秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

鳩山一郎

1080/自衛隊の合憲性の根拠は芦田修正?

 2/02衆議院予算委員会で自民党・石破茂が田中某防衛大臣に自衛隊の合憲性についての憲法(九条)上の根拠を糾し、田中某が「しどろもどろ」の答弁をしたので、石破茂は、次を「模範解答」として教示した、とされる。
 ・九条二項冒頭のいわゆる「芦田修正」(「前項の目的を達成するため」の挿入)。他に「文民条項」も挙げたらしいが、これをも追加した意味は不明なので、以下では後者については省略しておく。
 誰かがどこかですでに書いているだろう。石破の憲法「解釈」は成り立ちうるものではあるが、これまでの政府見解とはまったく異なる。
 元防衛大臣の石破も、そして自民党も、上の問題についての「政府見解」を知らないとは、まったく呆れてしまう。それをご説ごもっともと?聞いていたらしい田中某も民主党政府全体も、そしてマス・メディアもどうかしている。この点を問題視していた全国紙はあったのだろうか。
 憲法9条の法解釈論を少しでも勉強したことがある者であれば誰でも知っているようなことだ。
 なるほど芦田修正を形式的に文言どおりに生かせば、前項(9条1項)による<侵略戦争の禁止(放棄)>のためにのみ「戦力の保持」が2項によって禁止されていることになる。換言すれば、<自衛(戦争)>のための「戦力」保持は禁止されておらず、自衛のための(堂々たる)「戦力」として自衛隊は認知されていることになる。
 しかし、政府の解釈も変遷してきたという曖昧さ・いいかげんさはあるのだが、昭和29年・自衛隊法制定時の鳩山一郎内閣時代の林修三法制局長官国会答弁(1954.12.21)は、次のようなものだった。
 ・「国家が自衛権を持っておる以上…〔自衛のための〕実力を…持つことは当然のこと」、「憲法が…、今の自衛隊のごとき…自衛力を禁止しておるということは…考えられない。すなわち第2項…その他の戦力は保持しないという意味の戦力にはこれは当たらない」。
 また、同時期の大村清一防衛庁長官国会答弁(1954.12.22)は、次のようなものだった。
 憲法は自衛権・「自衛のための抗争」を否定していない。「…従って自衛隊のような自衛…目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」。
 要するに、芦田修正などは何ら根拠とされず、そもそも自衛隊は九条2項が保持を禁止する「戦力」ではなく<自衛のための実力部隊>にすぎない、とされたのだ。
 その後、佐藤栄作内閣時の吉国一郎法制局長官国会答弁(1972.11.13)は、「9条2項の戦力の定義」は「自衛のための必要最小限度を超えるもの」だと述べ、自衛隊は「超えるもの」ではないがゆえに「戦力」ではなく、従って憲法9条に抵触しない、とした。
 「戦力」の意義を明瞭にしているが、基本的な趣旨は、昭和29年の時期と同じだと解してよい。
 このような解釈については、常識的にみて自衛隊が「戦力」に当たらないとするのはこじつけだとか、「必要最小限度」とはどの程度かあいまいだ等の批判は当然にありうる。
 しかし、ともあれ、これが現在も生きている日本政府の(自衛隊に関する)憲法解釈のはずなのであり、石破が「芦田修正」を持ち出すのは、芦田に自衛隊(自衛軍)保持の余地を残したいという意図がかりにあったとしても、<公的な・公定の>解釈ではなく、一国会議員の解釈にすぎない。石破は1970年代以降に大学で憲法を学んだはずだが、よほど奇妙な(主観的な個人の解釈だけを示す)教師の講義を受けたのだろうか。
 こんな、自衛隊の存立基礎にかかわる問題について、与党も野党も、そしてマスコミも、国会における奇妙なやりとりを問題意識をもって聞いていないとは、まことに奇妙な、あるいは異様な事態だと思われる。ますますもって嘆かわしい世の中になってきている。

