無根かどうかは現時点では不明ですし、私はメールしていないにもかかわらず、MBSが「事実無根のメールを流布した疑い」と報道したこと 根拠のない報道ならMBSを名誉毀損の相手方にしますし、MBSが職員の誰かからの情報に基づくものなら、「それが誰か」を問題とします。また現にメールが届いた職員がいるなら証拠を公表して下さい。
 {参考}MBSネットニュース「事実無根のメール流布した疑い」兵庫県が幹部職員の退職を先送りする異例の人事異動 調査を継続へ兵庫県によりますと、男性幹部職員は、業務時間中に仕事用のパソコンで、職員らの人名をあげて、その尊厳を傷つけるような内容などの文章を作成、メールなどで送り、一部は名指しされた職員ら本人にも届いていたということです。3月22日に県が文章を確認、聞き取ったところ、男性職員が行為を認めたということです。
 ⑤「ありもしないことを縷々並べた内容を作ったことを本人も認めている」という知事の発言がありました。また、それを受けての報道もありますが、私自身がそのことを認めた事実は一切ありません。そもそも告発文はできるだけ事実に基づいて書いたつもりです。
 ③~⑤について、・これらの知事発言により、記者会見の場では、告発文の内容の真偽について、私が事実無根であると認めていることが前提となってしまったのではないでしょうか。告発内容が大半のマスコミの方は分からない訳ですから当然です。
 ・これらの行為こそ、私に対する名誉毀損である可能性が高いのではないでしょうか。
 ・一連の人事考査の手続きのどこに重大な瑕疵があったのでしょうか。私が人事課に在籍していた頃はこのような事務処理はあり得ませんでした。
 ・私の反論する場も設けずに、現時点で一方的に公にされるのは不当ではないでしょうか。
 ・特にMBSについては徹底的な事実確認を求めます。
 ・ここまで言い切ったのですから、直ちに事実無根を証明できる根拠を示して下さい。
 ・なお、人事課が発表した「文書を作成したと本人が認めたので、懲戒免職の対象となる可能性がある」ということと、知事の「(懲戒免職の対象となる)誹謗中傷・事実無根の文書を作成したと本人が認めている」ということは全く異なります。
 ・知事は必要な情報の開示を全くせず、曖昧かつ誤解を与える発言を行うことにより、事実とは異なる内容をそれこそ“流布”したことになります。このような杜撰な会見で、人間が一人、社会的に抹殺されようとしています。そのことを十分に理解すべきです。
 ⑥パソコンを押収され、また、今の自分の状況から、告発文を皆さんに配付することが難しい状況です。
 内部告発内容にやましい所がないのであれば、正々堂々と人事当局から報道機関に資料配付を行うべきです。(取扱いの協定を結べば可能なはずです。)
 この状態が続くと私がいかにも事実無根の誹謗中傷を撒き散らしたかのように世間で思われ続け、不公平です。心配して連絡を頂いた方にも告発内容は伏せ続けています。「内容は分からないが、君がやったことやから信じるわ」と言われると心が痛みます。
 ➆人事当局は私の行為に関する調査ではなく、もっと大きな違法行為、信用失墜行為についての事実関係を早急に調査すべきです。関係者に人事当局に関わる職員が在籍しているのであれば、無実が証明されるまでは人事上の措置(この事案からの排除など)が必要と思います。調査にあたっては、第三者委員会を設立するか、司法による調査・捜査をすべきです。お手盛り調査、お手盛り処分は御法度です。
 名誉毀損罪については告訴を、地方公務員法違反(守秘義務違反)については被害届を一刻も早く警察に提出し、司法の捜査に委ねませんか。これが一番合理的かつ効果的です。
  ➇守秘義務違反で罪を問われるのは私一人です。 今回の内部告発の秘密にあたる部分は県職員、元県職員に関するものであり、対外的な漏洩を行った私の責任です。
 私のところに情報が届くまでのプロセスは問題にすべきではないと考えます。 
 一般県民とは関わりのない事柄についてのローカルエリアの職員間の世間話、内輪話についてまで厳密に守秘義務違反を問うことは明らかにやり過ぎです。ましてや違法行為、不適切行為に対する義憤からなされたことならば。
 この点の全庁調査を実施したり、厳密に禁止する事は「綱紀粛正」ではなく「恐怖政治」の始まりです。そうなると職員は委縮し、組織が疲弊し ます。職員に良かれと思ってやったことが逆に職員を苦しめる結果になることは辛すぎます。
 私が言うのも筋違いですが、常識的な判断・行動を人事当局にはお願いします。  
 私が行った内部告発の内容のような行為こそが綱紀粛正されるべきことです。  
 全ての職員が元気に楽しく仕事出来る健全な職場になることを心から願っています。それが長年お世話になった兵庫県という組織への私の恩返しになると思っています。  
 以上が私の申し上げたいことです。現在置かれている状況もご配慮いただき、適切に取扱っていただけたらと思います。よろしくお願いします。
  令和6年4月1日元西播磨県民局長 ●●●●
 連絡先:●●●●●●@docomo.ne.jp※問い合わせはメールアドレスまでしていただけたら幸いです。
 (追記)全てを書き終え、傍らの新書からこぼれ出た栞をふと見ると、そこには人の心のありようについて説いた「ニーバーの祈り」が 神よ、変えてはならないものを受け入れる冷静さを、変えるべきものは変える勇気を、そして変えてはならないものと変えるべきものとを見分ける知恵を我に与えたまえ。 こんなタイミングにこんな言葉に出会うなんて…。後輩職員達への最後のエールとしてこの言葉を送ります。」
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2836/R.パイプス1990年著—第14章㉗。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第15節/Riezler によるドイツの政策転換の失敗②。
 (08) 恩赦と本国帰還の約束でもってラトビア人の中立を確保するという提案をしても、Riezler にも好い事がなかった。
 この計画は、多数の者の中でとくに、Ludendorff によって否定された。彼は、ボルシェヴィキのプロパガンダがラトビア人を「汚染」するのを怖れていた。
 外務省の新しい大臣のPaul von Hinze は、Kuelmann を継承し、レーニンとの協力にさらに深く関与していて、もう聴取する必要がなかった。
 彼はモスクワの大使館に対して、ラトビア人との会話を止めるよう指示した(注181)。
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 (09) ボルシェヴィキの崩壊という事態に備えておくために、外務当局は、それ自身の非常時対応計画を策定した。
 親連合国の左翼エスエルがロシアで権力を掌握すれば、ドイツ軍はフィンランドから立ち上がり、Murmansk とArchangel を奪取する。そして、ペテログラードおよび Vologda を占拠する。
 言い換えると、悲観主義者の予測が正しかったことが判ると、ボルシェヴィキにとどめの一撃を加えたり、別のロシア人グループに置き換えるのではなく、ドイツは進軍して、おそらくはボルシェヴィキに権力を回復させる(注182)。
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 (10) Helfferich は、自らの政府の親ボルシェヴィキ政策を実行すると決意して、モスクワに着いた。
 しかし、すぐに、大使館員はほとんど全員が、その考えに反対していることに気づいた。
 到着した夕方に大使館員から受けた状況説明と限られた個人的観察によって、彼はその考えを変えるようになった。
 7月31日の午後、短い滞在中で初めて厳格に警護された大使館地区の外に出て、Chicherin を訪問した。そして、ウクライナでの左翼エスエルによる陸軍元帥Eichhorn 殺害と、大使館員に対して左翼エスエルからの脅迫が継続していることに、抗議した。
 同時に彼はChicherin に、ドイツ政府は支援を継続するつもりだと保証した。
 彼がのちに知ったことだが、Chicherin との会談の数時間後に、クレムリンで会合が行なわれ、レーニンは同僚たちに、信頼は「一時的に」失われた、モスクワを退避するのが必要になった、と言った。
 この会合が進行しているあいだにChicherin が到着し、Helfferich がついさっきドイツの後援を保証した、と伝えた(脚注)
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 (脚注) Baumgart, Ostpolitik, p.237-8. レーニンは政府の所在地をNizhnii Novgorod へ移すことを計画していた、と見られる。同上, p.237,注38。
 レーニンは1920年にBertrand Russell に対して、2年前には自分も同僚たちも自分たちの体制が生き残る可能性があるとは思っていなかった、と語った。Bertrand Russelll, Bolshevism: Practice and Theory (New York, 1920), p.40.
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 第16節/連合諸国によるロシアでのいっそうの諸活動①。
 (01) 8月1日にクレムリンがイギリス海軍がArchangel への射撃を開始したとの報せを受けたとき、クレムリンの雰囲気はすでに十分に絶望的だった。
 この砲撃は、連合諸国による大規模なロシアへの干渉の始まりだった。
 ドイツの意図に関する情報以上に連合諸国のそれに関する情報をもっていなかったロシア政府は、連合国は確実にモスクワへと前進するつもりだと考えた。
 ロシア政府は完全に動転し、ドイツの腕の中に飛び込んだ。
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 (02) 思い出されるべきことだが、連合諸国は1918年3月にボルシェヴィキ政府と、北部(Murmansk とArchangel)と極東(Vladivostok)でロシア領土に上陸することを議論していた。これらの港湾をドイツから守ること、ロシアで予定された連合諸国の基地を確保すること、が目的だった。
 その見返りに、連合諸国はロシアが赤軍を組織し、訓練するのを助けるものとされた。
 しかしながら、連合諸国は行動するのが遅かった。
 彼らは三都市に僅かばかりの派遣部隊を上陸させ、トロツキーが長である戦争人民委員部に僅かばかりの将校を配属した。だが、ドイツの攻撃の全力が彼らに向けられているときに、大規模の兵士をそこに割くことはできなかった。
 アメリカ合衆国だけに、必要な兵士がいた。しかし、Woodrow Wilson 大統領はロシアへの介入に反対しており、そうである限り、何もすることができなかった。
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 (03) 実質的にはWilson 大統領がチェコ人の蜂起を知って考えを変化させた6月の初めに、極東の状況が再び活性化する展望が開けた。
 アメリカ合衆国にはチェコとスロヴァキアの送還者を助ける道徳的義務があると感じて、彼は、イギリスからの要望に従い、Murmansk-Archangel およびVlaivostok への遠征のための兵団を派遣することに同意した。
 この作戦実行のためのアメリカ兵団には、ロシアの国内状況に干渉するな、との厳格な命令が発せられた(注183)。
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 (04) ヴェルサイユの連合国最高司令会議は、アメリカ政府の決定を知って、イギリスの将軍であるF. C. Poole の指揮する連合国遠征軍を派遣することを命じた。
 Poole は、港湾都市の防衛、チェコ軍団との接触、そのチェコ軍団の助けを借りてのArchangel 南方の鉄道の支配、親連合国軍隊の組織、を指示した。
 ボルシェヴィキと戦闘することについては、何も語られなかった。Poole の兵団に言われたのは、「我々は内政には干渉しない」、だった(注184)。
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 (05) この連合諸国の決定は、その後、ロシア北部の港湾にはドイツの本当の脅威は存在しなかった、脅威となる行動のできるフィンランドのドイツ軍はいずれにせよ8月初旬に撤退して西部前線へと投入されていた、といった理由で、批判されてきた。
 こうした批判が含意しているのは、ロシア北部への遠征の本当の理由は、ボルシェヴィキ体制を転覆させることにあった、というものだ(注185)。
 この責任追及は、擁護することができない。
 ドイツの文書資料から、つぎのことが知られている。ドイツの最高司令部は実際に、ドイツ兵団だけによるにせよフィンランドとボルシェヴィキの兵団と合同してにせよ、北部の港湾への攻撃を考えていた。
 この攻撃作戦は、Murmansk とArchangel を支配することでドイツは連合諸国がロシア領土に入ることを拒むことができ、そうして極東の状況を再活性化する計画を挫折させたであろうから、きわめて合理的なものだった。
 ドイツ政府はこうした目的をもって、1918年5月遅くにIoffe との交渉をし始めた。
 この会談はやがて決裂した。その理由は、一つはボルシェヴィキとフィンランドが協力する条件に同意できなかったことにあり、もう一つは、ドイツが作戦行動の基地として、ロシアが同意しないだろうペテログラードの占領を強く主張したことにあった(注186)。
 しかし、こうしたことを、連合諸国は予見できなかった。2ヶ月のちにドイツはフィンランドから兵団を撤退することを連合諸国は6月に知った、ということ以上に、予見できなかった。
 連合諸国が1918年にロシアに兵団を派遣するに際して、彼らはロシア・ボルシェヴィキ政府の打倒を意図した、ということを示す証拠はない。
 この作戦で重要な役割を果たしたイギリスは、公的にも私的にも、ロシアを統治している政府の性格に関する関心を、完全に欠如させていた。
 イギリス首相のDavid Lloyd George は、1918年7月22日の戦時内閣の閣議で、ロシア人がいかなる種類の政府を樹立したかはイギリスの関心事ではない、と素っ気なく宣言した。共和国、ボルシェヴィキ国家、あるいは君主制のいずれであれ(注187)。
 Wilson 大統領も同じような見解だったことが、示されている。
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 (06) 連合諸国の遠征隊は、最初は8500人の兵団で、うち4800人はアメリカ人だったが、8月1-2日にArchangel に上陸した。
 Poole 将軍は8月10日に、つぎの指令を受け取った。「ドイツによる影響と浸透に抵抗する目的をもってロシアを復活させることに協力せよ」、そして、彼らの国を回復するために「ロシア人が連合諸国と一緒になって闘いに参加するのを助けよ」(注188)。
 彼はさらに、チェコ軍団との連絡手段を確立せよとの指令も受けた。東部に向かう鉄道路線を彼らとともに確保し、ドイツと戦う軍隊を組織するためにだ(注189)。
 これらの指令の言葉遣いは広く解釈され得るもので、6月3日の指令よりも曖昧な目的を示していた。そしてまた、「北部ロシア遠征隊の将来は、ドイツではなくボルシェヴィキと戦うことにある」と述べる根拠を何ら提示していなかった(注190)。
 当時、ボルシェヴィキは、相当の程度において、ドイツの協力相手だと見られていた。ボルシェヴィキはドイツから資金を受け取り、一度ならずドイツに対して、ロシアの世論だけがドイツと正式に同盟するのを妨げている、と述べた。
 イギリスとフランスは、それらのモスクワの工作員を通じて、ドイツ大使館の役割はボルシェヴィキを生かし続けることにあるとの情報を得ていた。
 1918年の連合諸国のボルシェヴィキに対する行動をドイツに対するそれと別のものとして理解するのは—対比させるはむろんのこと—、当時の認識状況と雰囲気をいずれも誤解することになる。
 かりにPoole の任務がボルシェヴィキと戦うことだったとすれば、彼にはきっとその趣旨の、紛らわしくない指令が発せられていただろう。そして、彼は、モスクワの反ボルシェヴィキ集団との意思疎通手段を確立していただろう。これを示す証拠はない。
 存在する証拠が示しているのは、逆に、連合諸国のロシア北部への遠征部隊の任務は、チェコスロヴァキア人や日本、および参加する意欲のあるロシア人と協力して、ドイツと戦う新しい前線を構築することにあった、ということだ。
 この任務は、世界大戦の最終段階と密接に関連した軍事活動だった。
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 第16節②へつづく。

