秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

1993年

1198/資料・史料-1993.08.04河野談話・1995.08.15村山談話。

 資料・史料-いわゆる<河野談話>・<村山談話>

 

 1.<河野談話>

 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 平成5年8月4日

 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」

 

 2.<村山談話>

 村山内閣総理大臣談話

 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
 
平成7年8月15日

 「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 『杖るは信に如くは莫し』と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。」

0778/資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話(河野談話)。

 資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話河野談話

 //慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
 
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。//

0453/テレビ局(ワイドショー)関係者はなぜ朝日新聞を好むのか?

 高山正之週刊新潮に毎号1頁もののコラムを連載している。面白いが、出典や正確な月日の記載がないことが多く、資料としては使いにくいところがあるのが難点だ(と私は感じている)。
 以上は前振りで以下が本文。高山は昨年12月までは毎号、月刊Voice(PHP)にも連載記事を執筆していたようだ(「メディア閻魔帳」)。その後も巻頭の方で写真付きの短い文章を書いている。
 別の何かで誰かが同旨のことを書いていたような気がするが、高山正之は上掲誌昨年(2007年)12月号で、朝日新聞に関してこんなことを書いている(この号のタイトルは「基地と市民と『朝日新聞』」。以下は朝日新聞に関する高山の記述のすべての内容ではない)。
 <安倍晋三退場へと「追い込んだ」のは「紛れもなく」朝日新聞の「飽くことのない非常識な個人攻撃」だ。一新聞が「常識をかなぐり捨てると首相の首も飛ばせる」という事態は怖い。朝日新聞紙上で若宮啓文と筑紫哲也が「馬鹿な大衆」(オルテガ)を「どう踊らせるか」を「堂々と語り合っている」。>
 関心を惹いたのは、むしろ以下だった。
 <「いまのテレビのワイドショー」は種々の職業の者が「コメンテーターとして社会や政治を語る。当然無理があるから、最低限、これは読んでくださいと事前に渡すのが、『朝日新聞』の記事や社説なのだ」。私(高山)も一年コメンテーターをしたが「どこのテレビ局も『朝日新聞』を教則本に使っていることを知った」。テレビ界はまだ「牢固とした『戦後レジーム』のなかにある」。>
 国民または有権者に対する「テレビのワイドショー」の影響力の大きさはしばしば語られている。よく分からないのは、高山の上の指摘が誤っていないとして、そうした番組のの製作担当者は何故、<朝日新聞>を最も権威あるニュース(・見解)ソースと考えているのか、だ。
 憶測はできる。番組製作に実際に中心的に携わっている(25~45歳の)世代でのマスコミ(>テレビ放送局)入社者は平均的な日本人に比べて、かなり<変わっている>。世代には関係ないかもしれないが、テレビを含むマスコミは当然に反権威・反権力・反政府の立場を採るべきだとの感覚に浸っているのかもしれない。あるいはまた、マスコミ(テレビ放送局)入社者は自分を平均的日本人よりも<賢く>かつ<進歩的>だと思っている、つまりは<インテリ>だと無意識にでも自己規定しているので、最も<インテリ>好みの、最も<インテリ>臭漂う(と言われることのある)朝日新聞に自然に親近的になるのかもしれない。
 理由が何であれ、高山の上の指摘が事実だとすると恐ろしいことだ。テレビ視聴者・一般国民は、朝日新聞の読者でなくとも、自然に、何となく<朝日新聞的な>意見または感覚をもってしまう可能性が十分にある。
 かつて1993年に非自民の細川護煕連立政権が誕生した後、民間放送連盟の会合でテレビ朝日の報道局長・椿貞良が選挙前に自民党政権存続阻止、反自民連立政権成立>の助けになる報道姿勢をとることで局内を一致させた旨を述べたことが問題になり、国会による椿の証人喚問、郵政省によるテレビ朝日に対する<行政指導>にまで発展したことがあった。
 テレビ朝日(朝日放送)系だけならまだよい。他のキー局まで、何故「朝日新聞」なのか。不思議であり、空恐ろしくもある。
 <インテリ>(これの定義・意味および存否は厳密には問題になる)は朝日新聞を読む、などという迷信?は、とっくに無くなっていると思っていたが…。
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