秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

麗澤大学出版会

1122/西尾幹二全集第2巻(2012.04)のごく一部。

 西尾幹二が福田恆存を追悼して書いた文章の中に以下の部分がある。
 「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して、反米・反政府を自明のよう語りながら、しかも日本共産党の過ちをも批判するという当時のどっちつかずの知識人の姿勢は、恐らく今なおリベラルの名で語られる政治潮流とどこかでつながっている。/福田氏が闘った相手はまさにこれである」。
 「現実を動かした強靱な精神―福田恆存氏を悼む」西尾幹二全集第2巻(第三回配本)所収p.299(国書刊行会、2012.04。初出は1994.11)。
 福田恆存の初期の評論「一匹と九十九匹と」に言及して「当時」と言っている。福田のこの評論は1946年(昭和21年)11月に書かれ、翌年3月刊の雑誌に発表されている(福田恆存評論集第一巻所収p.316以下、麗澤大学出版会・2009.09)。
 いつぞや、反自民・非共産で、後者よりの「左翼」が現在の日本の学者・知識人にとってもっとも安全な立ち位置だ、という旨を書いたことがある。
 さすがに現在では「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して…」とは言い難く、<反自民・「左翼」ぶりを身分証明のように利用して、かつ日本共産党そのものとも一体化せす(同党に批判的な眼も向けつつ)…>とかに、少しは表現を変える必要があるだろうが、「リベラルの名で語られる政治潮流」の姿は、西尾幹二が上のように書いてから20年近く経っても、さらには福田恆存の「当時」から60年以上経っても、本質的には変わっていないようだ。その点が興味深く、ここに引用する気になった。
 西尾幹二が初めて読んだ福田恆存の評論は「芸術とは何か」で1950年のもの、60年安保騒擾の際に西尾の救いとなったのは福田の「常識に環れ」らしく、これは1960年のものだ(それぞれ、福田恆存評論集第一巻、第七巻に所収)。
 他にも有名な「平和論の進め方についての疑問」(福田恆存評論集第三巻)などに、西尾は言及している。
 読んだことがあるものもある。あらためて、多くの福田恆存論考をじっくりと読みたいものだ。そう思わせる「評論」が今日では少なくなっていると思われる。西尾幹二の書くものもまた、私には一部の内容・主張に不満があるが、数少ない「評論家」であることは間違いないだろう。 

0965/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)における三島・福田対談。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(麗澤大学出版会、2010.04)p.264~は、持丸博=佐藤松男の対談著(文藝春秋、2010.10)が「たった一度の対決」としていた福田恆存=三島由紀夫の対談「文武両道と死の哲学」にも言及している。こちらの方が、内容は濃いと思われるにもかかわらず、すんなりと読める。
 遠藤浩一著の概要をメモしておく。
 「生を充実させる」前提の「死を引きうける覚悟」、「死の衝動が充たされる国家」の再建という編集部の企図・問題意識を福田・三島は共有していると思われたが、二人は①「例えば高坂正堯や永井陽之助あたりの現実肯定主義」 、②「現行憲法」には批判的または懐疑的・否定的という点では同じだったにもかかわらず、福田が現憲法無効化を含む「現状変革」は「結局、力でどうにもなる」と「ドライかつラジカルな現実主義」を突き付けるのに対して、三島は「どういうわけか厳密な法律論」を振りかざす。

 三島は「クーデターを正当ならしめる法的規制がない」、大日本帝国憲法には「法律以上の実体」、「国体」・「社会秩序」等の「独特なもの」がひっついていたために(正当性・正統性を付与する根拠が)あった、という。福田は「法律なんてものは力でどうにでもなる」ことを「今日の新憲法成立」は示しているとするが、三島はクーデターによって「帝国憲法」に戻し、また「改訂」すると言ったって「民衆がついてくるわけない」と反論する。福田はさらに「民衆はどうにでもなるし、法律にたいしてそんな厳格な気持をもっていない」と反応する(この段落の「」引用は、遠藤も引用する座談会からの直接引用)。