0814/資料・史料-2009.09.24鳩山由紀夫国連一般討論演説。

 資料・史料-2009.09.24鳩山由紀夫首相国連一般討論演説 
 /第64回国連総会における鳩山総理大臣一般討論演説/2009年9月24日/ニューヨーク

 議長、ご列席の皆様、/トレイキ議長の第64回国連総会議長への就任をお祝い申し上げます。また、デスコト前議長の卓越した指導力に敬意を表します。
 私は、国連が直面する様々な課題への対応において潘基文事務総長が示している献身と指導力を、高く評価します。

 議長、/日本で、制限的なものとは言え選挙制度が始まったのは、今から120年前の1889年のことです。その後、20世紀のはじめには「大正デモクラシー」と呼ばれる時代もあり、選挙によって政府が変わることは、実は日本でも当たり前のことでした。
 このように、日本は民主主義と選挙の確かな伝統を持つ国です。しかし、第二次世界大戦後の日本では、投票を通じた政権交代が行われることはありませんでした。政と官の間の緊張関係が消えて、結果として日本外交から活力を奪ってしまった面があることは否めません。
 しかし去る8月30日、日本国民は総選挙において遂に政権交代を選択しました。それは日本の民主主義の勝利であり、国民の勝利でした。そして先週9月16日、私が日本国首相に就任し、今ここに立っています。
 私の率いる新政権は、民主主義のダイナミズムを体現し、オール・ジャパンの陣容で、直面する内政・外交の課題に全力で取り組む所存です。

 議長、/日本が国際連合への加盟を承認されたのは、1956年12月18日です。その時の首相が、我が祖父、鳩山一郎でした。
 日本の国連デビューとなった第11回総会で、当時の重光葵外相は次のように述べています。
 「日本の今日の政治、経済、文化の実質は、過去一世紀の欧米及びアジア両文明の融合の産物であって、日本はある意味において東西の架け橋となりうるのであります。このような地位にある日本は、その大きな責任を十分自覚しておるのであります」と。
 当時の首相である祖父・一郎は「友愛」思想の唱導者でした。友愛とは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方です。
 重光葵の演説にある「架け橋」という考え方が、一郎の友愛思想と共鳴していることは実に興味深いことです。

 それから53年後の今日、同じ国連総会の場で、私は日本が再び「架け橋」としての役割を果たさんことを、高らかに宣言したいと思います。

 議長、/今日、世界はいくつもの困難な挑戦に直面しています。決して、やさしい時代ではありません。しかし、「新しい日本」はそのような挑戦に背を向けることはしません。友愛精神に基づき、東洋と西洋の間、先進国と途上国の間、多様な文明の間等で世界の「架け橋」となるべく、全力を尽くしていきます。
 本日、私は日本が架け橋となって挑むべき5つの挑戦について述べます。

 第一は、世界的な経済危機への対処です。
 世界経済は、最悪期を脱したかに見えるものの、雇用問題をはじめ、予断を許さない状態が続いています。
 そこでまず、日本がやるべきことは、自身の経済再生です。新しい日本にはそのためのプランがあります。
 年間5.5兆円の子ども手当は、教育への投資であると同時に、消費刺激策であり、少子化対策となります。
 自動車の暫定税率の廃止は、年2.5兆円の減税策であるとともに、流通インフラの活性化によって日本産業のコスト競争力を改善することが期待されます。
 後で述べるように、我々は極めて高い気候変動対策の目標を掲げていますが、そのことによって電気自動車、太陽光発電、クリーンエネルギー事業など、新しい市場が生まれるでしょう。また、海洋・宇宙・次世代ITなどの分野でも、新産業・新技術の創造を通じて安定的な成長力を確保します。
 政権交代を通じた経済政策の見直しにより、日本経済は復活の狼煙を上げるに違いありません。

 次に、新しい日本はグローバリゼーションに適切に対処する必要があります。グローバリゼーションという世界的な相互依存の深化には、光の側面と影の側面があります。光の部分を伸ばし、影の部分を制御することが今日の世界の課題となっています。
 貿易・投資の自由化を進める一方、市場メカニズム任せでは調整困難な「貧困と格差」の問題や、過剰なマネーゲームを制御する仕組みづくりのため、国際協調が求められています。G20を含む国際会議の場で、日本は共通のルール作りに向けて、「架け橋」の役割を果たしていきます。

