佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の内容の一部に今年の1/12と1/30に言及していて、自らの記載を辿ってみると、言及部分は、後者ではp.95以下、前者ではp.181以下と明記されていた。その後しばらく放念していたが、先週に思い出して、第Ⅱ章のp.260まで読了(あと40頁で最後)。p.70までの序章は読了しているか不明だが、少なくとも半分には読んだ形跡がある(傍線を付している)。
 同・自由とは何か(講談社現代新書)と同様にやはり面白い。読書停止?中の同・隠された思考(筑摩、1985)よりも読み易く、問題意識がより現実関係的だ。但し、筆者は隠された思考の方に、時間と思索をより大きく傾注しただろう。
 紹介したい文章(主張、分析、指摘等々)は多すぎる。
 p.212以下は第Ⅱ章の3・「『歴史の終わり』への懐疑」で、F・フクシマのソ連崩壊による「歴史の終わり」論を批判して、そこでの「歴史」とはヨーロッパ近代の「リベラル・デモクラシー」のことで、それは20世紀末にではなく「実際には19世紀で終わっていた」(p.219)と佐伯が主張しているのが目を惹いた。
 その論旨の紹介は厭うが、その前の2・「進歩主義の崩壊」からの叙述も含めて、意味は理解できる。
 一部引用する。①欧州思想界の主流派?の「進歩主義」(→戦後日本の「進歩的」知識人)に対して、19世紀のーチェ、キルケゴール、ドストエフスキー、20世紀のベルグソン、シュペングラー、ホイジンガー、オルテガ、ハイデッガーらは「近代を特権化しようとする啓蒙以来のヨーロッパ思想、合理と理性への強い信頼に支えられたヨーロッパ思想がもはやたちゆかないというペシミズムの中で思想を繰り広げ」た。「もはや進歩などという観念は維持できるものではなくなっていた」(p.219~220)。
 ②「歴史の進歩の観念」=「個人の自由と民主主義からなる近代市民社会を無条件で肯定する思考」は「実際には…二十世紀には神通力を失っていた」。「近代、進歩、市民社会、といった一連の歴史的観念は、一度は破産している」(p.222-223)。
 これらのあと、(戦後)日本の<進歩主義>又は「進歩的」知識人に対する<批判>らしきものがある。
 ③欧州の「進歩」観念を「安易」に日本に「置き換えた」ため、「進歩の意味は、…検証されたり、…論議の対象となることなく、進歩派という特権的知識人集団の知的影響力の中に回収されてしまった」。「進歩は、…進歩的知識人の頭の中にあるとされた。彼らが進歩だとするものが進歩なのであり、これは多くの場合、ヨーロッパ思想の中から適当に切り取られたもの」だった(p.224)。
 ④「普遍的理念としての進歩の観念(近代社会、市民社会、自由、民主主義、個人主義、人権など)は、戦後のわが国では、ただ進歩派知識人という社会集団の頭を占拠したにすぎない」(p.225)。
 このあとの展開は省略。
 「進歩的知識人の頭の中」だけ、というのはやや誇張と思われる。「進歩的知識人の頭の中」だけならいいが、書物や教育を通じて、「進歩的知識人」が撒き散らす概念や論理は<空気の如く>日本を支配してきたし、現在でもなお有力なままではないか、と思われるからだ(この旨を佐伯自身もこの本か別の著に書いていた筈だ)。
 但し、別の所(p.200)で「大塚久雄、丸山真男、川島武宜」の三人で代表させている戦後日本の<進歩的>知識人たちが、欧州<近代>を丸ごと、歴史的・総合的に<学んだ>のではなく、ルソー、ケルゼンらの<主流派>の思想、現実ないし制度へと採用されたことが多かったような「通説的」?思想のみを「適当に」摘み食いしてきた(そして日本に<輸入>してきた)という指摘はおそらく適切だろうと思われる。
 上の本に併行して、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)を先週に読み始め、2/3以上になるp.114まで一気に読んだ(最後まであと40頁)。とくにむつかしくはない。「まっとうな」憲法論議の役にどれほど立つのかという疑問はあるが、いろいろと思考はし、問題設定もしている(但し、本の長さ・性格のためかほとんど具体的な回答は示されていない)ということは分かる。
 <個人主義>(個人の尊重)との関係で佐伯と樋口の両者の本に同じ回に言及したことがあった。
 上で<ヨーロッパ近代>や「進歩的知識人」に関する佐伯の叙述の一部を引用した動機の一つは、次の樋口の、上の本の冒頭の文章を読んだからでもある。
 <自己決定原則は「自分は自分自身でありたい」との「人間像」を前提に成立していたはず。実際には、「教会やお寺」・「地元の有力者」・「世間の風向き」などの他の「だれかに決めてもらった」方が「気楽だ」という人の方が「多かったでしょう」。しかし、「そんなことではいけない」というのが「近代という社会のあり方を準備した啓蒙思想以来の、約束ごとだったはず」だ。この「約束ごと」に対する「公然とした挑戦が…思想の世界でも」説かれはじめた、「『近代を疑う』という傾向」だ。>(p.10)。
 樋口陽一は丸山真男らの先代「進歩的知識人」たちを嗣ぐ、重要な「進歩的知識人」なのだろう。上の文のように、「近代」の「約束ごと」を墨守すべきことを説き、「『近代を疑う』という傾向」に批判的に言及している。
 樋口のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>であり、かつ欧州ですら-佐伯啓思によると-19世紀末には激しい批判にさらされていたものだ。樋口はまるで人類に「普遍的な」<進歩的>思想の如く見なしている。
 樋口に限らず多数の憲法学者もきっと同様なのだろう。特定の<考え方>への「思い込み」があり、特定の<考え方>に「取り憑かれて」いる気がする。
 日本国憲法がそのルーツを<ヨーロッパ近代>に持ち、「人類」に普遍的な旨の宣明(前文、97条)もあるとあっては憲法学者としてはやむをえないことなのかもしれない。しかし、憲法学者だから日本国憲法が示している(とされる)価値をそのまま<自分自身のものにする>必要は全くなく、むしろそれは学問的態度とは言えないのではないか。憲法学者は、日本国憲法自体を<客観的に・歴史的に>把握すべきではないのか。<よりよい憲法を>という発想あるいは研究態度が殆どないかに見える多くの憲法学者たちは、やはり少しおかしいのではないか。
 筆が滑りかけたが、単純に上の二著のみで比較できないにせよ、参照・言及している外国の思想家等の数は樋口よりも佐伯啓思の方がはるかに多く、思索はより深い。憲法規範学に特有の問題があるかもしれないことについては別の機会に(も)触れる。