 なるほど「力」を万能視するかのような福田と法的正当性を求める三島の問答は「まったく嚙み合っていない」。にもかかわらず、(遠藤浩一によると)「きわめて重要なこと」、すなわち両人の「考え方の基本――現実主義と反現実主義の核心」が示されている。
 現憲法は「力」で制定されたのだから別の「力」で元に戻せばよいとするのが福田の現実主義と反現実肯定主義だ。天皇を無視してはおらず、「法」を超越したところに天皇は在る、「憲法は変わったって、天皇は天皇じゃないか」と見る。
 一方で三島が拘泥するのは「錦の御旗」=正統性であり、正統性なきクーデターが「天皇の存立基盤を脅かす」ことを怖れる。

 福田の対「民衆」観は「現実的で、醒めている」が、三島にとっての「秩序の源泉」は「力」にではなく「天皇」にある。ここに三島の「現実主義と反現実肯定主義」があった。

 このような両者の違いを指摘し、「対決」させるだけで、はたして今日、いかほどの建設的な意味があるのか、とも感じられる。しかし、遠藤浩一は二人は「同じところに立っているようでいて、その見方は決して交わることがない」としつつ、「現実肯定主義への疑問においては完全に重なり合う」、とここでの部分をまとていることに注目しておきたい。三島が「それは全く同感だな」、「そうなんだ」とも発言している二人の若干のやりとりを直接に引用したあと、遠藤は次のように自分の文章で書く。

 福田恆存の「理想に殉じて死ぬのも人間の本能だ」との指摘は三島由紀夫の示した「死への衝動」に通じる。「理想に殉じて死ぬ」のは人間だけの本能だというまっとうな「人間観」に照らすと、「戦後の日本人がいかに非人間的な生き方をしてきたか」と愕然となる。戦後日本人は「現実肯定主義という観念を弄び、あるいはそれに弄ばれつつ、もっぱら生の衝動を満たすことに余念がない」。/「現実肯定主義は個人の生の衝動の阻害要因ともなりうる。生命至上主義に立つ戦後日本人の生というものがどこか浮き足立っていて、『公』を指向していないことはもちろんのこと、『私』も本質的なところで満足させていないのは、福田が言う『人間だけがもつ本能』を無視し、拒絶しているからである。私たちは自分のためだけに、自分の生をまっとうするためだけに生きているようでいて、その実、それさえ満足させていない、それは『私』の中に、守るべき何者も見出せていないからである」(p.269)。

 なかなか見事な文章であり、見事な指摘ではないか。樋口陽一らの代表的憲法学者が現憲法上最高の価値・原理だとして強調する「個人(主義)」、「個人の(尊厳の)尊重」に対する、立派な(かつ相当に皮肉の効いた)反論にもなっているようにも読める。

 なお、このあと「官僚」にかかわる福田・三島のやりとりとそれに関連する遠藤の叙述もあるが省略。また、歴史的かな遣いは新かな遣いに改めた。

 遠藤浩一は、上の部分を含む章を次の文章で結んでいる。

 「三島由紀夫は…『日本』に殉じて自決した。少なくとも彼だけは『死の哲学』を再建したのである」(p.275)。

 以上に言及した部分だけでも、持丸=佐藤の対談著よりは面白い。

 だが、遠藤浩一の著全体を見ると、引用・メモしたいところは多数あり、今回の上の部分などは優先順位はかなり低い。

 櫻井よしこは、どこかの雑誌・週刊誌のコラムで、遠藤浩一の上掲書を「抜群に面白い」と評しているだろうか。
 追記-「生命尊重第一主義」批判・「死への衝動」に関連する、三島由紀夫1970.11.25<檄>の一部。