 二番目の挑戦は、気候変動問題への取組みです。
 異常気象の頻発や海水面の上昇などに見られるように、地球温暖化は我々の目の前に現実に存在する危機です。しかも、一国で取り組んでも限られた効果しかあがりません。ところが、先進国と途上国、先進国の間、途上国の間と、各国の間で短期的な利害が一致せず、ポスト京都議定書の枠組み構築の道のりは決して平坦ではありません。
 新しい日本政府は、温室効果ガスの削減目標として、1990年比で言えば2020年までに25%削減を目指すという非常に高い目標を掲げました。交渉状況に応じ、途上国に対して、従来以上の資金的、技術的な支援を行う用意があることも明らかにしました。もちろん、すべての主要国による公平かつ実効性のある国際的枠組みの構築及び意欲的な目標の合意がわが国の国際約束の「前提」となりますが、日本がこのような野心的な誓約を提示したのは、日本が利害関係の異なる国々の「架け橋」となり、将来世代のためにこの地球を守りたい、と願ったからにほかなりません。
 私はご臨席の皆様に強く訴えます。来るべきCOP15を必ず成功させようではありませんか。
 第三は、核軍縮・不拡散にむけた挑戦です。
 米ロ間で核兵器削減交渉が進展しつつあることを私は歓迎します。英仏の独自のイニシアティブも同様に評価しており、すべての核保有国が具体的な核軍縮措置をとることが急務です。そして、新たに核兵器の開発を企図する国が存在するほか、核物質や核技術がテロリストの手に渡り、実際に使われる危険性は、今後ますます高まりかねません。
 この分野でも、日本は核保有国と非核保有国の「架け橋」となって核軍縮の促進役になれる可能性があります。すなわち、核保有国に核軍縮を促し、非核保有国に核兵器保有の誘惑を絶つよう、最も説得力を持って主張できるのは、唯一の被爆国としてノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキを訴え続けてきた日本、そして、核保有の潜在的能力を持ちながら非核三原則を掲げ続けている日本です。
 今年4月、オバマ大統領がプラハで「核兵器のない世界」の構想を示したことは、世界中の人々を勇気づけました。私もその一人です。来年5月のNPT運用検討会議を成功させるためにも、CTBTの早期発効やカットオフ条約交渉の早期開始に向け、我々は今こそ行動すべきです。
 ここで北朝鮮について触れておかなければなりません。北朝鮮による核実験とミサイル発射は、地域のみならず国際社会全体の平和と安全に対する脅威であり、断固として認められません。北朝鮮が累次の安保理決議を完全に実施すること、そして国際社会が諸決議を履行することが重要です。日本は、六者会合を通じて朝鮮半島の非核化を実現するために努力を続けます。日朝関係については、日朝平壌宣言に則り、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を誠意をもって清算して国交正常化を図っていきます。特に、拉致問題については、昨年に合意したとおり速やかに全面的な調査を開始する等の、北朝鮮による前向きな行動が日朝関係進展の糸口となるでありましょうし、そのような北朝鮮による前向きかつ誠意ある行動があれば、日本としても前向きに対応する用意があります。
 第四の挑戦は、平和構築・開発・貧困の問題です。
 21世紀の今日においても、貧困、感染症、保健、教育、水と衛生、食料、麻薬などの問題から世界は解放されていません。特に、途上国において事態は深刻です。破綻国家がテロの温床になるという、残念な現実も指摘せざるをえません。昨年来の世界経済危機は、状況の悪化に拍車をかけています。新しい日本はここでも「架け橋」になるべきです。
 日本は国際機関やNGOとも連携し、途上国支援を質と量の双方で強化していきます。アフリカ開発会議(TICAD)のプロセスを継続・強化するとともに、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成と人間の安全保障の推進に向け、努力を倍加したいと考えます。