2835/菅野完の(と)「市民」運動①。

  この欄の「菅野完」への言及を検索してみると、つぎの著を前提にし、かつ「日本会議」または<保守>・<左翼>を主題にした文章投稿で、三回、この人の名を付随的に出している。
 菅野完・日本会議の研究(扶桑社新書、2016)。著者・菅野完、1974年生まれ。
 この著は20-30万部売れ、「日本会議」本の先駆になったともされる。
 おそらく少なくとも概略は全部読んだ。そして、当時の私はすでにある程度は、この本の叙述内容について知っていたような気がする。
 →No.1377(2016/07)→No.1629(2017/07)→No.1660(2017/07)
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 当時に気にしていたのは、上の著が扶桑社新書の一つとして刊行されていることの不思議さだった。
 当時は<新しい歴史教科書をつくる会>の分裂に関心があった。そして、その名を継承した団体の新教科書の発行元は自由社で、分裂したもう一方の八木秀次らの新団体の教科書の発行元は育鵬社になった、という知識があった。
 また、育鵬社の上部会社は「扶桑社」で、かつ産経新聞社グループは、雑誌「月刊正論」も含めて、ときには西尾幹二や藤岡信勝を起用しつつ、主としては新団体=教育再生会議の側の味方をした、という知識もあった。むろん、「日本会議」は明確に後者の側に立った。西尾幹二は、日本会議や日本青年協議会を、少なくとも「分裂」の数年後までは、激しく批判・罵倒していた。
 ついでながら、安倍晋三が後者の側に立って八木秀次らを厚遇したのは屋山太郎らの働きかけと安倍の無知・無関心に起因するのだろうと、当時は何となく推測していた。
 しかし、当時とその後に書かなかったが、安倍晋三は小泉純一郎に重用され、彼の後継者として登場したのだから、小泉を「狂気の宰相」と称した書物を刊行した(かつ「郵政選挙」で城内実らの<反小泉・造反>グループを支持した)西尾幹二の名を知らなかったはずはなく、良い印象を持っていなかっただろう。むしろ、「日本会議」の支援を受ける自らに対する「敵」だと、西尾幹二・藤岡信勝グループを意識した可能性も高い(安倍晋三と産経グループの日枝久との関係もあったかもしれない)。
 余談を挿入したが、ともあれ、菅野完の「日本会議」に関する批判的分析本が、親日本会議と推察されなくもない産経グループの扶桑社から出版されているのは、当時の私には奇妙だった。日本会議批判者=「左翼」だと二元的に判断して、菅野完を「左翼」の一人だと想像したような気もする。
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  上の時期から10年近く経て、菅野完を「斎藤元彦(兵庫県知事)批判者」として知るようになった。
 かつまた、2025年2月24日に神戸市で「県民集会」を成功させた、「兵庫県政を正常に戻す会」の「相談役」は、菅野完だった。
 むしろ、「正常化する会」設立の唯一の発起人であり、その会の規約(会則)の草案すら用意していたのは、菅野完だった。したがって、彼自身はかなり遠慮した話し方も設立後はしているが、私には、菅野完はかなりの程度、上記の会(菅野によると「市民」運動団体だとされる)の創設者だと思える。
 じつは私は、上記の団体の主張・見解あるいは感覚に、ほとんど賛同している。仔細はむろん省略して、斎藤元彦も、立花孝志も、「異常」だ。だから、菅野完のYouTube発信・投稿も、かなり熱心に視聴してきた(なお、伊東乾のブログでの早くからの斎藤元彦批判・分析も、読んでいる)。
 だから、「兵庫県政を正常に戻す会」の今後に、大いなる関心を持っている。一度だけの、2月24日の「県民集会」開催で終わるのではないことが明言されてもいるからだ。
 上の関心は、純粋な?「市民」運動、「市民」団体が日本の政治状況(政党・既存の「政治」団体の環境)の中でどの程度成立するのだろう、という関心と幾ばくかの危惧につながっている。
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 2025年2月24日の「県民集会」は成功裡に終了したようで、準備会開催からわずか40日でこれができたのは、兵庫県民(および日本国民)の兵庫県政への関心の強さとともに、これを主導した菅野完等々の非凡な能力とこれまでの経験の蓄積によるところが大きいと思われる。
 だが、100パーセント、無条件で支持するというのではなく(「反カルト思考」からすると当然だろう)、全国に同時配信されていたこの「県民集会」の内容、とくに登壇者の選定には、奇妙さと懸念を感じるところもある。
 菅野完という人物にも、強い興味と関心をもっている。なかなかの人だ。
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2834/R.パイプス1990年著—第14章㉖。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第15節/Riezler によるドイツの政策転換の失敗①。
 (01) ドイツ大使館の責任者になっていたRiezler は、同僚の何人かから、混乱していて上の空だと見なされていた(注167)。
 彼は日常的な外交事務にはほとんど時間を使わず、ロシアの対抗グループとの交渉に多くの時間を費やした。その仕事を、ドイツ政府は、7月1日でやめるよう指示した。
 彼は指示に従ったが、ボルシェヴィキは長く続かず、ドイツはボルシェヴィキの潜在的な後継者とのあいだの接触を必要とする、という変わらない信念があった。
 Mirbach 殺害への彼の最初の反応は、ロシア政府との関係を切断することを促すことだった(注168)。
 この助言は、却下された。そして、ボルシェヴィキを助けるのを継続するよう指示された。
 彼は1918年9月に、十分に考察することなく、こう述べることになる。ドイツは、ボルシェヴィキを救うべく、三つの場合に「政治的」手段を用いた、と(注169)。
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 (02) Riezler は、ドイツ政府からの命令を履行しながら、外務当局を、ボルシェヴィキは消耗し果てた軍隊だ、と電信で伝えて責め立てた。
 7月19日の電信では、こう送った。
 「ボルシェヴィキは死んでいる。
 埋葬すべき者に墓掘り人が同意できないがゆえに、ボルシェヴィキの遺体は生きている。
 協商国とともに現在わが国がロシア領土で展開している闘争は、もはやこの遺体のためになってはいない。
 この闘争は、後継に関する闘争へ、将来のロシアの方向に関する闘争へと変わっている。」(注170)
 ボルシェヴィキはロシアを無害にしてドイツに譲り渡した、ということに彼は同意したが、同様に、ボルシェヴィキは、無益なものにしてそうした(注171)。
 彼が推奨したのは、ドイツが「反革命」を担当し、ロシアのブルジョア勢力を援助することだった。
 このためには、ボルシェヴィキを排除する最小限度の努力が必要だ、と彼は考えた。
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 (03) 自分一人で考えて、Riezler は、反ボルシェヴィキのクーのための基礎作業を設計した。
 第一段階は、モスクワに制服を着たドイツ人の大隊を駐屯させることだった。
 この大隊の表向きの任務は、大使館を将来のテロリズム行為から防御すること、新しい反乱が起きたときにボルシェヴィキを助けること、になるだろう。
 本当の目的は、ボルシェヴィキの権力が崩壊する、またはドイツ政府がボルシェヴィキを権力から排除すると決定するときが来る場合に、モスクワの戦略的地点を占拠することだろう(注172)。
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 (04) ドイツ政府は、大隊をモスクワに派遣することに同意したが、それはソヴィエト政府がそれを承認する場合に限られた。
 ドイツ政府はまた、Riezler に、ラトビア人ライフル兵団の意図を探るために彼らとの控えめな会話を開始する権限を与えた。
 ラトビア人と良好な関係を築いていたRiezler は、寝返る用意はあるか、と尋ねた。
 ある、というのが答えだった。
 ラトビア人の司令官のVatsetis は、1918年の夏の彼の考えを次のように叙述している。
 「奇妙に感じられるかもしれないが、当時、つぎのことが語られていた。中央ロシアは内戦の舞台になるだろう。ボルシェヴィキの権力保持はほとんど不可能だろう。飢餓に陥る犠牲者が発生し、国の内部に一般的な不満がある。
 ドイツ軍、Don コサック、チェコ人の白軍がモスクワで行動する可能性を排除することはできなかった。
 この最後の見方は、当時にとくに広がった。
 ボルシェヴィキはその権力のもとに、戦闘可能な軍事力を有しない。 
 最高軍事会議の軍指導者のM. D. Bonch-Bruevich が知的かつ賢明にその編成を作り上げた部隊は、ヨーロッパ・ロシアの西部地域の飢餓のために、食糧を求めて散在し、ソヴィエトの権威にとって危険な強盗団に変わっている。
 このような軍隊は—かりにこの立派な言葉を使うとすれば—、ドイツ兵のヘルメットを見るや否や逃亡した。
 西部国境では、反抗的な赤色部隊を鎮圧するためにドイツ軍が求められるという事例が起きた。…
 このような考察や風聞の全てとの関係で、私は、ドイツの介入がさらにあれば、またコサックと白軍がロシア中央部に出現すれば、ラトビア人兵団にはいったい何が起きるのかという問題にひどく苦悩していた。
 このような可能性は、当時は真剣に考慮されていた。
 ラトビア人ライフル兵団は完全に壊滅するに至るかもしれなかった。…」(注173)
 Riezler は彼が語ったことから、以下を知った。すなわち、ラトビア人はドイツが占領する彼らの故郷に帰還することを不安に感じている、そして、恩赦と本国帰還が保証されれば、ドイツがボルシェヴィキに反対して介入した場合に、彼らは少なくとも中立を維持する(注174)。
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 (05) Riezler は右派センターとの会話も再開した。
 新しい代表者のGrigorii Trubetskoi 公—帝制ロシアの戦時中のSerbia 大使—は、ロシアからレーニンを排除するためのドイツの迅速な援助を要請した。
 彼はそのグループの協力について、いくつかの条件を付けた。
 第一。ドイツは、ロシアがウクライナに軍事力を集結させることを許容すべきだ。そうしてこそ、モスクワはドイツ人によってでなくロシア人によって解放される。
 第二、ブレスト条約の改訂。第三、ボルシェヴィキに替わる政府に圧力を加えないこと。第四、世界戦争でのロシアの中立(注175)。
 Trubetskoi は、そのグループには、武器だけを必要とする、戦闘意欲のある4000人の将校がいる、と主張した。
 時間の問題が、最重要だった。ボルシェヴィキは、定期的な将校の「人狩り」を行なっており、毎日数十人を処刑していた(注176)。
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 (06) Mirbach の後継者のKarl Helfferich がモスクワに着く(7月28日)までに、Riezler は、本格的なクー・デタの計画を立てていた。
 いったんドイツの大隊がモスクワを掌握すれば(市を警護するラトビア人ライフル兵団は恩赦と本国帰還の誓約があるので中立化している)、ボルシェヴィキ政府の崩壊をもたらすには大した時間を要しない。
 これに続くのは、ウクライナのHetman Skoropadski 体制に範をとった、完全にドイツに依存したロシア政府の樹立だ(注177)。
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 (07) Riezler の計画は、無に帰した。
 計画の重要な事前想定であるモスクワへのドイツの大隊の配置は、レーニンに拒否され、ドイツ政府によって中止された。
 Hindenburg の圧力に屈して、ドイツ政府はソヴィエト政府に対して、一通の覚書を送った。それは7月14日夕方に、Riezler からChicherin に手渡された。
 覚書は、制服を着た大隊をモスクワに派遣することを提案するにあたって、ドイツにはソヴィエトの主権を侵害する意図はない、ということを保証した。派遣の唯一の目的は、ドイツの外交人員の安全を確保することだ。
 覚書は、さらにつづく。新たな反ボルシェヴィキ蜂起が生起すれば、ドイツの大隊はロシア政府がそれを鎮圧するのを助ける(注178)。
 Chicherin は、街の外で休んでいるレーニンにドイツの覚書を伝えた。
 レーニンはすぐに、ドイツの策略を見抜いた。
 その夜にモスクワに戻り、Chicherin と協議した。
 これはレーニンが譲歩することのできない問題だった。彼は、ドイツが自分の権力を脅かすことをしないかぎりでこそ、望むものはほとんど何でもドイツに与えただろう。
 レーニンは翌日、中央執行委員会で覚書を発表した(注179)。
 そして、ロシアはその領土内に外国の兵団を認めるよりもそれと戦うことを欲するのだから、ドイツはその提案に固執しないことを望む、と言った。
 彼は、ドイツ大使館の安全を確保するために必要な全ての人員を提供することを約束した。
 そして、広範囲の通商関係という餌を提示した。それは、ドイツの事業界の利益が影響を受けるように彼に代わって誘導するするための手段だった。それを実体化したのは、翌月に締結された補足条約だった。
 ドイツが本当に決意していた場合に、レーニンが抵抗できたかどうかは疑わしい。今では、ドイツの全ての要求に応えていた2月よりも、さらにレーニンは弱かった。
 しかし、レーニンは試されなかった。ドイツの外務当局は、彼の反応を知らされて、すぐにRiezler の提案を却下したからだ。
 ドイツ政府はRiezler に、「ボルシェヴィキを支援することを継続し、それ以外の者たちとはたんなる『接触』を維持する」よう命令した。
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2833/R.パイプス1990年著—第14章㉕。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第14節/Iaroslavl の蜂起。
 (01) Perkhurov には、Iarosval 反乱を綿密に準備する時間がほとんどなかった。にもかかわらず、突然に、ボルシェヴィキの諸機関を奪取した(注159)。
 行動開始は7月6日の午前2時で、将校たちの分遣隊が、市内の重要地点を掌握した。兵器庫、軍事司令部、銀行、郵便局。
 別の分遣隊は、ボルシェヴィキの指導者とソヴィエト官僚の逮捕へと進んだ。彼らの中には、射殺された者もいた、と言われている。
 地方の赤軍学校の教師として雇われていた将校たちは、すみやかに反乱者の味方になり、若干の機関銃と装甲車を提供した。
 Perkhurov は、北部義勇軍のIaroslavl 支部の司令官だと称した。
 この最初の作戦行動には、ほとんど抵抗がなかった。そして、日没までには、市の中心部は反乱軍の手に落ちた。
 まもなく、他の者たちも、反乱軍に降伏した。この者たちの中には、軍隊員、学生、労働者、農民がいた。
 ある共産主義歴史家の見積りでは、Iaroslavl 蜂起への6000人の参加者のうち、1000人程度だけが将校だった(注160)。
 これはボルシェヴィキ体制に対する純粋な民衆蜂起であり、近傍の村落からの農民たちはとくに友好的だった。
 反乱軍は、迂回して母国に戻る途中でちょうどIaroslavl を通っていた、ドイツの戦争捕虜団の協力を得ようとした。だが、断られたので、彼らを市立劇場に収容した。
 7月8日、Perkhurov は彼らに対して、自分の軍は中央諸国と戦争状態にある、と知らせた(注161)。
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 (02) ともに300〜400人が関与していたMurom とRybinsk での蜂起は、数時間で壊滅した。これに対して、Iaroslavl のPerkhurov は、16日間、持ちこたえた。
 郊外に集結した親ボルシェヴィキ軍は、次の夜に反攻を企てたが、市の再掌握をすることに失敗した。
 親ボルシェヴィキ軍は市街に激しい爆撃を行ない、水の供給施設を破壊した。赤軍がVolga 河への道路を支配しており、それが唯一の水源だったので、反乱軍に対しては厄災的な効果があった。
 一週間程度の断続的な戦闘のあと、トロツキーは、Iaroslavl での作戦行動の任務を、A. I. Gekker に委ねた。この人物は、十月のクーの前夜にボルシェヴィキに屈した旧帝制軍の大尉だった。
 Gekker は、歩兵、砲兵および航空機で市街を攻撃した。
 激烈な砲撃によって、市街のほとんどが、名高い中世の教会や修道院を含めて、完全に破壊された。
 反乱軍は、水不足でどぶ溝から掬って飲んでいたのだが、最終的には降伏しなければならなかった。
 7月20日、彼らの代表はドイツ帰還委員会に近づいて、降伏したいと宣言した。ドイツとの戦争状態にあったために、戦争捕虜として扱われるのを望んだわけだ。
 ドイツ帰還委員会は条件を受け入れて、反乱軍を赤軍へと引き渡さないと約束した。
 7月21日、反乱軍は武器を置いた。そして、数時間で、Iaroslavl は、ドイツ戦争捕虜団が占拠するところとなった。
 しかしながら、その夜、ボルシェヴィキからの最後通告に直面したドイツ人は、約束を破り、収監者としてボルシェヴィキに引き渡した。
 赤衛軍は、およそ350人を元将校、裕福な市民、学生に振り分けて、市の外に行進させ、そこで彼らを射殺した(注163)。
 これは、ボルシェヴィキが行なった、最初の大量殺戮だった。
 Iaroslavl 蜂起の一つの帰結は、ロシア政府が旧帝制軍の将校たちの無差別の逮捕を命じたことだった。彼ら将校の多くは、審問なしで射殺された。他の者たちであれば赤軍へ入隊させられていたのであっても。
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 (03) Savinkov は、Rybinsk から何とか逃げた。
 のちに、提督Alexander Kolchak の軍に加わり、ボルシェヴィキの後方からする襲撃を組織した。
 Kolchak が敗北したあと、彼は西ヨーロッパに逃亡した。そして、反ボルシェヴィキ運動を熱心に組織し、ソヴィエト同盟へと工作員を送り込んだ。
 1924年8月、レーニン主義の後のソヴィエト・ロシアで重要な役割を果たすという幻想を抱いていたが、GPU(チェカの後身)によって誘い込まれ、非合法に国境地帯を横断した。
 すみやかに、逮捕された。
 その年ののちの公開の審問で、彼は冒した犯罪の全てを告白し、自分の破壊活動には連合諸国の関与があると強調し、容赦を求めて弁明した。
 死刑判決は、10年間の収監に変更された。
 彼は翌年に、監獄で死んだ。きわめて疑わしい状況のもとで。
 公式には、自殺した、とされた。しかし、GPUによって殺害された蓋然性が高い。—若干の報告によると、窓から突き落とされた(注164)。
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 (04) Perkhurov も、Kolchak 軍に加入した。そこで、将軍の地位にまで昇り、Perkhurov-Iaroslavskii という通称を得た。
 ボルシェヴィキに捕えられたとき、彼は何とか人物を偽装し、赤軍の中で仕事を得た。
 本当の素性は、1922年に暴露された。
 最高審問所の軍事部で審理され、死刑の判決を受けた。
 彼は監獄で告白書を書かされ、それはのちに公刊された(注165)。
 GPUは、地下牢で彼を殺すことをしないで、Iaroslavl へと送った。
 Iaroslavl は蜂起の四周年記念日で、Perkhurov は、群衆に罵倒されながら、岩を投げつけられながら、街路を行進した。そのあとで、処刑された。
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 第14節、終わり。