 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。

0962/櫻井よしこと持丸博=佐藤松男と大熊信行。

 櫻井よしこが週刊新潮12/23号で肯定的に言及していたので、持丸博=佐藤松男・証言/三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決(文藝春秋、2010)を入手して、読んで、いや全部を読もうとしてみた。

 だが、第二章の終わりあたりで、全体の3割くらいまで進んで、止めた。面白くない。
 三島由紀夫と福田恆存の「対決」は「たった一度」ではないのでないかと12/17に書いたが、この本のp.7によると、他に対談の機会はあったことには触れていないものの、「政治的、思想テーマについて」の「たった一度の対談」だとの趣旨のようだ。なおも誤解を招きうるとは思うが、12/17の批判的コメントは(全部ではなく)かなりの程度で撤回しておく。
 ともあれ、上の本は、最初に三島・福田の「対決」の「要旨」を掲載したうえで、あとは持丸博と佐藤松男の「対談」を内容とする。

 櫻井よしこは多くの三島論・福田論があったが「その中で、持丸、佐藤両氏が論じた本書は抜群に面白い」と評している(上記週刊誌p.138)。

 櫻井よしこは全部をきちんと読めた・読んだのだろうか。適当な(当事者たちに嫌われない)褒め方をしているにすぎないように思われる。

 この本の対談者二人は三島と福田にそれぞれに<私淑>した人物で、三島・福田の知られざる個人的言動がふんだんに語られていれば興味も湧くが、三島・福田の一つの「対談」を主たる材料にして、三島・福田と同レベルで、彼らの「思想」・「考え方」をあるときは代理してのようにあるときは独自の解釈を展開するように、語り合っている(全部を読んだわけではない)。持丸博と佐藤松男はそれぞれこれまでに三島や福田についての研究書なり評論書を刊行した実績はなく、どうやら初めての著書(対談書だが)のようだ。そのような二人が、いくらかつて三島・福田と物理的に「近い」場所にいたとしても、本格的な三島論・福田論を語るのは無理というものだろう。

 多少は具体的に述べれば、日本国憲法との関係で三島が使った「縄抜け派」という語を契機として示された二人の憲法感覚の違いは、持丸・佐藤のように説明または分析されるものなのか、疑問だ(p.32-37)。また、「国家(のエゴイズム)」と「天皇」の関係についての三島・福田の対論内容も、持丸・佐藤のように説明または分析されるものなのか、疑問だ(p.41-)。

 持丸博は<国家を超えた絶対的価値>の存否に関連して日本と西洋の違いや「キリスト教」に言及し、福田と三島の違いは「福田恆存は認識者」であることだ、「世界を認識」できるが、「絶対的な存在、そんな世界があるということを認識しているがゆえに…三島先生のような行為はできなかった」、「あの行為こそが三島由紀夫の限界」だとか語り、佐藤松男は福田は三島に「絶対的な価値は何か」を問うているのではなく「国家を超えた絶対的な何ものかを追い求めて」いく必要を語っているのだ、などと反応している(p.48-50)。

 このあたりのやりとりは(も)、対談の原文をきちんと読まず、かつ三島・福田について詳しくは知らないからかもしれないが、ほとんど理解できない。三島・福田が使った表面的な言葉・文章を手がかりにして、<空を掻く>ような議論をしている可能性を否定できない。

 もともと、「政治的、思想テーマについて」の唯一の「対談」として語られた中での、三島由紀夫と福田恆存の言葉・文章、相互の「やりとり」の関係のみをほとんど唯一の手がかりにして、三島・福田の「思想」・「考え方」の違い等を析出しようとするのは、無理があるのではないか。

 対談では、ふつうの単独執筆の文章・論考等と違って、概念・論理ともに厳密な議論が少なくとも十分にはできはしないだろうと思われる。

 三島由紀夫にしろ福田恆存にせよ長大な個人「全集」を遺しているわけで、それら全体から二人の「政治的、思想テーマ」に関する立脚点・発想・論理等々を(違いも含めて)明らかにすべきだろう。