 アフガニスタンの安定と復興のために、日本は、警察支援を含む治安能力の強化や社会インフラの整備、日本の援助実施機関であるJICAによる農業支援や職業訓練を含む人材育成など幅広い分野での支援を実施してきました。その上に立って、アフガニスタンがその安定と復興のために注ぐ努力を、国際社会とともに積極的に支援します。言うまでもなく、アフガニスタンで平和を達成し、国の再建を進める主役はアフガニスタンの人々です。その際、反政府勢力との和解や再統合は、今後重要な課題となります。日本は、この分野で、和解に応じた人々に生活手段を提供するための職業訓練などの社会復帰支援の検討も含め、有益な貢献を果たします。また、周辺地域の安定も重要であり、パキスタンなどに対する支援も着実に行います。
 今日の世界において、「国家の安全保障」と「人間の安全保障」はますます分離不可能になってきました。様々な国家も、民族も、人種も、宗教も、互いの違いを認めて共生する、つまり「友愛」の理念によって「支えあう安全保障(shared security)」を実現することこそが、人類を救う道なのです。
 第五は、東アジア共同体の構築という挑戦です。
 今日、アジア太平洋地域に深く関わらずして日本が発展する道はありません。「開かれた地域主義」の原則に立ちながら、この地域の安全保障上のリスクを減らし、経済的なダイナミズムを共有しあうことは、わが国にとってはもちろんのこと、地域にとっても国際社会にとっても大きな利益になるでしょう。
 これまで日本は、過去の誤った行動に起因する歴史的事情もあり、この地域で積極的な役割を果たすことに躊躇がありました。新しい日本は、歴史を乗り越えてアジアの国々の「架け橋」となることを望んでいます。
 FTA、金融、通貨、エネルギー、環境、災害救援など――できる分野から、協力し合えるパートナー同士が一歩一歩、協力を積み重ねることの延長線上に、東アジア共同体が姿を現すことを期待しています。もちろん、ローマは一日にしてならず、です。ゆっくりでも着実に進めていこうではありませんか。
 議長、/最後に私は、国際連合こそがまさに「架け橋」の外交の表現の場であることを、列席の皆さま方に思い起こしていただきたいと思います。
 国際の平和と安全、開発、環境などの諸問題の解決にあたり、国連の果たす役割には極めて大きいものがあります。私は、国連をもっと活かしたいし、国連全体の実効性と効率性を高めたいとも思います。
 日本は国連、中でも安全保障理事会において、様々な国の間の「架け橋」として、より大きな役割を果たすことができる、と私は確信しています。安全保障理事会の常任・非常任理事国の議席の拡大と日本の常任理事国入りを目指し、そのための安保理改革に関する政府間交渉に積極的に取り組んでまいります。
 以上、「新しい日本」からのメッセージをお伝えしました。
 ご清聴に感謝します。
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 いくつかコメント。
 気になる言葉・表現-①選挙による「政権交代」がなかったことが、「政と官の間の緊張関係が消えて、結果として日本外交から活力を奪ってしまった面がある」。②「日本国民は総選挙において遂に政権交代を選択しました。それは日本の民主主義の勝利であり、国民の勝利でした」。←これらの認識は妥当か?
 ③「これまで日本は、過去の誤った行動に起因する歴史的事情もあり、この地域〔東アジア〕で積極的な役割を果たすことに躊躇がありました」。←日本の「過去の誤った行動」と明言。これは何の意味か? かく発言する意義・必要性は?
 幼児的美文-①「友愛とは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方です」。
 ②「新しい日本」は、「友愛精神に基づき、東洋と西洋の間、先進国と途上国の間、多様な文明の間等で世界の「架け橋」となるべく、全力を尽くしていきます。」
 ③「今日の世界」では「国家の安全保障」と「人間の安全保障」は「ますます分離不可能になって」いる。「様々な国家も、民族も、人種も、宗教も、互いの違いを認めて共生する、つまり「友愛」の理念によって「支えあう安全保障」を実現することこそが、人類を救う道なのです。
 上の③などは、かかることを国連総会(!)で発言することを<恥ずかしく>思わないのだろうか。どこかの高校あたりの(何十年か前の?)弁論大会ではあるまいし。
 地球環境問題、核問題、五本柱の一つとされた「東アジア共同体の構築」問題等々についての内容的なコメントは省略。 