2832/増山誠・兵庫県議会議員(維新)2025/02/23記者会見(一部)②。

 増山誠・兵庫県議会議員(維新)2025/02/23記者会見(一部)②。
 出所—当日のYouTube ライブ配信(2025/02/23)。
 太字化、最終文責は掲載者(秋月)
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 記者「当時、知事選の前に、その斎藤さんのパワハラで、元県民局長が亡くなったという、これはデマだと思いますけれども、それを打ち消したいが為に、公用パソコンの中にあった情報を今回事実として提供された、ということなんですけど、なぜこの事実を提供すると、前段の。そのデマの部分が否定されるのか、というのが繋がらないんですが、どうリンクするのか、教えてもらってもよいでしょうか」。
 増山「それは私なりの感覚、というか思いでありまして、やはり、…パワハラではないというところが、まったく事実と違うということで、一つの要因として、…何でしょうね、そういった、…まあ公用PCの内容についてクーデターですとかそういったいたものがあったということで、何か否定される可能性があるのではないかというふうに感じたまでですので、これがあれが絶対に否定できるという確たるものがあって言うことではなく、まあ広く情報を提示していくことによって、クーデターですとか、そういったことの〔を〕県民の皆さんが広く知ることができることがいい事だと思っていた、ということですね」。
 記者「今の説明だとやっぱり繋がらないんですけど。斉藤さんのパワハラで元県民局長が亡くなったというデマを打ち消すために、より強いファクトをぶつけることでそちらに意識が行くようにしたかった、ということなのか、それとも先ほどから出ている女性関係の話が、これ立花さんの言い分ですけど、表に出ることを恐れて元県民局長が亡くなった可能性があるからそちらを知らしめたかったのか、増山さんはどちらの意図、もしくはまた別の意図があるんでしょうか? ちょっと繋がらないので教えてください」。
 増山「何かこの情報を出したからこの情報をピンポイント出打ち消せるということではなく、例としてパワハラの話は出しましたけれども、例えば県民局長というか元パレード担当課長についての情報も、私、お伝えはしています。あれは元局長が完全に否定されておりますので、その情報をもってパレード担当課長の方がお亡くなりになられたという情報は否定できるのではないかなというふうに、思っております」。
 記者「そこは分かります。だけど、斎藤さんのパワハラで元県民局長が亡くなったっていうことを、そういう情報が間違っているからそれを打ち消したいからっておっしゃったのは増山さんなので、じゃあそのために、なぜこの情報を出したのかっていう理由を教えてほしいんですけれども」。
 増山「はい、そこについては、ピンポイントでこれ出したからこれが否定されるというようなところまでの思いはありませんけれども、全体像を把握することによってその認識が変わってくる可能性もあるな、というところで、お話をさせていただいた、というところですね」。
 記者「文書の冒頭に女性関係の話が出てきますけれども、要するに、こういうふうな事実というかですね、スキャンダルと言いますか、そういう話が出ることで、これが事実かどうか分かりませんけれども、それが出ることで言われているデマを打ち消すっていう、そういうことでもないんですか? ちょっと説明が、すいません、分からなくて。もう一度お願いします」。
 増山「スキャンダラスなことで打ち消す、という意図はないですね」。
 記者「ではなくて、より強い事実っていうものをぶつけて、そちらの方も知ってほしい、そっちに意識が行く、じゃないですけど、そっちも知ってほしいと。ただそこは、自分なりのファクトだと思っている所だけどって、そういうことですかね? イメージとして」。
 増山「そうですね、はい。私の認識としてそういう部分はあったので、はい」。
 記者「あと増山さん、もう一つ。リハックの中でですね、10月25日の百条委員会のやり取りはですね、いずれ公表されるものであったものだから、それを事前に出すと、いうふうなつもりだった、ということでした。先ほど岸口さんがご説明いただいてましたけども、元県民局長が亡くなられた翌日のですね7月8日の朝の百条委員会の理事会で、このプライバシーに関する資料、これについては、出すか出さないかの議論になったと思います。最後までこれを公表しましょうと言っていたのは増山さんだけでした。しかしながら、多数決でこれ出さないということが正式に決まりました。これに、先ほどをもってですね、7月2日の段階では、県民局長からですね、プライバシー情報については扱わないで下さいと言って、代理人を通じて書類が出てますよね。ということは、先ほど増山さんもおっしゃってましたけれども、そういうプライバシーの部分については、おそらくカットされるか、議事録から削除されるんじゃないかってもうおっしゃってましたから、削除されるっていうことは十分に想定されたわけなのに、なぜその部分も含めて、音声データを立花さんに提供されたんでしょうか? 教えてください」。
 増山「はい。カットされるというのも、百条委員会も中でカットされるということでしたが、まああのう、今、なんて言うんでしょうね…。マスコミの皆さんの報道の中で出ている情報と違う重要な情報である、という認識がありましたので、そういう意味で、公共の利になる、という認識から出した、ということですね」。
 記者「女性関係の話と、文書の中身を、正しいかどうか調査するという百条委の目的とは別個のものだと思いますけれども、増山さんのその主張で行かれると、この文書を書かれた人がどういう人かっていうのもバックグラウンドで知っとかないと、百条委としては議論できないよ、だから公益性があるよって、そういうことをおっしゃってるんでしょうか? 教えてください」。
 増山「そういうことではないですね、百条委員会においては」。
 記者「じゃあなぜ、この女性関係の話が公益性があるっていう、このいわゆる文書問題に関わってですね、いわゆる懲戒処分してに関わって、これが必要だ、公益通報だっていう理屈は、少なくとも僕の中で、そうかなというふうな認識ははありますけれども、今話しているのは文書問題に関して、まさにそれを話し合う百条委員会の場で出た話です。これをなぜ、公益性があるものというふうに言ってらっしゃるのか、というのが、すいません、ちょっと分からないので、教えていただきたいです」。
 増山「はい。7月8日のお話をされていると思うんですが、あの当時私の方で、何がプライベート情報に入っているのか、というのは、全く分からない状態でした。やはりその中には、クーデターに関する文書がたくさん含まれていた、ということですから、今だもってその情報について開示を要求したことについては間違っていない、というふうに考えております」。
 記者「私が話しているのはクーデターの部分ではなくて、女性関係の部分…。クーデターの部分は先ほど岸口さんが説明されたように、不正な目的というのを調べるためには必要じゃないかと。そこの部分はご主張としては分かりました。女性関係の部分については、いかがでしょうか?」
 増山「ですから、プライベートの中に女性関係のものがあるのかクーデターのものがあるのか、というのが、いっさい伏せられた状態で議論が行なわれておりましたので、プライベートということで一括りになっていたんですね。ですから、そこは開示する必要があるのではないか、という主張をさせていただいた、ということです」。
 記者「で、10月25日に、そこで片山さんがそこについて触れられたわけですけれども、プライベート情報については出さないということを皆さん申し合わせていたんだから、当然そこについては削除される可能性があることは、増山さんだってその理事会には参加していたんだから、分かっていたはずなのに、なぜ出されたんですか、という質問なんですけど。教えてもらってもいいでしょうか」。
 増山「そうですね。百条委員会の中では削除される可能性はあると思いましたけれども、先ほども申し上げましたが、より広く事実を知ってもらう意味で、そこの部分までは必要な情報であると思ったので提供をした、ということですね」。
 記者「いわゆる、今回の内部文書、公益通報に関しては関係ないけれども、いわゆる懲戒処分であったりとか、倫理上、いわゆるさっきから出てた信用失墜行為であるとか、そういう部分で知ってもらう必要があるから出そうと思ったって、そういうことですか?」
 増山「そうですね。より広く情報を知ってもらう、という意味において、ここまでは必要だろうという私の判断がありましたので、提示をした、ということですね。

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 記者「だから、どっちですか? 文書問題で必要だからなのか…」。
 増山「いや、文書問題じゃないです」。
 記者「信用失墜行為で出さないといけない、というふうなことで、広く知ってもらいたいということで…。すみません、噛み合っていないですかね」。
 増山「信用失墜行為…」。
 記者「なぜこの行為を知ってもらわなければならないのか、という所が、文書問題の誰が書いたか、どういう意図で書いたかは別として、誰が書いたか、その人の属性がどういうものかということと、文書の中身が事実かどうかというのは切り分けて考えるべきだ、という話ではないのでしょうか。それも含めて知ってもらうというのが、増山さんのお立場ということなんですかね」。
 増山「なんかごめんなさい。質問がちょっと分からなかったんですが…。百条委としては削除される可能性はあるけれども、全体の…なんて言うんでしょうね、概要を把握するうえで、今ちまたに言われていることの補完として必要な情報であると。片山副知事もそういう意図をもって、どういう意図をもって発言されたかは分かりませんが、必要な情報だと思って言われたんだと思うので、私としても必要な情報かなと判断した、ということですね。」
 記者「増山さん、分かっていると思うんですけど、噛み合ってなくて。
女性関係の部分がどういう公益性があるか、というのを、ちょっともう一度教えてもらっていいですか。それを世に広く知らしめることで、どういう公益性があるか、というのを、端的に教えてもらっていいでしょうか」。
 増山「そうですね。県民局長の方が、処分内容にある所にもあるので、それの事実としてありますよね、ということですね」。
 記者「懲戒処分の内容として知ってほしかった、ということですね、そうすると」。
 増山「…そうなりますね。そうなると思います」。
 記者「公益通報とは無関係だということは分かっていた、ということですね? 公益通報、文書問題とは無関係だという認識だ、ということですか?」
 増山「そう先ほどから申し上げているつもりだったんですが」。
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2831/増山誠・兵庫県議会議員(維新)2025/02/23記者会見(一部)①。