 遠藤浩一・三島由紀夫と福田恆存(上)・(下)(麗澤大学出版会、2010)はそのような試みで、この二人の書いた文献を相当に広く渉猟しかつかなり深く読んだ上で、両者を分析または対比させているようだ。だからこそ興味をもって(時間はかかったが)読み終えた。しかし、持丸博=佐藤松男の本は約70頁でもう厭きてしまった。

 櫻井よしこに尋ねたいものだ。持丸博=佐藤松男の本が「抜群に面白い」というならば、遠藤浩一の本はいったいどうなのだ。櫻井よしこは、遠藤浩一の上記著書は読んでいない可能性があるだろう。

 ついでに、再び、櫻井よしこの上掲の週刊新潮12/23号の文章に戻る。
 櫻井よしこは、持丸博=佐藤松男の本に触れる中で佐藤が言及する大熊信行・日本の虚妄―戦後民主主義批判(論創社、2009)にも触れて、「大熊の主張はもっともだ」と書いている(p.138)。

 そこで紹介されているごく一部の大熊の発言だけに限れば「もっとも」なのかもしれないが、大熊信行は決して<保守派>の論者ではなく、「護憲」(九条2項改正反対)論者だ。タイトル(書名)に惑わされてはいけない。大熊は「戦後民主主義」だけを批判しているのではない。

 櫻井よしこが不用意に名を出すことによって、不必要な誤解を招く可能性もある。一部を読んだだけで、とか、引用されているのを間接的に読んで、というだけで簡単に肯定的に(または逆に消極的に)評価するのは、産経新聞社から<正論大賞>を受けたらしい「コラムニスト」あるいは「評論家」にはふさわしくないだろう。

0955/週刊新潮12/23号の櫻井よしこ・連載コラムと福田恆存。

 週刊新潮12/23号櫻井よしこ・連載コラムは、持丸博=佐藤松男・証言/三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決(文藝春秋、2010)に言及し、自らの文章として、「1960年の安保闘争から70年の安保闘争まで、左翼的思想で満ちていた日本で孤高の闘いを続けた福田恆存と三島由紀夫はたった一度、『論争ジャーナル』という雑誌で対談した」と書く(p.138)。
 持丸博らのミス(?)を引き継いでいるのだろうが、「たった一度」の対決・対談というのは、誤りだと思われる。
 決定版三島由紀夫全集39巻〔対談1〕(新潮社、2004)を見てみる。

 たしかに、論争ジャーナル1967年11月号で三島と福田は「文武両道と死の哲学」と題する対談をしている(全集39巻p.696-728)。

 だが、三島由紀夫・福田恆存・大岡昇平の三者は文芸1952年12月号で「僕たちの実体」ど題する対談をしている(同上p.111~127)。

 これは鼎談であって、対談でも「対決」でもないというならば、三島由紀夫と福田恆存の二人は、中央公論1964年7月号で、「歌舞伎滅亡論是非」と題する対談を行っている(同上p.415-424)。

 持丸らの上掲書を未読なのでどのような注記等がなされているのかは知らないが、「たった一度」の対決というのは事実に反しており、櫻井よしこもその瑕疵を継承しているようだ。

 つぎに、櫻井よしこは福田恆存「滅びゆく日本」(サンケイ新聞1969年02.01。福田恆存評論集第8巻p.261-264)の一部を紹介・言及して福田による「戦後」に対する警鐘・批判に同感する旨を書いている。