0268/朝日新聞の情報操作・世論誘導に騙されてはいけない。

 松岡前農水相自殺の翌朝の朝日新聞には、<安倍政権に打撃>という文字が一面中央下あたりにしっかりと刻まれていた。それも含めて、この事件が、<安倍政権に打撃になってほしい>という気持ちがありありと感じられる紙面の作り方だった。読売・産経を読んだあとだったので、新聞によってこうも違うのかと、改めて感じ入った記憶がある。
 久間防衛相辞任後の朝日新聞7/04朝刊の一面右上見出しは「参院選 首相に打撃」で前農水相自殺の際の<安倍政権に打撃>よりも大きいフォントだ。かつ今度は<安倍政権>ではなく、ずばり「首相」になっている。安倍首相にとっての打撃になれ、なってほしいとの気分が溢れ出ている。二面も同じで、大きく「身内かばい政権危機」とある他、「甘い認識対応後手」「「反転攻勢」狙った矢先」とタタミかけている(いささか品が悪いほどだ)。
 批判的な指摘もあった産経・読売と比べても、明らかに紙面作り、その結果としての紙面から生じる印象・雰囲気が異なる。
 朝日新聞は自民党の大幅減は必至と予想し、何とか安倍首相の退陣にもっていきたい、と考えている、と容易に想像がつく。そうなるまでの自民党の大敗北を期待し、かつ世論を誘導しようとしているのだ。
 安倍首相と朝日新聞はふつうの政治家・マスコミの関係とは異なる。安倍首相に関係すると、報道機関性など忘れた露骨な政治団体と化すのが朝日新聞だ。
 定期購読していないのでただちには気づかないだろうが、朝日新聞は、今後ますます、安倍首相率いる自民党大敗北に寄与する記事を書き、紙面を作るだろう。明瞭な捏造・虚報記事は発しないかもしれないが、これまでのいきさつ・事件も含めて、安倍首相攻撃は止むことがないだろう。
 <地球貢献国家へ>などと寝ぼけたことを言い、7/04の社説では1945年9月の同紙上の鳩山一郎の原爆投下批判により「占領軍により発行停止になった」と自慢げに書きつつ、その後は占領軍にべったりの迎合記事しか書けなかったことには一言も触れていない。さらに、主権回復後に<米国は原爆投下を謝罪せよ>との旨の社説を掲載したことは一度もない筈であるにもかかわらず、「原爆投下が誤りであり、原爆の被害が悲惨なことを、日本から粘り強く発信し、米国に伝えていく」などと、「粘り強く発信」という独特の朝日用語も用いつつ、<偽善者>的に主張している。
 政界の、そして参院選の最も大きな対立・争点は、やはり、あくまでも親共産主義か親自由主義かにある。朝日新聞は親共産主義陣営に入る代表的なマスコミだ。
 この対立点さえ忘れられていなければ、選挙結果が日本を悪い方向には向かわせないだろう、と信じる。
 左翼又は<進歩的・良心的>リベラル対安倍首相が代表だとする<強権的><国家主義的>右翼の対立では、ない。
 前者を支持して投票行動をとろうと思っている人々は、無意識に、意図せずにであれ、共産主義者(中国・北朝鮮を含む)に手を貸すことになることを知るべきだ。
 むろん、日本国憲法が有効かどうかなどいう<法学上の神学的議論>は些細な争点ですらない。