 増山誠・兵庫県議会議員(維新)2025/02/23記者会見(一部)。
  出所・当日のYouTubeライブ配信(2025/02/23)。
 太字化・下線、最終の文責は掲載者(=秋月)。
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 記者「増山さんが備忘録として作っていた文書についてですが、公用パソコンの中身について、増山さんは実際にご覧になっているんですか? それとも、どなたかからお聞きした内容をまとめている、という内容だったんですか?」
 増山「見てないです」。
 記者「すべて聞いた情報ということですか?」
 増山「はい、そうです」。
 記者「元県民局長の私的な情報などをを含む、その音声などを、立花氏に提供したことについてですが、根底として、その告発文書を作成した方はこういう方だ、っていうのを広めることで、例えば、告発文書の信頼、信用度を下げるというか、そういった意図はなかったですか?
 増山「そういう意図はないですね」。
 記者「あくまで県民の方により広く知ってほしい、ということでしょうか?」
 増山「そうですね、はい」。
 記者「間違った情報が、例えば流れていたとして、それを打ち消すために、ということがあったとして、それは間違った情報を流している所に伝えるとか、そういうことは考えられていなかったですか?」
 増山「マスコミを全て調べて、そこに送付するというのもかなり非現実的ですし、そういう意味で私はマスコミよりもSNS等の媒体で広める必要があるのかな、と思った次第です。」
 記者「音声提供されたのは、立花氏にだけでしょうか?」
 増山「そうですね、はい」。
 記者「なぜ、知事選の期間中にお渡しになったんですか?」
 増山「それまでの誹謗中傷が、タイミング的に、その時がタイミングだったので…」
 記者「提供することで、例えば民意がどういうふうになってほしいとか、そういう思いは、その時にあったんですか?」
 増山「どういうふうになってほしいというより、広く知ったうえで、行動してほしい、という思いですね。よりたくさんの情報に触れた方が、正しい決断につながる、と思っておりますので」。
 記者「結果的に、民意の部分については、増山さんが思っているようになったというか、その民意については、最終的に、ご自身としては納得されていらっしゃる、ということでしょうか?」
 増山「結果については、県民の皆さんが下した結論ですので、尊重したいと思います」。
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 記者「立花さんが発信されていることがデマだとは認識していない、という冒頭の発言があったと思うのですが、立花さん、候補として二枚めのポスター、自殺の真相というポスターがありましたけれども、そこで不同意性交等罪が発覚することを恐れての自殺だと思われる、というふうに書かれていますけれども、この内容についての真偽については、増山さんとしては今、どう思っていらっしゃいますか?」
 増山「ちょっと私、二枚めのポスターというものを詳しく見ていないんで、分かんないんですけど…」。
 記者「このポスターでは自殺の真相というタイトルが付いていて、不同意性交等罪が発覚することを恐れての自殺だと思われる、と書いてあるんです」。
 増山「なるほど、はい。どこかのソースにもとづいてそれを書いてあるのであれば、私がそれをデマだと認定することはできないと思いますけれども」。
 記者「正しい認識だと?」
 増山「正しいか正しくないかはちょっとわからないんですが、デマと認定することは、立花氏がどういう情報をもとにそのことを書いているのか知りませんので、認定できない、という意味で申し上げております」。
 記者「続けてすみませんけれどもお話を伺うと、立花さんが不同意性交について発信を始めたきっかけは、やはり増山さんとの会話にあるようにも理解したんですけれども、そういうことでよろしいでしょうか?」
 増山「私にはその認識はないですけれども」。
 記者「そういう情報提供をした認識はないこと…」。
 増山「認識はないですね」。
 記者「はい、なるほど。ただ、今も増山さんは不同意性交の可能性はあると、思ってらっしゃると…」。
 増山「そうですね。あると思う。可能性はあると思う。それを完全否定するような情報を私、持ち合わせておりませんので、例えば、全部パソコンの中を見て、同意だったというような証拠を見ていませんので、なかなか、その蓋然性というんですかね、60歳間近の人事課長、局長、教育次長を務められていた方が、短期間のうちに、複数の女性と倫理的に不適切な関係を結んでいるということの情報を得るにあたって、それが同意だったのか否かというものを、一般常識から照らし合わせると、なかなか難しいのではないか、ということから、可能性は否定できない、というふうに感じておりますが、はい」。
 記者「それが。可能性が否定できないとおっしゃってる根拠なんでしょうか。その他に具体的な情報源があって、真実と信じるに足る相当の理由が増山さんの中にあるんでしょうか?」
 増山「不同意性交だという断定はしておりませんので。その可能性を示唆するような、真実相当性のある情報を聞いておりますので。ただ、その可能性が十分にあるのか、少しあるのか、ということに関しては、それぞれの判断なので、私としても…」。
 記者「その情報を聞いてらっしゃるというのは、十年間で複数というところから類推して、ということではまさかないですよね。それとは別に情報源がある、ということですね?」
 増山「はい、そうです」。
 記者「不同意性交とおっしゃるからには、これはかなり名誉を傷つける発信だと思うんですけれども、それなりに信頼のできる、それなりにどころかかなり信頼のできるものだ、というように理解してよろしいでしょうか?」
 増山「私、不同意性交だということは言っておりませんので。可能性を否定することはできない、ということを言っておりますので」。
 記者「不同意性交である可能性がある、ということをおっしゃっているわけですね?」
 増山「可能性は否定できないですね」。
 記者「そういうふうな発信をされるからには、相当の根拠がないと、法的な責任が出てくると思いますけど」。
 増山「私から不同意性交だという発信をしたことはないんですが。今お訊きされているので、私の認識を述べたまでであって、私が、不同意性交だと断定しているわけでもなければ、可能性が高いと言っているわけでもないです」。
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2830/R.パイプス1990年著—第14章㉔。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第13節/Savinkov の秘密組織②。
 (09) Savinkov には、一つの計画が、いやむしろ複数のいくつかの計画があった。だが、そうした計画に彼はほとんど重要性を認めなかった。政治的議論をすれば、目の前の活動を考えている支持者を分裂させたり、彼らの気を逸らせることになったからだ。
 彼が強調したのは、愛国主義だった。
 同盟の一つの綱領は、当面する目標と長期の目標に分かれていた(脚注)
 当面する目標は、ボルシェヴィキを信頼できる国民的権力でもって置き換え、中央諸国と戦う、紀律ある軍隊を創ることだった。
 長期的目標は曖昧だった。
 Savinkov は、ロシアを民主主義政体にするために、憲法会議の新しい選挙をおそらくは戦争後に実施することを想定した。
 1923年にWarsaw で出版された回想録で、彼は、自分の組織には君主主義者から社会主義革命党員までの全ての党派の者を加入させた、と強調した(注148)。
 Savinkov は全員にとっての全てであり得たのであり、将来に関する独自で正式の計画を彼に期待するのは無益だっただろう。
 コルニロフがそうだったように、堅固な国民的権威の必要性と戦争の継続を主張した、という点だけは確かだった。
 Savinkov の同盟に加入するためには、ただ一つ、ドイツとボルシェヴィキの双方との闘争に参加しなければならなかった。
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 (脚注) Krasnaia Kaiga VChK, I (Moscow, 1920), p.1-p.42.
1924年のSavinkov の審問の際に(Boris Savinkov pered Voennoi Kollegiei Verkhovnogo Suda SSSR, Moscow,1924,p.46-47.)、彼は、正式の綱領があったことを否定した。
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 (10)  Savinkov は、チェカから隠した自分のテロリスト経験を生かして、その組織の構造のモデルを軍隊に求めた。
 彼の司令部のもとに、モスクワと地方諸都市に、職業的将校が配置される、骨格となる数十の「連隊」があった。
 これらの分団は相互に分離していて、直接の上部機関だけに知られていた。逮捕されたり裏切りがあったときに、チェカが組織全体を捕捉することができないようにするためだった(注149)。
 同盟員の一人に振られた女性が警察に訴え出た5月半ばに、このような編成でよかったことが証明された。
 チェカは、彼女に導かれて、医院を偽装していた、モスクワの同盟司令部を発見した。
 チェカは100人以上の同盟員を逮捕した(彼らは7月に処刑された)。しかし、この発見があっても、同盟は活動を二週間休止しただけで、チェカは、Savinkov を逮捕できなかったし、同盟を廃絶させることもできなかった(注150)。
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 (11) Perkhurov は自分のもとに、精巧な指揮命令の構造体のある、150〜200人の将校をもった。
 募集、諜報、対抗諜報、連合諸国との関係、軍隊の主要な分野(歩兵、騎兵、砲兵、兵術)のそれぞれ責任をもつ部門があった(注151)。
 チェカはのちに、「時計のような正確さ」で組織を動かしていたことについて、Savinkov とPerkhurov を褒めた(注152)。
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 (12) Savinkov は組織を築き上げたが、具体的な戦略構想がなかった。
 6月までに、行動すべきとの心理的圧力が増してきた。
 チェコ人とフランス人が援助金支給を止めたために、資金が枯渇していっており、彼の支持者たちの神経も、常にある裏切りの可能性を感じて擦り減っていた。
 宣誓証言によると、Savinkov は最初はモスクワでストライキをすることを考えていたが、ドイツ軍のそれに対する反応は首都モスクワの占領だろうと怖れて、この考えを放棄した(注153)。
 彼は、絶えざる噂を聞き、また、連合諸国は7月初めにArchangel とMurmansk への上陸を追加するとフランス代表部からの確認を受けて、蜂起の場所を中部または上部Volga の地域にすると決した。その地域から、チェコスロヴァキア軍とMurmansk にいる連合国軍の双方と連絡することができた。
 彼の計画が意図したのは、ボルシェヴィキを北部の港およびKazan や極東に接する地域から遮断することだった。
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 (13) ソヴィエトの法廷での審理に立った1924年、Savinkov は、こう主張した。何とか4日間持ちこたえることができれば、Archangel の連合国軍によって救出される、その後にフランス・イギリス・ロシア連合軍はモスクワへと前進する、とフランス人から固い約束を貰っていた、と。
 彼は、その約束がなければ、自分の蜂起は無意味だ、と言った(注154)。
 さらに、こう主張した。領事のGrenard は、連合国の上陸は7月3日と8日に行なわれる、またその期日のあいだに行動するのが絶対必要だ、というNoulens からの電信を、彼に見せた、と(注155)。
 この審理で彼が行なった証言によると、彼の活動の全てはフランス代表団と調整されていた。
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 (14) 残念ながら、Savinkov の言明は、額面通りに受け取ることはできない。彼は経験ある陰謀家として真実を全て語ることはない、という理由によるだけではなく、彼には完璧なウソを語る能力がある、という理由にもよる。
 そういうわけで、ある時に彼は、Fannie Kaplan によるレーニン殺害の企て(後述)について自分の功績の承認を要求した。だが、彼はそれと何の関係もなかった、ということが知られている。
 彼はまた、1918年7月にモスクワ国民センターの指示によって行動した、と述べたが、これも本当ではなかった(注156)。
 ボルシェヴィキは、母国の外国人恐怖を煽るために、自分たちに対する抵抗を全てを外国の陰謀と結びつけた。
 1924年にソヴィエト・ロシアでSavinkov が逮捕された後、彼は訴追官と取引をして1918年のフランス代表部でのクー未遂の責任を転嫁しようとした、ということはほとんど確実だ。なぜなら、研究者が利用できる連合諸國のこの期間の文書記録からは、この主張を支持できるに至る証拠は出てこないからだ。
 かりにフランス代表部が実際に反ボルシェヴィキ反乱を展開することを正当化していたのみならず、彼が主張するように、彼がモスクワを掌握するのを助けるという約束がさらに行なわれていたとすれば、そのような企ては確実に文書上の証拠を残しただろう。
 そのような証拠は存在しないので、Savinkov は、おそらくは自分の生命を救いたくてウソをついた、と結論しなければならない。
 指摘してきたように、Savinkov の、フランス人のGrenard との主要な連絡関係は、彼は「自分一人で」行動したことを証明した(脚注)。
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 (脚注) Michael Carley の最近の研究、Revolution and Intervention: The French Government and the Russian Civil War, 1917-1919 (Kingston-Montreal, 1983), p.57-60, p.67-70 は、むしろ、より直接的な責任をフランスに負わせる。しかし、Savinkov がその蜂起に関与した場合の一般的な援助の意味を混乱させるだろう。
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 (15) Savinkov はIaroslavl を、彼の蜂起の主要な場所に選んだ。これには、二つの理由があった。
 一つは、この都市の戦略的な位置で、鉄道によってArchangel をモスクワとつないでいた。このことは、攻撃的、防御的のいずれの作戦も容易にした。
 もう一つは、Savinkov が偵察のために派遣したPerkhurov は、Iaroslavl から、一般民衆の支持があるという勇気づける報告をもたらしていた(注157)。
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 (16) 最終的な作戦計画は、チェコ軍団の蜂起が最高に達していた6月末に作成された。
 Iaroslavl を指揮したPerkhurov には、組織するのに辛うじて10日間があった。
 Savinkov は、近傍のRybinsk での第二の蜂起を個人的に指揮した。
 第三の行動は、モスクワ・Kazan 鉄道路線上にあるMurom で行なうことが予定された。
 Savinkov は、Perkhurovによると、将校たちに、Archangel から連合諸国が援助するという固い約束がある、4日間を持ちこたえることができれば救出されるだろう、と語った、とされる(注158)。
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 (17) Savinkov は、Iaroslavl での蜂起を7月5-6日の夜に行なうと予定した。これは、左翼エスエルが彼らの反乱を実施する時刻に、数時間だけ先行していた。
 このような合致にもかかわらず、二つの反乱は調整されていた、ということを示すものは何もない。
 左翼エスエルとSavinkov は、全く異なる目的を追求した。左翼エスエルは、ボルシェヴィキが権力を保つことを意図していた。一方、Savinkov は、ボルシェヴィキの打倒を狙っていた。
 さらに、左翼エスエルが「反革命」将軍たちの代表と何らかの交渉をしただろう、というのは想定し難い。
 Savinkov は、もしも左翼エスエルの計画を知っていれば、きっと彼の最初の意向に従って、Iaroslavl ではなく、モスクワでクーを行なっただろう。
 レーニンがMirbach に語った、このような調整の欠如は、反ボルシェヴィキの対抗運動に典型的にあったことで、その運動が最終的には失敗した大きな原因だった。
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 (18) 敵を混乱させ、勢力の分散を強いるために、Savinkov とPerkhurov は、自分たちの複数の反乱がずらされた時間帯に起きるよう計画した。すなわち、Rybinsk での作戦行動は7月7-8日の夜に始め、Murom でのそれは翌日の夜に始める。
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 第13節、終わり。

2829/斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月22日記者会見(一部)。

 斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月22日記者会見(一部)。
 出所/兵庫県庁ホームページ「知事記者会見(2024年5月22日(水曜日))」。
 太字化、丸数字は掲載者(秋月)。「元西播磨県民局長」=告発文書(2024/03/12)の作成・発信者。
 藤原弁護士=藤原正広氏(兵庫県弁護士会)。
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 ①
 記者:文書問題に関して、先日、丸尾議員から出されたアンケートの中に、「はばタンPay+」について書かれた告発がありました。
 その中で、第1弾で知事の顔写真が掲載されていなかったことに知事が激怒し、第2弾と第3弾の「はばタンPay+」のチラシデータには、知事の顔写真が載ったという、要約するとそのような事実が書かれていました。
 実際にそのような指示をされたのか、もしくは激怒された事実があったのか、改めてお伺いします。 
 知事:丸尾議員のアンケートの件は、私自身は詳細を見ていないので、現時点では個別の回答は控えておいたほうが良いかと思っています。
「はばタンPay+」のポスターやチラシの作成は、産業労働部がしっかり議論をして、効果的に事業効果を発信するために、どうすれば良いかということを考えて、その中で、おそらく知事の写真を使うという提案をされたと認識しているので、それが現時点の事実です。 
 記者:その説明であれば、知事の指示ではなく、産業労働部からの提案として上がってきたものを知事が採用したという説明でよろしいですか。
 知事:基本的には、産業労働部が部長を中心にして、効果的な事業発信をするにはどうすれば良いかということをしっかり議論して、その中で私とコミュニケーションしながら決めていったと認識しています。
 記者:そのアンケートに関連して、今年3月に尼崎の森で行われたユニバーサルマラソンの会場に設置されていた授乳室が、知事の意向で知事専用の控え室になって、実際に一般の利用者が使えなかった事実があることも書かれていました。
 職員の方に聞き取りをして、実際にそこの授乳室が知事の控え室になっていた事実があった上で、一般の方が利用できなかった事実も認められました。
 知事の意向とは言われなかったのですが、知事の受け止めをお願いします。
 知事:この件もアンケートの中で出てきたということですね。
 詳細については、個別にお答えすることは控えたいと思っていますが、事実としては、3月30日に尼崎の森中央緑地でユニバーサルマラソンがありました。これは世界パラ陸上のプレイベントとして開催しました。
 私は当日、公務がいろいろあったので、確かスーツで行き、そこで着替える必要があったので、担当部局が着替えるスペースを用意してくれたのだと思います。
 施設のスペースを一時使用したことは事実です。
 ただ、着替える部屋が用意されることは伺っていましたが、その部屋が授乳室であることは、私は正直認識していなくて、到着もかなりぎりぎりになって、バタバタと着替えて、外に行ったので、今回の取材等の指摘の中でそこが授乳室だったことを初めて認識したのが正直なところです。
 ただ、私が着替えた授乳室の代替場所も用意していたと担当からも伺っていますが、結果的に県民の皆さんに、ご迷惑、ご不便をかけたことはお詫び申し上げたいと思っています。
 今後は、担当部局ともしっかり連携して、県民の皆さんが普段利用されているような設備や施設は使わないようにすることを徹底していきたいですし、そのように指示をしているので、今回は本当に申し訳なかったと思っています。
 ②
 記者:最初に出た告発文の関連で、第三者機関での再調査を明言されたかと思いますが、それについての詳細など、現時点で決まっていることはありますか。
 知事:昨日、第三者機関の設置をする方向は示しました
 これについては、人選をどうするか、調査方法などについては、議会の意見も踏まえながら、検討していくことになるので、現時点でどのようにするかは、決まっていないと認識しています。
 これからだと思います。
 記者:第三者機関の設置はこれからだと思いますが、調査が進んで、知事がこれまで否定されてきていた事実がある意味、一転して認定されるようなことになれば、政治的責任を取るお考えはありますか。 
 知事:これから第三者委員会を開催して、外部の有識者の観点から調査していくことになりますので、まずはそこでしっかり調査をしていただくことが大事かなと考えています。
 記者:政治的責任についてはどのようにお考えですか。
 知事:そこは調査をしっかりやっていただくことが大事だと思っているので、現時点では、仮定の話はなかなか答えられないと思っています。
 大事なのは、昨日も申し上げましたが、県民の皆さんに、客観的な調査をしていくことが、県政の信頼性をより高めていくことにつながると思っています。
 そのために、今回、第三者委員会を設置して、しっかり調査をして、事実関係を改めて確認していくことが、大事なポイントと私自身は思っています。
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 ③
 記者:文書問題に関してお伺いします。
 昨日、ひょうご県民連合から県の内部調査は、客観性や中立性が損なわれているということで、前県民局長への処分撤回と弁護士費用の支払いを公費以外から支払うよう求めると提出されたと思いますが、受け止めをお願いします。 
 知事:今回、実施した懲戒処分の調査は、昨日も申し上げましたが、人事当局が主軸となって実施して、そこに弁護士の助言なども受けて行いました。
 弁護士は県の調査の助言やサポートをする形で関わっていただきましたが、調査内容自体は適正なものだと考えています。
 記者:弁護士に関してですが、内部調査に協力した藤原弁護士は、疑惑の調査対象の団体の顧問弁護士であったことも明らかになっています。
 その中で、改めて知事自身は、弁護士が利害関係者に当たるか当たらないかという認識はどのように考えていますか。 
 知事:今回の件に関しては、人事当局が行った調査ですが、藤原弁護士の助言をいただきながら、適切に調査をしてきたという意味では問題ないと考えています。
 いずれしても、これから第三者機関を立ち上げて、実際どのようにするかはこれから決まっていくと思いますが、改めて、文書についての調査をしていくことになるのではないかと思っています。 
 記者:その弁護士が利害関係者かどうかは、すごく内部調査の疑義に関わるところだと思います。
 弁護士が利害関係者かどうかについて、知事としては県の調査に100%影響がないと考えていますか。 
 知事:繰り返しになりますが、懲戒処分の調査ですので、あくまで主軸は人事当局が行っています。
 懲戒処分の調査主権者は人事当局なので、そこは調査していく中で、弁護士のサポートをいただきながら、いろいろ調査してきたということです。
 調査内容や処分に関しても、適正であったと考えています。
 記者:弁護士に関して、今後、もし第三者委員会や第三者機関が設置された場合に、県民から疑惑が持たれていることもあるので、藤原弁護士を第三者委員会のメンバーに入るかどうか、どのように考えていますか。 
 知事:実際にどの方がメンバーに入っていただくかは、これから準備をしていく中で決まっていくと思います。現時点では何とも言えません。
 客観性、中立性を担保できるような人選になっていくのだと考えています。
 記者:入れるかもしれないということですか。 
 知事:わかりませんが、基本的には、今まで人事当局の調査はそこでやってきました。
 今回、知事部局から独立して第三者機関を設置することが、昨日の議会からの申し入れもあったので、私自身はそれが良いと判断しました。
 そのような意味では、この流れの中で適切な弁護士など、どのようなメンバーにするかは、今の指摘もおそらく踏まえながら、適切にどのようなメンバーにするかは、皆さんが客観的に見て、このような人であれば、合理性、客観性があるという方に決まっていくと思っています。
 記者:文書問題に関して、改めて第三者機関を設置することになった経緯を改めて説明していただけますか。
  知事:今回の件に関しては、人事当局が調査をして懲戒処分を行いました。
 この調査は、私自身としては問題なく適正であったと考えています。処分内容についても適当なものだと考えています。これは今でもそうです。
 一方で、先日、議長や県議会からも要請がありましたが、県民の皆さんにより十分に説明責任を果たしていくこと、県政をさらに前に進めていくために、より信頼を高めていくことが大事だと思います。
 これまでも、様々な指摘を受ける中で、外部の方に入っていただいて調査することも必要ではないかと考え、熟慮、検討を重ねてきました。
 昨日、改めて議会から第三者機関の設置の要請を受けました。
 基本的に私が判断しましたが、二元代表制の一翼である議会からも要請を受けたことを重く受け止めて、今回の文書問題を調査する第三者委員会を設置することが必要だと判断したのが経緯です。
知事:スケジュールや委員の人選、どのような調査をするのかなどは、どこが準備していくかも含めて、これからだと思います。
 知事部局から独立したところが、議会の意見も踏まえながら、準備をしていきます。
 昨日、議長からは監査委員という一つの提案もいただきましたが、その点も含めて、これから準備作業をするための準備をどうするかが決まっていくのではないかと思っています。 
記者:第三者機関は、なるべく早めに早急に設置するべきだという指摘もある中で、いつまでに設置するなど、考えはありますか。 
 知事:昨日、設置をする方針を示したので、できるだけ速やかに設置することが望ましいとは思います。
 具体的にどのタイミングで設置するか、メンバー、スケジュールは、これから決まっていくことになるのではないかと思っています。
 記者:第三者機関の設置は、昨日の話では、事前に準備会などを開いてという話が内藤議長からもありましたが、今後、どのような対応を取っていくのか、お聞かせください。
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 ④
 記者:先ほど丸尾議員のアンケート調査についてのお話がありました。
こちらの内容については、知事は確認されていないということですか。
 知事:詳細については、私は拝見していない状況です。 
 記者:ただ、丸尾議員が調査を行って職員からのアンケートでこのような指摘が、21件出てきたということで、知事の言動や幹部職員の言動についての疑惑がアンケートで集まったことについての受け止めは何かありますか。
 知事:丸尾議員のアンケートについては、詳細はまだ承知していませんが、そのような意味でもコメント自体は差し控えたいなと思っています。
 いずれにしても、今回の文書問題に関して、これから第三者機関を設置していくので、そこでこの文書問題に関する調査が改めて行われることになるのではないかなと思っています。 
記者:知事の発言の中で、先ほど議会からの意見も踏まえてという話もありました。
 丸尾議員も1県議としての申し入れを、2回ほどしていて、内容を詳細まで見ないのは何か理由があるのでしょうか。
 知事:今の状況として、詳細は見ていないというところです。
 いずれにしても議会からは、より客観的に調査するために、第三者委員会を設置するべきだという要請をいただいたので、それに沿って、これから準備と対応をしていく形になります。
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  ⑤
 記者:今回の文書問題について伺います。
 メンバーや設置時期、監査委員会などの声もある中で、これから検討を進めていくという発言があったと思います。
 現時点で、藤原弁護士の件も出ており、いろいろ疑義が持たれてしまったこともありますが、知事としては、第三者機関の委員やメンバーは、どのような方が一番望ましいと現状で考えていますか。
 知事:具体的にこのような方が良いとかは、言及することは差し控えた方が良いと思います。中立性の確保が大事だと考えています。
 事務局をどのようにするか、昨日は監査委員という話もありましたが、それ以外にも委員の選定などをきちっと一つ一つ手続きを踏まえながら、委員のメンバー選定も含めて決めていくことが大事だと考えています。
 一歩一歩やっていくことが、県民の皆さんへのより十分な説明をしていくことにつながっていくと考えています。
記者:できるだけ速やかに設置時期などを議論していくという話がありました。
 知事として、これだけいろいろと世間を賑わせている話題でもあり、早く真相を知りたい方もいると思います。
 知事としては、いつまでにこの問題の結論を出したいなど、何か考えていることはありますか。
 知事:第三者委員会がどのような調査期間でやるかにもなると思います。
 これから第三者委員会が設置されて、どのように調査していくかという中で決まっていくことなので、現時点で私がこれだけのタイミングの中でなどを言及するということは、差し控えたいと思っています。
 一方で県の業務を、しっかり前に進めていくことも大事だと思いますので、毎日の県政の政策立案や行事やイベントについては、きちんと全力で対応していきたいと考えています。
 記者: 昨日の要請書の件に関して、内藤議長から準備会の立ち上げを内藤議長の任期中(6月)にして欲しいというような要望もありました。
 知事として、準備会を立ち上げるつもりがあるかお伺いします。
 知事:今回の第三者委員会が、より客観的に調査をしていく意味でも、どのような委員構成や内容にしていくかが大事だと思います。
 そのような意味でも、何らかのこの準備をするための枠組みが重要だということが議長のご指摘だったと思います。
 その辺りどうするか含めて、これからの検討になるかと思っています。 
 記者:スケジュール的には、議長からは6月までにはというようなお話がありました。準備の枠組みとして、時期など考えていますか。
 知事:できるだけ速やかに設置していくとことが大事だと思っています。
 それに向けて関係する方々としっかり協議をしながら、準備を進めていくことになると思っています。
 記者:昨日のぶら下がりの中で、準備の進め方や設置の検討過程など必要なプロセスは県民にしっかり説明していくと言われていました。
 一方で議員がそのような準備組織に参画するのであれば、県民の皆さんへの説明が一定オープンになっているのではないかということも言われていました。
 議会の議員を準備組織に選んだ場合、県民への検討過程の説明は、それに変わるようなニュアンスに捉えたのですが。
 県民の信頼性を高める意味であれば、議会のみならず、記者会見の場でも説明していただくことが望ましいのかと思います。
 議会以外にも説明される場は予定されているのでしょうか。
 知事:決定プロセスをどうするかを含めて、これから議論をして、決めていくことになるかと思います。
 もし準備組織を作るのであれば、そこが主体となって、作っていく形になるので、その準備組織自体が、どのように説明をしていくのかも大事だと思います。
 それを私が改めて言うのが良いのか、それか中立性の観点から好ましいかは、しっかり議論しなければと思っています。
 記者:文書問題で、これまで手続きについては、適切だったという認識を示されていたかと思います。
 昨日、県議会が無所属や共産党を含む全会一致で第三者機関を設置するべきだとの要請があり、二元代表制の一翼を担う議会の決定は重いと言われていたと思います。
 全会一致というのは珍しいケースかと思います。知事の最初の第三者委員会を設置しない方針について異議を唱えられたと部分があると思います。
 昨日は吉村知事も疑義があるなら内輪で判断すべきではないと言われていました。
 これまでも指摘されていますが、3月の会見で知事が嘘八百という発言されたことに対して、撤回すべきであるというような県議会からの意見もあり、知事の初動ミスであるような指摘が高まっている気がしますが、この初動ミスであることに対する知事の受け止めをお聞かせください。 
 知事:人事当局の調査や処分も含めて、その都度、私自身は適切に判断して対応してきたと考えています。
 いろいろな指摘があることは事実で、そこは真摯に受け止めなければと思っています。
 今でも、やはり今回の人事当局の調査、対応は適切だったと考えています。
 様々な議会からのご指摘、そして昨日の議長からの要請を受ける中で、第三者機関の設置が必要だということを、私自身もこれまでも熟慮、検討を重ねてきましたが、今回、改めてそこを判断させてもらったということなので、一つ一つのプロセスを私自身は適切に積み重ねてきたと捉えています。
 記者:反省点というのは、基本的にはなかったと考えているのでしょうか。
 知事:いろいろな指摘があるので、この問題をきちっと調査、これからまたしていく中で、最終的に振り返ったときにどう捉えるかは、また改めて考えていく形になると思います。