 たしかに福田恆存のこの一文からも福田の考えていたことの一端は分かる。しかし、この数頁しかない一文が福田恆存の代表的論文(・評論)とは思えない。いわゆる<進歩的文化人>と対決し、彼らを批判した1950年前後以降のものも含めて、福田恆存が「戦後」を批判的に分析し、批判し、憂慮した文章は、上記の評論集(麗澤大学出版会、刊行中)の中に多数見出すことができる。
 それに、遠藤浩一・三島由紀夫と福田恆存(上)・(下)(麗澤大学出版会、2010)が今年に刊行され、全集に直接に当たらずとも、福田恆存が1950年代以前から反「左翼」の立場で評論活動も行い、1960年前後にはすでに<高度経済成長>の「影」を視ていたことも明らかにされている(この遠藤著に今回は立ち入らない)。

 というわけで、櫻井よしこによる福田恆存発言の紹介の仕方には、たんに紙数の制約によるとばかりは思えない、かなりの不備があると感じられる。ついでながら、おそらくは、福田恆存は櫻井よしこ以上の文筆活動をしたと歴史的に評価されるだろう(たんなる量の問題ではない)。

0936/講和条約から60年安保「騒擾」へ-遠藤浩一著。

 一 いわゆる「六〇年安保」の1960年が、戦後日本にとっての重要な分岐点の一つだっただろう。

 遠藤浩一は、<六〇年安保闘争>などという語は用いず、「六〇安保騒擾」と称している。ともあれ、今でも、この「闘争」なるものに参加して国会周辺デモをしたことを懐かしくかつ何の恥ずかし気もなく語っている者が知名人の中にも少なくないことはどうしたことだろう。騙されてか、信念を持ってかのいずれにせよ、樺美智子や西部邁らとともに安保改定「反対」デモに加わったということは、秘すべき、恥ずかしい過去なのではないか。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010.04、麗澤大学出版会)p.47は、次のように<主権回復時(から安保改定に至るまでの経緯)>の論点を整理している。適確なのではないかと思われる。
 ・「平和憲法」により「戦力は…保持しない」として「自分で自分を守ることは致しません」と内外に宣言した日本が「主権を回復」しようとするとき、「二つの選択肢」が想定された。

 ・①「憲法を改正して普通の独立主権国家並の体制を整える」(そのうえでどこかと「同盟関係」を結ぶというオプションもありうる)。②「憲法の非戦条項を維持したまま別の国家に保護を求める」。

 ・かつまた、「東西」分裂・「冷戦」の激化があったので、この点でも「複数の選択肢」が発生した。

 ・A「自由民主主義陣営」に属する、B「共産圏」に属する、C「非同盟中立」を標榜して「独自の道」を歩む。但し、Cの場合は日本を「軍事的、経済的に保護」できる「非同盟中立の大国」は存在しなかったので、この道は「必然的に憲法を改正し自主防衛を追求」せざるをえない。

 ・以上を複合させて整理すると、「主権回復時」の日本は次の五つから進むべき途を選択する必要があった。

 ・①「憲法を改正し再軍備」したうえで「自由民主主義諸国」と連携する。②「再軍備したうえで共産圏」にコミットする。③「再軍備して非同盟・中立」を追求する。④「憲法」に手を付けず(=憲法改正をせず)「軽武装もしくは非武装」で「米国に軍事的保護を求める」。⑤同様に「軽武装もしくは非武装」で「ソ連に軍事的保護を求める」。

 ところが、と遠藤浩一は続ける。「全面講和論者」は「平和、平和」と気勢を上げるだけで、当時の日本が置かれた「状況」とそこから導出される「選択」について、「説得力ある議論」を展開したわけではなかった(p.47)。

 二 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者は、現実に明確な<勝利>をしたわけではないが、戦後日本の歩みにきわめて重要な役割を果たした。その系譜は、脈々と今日まで受け継がれ、<左翼・売国>政権となって政治の現実について主導権を握るまでに至っている(「コミュニズム」の影響は今日の日本でもなお根強く生きている)。

