一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。