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 ⑥
 記者:先週、総務常任委員会で一部の県議が、阪神・オリックス優勝パレードを担当していた課長が自死されたことを指摘されていましたが、県としてはその件については認められないのでしょうか。 
 知事:個人情報に関する事柄なので、お答えができないということです。
 記者:個人情報というのは、個人情報保護法に基づく個人情報のことを言われているということでよろしいですか。 
 知事:詳細は、人事当局から答えさせますが、いずれにしても、個人情報に関することなのでお答えできないというのが、今の私のスタンスです。 
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 ⑦
 記者:先ほど話に出た、藤原弁護士の件でお伺いします。
 関係性だけ見れば疑惑で指摘されている団体の顧問弁護士で、いわゆる利害関係者に当たると見えるのですが、改めて利害関係者に当たるかどうかは、どうお考えでしょうか。
 知事:私としては、人事当局が行った調査は、懲戒処分の調査としては適正にやっていただいていると考えています。
 調査の主軸は人事当局なので、そこに弁護士の助言を得て処分を行ったというものです。プロセスについても適正であったと認識はしています。
 記者:弁護士は、あくまでも調査の中の主ではなく、サブ的な役割だというご説明だと思うのですが、改めて伺います。
 お聞きしているのはそこではなく、利害関係者に当たるのかどうかをお尋ねしているのですが。
 知事:私としては法的な問題もあるので、今の時点で明確に答えることはできないということです。
 後程、必要があれば人事当局から調査をした担当部局ですから、そこから説明をしていただくことが良いかと思っています。
 いずれにしても、人事当局の主となる調査としては、対応としては適切であったと私自身は捉えています。 
 記者:法的な問題というのは、後日、裁判などになった時に、利害関係者に当たるかどうかが一つの論点になりうるから答えられないということなのでしょうか。
 知事:そのような意味よりも、利害関係者というのが法的な言葉なので、そこがどうなるのかというところは、私としては今の時点で答える材料がないのでコメントできないということです。
 そのような観点から、より詳細に人事当局の方から、後程、説明をさせていただきたいと思います。
 記者:なぜ詳しくお尋ねしてるかというと、もし利害関係者であるということになれば、今回の内部調査に問題があったということに繋がると思います。
 そうなれば、今回の内部調査自体を撤回する可能性も出てくるのではないかと思うのですが、そこについて、お答えいただけないですか。 
 知事:繰り返しになりますが、調査の主軸は人事当局が行ってるということです。
 そこに弁護士のサポートをいただいたということなので、あくまで人事当局が調査した結果としての対応ということです。
 様々な項目について、あくまでメインは人事当局が調査して、そのサポートを弁護士がやったことになるので、現時点では適正であったと考えています。
 記者:先ほどの弁護士の件ですが、利害関係者かどうか、今は答えられないということですが、そもそも、兵庫県信用保証協会の基金の4割弱が兵庫県から出資されていると聞いています。
 普通の株式会社などと単純比較はできないと思うのですが、兵庫県のお金が大きく入っている、かつ、兵庫県の幹部職員の天下り先で、現理事長、専務理事も兵庫県の職員のOBであり、片山副知事もそこの理事長の出身であると聞いています。
 兵庫県の幹部職員やお金も入っている組織の中で、20年間顧問弁護士を務めてきた方が、兵庫県に対して、いわゆる公正で中立的な判断ができるかといったら、一般企業の考え方からすると難しいと思いますが、そこに対して、斎藤知事のお考えをお聞かせください。
 第三者的に見て、そうした利害関係がある所に20年勤めてきた顧問弁護士が公正にジャッジできると思われますか。 
 知事:今回は、弁護士が調査の主体としてやっているというものではなく、あくまで人事当局が懲戒処分の調査権限があるので、そこが、多分、大事なところだと思います。
 あくまでも、人事当局が調査をしてジャッジをしていくことになっていきますが、そこに弁護士が法的な指摘も受けてサポートいただきました。
 その上で委員会にかけて、調査を決定したことになりますので、そのような意味では人事当局がきちっと主となって調査をして、そして処分内容を決定した意味では、適切だったと考えています。
 人事当局:人事当局が行った調査の内容や手続き、処分の量定等に疑義がある場合の制度としては、被処分者、今回の場合であれば元西播磨県民局長になりますが、その被処分者が、人事委員会に審査請求を行うことができるような制度はあります。
 もし疑義等があれば、そのような対応がなされるものと認識しています。
 記者:そのような通報制度があるのはわかりますが、改めて最初に選ぶ弁護士として適切だったかどうかで言うと、今も適切だったとお考えですか。
 知事:私がどの弁護士を選んだかということではないのがまず1点です。
 人事当局が、調査をする中で、様々な方の意見を聞きながら、当該弁護士をサポートの対象として選んだということです。
 いろいろな指摘があると思いますが、現時点では人事当局の調査対象のプロセス含めて適切であったと考えています。 
記者:藤原弁護士は斎藤知事を聴取していると思いますが、聴取をした段階で斎藤知事は県信用保証協会の弁護士である藤原弁護士が聴取をしているという認識はありましたか。
 知事:認識はなかったです。
 記者:どの段階で顧問弁護士だとご存じになりましたか。
 知事:報道を見てです。
 記者:聴取を受けている段階では、知らずに聴取されていたということですか。
 知事:そうです。
 記者:県信用保証協会は、先ほども指摘がありましたが、公金で保証する協会で、幹部職員の天下り先の顧問弁護士だということも、聴取を受けた段階では知らなかったということですか。
 知事:県信用保証協会の人事は、当然私自身も認識しているところはありますが、顧問弁護士がどなたかは、そもそも承知はしていません。
 記者:お名前を聞いても知らなかったということですか。
 知事:今回、聴取を受ける段階等で初めてお会いした方です。
 そして、聴取を受けている段階では、協会の顧問になっていることは存じ上げていなかったので、報道で初めて知ったということです。
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2828/R.パイプス1990年著—第14章㉓。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
 <第14章・革命の国際化>の試訳のつづき。
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 第14章・第13節/Savinkov の秘密組織①。
 (01) 全く偶然の一致だったのだが、まさに同じ日に、もう一つの反ボルシェヴィキ反乱が勃発した。1918年7月6日の朝、北東部の三つの都市、Isroslavl、Murom、Rybinsk でだ。
 Boris Savinkov によるもので、この人物は反ボルシェヴィキの陰謀者として、最も組織立った、最も企画に富んだ者だった。
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 (02) Savinkov は1879年にKharkov で生まれ、ワルシャワで二次教育を受けた。そのあと、ペテルブルク大学に入学した。
 彼は1989年のストライキを含む大学騒擾に関与し、すみやかに戦闘組織で指導者たる地位まで昇った。その組織の能力を利用して、彼は、Plehve やSergei Aleksandrovich の暗殺といった大きなテロリストの任務を実行した。
 1906年に、警察工作員だったEvno Azef に裏切られてOkhrana〔チェカの後継の秘密警察〕に売られたとき、彼のテロリスト活動は止まった。
 Savinkov は死刑判決を受けたが、外国に逃亡し、地下の革命家に関する小説を書いて、二月革命が勃発するまでそこにいた。
 戦争は、彼の愛国心を刺激して覚醒させた。
 1917年二月までフランス軍に務め、そのあとロシアに戻った。
 彼は、臨時政府によって前線の政治部員に任命され、ますます民族主義的で保守的になった。そして、既述のように、ケレンスキーの下で戦争省の部長だった1917年の夏に、コルニロフとともに軍隊の紀律の回復のために働いた。
 ロマンティックな冒険体験に包まれて、彼は、明確で説得的だとの強い印象を与えた。Winston Churchill に対しても。
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 (03) 1917年12月、Savinkov は、Don 地方へ向かった。そこで、義勇軍の設立に参加した。
 Alekseev の頼みに応えて、有力な公的人物と接触すべく、ボルシェヴィキ・ロシアへと戻った(注139)。
 その任務は、政党帰属いかんを問わず、ドイツおよびその傀儡と戦い続けたいと考えている将校や政治家たちの協力を得ることだった。
 彼は、過激な過去と最近の愛国主義の履歴のおかげで、この任務に理想的なほど適していた。
 Plekhanov、N.V. Chaikovskii、「防衛主義者」を支持するその他の社会主義著名人と、彼は話した。だが、ほとんど協力を得られなかった。少しの例外はあるが、彼らは、民族主義的将校たちに協力するよりも、ボルシェヴィキが自ら崩壊していくのを待っていたからだ。
 Plekhanov は、「私は人生の40年間をプロレタリアートに捧げた。プロレタリアートが間違った途を歩んでいるとしてすら、労働者を射とうとしはしない」と言って、Savinkov を受け入れることすら拒んだ(注140)。
 除隊した将校、とくにエリート護衛兵や近衛連隊に勤務した者たちを選んだ方がよかった。
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 (04) 主要な問題は、金がなかったことだった。貧しくて、路面電車の切符すら購入できなかった。
 軍隊を設立するために、彼は、将校たちに手当を支給しなければならなかった。彼らを雇用しようとする者はいなかったので、ほとんどの将校たちは極貧だった。
 Savinkov は、資金を得るために、連合諸国の代表部へと向かった。
 彼の私的な計画では、ボルシェヴィキ体制に反対するクーの手始めとして、レーニンとトロツキーの暗殺が謳われていた。
 しかし、彼は知ったことだが、ロシアが中央諸国と戦闘しているかぎり、誰がロシアを統治するかに、連合諸国は大した関心を持っていなかった。
 実際に、まさにこの頃(1918年3-4月)、フランスはトロツキーが赤軍を組織するのを援助していた。
 Savinkov はそのゆえに、連合諸国代表部に自分の本当の政治的目的を隠し、唯一の目標はロシアの軍事能力を回復して対ドイツ戦争を再開することにあると考えるロシア愛国者だと自称した。
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 (05) 最初に助けたのは、Thomas Masaryk だった。
 このチェコの指導者がSavinkov を援助した動機は明確ではない。Masaryk は1918年早くに、チェコ人をロシアから退避させるためにボルシェヴィキと交渉していたからだ。また、反ボルシェヴィキ活動に関与することの利益は想定し難かっただろう。
 彼の回想録では、こう書いている。Savinkov と逢うことに、好奇心から同意した。だが、「革命」と「テロリスト行為」の区別を理解できないように見える人物で、その道徳的基準は「血の復讐という原始的レベル」を超えていないことに、きわめて失望した(注141)。
 しかし、これは後知恵だっただろう。
 Masaryk が1918年4月にSavinkov に最初の金、20万ルーブルを与えたのは、確かなことだ(注142)。
 このような交渉についての考えられ得る説明は、偽装に長けたSavinkov がMasaryk を、ロシア中部で反ドイツ部隊をAlekseev の義勇軍が設立するのを助けるために使用される、と説得した、というものだ。
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 (06) Savinkov は、Lockhart やNoulens とも接触した。
 Lockhart は、ボルシェヴィキの鼻先で反ドイツ部隊を設立するというSavinkov の提案に、懐疑的に反応した。だが、Savinkov の魔法にかかりすぎていたので、外務長官のArthur Balfour から「Savinkov の計画といかなる関係も持つな、その計画をさらに検討することを避けよ」、という絶対的な指示がなかったならば、Savinkov を助けていたかもしれなかった(注143)。
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 (07)  Noulens はロシア領土内に多民族の反ドイツ部隊を設立すべきという考えの主唱者で、より協力的だった。
 彼は、Savinkov はとても印象的な人物だと見た。
 「無感情を不思議に表現していた。僅かに開いたモンゴル的まぶたの下から光る動かない目つきをしていて、唇はじっと閉じたまま。まるで彼の秘密の思いを隠したいがごとくに。
 対照的に、彼の経歴と外貌は西洋的だった。
 彼の中には、一つの人種の全てのエネルギーともう一つの人種の巧妙さや神秘さとが結びついていた。」(注144)
 Noulens は5月初めに、50万ルーブルをSavinkov に与えた。それに追加の援助金もあって、総額では250万ルーブルに昇った(注145)。
 確定できるのはこうだ。この資金は軍事目的のために、主としては義勇軍の経費のために使われたが、いくらかは連合諸国の軍事諜報のためにドイツ戦線の背後での仕事のためにも用いられた(注146)。
 Noulens はボルシェヴィキ体制打倒のためにSavinkov と共謀した、彼はSavinkov の革命的謀略を知ってすらいた、ということを示す信頼し得る証拠はない。
 Noulens はSavinkov から、ロシアのその他の諸政党、たぶん親連合国の民族派の中央、と彼とのあいだを調整する、という約束を引き出していた。
 しかし、Savinkov はこの約束を守らなかった。自分の計画を秘密にしておくために、親連合国派を信頼できなかったからだ。
 Grenard は、その回想録でこう書いた。Savinkov が1918年7月に反乱の狼煙を上げたとき、「ロシアのその他の諸政党と協力して行動する以外には何も企てないという約束を破って、自分自身のために行動した」(注147)。
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 (08) Savinkov は、チェコ人とフランス人からの資金に助けられて、募集活動を拡大し、1918年4月までに、5000人以上を、自分の組織、祖国と自由防衛同盟、へと入隊させた。うち2000人はモスクワにおり、残りの者たちは34の地方都市にいた(脚注)
 彼らのほとんどは将校だった。Savinkov は武装行動を計画しており、知識人、そして知識人のお喋り(boltovniia)はほとんど役立たなかったからだ。
 Savinkov は副官として、24歳の職業的砲兵将校で帝国総合幹部学校の卒業生のA. P. Perkhurov 中尉を選んだ。優秀な戦歴と伝説的勇気をもつ人物だった。
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 (脚注) Boris Savinkov, Bor’ba s Bol’sheviksmi (Warsaw, 1923), p.26.
 A. I. Denikin, Ocherki Russkoi Smuty, III (Berlin, 1924), p.79. は、実際の数字は2000〜3000だった、とする。
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2827/斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月14日記者会見(一部)。

 斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月14日記者会見(一部)。
 出所/兵庫県庁ホームページ「知事記者会見(2024年5月14日(火曜日))」。
 太字化、丸数字は掲載者(秋月)。「元西播磨県民局長」=告発文書(2024/03/12)の作成・発信者。
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 記者:
  文書問題に関して、今月9日にひょうご県民連合が第三者機関の設置を申し入れて、本日も石井秀武議員が申し入れをされました。
  改めて第三者機関の設置についてのお考えをお伺いします。 
 知事:
  今回の案件について、5月9日にひょうご県民連合から申し入れがあったことは承知しています。今日も石井議員から申し入れがあったことも承知しています。
  繰り返しになりますが、今回の件に関して、人事当局が懲戒処分にあたって弁護士にも相談しながら、文書に関する調査、対応を行いました。
  一定の第三者性が保たれてますし、客観性があるということで、処分の実施や内容については問題ないと私自身は考えています
  一方で、県民の皆さんにより十分に説明責任を果たしていくことも必要だという意見も見受けられます。
  我々としては、人事当局の行った調査は十分客観性があると今でも認識していますが、より説明責任を果たしていくべきだという意見もあります。
  今日もいろいろな施策を説明しましたが、県政をさらに前に進めていくためには、より信頼を高めていくことも大事だと思っており、今回の調査結果等について、外部の方に調査をしてもらうなり、しっかり説明責任を果たしていくことも大事だと思っています。
  この件は、県議会の動きなども踏まえながら、今後、どのような形で行うのが良いのかを、熟慮、検討していきたいと考えています。
 記者:
  議会の動きを踏まえつつというのは、例えば百条委員会など、具体的にどうなれば検討をしていくか、考えはありますか。 
 知事:
  議会の動きも踏まえながらです。
  まずは我々としてどうするべきかをしっかり熟慮、検討していくことになるのかと思っています。 
 記者:
  今回、公益通報を元西播磨県民局長がされて、吉村知事が9日の会見で第三者の通報機関を設置すべきだというご意見も出てきました。
  また、通報内容も、第三者の弁護士や専門家の意見を踏まえることが重要だという意見も出ましたが、改めてこのような意見を踏まえての知事の考えをお聞かせください。 
 知事:
  今の公益通報は、庁内に窓口を置いており、調査をして、是正が必要であれば、外部の委員に諮ってから是正措置をしていくことで、一定の客観性や外部性はあるとは思っています。
  そのような中で、今回、公益通報の窓口そのものについて、いろいろな指摘があることも承知しています。
  今回の事案をしっかり、見定めながら、今後、公益通報の窓口は外部に置いていくことを含めて、しっかり検討していきたいと思っています。
 記者:
  第三者機関の設置に関して、熟慮、検討していくということですが、設置すると決定されたわけではないのでしょうか。 
 知事:
  その可能性も含めて、今後、熟慮、検討していくということです。
  当然、二元代表制の一翼である議会側からも、既に複数の申し入れがありますし、議会側の動きも見据えながら、まずは私として、どのように対応していくかということです。
  やはり、先ほど申し上げましたが、今回の人事当局の調査自体は、弁護士にも入ってもらって、十分調査としては対応できていると思っています。
  より前を向いて、今後、県政を進めていくためには、県民の皆さんへの十分かつ丁寧に説明責任を果たしていくことも大事だと指摘もされていますし、私自身もそのように感じつつあるところなので、そのような観点から、外部の方に入っていただき、調査をしてもらうことも、一つの必要な説明責任の果たし方だと思っており、その辺り含めて、熟慮、検討していきたいと思っています。 
 記者:
  先週の会見では、第三者機関を設置しない、弁護士の先生もそのように仰っているので、そうだと思うと発言されていました。
  この判断を変えられた理由は、県議会からの意見があったところが大きいのでしょうか。
 知事:
  そこも一つありますが、県議会側にも様々な意見があります。
  正式に申し入れが来たもの以外にも、多様な意見もあるといろいろな形で伺っています。
  そもそも今回の事案について、より一層の説明責任を果たしていくためにも、そのような外部の方を交えて、我々が今回行った調査結果の内容も含めて、見てもらうことが、大事かと私も日々、考えたりします。
  そのような中で、今後さらに熟慮と検討を進めていきたいと思っています。 
 記者:
  熟慮、検討されて、概ね結論を出される時期の見通しありますか。 
 知事:
  そこはまだ決まっていません。 
 記者:
  第三者機関を設置するにあたり、一番重要なのは、委員の選定だと思いますが、委員の選定など、知事の中でイメージはありますか。 
 知事:
  まだ、熟慮、検討してる状況なので、具体的なものがあるわけではありません。
 記者:
  公益通報に基づく調査自体も進められていると思います。
  その調査との関連ですが、人事当局の調査があって、公益通報に基づく調査も続けていくのか、さらに第三者機関による調査も行うのかお聞かせください。 
 知事:
  公益通報についても、私が直接関与しているわけではありません。
  財務当局が実施していますが、基本的には、そのプロセスを止める理由がないので続けていく形になると思っています。
  そこに関しては、財務当局に聞いてもらえばと思います。 
 記者:
  第三者機関が調査するかどうかにもよりますが、基本的に公益通報の調査結果は公表されるケースがほぼ無いと思います。
  今回は注目を集めているケースで、公益通報についても通報者が公表されている異例の事態かと思いますが、公益通報の結果を公表するのか、今後、調査を始められると思いますが、第三者機関の調査自体は公開になるのかお聞かせください。 
  知事:
  そこも、まずは公益通報のプロセスは、財務当局に確認していただいたら良いと思います。
  また、第三者機関の公開は、熟慮、検討していく中で、どうしていくかになると思うので、具体的にどうするかまでは定まっていないと思います。 
 記者:
  公益通報の調査結果は、おそらく通常のやり方だと非公表のままだと思います。
  今回は、知事の判断にも関わってくると思いますが、関与するつもりはないのでしょうか。 
 知事:
  おそらく関与する余地がないのかと思います。
  改めて財務当局に確認をしてもらえればと思いますが、今、決められているルールに沿って調査をし、調査結果をどのように公表するのかも含めて、財務当局が委員の方と議論をしていくと思います。
  確か是正の必要性が何か出てくれば、委員に諮って公表されると思います。そういうことが出てくれば、公表することもあると思います。 
 記者:
  説明責任に関して、第三者機関が調査することが決まれば、第三者関からの報告書等が出てくるかと思います。
  先週の段階では、どのような発表の仕方をするかは検討したいということでした。現時点ではどの段階で知事から説明しようと思っているのか教えてください。
 知事:
  現在、公益通報の調査があって、今後、外部の方に入っていただいて、調査をしてもらうことも含めて、熟慮、検討していくことになります。
  どの段階で私自身が説明するのかは、現時点では決められないと思います。 
 記者:
  調査中の段階では説明はできないということですか。 
 知事:
  基本的に調査をしてる時には、調査の当事者が説明することは、よほどの何かがあれば別ですが、基本的には難しいと考えています。
  今後、どのような形で進めていくかによって変わってくると思います。 
 記者:
  第三者機関を設置するのであれば、調査の対象となるのはどの範囲なのか、挙がっている7項目なのか、懲戒処分全体の話なのかを教えてください。
  また、懲戒処分結果に対してもおそらく影響が出てくると思いますが、その見解を教えてください。
 知事:
  そこは、たぶん、私が、内容や調査の立て付けをどうしてくかを、あまり言う立場ではないと考えています。
  今後、外部の方に入っていただいて、調査をしていただくことを熟慮、検討していく中で、より客観性を保つためにはどうすれば良いかを、関係者の方で話し合ってもらう。そこには、議会が一定このような方向が良いのではないかということも一つあるかもしれません。
  二元代表制なので、県政全体をしっかり前に進めていくために、このような形で合意形成していくのも一つのあり方かと思いますが、私自身がこうして欲しいという立場ではないと、今は、思っています。 
 記者:
  処分が覆るかもしれないという結果についてはどうですか。 
 知事:
  現時点で人事課の調査は十分されて、処分を決定したと思っているので、仮定の話については、明確にお答えするのはなかなか難しいと思っています。 
 記者:
  文書問題に関して、先日、ひょうご県民連合が記者に対して説明を行った際に、兵庫県の財務規則では、寄附で物品を受け取る際には、寄附申出書を徴収しなければならないが、コーヒーメーカーの時は寄附申出書が提出されていない可能性があるというお話がありました。
  実際に原田産業労働部長がコーヒーメーカーを受け取った際には寄附申出書を、実際に処理していたかどうかを教えてください。
 知事:
  私は知りません。その辺りは担当の方から。
  社会通念上の儀礼の範囲内で、一定そのような地域の産品などをいただくとことはあるとは思います。
その都度、そのような手続きをしていたかどうかは、ケース・バイ・ケースだと思います。
  今後、今回の事案を含めて、いろいろ調査をしていますが、最終的には贈答品などのルールをきちっと定めていくことが、私は大事だと思っており、しっかり検討していく課題だと思います。
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 記者:
  文書問題に関して、先ほど第三者機関の設置を熟慮、検討するというお話がありました。
  逆に言えば今の段階で設置すると言い切れない、引っかかっている理由は何があるのでしょうか。 
 知事:
  先ほど申し上げたとおり、私としては、人事当局が行った調査は十分調査をして対応してきたものだと今でも思っています。
  繰り返しなりますが、より十分な県民の皆さんへの説明責任が必要だという意見もあるので、県政の信頼をこれから回復していくためにも、そのような外部の方に入っていただいて、調査結果をしっかり調査してもらって説明責任を果たしていくことが大事だと考えつつあります。
  これから議会側も、既に5月9日に申し入れをされていますが、議会側もどのような考えがあるかをしっかり伺って、そこを踏まえて対応していくということが大事だと思います。
  特に二元代表制になるので、当局側の知事と議会がしっかり今回の問題も含めて意思疎通をして、どのような形でやっていくべきかを、一定、合意形成をして、きちっとやっていくことを検討していきたいと思っています。
  今の時点で、どうこうと言うよりも、しっかり熟慮、検討していくにはもう少し時間がかかるのではないかというのが率直な思いです。 
 記者:
  第三者機関を設置することは考えているけども、具体的な中身ややり方などは、これから熟慮していく考えでしょうか。
 知事:
  中身やどのようにするかは、多分、私がこのようにしたいとか、このようにしてということを最終的に決められる立場では無くなってくると思います。
  繰り返しになりますが、県議会の中にもいろいろな意見があると思います。今の時点で調査は十分に尽くされており、もう良いのではないかという意見もあれば、やはり説明責任をしっかり果たしていく意味でも、作った方が良いのではないかなど、いろいろ意見があると思います。
  それを伺って、どうするかを、最終的に、熟慮、検討して定めていきたいと率直に思っているところです。 
 記者:
  知事が最終的に全体像を考えるのではなく、議会との対話の中で、第三者機関のあり方、中身をどうするか、対話を通じて考えていくということですか。 
 知事:
  最終的には、県が執行者なので、中身をどうするかは別にして、どうするかはおそらく知事が予算も含めた執行権者なので、どうするかを判断していかなければいけないと思います。
  その過程の中で、議会側も含め、ご意見を伺いながら最終的に判断をしていくことになると思います。 
 記者:
  先ほどの質問に関連して、前回の会見までは、第三者機関は一切考えていないとのことでした。
外部の方を含めた第三者機関を設置することの必要性を一番強く感じられたのは、どのようなやりとり、どのようなきっかけだったのですか。
 知事:
  元々、完全に否定していたというよりも、今やっているプロセス、人事当局の懲戒処分に関する調査が、弁護士を入れた中できちっとやっているので、そこで一定の客観性と第三者性、公益通報のプロセスも含めれば、今の時点ではこれで十分ではないかとの見解を述べてたというのが事実だと思います。
  今でもそこは、そのような考えもありますが、やはり日々、自分の中でもいろいろ考えていく中で、議会側もいろいろなご意見があります。
  そして、県民の皆さんの中でも、斎藤県政をもっと前に進めて、若者・Z世代対策を含めて、どんどん施策を前に進めていくためにも、今よりも、もっと十分な説明責任を果たしていくことが大事ではないのかなど、いろいろなご意見もあります。
  そのような中で、私自身もこれからしっかり説明責任を、すでに調査結果が出ていますが、その内容も含めて、外部の方に見てもらうことが必要かどうかを議会側の意向も踏まえながら、熟慮、検討していきたいという心の内になってきたというのが、現在の状況です。 
 記者:
  今回、7点の指摘の中で、県庁内部からの声で、いわゆるパワハラに当たるのではないかという行為が様々なところから声があるとの指摘がありました。
  熟慮するにあたって、県庁内部からの声、ご自身の部下からの言動や行為が、もう一度見直すことに繋がったということはありますか。
 知事:
  そのようなことというよりも、報道であったり、県議会の意見、あとは自分の中でいろいろ考えたりすることがある中で、より説明責任を果たしていくため、外部の方に今回の調査結果を含めて対応していくことも大事なポイントではないかと考え始めたところです。
  これから、県議会からの意見なども伺いながら、最終的に熟慮、検討して判断していきたいと考えています。 
 記者:
  熟慮、検討していくために、議会との対話の場を知事として設けられるのか、どのような形で検討を進めていくのか、何か考えがあればお聞かせください。 
 知事:
  今のところ具体的なものはありませんが、議会からもいろいろな会派が申し入れをされつつある中で、おそらく議長含めて各会派の方々は、どうすべきかを考えていく状況になる可能性もあります。
  その中で、どのタイミングで誰とどうすべきか、おのずと定まっていくと思っています。
  今の段階で、こうしたい、このタイミングでしたいことがあるわけではありません。 
 記者:
  説明責任という言葉が出てきましたが、知事は3月末の会見で事実無根という発言をされました。
  知事自身が、文書内で書かれている疑惑は、その一つ一つをこれまで説明はされてこなかったかと思います。
  その説明責任はどう考えているのでしょうか。
 知事:
  説明責任は、私自身が説明するというよりも、県民の皆さんに対してしっかり県が説明していくことが、県というものはやはり組織ですから、大事という意味で申し上げています。
  これは私の口からが良いのか、それとも今回も人事当局の調査結果で、このような方向性を皆さんとともに説明をしたこともあります。
  そのような意味での説明責任をどう果たしていくかが、今でも大事だと思っています。そこは前回の人事当局の調査結果が、一定客観性も入れて調査をしたと私は思っており、一定の説明責任は果たしていると感じています。
  それでも、より客観的に説明責任を果たしていくべきだという声がある中で、外部の方の調査をしてもらうことを含めて、これから熟慮、検討していくことになります。
  外部の方が調査する方向であれば、その方々が最終的には説明をしていくこともあるかと思いますが、そこはこれからどのような形でやっていくかがベースになるかと思っています。 
 記者:
  自身がその疑惑について説明されることも含めて検討されるのでしょうか。 
 知事:
  そこはやはり調査の対象となっている当事者なので、ここがすごくこの問題のポイントにもなっています。
  最初の方に、私は虚偽が多いと言いましたが、それはその時点で、私自身が当事者として、そのような事実が無いことが多いので、そこを申し上げましたが、その後、調査を進めていく中で、私自身が個別のことについて、コメントや評価をしていくことは適切ではないということだったので控えてきました。
  今後、人事当局の調査が終わったとはいえ、公益通報のプロセス、外部の方も入れたプロセスが進んでいくことになれば、当面、私の方から個別のことについてお答えをすることは、どの段階かはありますが、今の時点では、そこはできないと考えています。
 記者:
  調査の段階で、知事自身が、自身の疑惑について一つ一つ説明するのは適切ではないという考えでしょうか。 
 知事:
  客観性を持って説明していくためには、私以外の方が調査することなので、まずは人事当局の内部調査を実施し、公益通報の調査も進んでいきます。
  それが私以外の方が調査をして発表していくことが、一番客観性を持ったものなのではないかと思っています。 
 記者:
  そのご意見も踏まえて、3月末での自身が当事者として書かれていることに事実無根だという発言をされたことについて、人事当局の調査中でしたが、あの発言は今の段階でも適切だとお考えでしょうか。 
 知事:
  適切か適切でないかは、コメントはなかなかできませんが、当時としては、公益通報がされていない段階で、私自身も内容について書かれた当事者として、そうでは無いということが多々含まれていたので、そこをあのような形で、指摘させていただいたということです。 
 記者:
  3月に、文書問題が出てきて、2カ月近くこのような状態が続いているかと思います。
  そのような状況は、県民の皆さん、全国的にも、不安やどうなっているのだろうという状態が続いていることについて、知事の受け止めをお願いします。 
 知事:
  懲戒処分が決まった時にも申し上げましたが、このような状況になったことについて、県民の皆さんにお詫びを申し上げなければならないとお伝えしました。
  これから県政を前にしっかり進めていくためにも、今回の事案について、適切に対応して、信頼回復につなげていき、前に進めていくことが大事だと思っています。 
 記者:
  知事のこれまでを振り返って、あの時このような対応をしておくべきだったなど、反省すべき部分とかはありますか。 
 知事:
  プロセスとしては、人事当局の調査、そして、結果的に公益通報というプロセスになっているので、対応としては現時点では適切な対応をしてきたと認識しています。
  ただ、先ほど申し上げたとおり、より県民の皆さんに対して、客観的な説明を果たしていくことも大事なポイントだと思います。
  これから、前を向いていく意味でも、外部の方に入っていただいて、調査をしてもらうことを含めて、これから県議会の意向なども聞きながら、熟慮、検討していく、そして判断していく形になると思っています。
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2826/斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月8日記者会見(一部)。