 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者とは簡単にはかつてにいう<進歩的文化人>を含み、かつこれによって煽られ、「理論」的に支えられもした。この者たちの<罪>は、永遠に忘れられてはならない。むろん、その背後にソ連共産党等の外国を含むコミュニストがいたことも明らかなことだ。

 戦前の個々の「戦史」や作戦・戦略面での<判断ミス>やその責任者について関心はなくはないが、そしてそれは戦後(・占領期)の「東京裁判」の理解と関係するが、基本的には、戦前の歴史には積極的な関心を持たないようにしている。

 時間的余裕が、現在も、想定される将来も乏しいからだ。

 日本は<戦争に負けた>、という事実から、日本の「戦後史」をふりかえるしかない。そして、<戦争に負けた>のは事実だが、そこに道徳的・倫理的な評価を混ぜることがあってはならない、ということをも前提としてふりかえるしかない。

 <戦争に負けた>のは事実だとしても、日本がその<戦争>をしたこと自体が「悪」だったとか、道義的・道徳的・倫理的に批難されるべきものだったとかの立場には立たない。<日本は(反省すべき)悪いことをした>という歴史認識は、一方に偏り過ぎている。いかにそれが、戦後の<正嫡の>「歴史観」だったとしても、<正嫡>・<公式>の歴史観・歴史認識が適切または「正しい」保障はない。言わずもがな、だが。

 というわけで、あるいは、ということを前提として、遠藤浩一の本等に言及しながら、「戦後史」をふり返る作業も、この欄で行う。

0907/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫1945-1970(麗澤大学)①。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫/1945-1970(麗澤大学出版会、2010)、上・下巻、計650頁余を、10月上旬に、全読了。
 まとまった、ある程度長い書物を読了して何がしかの「感動」を受けたのは、おそらく2008年の佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)以来で、かつ、佐伯啓思のものよりも大いに感心した。

 いわゆる旧かな遣いは慣れていない者にはいささか読みにくいが、何と言っても、カタカナ名の人名が(おそらく)まったく出てこず、福田恆存と三島由紀夫を中心とする日本人の文章のみが紹介・引用ないし分析されていることが―本当は奇妙な感心の仕方なのだが―新鮮だ。
 また、著者によると、「『戦後』という時代を俯瞰的に眺めて」みることが「基本的なモティーフ」だとされるが(下巻p.292)、書名からする印象以上に、(ほぼ1970年くらいまでだが)「戦後史」の本になっている。
 この欄で触れたように、半藤一利・昭和史/戦後篇(文藝春秋)は、売れているらしいが、とても歴史書とは言えない、訳の分からない紛い物。林直道・強奪の資本主義-戦後日本資本主義の軌跡(新日本出版社)はマルクス主義の立場からする、日本共産党的な(教条的な)戦後日本「資本主義」史の叙述。

 中村政則・戦後史(岩波新書)は、多少は工夫しているが、マルクス主義(史的唯物論・発展段階史観)を基礎にしては、まともに歴史を描きえないことの証左のような作品。

 これら三冊についてそれぞれ、既にコメントした。

 これらに比べて、遠藤著は、1970年頃までの「昭和戦後史」と謳っているわけではないものの、随所に出てくる各時代・時期の認識・評価等は本格的で、ほとんどまっとうなものだ、と感じる。三島由紀夫と福田恆存に特段の関心はなくとも、両者を絡めての正当な戦後25年史(1945-1970)に関する書物としても読めるだろう。細部の個々の論点に関する理解・認識について議論の余地はあるとしても。

 <左翼>は、この本のような時代叙述に反発し批判するのだろうが、私にはほとんど常識的なことをきちんと文章にしている、と感じられた。まっとうで常識的なことを書くことはむつかしい時代が現在でもあるので、このような本の存在意義は大きいだろう。

 さらに、著者によると、書名にある二人の仕事を再読するのは「過去を振り返るためではなく、現在について考えるためである」(下巻p.292)。ここにも示されているが、叙述の対象は1970年頃でほぼ終わってはいるものの、日本の現在と、なぜそのような現在に至ったのか、ということにも認識・分析が言及されていて、それらを読者に考えさせる本にもなっている。

