秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

高森明勅

1383/日本の保守-悲惨な渡部昇一・加地伸行。

 天皇譲位問題についての、月刊WiLL9月号(ワック)の渡部昇一、加地伸行、百地章、月刊正論9月号(産経)の渡部昇一、八木秀次、竹田恒泰、月刊Hanada9月号(飛鳥新社)の高森明勅、に触れる。
 あまりにヒドいのは、渡部昇一、加地伸行だ。この二人は、「摂政」の制度の利用で(現実的には)足りるとするが、その際、現行の皇室典範(法律の一つ)が定める「摂政」に関する規定の内容を全く無視している。
 渡部昇一は「天皇がご病気のとき」という要件を勝手にでっちあげており(妄想しており、月刊正論p.56)、加地伸行は「摂政」制度の利用は当然に可能だという前提(思い込み)に立っている(月刊WiLLp.44以下)。
 こうした、議論の作法自体をわきまえない「論考」が保守系とされる月刊雑誌の冒頭近くに置かれ、表紙等でも重要視されていることは、現在の日本の「保守」論壇の悲惨さを曝け出している。
 「保守」言論人のすべてが渡部や加地のごとくではないだろうが、上のような雑誌の編集部が原稿を依頼した十人に満たない中に、皇室典範の規定を一瞥することすらしないで天皇・皇室問題を「論じる」者がいるのだから、「保守」論壇の劣化・悲惨さは明らかだ。
 高森明勅が引用しかつ論及しているが(月刊Hanada、p.293)、天皇が未成年のとき以外に「摂政を置く」と皇室典範が定めている条文は、つぎのとおりだ。第16条二項。
 「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
天皇陛下の談話以前に書いた原稿だと弁明するかもしれないが、陛下ご自身が問題は「摂政」制度利用では解決されえないことを明言された。
 また、高森明勅は上の条文の解釈に踏み込みつつ(これは当然の作業だ)、「陛下がお考え」の譲位と摂政設置は「似ても似つかない」と結論している。
 詳論しないが、私もまた、上の条文が定める要件は充たされていないだろう、と考える。
 渡部や加地は、天皇・皇室に関する自らのイメージと理解でもって「摂政」・譲位問題を議論している。愚昧きわまりない。
 渡部や加地は、結果としては、現在の天皇陛下が「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができない」状態にある、と主張していると理解される可能性すらある(誤解だが)。
 百地章と八木秀次はさすがに皇室典範の上の条項を意識しているが、二人ともに<柔軟な解釈>をして適用することを主張または示唆していることが興味深い。
 しかし、このような論法は皇室典範の<解釈による実質的改正>の可能性を説くもので、支持し難い。<柔軟な>解釈なるものは、法的安定性を損なうことにもなる。
 また、百地や八木の解釈がほぼ一致して採用されるとは限らず、正面からこれを説けば、世論はもちろん、「皇室会議」での議論も紛糾するだろう。
 竹田恒泰が言うように(月刊正論p.75)、皇室典範の改正か「特別措置法」制定しかないだろう。立ち入らないが、竹田が後者を主張している根拠は必ずしも十分ではない。特別措置法も(現天皇についてのみ適用する、と竹田はイメージしているのだろうか ?)、いったん成立すれば「制度」(しかも皇室典範の特別法として優先する)になってしまうことに変わりはない。
 問題は、天皇・皇族の高齢化を避けることはできず(喜ばしいことかもしれないが)、いわゆる「高齢化」社会を想定していない法律(皇室典範)が60年以上も改正されることなく存在し続けていることにあるだろう。
 加地伸行が「暴力革命を支持する勢力」による譲位・退位の強制がありうるとして、「退位規程」を作るのに反対しているのは、一見もっとものように見えて、現行の制度・皇室典範についての知識のなさを再び示している。
 加地伸行によると、「議会で過半数を占める特定勢力が、議会の議決によって退位を可能」とする危険もあるのだ、という。
 皇室典範を法律ではなく天皇(・皇室 ?)が定める「家法」にせよとの主張ならばまだ分かる。しかし、憲法自体を改正しないとこれも困難だ。
 憲法第2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する」。
 加地は、この条項も知らないで適当な文章を書いて、小遣い銭を貰っているのだろう。
 むろん、個別案件の適否は、国会が決めるのではなく、現行の制度を前提にすれば「皇室会議」が議決することになろう。
  「暴力革命を支持する勢力」が「議員」の過半数を占める事態は抽象的には想定できるが、そのような事態にな っているのであれば、現憲法の天皇条項自体が廃止・削除されているのではないか。
 ところで、現皇室典範第28条はつぎのように定める。
 「1 皇室会議は、議員十人でこれを組織する。
  2 議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
  3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。」
 マスコミによる外からの「煽動」も考えられるが、基本的には、これらの「議員」となる人物が信頼できないとなれば、日本は、国家と諸制度自体が「脆うい」状況にある、ということになろう。
 加地伸行は、上の規定もおそらく知らないままで原稿を書いているのだろう(摂政を置くことも個別には皇室会議の議決が必要)。
 渡部昇一もそうだが、どうして、このような人物が「保守」系雑誌に、よりにもよって天皇・皇室問題について、登場してくるのか。
 嘆かわしい、悲惨な状態だ。
 ついでに。天皇陛下の「ご負担」軽減というとき、①憲法上明記された国事行為、②その他の「公的」行為、③祭祀を含む「私的」行為、を区別して論じてもらいたい。百地、八木、竹田の論考も丁寧にこの問題に言及してはいない。
 法律、政令の改廃に対する御璽押印と署名だけでも(慣行上または法制上、公布=官報掲載のために必要だ。公布自体は憲法上の国事行為だ)、おそらく一年に数千件にのぼるだろう。