 斎藤元彦兵庫県知事・2024年5月8日記者会見(一部)。
 出所/兵庫県庁ホームページ「知事記者会見(2024年5月8日(水曜日))」。
 太字化、下線、丸数字は掲載者(秋月)。「元西播磨県民局長」=告発文書(2024/03/12)の作成・発信者。
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 記者:
  昨日の懲戒処分で、元西播磨県民局長の処分を決めましたが、知事の受け止めをお伺いします。
 知事:
  元西播磨県民局長と産業労働部長の処分を行いました。服務規程に違反した職員に対する懲戒処分等です。
  職員一丸となって、県政の推進に取り組んでいる中で、このような事案が起きたことは、改めて、大変遺憾であります。県民の皆さんにお詫びを申し上げたいと思っています。
  改めて公務員倫理の徹底を図るとともに、今後、より風通しの良い県庁組織を作る、風通しの良い職場づくりに向けて、私としても最大限取り組んでいきたいと考えています。
 記者:
  元西播磨県民局長は、公益通報もされていますが、なぜ、今の段階で人事処分の決定をされたのかをお伺いします。 
 知事:
  昨日、人事当局、同席いただいた藤原弁護士からも同様の説明があったと思いますが、確かに公益通報されていますが、通報以前に行われた本人の非違行為に対して、懲戒処分を行う判断を、今回、人事当局と協議しながら決めました。
  処分に関しては、昨日、弁護士含めて問題はないとの見解もいただいているので、それに沿って対応させていただきました。
 記者:
  人事当局からはどのような説明が知事にありましたか。
  調査方法や調査内容の説明はあったのでしょうか。 
 知事:
  最終的に懲戒処分を決めるにあたって、綱紀委員会で議論して、非違行為があったので、懲戒処分に相当する旨の説明がありました。
  過去やこれまでの例に沿って、懲戒処分の内容についても報告があり、私自身も内容を聞いて了承しました
 記者:
  3月27日の定例会見で、知事は「名誉毀損、法的な課題がある」と発言されましたが、調査を終えた現在の認識としてはどのように思われていますか。
  また、刑事告訴などを考えているのでしょうか。
 知事:
  昨日、人事当局から発表させていただいたとおり、今回、当該者の行為には、幾つもの非違行為があり、懲戒処分に相当するため処分をしました。
  調査内容の一つ一つについては、今後、公益通報があるので、コメントは少し差し控えたいと思っていますが、当該文書には、虚偽内容が含まれていた旨は、昨日、説明されたとおりだと考えています。
  そのようなことから今回、懲戒処分を行いました。
  今後の刑事的な手続きは、公益通報の手続きが進んでいる状況ですが、昨日、懲戒処分を行い、当該文書の内容は事実ではないことも示されたと受け止めているので、私としては現時点では刑事告訴などは考えていません。 
 記者:
  今回の件は、懲戒処分前に内容が公になってしまった異例の事態だったと思います。
  この件により、県政への不信感に繋がりかねない問題となったと思っていますが、この点について知事はどのように考えていますか。 
 知事:
  先ほども申し上げたとおり、職員一丸となって県政の推進に取り組んでいる中で、このような事態が起きたことは大変遺憾だと考えています。
 記者:
  前例に沿えば、懲戒処分は人事課の調査で実施することになると思います。
  先ほども不信感という発言もありましたが、一方で知事も日頃から開かれた県政という透明性を確保した運営を掲げていると思います。
  県民の疑念を解消するためにも、知事と利害関係のある職員や弁護士の調査ではなく、内外から外部の第三者委員会を設置するべきではないかとの意見もありますが、その点についてはどのようにお考えですか。 
 知事:
  今回は、人事当局が、まずは懲戒処分に相当するということで調査をしました。
  以前から申し上げているとおり、弁護士の意見も聞きながら、今回の調査をしたので、一定客観的な調査が実施されたと考えています。
  今後、公益通報に基づく手続きになるので、公益通報委員会もあり、一定の第三者性は担保できていると私自身は考えています。
  また、第三者委員会の設置の必要性は、昨日、藤原弁護士などからも、考え方が示されたと伺っています。私としては適当ではないかと考えているので、それを踏まえて対応していきます。
  
 記者:
  懲戒処分問題に関してお伺いします。
  昨日のレクで人事当局は、調査を尽くしたので、これ以上事実は出てこないため、第三者委員会は不要だというような趣旨を話されたと思います。
  今回、処分権者が行政トップである知事で、行政トップが決めた組織決定を、公益通報は県政改革課が内部で実施されるかと思いますが、行政トップが決めた組織決定を、内部調査が縛られずに客観性を持った調査ができるのかについては疑問の声も上がっているかと思います。
  この辺の公益通報に関してその調査が客観性を持てる根拠についてお伺いします。
 知事:
  そこはきちっと客観性を持ってやることが大事ですし、そうすべきだと考えています。
  今回は、人事当局が弁護士の意見も聞きながら、内部調査を客観的にやったということで、昨日発表して、それに基づいて、懲戒処分等をした形になっています。
  今後は、公益通報がされているので、それに沿って、弁護士等で構成される公益通報委員会で調査結果に基づく是正措置があれば、そこに対して意見を述べていくことになると考えています。
 記者:
  公益通報で、虚偽ではなく、誹謗中傷でもなく、公益通報として事実関係についても事実が認められるという、仮に真逆の事実が認められた場合、その懲戒処分の根拠が覆るかと思うのですが、そのあたりのご見解はいかがでしょうか。
 知事:
  仮定の話ですので、なかなかコメントしづらいと考えています。
  現在、当該者から公益通報があり、ここはプロセス、事実としてあるので、これに基づいて調査をしていく。
  そして、必要に応じて是正措置などを弁護士等で構成する通報委員会に付議しながら、決めていく形になります。 
 記者:
  今回の調査手法には、知事は関わっておられないということでした。
  昨日の人事当局の説明では、人数や期間なども調査手法に関することですので、明らかにしないとのことでしたが、第三者委員会などが設置されている場合では、透明性や客観性を持たせる意味でも、個人情報にかかわらない部分は明らかにすることが一般的かと思います。
  このあたり調査手法については、どのように評価をされていますか。 
 知事:
  懲戒処分に関する内部調査が、これまでのやり方に沿って、まずはやってきたことに加えて、今回は、当該文書の内容が一つの懲戒処分の構成要件としてあったので、そこは弁護士をきちっと入れさせていただいて、客観的にしっかり調査したことが、昨日の人事当局、それから藤原弁護士の見解だったと思っているので、そのような観点ではきちっと対応されたと認識しています。 
 記者:
  人数・期間等を明かさないこと、報道機関に対する聴取もあったかと思うのですが、調査手法に関することは、今回、調査を終えられてみて、知事としてどのように評価されているのかお聞かせください。
 知事:
  従来の人事当局の調査の中で実施されたものではあるので、もちろん報道機関への調査は、私自身は調査対象になっているので、指示などができなかったことはありますが、やはり報道の自由をしっかり尊重しながらやるべきだという思いはあります。 
 記者:
  人事調査の結果が出たので、個別事案について伺います。
  1つ目の調査結果で、ひょうご震災記念21世紀研究機構の副理事長である御厨さんと河田さんの解任について、片山副知事が打診したことは事実だと、今回の人事当局の調査では認定があったかと思います。
  2人とも震災分野の第一人者で、今回発表もあった創造的復興サミットに関しても要になられるのだと思ったのですが、震災30年を前にこのような人事のお話をされたことに関する趣旨をお聞かせください。 
 知事:
  そこは、人事当局の調査は現時点で昨日終わりましたが、これから公益通報の方でも調査が進むので、個別の当該文書に関する是非や内容のコメントをするのは、現時点では差し控えておいた方が良いというのが私の今の感覚です。
  指摘されていることについて、もし必要があれば、担当課を含めて、所管するところに聞いていただいたら良いのかもしれないです。
 
 記者:
  昨日、藤原弁護士が、知事を聴取するのは、十数年間の経験でも極めて異例だということでした。
  県議さんから言わせると、ガバナンスの問題や前回の知事選が影響しているのではないかといった、いろいろな声があります。
  知事として聴取を受け、今回、綱紀粛正を図る、風通しの良い組織にするためには、具体的にどのように改善していかれようと考えているのでしょうか。 
 知事:
  先ほど申し上げたとおり、懲戒処分が一旦決定されて、今後、公益通報の手続き等が進んでいくので、その経過を見た後に、具体的にどうするかを考えていくことも大事だと思っています。
  そのような中で、今回の懲戒事案が発生したことを踏まえると、職員倫理の徹底を図っていくことと、そのために必要なルールづくり、贈答品や公益通報の窓口をどうするかなども、きちっとやっていきたいと思っています。
  それから風通しの良い職場づくりというものを、私自身ももっと努力をしていかなければと考えています。
  先ほども言いましたが、この3年間、コロナ対応もそうですが、若者Z世代を応援する様々な施策を中心に、いろいろなことをさせてもらいました。
  職員には、一緒にやってきたことに改めて感謝を申し上げたいと思います。
  選挙などいろいろな指摘はあるのかもしれないですが、大事なのは、やはり、県民の皆さんにとって、一番良い施策をやっていくことが大事だと思います。
  そのために、県庁一丸となって、良い施策をみんなで作っていくような組織風土に私自身が先頭になってやっていくことを、これまでも努力してきましたが、今一度、働き方改革も含めてやっていきたいと考えています。
 記者:
  知事ご自身が、今回の懲戒処分に至る調査を通じて、反省すべき点、改善すべき点はどのように考えていますか。 
 知事:
  具体的に何かということよりも、今回、このような事態に至ったことは、県民の皆さんにお詫びを申し上げなければいけないと思っています。
  懲戒処分に至るようなことがあったことで、今一度、公務員倫理、服務規律の徹底をきちっとしていくこと。これは私自身も、やはり疑念を持たれないようないろいろなルール、それからそれを是正するような仕組みを作っていくことが大事だと考えています。
  先ほども言いましたが、風通しの良い職場づくりに向けて、より職員とのコミュニケーションを密にしていく。そして、良い施策を県民の皆さんのために実現できるような、そんな県庁づくりに努めていくことが大事だと思っています。
 