 やや褒めすぎかもしれないが、率直な感想だ。遠藤浩一は、並々ならぬ文章力・表現力と、じつにまともな(素直で常識的な)歴史を観る力をもっていると感じざるをえない。後者には、戦後「政治」史を観る力も当然に含まれている。

 福田恆存と三島由紀夫が論じ、考えていたことについてもあらためて教えられるところが多い。

 今回はこれくらいにして、別の機会にこの本(上下、二冊)により具体的に言及してみる。

0679/福田恆存「私の保守主義観」(1959)を読む。

 福田恆存評論集第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)の中に収載されている「私の保守主義観」、初出は「読書人」1959年6月19日号、はたった5頁だが(p.126-)、興味深い。以下、要約又は引用。
 ・私は「保守的」だが「保守主義者」とは考えていない。「保守派」は「保守主義」を「奉じるべきではない」。
 ・「保守派」は眼前の「改革主義」という「敵」を見て自らが「保守派」であることに気づく。「保守主義」はイデオロギーとしては「最初から遅れをとっている」。それは、「本来、消極的、反動的であるべき」ものだ。
 ・「保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲している」とは、「革新派」の誤解。「保守党」が自分たち支配階級の利害しか考えず、「進歩や改革を欲しない」との「革新派の宣伝」は、日本では「古すぎるし、効果もない」。
 ・「保守派」と「革新派」の差異は、「進歩や改革」を前者はただ「希望する」だけなのに対して、後者は「義務」と心得ることにある。前者における「私的な欲望」は後者において「公的な正義になる」。「進歩」は前者において自然な「現実」・人間活動の「部分」・「手段」だが、後者においては最高の「価値」、生存の「全体」・「目的」になる。
 ・「保守派が合理的でないのは当然」。「進歩や改革」を嫌うのはその「影響や結果に自信がもてないから」。一部の改革が全体の総計に与える不便に関する見通しがつかないから。
 ・「保守派」は「態度によって人を納得させるべきで」、「イデオロギーによって承服させるべきではない」。「保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分としたとき、それは反動になる」。「大義名分」は「改革主義」のもの。
 ・「保守派は無智といわれようと、頑迷といわれようと、まづ素直で正直であればよい。…。常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。
 以上。今や死語になったかの「革新(派)」という語が出てくるなど、時代を感じさせる。だが、「まづ素直で正直で」、「常識に随い」…とは、<左右>を問わない、人の生き方そのものだと思える。無理をする必要はない。イデオロギー闘いを挑み、「左翼」を論難するのも本来は「保守派」ではないかもしれない。
 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)というような問いかけも、少しは肩肘が張りすぎているのかもしれない、と思ったりする。「常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。このくらいの神経を持っていないと、今の時代を精神の安定を保って生きるのはむつかしいのかもしれない。
 ところで、保守又は「保守主義」を論じるとき、イギリスのE・バークはフランス革命に際して…と始める論者も多いように見えるが、福田恆存はその「保守派」の考え方をどのようにして形成したのだろう。バークを読んだから、ではないことは確かなのだが。 