0175/50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)に寄せて。

 昨年8/26の朝日新聞に小泉前首相靖国参拝をうけて<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>と訳のわからないことを書いていた保阪正康の本を買う気はもはや全くないのだが、同氏の監修・解説にすぎず資料的価値があると判断して、50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007.04)を購入した。
 憲法調査会法案(のちに成立して1956.06.11施行)の審議中の衆議院内閣委員会公聴会の記録がこの本の中身の殆どで、今読んでも(全部はまだ読んでいないが)興味深く、資料的価値は高い。
 この時代を振り返っての基本的な感想又は感慨は次のとおりだ。
 上の法案は1955年6月に国会に提出された。当時の首相は鳩山一郎で、彼は「自主憲法」制定を目指していた。鳩山は民主党で、同党と自由党(緒方竹虎総裁)が合同して自民党(自由民主党)となったのは、1955年11月だった(衆議院299・参議院118の議員数)。
 上の本の解説等をきちんと読んではいないが、憲法調査会法案が近い将来の憲法改正(自主憲法制定)を視野に入れてのものだつたことは疑いえない(収載されている清瀬一郎等の提案理由からも分かる)。
 法案提出前の総選挙(1955年2月)での獲得議席数は、民主185、自由112、左派社会党89、右派社会党67、労農4、共産2で、じつは民主と自由を合わせても2/3以上ではなかった。
 従って、改憲(自主憲法制定)を実現するためには、憲法調査会法にもとづく調査等を経て改正の発議をしようとする時点で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上を占めておく必要があった。
 しかし、1956年7月の参院選では、自民61、社会49、緑風5、共産2、その他10で、自民は2/3以上(のたぶん85)を獲得できず、1958年の総選挙(衆議院)でも、自民287、社会166、共産1、その他13で自民は2/3(のたぶん312)以上を獲得できなかった(社会党は戦後の最高水準)。
 ようやく基本的な感想・感慨を書くに至ったが、これらの選挙で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上の多数を占め、防衛軍又は国軍を保持することを明記していれば(1954年に法律により自衛隊は発足していた)、現在問題になっていることの多くは議論しなくても済んだ
 また、1952年の主権回復・再独立からすぐにではないにせよ10年以内に(現在までの憲法に対する)外国人の関与がない、日本人のみによる新憲法が制定されていたことになるので、現在までの憲法を「無効」とする議論が現在まで残ることはありえなかった。
 なぜ1950年代後半に改憲(自主憲法制定)できなかったのか。自民党の責任もむろんあるのだが、第二党の社会党(1955年10月に左右合同)が反対し続けたからだ。同党は1947年施行憲法(現憲法)「押しつけ」論や「無効」論に強硬に反駁しており、かつ(今の共産党等と同様に)米国の戦争に巻き込まれる、日本軍も戦争をすることになる、戦前の過ちを繰り返すな、という論陣を張り、1/3を上回る議席数を獲得し続けたのだ。
 短い石橋湛山内閣のあとを継いだ岸信介首相も改憲(自主憲法制定)をしたかった、と思われる。だが、発議のための議席数がないとなればいかんともし難く、池田首相以降、自民党は改憲(自主憲法制定)を現実の政治的課題とはしなくなる(これを改めたのが小泉前首相・安倍首相だ)。
 再びいえば、当時の日本社会党(+若干の「革新」政党)の態度こそが、重要な問題を未解決にしたまま約60年が経過したこと、自衛隊が「軍隊その他戦力」ではないとの大ウソが政府・自民党によっても語られ続けた(かつ野党もまたそれで満足していた)こと等の原因なのだ。
 すぐのちの所謂60年安保闘争についてもそうだが(さらに解党するまでずっと継続したとも言えるが)、日本社会党(1961年以降は加えて日本共産党)に理論的・イデオロギー的根拠を与え(客観的にはソ連等の「社会主義」への幻想を前提とするものだった)、指導し、応援し、支持した、大学教員だった者を含む「進歩的」・「革新的」文化人・知識人の責任は(いつかも書いたが)頗る大きい、と言わなければならない、と思う。彼らを、氏名を列挙して、歴史的に「断罪」すべきだ、と考えている。
 そのような一人が、上記の衆議院内閣委員会公聴会の3人の「公述人」の一人だった中村哲だ(1912-2003。政治学者、法政大学教授・のち総長)。
 彼は憲法調査会法案に反対して、「憲法改正のための調査会を作るとすれば、末代までその恥を残すことになると思います」と述べている(p.69)。末代までその恥を残す」ことになった一人は、日本社会党の支援者だった中村哲氏その人ではないか、と私は思っている。
 もともとはこの本に即してもっと細かいことを書こうと思っていたのだが、当初の想定というのは外れやすいものだ。

ギャラリー
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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