 記者:
  懲戒処分の問題で伺います。
  3月27日の定例会見で、知事は文書内容について事実無根が多々含まれている嘘八百、と言い切られていたかと思いますが、その影響で、この人事課の調査を受ける職員の中に萎縮する人がいたという可能性は考えられませんでしょうか。 
 知事:
  当時は、公益通報等される前の段階で、私としては当事者でもあって、事実ではない内容が多々含まれているという意味で発言をしました。
  その後、昨日、発表したとおり、人事課が内部調査として弁護士の助言やサポートをいただきながら、かなり関係者へのヒアリングや客観的な証拠も含めて、積み上げをしたと思いますので、そのような指摘は当たらないような調査結果になっていると私自身は捉えています。 
 記者:
  3月27日時点で公益通報はまだされていなかったと思いますが、確か懲戒処分に向けての人事課の調査は始まっているということだったと思います。
  その調査がある中で、定例会見で言い切ったことは、今でも適切だったと思われますか。
 知事:
  あの当時は私自身が、そのような形で指摘されている中で、そのような発言をさせていただいたというふうに考えています。
  その後、先ほど申し上げたとおり、人事当局が弁護士も入れながら、きちっと客観的な聞き取りや証拠などを集めて調査をしていたと私自身は受け止めています。 
 記者:
  懲戒処分の件で、先ほどから客観的な証拠がある、客観的な聞き取りが行われたという話だったのですが、人事当局からどのような調査をして、何をもって客観的と思われているのか
  内部調査ですので、知事の下で働かれている職員が調査を行っていて、何をもって客観的と考えられているのかお伺いします。 
 知事:
  昨日の調査結果の内容で、一つ一つの項目について説明がされているかと思います。そこで何が事実でないかどうかというところが、きちんと核心的なところを含めて説明をしたと認識しています。
  その際には、人事当局がきちっと弁護士のサポート、助言を受けながら、一つ一つの項目について、関係者の聞き取りなどしていたと考えているので、そこで一定の客観性はある調査になったと認識しています。 
 記者:
 今回の処分を決定した委員会に、この文書で疑惑として挙がっている幹部職員も委員長として入られていますが、その処分への中立公平性が担保されていると考えられていますか。
 知事:
  綱紀委員会の話だと思いますので、そこは人事当局としてもう一度説明してもらえますか。 
 人事当局:
  綱紀委員会の委員長が総務部長であるということで、昨日も申し上げましたが、調査の結果、事実認定をしたことを綱紀委員会で申し上げて、事実に基づいて非違行為の処分の量定について綱紀委員会で意見を聞くという形になります。
  調査過程では、総務部長を外しており、最後、処分権者の1人ではあるので、そのような意味で、認められた非違行為について、委員会に諮るということであり、問題ないものと考えています。 
 記者:
  調査には、委員長はもちろん入っていないと思いますが、調査対象として入っている方が、その処分、事実に基づいてという話ではありますが、処分決定するというところで、公平性をどのように担保されているんでしょうか。
  決定する上で、自分自身の疑惑が書かれているものを、どのように公立公平に扱っているのかは、もう少し説明をお願いします。
 人事当局:
  文書に書かれていることが基本的に事実ではないという調査結果が出ております。
  本人も当然のごとく、身に覚えのないことを書かれているということであるので、その点では処分に恣意的な思いが入る余地はありませんし、そのような意味では処分権者、知事はじめ、処分の決裁権者であり、当然、その処分を決定していくにあたっては必要な手続きになるので、そこの点では問題ないと考えています。 
 記者:
  文書の内容について、知事は以前、一つ答えると次も次もとなる。全体を精査した上で説明したいと会見でお話をされていました。
  今回、人事当局の調査でも一つ一つどれが事実ではないと説明をしていただいたので、全体の精査をされているのではないかと思います。
  人事当局の調査でも一定されていると考えられるかもしれないですが、どの段階で説明していただけるものなのかをお伺いします。 
 知事:
  私自身が調査内容について、一つ一つ説明することが、今の段階で良いのかどうかはあると思います。
  今は、人事当局が弁護士を入れて調査をしていたので、その間、私は調査対象でもあり、答えてはいません。
  かつ、昨日、調査結果を懲戒処分の中で説明をしたということになるので、そこを踏まえてこれから公益通報の手続きの中で、文書の内容が調査や精査されていくと考えています。
  私としては、今の段階で、文書の内容のことについて、コメントすることは控えたいと思っています。
  ある程度公益通報の調査が終わった後も、私自身が説明するのが良いのか、それとも昨日のように、私ではないという意味での第三者、人事当局の方から、昨日も弁護士が説明を補足しましたが、そのような形で内容の説明することの方が適切であれば、それを持って説明したことになると思っています。 
 記者:
  知事は、3月27日の段階で嘘八百というふうな発言をされています。
  何をもって嘘八百と会見の場で発言されたのかというところも、改めて説明が必要なのではないかと思いますが、そこはいかがでしょうか。 
 知事:
  そこは昨日の調査結果を踏まえた項目についての説明です。
  そこと、これからの公益通報のプロセスを経た後の結果を踏まえて対応は検討したいと考えています。 
 記者:
  先ほども質問があった法的手続きを進めているというような発言を3月27日にされていましたが、それはもう、撤回されるといいますか、法的手続きはしないということで良いのでしょうか。
 知事:
  昨日の時点で、懲戒処分の内容が一定決定され、そこで、内容について、真実でないということが一定示されたこともあり、懲戒処分されていることから、現時点では、刑事告訴などは考えていない状況です。
 ⑤ 
  記者:
  懲戒処分の問題でお伺いします。
  元西播磨県民局長は内部通報が信頼できないため、公益通報より先に文書を配布する方法をとったと言っています。
  他県では、庁外に公益通報窓口を設定している県も多いそうですが、公益通報の窓口を庁外に設置することは検討していますか。 
 知事:
  先ほど申し上げたとおり、今後の検討課題になると考えています。
  現時点では、公益通報の窓口は庁内に設置していますが、今回の事案を踏まえて、今後、窓口を外部に設置することも含めて検討課題と認識しています。 
 記者:
  今回、2人が処分されましたが、元西播磨県民局長は懲戒処分でも上から2番目に重い停職。産業労働部長は懲戒処分には当たらない戒告の事実上一つ下にあたる訓告という処分でした。文書による指導に過ぎないものではありますが、処分の軽重について、知事が思うことあればお伺いします。
 知事:
  まずは、人事当局の方から。 
  人事当局:
  昨日も申し上げたとおり、地方公務員法上の処分ではありませんが、本県の考査規程で訓告という処分を行うことができると規定されています。そのような意味では、訓告も懲戒処分に当たります。
   それぞれの処分は比較するものではなく、それぞれの職員が行った非違行為そのものを、過去の処分事例や本県の懲戒処分指針に基づいて、非違行為について処分の量定を検討するものです。
  今回、元西播磨県民局長と産業労働部長の処分の量定を比較することは、適切な比較の対象にならないと言いますか、それぞれ行った非違行為について、妥当な処分の量定を検討していくことになります。 
 記者:
  知事はどう思われていますか。
 知事:
  今、人事当局から説明させてもらったとおり、処分の量定は、それぞれの非違行為について、本県の懲戒処分の指針や過去の処分事例を踏まえて決定したものです。私としては今回の対応は適切なものだと考えています。 
 記者:
  先ほども、記者の方から質問がありましたが、改めて3月の定例会見の際に、当初から嘘八百、事実無根としていた告発文が、内部調査の結果、核心的な部分において全て事実無根と認定されたことについて、改めて受け止めをお願いします。 
 知事:
  現時点では、公益通報の手続きが進んでおり、それぞれの内容へのコメントは差し控えますが、改めて、職員一丸となって県政の推進に取り組んでる中で、このような状況になったということは、極めて遺憾であります。県民の皆さんに改めてお詫びを申し上げたいと考えています。
  改めて公務員倫理の徹底を図るとともに、私自身も、より風通しの良い職場づくりに向けて努力して参りたいと考えています。
 記者:
  弊社の情報番組や系列の報道番組において、橋下徹さんが発言していた言葉を一つ拝借させていただきますが、「斎藤知事は確かにパワハラがないと言いたいのは分かるが、それを今、調査中の段階で言ってしまうと、適正な調査ができないし、以後職員も告発がやりにくくなる」といった発言をしています。
  当初、人事当局の調査が始まっている段階で、事実無根や嘘八百と言ったことは、今振り返ってみて適切だったと考えているのでしょうか。 
 知事:
  今回の文書については、私としては、3月27日の時点では、文書に書かれた当事者として、事実でないことが多数書かれていたので、その中で、そのような表現をしたということになっています。
  昨日、人事当局が弁護士を入れて行った一定客観的な調査の中で、結果的に懲戒処分に該当する事案の一つとして、文書の内容に非違性が含まれたことが示されたことになっているのでないかと考えています。
 記者:
  先ほどの他の記者の方の質問にもありましたが、調査が始まっている段階で、知事の見解を言ってしまうと、内部の調査ですので、言いづらくなってしまう職員の方もいるのではないかという懸念がある中で、そのような発言があったことは、適切だったということで大丈夫ですか。
 知事:
  表現が適切であったかどうかは、今後、よく吟味をしていきたいと思っていますが、今回については、3月27日の時点で文書に書かれた内容が当事者として様々な事実ではない内容が含まれたということで、私自身もあのような表現をしました。 
 記者:
  先ほどから話題になっている過去の知事の発言で嘘八百や事実無根と言ってる思いや認識は今も変わりないということでしょうか。 
 知事:
  3月27日の時点で文書が出ていて、文書に書かれた内容について、当事者として、事実ではないことを書かれたことで、あのような表現をしたということです。
 
 記者:
  当時の思いや考えはわかりましたが、今回の人事当局の調査結果を受けて、改めて文書の評価をする時に、文書の中身は、やはり嘘八百であって、事実無根であるというのは変わりないのでしょうか。 
 知事:
  昨日、人事当局が発表したとおり、弁護士を入れた人事当局の調査によって、記載内容の核心的な部分が事実でないと明らかになった発言。
  それから、記載内容の各項目を、全体として見れば7つの項目全てが事実に反していると、昨日、人事当局、それから弁護士もそれを踏まえて評価されているということだと思います。
 
 記者:
  第三者委員会の件ですが、今のところ設置をしない考えだと思います。
  議員さんや一般の県民の方からも、やっぱり、第三者委員会を設置した方が良いのではないか、この内部調査だけで終わるのはどうなのか、というご意見も多々あるように見受けられます。
  これまでの説明を聞くと、弁護士に話を聞いて、法的には問題ないという意見は一定理解できますが、失礼な言い方ですが、ある意味、盾にとって強引に幕引きを図ろうとしているようにも見えます。
  今のこのやり方で、実際に県民に理解が得られると考えているのでしょうか。 
 知事:
  今回の内容は、そのような文書が出て、その後、公益通報という形で提出がされ、人事当局の調査が始まった形になります。
 b調査の内容は、昨日、発表しましたが、人事当局が弁護士とも相談しながら、きちっと客観的な内容を調査したと受け止めています。一定の第三者性、客観性というものは、これからやる公益通報のプロセスと含めて担保されているのではないかと考えています。
 県民の皆さんに、昨日も説明したとおり、今日も会見しているとおり、きちっとご理解をいただけるように、これからも努力していくことだと思います。
  第三者委員会の設置については、昨日、藤原弁護士からも見解が示されましたが、法的な専門家の観点から設置の必要はないと示されたので、私としてはそれを踏まえて、これから適切に対応していくことに尽きると考えています。 
  記者:
  弁護士の意見で法的に正しいかどうかという意見とは別に、一般の県民の方からすると、客観性が本当にあるのかどうか、いわゆる納得感や理解ができるかが非常に行政のあり方として大事ではないかと思います。
  今の発言では、やはり第三者委員会は何があっても設置しないというように聞こえます
  今後の展開によっても、全く設置する考えはないということでしょうか。 
 知事:
  まずは客観的な調査をきちっと実施していくことが大事だと思います。
  そのような意味で、私たちが、今、進めているのは、繰り返しなりますが、懲戒処分に関して、人事当局が調査をしていく。そこで弁護士のサポートをいただきながらできるだけ客観的にやってきました。
  それを、昨日、弁護士同席の下、内容の説明をしたことで、調査内容の説明や客観性は、一定担保できてるのではないかと私自身は考えています。
  これから公益通報の中で、今一度、プロセスが進んでいくことになります。
  委員会の委員の中には、弁護士とかも入っており、是正措置などが必要であれば、その意見を聞きながらやっていく形になるので、そのプロセスをきちっとやっていくことで、県民の皆さんに対する客観性を示していくことができるのではないかと私は考えています。
 ********

2825/斎藤元彦兵庫県知事・2024年4月26日記者会見の内容(一部)。

 斎藤元彦兵庫県知事・2024年4月26日記者会見の内容(一部)。
 出所/兵庫県庁ホームページ「知事記者会見(2024年4月26日(金曜日))」。
 太字化、丸数字は掲載者(秋月)。「元西播磨県民局長」=告発文書(2024/03/12)の作成・発信者。
 —————
 
 記者:
  前西播磨県民局長の文書問題でお伺いします。
  丸尾議員が、第三者調査機関を設置するよう要望を出されました。
  これまで知事は、まず人事当局が調査をしてからという見解を繰り返し示されています。
  改めて、人事当局ではなく、外部の第三者が調査を、という申入れ書を受け取った知事の見解をお聞かせください。 
 知事:
  先日、丸尾議員が申入れをされたことは承知をしています。
  私は、詳細な内容を把握できていません。
  今回の件に関しては、繰り返しになりますが、現在、人事当局が懲戒事案にも関する可能性があるため、弁護士と相談しながら客観的な事実を含めて詳細調査をしているところですので、そこがまずは県としては大事だと思っています。
  一方で、文書の内容は、公益通報もされています。
  公益通報は、是正の必要等あれば、第三者からなる公益通報委員会にも付議される形になっています。
  そこには、弁護士や公認会計士、学者の先生が入った委員会ですので、そのプロセスをきちんとやっていくことで、一定、第三者性が担保されると考えています。
  いずれにしても、現在、人事当局が、弁護士を入れて調査をしているので、しっかりやってもらうことが大事だと考えています。
 記者:
  公益通報の制度で外部有識者が入っているため、それが、第三者に当たるという見解でよろしいでしょうか。 
 知事:
  第三者性は、そこが一定あると私自身は考えています。
  片山副知事が入っていましたが、今回は外すことにします。
  現在、すでに人事当局の調査は、弁護士を入れてやっています。
 そ れと併せて、公益通報の制度の2つをきちんとやっていくことが大事だと考えています。 
 記者:
  第三者調査機関を新たに作る必要はないということでしょうか。 
 知事:
  繰り返しになって申し訳ありませんが、人事当局が弁護士と相談しながら行っている詳細な調査だと思います。
  内容について、私は、タッチはしていません。
  それとともに、公益通報を受けた上での、公益通報での調査をきちんとやっていくことが大事だと思います。
  人事当局の調査には、弁護士を入れており、公益通報の委員会にも、弁護士などの第三者も入っているので、一定の第三者性も担保されていると考えています。
  まずは、人事当局の調査が大事なポイントだと考えています。
 記者:
  前西播磨県民局の文書問題で、先ほど、新聞労連から、県庁と県知事に対する抗議声明が出されています。
  人事課が報道機関に対して聞き取り調査をしたことは、速やかにやめるべきだという内容でした。
  先週の会見では、知事は人事課の調査には関与していないとのことでしたが、本日、新聞労連の委員長からは、知事がリーダーシップを持って制止すべきだというようなご意見を述べられています。
  この抗議声明に対する受け止めをお伺いします。 
 知事:
  人事当局が、今、行う調査方法は、私自身も把握をしていないのが今の正直なところです。
  懲戒処分の可能性があるため、事実確認などをきちんと行うことは、そのような処分や調査の信頼性を確保するためにも大事なポイントだと思っています。
  一方で、事実確認をする際には、ご指摘のとおり、報道の自由を侵害しない範囲で適切に対応していくことは必要だと考えています。
  調査をどこにするなどは、調査方法に関することですので、私が直接指示をすることはできないことはご理解いただきたいと思います。
  報道の自由を侵害しない範囲で適切に対応していくことが必要だということは、前回も述べさせていただいてるところですので、一定ご理解いただきたいと考えています。 
 記者:
  人事課は、報道機関の聴取を続けるような意向なんですが、知事からも制止すべきだということは言いにくいということでしょうか。
 知事:
  調査方法をどこにするようにということは、私が当事者になっているので。
  もし、私が当事者でない立場であれば、そのようなこともできる可能性があるかもしれませんが、私が当事者になっている以上、調査をどこにする、しない、ということを指示することは難しいと思っています。
  何度も繰り返しになって申し訳ないですが、報道の自由を侵害しない範囲で適切に対応していくことは大事だと考えています。 
 記者:
  丸尾県議からの要望書で、本日、市川町から丸尾県議の要望書に対する抗議文のようなものが出ています。
  事実関係と違う、という話でゴルフクラブの件だったかと思いますが、我々も知事表敬などで知事応接室に入ったときに、アイアンクラブを見ることがあります。
  そもそも、アイアンクラブ自体がどこから提供があったもので、どのような目的で提供があったものなのかお聞かせください。 
 知事:
  市川町がどのような抗議をしたのか承知はしていません。
  アイアンクラブの件も含めて、個別の内容になりますので、繰り返しになりますが、人事当局、公益通報の調査も含めて、今、調査が進んでいる段階ですので、個別の事案の内容は、私自身が当事者にもなっており、現時点では、コメントすることを差し控えた方が良いと考えています。
 記者:
  知事応接室にあるものはPR目的で置いているのでしょうか。 
 知事:
  今回の文書の事案と離れて、もし答えるとすると、知事応接室に置いているものは、アイアンの製造工程が分かるように、最初は鉄の塊から完成品になるものです。市川町の鍛造アイアンで、地域の地場産業として大事なものだということをPRするために置いています。
 ————
 
 記者:
  前西播磨県民局長の文書問題ですが、丸尾議員からの申入れは、知事は見られてないのでしょうか。
 知事:
  詳細は見ていません。申入れは把握していますが、中身は詳細には見ていません。 
 記者:
  丸尾議員の指摘の中で、公益通報の窓口を外部の有識者(弁護士)を入れた窓口を設置すべきということで、弊社の報道にも掲載しましたが、有識者からも外部有識者の窓口を設置した方が組織として自浄作用が発揮できるという意見もあります。
  公益通報の窓口のあり方をどのように考えていますか。 
 知事:
  今回は、今ある制度の中で、できるだけきちんと外部委員会の委員の意見を聴取しながら、客観性を持って調査していくことは、一定担保されており、担保していかなければいけないと考えています。
 今後、改善すべき点があれば、他府県の運用状況などもしっかり踏まえて、改善すべきところは改善していきたいと考えています。 
 記者:
  告訴の法的手続きを進めていくと、3月27日の会見で発言がありました。その法的手続きの認識について改めてお伺いします。
 知事:
  繰り返しになりますが、現在、当該文書も含めた内容について、人事当局が弁護士と相談しながら詳細な客観的な調査を実施している状況です。
  また、併せて、公益通報での客観的な調査が進んでいるので、その調査を進めることが大事だと思っています。 
 記者:
  調査結果を踏まえて、考えていくということですか。 
 知事:
  まずは、人事当局の調査結果がどのようになるかが大事だと思っています。 
 記者:
  3月27日には、「法的手続きを進める」と知事は発言がありました。
  ホームページで公開されている会見録には、「検討を進める」となっています。

  知事の認識として、あの時点では法的手続きを進めていたのか、それとも検討の段階だったのかを聞かせてください。 
 知事:
  そこは、内部のどのような状況かによるので、今の時点ではコメントは避けたいと思います。
  当時の発言としては、そういうことだったと認識しています。
 ********
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