0674/福田恆存「平和論に対する疑問」・「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」を読む。

 一 清水幾太郎の剽窃ではないかと疑った者もいたらしい福田恆存「平和論に対する疑問」は中央公論1954年12月号公刊で、(再?)刊行中の福田恆存評論集の第三巻(麗澤大学出版会、2008.05)に収載されている(p.135-155)。
 現時点で読むと特段に斬新なことが書かれているわけではなく、こんな論考が当時では話題になるほどの(進歩的)「文化人」の意識状況だったということに、感慨をもって驚かされる。
 福田恆存は「平和論に対する疑問」を5点挙げている(p.149-。おそらく本意には反するだろうが、原文の旧字体等は改めている)。
 ①「二つの世界の平和的共存」を「どういう根拠で…信じられるのか」。日本の「平和論」は世界的には力はなく、「知っているのは、おそらく共産圏の指導者たちだけ」。それは、「若い青年たち」を「平和か無か」という「極端な思考と生活態度に駆りやる作用」をもっている。
 ②「平和か無か」は「共産主義か資本主義か」の問題につながることを承知しているのか。「平和論者」はこんな問いを発しないし反対の印象すら与え、「ただちに共産主義との間に二者択一を迫る」ようには見えない。だが、「平和論」をまじめに受け取ると、「資本主義国はすべて悪玉」に映じてくる。
 ③「平和論者たち」は本当にイギリスを信頼しインドに範を仰ぎ「スイスに羨望」しているのだろうか、等々。
 ④「平和論者たちは、ソ連が二つの世界の平和的共存を信じ、その努力をしていると信じているのでありましょうか」。
 ⑤「インドのネールへの憧憬の正体」が分からない。「ほんとうにネールのような政治家を、日本の指導者としてもちたいのでしょうか」。
 二 杉村春子「女の一生」中国迎合「改作」問題に直接にかかわる(杉村への手紙ではない)論考は「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」というタイトルで芸術新潮1960年10月号に発表され、福田恆存評論集の第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)に収載されている(p.102-125)。
 「政治的な、あまりに政治的な」と題する節の中で紹介されている「改作」の具体的例(一部のみ引用)。
 「清国へ渡って馬賊になろうと…」→「中国へ渡ってあの広い大地で労働をしたいと…」。
 原作にはない追加。-「…。世界は金持と貧乏人に分けられるってことは言うまでもない。…」、「…いい世の中になるために、幸福な生活になるために、貧乏人も金持もない世の中をつくること、そういうことを考えている…」。
 終幕部分の全面改定(ほとんど追加)。-「…そういう連中が、まるで気違いのように戦争を呼び起こし、そして戦争は彼等を罰しました。…」、「…ほんとうにはずかしいことだと思います。多くの戦争犠牲者に、とりわけ私達の家に最も縁の深い中国の人民の方達に、心からお詫びをいいたいと思います。…」
 こういう「改訂」(改作)は、日本での60年安保闘争を背景にして、中国(共産党)当局の<示唆>によって、文学座(杉村春子)側が「自発的」に行ったらしい。
 村山富市、社民党、週刊金曜日編集人たち、戦時「性犯罪」補償法案提出者たち、そして朝日新聞社内の多数派「左翼」等々の先輩たちは、むろん1960年段階ですでに立派に育っていたのだ。今まで続く対中<贖罪>意識、ひどいものだ。これも、GHQ史観の教育・宣伝の怖ろしい効果。

0390/読書履歴2/11付。佐伯啓思・福田恆在ら。

 たぶん2/07夜に、佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)を全読了。同・現代日本のイデオロギーは未読の部分がまだある。
 2/09夜に福田恆存・同評論集第八巻(麗澤大学出版会、2007)の一部を読む。
 既読の月刊正論3月号(産経)の新保祐司「伝統を大切にするという事」は、保守とは、たんに「守る」のではなくつねに「伝統を新鮮にし、蘇らせ」る営為だ(p.99)、旨の主張をしているようだ。反対はしないが、しかし、現在の日本と日本人にとっての「伝統」とはそもそも何なのか。この点を明瞭にしてもらわないと隔靴掻痒の感あり(この人の他の文章は読んだことがない)。
 戦後60年余、現在70歳(1937~38年生)未満の者は、ほとんど又は全く、戦後教育しか受けず、戦後の空気しか吸っていない。<戦後民主主義>もまた(あるいはこれこそが)、<保守>すべき日本の<伝統>と考えている(又は感じている)人々が既に多数いるのではないか。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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