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

0667/「秋月映二」ではなく「秋月瑛二」。撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(2009.02)を一部読む。

 一 西村幸祐責任編集/撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(オークラ出版、2009.02)は10日ほど前に入手し、気を惹いたものはすでに読んだ。
 民族問題の特集のようだが、佐藤優批判がいくつか揃っている。若杉大のもの(p.114-)は小林よしのり対「言論封殺魔」佐藤優論争の紹介・整理だが、櫻井よしこ「『国家の罠』における事実誤認」、高森明勅「佐藤優『護憲論』のトリック」(各々p.118-、p.126-)は明らかに佐藤批判だ。
 櫻井よしこによると(初出は2005)、佐藤優の上の本が新潮社・ドキュメント賞の候補作になったとき、事実誤認を理由としてゼロ採点した、という。むしろ興味深いのは高森論考で、佐藤優は、天皇制度擁護のための護憲派なのだ、という。つまり現憲法1~8条改悪(削除)阻止のために「護憲の立場」を採るのが「真の保守」だ、と佐藤優は言っているらしい。
 高森明勅はあれこれと1~8条死守と9条改正は矛盾しない旨等を述べているが、なかなか面白い、聴くべき<護憲論>だ。天皇制度の歴史に無知・無関心の圧倒的多数の国民(主権者)は、皇室に何か大きな不肖事でもあると、もともとひそかに天皇・皇室制度解体を目論んでいる朝日新聞等のマスメディアの煽動しだいでは、天皇は多忙でお気の毒、天皇・皇族にも人権を、皇室に対する国費支出額が大きすぎる、皇居を国民公園に、等々の理屈に納得して天皇制度廃止(憲法1~8条削除)の提案があれば、過半数の賛成票を与えてしまいかねないのではないか、という不安を私はもつ。そのような国会議員の構成にならなければよいのだが…。
 そのような憲法改正に対して私は反対の<護憲>派になるだろう。
 上のように、当たり前のことだが、何をどう変えるかが問題で、一般的な改憲論・護憲論の対立などは存在しない。現在<護憲論>とふつうの場合には言われているものは、憲法9条改正(とくに2項削除)に反対して9条を護持する、という意味での護憲論なわけだ。
 憲法9条改正と憲法1条以下改正と、どちらが先に国会で発議されるか、といった心配をしなければならないことになるとは、情けない。中国(共産党)は究極的には、天皇制度解体を望んでおり、神社神道も邪魔物と感じているだろうということは間違いないと思われる。日本国内には今でも、そのような中国(共産党)に迎合する<売国奴>団体・個人が絶対にいる。
 三浦小太郎「ハーバーマスとその誤読」(p.140-)も、短いが興味深く読んだ。
 二 ところで、「匿名コラム/天気晴朗」(p.179)を読んでいて最後の三段めに入って驚いてしまった。
 「秋月映二というブロガー」が「闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性」というエントリーで八木を「こき下ろしている」、「まさに秋月の言うの通り…」。
 これはこの欄での私の文章のことであるに違いない。私は秋月瑛二で「映二」ではないのだが。上のエントリーは今年1/08のものだ。
 さらにところで、「秋月瑛二」で検索すると-検索サイトによって違い、異様と思える並べ方をするものもあるが-、中身を読まず、冒頭又はタイトルを見ただけだが、①「秋月瑛二」を産経新聞記者と誤解している人がいる。私は産経新聞社とはいっさいの組織的関係がない。②私を「媚東宮派」と呼んでいる者がいる。皇室問題での西尾幹二批判がそのような呼称になっているのだろう。何と呼ぼうと勝手だが、「媚東宮派」という語を使うからには、それとは異なる「派」の存在を想定しているに違いない。それは「反東宮派」だろうか、「親秋篠宮派」だろうか。どちらにせよ、そういう対立を持ち込み、拡大しようとすること自体が、天皇制度の解体につながっていく可能性・危険性を孕んでおり、朝日新聞等の「左翼」が喜んでいそうなことだ、ということくらいは感じてほしいものだ。

0432/日本の起源・天皇と「神道」。

 神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)を少し読んだのだが、第一章・第二章(執筆者・高森明勅)あたりの内容は、ほとんど日本書記や古事記の叙述と同じのように感じる。
 批判しているのではない。神道とは日本の歴史(とくに古代史)そのものと不可分だと感じていたので、あらためてそれを確認している、と言ってもよい。
 また、「神道」との語が出てくる最古の文献は日本書記らしいのだが、その例の一つの前の文章にこんな内容が書かれているという。やや長いが、現代語訳をそのまま引用する。
 「神々は、神である本性のままに、我が子孫に日本を統治するように委任された。それゆえ、この国は天地の初めから天皇がお治めになる国である」。(p.29)
 そして、次のコメントが付されている。-「神道は天皇統治の根源にかかわるものと理解されていたことになろう」。
 「天皇」制度は、現憲法上は<象徴>として、現在にまで続いている(かりに西暦600年くらいからとしても1400年を超えて連綿と続いている)。
 その「天皇」制度は最初から、というか、それ自体の重要な一内容として、「神道」という<宗教>を内に含んでいたかに見える。
 現在でも、天皇家、皇室の<宗教>は「神道」のはずで、種々の儀礼・儀式の中には古来からの「神道」にもとづくものが多いだろう。
 そのような、「神道」と不可分の「天皇」(そして皇室)制度を憲法・法律上存続させつつも、一方では、現憲法は<政教分離>を謳っている。ここには、「天皇」家にとっての<私事>としての「神道」という宗教、という理解では説明のつかない、現憲法自体が内包している「矛盾」・よく言って「わかりにくさ」があると思われる。
 だが、そのような<矛盾>をそもそも許容したものとして現憲法を理解・解釈する他はない、と考えられる。
 天皇や皇族は明らかに「神道」(という、見方によれば<特定の宗教>)を支持・支援する活動・行為をしていること、そしてそのことは<政教分離>という別の条項に何ら違反する(違憲の)ものではないということ、を(ひょっとして当たり前のことを書いているのかもしれないが)確認しておくべきだ、とふと考えた。

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